『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』
Posted by asuka at 10:14 PM
1も2もおもしろかったけれど、今回もおもしろかった。このタイプの映画で毎回おもしろいのは稀だと思うけれど、そもそも、“このタイプ”の定義が間違っていたのだと、映画を観ながら気づいた。
過去のアクションスターたちが大暴れして、スカッとして何も残らない系の映画だと思われがちだし、私も観る前までそう思っていたけれど、観たら、そういえばこの映画はそれだけではなかったのだと思い出した。
以下、ネタバレです。
このシリーズはアクションよりも、出てくるキャラクターたちがわいわいやっているのが楽しいのだった。
前作からの引き続きのキャラクターも出てきます。バーニー(シルベスター・スタローン)はもちろん、飛行機で隣りの席にはクリスマス(ジェイソン・ステイサム)、後ろにはガンナー(ドルフ・ラングレン)、トール・ロード(ランディ・クートゥア)、シーザー(テリー・クルーズ)が座っている。
彼らがかつての仲間であるドク(ウェズリー・スナイプス)を助けにいくところから始まる。この新キャラがまた良くて、映画内では新キャラだけれど、バーニーとは昔なじみだから、偉そうだし、いつものメンバーは気に食わない。
そのごたごたと、バーニーに言われてしぶしぶ、けれど素直に「助けてくれてありがとう」というシーンににやにやした。
これは本当に序盤も序盤で、この先もにやにやするシーンは多々出てくる。ちょっとしたセリフまわしや何気ない一言がすべて可愛い。
このあとで、シーザーを怪我させたバーニーは、いままでのメンバーを解雇する。俺たちはもう歳だし未来がない、というのはメタ発言でもあると思った。
タイトルやコンセプトからして、もう旬の過ぎたアクションスターたちが消耗品として暴れまくるということでメタ的ではある。
今回は、ブルース・ウィリスの降板によりハリソン・フォードが代わりに出ているんですが、「奴の出番はない」というセリフのときに、全部は聞き取れなかったんですが、Pictureという単語が使われていたのが気になった。
また、最後にバーニーがドラマー(ハリソン・フォード)に「たまにはこうゆうのも若返るだろ?」というのもメタ的。
解雇後に新たなメンバー探しをするんですが、バーニーと一緒に斡旋業のボナパルト(ケイシー・グラマー)がさながら旅行のように各地をまわるのが楽しい。新人たちに合った曲が流れるのもおしゃれだし、二人の旅の間のおしゃべりも楽しい。灰に影が見つかった話もにやにやした。
もうこの二人の新人発掘の旅だけで、映画を一本作ってもらいたいくらい楽しかった。実際には10分ちょっとだったらしい。
ここでは少ししか出てこないんですが、アントニオ・バンデラス演じるガルゴが84年生まれと履歴書に嘘を書いていた話も笑った。スカウトしに行って、なんだおっさんかみたいな空気になるのがおもしろかった。
バーニーが若者たちを引き連れて仕事をするときに、「ドアを蹴破るのは80年代まででしょ」と言われるのもメタでした。
若者たちはコンピューターを駆使して侵入扉をロックしたりと、単純に力勝負ではない方法を使っていた。これはこれでいいけれど、これでは近頃のアクション映画と同じになってしまうのでは。そもそも、消耗品軍団には変わらないけれど、若者にそれをやらせるのはどうなのか。コンセプト自体が変わってしまうのでは。
そんなことも考えてしまったんですが、心配は無用でした。
解雇されたあと、クリスマスは切れ味の良いナイフの通販番組を見ていたり、ガンナーは実弾射撃場で的がぼろぼろになるまで撃ち続けたり。日常に満足できない男たちが映されているBGMには切ない曲が流れていて、撮影方法も他のシーンとは違ってゆったりとしたカメラワーク。完全に恋人に捨てられた男たちになっていた。悲しいシーンだけれど、ここもにやにやしました。
結局若者たちは軒並み捕まってしまい、消耗品と言いながらもバーニーは助けに向かうんですが、ここで出て来るのが、つかず離れずのような状態になっていたアーノルド・シュワルツェネッガー演じるトレンチ。やはりこうゆう場面では助けてくれるというところに、盟友の証を感じて嬉しい。
そして、年齢詐称のガルゴ(アントニオ・バンデラス)もここで出てくる。
めちゃくちゃ喋りまくる。相手にされていなくても一人で喋りまくる。でも、過去の話で実は仲間をすべて亡くしていて自分だけが生き残ったと明かしたときに、バーニーがその退院の名前を出して、実は話をちゃんと聞いていたことがわかるシーンは泣けた。これはバーニー、モテるに決まってると思った。
また、アントニオ・バンデラスは出演者の中で、断トツで演技がうまいのもよくわかった。他の出演者たちは、やりとりはおもしろくても、どちらかというと朴訥というか、長いセリフはそんなにないし、演技らしい演技はない。けれど、ガルゴについては、実は哀しい過去があったり、愉快なだけじゃない面を見せて泣かせたりと、いままでにないキャラクターだし、話に幅も出たと思う。
そのあと、ガルゴとバーニーだけで出発しようとしたときに、飛行機の前で通せんぼするように立つかつての面々がかっこいい。戦闘態勢に入った恰好で立ちふさがる。いくら解雇されても、彼らの覚悟は変わらない。絆の深さにここも泣けた。
そして、バーニーも隣りに座っていたガルゴに「そこにはクリスマスが座るからどけ」と言うのも良かった。憎まれ口ばかりだけど、やはり大事な仲間だったのだ。
そして、後ろでは、ガルゴの喋りにうんざりした様子の他の面々…。
ハリソン・フォード演じるドラマーから援軍の連絡が入るんですが、そのときに、ジェイソン・ステイサムがイギリス訛りで喋るのを「何?聞こえない」みたいに煽られるのもおもしろかった。こういった余計なぽつぽつしたところが全部好きなのです。
ガンナーが腕に何かの端末を付けているんですが、「あの若造の影響か?」と聞かれて否定していたけれど、明らかに若造の影響です。俺も何か新しいものを取り入れねば、と考えたんだろうと思うと可愛すぎる。
しかも、若者たちを助けたあとで、若者がその端末を使おうとすると、充電が切れそうになっている。「天気予報くらいしか見ないから」って言い訳も可愛い。腕に付けてはみたものの、まったく使いこなせてなかった。これ、ドルフ・ラングレンってところが一層可愛いんですよね。
そして、ここからは最終決戦、アクションシーンが続く。若者メンバーと大人メンバーが揃ったことで、さきほどのありきたりなアクション映画になってしまうのでは…という懸念は払拭された。単純にアクションの幅が広がって見応えがあった。
銃や手投げ弾はもちろん、バイクも使う、敵の戦車にも乗り込む。空からはヘリをドラマーが運転し、後部座席ではトレンチとかつてのメンバー、イン・ヤン(ジェット・リー)がマシンガンのようなものをぶっ放している。
廃ビルが舞台なので、おそらく最後には壊れるんだろうなと思いながら見てましたが、各階や屋外、空といろんな場所でいろんな攻撃が繰り広げられているのが、贅沢だった。
そして、最後はやはりお約束というか、バーニーとストーンバンクスの殴り合い。肉弾戦です。
ストーンバンクスを演じたのがメル・ギブソン。あんまりいい印象がなかったんですが、彼の悪役が本当に憎々しいキャラクターでこの配役も豪華だし、よく合っていた。
たぶん、ジャンル的にはアクション映画なのだろうし、アクションだけを楽しみにくる人もいると思う。もちろんアクションも素晴らしかった。アクションシーンとのギャップもあって、日常パートがより楽しめるのかもしれない。
そして、今回も打ち上げシーンがあった! 飲み屋だし同じところかなと思ったけれど、前回までのメンバーだったタトゥー屋のツールがいないので、今回は違う場所になっているらしい。
ドクとクリスマスがダーツ盤を使ってナイフ投げ勝負をしていたけれど、ナイフの使い手としてどちらが上かという勝負ももちろんあるでしょうが、バーニーの取り合いにも見えた。
若者たちが全員でKARAOKEでニール・ヤングの『OLD MAN』を歌っているのも良かった。“爺さん、俺の人生を見てくれ/まだ24歳、なんでもできる” 生意気ながらも、しっかりしてる。でも、完全な世代交代がなくて良かった。
ただ、若者メンバーを今回出すならば、前回出てきたリアム・ヘムズワーズも仲間に入れて欲しかったとも思う。今回は一人も欠けることがなくて、それも良かった。
最後にバーニーがクリスマスの肩を抱いてあげていたのも感動した。
解雇したのだって、もちろん、大切なメンバーのことを考えてのことである。でも、現場から退かせることが、必ずしも最良ではないのだ。たぶん、この先はずっと一緒に戦っていくのだろう。
そういえば、トレンチとイン・ヤン、まさかの交際発覚。身長差、体格差の面でもお似合いでした。
ところで、脚本にシルベスター・スタローンも参加してるんですけど、数々の萌えシチュエーション&セリフももしや全部わかってやっているのでは…。
『エクスペンダブルズ4』も楽しみにしています。
この映画、パンフレットも満足できる作りでした。ストーリーやキャラ・出演者・スタッフの紹介、インタビュー、プロダクションノートはもちろん、使われた武器の説明、今回行った場所、作戦の図解など盛りだくさんすぎる。怒髪天の増子直純兄ィと杉作J太郎の対談もあり。
細かい字だけどたぶん、エンドロールで流れた文字を全部載せてる。あと、出演者の全作品リスト。これもかなり細かい文字。
一番気に入ったのは、欄外のはみキン情報!(はみ出しキンニク情報!)で、なんてことないトリビアが載ってるんだけど、この愛の込め方がたまらない。パンフレットの作り手も本当にこの作品が好きなのが伝わってくる。『ハングオーバー3』のパンフレットで受けた以来の感動です。
最近、映画の公式サイトがプロダクションノートをPDFで公開していたりして、決して安くはないし、もうわざわざパンフレットを買うことはないかもと思っていたけれど、これはとても嬉しかった。
『ドラキュラZERO』
Posted by asuka at 10:10 PM
主演のルーク・エヴァンスと衣装などはかっこよかったです。
以下、ネタバレです。
トランシルヴァニアのドラキュラのモデルとなった実在の人物ヴラドが主人公となっている。でも、伝記というわけではありません。
息子を守るために、洞窟の中の魔物と契約をして力を手にするんですが、その契約というのが、三日間は人間の血を欲すると思うけれどそれを我慢すれば人間に戻れる、血を飲めば魔物が洞窟の束縛から解かれるというものだった。
普通であれば、困難を乗り越えて、血を飲まずに我慢をし、魔物の誘惑にも負けずに、敵も倒してめでたしだと思う。
しかし、この映画では、あっさり誘惑に負けてしまう。
ルールがわかりにくかったんですが、妻が死にそうなときに「私の血を吸って」と言うんですね。たぶん、魔物に操られているんですが、ヴラドは吸ってしまう。
おそらく、これで完璧な吸血鬼になったのだと思う。でも、ここで、魔物が洞窟から解き放たれて、代わりにヴラドが閉じ込められるわけじゃなかったのか。そして、完璧な吸血鬼になることで、力が倍増するのはわかるんですが、少し前に「血を飲んでいないから十字架を怖がらない」と牧師が言っていたけれど、飲んだ後も別に怖がっていなかった。
ただのいいことづくめである。
その力というのも、自らを吸血鬼の姿にして瞬間移動とか、超能力のように無数の吸血鬼を遠隔操作して敵を蹴散らすといったもので、そもそも吸血鬼である必要があったのかどうかわからない。
吸血鬼といえば、人間の首もとを噛んで血を吸うイメージなんですけれど、この映画では獣が噛んで獲物を仕留めるイメージ。噛んでもたぶん血を吸っていなかった。殺す手段でしかない。吸血鬼の牙の使い方を間違っている。
吸血鬼映画は血を吸われている側の快楽まみれの顔が見所だと思う。もうすぐ死ぬのに気持ち良くなってしまう背徳感。そんなのはまったくないアクション映画だった。
噛んで血を吸ってるわけじゃないから、噛まれた側が吸血鬼になるわけではない。どうやって吸血鬼になるかというと、血を飲ませるんですね。
この辺のルールもよくわからなかったんですが、ヴラドは洞窟の中の魔物の血を飲んで力を手にし、血を飲んで完全な吸血鬼となった。
ここでヴラドが洞窟に閉じ込められなかったからもうここでルールは崩壊してるんですが、ヴラドが他の人に血を飲ませても、ただ吸血鬼を量産するだけだった。そもそもの洞窟ルールはどこかへ行ってしまった。
それで、とても許せなかったのは、吸血鬼にしたのは自分のところの民衆なんですよね。死にかけの人間に、生きたいかと聞いたら生きたいと言うに決まっている。それで、吸血鬼に変えて、敵軍と戦っていた。
民衆はまさに魔物のようになっていて、ヴラドだけなぜ人間の心を持ったまま吸血鬼になったのかわからない。吸血鬼になった民衆たちは、助け出したヴラドの息子を襲おうとして、挙げ句、退治されてしまった。日光を浴びて灰になってしまったのだ。まるで、息子はもう助けたから用済みとばかりに。
これで民衆を守ったと言えるのだろうか。自分の子供を守っただけではないのだろうか。
残忍な殺し方で串刺しヴラドなどと呼ばれていた人物が、近年は故国を救った英雄としての見方もあるらしいんですが、そこでぴんとくるものがあったのかもしれないけれど、いくらなんでも他の設定がいい加減すぎる。
吸血鬼だから死ぬことはなくて、現代にもヴラドが出てきて奥さんの生まれ変わりに話しかけたりするんですが、生まれ変わりなのかずっと生きてたのかわからないけど、魔物も出てきていた。スーツを着て、普通のおじさんっぽくしていた。
これは続編があると考えていいのかどうかわからないけれど、この現代の話は興味があるので、こっちをメインにしてほしかった。誕生の話は冒頭10分くらいにまとめてくれて良かった。
続編にもおそらくドミニク・クーパーが宿敵みたいに出てくると思うし、因縁を抱えたまま輪廻転生していたら楽しい。
現代版魔物が「さあ、ゲームをはじめよう」と言っていたので、もしかしたら何か見のがしているルールがまだあったのかもしれない。
これだけ文句をつけつつも、続編があるならば、たぶん観ると思う。
『ニンフォマニアックVol.2』
Posted by asuka at 10:16 PM
ほぼ半月あけて後編が公開。(前編の感想はこちら)
以下、ネタバレです。
流れ自体は前編と同じ。ジョーがこれまであったことを話し、それに対して、セリグマン(今回はちゃんと名前が出てきた。ステラン・スカルガルドが演じている男性)が素っ頓狂なあいづちをうつ、というのは一緒です。
序盤で、なんでセリグマンがジョーの話で欲情しないのかと問いつめられるシーンがあって、前編を観た時に疑問に思ったことは解決した。経験がないから、とのことだった。
できることなら、ジェロームと幸せに暮らしていって欲しかったけれど、そうはならなかった。ジョーの満たされない心をジェロームが埋めることができず、涙を流しながら、他の人とも関係を持ってこいというシーンは切なかった。虎にエサをあげるのを他の人にも手伝ってもらいたいという言い方もなかなかポエティックではあるけれど、どうしようもなさに苦しむジェロームを見て、この二人はうまくいかないのがわかった。
この二人に限った話ではない。ジョーは誰といても満たされないだろうし、相手も満たせないことで苦しむのだろう。ニンフォマニアが治らない限り、孤独感はどうしたって解消されない。
そういえば、ジェロームと子供と別れるシーンで、出かけている間に子供がベランダへ一人で出て、外は雪が降っていて…というのは、『アンチクライスト』の序盤に同じシーンが出てきた。あれは、出かけていたわけではなくセックス中だったけれど。子供は転落してしまうので、嫌な連想をしてしまった。この映画ではジェロームが帰ってきて、子供は救われたので、ラース・フォン・トリアーはこの作品はその方面へは持っていかないつもりなのだなと思った。
今回もやはり過激とかハードコアポルノというのとは少し違っている。映画の宣伝で使われているスチルでは、裸のジョーが裸の黒人男性二人に囲まれていたけれど、このシーンもほぼコントのようだった。言葉のわからない黒人男性が目の前で言い合いをしていてまったく行為が進まず、ジョーがそそくさと服を持ってホテルの部屋を出て行っちゃう。
SMの章は過激というか、尻を叩かれているので痛々しい。かなり執拗だし、他の技(?)も出てくる。セリグマン曰く、「多才で愉快な男」。
この尻を叩く男、Kを演じたのがジェイミー・ベル。体が小さく色白でどちらかというとひょろっとしているけれど、冷淡な表情で鞭をふるう姿がよく似合っていた。顔も整っているし、女性たちが彼に付き従うのもなんとなくわかってしまう。
ジェローム役のシャイア・ラブーフもそうなんですが、父親役のクリスチャン・スレーターや、聞き手のステラン・スカルスガルド、ミセスH役が最高におもしろかったユマ・サーマンと、豪華な俳優だからというのもあるかもしれないけれど、配役が完璧だと思う。全員よく似合っていた。もちろん、シャルロット・ゲンズブールと若いジョーを演じたステイシー・マーティンも良かった。
あと、最後に出てくるP役のミア・ゴスも、若さ故の生意気さと綺麗すぎない容姿が合っていたと思う。
前編の最後が一番盛り上がり、後編は盛り上がり最高潮から下がっていくので、出来れば続けてみた方がいいのかもしれない。おもしろくなくなっていくというわけではなくて、感情や性欲のピークが前編の最後で、そこからはどんどん静かになっていくような感じがした。
あと、前編のほうが何も考えずにセックス三昧だったけれど、後編はジェロームとのこともあるし、最後は体調面というか傷を負っていて、行為ができなくなっている。
なので、もしかしたら、後半はニンフォマニアではなくなっているのかもしれないとも思った。特に、一人で山に登って、山頂に立っている木を見るシーン。過酷な環境に負けそうになりながら、風で形は歪められているけれど、一本だけで立っている木を見て、自分のようだと思っただろうし、何かに開眼したのではないかとも思う。
セリグマンに話しているときに、セリグマンが襲って来なかったのもそうだけれど、話しているジョー自体も欲情はしていなかったと思う。静かな口調だった。話終えたあとも、一人で寝てしまう。
そして、最後でセリグマンが襲ってきたときにも、驚いたのもあるんでしょうが、受け入れなかった。
その少し前にセリグマンが、ジェロームを撃たなかったのは心のどこかで撃ってはいけないと思っていたからだと言っていたけれど、最後のシーンではジョーは心の底から撃ちたいと思ってるから撃ったんですね。
画面が暗転して、安全装置を解除するカチャッという音が聞こえるのも粋。
ただ、このオチは、ちょっと残念だなとも思った。
その前にしていた、壁に映る太陽光の話や、ジョーが初めての友人と呼んだことなど、すべてが消えてしまう。ジョーの孤独感は解消されないし、結局、誰にも理解してもらえないままだ。
前編後編とここまで一緒に話を聞いてきたのに。
脈絡無く車が燃えるシーンが急に出てきて、え?え?と思っていたら、セリグマンが「え? いまの車なに?」って聞いてくれるなど、観客の代弁者的なポジションでもあったと思う(「先を急ぎ過ぎて次の章の話が紛れた」とのこと。笑った)。
結局、セリグマンも他の男と同じだった。性欲が絡むと男女の友情は成り立たないというのを示したかったのかもしれないし、このオチがあるからこそ、ラース・フォン・トリアーなのかもしれない。
エンディング曲は、シャルロット・ゲンズブールとBECKのデュエット。そうだった。シャルロット・ゲンズブール、お父さんともよくデュエットしてましたよね。可愛らしい声でした。
『天才スピヴェット』
Posted by asuka at 10:18 PM
試写会にて。『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネ監督ということで、フランス語で舞台もフランスなのかと思い込んでいたけれど、英語でアメリカを横断していた。
『T・S・スピヴェット君 傑作集』という小説が原作になっていて、作家さんは1980年生まれと随分若い。
以下、ネタバレです。
小説が原作のせいか、スピヴェットの語りでストーリーが進んで行く。視覚的な要素も絵本のように可愛らしく、効果的に取り入れられていると思ったので、あんまり説明せずとも映像だけで見せてくれてもいいのにとも思った。
ちなみに、試写会だったので2D上映だったのですが、
前半部分、スピヴェットが旅立つ前までは、時系列もばらばらだし、エピソードエピソードが短く、破片を語りで繋げて行くようなパッチワークっぽい印象で、わりとちゃかちゃかしていたので、内容があまり頭に入って来ないまま話が進んでいってしまった。
けれど、スピヴェットが家を出てからは、慣れたせいもあるのかもしれないけれど、一気に観やすくなった。登場人物が減ったせいかもしれない。
基本的に旅の道中はスピヴェット一人で、奇妙ではあるけれど優しい大人に助けられながら話が進んでいく。
合間で会う大人たちは誰も彼も魅力的。セーラー人形の船長によく似たおじさん(ホームレス?)、ホットドッグ屋台の肝っ玉おばさん、コントのような警官(たぶん演じているのはコメディアンじゃないのかな…)、ヒッチハイカーの写真を撮るトラック運転手(痩せていてヴィジュアルが特徴的)。
前半にしても、中盤にしても、話が進んでいくといった感覚は変わらない。特に中盤は電車自体がアメリカを横断しているので、ラストへ向かっていく印象を残す。
映画は大きく分けて三部構成になっていて、スピヴェットがスミソニアン博物館に到着してからが三部といえると思う。
こうゆう子供が一人で冒険する話はだいたい道中が大切で、もう到着しようがしまいがどっちでもという撮られ方や、到着したとしてもしたところで終わることが多い。でも、この映画に関しては、着いてからも長い。
頭に電流を流されているところは何か嫌な予感がしたし、スミソニアン博物館次長の女性はスピヴェットのことを持ち上げてステージママのようになっていたし、ここにきて話がそんな流れになると思わなかった。到着してめでたしめでたしで終わらせてくれたほうが良かったのではないかと思った。
でも、チラシにもなっている、スピヴェットの受賞スピーチシーンは良かった。おめかしした姿は美少年っぷりが際立っていた。
また、いままではわりとどんな大人に会っても、困難に直面しても動じなかったのに、スピーチシーンではたどたどしくなっていて、演技もうまいと思った。
このシーンは、エキストラ130人の前で10ページ分のセリフを話したそうなので、本当に緊張気味だったのだろうか。
博物館次長のステージママの売り方もあり、テレビにも出演してちやほやされて、博物館に到着して以降がこんなに長くなくていいのにとも思ったんですが、そのテレビ番組のゲストに本物の母親が来たあたりから、嘘みたいに話が丸くおさまっていく。
結局、家族ものとして帰結していくんですが、普通の家族ものと違うところは、子供であるスピヴェットはとっくに大人だったというところだ。
遊んでいる最中に双子の弟を亡くした傷を一人でずっと抱えながら生きてきた。途中、弟の幻のようなものと会話するシーンもあったが、おそらくまったく正常な状態なわけではなく、病んでいたのだと思う。
無骨な父親、変わり者で博士の母親ともに、スピヴェットとちゃんと話すということがなかったのだろう。姉にしたって、弟とちゃんと話すなんてことはしない。年頃の女の子なら当たり前だ。
それを初めて、テレビ番組収録という場ではあったけれど、面と向かって話す。あれは事故だった。あなたは悪くない。
いつまでも鉛のように心の奥底に居座っていた出来事について、初めて、許されたと感じたと思う。言葉で聞かなきゃわからない。
この映画は、子供が道中で成長するわけではなく、子供に出て行かれた家族たちが成長する話だったのだ。
スピヴェットたちの住まいは西部だし、アメリカを横断しているし、スミソニアン博物館はワシントンにある。でも、監督の反ハリウッド精神がアメリカでの撮影をよしとしなかったらしく、カナダのアルバータ州とケベック州で行ったらしい。電車のシーンはどう撮っていたのだろう。
2Dで観たのですが、3Dだと発明品やスピヴェットが頭で考えている図式などがぼんやりと手前に浮かんでくるのかもしれない。迫力面とは違う使われ方をしてそう。監督自身、3Dにかなりこだわりをもって作ったらしいので、3Dのほうがいいのかもしれないけれど、見比べていないので不明。
『ピープルVSジョージ・ルーカス』
Posted by asuka at 10:17 PM
DVDスルーだったようで、日本で発売されたのは2011年。アメリカでの公開は2010年。
スター・ウォーズのファンたちのインタビューを中心にして、ジョージ・ルーカスの過去のテレビ出演時の映像を交えたドキュメンタリー。フランシス・フォード・コッポラやサイモン・ペグなども出てくる。
ファンたちはエピソード4、5、6が好きで、コスプレをしたり、おもちゃを作ったり、パロディ映像を作ったりして一様に賞賛している。
ところが、1997年に“特別篇”と銘打たれた4、5、6が上映される。
私は、4、5、6は好きではあっても、何度も繰り返し観ているわけではないからわからなかったけれど、一部がCGで差し替えられていたり、ハン・ソロが先に撃った/撃たなかったみたいなシーンがあったらしい。
わからなくても、彼らの怒りはよくわかる。熱狂的に何度も観た映画、例えば『ダークナイト』や『インセプション』が手直しされて特別篇としてリリースされたらやっぱりすごく怒ると思うからひとごとじゃない。
しかも、スター・ウォーズに関しては過去の映像をDVDなどでソフト化する予定は一切ないそうだ。
過去のレーザーディスクがインターネット上にアップロードされているからそれを観たらいいという意見も飛び出していた。違法なのはわかっているけれど、文化を保護しているのだという言い分もあった。
まるで聖書を書き直されたようだとか、他人の記憶を押し付けられたようだとか、絵画だって手直しできないじゃないかとか、ファンの意見にいちいち頷いてしまった。
もちろん作品を作ったルーカスがその世界の神様なのはわかる。だから、神様が直したいというのなら、仕方が無いのかもしれない。でも、一度手を離れたらもう、それは作った人だけのものではないのもわかってほしい。
一度作品に触れたらもう、触れる前には戻れない。それを今更特別篇などと言われても、記憶は消せない。
一番最初に触れた時の驚きがファン一人一人の中で育っているのだ。
そして、次にファンを怒らせたのがエピソード1の存在である。
映画公開まで散々盛り上がって盛り上がって、肝心の内容が…。公開に向けて上がっていったボルテージが一気に下がっていく様子。これは、私もリアルタイムで体感した。
初日にオールナイト上映で観たので、ライトセーバーを持っている人もいた。拍手も起こっていたと思う。あの文字が流れる様子とテーマ曲は本当にわくわくした。でも、途中で寝てしまった。
映画の中でも、何かの間違いだと思って何回も観に行くファンがいたけれど、私もオールナイトだったからかなと思ってもう一度観たけれどまた寝てしまったし、テレビで観た時にも寝てしまった。
あと、映画に出てくるファンの人たちはジャー・ジャー・ビンクスのこと大嫌いすぎて逆におもしろかった。エピソード5の最後の方でハン・ソロが氷漬けにされますが、あれのジャー・ジャー版のが作られていた。ジャー・ジャーのマスクをかぶった人に物が投げつけられたりしていた。
エピソード2だったかな。ジャー・ジャーがカメラ目線になってこちらに向かって笑うシーンがあるらしい。「“不人気だけどまだ出ますよ(笑)”ってあおられてるようだった」って言ってて、そのシーンが観たくなった。
これも知らないんですが、クリスマスのホリデースペシャルみたいなのがあったみたいで、チューバッカが里帰りするらしいんですが、そこで20分くらいチューバッカが家族とうめき声だけで会話するシーンがあるらしい。字幕はなし。観たいですが、お蔵入りだそうです。
特別篇とエピソード1、2、3で打ちのめされて、嘆きながら自分たちで編集し直したり、新しいスター・ウォーズを作ったりしていた。
なんでもそうだと思うんですが、好きなんですよ。憎いわけじゃなくて、好きだから怒るし、文句をつけたい。
『レベルE』で、最初は乗る気のしなかったゲームに対して、もっと○○だったらいいのにみたいな意見が出始めて、それはハマっている証拠だと言われるシーンがあるんですが、それと同じ。
スター・ウォーズに関しては、自分で何かを作りたいクリエイティブなファンが多そうなので、余計に俺なら私ならこうする、と考えてしまうのかもしれない。
作品は誰の物なのか。作り手とファンとの間に齟齬が生じた時、どちらが譲歩するのか。いっそ離れるという選択肢は無さそうだった。
殴られるのがわかっているのに夫のところへ行く妻と同じですよ、なんて笑えない話も出てきた。
最後の人形遊びはルーカスとファンの関係でしょう。ぶちゅうっとキスをした後、お互いにうえー、うえーとなって、何事もなかったように、まあまあコーヒーでも飲みに行きましょうかとなる。
根本的に嫌いなわけではない。端から見たら面倒くさい人たちだと思われそうだけど、作品にたいして人一倍執着心とこだわりがある。
VSとは言え、完全にファン目線だし、私もファン側だから偏った意見かもしれないけれど、作る側の人たちは、ファンを決してないがしろにしちゃいけないと思う。
ところで、エピソード7はディズニーがルーカスフィルム買収して監督がJ・J・エイブラムスに決まってますが、ファンたちはこの件についてはどう思っているんだろうか。
2011年公開。アマンダ・サイフリッド主演。ゲイリー・オールドマンが出ているということで観てみました。
全体的には所謂『赤ずきん』の話はほぼ関係がない。アマンダ演じるヴァレリーが赤いずきんをかぶるのと、狼が出てくるくらい。一応、おばあさんとの会話、「おばあさんの耳はなぜそんなに大きいの?」「お前の声をよく聞くためさ」なども出てくるけれど、夢の中の話であり、ストーリーには関わらない。また、『赤ずきん』モチーフなのは、誰が狼か?という謎の騙しとしても有効だったかもしれない。おばあさんがあからさまにあやしい感じがしてしまう。あと、ラスト付近で、人狼の腹を割いて石をつめて湖に沈めるシーンはあり。人間の姿なので、多少グロテスクである。
村に狼が出て、この中の誰が人狼なのか?と疑心暗鬼になる、閉鎖された空間ではよくあるといえばよくある話。そこに、ヴァレリーと幼馴染みと婚約者という三角関係が絡む。
禁断の恋愛みたいな謳い文句だったため、出演者の中で二番目に名前の出たゲイリー・オールドマンが実は狼で、彼とアマンダ・サイフリッドが恋に落ちるのかと思っていた。もしかしたら、『ドラキュラ』を思い出していたせいかもしれない。
でも、ゲイリー・オールドマンは村を救いにきた神父役だった。ソロモン神父はかつて、人狼になってしまった妻を自らの手で殺したという暗い過去にとらわれていて、この村の人狼もなんとしても殺そうとする。まるで恐怖政治のように力で村を弾圧する。
演説調の喋り方がノリノリで、紫のビロードで大きく十字が書いてある衣装や銀の爪もハマっていて、カリスマ性を感じたが、ゲイリーだけが頑張っていた印象を受けた。彼だけ演技がうまくて逆に浮いてしまっていたというか。
でも、ヴァレリーをめぐる二人の若者があまり魅力的ではなかったので、なおさら、ソロモン神父との恋愛が見たかった。
後半であっさり死にます。悪役めいていたからかな。
そして、何が禁断かというと、結局父親が人狼で、助けにきた幼馴染みを噛んだから幼馴染みも人狼になってしまって…、でもあなたが好き!みたいな展開がラストにあったからなんですけども。確かに禁断なのかもしれないけれど、ティーン向けな感じがしてしまった。
観ていないけれど『トワイライト』っぽいのかなと思っていたら、『トワイライト』と同じ、キャサリン・ハードウィック監督だったらしい。じゃあ多分、『トワイライト』っぽいのだろう。
村の雰囲気や衣装、美術が素晴らしかった。
ソロモン神父が持ってくる巨大な象は乗り物なのかと思っていたら、乗る部分の布が上に開いて人を閉じ込める拷問器具だった。
村の宴のシーンは長めですが、まさに村の宴といった感じで良かった。狼を倒したと思い込んで浮かれているんですが、羊のマスクを被ってメエメエ言っている人がいたり、三人が豚のマスクを被って『三匹の子豚』を再現していたり。
全体的に色調が暗いんですが、アマンダ・サイフリッドが着る赤いずきんというかマントだけが鮮やかな赤なのが印象的。後ろが長いんですが、それで雪の上を歩くシーンなどとても美しかった。
また、アマンダの白い肌と金色の髪と赤ずきんがよく似合っていた。なおさら、村の若者たちが冴えなく見えてしまった。
後半、赤ずきんのお馴染みの恰好で、手に持ったかごの中にゲイリーの銀の爪付きの手が入っているのも少しホラー要素があって良かったです。
美術はトム・サンダース。『ドラキュラ』でアカデミー賞にノミネートされている。だから『ドラキュラ』っぽいと思ったのかもしれない。
『カウボーイ&エイリアン』
Posted by asuka at 1:48 AM
2011年公開。タイトルのおかしさというかB級感からは考えられないくらい、主演ダニエル・クレイグ、共演ハリソン・フォード、ポール・ダノ、サム・ロックウェルと豪華。監督も『アイアンマン』のジョン・ファヴロー。
同名のグラフィックノベルが原作らしい。
主人公が記憶喪失というところから始まるんですが、こんなタイトルで、説明を求めたいのはこっちなくらいなのに、主人公まで何もわからないなんてどうなってしまうのかと思う。そして、西部劇っぽいのに、似つかわしくない謎の最新機器のようなものを腕にはめられていて、しかもとれないらしい。
でも、おそらくタイトルからして、エイリアンに付けられたのではないかと推測できる。
このような、西部劇とSFのミックスの仕方が妙でおもしろかった。
ドラ息子(もちろんポール・ダノ)が村のバーでお金を払わず暴れている場面などは普通の西部劇のようだった。村の雰囲気も埃っぽくて、西部劇によく出てくるのと同じだった。
なのに、急にUFOが攻めてきて、人が光に吸い込まれるようにして連れ去られてしまう。
他のシーンでも、普通の西部劇と思って楽しんでると、突然エイリアンが割り込んできて、圧倒的な力で台無しになることが何度かあった。
通常であれば、宇宙人が攻めてくるような映画は、現代だったり、近未来が舞台になっていることが多いが、この映画は1873年という設定である。だから、エイリアンとかUFOという認識がないのか、悪魔と呼ばれている。教会はあったので、キリスト教上の災いをもたらすものという意味でそう読んでいたのかもしれない。
普通に考えて、カウボーイとエイリアンではエイリアンのほうが強そう。文明の差もありそう。大体、空飛ぶマシーンと馬では、馬のほうが分が悪い。だけど、カウボーイの銃や弓で、ある程度の攻撃ができているようだった。
砂漠の真ん中のような乾燥している地帯で、炎天下にエイリアンが出てくるというのも、なかなか珍しいのではないかと思う。町中や、近未来的な建物の中で出てくるのが多そう。そして、圧倒的に夜のシーンが多いはず。この映画では白昼堂々なのが、勇気があると思った。エイリアンはもちろんCGなんですが、その光のあて方なども他の映画と違うだろうし、大変だったのではないかと思う。
荒くれは村を荒らし、住民との間で争いがあったみたいだし、村の住民とアパッチ族も対立していそうだった。ここまでは普通の西部劇と同じである。しかし、宇宙人と認識はされていなくても、何か人類の敵ととらえられる圧倒的な勢力に攻めて来られては、三つ巴になって争っている場合ではない。力を合わせて立ち向かって行く、呉越同舟ものだった。とても好きなジャンルだった。
また、極限状態においての人間ドラマも多くあった。
ウッドロー(ハリソン・フォード)のお手伝いさんのような役割のアパッチ族の青年の想いがちゃんと通じたのも良かった。たぶん、ウッドローはアパッチというだけで気に食わないと思っていたようだったが、最後には理解してもらえていた。
妻を助けるために、銃を持ったことのないバーの主人、ドク(サム・ロックウェル)が銃を教わったけれどうまくいかず、しかし、ここ一番という場面で狙いが定まり、仕留められたのも良かった。銃の扱いを教えてくれた村民に感謝する気持ちと何としても妻を助けなくてはいけないという強い気持ちが伝わって来た。
子供が終盤でナイフを使うシーンがあるのも、しっかりとした伏線回収だった。かなり人間ドラマ側の小さいエピソードはちゃんと作られている感じがして、感動的だった。
ダニエル・クレイグ演じるジェイク・ロネガンに関しても、記憶を取り戻したら、元はロクでもない人物だとわかって、思い出さないほうが良かったのではないかと思った。でも、一度記憶を失うことで、そしてエイリアンと戦うことで、生まれ直しではないけれど、後悔から、もう一度、人生をやり直そうとする意志が感じられた。
ダニエル・クレイグだからかもしれないけれど、ボンドばりの無駄なセクシーシーンがあった。また、シャツの腕をまくって銃を構えている姿も、それだけでセクシーでした。
タイトルから想像するよりも、もっと真面目で大作っぽい内容でしたが、人間ドラマがしっかりしているわりに設定に無理があるから奇妙な印象が残った映画だった。パニック映画、だけど舞台は西部だからみんな武器持ってるよ…という感じだろうか。それもちょっと違う気もする。
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