『I'M FLASH!』


豊田利晃監督作品。復帰後の『蘇りの血』や『モンスターズクラブ』に比べたら、だいぶわかりやすくはなってるけど、やはり難しかった。この三作はすべて、豊田監督自身が脚本も書いている。おそらくテーマは同じで、全部で死生観を描いていると思う。
前二作が寓話的でポエティックだったのに対して、今回は最初のセリフが「DVD返してくるね」「気をつけてね」という日常会話で、ストーリーがちゃんとあるタイプの映画なのではないかと期待しました。
以下、ネタバレを含みますが、理解し切れていないため、ネタバレにもなっていないかもしれません。







殺し屋(松田龍平)と教祖(藤原竜也)の対決というような前情報を頭に入れてみていたら、少し雰囲気が違っていた。教祖は教祖をやめようとしているところから始まって、龍平他、二人の殺し屋がボディガードとして雇われていた。
この殺し屋三人組が良いキャラクターだった。若い衆を演じるのが永山絢斗。豊田映画には瑛太がよく出演していましたが、今回は弟さんが出演。チンピラ風おっさん殺し屋を演じるのが元アナーキーの仲野茂。仲野さんにしても音楽関係に明るい豊田監督ならではだと思うし、もう一人は龍平だし、三人とも監督らしい人選だと思う。ちなみに脇役も豊田映画ではお馴染みの板尾創路、大楽源太、渋川清彦などで固められている。

今回、他の豊田作品と違う点は、舞台である沖縄にこだわった画づくりがされているところだと思う。あと、料理がおいしそうに撮られていて、食事シーンも多い。特に食については、ストーリーと直接関係があるわけではないし、理由がわからない。舞台を丁寧に描写したのは、青すぎる海という“異世界感”と島という“孤立した空間”が、Life Is Beautiful(藤原竜也演じるルイの教団)の本拠地として最適だったのかもしれない。

また、ルイが水中で槍をもって魚を捕らえるシーンが何度か出てくるのが印象的。実際に、藤原竜也自身が潜って魚を獲っているらしい。しかも、ほぼカナヅチというところから特訓したという。役者魂を感じました。
そのあと、その魚を食べるシーンで、「苦しまずに死んでるからうまい」というような言葉をきっかけに、死生観の話になる。
このシーンに関わらず、死生観については序盤からずっと登場人物のモノローグを借りても語られているので、今回もテーマはその辺なのだと思った。ここ最近の豊田監督作品に貫かれているこの死生観ですが、それについて考えるようになったのは、原田芳雄さんの死が強烈なきっかけだったらしい。また、テーマが死生観であるならば、多用された食事シーンも、それを生のイメージとしてとらえていいのかもしれない。

ラスト付近で、和やかな会食シーンが一転して銃撃戦になるのは、タランティーノを意識しているような感じがしておもしろかったんですが、どうなんだろう。その後にやっと龍平と藤原竜也の対決になるのですが、もう本当に最終戦というかクライマックスで、もう少し二人の対決を長く見たかった気がします。藤原竜也の白い修行服と龍平の死神ばりの黒いスーツの対比も画的にも良かった。

過剰なまでの大量出血シーン、血みどろシーンがなかったのは、豊田監督らしくない気がする。血みどろが出産や生まれ直しをイメージしているならば、『モンスターズクラブ』では、ラストでメイクをして町に下りて行ったシーンだってそうなのだろうし、今回では、タイトル通りの閃光とともに、一方が死に、一方が目覚めるシーンで、それが体現されていたのかもしれないけれど、よくわからない。ただ、あのシーンは、ルイとバイクの少年は死ぬけれども、不思議と希望に溢れた印象を残す。未来みたいなものを感じさせてくれるからなのかもしれない。

テーマ曲は鮎川誠の『I'M  FLASH!』のカヴァーで、作品自体もこの曲からインスパイアされたとのこと。カヴァーしている面子が、チバユウスケ、ヤマジカズヒデ、中村達也、kenkenと豪華だけど、これが今まで豊田監督と関わってきた人なのがすごい。チバユウスケはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが『青い春』の音楽担当だったし、ヤマジカズヒデはdipが『ナイン・ソウルズ』の音楽担当。中村達也は『蘇りの血』の主演で、kenkenは『モンスターズクラブ』出演。

ちなみにチバユウスケは現在、SNAKE ON THE BEACHというソロプロジェクトを始動させたらしい。その楽曲から『赤い季節』という映画が作られていて、これの主演が新井浩文なのも楽しみで期待しています。予告を見る限り、なかなかハードボイルドな内容っぽい。彼の主演作は『松ヶ根乱射事件』以来というのは意外。


2008年公開。ABBAの楽曲を用いたミュージカルの映画化。つまらないという噂を聞いていて、観ず嫌いだったんですが、テレビでやっていたのを観てみたら、すごく楽しかった。もっと前に観れば良かった。

メリル・ストリープとアマンダ・セイフライドが出演していることくらいしか知らなかったんですが、駄目男たちがピアース・ブロスナン、名前が覚えられないことでお馴染みのステラン・スカルスガルド、そして、好きな俳優であるコリン・ファースだった。この点でももっと前に観れば良かったと思った。

歌うのはほとんどが大人陣、中でもメリル・ストリープが中心です。娘役のアマンダ・セイフライドはほとんど歌わなかった。メリル・ストリープは歌い始めこそ、あまりうまくないのが気になったけれど、そのうち慣れた。問題はピアース・ブロスナン。結構、重要なシーンでムードたっぷりに歌い出すんですが、下手。せっかくのいい雰囲気が台無しになって失笑してしまう。多分、彼がラジー賞を受賞した要因はこれでしょう。

コリン・ファースはここでも恰好良かった。コメディに出ている彼もいいですね。『アーネスト式プロポーズ』も良かったです。ここでもギターを弾きながら歌っていた。
ここでも、といえば、コリン・ファースがラストで男の人と恋人にしてましたけども…。これも、またもやという感じ。

エンドロールも愉快だった。ドナ&ザ・ダイナモスが中身はそのままに、当時のど派手衣装で登場。三人が踊りながら『ダンシング・クイーン』を歌う。歌い終わるとアンコールが起こり、エンドロールで二曲やるのかと思っていたら、今度は真っ青など派手衣装の男三人衆が登場! 出演者が奇抜な衣装を着て勢ぞろいして歌い踊るというのは、少し『ロッキー・ホラー・ショウ』を思い出した。

エーゲ海の架空の島が舞台ということで、海は青いし、ホテルの白壁は眩しく輝いているし、床モザイクなども美しい。
改めてABBAの楽曲の耳馴染みの良さも実感するし、歌や踊りばかりで、ストーリーが深いわけではないけれど、とにかく明るいし、観ていて楽しい気持ちになる。元気の無いときに観るのも良さそう。


『普通じゃない』


1997年公開。ロンドンオリンピック開会式の芸術監督をつとめたことも記憶に新しいダニー・ボイル監督作品。『トレインスポッティング』より前の作品なのかと思っていたら『トレインスポッティング』は1996年だった。
ここまでのダニー・ボイル監督作品三作、すべてユアン・マクレガー主演。15年前のユアン、すごく可愛いです。モンチッチのような髪型をしてる。でもユアンは現在も充分可愛い。それよりも、15年前のキャメロン・ディアスがとても可愛らしくキュートだった。

ストーリーは、解雇された掃除係が自棄を起こして金持ちの娘を誘拐し、逃げる途中、身分違いなどもあり反発しあいながらも、すったもんだの中で次第に互いに惹かれ合い…?というような、よくあるといえばよくあるラブコメ。途中のお酒飲み比べとか、銀行強盗とかもテンプレ通り。それでどこが“普通じゃない”のかというと、主人公カップルの裏で天使が暗躍するのだ。神様なのかと思っていたけれど、ガブリエルと呼ばれてたし、二人をくっつける役割を担っていたようなので、おそらく天使のようです。
この天使たちが更に問題をややこしくしたりしながらも、天使という特権を使って、ストーリー展開をありえないような方向へ捻じ曲げていく。良くも悪くもなんでもありです。特にラスト付近は無理がある感じはしましたが、ファンタジーということで。

映像と音楽がおしゃれで、ダニー・ボイルっぽい。さすがに15年前の作品なので、BECKあたりが流れるとやはり多少古さは感じるが、全体的にはスタイリッシュだと思う。エンドロールの人形も可愛かったし、酒場でカントリー歌手のふりをして歌うシーンでは、ユアンとキャメロン・ディアスの髪型と衣装が変わって、ポップで楽しかった。

この邦題もどうにかならなかったのか。原題がA Life Less Ordinaryなので、間違いではないけど、そのまんますぎる。なんとなく、トンがった感じは伝わってくるものの、もう少し素敵なタイトルを考えてほしかったところ。



もともとは1997年にオフ・ブロードウェイで上演され、そのあと、映画化(2001年)。日本では2004年、2005年に三上博史、2007年、2008年、2009年に山本耕史、そして今回、森山未來主演で上演中です。
三上版が大好きで何度も観に行ったのですが、山本版は演出が違う方だったにもかかわらず、細かいセリフまでそっくりそのままだったので、一回しか行ってません。例えば、水を上に噴き出した際に、自分にかかってしまい、「パンクの精神は、自己犠牲!」というセリフなど。

しばらく経って、久しぶりのヘドウィグ。設定がかなり変えられていて驚いた。
以下、ネタバレです。







開演前、幕に原発関連の新聞記事が投影されていて、少し物々しい雰囲気だった。でも、何の関係があるのかは疑問だった。そうしたら、なんとなんと、舞台が福島。
原作では、ヘドウィグは旧東ドイツ生まれ、ベルリン壁の外に出るときに性転換手術→失敗→アメリカでベルリンの壁崩壊を知る。今回はその壁にあたるものが、原発の周りにはりめぐらされている。壁の中は無法地帯という設定。
バンドのメンバーが防護マスクをつけて出てきたのも、ファッションかと思ったら意味があった。放射能を測定して、安全を確認してからはずしてました。
それと、森山ヘドウィグのマントが日の丸パッチワークだったんですよね。あと、今回のロゴが英語でなくカタカナなのも、日本が舞台ということで納得。当然、歌も日本語訳版でした。お色直し後の衣装も、襟元が少し着物っぽい和風なのが可愛かった。
日本を舞台にすることで、電子レンジに顔突っ込んで歌うシーンがなかったのと、アメリカに出てきてトレーラーハウス住まいをしていた設定も消え、立ちんぼをやっていたシーンもなくなっていた。

舞台の変更はいいんですよ。これくらい大胆に変えていかないと、過去の上演と比べられてしまう。2012年版、ということでこうゆうのもいいかなとは思う。若い人たちにはベルリンの壁もピンとこないのかもしれないし。
ただ、個人的にはイツァークのキャラがだいぶ変更されていたのは不満でした。壁の中で生まれて、性別がない子供という設定でした。少年だか少女だかわからない。

イツァークは、ヘドウィグを影で支える存在であってほしかった。ヘドウィグが光でイツァークが影なんですよ。だから、イツァークがあんまり出しゃばってはいけない。今回のイツァークは喋りすぎだし、なにより歌いすぎ。歌部分だって、コーラス担当でないといけない。今回みたいにワンフレーズずつヘドウィグとデュエットみたいなことをしたり、まるまる一人で歌ってしまったりというのは、今までのイツァークのことを考えると、少し違うと思う。
『The Long Grift』にしたって、泣き崩れているヘドウィグの代わりに、仕方なくギターの人が歌うのが良かったのに、今回はイツァークまで歌っちゃう。

イツァークはもともと女装をしていて、クリスタルナハトという芸名をもつ有名人だった。しかし、ヘドウィグはイツァークが女装することを許さない(自分がかすむから?)。イツァークは抑圧されても、必死に耐え忍ぶ。それでこそ、後半にヘドウィグが愛想をつかされるシーンがいきてくるし、最後、ヘドウィグが許すようにイツァークにウィッグをつけてあげるシーンが泣けるのだ。そして、『Midnight Radio』の途中から、ヘドウィグを凌ぐような、完璧なドラァグクイーンとして登場する。ここにカタルシスがうまれる。まず耐え忍んでいないから、『Midnight Radio』で白いワンピースを着てきても、ただの可愛らしい女の子にしか見えない。

イツァークは三上版ではエミ・エレオノーラ、山本版では中村中が演じていて、キャスト発表時にあまりにも少女だったのでイメージが違っていて心配をしていたが、設定自体が変えられていた。
最初からそういうものだと思えばいいのかもしれないけど、それ以外にも、声が独特なので、他の人と一緒に歌ったときに浮いてしまうのも気になった。

曲が結構アレンジされていたのも2012年版ということかもしれない。最後のトミー・ノーシス版の『Wicked Little Town』が三拍子だったのは、より切なくなっていたのと、トミーの幼さみたいなものが表れていて良かったと思う。
『Sugar Daddy』はカントリー調のオリジナル版が好きなので、ピコピコアレンジはやめてほしかった。でも、ここで唯一森山ヘドウィグのキレのよいダンスが見られたのは良かった。少しPerfumeを模しているようだったのでピコピコさせる意味はあったのだと思う。イツァークも一緒に踊っていて、イツァークだと思わなければ可愛いのだけど、やっぱりキャラが違う。

トミーのキャラも弱かった。彼がロックを好きになる前に聞いていたアメリカの商業的な音楽の描写などがなく、どうしてヘドウィグにひかれていったのかがわかりにくかった。キャラが弱いというか、全体的に出番が少なかったです。

個人的に、顔面魚拓が無かったのは意外だった。ヘドウィグがタオルを顔に当ててはずすと、メイクが濃いためタオルにヘドウィグの顔の形がくっきりと写るという、結構わかりやすい笑いどころなのに。顔面魚拓っぽいTシャツが売っていたので当然あると思っていた。
よく考えたら、顔面魚拓もトミーがヘドウィグのバンドの演奏を見に来るシーンだから無いんですね。いろいろと説明不足な気はする。

前のほうがスタンディングでライブハウス形式だったため、『Sugar Daddy』でのカーウォッシュ(ヘドウィグが客席に下りていって、男性のお客さんの顔に股間を擦り付ける)は無かった。しかし、『Midnight Radio』ではスタンディングゾーンへダイブをしていて、映画のシーンを再現していた。

いろいろと気になるところはあったけれど、ヘドウィグを演じた森山未來はさすが。最近売れっ子なのにも関わらず、ちゃんと下品なところも省かれていなかったし、衣装なども含めてキュートに仕上げていた。歌声や歌唱法もクセがなくて聞きやすく、特徴がないながらもうまかったです。


上演後、拍手が起こって、カーテンコールかと思ったら、アンコールでした。劇中の曲をもう一度やるのかと思ったら『マイウェイ』。しかも、シドヴィシャスのパンクバージョン。開演前のSEでも流されていました。
歌詞は中島淳訳版のお馴染みのもの。「私には愛する歌があるから、信じたこの道を私は行くだけ」という歌詞を聞いてると、本当にヘドウィグにぴったりで、よく見つけてきたなと感心してしまった。


映画の前に原作を読んだんですが、あまり好きになれなかったので、観に行くのも躊躇してました。ただ、吉田大八監督というのと、やたらと評判がいいので行ってみたんですが、すごくおもしろかった。行ってよかった。行く前に原作を読むんじゃなかった。
以下、原作と映画について、ネタバレがあります。





原作は、一章ごとに語り手が変わる一人称視点の短編の群像劇。それぞれの話し言葉で書かれているため、文章が幼く読みにくかったけれど、高校生の心の中のことだし、わざとなのかもしれないと思った。
また、チャットモンチーやRADWIMPSなどの固有名詞も多く出てきた。チャットモンチーの歌詞を引用されても共感はできなかったし、RADWIMPSは聴いたこともない。しかし、それは私が高校生とは年齢的にだいぶ隔たりがあるため、わからなくて当然、読んだ私がいけなかったと思ったのだ。
しかし、映画は予告編で全世代向けと謳われていた。その点も、映画を観るまでは半信半疑だったのですが、上記のバンド名は両方ともまるまる省かれていた。それだけでも、好感触である。

固有名詞の関連だと、原作では、映画部の二人が『ジョゼと虎と魚たち』や『メゾン・ド・ヒミコ』、犬童一心や岩井俊二の話をしていた。2010年刊行ということでそれほど昔の本でもないのに、映画好き高校生のする話題にしては少し古臭く感じた。いまなら、園子温あたりではないか。『愛のむきだし』あたりについて、熱く語りそうなものだけど、と原作を読んだときには思ったけれど、映画では「昨日、満島ひかりが夢に出てきてさー」と話していた。やっぱり、そうでしょう? 

また、映画部が撮っているのをゾンビ映画にしたのが大正解。原作だと好きな女の子を撮影したり、青春映画っぽいのを撮っていたようですが、やっぱり自主映画といったらゾンビでしょう。最近で言うと『スーパー8』や『キツツキと雨』もそうでしたが、絶対にゾンビ映画って撮りたくなるものだと思う。
題材をゾンビにしたことも正解ですが、それをクライマックスに効果的に生かしたのも素晴らしい。桐島を追いかけて、屋上に全員集合して、結果的に映画部の撮影現場に生徒たちが乱入する。そこで神木くん演じる映画部の前田は、乱入してきた生徒たちを襲え!とゾンビ役に言う。スクールカースト最下層の生徒たちの反乱である。
カメラを通して見えるリアルなゾンビ、臓物、噴き出す血などは空想だけれど、頭の中ではどうにでもできるし、それを映像化することもできる。映画の良さまで描いている。

原作だとゾンビ映画を撮っていないので、この反乱シーンももちろん無い。スクールカーストの上側の意見や内面の描写が多いため、作者は学生自体、上に属していたのだろうと勘ぐってしまった。下の生徒については、内面よりも外側から眺めているような書き方だった。

映画のクライマックスであるゾンビのシーンですが、ここの音楽がまたいい。この映画は音楽が極端に少ないのですが、吹奏楽部が合奏をはじめて、その合奏曲がずっと流れる。それをバックにして、一連のシーンがはじまる。
その前に吹奏楽部沢島が、想い人である宏樹と恋人沙奈のキスを目撃してしまい、複雑な気持ちを抱えながら合奏に臨んでいる。その前には、校舎裏での沢島と前田のやりとりがある。最初から流れが途切れることがないのも、この映画のすごいところだと思う。

音楽も少ないけれど、セリフも少ない。それでも、状況がわかるような画面づくりがされていて目が離せない。情報量が多いし、そこからいろいろと推測できて楽しい。
前田が体育の授業のサッカーでわたわたするシーンは、グラウンドの端っこにいる前田だけが映されてることで、よりみじめさが際立つ。
前の席の好きな男の子が窓の外を見たときに、つられるようにして視線を追って窓の外を見てしまうシーンはとても美しかった。まるで一枚の写真のよう。
ほとんど学校内ですが、その一つ一つのシーンの切り取り方が本当に綺麗で、その映像を見ているだけでも少し泣きそうになった。きらきらした青春映画。

原作だと、登場人物の心の声が全部わかってしまうので、多少うるさく感じる。宏樹なんかは彼女に対し“可愛いけれど、中身は空っぽ”などと辛辣なことを思っていた。
映画でも彼女にはあまり興味は無いみたいだったが、もう少し穏やかそうだった。流されやすそうにも見えけど、私は映画版の宏樹のほうが好感が持てます。ちょっと妻夫木似です。最後、カメラを向けられて泣きそうになるシーンなどうまかった。心の中がわからない分、表情だけで表現していた。

神木くん演じる前田は序盤では黒ぶちの大きなメガネの縁が目にかかっていて表情も読み取りにくく、意志も弱そうだったけれど、話が進むにつれて、メガネをかちゃっと指で押し上げて、ちゃんと相手を見て、意見が言えるようになった。神木くんはもちろんだけれど、他の役者さんも全員うまかった。いかにもいそうなタイプが集められていることもあって、人選も完璧だったと思う。登場人物が多い映画で全員これだけいいのは珍しい気がする。

服装の違いもおもしろかった。ほぼ制服だけど、着崩し方とか、髪の毛の巻き方とか、ヘアアクセサリーとか、鞄につけているキーホルダーなどで、ちゃんとそれぞれの個性が出てた。少し派手めなスクールカースト上層部の女の子たちって、いまだにバーバリーのマフラーなんでしょうか? 私が高校生の頃もそうだったけども。

桐島の扱いも原作と映画では違った。原作だと一章でしっかり出てきて会話もしている。“桐島が部活をやめること”が“やりたいことをやめること”、もっと言えば“夢を諦めること”のメタファーになっていた。印象を受けました。個人の想いを桐島に投影し、それぞれがいろいろ考える。
映画だと、文武両道で人気者という、完璧な人間だったが、姿が出てこないため、概念のような扱われ方だった。一瞬、屋上に影が見えたのも、本当に桐島だったのかわからない。エンドロールにも桐島とは書かれていなかった。映画版は、桐島がいなくても話が成立しそう。桐島成分を差し引いても充分におもしろかった。

スクールカースト最下層の生徒の反乱と映画内映画のセリフですが、「ここが僕たちの世界。ここで僕たちは生きていかねば」からはメッセージ性を感じる。撮影したのはもっと前だろうし、最近のいじめ問題を意識しているわけではないだろうけど、不思議と世相を反映していると思う。

『最強のふたり』


2011年にフランスで大ヒットし、日本でもTIFFやフランス映画祭でもすでに上映されています。ハリウッドリメイクも決まっているらしい。原題『Intouchables』。英語にすると『アンタッチャブル』なので、タイトルが既存の作品とごちゃごちゃになってしまうからこの邦題になったのかな。別に『最強のふたり』でもいいとは思うんですが、『Intouchables』のほうが、よりいろいろと想像できる、深みのあるタイトル。

大富豪の白人の障害者と貧困層の黒人の介護人。趣味も話題も暮らしもまるっきり違う二人が出会って、さてどうなるか。予告を何度か観て既に泣いていました。映画本編は実話ベースだからか、ドラマチックというよりは静かに進んでいく。泣くことはあっても号泣という感じではなかったです。また、少しシニカルなフィリップ(富豪)とそのシニカルもユーモアで受け流すドリス(介護人)のやりとりでは何度も笑わされた。この泣きと笑いのバランスが絶妙だった。
障害者とその介護の話だと、難しい問題故に、慎重に扱われた結果、内容が重くなったり暗くなったりして、鑑賞後にしんみりしそうだが、全体にカラッと明るくまとめてあるため、爽やかな感動が残った。

以下、ネタバレです。







一番好きだったのが、フィリップ曰く“退屈な”バースデーパーティのシーンです。フィリップが室内楽団にクラシックの中でも有名な曲をドリスに聞かせる。最初はどうでもう良さそうだったドリスも「これはコーヒーのCMの曲だ!」など徐々に興味を持ち始め、そのうち、音楽から受けるイメージについて話し出す。まるで子どものような吸収力。先生(フィリップ)もいいのだと思うが、教養がどんどん身に付いていき、内面が魅力的に変わっていく。
その後、今度は先生がドリスに交代し、Earth Wind & Fireを聴かせる。ダンスをして見せると、他のバースデーパーティー出席者も一緒に踊り出す。
互いに影響しあって、いままで知らなかったことに触れ、心が豊かになっていく。理想的な関係です。しかも、周囲の人物まで巻き込んで、どんどん状況が良くなっていく。1+1が2どころではない大きな数字になっていく。まさに相乗効果。

二人のキャラクターが魅力的である点も、映画全体を良い雰囲気にしている。
フィリップは障害者でありながらひねくれたところがない。障害を持つことになった原因であるパラグライダーも、本来ならばやりたがらないだろう。勇気があるが、女性には奥手という面もかわいらしい。
ひねくれたところがなく見えたのは、ドリスに出会ってからなのかもしれない。よりひねくれた状態で登場したドリスは、良くも悪くも怖いものなし。どうしようもない若者にも見えたが、ラストでは穏やかな表情になっていたし、責任感が芽生えたせいか、大人になったのがよくわかった。

宣伝文句である“最強のふたりに起こった最高の奇跡とは”というのはどうかなと思った。奇跡が起こると言われると、どんでん返しとか大きな山場を想像してしまう。フィリップの病気が治ったり、ドリスの弟と対立していた輩がフィリップ宅に侵入してきて銃乱射とかを想像してしまった。また、フィリップが死んでしまうような着地点になっていなかったのも良かった。
と思っていたら、エンドロールで実話のご本人たちが登場。ご存命でした。この映像が車椅子に座ったフィリップの後ろにアブデル(ドリスの元になった方)が立っていて、二人で遠くを見ているもので、会話などはないけれど、力強さを感じる。
奇跡が起きるというよりは、二人の出会いそのものが奇跡だったのではないかと思う。人との出会いによって、今後のすべてが変わっていく。

原題の“Intouchables”は、決して交わることが無かったであろう、フィリップとドリスの関係や、頭部より下が麻痺をしていて、文通相手に触れられないことをおそれるフィリップのことを指しているのではないかと思う。
ドリスは車椅子に乗せるときにフィリップを抱きかかえるため、文字通り触れている。勢いあまってそのままダンスをするシーンもある。そして、ラスト、フィリップはドリスの小ニクい配慮で文通相手に対面することになる。“アンタッチャブル”から“アン”がはずれる、この幸福な変化がこの映画の醍醐味だと思う。


気になったシーンをいくつか。
ネタバレです。










苦しいこと(ここでは身近な人の死)を忘れて前に進みなさいという意味で使われていたように思う“move on”。物理的/精神的両方の意味で、一度落ちたところから上にのぼる意味で使われていたように思う“rise”。
一見すると同じ意味のようですが、“move on”がこの場所に留まりたいのに無理やり背中を押されたようなイメージで、“rise”はこの場所から自分の意志で動いたようなイメージだった。
何度か“rise”という言葉が使われていたと思うんですが、一番初めは、ベインのThe fire rises.ですかね。

アルフレッドが出て行った次の朝、家の玄関のベルが鳴って、ブルースが「アルフレッド?」とか言いながら階段下りて行きますが…。あれは、“玄関のベルが鳴ってるのになんで出ないの?”という意味なのか、訪ねてきたの人をアルフレッドだと思ったのか。どちらにしても、自分で追い出したことを忘れちゃったのかな。都合が良すぎる。それだけずっと身近な存在だったってことか。

アルフレッド関連だと、最後の墓場のシーンはブルースの両親の墓に向かって謝罪してた。ブルースに謝っているのかと思ってた。亡くなってもなお、アルフレッドは両親にも仕えていた。両親の代わりにブルースを護っている自覚があったんですね。

アン・ハサウェイの小憎たらしさはどのシーンでも魅力的。ネックレスを盗んだことがバレたときのOops.の表情。「ただし例外はある」と言ってブルースの杖を蹴っ飛ばして窓から逃げるときのスタイルの良さ。場末のバーの襲撃シーンでの「助けて!」と叫んだ後のいたずらっぽい表情。ジュノー・テンプルちゃんが財布盗んだの盗んでないのとワイワイやってるところを助太刀して、ちゃっかり時計まで盗んだときの茶目っけのある顔。ルーシャス・フォックスとの「君みたいなガールフレンドがいたとは」「彼、ラッキーよね」のやりとり。逃げちゃうかもといいながら、ちゃんと戻ってくるところ(でも銃を使ってベインを撃っちゃうところ)。

トム・ハーディというかベインは、大体のシーンでは、演説調の多少芝居がかった煽動口調なんですが、ブルースを奈落へ連れて行った最初の時だけは少し話し方が違う。So easy,so simple.のあたりの話し方は囁くようで色っぽい掠れ声になっている。このとき、マスクを剥ぎ取られたブルースは、動くこともできないし、もう死にかけなので、ベインは下手に威嚇する必要がないと思っているのかもしれない。あまりの弱さを蔑み、見下しているようにも思える。
ベインは立ち上がるときに、ブルースの胸のあたりに手を当てて体重をかける。あえて、そんな相手がみじめになるような簡単な方法で、ブルースに苦痛を与えているように見える。
実際、力の差が歴然なのは、その前の殴りあいのシーンでもわかる。ここは毎回、痛々しく見てられない。単純な肉体的な痛さもあるけど、煙幕のしょぼさもひどい。バットマンの隠し技的なのって、その程度だったっけ?

『ダークナイト』ではジョーカーが脱獄して箱乗りしているシーンが一番絶望的な気分になったんですが、今回は、雪の中、ウェイン産業の隠し武器庫から盗まれた戦車(?)が走るのを上からとらえているシーンで絶望的な気分になりました。静かすぎて、走るときに雪を踏みしめる音だけが聞こえてくるのが不気味。暴動は一段落して、すでにベインの陣営がゴッサムを支配しているのがわかる。

スタジアムの広告は、DoritosとUA.comなど実在の企業でした。プロダクトプレイスメント。