グザヴィエ・ドラン監督作。すっかりカンヌの常連ですが、こちらもグランプリ受賞作。
カンヌだとアート系の作品が多くて、ふんわりとしか意味がわからない作品も多いけれど、グザヴィエ・ドランの作品はどれもわかりやすい。
本作はレア・セドゥ、マリオン・コティヤールなど旬の有名フランス俳優が揃えられているせいもあって、とっつきやすくもある。主人公はギャスパー・ウリエルです。

戯曲が原作になっている会話劇とこじれた家族の話というところから、『8月の家族たち』を思い出した。

以下、ネタバレです。








会話が多く、その喋っている人をクローズアップするショットが多い。また、舞台はほぼ家の中である。
対話劇なんて言葉があるのかわからないけれど、会話というよりは二人が面と向かった形の対話が多かった。

『8月の家族たち』は中心となる濃い人物とその周囲といった感じだったが、本作は主人公とその母、妹、兄と兄の嫁という5名と人数が少ない。けれど、少ない分、全員が濃いというか濃厚なやりとりが繰り広げられる。

主人公のルイは、自分が死ぬことを伝えるために12年ぶりに家に帰る。
すぐ伝えるのかと思ったけれど、12年ぶりの帰宅に家族も歓迎ムードでなかなか切り出せない。それでも、空元気っぽくも見える。
そんな中、兄だけはずっとイライラしている。でもそれも、母や妹の隠しているイライラを一心に受けてのことなのかもしれない。

二人だって、イライラしていないわけはない。おめかしをして綺麗にしていたし、料理を作っていたし、歓迎ももちろんしている。久しぶりに会えたのも嬉しい。
でもきっと、ルイのことがわからないのが怖くもあったと思う。
家族といえども同じ人間じゃないから考えていることなどわからない。しかも12年も離れて暮らしていたら、ほとんど他人だ。

ルイは都会(?)で劇作家として成功しているようだった。
時々送ってくれる絵葉書も二、三語しか書いていない。この日だって、みんなが話すのを聞いて、ほとんど喋らず、曖昧に笑うだけだ。

これは最後までわからないんですが、ルイが家を出て行った原因が謎のままだ。
34歳になったというセリフがあったので、22歳で家を出たということになる。単純に、仕事のためなのかもしれない。
でも、もしかしたら、ゲイであることが原因だったのかもしれないとも思う。

ルイの母はルイが来る前にマニキュアを塗りながら「ゲイっていうのは綺麗なものが好きなのよ」と言っていたけれど、かなり偏見が混じっている。
「ルイは綺麗なものが好きなのよ」と言うならわかる。個人ではなく、何かよくわからないぼんやりとしたものとして息子をとらえている。
もしかしたら、ゲイであることを告白した時か知られた時に、何か距離を置かれたのかもしれない。そして家にいづらくなったのかも。

何をしに家に来たのかをルイが言えないまま、気まずい時間だけがどんどん過ぎていく。
そんな中で兄の嫁が真っ先に察する。演じているのがマルオン・コティヤールなのですが、これがとても上手かった。いつもはゴージャスな印象が強いけれど、まさに庶民の嫁という感じだった。顎の肉の付き方と常に夫の機嫌を伺っているようなおどおどした表情がリアル。
でも、このどん臭そうで空気の読めなさそうな感じなのに、真っ先に気づくということは人を観察する能力には長けている。
夫に対しても、ひどいことを言われているようだったけれど、それだけではない面も見えているのだろう。暴力をふるわれているわけではなさそうだった。
それに、家族ではなく外部の人間だから気付けたのかもしれない。

妹は、兄は恰好いいし、会えて嬉しいと純粋に思っていそうだった。
でも、どこか得体が知れないとも思っている。
子供の頃しか知らないと言っていたけれど、ルイが22歳で家を出た時に子供なのだとしたら、子供がいくつを指すのかはよくわからないけれど、10代前半かそれくらいだろうか。結構、年が離れた兄妹なのかもしれない。
演じているレア・セドゥは31歳だけれど、19歳の時に22歳のルイを見ていたとは思えない。
レア・セドゥはメイクをほとんどしてないとだいぶ幼く見えるし、もっと若い設定なのだろう。
兄のことが好きで、知らないことが多いからもっと知りたい。私のことも知ってほしいけれど、よく知らないしそんな恥ずかしい部分は見せられない。そんな遠慮があるように思えた。家族としてはよそよそしい。

母もルイのことがよくわからないと言っていた。でも愛していると。
本当は父親がいない家を長兄だけでなく、あなたにも守ってほしいと言っていた。仕事で成功しているのかもしれないけれど、戻ってきてほしいのだろう。
それを聞いても、ルイは何も言わず、というか言えずに、曖昧に笑っていた。
また、「シュザンヌ(妹)に家に遊びに来いって言ってあげて」と言っていた。次の約束などできない人物にそれは厳しい言葉だ。
でも、ルイのそんな事情を知っているのはルイ自身と映画を観ている私たちだけなのだ。

ルイは家族一人一人と順番に話しているのですが、一番言わなきゃいけないことは言えない。兄とも二人で話す機会があった。
「朝早く空港に着いちゃったから喫茶店へ行って時間をつぶしてた。あの二人に言うと気を使わずに家に来たら?って言われるから兄さんにしか言えないんだよ」と、妹と母相手にはほとんど聞き役だったルイがやけに話す。もちろん、兄が言うように沈黙が怖かっただけかもしれないけれど、本当に兄にだけ話せることというのもあるのかもしれない。
兄はずっとイライラしていて、ここでもやっぱりイライラしてるから、こんな話聞かせてほしいと思ったのか!と言ってくるが、この先のシーンを考えると、謎のルイが多分自分にだけ打ち明けてくれた話があるというのは、特別に思ってくれたようで嬉しかったのだろうと思う。

序盤でルイは、おそらく恋人と電話をしていて、「デザートを食べ終わったら言おうと思ってる。それで今日中に帰る」と話していた。
映画を観ている人たち(と兄嫁?)だけは彼の秘密を知っているから、デザートのシーンでああ、ついに言うんだな…とひやひやする。
しかし、ルイは「実は…」と真実を言いかけて、母に言われた通り、妹に向かって「家に遊びにおいで」だとか、ありもしない次の約束だとかを展開し始める。
そこで、兄は「約束があるから帰るんだろ?送ってく」とルイの腕をとるのだ。

兄から見たら、さっきの話を聞いた後だと、ああ、こいつ無理してるな、母と妹に向けていい感じで振る舞おうとしているだけで、本心で話しているわけではないなというのがわかってしまう。何か事情があってこの場には居づらいのだろうから、助け舟を出してやろうと思ったわけだ。

けれど、母と妹からしたら、やっと心を開いてくれたルイともっと一緒にいたい、会話をしたい、できれば泊まっていってと思っているから、長兄はそれをぶち壊す悪魔に見えていたのだと思う。

実際、映画を観ていた私も兄は嫌なやつだなと思ってたけれど、途中から、たぶんそこまで悪いやつじゃない、不器用なだけだと思えてきた。

「遊びに来なよ」とか「もっと頻繁に帰ってくるよ」なんていうルイの言葉は、結局、否定も肯定もしない、何も言わないお得意の曖昧な笑みと一緒。その場だけの誤魔化し。
けれど、それは、母や妹を悲しませたくなくて出た嘘なのだ。

母と妹だって、困らせたくてルイに泊まっていってと言ったわけではない。本当に、良かれと思っての言葉だ。兄も、ルイのためを思って助け舟を出した。

全員が相手のことを大切に思っている。けれど、かみ合わないからギズギスする。

ルイは結局、自分が死ぬことを家族に伝えられなかった。
兄はあの場面で助け舟を出したが、気づいていたのだろうか?
妹と母はどうだろう? 頑なに帰ろうとする様子に、結局、12年ぶりに帰ってきた目的を言わなかった様子に、さすがにおかしいと思っただろうか。妹は気づかず、母は気づいたとしても信じたくないという感じかもしれない。

それで、ルイのお葬式のときに、この日の会合を思い出すのだろう。あの時のルイの目的を思うのだろう。
おそらく勘づいたと思われる兄嫁は、あとで知っていたのになんで教えてくれなかったのと攻められるかもしれない。
けれど、彼女だって、秘密を抱えて生きていくのはつらいのだ。本心では、ルイと秘密の共有をしたくなかっただろう。

なんでもいい。ルイが12年ぶりに帰ってきたことで、変わったことはあったのだろうか。
不毛ではないか? ルイは家族に会うのが怖いと言っていたが、こんな風にギスギスすることがわかっていたのだろうか。だから帰ってきたくなかったんだよと思っただろうか。

でも、自己満足だとしても、死ぬ前に家族の顔が見られて良かったとは思っているはずだ。そして、愛されていることにも気づけたはずなのだ。
序盤では「言っても、あの人たちは泣かないかも」なんて電話で冗談っぽく話していたけれど、家族と話をして、確実に泣くのはわかったし、悲しむだろうというのもわかったのだと思う。だから言えなかった。だから、叶えられない次の約束をした。すべては悲しませないためなのだ。

『イコライザー』



2014年公開。『マグニフィセント・セブン』がおもしろかったので、同じアントワーン・フークア監督の別の作品も観てみました。
80年代にアメリカで放映されたテレビドラマの劇場版とのこと。

以前、映画館で予告を見た時には、16秒でコロスとか娼婦の少女を救うためみたいな印象だったので、『レオン』っぽいのかと思った。

けれど、観てみるとそのイメージとは違っていた。昼はホームセンター勤務、夜は殺し屋(?)ということで、『ザ・コンサルタント』っぽいのかと思った。実際には殺し屋ではなかったけれど、確実な仕事っぷりと日常生活を普通に送っているけれど世を忍ぶ仮の姿があるというのは同じなのかもしれない。
でも、別に誰かから依頼があってやっているわけではない。

主人公のロバート(デンゼル・ワシントン)は娼婦テリーを痛めつけた悪の組織に乗り込んでいく。目をギロッとさせて、周囲を観察して頭の中でシミュレーションして、その通りに動く。流れるような動きが恰好いい。あっという間に死体の山の出来上がり。

しかし、ダイナーで本を読んでいるときも、ホームセンターで日中働いているときも、穏やかこの上ない感じの人物がこんな只者ではない動きをするとは。一体何者なのだろう。

ホームセンターの同僚の実家が悪徳警官にひどい目に遭わされた時にも、赴いてやっつけていた。この事件は最初に出てきた娼婦と関係がないし、テリー役はクロエ・グレース・モリッツだったが、決して主役級ではないのだということがわかった。

その次はホームセンターのレジに強盗が来て、レジの金とレジ係の女性の指輪を盗んでいく。このシーンでは、ロバートがこらしめるシーンはもうわかったでしょ?とでも言うように省略されていた。ただ、ホームセンターの売り物のハンマーに付いた血を拭いていて、ああ、それを使っただなということがわかる。けど、売り物…。

こんな感じで、何者かわからないけどとても強いロバートがどんどん悪を倒していく世直しアクションなのだろうか?と思っていたら、こてんぱんにした娼婦宿の元締めであるロシアンマフィアが暗躍している様子が映される。自分の店をめちゃくちゃにされて黙ってはいられないだろう。

全身刺青の様子をなめるように撮り、「フハハハハ…」といかにも邪悪そうな笑い方をしていた。
また、残虐な手段で殺している様子から、相当怖い連中だということもわかる。

なんだかよくわからない謎の男が正義の味方よろしく悪を倒していき、最終的にロバートの正体が何者なのか発覚するという作りなのかと思っていた。しかし、中盤くらいで元CIAということがわかる。『RED』と同じような感じだ。

あと、奥さんを亡くしているのは、ダイナーでテリーも言っていたけれど、ここでも話に出てくる。おそらく、自動車事故でロバートだけが生き残ったのだろう。
けれど、一人で生き残った後の日常はつまらなそう。
時間をきっちり管理して行動し、生活しているようだった。どことなく寂しそうで、生きる目的を見失っている。毎日が楽しいとは言えなさそうだ。

ロバートはロシアン・マフィアに目をつけられるけれど、きっちりと影で対応していた。自分の方が強いことをそれとなく見せて、穏便に事を済ませようとする。

石油タンカーを爆破するシーンは迫力があった。後ろで大爆発が起こっているのに、振り返らずにこっちに歩いてくるロバートというかデンゼル・ワシントンが笑っちゃうくらいかっこいい。

ロバートはあなたたちが仕掛けてこなければこちらから乗り込むことはないよと示していたが、ロシアン・マフィアは、ロバートが働くホームセンターの職員たちを人質にとる。
観ながら、あーあ、怒らせた、知ーらないと思った。他の人、特に親しい人たちを巻き込むのはロバートが一番嫌いな事だと思う。

そこで『エージェント・ウルトラ』を思い出すようなホームセンターバトルが開幕する。ホームセンターにあるものを使って戦うのだ。ここはロバートの職場、つまりホームかアウェイでいったら完全にホームなわけである。負けるはずはない。

『マグニフィセント・セブン』でもデンゼル・ワシントンが砂埃や返り血で汚れることはないという指摘があった。
本作では、血が滴るナイフを持った男にのしかかられても、その血液は落ちることはない。

スプリンクラーが作動するのですが、それが土砂降りみたいに見える中、棚の向こうからデンゼル・ワシントンが現れる。恰好良すぎて、思わず変な声が出ました。
スローで、顔を伝う水滴がぽたりと落ちる。まさに水も滴るいい男である。
監督は本当にデンゼル・ワシントンが好きなんだ…というのを再確認した。
これは、映画館で見ても変な声が出てしまったかも。

それで、ロバートというかもうデンゼル・ワシントンなんですけど、話のバランスがおかしくなるくらい強い。ホームセンターにいるボスもあっさり倒す。
更に、その大ボスの自宅に忍び込んで感電死させていた。

まったくピンチらしいピンチがない。最強としか言いようがない。しかも、冷静にちゃっちゃと短時間で仕事を終える姿勢も恰好良い。

本作の最大の敵はロシアン・マフィアであり、ロバートが目をつけられた原因がテリーなのだから、テリーは一応ヒロインなのかもしれない。
最後にも出てきて、ロバートにお礼を言いに来る。でも予告ほどはまったく活躍していない。恋愛もない。
ロバートの妻に関しても、映像や声も出てこないし、ラストでも言及は無し。
ロバートは悲しみの中で戦っているのだと思うが、妻の名前を叫んだり、許しを乞うたりと、湿っぽくならない。

ただただ、ひたすらロバートが強い。そして、それを演じているデンゼル・ワシントンが恰好良く撮られている。
完全に監督の趣味映画だった。

なるほど、この過剰なまでの魅せ方は、『マグニフィセント・セブン』に受け継がれると思う。繋がっていくのがよくわかる映画だった。






原作は『ハヤブサが守る家』というファンタジー小説。2011年のベストセラーにも選ばれたらしい。
映画の邦題もこのままの方がわかりやすいのではないかと思ったけれど、ティム・バートン監督の映画なら『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』というタイトルの方が合っている気もする。

以下、ネタバレです。








謎の島にある謎の屋敷、そしてそこに住まう謎の人々…。そんな設定からしてわくわくする。
キャラとキャストがばっちり合っていたと思う。またキャラ造形が可愛いというよりはちょっと不気味なのもいい。金髪縦巻きカールのお人形さんみたいな少女の後頭部にもう一つ巨大な口があったり、双子が謎のマスクを付けていたり。
空気より軽い少女、エマの鉄の靴のデザインも凝っていて、見ていて楽しい。衣装は今回もコリーン・アトウッドです。

屋敷の女主人、ミス・ペレグリンの髪の毛が真っ黒ではなく少し青っぽいんですが、青いハヤブサに変身するのも綺麗。

前半は、ジェイクの目を通して、奇妙なこどもたちとペレグリンを観察するといった感じ。自己紹介パートだったと思う。
中盤、ペレグリンが悪いやつにさらわれてからは、こどもたちがそれぞれの能力を生かして戦う。まるでX-MENのようだった。
特に、ブラックプールの遊園地でのバトルは音楽を含めて楽しかった。イーノックの能力で命をさずけられたガイコツたちが触手のモンスターに果敢に挑んでいく。
序盤でも出てきたけれど、イーノックが命をさずけたものの動きはCGのようななめらかさではなく、コマ撮りのようにカクカクしているのがいい。本当にコマ撮りなのか、CGをコマ撮り風にしているのかわからないけれど、ティム・バートンだから本当にコマ撮り撮影なのかもしれない。
この遊園地の乗り物にティム・バートンが乗っているのも発見できて楽しい。

この後の建物内のシーン、炎を操る少女と氷を操る悪者のシーンは少し対決があるけれど、もう一声欲しかった。物足りなさが残った。
あと、マスクを取って石にする双子は、あの能力は1日一回しか使えないとか、充填する時間が必要とかなのだろうか。あの能力があったら、二人だけで倒せそう。

物足りないといえばペレグリンなんですが、自分でも言っていたけれど、彼女には鳥に変身する能力と時を戻せる能力しかないんですよね。バトルはできない。だから、後半のバトルで見せ場がないのが残念。せっかくの女主人というかボスっぽい存在感なのに。途中からずっとハヤブサの姿です。檻から放たれても飛んで逃げるだけ。

ファンタジー特有というか、作品内のルールがいまいちよくわからなかった部分もあった。
一番重要なループまわりです。島のトンネルを抜けると現代から過去に戻る(このループを作ったのがペレグリン?)。それは屋敷がドイツ軍の爆撃に襲われる日なので、ペレグリンが爆撃直前から朝に戻して同じ日を繰り返す。

ペレグリンがバロンにさらわれるが、その向かった先がブラックプールのループをくぐった場所。現代だけれど、ジェイクが来た時間(島のループを通った先の現代)よりは少し前である。このループは戦いの日の夕方にとじることになっていて、ジェイクはそのまま現代に残って、少し前ではあるけれど自分の世界に戻った感じになる。

ただ、冒頭の祖父の死は回避できたものの、そこから何度かループを通って、閉じたブラックプールのループの先へたどり着く。ここまでの紆余曲折をジェイクが話すけれど、結構早口なのと、途中でおもしろ日本が出てきて注目してたら字幕を読み損ねて何を言っているのかわからなかったのと、最後まで言い終わらないうちに、ジェイクの口をエマがキスで塞ぐんですよね…。
どんな過程を経たのかわからないけれど、世界各地にあるループを通って、何度か行き来を繰り返すとブラックプールのループが閉じる前に戻れたってことなのだろうか。でもそうすると、倒したはずのバロンも生きてたりしない? バロンを倒した後、ループの閉じる直前だろうか。でもそうすると、ループのこちら側で座り込んでいるジェイクはどうなる? 同じ人間には会わない仕組み?
考えれば考えるほどわからないし、これがラストシーンなので、なんとなく腑に落ちないまま幕が降りてしまう。なんとなく不完全燃焼だった。

あと、これは個人的なストーリーの趣味なんですが、行きて帰りし物語方式にしてほしかった。
現代でジャックはバイトもつまらなそうだったし、お友達もいないようだった。でも、本当だったら、過去でもなんでも冒険先で成長して、戻ってきて、現実とも折り合いをつけて生きていくというようにしてほしかった。

本作はただの一般人巻き込まれものではなく、ジャックにも実は特殊能力があったから、奇妙なこどもたちの仲間には入れるんですよね。祖父も、現代に戻ってきて後悔したのだろうか。ジャックも現代でこのまま生きていても、変人扱いされるだけだと思ったのだろうか。でも、戻ってきて、祖母と結婚して、ジャックの父が生まれて、ジャックが生まれた。そのジャックに向かって、彼女たちの元へ行けなんて言うだろうか。祖父にとって、ペレグリンの屋敷から帰ってきた後の人生はなんだったのだろう。まったく話に出てこなかったけれど、祖母のことはどう思っていたのだろうか。ずっとエマを想い続けていたのだとしたら失礼な話である。

それに、現代に残した父母や序盤で気遣ってくれたバイト先のおばさんはどうするのだろう。もう2度と会えないけれど、何か説明をして出かけたとも思えない。第一、そんな説明は通じないだろう。また病院に連れて行かれるだけだ。それでも、父母なんだし、黙って出かけて2度と会えないというのもどうなのだろうと思う。
この辺、原作も同じなのだろうか。


一回目がおもしろくて二回目を観ましたが、二回目のほうがさらにおもしろかったパターンです。
以下、ネタバレです。
ネタバレというか、妄想と個人的なこと。






この話の主人公はサム・チザムで、最後に彼の復讐だったと明らかになる。知っている状態で観ると、最初にエマからの依頼に興味がなさそうだったけれど、ボーグの名前を聞いた時にちょっと表情が変わったり、グッドナイトに「妹が生きていたら彼女(エマ)と同じ年くらいか?」と聞かれたりしているのが気になってしまう。

サム・チザムに関しては命をかける理由があるのがわかるけれど、他のメンバーは何故着いてきたのかわからないなどと言われていたけれど、全員について考えることはできる。

例えば、サム・チザムの話が進行している裏で、ファラデーの話も同時に進行していると思う。
彼は最初、さびれた酒場のテーブルで物騒な連中とギャンブルをしている。トランプを使っていたのでブラックジャックか何かかと思いますが、配られたカードを見て、「いいカードが来ない。ツキを変えたいな」とぼやいている。
これは彼の最後のセリフ、「ツキがまわってきたぜ」と対になっているように思える。

ツキを変えたいというのは何もギャンブルだけのことではなく、何かおもしろいことないかなあ?くらいの意味も含まれているのではないかと思う。
それまでのファラデーはギャンブルで小銭を稼いだり、負けて馬をとられたり、時にはイカサマをしたりという毎日だったのだろう。銃のことを妻と呼んでいたから家族もいないようだった。父親はいないというセリフもある。小さい頃から今まで、孤独に暮らしてきたのだろう。

イカサマがバレて、劇中では襲いに来た兄弟があんな感じだったから手品で気を引いて逃げられた。けれど、それが2度3度と通用するとも思えない。冒頭のギャンブル相手はあの兄弟よりもよっぽど怖そうだった。あいつでないにしても、どこかでイカサマがバレて、誰かに殺されるオチだろう。
それでも、きっと、いつ死んでも別にいいという風に生きていたのだと思う。

そこに舞い込んできたサム・チザムからの誘いである。もちろん、馬を取り返したかったというのもあるかと思うが、彼に着いていったらおもしろいことが起こるのではないかという予感があったのではないか。

着いていったファラデーは他の仲間に会って、笑いながら酒を飲んで、結局他の仲間と村を救うためにガトリング銃を破壊しに突っ込んでいく。道中はこれまでの人生よりも楽しかったと思うし、敵陣地へ向かっていく時に仲間から後方支援を受けられたのは嬉しかっただろう。何より、敵さん達がまんまと騙されてくれたのが痛快で、満を持しての「ツキがまわってきたぜ」という言葉だ。
ツキを変えたいとぼやいていた彼にやっとツキがまわってきたのだ。
だから、結果的に敵もろとも爆死してしまうが、後悔はなかったと思う。悲しいけれど、サム・チザムに着いていかなかったらロクな死に方をしなかったと思う。

他のメンバーに関しても、グッドナイトはサム・チザムに命を救われた過去がある。亡くなった妹のことも知っているくらいだから、付き合いも深かったのだろう。恩を感じていたはずだし、それをいずれは返さないといけないと思っていたはずだ。
ビリーはグッドナイトと行動を共にするので、二人は一緒にサム・チザムに着いていく。

バスケスは賞金首で、サム・チザムに着いていかなかったらあの場で彼に殺されていただろう。それに、着いていった場合はどうするかという条件として、「お前は賞金首のままだが、俺はお前を追わなくなる」と言われる。俺はお前よりも上だが、お前はそこらのバウンティーハンターよりは強いだろうという意味がこめられていそうだ。バスケスのことも認めつつ、でも、俺の方が強いぞと暗に示しているサム・チザムの粋な言葉。これに心を奪われたのだろう。

レッドハーベストはどんな理由があってのことなのかはわからないけれど、長老から一人で行動しろと言われてしまう。畏怖なのかもしれないし、何か悪いお告げみたいなものなのかもしれない。少なからず孤独だったと思うのだ。そんな彼が認め、認めてくれる人物がサム・チザムだった。運命的な出会いだったのではないか。

ジャックはすでに隠居の身だったようだけれど、このままゆっくりと死んでいくのもつまらないと思ったのだろうか。血が騒いだとか、それくらいの理由かもしれない。
彼に関してはあまり素性も明らかになっていないが、殺したネイティブアメリカンの頭皮を集めていたとか物騒な話は出てきた。それは、結局敵方のインディアンに殺されてしまうことと関連付けられているような気もする。因果応報というか。

2度目なので、キャラクターについての裏の設定やサム・チザムに会うまでの人生などを考えながら観ていた。あと、とても気になったビリーを集中的に見てしまった。

登場人物の多い話なので、前の方で話の中心になっているメンバーの後ろでも別のメンバーが動いている。ビリーはナイフさばきなど、戦闘はもちろん恰好いいし、賞金首時代のグッドナイトが認めたくらいだから強いのだが、それ以外だとわりと気遣いの人でもある。グッドナイトだけに関してかもしれない。

決して口数は多くないけれど、常に気を配っていた。一本のタバコを二人で吸うシーンは気づいていたけれど、その後ろで、ビリーが二本くわえて両方に火をつけてやって、一本グッドナイトに渡すというシーンもあった。
また、グッドナイトが錯乱した時に慌ててタバコをつけてやっていたので、タバコを吸って落ち着けというよりはやはり阿片なのかもしれないとは思った。

どちらにしても、ビリーはグッドナイトに拾われなかったら、グッドナイトでないにしても別のバウンティーハンターに殺されていたと思う。殺されないにしても、各地で暗殺を繰り返し、一人きりで逃げ続ける廃れた生活になっていただろう。
グッドナイトもPTSDで不安な気持ちになったときに、隣に誰かいるのといないのでは大きな違いだと思う。
サム・チザムもグッドナイトのPTSDに関して理解は示していたし心配もしていたけれど、そこまで深くは立ち入っていなかった。
ビリーとグッドナイトの互いが互いを理解し、気遣う関係が良かった。全員に関しての過去が知りたいけれど、断然、この二人のスピンオフが観たいです。


『REDリターンズ』



2013年公開。前作、『RED』は映画館で観て、別につまらなかったわけではないけれど、続編は見逃していた。

前作の内容をあまり覚えていなかったんですが、年老いた元ワルが久しぶりに現場に戻って大暴れするんだっけ? でもそれは『エクスペンダブルズ』か…と考えていたのですが、まあまあその通りだった。ワルではなくCIAエージェントでしたが。

ちなみに『エクスペンダブルズ』が2010年8月、『RED』が2010年10月と、アメリカではほとんど同じくらいの時期に公開されている。日本では『エクスペンダブルズ』が2010年10月『RED』が2011年1月とこちらも同じくらい。

あともう一つ、相手役の女性サラとの年の差が気になったんですが、何故か本作では気にならなかった。でもこれも調べてみると、演じたメアリー=ルイーズ・パーカーが現在52歳だったので驚いた。撮影時も40歳半ばか後半だったのか…。30代にしか見えない。
少しだけ足を引っ張るタイプのヒロインだったけれど、ブルース・ウィリス演じるフランクのことが大好きなのがよくわかって可愛かった。昔の女が出てきたらめちゃくちゃ嫉妬もする。また、自分の住んでるのとは違う危険な世界にいるフランクのことを、普通ならヒロインは心配しそうなものだけれど、目をキラキラさせながらそっちの世界へ行こうとする。逆にフランクが止めるくらいだ。フランクが過保護すぎるともいえる。

そこを張り切って背中を押すのが、ジョン・マルコヴィッチ演じるマーヴィンだ。前回にも増してお茶目な役だった。可愛いおじいさん役だ。飄々としていて、何も考えてないようでやるときゃやる天才肌。
本作では最後に打ち上げっぽいシーンがあるけれど、その時に女装というか仮装していたのも可愛い。

前作はあまりおぼえてなくても、ヘレン・ミレンが機関銃をぶっ放すシーンがものすごく恰好良かった印象は残っていたけれど、本作でもずっと華麗で恰好良かった。
最初の感じからして、前作では仲間でも本作ではヘレン・ミレン演じるヴァイオレットは一転してフランクたちの命を狙う役なのかと思った。殺し屋だし、依頼されたら金次第でなんでもやるのかと思ったけれど、ちゃんと仲間は裏切らない。
芝生に寝っ転がって、遠くからスナイプするときにストッキングの足先がセクシーだったんですが、一緒にいた恋人?に「狙う時に足の指が曲がるんだね…」と言われていて、「変態」と返していたけれど、私も同じところ見てました…。

もう一人(というかヴァイオレットは違うけれど)、フランクの命を狙う依頼を請け負ったのがイ・ビョンホン演じるハン。
最初、裸にされて浴衣を着せられ、おもしろ日本みたいなところで面接を受けていて、アジアはハリウッドからすると一括りにされてるんだなあと思った。
ガトリング銃を使うシーンもあるけれど、一人対多人数の格闘技のようなシーンも多い。真っ黒い細身のスーツで長い手足を使ってのバトルが美しかった。キックが特に痺れました。
あと、二丁拳銃はやっぱり好きです。
ハンは基本的にビリーと同じく無愛想な役どころ。フランクに個人的な恨みもあったようで、ずっと怒っている。怒鳴りながらフランクを追いかけてくる。

結局彼も仲間になるんですが、ヴァイオレットを助手席に乗せてのカーチェイスシーンは音楽も含めて恰好良かった。車をスピンをさせて、ヴァイオレットは両手に銃を持って腕をピンと伸ばして開けた窓から撃って周囲の敵を一掃する。もっと長い間見ていたかった。

仲間になったとはいえ、遺恨がなくなったわけではなさそうだったので、ハンにも相棒とか仲間がいたら良かったのにと思う。最後まで一人きりだったし打ち解けてもいなかった。

その二人が敵ではないとすると誰なのと思っていたら、アンソニー・ホプキンスだった。彼が演じる教授は、最初はニコニコほわほわしていて、頭がおかしいと思われているけれど本当はまともみたな役柄だった。実はその時点ではアンソニー・ホプキンスだとは気づかなくて、途中から明らかに悪い顔になる。視線の送り方とか表情がガラッと変わるのがうまかった。

役者さんやキャラクターはそれぞれよく、それより何より、『マグニフィセント・セブン』のビリー役のイ・ビョンホン目当てで見て、彼はやっぱり恰好良かったからそれでいい。
けれど、これは他の映画でもあることだけれど、核爆弾を積んだ小型機が海上とはいえ割と近くで爆発するんですよね。それを逃げもせずに、「滅多に見られないぞ」とか「きれいだ」みたいなことを言って近くで見ている。呑気というか、雑というか、ファンタジーというか。核爆弾の扱いについてもやもやしてしまうのは日本人だけなんでしょうか…。

ハンが浴衣で畳で面接しているシーンもそうですが、元がコミックなんだし深く考えなくていいことなのかもしれない。原作にあるエピソードなのかどうかはわかりませんが。





『七人の侍』、『荒野の七人』のリメイク。もちろん観ていたほうがリメイク元からの違いとかモチーフにしているキャラクターとかを考えられて楽しめると思いますが、観ていなくてもまったく問題ないです。

監督は『サウスポー』のアントワン・フークア。

以下、ネタバレです。







リメイク元とストーリーは大体一緒だと思う。
金鉱目当てで悪党が村を乗っ取るために乗り込んでくる。村の外から訪れた凄腕のガンマン七人が、戦いの素人である村人たちと力を合わせて悪党とバトルをするというもの。

最初からやっつけるべき悪党がわかっている。また、同情の余地がないほどの悪党なので、善悪について考えるということもない。この辺は西部劇っぽいのかもしれない。

倒す側はならず者であり、七人のキャラクターが濃い。
主人公はデンゼル・ワシントンが演じるサム・チザム。バウンティーハンターだが、全身黒ずくめ、馬も黒いということで影がある。めちゃくちゃ強い。

最初に仲間になるのは調子のいいギャンブラーで手品師のファラデー。クリス・プラットが演じているが、食えない奴である。携帯している拳銃のことを片方は妻、片方は愛人と呼んでいた。手品で気をそらしている間に撃ったりと正攻法ではない。
最期も死んだふりからのダイナマイト投擲というのは彼らしいではないか。もう何発もくらったところでタバコをくわえる。敵は最後の情けと思って火をつけてやる。そこで撃とうとするけれど、そのまま前に倒れこむ。死んだならば撃つことはないだろうと、敵は銃を仕舞うんですが、ジョシュは起き上がり、タバコの火をつかって着火したダイナマイトを投げるという。手品と同じ、やっぱり油断させてからのニヤリなんですよね。飄々としたキャラがクリス・プラットによく合っていた。

賞金首のヴァスケスは、逃がす代わりにサムたちの仲間になった。メキシコ人で、ファラデーとは人種差別ばりばりな言い合いをしていた。それでも本気で仲が悪いわけではなく、いいコンビである。
二人とも二丁拳銃で、二丁拳銃好きとしては嬉しい。

イーサン・ホーク演じるグッドナイトはサムと長らくの知り合いのようだった。ウィンチェスター銃を使うスナイパー。腕は確かだけれど、南北戦争で多数の人間を殺した経験からPTSDになっている。
ジョシュも人の死について話していたけれど、西部劇特有かもしれないけれどとにかく簡単に人がどんどん死んでいく映画である。相手は悪党だから、銃をバンバン撃って人が倒れていくのは爽快感もあるけれど、ちゃんと死にも言及していた。

グッドナイトの相棒ビリーにイ・ビョンホン。銃も使うけれど、ナイフ投げとか髪の櫛で攻撃するのが独特で恰好いい。
無表情で愛想も無いけれど、グッドナイトの前だと喋るし笑うのがいい。

助ける村へ行く途中、一行の前に現れたネイティブアメリカンのレッドハーベストも仲間になる。銃も使うが弓矢と斧を投げる。

敬虔なクリスチャンなのか、聖書の一節を唱えることが多いハンターのジャック。大きな体格を生かしての攻撃もしていた。

このように、七人それぞれのキャラが濃い。体格もバラバラ、人種もバラバラで統一感がない。大げさなキャラ付けなので、漫画っぽい。入り乱れての戦闘でも誰がどこにいるかすぐにわかる。

ストーリーの流れとしては、村が襲われる。襲われた村から来た女性にサムが雇われる。サムは七人の仲間を募り、村に着き占領している悪党の子分たちを成敗。それを聞きつけたボスが新たな仲間を引き連れて村に襲撃。罠を作ったり銃の練習をしたりした村人と七人が悪党をやっつけるという本当にシンプルなもの。
しかも、案外苦労することなく七人は集まるし、大きな喧嘩もない。村に行く途中に襲われたりもせず、旅の道中も短い。

この映画は133分と長めである。じゃあ、何に時間が割かれているのかと言ったら、ほぼガンアクションなどのバトルである。これが本当に恰好いいし、七人それぞれがちゃんと動くので見ていて飽きない。おそらくもう一度観たら新たな発見がありそうなくらい見どころが多い。

ほとんどバトルとは言っても、戦い方にキャラクターがよく出ているし、バトル前日の飲み会でも性格はよくわかるから、しっかりと命の通ったものになっている。

キャラクターの濃さも漫画っぽいが、展開のお約束加減とか見たいものをしっかり見せてくれるのも気持ちが良かった。
敵側にネイティブアメリカンの強い人がいたけれど、やはりこちらのレッドハーベストとの戦いがある。PTSDを理由に途中離脱したグッドナイトは、やはり最終決戦には戻ってくる。悪党のボスを仕留める最後の一撃は、やはり夫を殺された村の女性によるものだった。
やっぱりそうでなきゃな!の連続がとてもいい。

また、デンゼル・ワシントンが真っ黒い服装で真っ黒い馬に乗りながら銃をぶっぱなしているだけで本当に恰好いいけれど、その他にも画作りのこだわりが感じられた。

教会の鐘の近くからグッドナイトとビリーがウィンチェスター銃で遠くの敵を撃っていたが、ガトリング銃で狙われてしまう。その連射で二人も撃たれるが、弾は鐘にも当たってカンカンと非情な音を鳴らしていた。

悪党のボスは教会で死ぬが、十字架のまえで悪党が倒れているのも、画面がまとまっているというかまるで絵のようだった。

最初から最後まで悪党でしかないボス役にピーター・サースガード。最初に村に来た時にもそうだったが、平然と、死ななくてもいい人を撃つあたりが怖い。また、ガトリング銃を持ち出して部下が村を一網打尽にしているときには恍惚とした表情をしていた。不思議な色気がある役者さんだと思う。最後、教会では許しを乞いながら涙目になっているのも良かった。死にかけながらも銃に手をやる底意地の悪さも姑息で完璧だった。

色気といえば、イ・ビョンホンも良かったです。寡黙ながらもナイフ使いが華麗で確実に仕留める姿もいいし、長めの前髪が顔にかかる様子もいい。
彼が演じるビリーとグッドナイトの関係も良かった。この映画では描かれていなくても、ここまで長い期間コンビを組んでいて、絆が深いのがよくわかった。
グッドナイトはサムと再会するまで、PTSDのことはビリーにしか話していなかったのだろう。酒に逃げて、外には弱さを見せないようにしていたのだと思う。ビリーはそんなグッドナイトも受け入れて、サポートしていたのだろう。

最終決戦時にグッドナイトが戻ってきて、「戻ってくると思ってたよ」と言って彼のスキットルを胸から出してビリーが笑う。ここまでびしっとした表情だったのに、一気ににっこりする。それは破顔とも言えるくらいに。もちろん戻ってきたのが嬉しかったのもあるとは思うけれど、おそらくもう死ぬのがわかっていて、それを覚悟したようにも見えたのだ。いいシーンで好きでした。



1912年イギリスの女性参政権を求める運動についての映画。運動自体は実際にあったものだが、まるまる実話というわけではないらしい。
監督はもちろん、他の製作スタッフも女性を中心としていたとのこと。

以下、ネタバレです。









原題は『Suffragette(サフラジェット)』。もともとはイギリスでのこの女性参政権を求める運動をする人たちはサフラジストと呼ばれていたらしい。けれど、一向に認めてもらえず、窓を割る、ポストを爆破するなど非合法の手段で運動をしていた人たちを、合法的な手段を用いて運動をしていた前者と区別してサフラジェットと呼んでいた。

『未来を花束にして』というタイトルは優しすぎる。どちらかというとサフラジストっぽい。この映画で描かれているのは、この邦題から受けるそんなふわっとした優しいイメージでも慈悲深いものでもない。そんな季節はとっくに過ぎたのだ。
慈悲深さなんてものは、自分に余裕があるときに生まれるものである。この映画に出てくる女性たちに余裕なんて無い。
この映画で描かれているのはもっとガツンとした、ゴリゴリした岩のような事柄である。

主人公のモードは最初はサフラジェットたちの過激な行動を見て、関係を持たないようにしていたし興味もなさそうだった。最初に逮捕されたときにも、私はサフラジェットじゃないとはっきり言っていた。夫にも怒られるし迷惑していたようだ。女性参政権については最初から無いものと思っていたから求めることもしなかったと言っていた。
しかし、サフラジェットたちの話を聞き、一緒に行動するうちに、ちゃんと自分で考え始める。よくよく考えてみたら、おかしなことが多いことに気づく。
主演のキャリー・マリガンの表情も、最初はぽやぽやしていたけれど、次第に険しく、きりりと引き締まってくる。

私も最初は、投石するのはやりすぎではないかとも思った。けれど、男に力で押さえつけられ、最初から馬鹿にされている彼女たちを見ていると、怒りの気持ちがわいてきた。
声をあげて行進していても何も変わらないなら、気にかけてもらえる行動をとるしかない。

モードは実際には存在していない人物とのこと。実話をもとにした映画で、主人公が創作なのも珍しいと思うが、きっと、運動に参加していた中にはモードのような女性もいたのだろう。それに、普通の人を主人公にしたほうが、観ていてより感情移入できる。逮捕されるのが普通のことか?と思うかもしれないが、逮捕者は千人以上だったらしい。普通の人が逮捕されたのだ。

映画の登場人物で実際に存在したのは、メリル・ストリープ演じるサフラジェット界のカリスマエメリン・パンクハーストと、最後にダービーのレースに飛び込んでいった女性の二人らしい。メリル・ストリープはメリル・ストリープだから仕方が無いけど、日本のポスターなどに使われているけれどほとんど友情出演くらいの出番しかない。けれど、重要な役です。
最後に走る馬の中に入っていった女性は実際には何のために亡くなったのかはわからないらしいが、映画の中ではそれがきっかけで、この運動について他の国にも知られることになり、政府も動いた。葬儀に多数の人が訪れた映像は、実際にこの女性の葬儀の時のものらしいので、やはりサフラジェットとまったく関係無いということもなさそう。

それにしても、ここまでやらないといけないとは。ここまでやって、やっと女性が参政権を手にすることができた。イギリスでは1928年のことだ。わりと最近である。
最後に各国が女性参政権を得た年代が出るけれど、どの国でも男女は平等ではなかった(ない)のがわかった。日本も1945年である。サウジアラビアにいたっては2015年だし、いまだに認められていない国もある。

過去に戦ってくれた人たちがいるから今がある。それを思うとひとごとではないし、現在だって、ニュースでは連日デモ行進の様子が報道されている。それが何であれ、訴えたいこと、変えたいことがあるのは同じなのだ。

実話をもとにしたとのことだけれど、時代背景もちゃんと考えられているらしい。
あの時代、労働者階級の女性は実際に映画に出てきたような洗濯場で粗悪な条件で働いていたらしい。
また、カメラを使った捜査もあの時代から始まったとのこと。
そして、刑務所でハンガー・ストライキを行った者をおさえつけ、チューブで食物を流し入れる虐待も実際に行われていたらしい。

外国の政治関連の映画だし、とっつきにくいかもしれない。ショッキングな内容も多い。けれど、本当にひとごとではないし、観て良かった映画だった。

そういえば、モードの夫役がベン・ウィショーで、一応目当てでもあったんですが、とても嫌な奴です。この映画に出てくる男性はすべて嫌な奴です。
ただ、アーサー警部だけは、モードと何度か語り、追ううちに心を動かされているようにも見えた。けれど、味方になったり、かばったりはしないです。