去年ロンドンへ行った時に見損ねた舞台がありがたいことに来日公演をしてくれたので観てきました。

2011年公開の映画版は観賞済み。スピルバーグ監督も舞台版を観て映画化することに決めたらしい。もともとはイギリスの児童文学が原作。

映画を観ていたのでストーリーはわかっていたんですが、とにかくパペットの馬の動きが繊細で、本当に生きている馬がステージ上にいるかのようだった。

登場のオークションのシーンでは仔馬で小さい。それでも、耳が細かく動いていたり、人間に怯える様子もわかる。
そして、「ジョーイ」と名前を呼んだ時にわずかに反応する場面は、アルバートと初めて心が通ったのも見て取れる。

何年か経った後、ジョーイが初めて出てきたシーンも驚いた。かなり大きいし、仔馬のときと比べて、体の筋肉がはっきりとついている。そして、上にまたがれる。
仔馬も大人になった馬も頭や首や耳、前側、後ろ側と三人で動かしていた。
動いてないシーンというのがなかった。ちゃんと動物がステージ上にいるように常に呼吸をしているし、耳や頭も細かく動いているのがすごい。
重い農具を引かされるシーンも、本当に重そうに、でも一生懸命引いているのがよくわかる動きだった。

トップソーンという黒い馬と二頭がステージに並ぶ様子も圧巻。一頭でさえ目を奪われる馬パペットが、二頭いるとどちらを見たらいいかわからなくなるほどだった。
ジョーイより少し大きく、すらっとしている。ジョーイは少しもったりした体。戦場慣れしているトップソーンは慣れてないジョーイを最初は疎ましく思っていたけれど、次第に仲良くなっていく。
馬のことなのに、ましてやステージ上ではパペットなのに、感情がしっかり伝わって来た。

騎馬隊のシーンでは五頭くらいが並んでいて迫力があった。隊列を組むからジョーイとトップソーン二頭では足りないのだ。薄暗いシーンだったので、本物のように見えた。奥の方のパペットは前一人と後ろ一人の二人で動かしていたようだった。後ろの人は馬にまたがる人(人形)も動かしていた。

トップソーンが死んだあとシーンは、トップソーンのパペットが横たわってステージに置かれていて、本当に魂が抜けた…死んでしまった…と思った。そこにあるのはただのパペットだった。

ジョーイが有刺鉄線に絡まるシーンも迫力があった。それまでわりと大人しめな馬だったので、なんとかはずそうと暴れる様子は怖いくらいだった。

また、馬以外のパペットも少し出て来るのですが、それらの動きも本物のようだった。特に、コミカルな動きの多かったガチョウ。カーテンコールにも出てきていた。

結構場面が変わる話だし、先に映画を観ておいたほうが背景がわかりやすい。ああ、あのシーンだなというのが、頭の中で補完される。あと、第一次世界大戦の流れもわかっているとより理解しやすいかもしれない。

ジョーイが有刺鉄線に絡まったあとに、イギリス兵とドイツ兵が互いに話したりコイントスをするシーンが映画ではもっと長かった気がするんだけれど、舞台では短めだった。映画で好きなシーンだったので、もっと観たかった。映画を観直したくなった。

あと、ラスト、映画ではジョーイとアルバートの再会のあともすったもんだあって、確か父親と本格的に和解をしていた気がするんですが、舞台では再会後、ジョーイに乗ったアルバートが家に帰還して終わりだった。本当にそこで終わりなのかわからなくて、拍手をするのをためらってしまった。
あのシーンは原作にあるのかもしれないし、スピルバーグが足したのかもしれないけれど、はっきりと和解まで描くのは優しさのつけたしなのか。より映画っぽくしたのかもしれない。


『LIFE!』


ベン・スティラー監督/主演。てっきり、脚本もベン・スティラーなのかと思っていたけれど、もともと原作小説があり、1947年に映画化もされていて、今回はリメイクとのこと。
原題は『The Secret Life of Walter Mitty』で、登場人物名が入るものは邦題にはなりにくい印象なので、仕方ないかなとは思うけれど、ちょっと検索はしにくい。

以下、ネタバレです。







主人公は“LIFE”というNEWSWEEKのような雑誌の現像部で働いているが、雑誌をオンライン化するため廃刊、人員整理に巻き込まれる。このあたりは今の時代ならではだと思うので、原作だとどうなってるんだろう。
その廃刊にあたって、最終号の表紙にカメラマンが写真を指定してきたのだが、そのネガが見つからない。そこで、ネガを探す旅=カメラマンを探す旅に出かける。
写真の現像をする部署だから当然職場も暗い。恋人紹介サイトのプロフィールに書く内容もない。
そんな彼が、カメラマンショーンの写真を見て、誘われるように、一念発起して旅立つシーンがいい。歴代のニュースが表紙を飾った雑誌のパネルの前を走り出 す。自分の目で見よ、みたいな、“LIFE”という雑誌の信念が、映像内に組み込まれる様子はビデオクリップのよう。オープニングのタイトル名や後で出 てくる同僚からのメールも同じ手法が使われていた。
この一念発起のシーンで流れている曲がアーケイドファイアの『Wake up』。主人公ウォルターを後押しするような、勇気づけられるような曲調が、とてもよく合っている。

この少し後に、別の場所へ移動するのに、酔っ払いの運転するヘリコプターに思い切って飛び乗るシーンがあるんですが、ここでウォルターは同じように曲に後押しされる。ここで使われているのが、デヴィッド・ボウイの『スペイス・オディティ』。ウォルターが片想いをしている女性が歌っている妄想を見るので、正しくは歌だけでなく女性にも後押しされているけれど、本当によく合うし、名曲具合が際立つ。女性の声に、ボウイの声が重なるのも良かった。
ウォルターの場合はロケットではなく、簡素なヘリコプターではあるけれど、lift offもする。飛び立って地上を見て、ここから本当に冒険が始まる。
思い出しても少し涙ぐむくらいいいシーンだった。
この曲は1969年にリリースされたらしいので、リメイク元では当然使われていない。

ネガとカメラマンを探す旅は、少しずつ手がかりを見つけ、居場所が明らかになっていく。謎解きものというか、ミステリーの要素もあるのが楽しい。

それに加えて、グリーンランドとアイスランドの雄大な景色も素晴らしい。空を飛ぶ無数の鳥や野生動物など、ナショナルジオグラフィック的な映像も多いし、映画館のスクリーンで観たかった。
そこを走ったり、自転車に乗ったり、スケボーに乗ったりしながら移動していく様子はまるで冒険のよう。困難に遭遇しながらも、周囲の人間が助けてくれるのも、一人旅であっても力強さを感じた。

ただ、普通の冒険ものと少し違うのは、いくら地の果てのような場所にいても、携帯電話に仕事の電話や恋人紹介サイトから問い合わせの返答などが来る。このあたりもいまの時代のことだし、リメイク元ではどうなっていたんだろう。
この、どこに居ても電話がかかってきたり、メールで職場に呼び戻されたりするのは、逆に考えると、どんなに遠い場所で別世界のような気がしていても、携帯電話は繋がるし、すぐに帰って来られるんだから大丈夫というメッセージがこめられているような気がした。非現実に思えても所詮現実なのだ、だから、怖がらずに、どこでも行き たい場所に行ったらいいじゃないということを言いたいのかなとも思った。そして、それはこの映画のテーマでもあると思う。しかし、そうすると、リメイク元は一体どんなテーマなのだろう。

カメラマンを見つけてからはわりと急展開で、バタバタと話が進んで行く。また、急にコメディ演技(空港でのスキャン、ピアノを売るシーンでの家族のハグ、エレベーター内での同僚とのハグ)やコメディセリフのやり取り(“LIFEのモットーは?”“I'm lovin' it.”“それはマクドナルドだ”)が多くなり作風も変わる。ベン・スティラー節といった感じ。

ラストはうまくいきすぎとは思うけれど、あの丸くおさめ方はとても好きです。映画だし、ハッピーエンドでいい。何より、観て良かったと思えるし、爽やかな気持ちになれる。

カメラマン、ショーンを演じているのがショーン・ペン。どちらかというと繊細なイメージを持っていたんですが、今回は世界を飛び回るフォトジャーナリストということで、危険を顧みないワイルドな男の役。最初の、ウォルターを旅に誘い出す時のモノクロ写真ではショーン・ペンなことに気づかなかった。
実際にショーン・ペンが出て来るシーン自体は少ないけれど、観ている側もウォルターも常にこのカメラマンのことを考えているし、最後の粋なはからいもあって、結局映画全編に出ている印象。

ベン・スティラーは少し物悲しさを纏う中年男役がうまかった。特に、いわくのある元バイト先のチェーン店を見つけた時の表情が、なんとも言えない。現実からは遠く離れているはずなのに、こんなところにもチェーン店があって、そこでバイトをしていた頃のいいとは言えない出来事を思い出す。ここも、世界の狭さを描いているようだった。
また、映画中でウォルターは何度も決意を決めるのですが、その時のベン・スティラーの少し怯えたような、でも気持ちを決めた強さを感じる表情も良かった。
勿論、後半のコメディ演技も好きです。

ウォルターの想い人を演じたクリステン・ウィグも、意地悪髭上司を演じたアダム・スコットもコメディ俳優。
恋人紹介サイトの運営の男性を演じたパットン・オズワルド、どこかで見たことがあると思ったら、『ヤング≒アダルト』のあの人か。この方もコメディアンと、周りはコメディ畑の人でかためていそう。


『GODZILLA ゴジラ』

旧作は観ていませんので、予備知識などはほとんどないまま観たけれどおもしろかった!すごく巨大だった。
以下、ネタバレです。









一応、家族もの寄りのストーリーがあるんですが、ごっそり無くてもいいような感じがした。特にアーロン・テイラー=ジョンソン演じるフォード関連のエピソードが余計に思えてしまった。最後も、爆弾処理班がその場面で生かされるのか!と思ったら、別に処理できていなかったし、都合良くヘリは来て救出されるし、家族ともすぐに会えていた。未曽有の災害っぽかったので、あんなにすぐに会えるものなのかな…と最後までしらけ気味になってしまった。

ハワイのモノレールみたいなところから外のパニックになった様を見るシーンや、レールの上で追いかけられるようになるシーンは、ムートーやゴジラに比べて人間の小ささが実感できたし、無力さもよくわかったので良かった。でもそれなら、別に名前のついた登場人物である必要はないし、家族の存在もなくていい。

父親が隠蔽を暴こうとして、疑っていたフォードもそれを信じざるを得なくなって…というのはあって良かった。ならばそちらだけで、フォードの奥さんと息子の話を削っても良かったのではないか。

あと、フォードの父親と渡辺謙演じる芹沢博士の話ももっとあっても良かったと思った。サリー・ホーキンス演じる助手ももっと活躍してほしかった。ちなみにフォードの父親役は、『ブレイキング・バッド』でウォルターを演じているブライアン・クランストン。
要は、アーロン・テイラー=ジョンソンが良くなかったような気がしてきた。『キック・アス』の時とは違って、だいぶビルドアップされていた。腕っぷしが強そうだし、これは『キック・アス3』はないな…と思った。『キック・アス』のときはもっと良かった気がしてたんだけれど…。役のせいなのか、筋肉のせいなのかわからない。
謙さんとサリー・ホーキンスとウォルター役の人の三人がうまく協力して、ゴジラやムートーと対して欲しかった。

でも、今作において、本当に人間は無力で対することはできていなかった。人間が様々なことを考えて、案を実行したとしてもうまくいかない。それだけ“敵”が強大すぎる。それに、向こうは別に人間のことなどどうとも思っていない。イェーガーでも出してこないと対抗できない。

車の窓から外を見ているようにワイパーが映る映像や、ゴーグル越しに見ているようにゴーグルの枠が映っていたりと、あたかも映画を観ている人がそこにいるような映像が多かった。
ゴジラとの最初の邂逅シーンも空港の窓の外に足だけが見えて、全体像はわからない。でも、窓から足しか見えてないということは、相当大きいことがわかる。そして、カメラが外に出て、下からぐわーっと上がっていき、顔のところまで行ったところで咆哮。ゴジラのとらえ方として完璧だと思う。
もちろん大きさを実感するためにはなるべく大きいスクリーンのほうがいいし、咆哮で劇場がびりびりなるので音響もいいほうが迫力あると思う。私はIMAXで観ました。

ハワイでバカンスを楽しんでいる人やサンフランシスコの会社にいる人などの前に、ゴジラやムートーは急に現れる。日常生活と隣り合わせでいきなり襲われるので、災害のような感じだ。今作において人間はどうせ無力で逆らうことなどできないのだから、一つの家族をピックアップしなくても十分に怖さは伝わるし、ピックアップすることで、逆にうまく行き過ぎ感がわざとらしく思える。

それで、その災害に立ち向かう方法として、イェーガーの無い人間たちができることはただ見守るだけなんですね。芹沢博士が、ゴジラに任せようみたいなことを言う。
なんとなく、芹沢博士は昔、旧作のゴジラを観ていて、ゴジラファンで、今作は物語の中だけだと思っていたゴジラが実在したのか!と思ってるような気がしてしまったけれど、そんな話ではなかった。
でも、それくらい、今作はリアリティがあるというか、実際の日常生活と地続きな感じがしてしまった。

ゴジラとムートーの対戦はまるでプロレスのような感じだった。別に人間を救おうと思ってやっているわけではないので、野生動物を見ているようだった。それでも、長い尻尾を巧みに使ったり、ムートーの体内に自分の口から出るエネルギー砲(?)を撃ち込んで攻撃する様子は恰好良かった。これも満を持して、終盤で出てくる。

人間関連のストーリーは置いておくとして、ゴジラは存分に恰好良く撮られていたし、ゴジラにその気はないにしても正義の味方のようだった。監督は相当ゴジラ愛が強いそうだと思ったら、大ファンのようです。
ギャレス監督は元々、幼い頃に観たスター・ウォーズがきっかけで映画の道に進んだらしいけれど、今度、スター・ウォーズのスピンオフの監督をすることも決まっているらしい。きっとそれも愛を感じるものになるんだろうな。

あと、これはどうなのかわからないけど、原発事故、津波、電力会社や政府の隠蔽、広島への原爆投下なども直接関係あったりなかったりする感じで描かれていて、ゴジラだから当たり前っちゃ当たり前なんですが、日本のことを意識して作られた作品だと思った。そのわりに、不思議の国ニッポンみたいな描かれ方をしてるけれど、『ウルヴァリン:SAMURAI』ほどではないです。

『複製された男』


『プリズナーズ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。予告編を見る限り、どんでん返しがある謎解きものみたいだったので一生懸命観ていましたがわからなかった。最後まで観て、騙された!というわからなさではなく、どういうことだかよくわからなかった。
『プリズナーズ』は途中でわからなくても、最後まで観ればすっきりしたんですが。

以下、ネタバレというか、観ていて多分そうゆうことだろうなと思ったこと。







ただ、そうゆうことだろうなと思うことがいくつかあっても、それらが繋がらないし、全貌はまったく見えてないです。

まず、母親はなんらかの事情を知っていそうだった。もしかしたら、ラスボス的なポジションなのかもしれない。
キーワードとなるブルーベリー。母親も口にしたし、アンソニーも有機栽培のブルーベリーの話をしていたし、アンソニーの家にもあった。
また、アダムは何も言ってないのに、アンソニーが三流役者であることを知っていた。アダムが少し不審そうな顔をしていたので、たぶんアダムが話したわけではないと思う。
母親が事情を知っているとして、考えられるのは双子かな。胸の下の傷と言っていたので、結合双生児かなとも思ったんですが、二人とも同じ側に傷があったようなので違うのかな。
アダムがアンソニーのふりをしてアンソニーの家にいるときに、奥さんが「お母さんから電話があったからかけてあげて」と言っていたので、そこでアダムがアンソニーのふりをして電話をしたら実の母が出て…みたいな感じに謎が解けるのかと思った。電話していなかった。

そもそも、邦題の通り、複製されたんでしょうか。原題はEnemyで、最大の敵はもちろんアダムにとってのアンソニーなんだと思う。これはこれで意味が通るので、邦題は原題とは別とすると、複製されてはいないのかもしれない。複製されたとして、どちらがどちらを?どのタイミングで?どのように?など、全部わからない。
追記:原作の小説のタイトルの邦訳が、“複製された男”らしい。

本当にそもそものところで、アダムとアンソニー、二人いるのかもわからない。二重人格かもしれない。でも、アダムの彼女が、指輪の跡はいつもはなかったと言っていたので、二重人格でもないのかも。
大体、役者と学校の先生という二つの職業の両立はできなさそうなので、二人いることはいるのか。

最初にアダムが講義していた内容、支配とか歴史は繰り返すみたいなのも、何か関係がありそうではあった。序盤で同じ講義風景が二回流れるのも気になった。

あと、謎の部屋ですよね。マンションの管理人さんが楽しかったと言っていた部屋。鍵がなくては入れない、鍵はこまめに変わるというところから、選ばれた者だけが入れる秘密クラブみたいなものだと思う。一番最初に流れた映像でしょう。
最初に流れた映像であの場所にいたのって、もしかしたらアダムなのだろうか。終盤でアンソニー宛ての封筒を開封して出てきた鍵を持って、訪れたところなのかもしれない。それは、アンソニーだかアダムだか、どちらかわからない人物がとてもつらそうだったから。なんとなく、アンソニーは少し病的というか、秘密クラブも楽しみそうなんですよね。アダムはその類のものに嫌悪感を抱いていそう。
というか、これ、アンソニーもアダムもジェイク・ギレンホールなんですよ。この演じ分けが素晴らしい。

あの秘密クラブの意味はまったくわからない。ただ、女性が大きい蜘蛛を踏み潰していたのが気になる。
それで、違うかもしれないんですが、秘密クラブに妊婦の裸の女性がいた気が。あと、アンソニーの家のタンスの中にあったハイヒールって、蜘蛛を踏み潰してたハイヒールかな…。アンソニーの奥さんは秘密クラブとなんらかの関係がありそうな気がする。

蜘蛛もキーワード的に何度か出てくる。アダムは町の中を巨大な蜘蛛が闊歩する夢を見ていた。
そして、ラスト、アンソニーの妻を呼びに部屋を覗いたら、部屋におさまりきらないくらいの巨大蜘蛛が。妻が食われたのか、妻の正体が蜘蛛だったのかがわからない。そもそも、非現実的だし、アダムの幻覚なのかも。でも、なんでアダムは蜘蛛の幻覚を見るのか。それもわからない。妊娠していることと関係があるのか。
そもそも、おなかの中のそれって本当に人間なの?というところから疑ってしまう。

こんな感じで、断片的な予想しかできない。しかも、点と点が繋げられない。公式がヒントを出していそうなので、ちょっと見てきます。

ネタバレ見ました。要は妊娠した妻と愛人と…という話のようで、見ないほうが夢があった。アンソニーの奥さんもそう言えばあの女みたいなこと言ってた。先生をやりながら役者をやってるということだろうか。
だから、複製されたって、誰かにやられたわけではなくて、自分の中で複製されたということなんだと思う。

そうすると、どこまでが本当なのかわからない。ホテルでアンソニーとアダムが二人で会うシーンはもちろん無いわけで。
最後の事故はあったのか。同日同時刻のように撮られていたけれど、結局一人しかいないのだから違う時間なのか。
アンソニーの奥さんが学校にアダムをたずねていくシーンはどうとらえたらいいのか。先生をやってることを知らなかったのか。知っていたけど、別人のような姿と、自分を認識してない様子に驚いていたのか。
あの秘密クラブもあるのかないのか。鍵が届いていたので存在するのか。でも、そもそも、彼とどんな関係があるのか。
蜘蛛のとらえ方もわからない。結局幻なのだろうか。それか、最後のシーンも夢なのかも。それで、奥さんとの和解のシーンが先で、愛人との喧嘩からの交通事故が後だとすると、少し怖い結末になってしまう。

2012年公開。イギリスでは2011年にテレビ放映、劇場公開作品ではなかったようです。『300<スリーハンドレッド>〜帝国の進撃〜』の戦う息子役のジャック・オコンネルが良かったので観たんですが、デイヴィッド・テナントもほぼ主役で出てきた。1958年に起こったミュンヘンの悲劇を描く実話。

サッカーに詳しくないので“ミュンヘンの悲劇”という事故も知らなかったんですが、それでも楽しめた。試合シーンはほとんどなく、中盤に問題の飛行機事故を据えて、そこまでのジャック・オコンネル演じるマンチェスター・ユナイテッドの選手ボビー・チャールトンの台頭と、それ以降のチームの再生とボビーの復活を描いている。

サッカーがよくわからなくても、少し前まで一緒にいて、雑談を交わしていたチームメイトの大半が一気に亡くなってしまうつらさはわかる。特に親しかった友人も亡くなった。喪失感もあるだろうし、なぜ自分は生き残ってしまったのかとも思うだろう。
それでも、もう一度サッカーを、と試合前の選手控え室の扉を開けるシーンが泣けた。扉の向こうの世界へ、文字通り一歩踏み出す。
そのシーンの少し後に、足を負傷したが奇跡的に命は助かった監督についても、別の試合での選手控え室の扉を開くシーンがある。
二人とも、扉を開けて、新しいチームを目の当たりにして一歩踏み出すのは勇気がいったはずだ。新しいチームを受け入れることは、前のチームメイトがいなくなったことを受け入れることでもあるからだ。それでも、信じたくない現実をしっかりと見据える、その強さが良かった。

デイヴィッド・テナントはコーチ役だった。前半はボビーを育て、後半はチームの再生に奔走する。遠征には参加していなかったので、飛行機事故も当事者ではないのだが、一番近い場所ですべてを見守る役だった。
デイヴィッド・テナントというとやっぱり『ドクター・フー』の印象が強いので、ドクターが別の役をやってるという感じになってしまうのかなとも思ったんですが、そんなことはまったくなかった。
少し痩せていたので、目の大きさが目立った。顔がかなり特徴的ですが、声も目立つ。前半の控え室で試合前の選手を鼓舞するシーンが最高だった。ちょっと舞台演技ではあるのかな。声を張り気味に、早口で話す。
後半の新しい選手をかきあつめて契約させて写真を撮るシーンの連続作り笑いも良かった。
飄々としていて調子が良くやっているだけのようでも、選手とチームのことを人一倍考えているのが伝わって来た。常に一生懸命だった。
事故のあと、病院に駆け付けて、惨状を見て、誰もいない階段で泣くシーンも良かった。人前では絶対に弱さを見せないが、耐えきれず一人で姿を隠して号泣していた。
役自体が良かったのかもしれないけれど、デイヴィッド・テナントにも合っていたのだと思う。

キーパーであり、飛行機事故のときには怪我人を救出し、チームにも早々に復帰していたハリー・グレッグ役のベン・ピールが恰好良かった。ジャクティン・ティンバーレイクにちょっと似ている。彼をイギリス顔にした感じ。2013年のTOYOTAハリアーのCMに出ています。

イギリス人俳優満載だから、出だしからかなりイギリス訛りなのかと思っていたけれど、考えてみたらサッカー選手だから余計そうなんですね。ボビーの住んでいるのもそれほどいい家でもなさそうだったし、おそらく労働者階級だと思う。

『素粒子』



2007年公開。ドイツでは2006年公開。『アグネスと彼の兄弟』のオスカー・レーラー監督。これもトム・シリング目当てで観ました。
原作小説がある作品ですが、監督が同じなので、『アグネスと彼の兄弟』と作風が似ている。こちらも兄弟が主人公。兄も弟もなにかと人生がうまくいかない。異父兄弟で、母親は子供を置いて出て行っているので、やはり親に問題があるのではないかと思ってしまう。

今作も自然な感じで悪いことが起こって行くというか、ほんの少し決断が遅れたことや、勇気が出なかったことが取り返しのつかない結果に繋がって行く。観ていてもそれは納得する行動で、私でも同じことをするかもしれないと考えてしまう。だから共感し、その結果を想い、胸が痛くなる。途方もない話ではなく身近な悲劇が描かれている。

弟ミヒャエルについては、プロムのようなダンスパーティーで幼馴染みから誘われた時に踊れば良かったのではないかと思う。あの場面で断っていなければ、もっと早くアナベルと親密になっていたかもしれないし、そうしたらアナベルだって遊び歩くようなことはしなかったかもしれないし、そうしたら病気にもならなかったかもしれない。
ただ、その頃は勉強に没頭していたし、ダンスをどう踊っていいかもわからなかっただろうし、彼にとって遠い世界のできごとだったのだろう。
それに、あの場面で踊ったとしても、親密になるとは限らない。親密になったとしても、アナベルが孤独感を抱かないとも限らない。遊び歩かなくても、他の要因で病気になるかもしれない。その先の無数の選択が良い方向に進まないと結局結果は同じになってしまうかもしれない。

兄ブルーノは、クリスティアーネが車いす生活になってしまったときに、一緒に暮らせるかと聞かれて口ごもってしまった。あの場面で、一緒に暮らそうと言えていたら、また、そのあとの電話がもう少し早ければ、クリスティアーネが身を投げることも無かっただろう。
ただ、あの場面で一緒に暮らそうとは言えない気持ちもよくわかる。これから付き合って行こうと思っていても、まだ出会ってそれほど時間が経っていないのだ。この先の人生を思えば戸惑うのも当たり前だと思うし、その後、電話をする勇気がなかなか出ないのもわかる。
それでも電話をかけたのだ。本当ならば、ここまで人生に行き詰まっていた人物が勇気を出したら、それが報われて、この場合クリスティアーネが電話に出て、めでたしめでたしとなるところではないか。だけど、ならない。もう悔やんでも悔やみきれない事態が起こる。

歯車が上手い具合に噛み合うことなんて実はそうそうない。噛み合わない場合の方が圧倒的に多い気がする。そっちのほうが印象に残るからかもしれない。だから、共感してしまうし、胸にぐさぐさと刺さる。

それでも、原作は違うらしいですが、この映画はハッピーエンドなのだと思う。ミヒャエルは結局アナベルと一緒にいることを決めたようだった。
そして、ブルーノを病院から海へと連れ出すシーン、海辺に四つ椅子が並べてあって、ミヒャエル、アナベル、ブルーノが座っているが、一つは空いている。クリスティアーネの椅子なのはわかる。ここで、アナベルが「あなたたち二人もアイスランドに来ない?」と誘う。ブルーノにはクリスティアーネが見えていて、ミヒャエルとアナベルもそれに合わせてあげているのだ。
映像で直接描かれているわけではないけれど、二人は病院からブルーノを勝手に連れ出したわけではないだろう。ちゃんと医者にブルーノの症状というか、事情を聞いて、全て了解した上で外へ誘ったのだ。
何も言わないで合わせてあげる、この優しさが家族ならではだと思う。

最後に、ブルーノは生涯入院生活だったが幸せだったようだという文章が出て、もう彼が幸せならばそれでいいのではないかと思った。思春期の悲惨な体験の数々の話も前半に出てきたし、もう充分酷い目に遭っている。無理に真実をつきつける必要なんて無い。医者からも、ミヒャエルとアナベルからも、そんな優しさを感じた。

『アグネスと彼の兄弟』よりもこちらのほうがストーリーが重めだったり厳しかったりするけれど、ブルーノを優しく包み込むような終わり方が優しかった。クリスティアーネは実際にはいなくても、もう彼は孤独じゃない。

ブルーノ役は、『アグネスと彼の兄弟』でセックス依存症の兄を演じていたモーリッツ・ブライプトロイ。この映画でもクリスティアーネに会うまでは性欲に支配されている、似た感じの役だった。モテなくて、女性との距離のとり方もいまいちわからない。この役者さんがそういう役がうまいのか、オスカー・レーラー監督がそんな役で使いたがるのかわからないけれど、よく合っているし、うまい。他の出演作を見ていると、『ワールド・ウォーZ』なんかにも出ていて驚いた。

トム・シリングは過去のミヒャエル役。プロムで踊れない役ですね。眼鏡をかけていて、神経質っぽい役だった。『アグネスと彼の兄弟』のような悪ガキとはまったく違う。でも、暗さがあったり、悩みを抱えてそうな役なのは共通している。『コーヒーをめぐる冒険』でもそうだった。内面をすべては見せていない。これはこの俳優さんの味なのかもしれないし、魅力的だと思う。彼の出演作がもっと観たい。今回はあんまりジェームズ・マカヴォイには似てませんでした。

ブルーノが過去の話をするとき、ミヒャエルが過去を思い出す時、色鮮やかな映像で語られる。きっと、育児放棄にも見えるけれど、母親のことも恨んではいないんだろうなと思う。

観たあとで、この映画のジャケットを見ると初めて意味がわかる。椅子が五つ並んでいて、ミヒャエル、アナベル、ブルーノ、そしてクリスティアーネが座っていて、一番後ろの椅子には若かりし日の母が座っている。とても、母親らしい恰好ではないけれど、一番後ろに椅子が配置されているのが、なんとなく全員を見守るような形になっている。
歪な形でも、どうしようもなくても、家族として繋がりを感じて泣ける。



日本だと2005年のドイツ映画祭で上映されたらしい。ドイツでは2004年公開。トム・シリング目当てで観ました。

三人兄弟それぞれの揉め事の話なので、『ひかりのまち』や『8月の家族たち』と似た印象を受けた。ただ、本当に個々の揉め事で、彼ら兄弟間のやりとりはそれほどなかった。男兄弟だとそんなものかなという気もするけれど。

また、タイトルを見るとアグネスが中心でその兄弟の話はそれほど出てこないのではないかと思うが、むしろ、アグネスが一番少ないくらいで、兄弟二人のエピソードのほうが分量が多く感じた。けれど、邦題詐欺というわけではなく、原題がAgnes und seine Brüderなので、おそらく、原題のままだと思う。

三人とも、家族間の問題やら、セックス依存症やら、性転換からのごたごたやら、人生がうまくいっていない。悪人が酷い目に遭う分にはザマーミロという気持ちになるけれど、この三人については、悪人というわけではなく、切羽詰まった中で踏み外した小さな一歩からごろごろと転げ落ちるので、他人事ではない。身近な悲劇に感じる。

それでもきっかけが小さな踏み外しなので、ぼろぼろではあっても三人ともに対して、回復の兆しや光が見える。身近な悲劇に救いがあるのは観ていてほっとする。

ただ、最終的にそれで良かったのかわからない。一人の兄の妻は家を出るのをやめたけれど、家庭の問題がそこから修正できるのかわからない。もう一人の兄は運命の恋人に出会えたけれど、父を殺しているのでいずれ捕まるだろう。アグネスは昔の恋人とのわだかまりは消えたようだったけれど、おそらく性転換手術のときに負った何かで命を落とす。ただ、最期に見た幻は優しいものだったので、これで良かったのかもしれない。

三人の父親は、子供が12歳までおねしょしていたことを近所に言ってまわる、子供に性的虐待をする、妻が出て行っていることなどから、問題のある人物であることは間違いない。三兄弟がそれぞれ問題を抱えてしまったのも、父親の影響があるのかもしれない。
父親を殺してしまった兄は、アグネスがいまでも相手をさせられていると思い込んでいたし、自分の状況もままならなかった。私から見ても、あの父親の影響を疑うのだから、当事者が、すべて父親のせいだ、あいつがいなければ…という思考回路に陥ってしまうのも仕方がないのかもしれない。その翌日に人生が好転するのは、皮肉としか言えないけれど。

アグネスが良いキャラクターだったので、もっと彼女の話が見たかった。これは性転換ものではよくあるパターンでもあるのかもしれないけれど、少しヘドウィグを思い出した。
夜、出歩いて、同居人と喧嘩をし追い出される。夜に出歩くのもさみしさなどがあったのでしょうが、それはアグネスが悪い。
病気のことを誰にも言わないのは、周囲の人に心配をかけたくなかったのだと思う。そして、性転換のきっかけとなった男との再会のシーンが泣けた。責めることはしないで、許したのは、彼と会うのが最後になるとわかっていたからだろうか。スターになった彼に再会して、あなたには野心があったのだから仕方ないと告げるさまが良かった。また、一緒に部屋を抜けようと誘われても気丈に断っていた。今更ついて行ったところで得られるものなど何もないこともわかっていたんだろうし、自分の病気のことも考えたのだろう。ここでの行動が本当に恰好良かった。

トム・シリングは一人の兄の息子役だった。思ったよりもたくさん出番があって満足。年頃の息子ってあんな感じなのかもしれないけれど、憎たらしいし、親の心配をよそに家を空けて「友達とレイヴに行っていた」とか言っちゃう。高校生か大学生か、ある程度の年齢っぽいけれど、まだまだ子供という役柄だった。
『コーヒーをめぐる冒険』は2012年で、この映画はそれの更に8年前になるんですが、この時のほうが、ジェームズ・マカヴォイに似ていた。