『T2 トレインスポッティング』
Posted by asuka at 5:55 PM
1996年公開『トレインスポッティング』の続編である。キャストはそのままなので、年をとっていて、映画の中でも現実と同じく20年経過している。
前作は若気のいたりというか、若いからこそ許されるようなダメダメ人間たちの話だったけれど、おっさんになった彼らはどうなっているのか。
前作の遺恨に決着をつける話でもあると思うので、絶対に前作は観ておいたほうがいいです。
以下、ネタバレです。
洗濯機、大きなテレビ、CDプレイヤー、車、クリスマスを一緒に過ごす家族…いろいろなものを自分で選べというモノローグで始まる前作。
自分で選べる自由な未来を手に入れろということだ。選べることは幸福で貧困層ではこうはいかない。
けれど、そんなことわかっちゃいるけど、そんな退屈な人生よりも、今が楽しいからドラッグがやめられない。やっとやめられたと思って、普通の仕事していても、昔の仲間が台無しにしにくる。
こんな生活もういやだと思ったマークが、悪巧みで得た金を一人で持ち逃げし、ここからスタートだ!というある種の希望のようなものに満ちたエンディングだったのが前作だ。
ドラッグ表現や禁断症状からの悪夢が音楽と相まって革新的な映像を作り出していた。まるで、ビデオクリップのようでもあった。
20年後、マークは未来を選べたのか。本作はその回答でもある。ただまあ、平穏無事な生活を送っていたら、映画にはなりませんよね。
マークはスポーツクラブのランニングマシーンで走っている。スポーツクラブに通う金と健康があるということは、ドラッグまみれだった20年前からは考えられない。20年前には金も健康もなかっただろう。
ああ、持ち逃げした金ではあるけれど、うまいことやっているのだなと思った。一方、持ち逃げされた三人だが、ベグビーは刑務所、サイモン(シック・ボーイ)はパブを切り盛りしているが、ゆすりのようなことをして生計をたてていて、スパッドは相変わらずのドラッグ中毒、妻(ゲイルと結婚していた!)と子供に逃げられている。
三人はまだエジンバラに暮らしていて、マークが20年ぶりに帰郷する。
サイモンは当然怒っている。20年間をめちゃくちゃにされたと言っていた。そりゃそうだ。今更お金だけ返されても時間は戻らない。けれど、幼馴染だから結局すぐに仲直りしていた。
マークもマークで、離婚したとか子供は実はいないとかは最初は嘘なのかと思った。またサイモンのことを陥れようとしているのかと思ったが、結局最後までどんでん返しみたいなものはなかったので本当だったらしい。それに、最初にランニングマシーン中に気絶していたのは心臓の病気だったらしい。これも嘘なのかと思った。
前作でスパッドにだけお金を残してあげていたが、スパッドはそれをドラッグに使ってしまったらしい。けれど、本作ではそこから抜け出そうとする。
マークに夢中になれることを見つけろと言われていた。サイモンの店のリフォームを手伝っていた時に生き生きしていたので、それかと思ったけれど、違った。でも、元の職場の仲間なのか、建築業の方々が集まってきていて、やっぱりスパッドはいい奴なのだと思った。
本作ではいい奴度がさらに強まっていて、おっさん相手に何を言っているんだという感じですが、キュートでもあった。
ここまでズルズルとドラッグに流されていたけれど、本当に我慢強く乗り越えるために、文章を書いていたというのが良かった。
懐かしい顔としてはダイアンも出てくる。字幕では名前が出てこなかったけれど、面影があったし、会話から間違いない。マークと一緒にいたベロニカのことを「あの子は若すぎるわ」ってどの口が言うのか。それでも、ちゃんと弁護士になっているあたりがしっかりしている。理想の20年後といった感じだ。もちろん彼女自身の努力もあったとは思うけれど、家がしっかりしていたのかもしれない。
相変わらずといえば相変わらずなのがベグビーで、刑務所を脱走してしまう。マークが金を持ち逃げしたことに、サイモン以上に怒っていたのはベグビーである。ただでさえ血の気が多い彼は脱走したあとも悪いことを繰り返す。
マークとサイモンが相変わらず姑息な悪事を働く裏で、映画を観ている私たちだけはラスボスのようなベグビーが刑務所から逃げてることを知っていて、いつ遭遇するのだろうとハラハラする。
そして、ベグビーとマークが会うのがクラブのトイレの個室というのがおもしろかった。隣り合わせの個室で軽口を叩いて、おや?みたいな顔をしていた。
そのあと、殺さんばかりの勢いでベグビーはマークを追いかけるけれど、20年ぶりの出会いがコミカルなものだったし、なんとなく本当に殺すまではいかないのだろうと思った。
地下駐車場で、助けを求めた車から流れているのがフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの『リラックス』なのも、追いかけたあとのベグビーがバイアグラを飲んでいたとはいえ勃起しているのも可笑しかった。
最後のバトル時に、マークとベグビーが二人とも子供の姿になっていた。前作を見ていたら20年前の姿は知っていても、そんな小さな頃は知らない。私たちの知らない絆が彼らにはある。だから、コードに首をつられて苦しそうにしているマークの下から足を抱きしめて、こっちへ来いというようなことを言っている姿は、殺そうとしているにも関わらず切なかった。
ベグビーは最初、息子に拒絶されて、怒っていた。けれど、スパッドの書いた文章を読んで、自分がこうなってしまったのは父親のせいだと考える。そこで、自分はダメだったけれど、息子には未来を選んでほしいと伝えていた。
イギリスでよく言われている話として、“労働者階級から抜け出すためにはサッカー選手かロックスターになれ”というものがある。現在はどうなのだろう。少なくとも、ベグビーたちが20代の頃はそれがまだ生きていた。
ベグビーの息子が大学へ行けたのは、ベグビーが刑務所に入っていたからだというのも皮肉だが。
ベグビーは、どうせもうダメな人生なのだし、せめてお前(マーク)を殺して俺も死ぬ覚悟というだったのだと思う。歪んではいるけれど、これも、友達ゆえの考え方なのだと思う。裏切られたことが悲しかったのだろう。
結局、ベグビーも死なず(死んでしまってスパッドが殺人罪に問われたらどうしようかと思った)、三人の誰も死なない。原作のアーヴィン・ウェルシュかダニー・ボイルの良心だろうか。
2、3年後ではなく、20年後なのがいいと思う。十年一昔とかとんでもない。20年経ったら取り返しがつかない。台無しにされたことは重みとなってのしかかる。20代と40代では選べる未来の選択肢の数が違う。
だからこそ、マークはベロニカに説教めいたことを言ったのだろう。そして、ベロニカはあの時のマークのように金を持ち逃げする。ただ、持ち逃げとは言っても、うっかり儲けたみたいな金だし、その融資先のサウナも建てることはできなくなってしまったので、ベグビーのように烈火のごとく怒って追いかけてくる人もいない。
スパッドが街の風景を見て、20年前、マークと一緒に捕まったことを思い出すシーンがある。その他にも、『Born Slippy』のイントロや一部分がちょろっと流れるシーンがあって、映画の登場人物だけでなく、私の気持ちも一気に過去に戻る。音楽にはその力がある。
ダニー・ボイルは音楽を効果的に使う監督だけれど、特に『トレインスポッティング』ではそれが顕著に表れていた。
マークは帰郷し、実家へ戻ると母親は亡くなっているけれど、部屋はそのまま残してある。印象的な列車の壁紙もそのままだ。映画の序盤で、彼は自分のレコードを懐かしそうに見て、針を落とそうとするが、一瞬だけ音を出してすぐに針を上げる。
聴いてしまうと、気持ちがあの時代に戻ってしまうから聴けなかったのだろう。戻りたくなかったのだ。
しかしラスト、マークはもう一度実家に帰り、父親をハグし、部屋へ行く。改めて、序盤に聴くことができなかったレコードに針を落とす。流れ出すのはイギー・ポップの『Lust For Life』(本作ではプロディジーリミックスらしい)。これは前作のオープニングで流れる曲である。
前作ではこの曲を聴いて、ドラッグをやったマークが恍惚とした表情で体を反らして倒れこむ。本作でも同じ表情をするが、倒れこむことはなく、曲を聴いて踊るのだ。
聴くことができたことがまず変わったことだと思うが、それに加えて、聴いたあとの行動も変化した。
前作のオープニングと本作のエンディングが繋がって輪になった。続編として一番好きな形である。はやく二枚組のブルーレイを出してほしい。
20年。それでも、根っこの部分は変わらない。サッカーの試合を見て、マークとサイモンがぎゃーすぎゃーす話していたのが可愛かった。多分ずっと変わらない。
マークとサイモンが相変わらずバカやっていて、ベグビーが相変わらず大暴れしていて、その裏でスパッドはドラッグを断ち切るために必死で文章を書いていた。
過去の自分たちについて書いていて、その文章をラストでゲイルに見せる。「タイトルが決まったわ」って、あーそれこそが『トレインスポッティング』なのだ。原作が小説だからこそできるメタ構造が楽しかった。
前作が鑑賞済みであることは必須条件になってしまうけれど、続編としては満点だと思う。二作まとめて大好きです。
『人生は小説よりも奇なり』
Posted by asuka at 10:39 AM
2016年公開。ドイツで2014年に公開された後、アメリカでは2015年にDVDが出たそうなので公開は2014年だろうか。
邦題の『人生は小説よりも奇なり』というほどとんでもなくドラマチックだったり意外性のあることは起こらない。原題の『LOVE IS STRANGE』のほうがとぼけた風合いでさらっとしていていいと思う。
合法化を受けて、39年連れ添った熟年同性カップルのベンとジョージが結婚をする。普通だったら、いろいろあって結婚するまでを描く話になりそうなものだが、この映画は結婚式から話が始まる。
ただ、同性と結婚をしたことで、仕事を辞めさせられてしまい、家賃が払えなくなる。39年連れ添って、晴れて結婚できたのに、家を失い、彼らは親戚の家へばらばらに居候することになってしまう。
ベンの家には女流小説家がいて、昼間も家で仕事をしている。ベンがどんどん話しかけて、小説家はストレスがたまってしまう。ベンに悪気がないのもわかるし、夫の親戚なので怒ることもできない。
この女流小説家役が新生スパイダーマンのセクシーメイおばさんのマリサ・トメイだった。邦題に小説とあるので、彼女が二人のことを小説に書くのかなとも思ったが、そんなベタな展開はなかった。
ジョージが居候する家では毎晩パーティーである。家主であれば寝室にこもって寝てしまえばいいが、ソファで寝ているため、パーティーが終わるのを待つしかない。
そのパーティーで若いゲイの青年とジョージが知り合うが、別に浮気などもない。
別にベンとジョージには最後まで愛の危機は訪れない。ずっと愛し合ったままだ。ベンが居候している家の少年の小さなベッドで「君と寝るのが恋しい」と言っていたシーンが切なかった。ただ愛し合っているというだけではうまくいかない。
この映画は同性愛者が主人公ではあるけれど、いわゆる同性愛ものとも違うと思う。もちろん、合法化がはやければ、老年期に入る前に結婚できたし、そうしたら、例え仕事をクビになっても新しい仕事がすぐに見つかったかもしれない。同性愛者でなければ、結婚もすぐにしたかもしれないし、仕事をクビになることもなかった。かといって、差別反対!ということを全面に出している映画でもない。
ドラマチックな展開はなくても、二人が愛し合ったこれまでの時間を感じることができるし、今も愛し合っているのが十分にわかる。
絵の個展の話をして別れた夜、なんとなくこの後ベンは亡くなってしまうのだろうという予感はあった。意外性はない。だから、泣かせにくるような演出もない。でも、やはり、新居に一人で佇んでいるジョージの姿は悲しい。やっと新居が見つかっても、一緒に住むことはなかったのではないかと思う。
ジョージの元にベンが居候していた家の少年が訪ねてくる。ベンが描いた絵を持ってくるが、そこには彼の友人が描かれている。両親に怒られていたし、たぶん少年はその友人とはもう会うことはできなくなってしまっただろう。でも、今でも思い出として心に残っているはずだし、おそらく彼にとってはベンも、その友人と同じ引き出しに入っているのではないだろうか。
好きとか嫌いとかではない強烈な印象を残す人物として。そしてもう、彼らには会えない。
少年はベンの葬式に行けなかったらしいので、ジョージに絵を渡すことが、弔いの代わりだったのだと思う。
少年は、旅行先で女の子のことを好きになったけれど挨拶すらできなかったとベンに話していた。少年はベンから後悔のないように人生を楽しめという教訓めいたものを得たのだと思う。
ジョージの家を訪ねた少年は、少女と待ち合わせをしていた。もしかしたらあの日に挨拶もできなかった女の子かもしれないし、別人かもしれない。でも、両親も息子に友達ができないと悩んでいるくらいだったけれど、ちゃんと人付き合いをしている。大切な人を見つけられたのだ。
少年と少女が夕日の差す道路をスケボーに乗っているのがラストシーンで、それは穏やかでとても優しい。じんわりとしたあたたかさが胸に広がる。
ジョージとベンが、愛し合って結婚をしたにも関わらず一緒に住めないまま一方が亡くなってしまうというのは悲しいことだ。けれど、別に後味が悪さややきもきした気持ちは残らない。残るのは、爽やかな感動だけだ。
『ズーランダー NO.2』
Posted by asuka at 10:39 AM
なんと、2001年公開『ズーランダー』の15年ぶりの続編。アメリカでは2016年に公開されたものの、日本ではビデオスルーになってしまった。
ベン・スティラー監督・主演、ストーリーもまあ一応、『ズーランダー』のラスト以降の話ではあるけれど、話がまったくわからないということはない。というか、知っていたけれど、こんなことでいいのかというくらいにくだらない。だから特に復習したり、観ておいたりはしなくていいと思う。
ただ今回もくだらなすぎて、おもしろいんだかなんだかもわからない。ラスト付近のバトルもいい加減で、特に盛り上がるということもない。
親子愛は結構良かったけれど、どうなっちゃうの?みたいなハラハラ感はまったくなく、ムガトゥの最終兵器もキメ顔で止めてしまう。こんなのでいいの?
その前にキメ顔が失敗してナイフが顔にさっくり刺さってしまったが、痛い痛いとは言っていたけれど、あっさり引き抜いていたし、すべて解決のあと、「溶岩パーティーだー!イエーイ!」と足元の溶岩に飛び込んでいた。しかもその効果で顔の傷も消えるとか、まるでルーニー・テューンズか何かのカートゥーンの世界である。
ただ、監督・主演のベン・スティラーは相変わらずノリノリである。オーウェン・ウィルソンもメインキャラだし相当楽しんでる。
今回はペネロペ・クルスもメインキャラですが、度重なる巨乳アピールに水着姿まで披露。後ろに回ったデレクに「胸につかまってて!」と言っていて、サービス精神旺盛だし、ベン・スティラーがずるい。
泥だらけになりながら胸でずさーっと滑り込む姿を見ていたら、なんか、ペネロペが好きになってきた。
今回もカメオ多数です。
一瞬だけですが、スーザン・サランドンが『ロッキー・ホラー・ショー』の『タッチ・ミー』のサビ、"♪Toucha-Toucha-Touch Me〜"を歌ったので度肝を抜かれた。
終盤のKKKのような秘密の暗黒ファッション会合(何を書いているかわからないけどこうとしか言えない何か。インターポールのファッション課というのも出てくる)には、マーク・ジェイコブズやトミー・ヒルフィガーなどファッション業界の重鎮たちやVOGUEの編集長アナ・ウィンターも登場。演技が案外うまいのもおもしろい。
スティングが意外と重要な役で出ていたりもする。メインキャラのクリステン・ウィグはドラァグクイーンのようなメイクで誰だかわからなかった。
ベネディクト・カンバーバッチは女装というか、性別がないオールという役で出ていた。自分と結婚したらしい。綺麗とか醜いとかではなく、宇宙人のような感じでステージで空を飛んでいた。マリリン・マンソンにも見えた。
吹き替えが、いつものベネディクト・カンバーバッチの三上哲さんなのが気になる。
乱交の末、複数の女性がハンセルの子供を妊娠するんですが、その中にキーファー・サザーランドも。
慌てたハンセルは「ラクダの様子を見てくる!」と言って家の外へ飛び出していくんですが、その時に取り残されたキーファー・サザーランドの気持ちの整理がつかないような、喜んでくれると思ったのにそうではなかったのがわかった切ないような泣きそうな表情の演技が無駄にうまくて笑った。
最後では「流産したんだ…」と言って、寂しそうに笑っていたが、それもうまいハンセルは「それでも家族なのは変わらないじゃないか!」と言って抱きしめる。
ちなみにキーファー・サザーランドの吹き替えもおなじみの小山力也さんでした。
吹き替えでも観たい…。
カメオは多数出てきたけれど、特にこの二人について、本当に何やってるの?というか、何やらされてるの?という感じが強かった。
多分、すごくいい人たちなんだろうと思って、俳優さんたち自身が好きになってしまった。
ストーリーやギャグよりはカメオに注目して観たほうが楽しめるかもしれない。
序盤の隠居生活を送るデレクが借りたDVDが『エージェント:ライアン』と『アウトロー』で、デレクが「二回シコれるな!」と言うんですが、この意味がわからなかった。トム・クルーズが好きなのかなとも思ったけれど、『エージェント:ライアン』はクリス・パインだった。
じゃあなんなのだろうと思ったら、『エージェント:ライアン』の原題が『Jack Ryan: Shadow Recruit』、『アウトロー』が『Jack Reacher』で、Jack offがマスターべーションをするという俗語らしい。
こんな小ネタがちりばめられていたのだとしたら、字幕ではわからない。というか、わかったところでくだらないのはくだらないですが。
ただ、世間で酷評されているよりは悪い作品ではないと思った。
『インサイダーズ/内部者たち』
Posted by asuka at 6:16 PM
2016年公開。韓国では2015年公開。原作はウェブ漫画とのこと。
『マグニフィセント・セブン』のイ・ビョンホンが良かったので、彼出演のハリウッド作は観たのですが、韓国映画は初めて。
韓国映画自体も観ないため、監督やイ・ビョンホン以外のキャストもわかりません。
また、韓国映画に慣れていないので、韓国語が聞き慣れないのと、名前が一文字(オ会長とか)なのに違和感があって、途中まで登場人物があまりよくわからなかった。
陰謀ものなので、誰と誰が裏で組んでて…というのが話だけで出てきた場合に、え?それって誰だっけ?となってしまった。なので、序盤は観にくかったです。
映画館ではなかったので、わかりにくいなら、自分で名前と特徴のメモを取れば良かった。
前に、他の韓国映画を観たときには名前だけでなく顔の区別もつかなかったのだけれど、今回は全員濃かったり薄かったりと特徴があって、わかりやすかった。
要は悪い奴が三人いる。財閥系の自動車の会社の会長(オ)、大統領になることを狙う議員(チャン)、新聞社の上層部(多分)(イ)が結託している。
イとつながりをもっていたゴロツキのサングは、イに裏切られたため復讐しようとする。一方で検事ジャンフンも、この三人を怪しんでいて別方面から追う。
ゴロツキと検事なので、出会いも最悪なんですが、結局目的が一緒だとわかったときに、サングとジャンフンは手を組む。
これが映画中盤くらい、一時間経ったくらいなんですが、ここからがおもしろかった。要は悪い奴が三人…というような人物関係がわかってきたのもこの辺である。
サングが家の屋上でラーメンみたいなものを食べているのですが、片手が切り落とされているせいもあるのかもしれないが、がっつくような食べ方ですごくおいしそう。
ジャンフンの実家(田舎で綺麗な家ではないけれど、本棚がたくさんあって、美術的にもみどころがある)の軒先で、焼肉鍋?(ジンギスカン鍋のような形)を囲むシーンも良かった。焼肉と、野菜(緑の唐辛子の大きいもの?)を味噌につけて食べていた。チャミスルフレッシュの緑の細い瓶が置いてあるのもいい。おいしそうだし、韓国料理を食べに行きたくなった。ここでもサングの食べ方がとてもおいしそうだった。
また、屋上もここでも、野外で食べているのがよりおいしそう。
しかし、それ以外に、少し前まで敵同士とは言わないまでも、ゴロツキと検事という何のつながりもなかった二人が、目的を同じにするとはいえ、急速に関係を深めた様子がこの食事シーンからよくわかった。
鍋を真ん中にはさんで向かい合って食事をするというのは、親しくないとできないことである。
屋上でラーメンを食べているシーンでも、サングは部下に「食うか?」と言っていた。食事が親しさの証である。
ラストでも、ジャンフンがサングを食事に誘っていた。
映画はサングの記者会見のシーンから始まるので、それがラストかと思っていた。しかし、話が進んで冒頭の記者会見は出てくるけれど、それは失敗してしまう。
ここから、ジェットコースターのように話が進んで行く。登場人物たちの本心が見えなくなってくる。
サングは刑務所の中、身動きがとれない。ジャンフンも検事とはいえ、上昇志向が高そうだし、清廉潔白という感じではなかったから…と思っていたら。
ラストがどんでん返しというか、爽快感あふれるものだった。
盛り上がる音楽と、ゆっくりとスローで入ってくる車。ここまで観ていれば最後まで言われなくてもその車から出てくるのが誰かはわかる。でも、はやく見せてほしい。映像はスローだし、観ている側の気持ちは盛り上がるしで、それが最高潮になったときに、車からジャンフンが出てくる。
なるほど、だからインサイダー“ズ”、内部者“たち”。でも、英題はInside Menなので、ちょっとネタバレでもあるのかな。
ジャンフンが出てくるというのが答えで、それを見せて終わりかと思ったけれど、回想映像を交えながら、すべてをちゃんと説明してくれる。わかりやすいし、悪が成敗されてスカッとする。
また、サングが刑務所を出た後だからか、半年後にはなるけれど打ち上げがあるのもいい。
悪の三人がしていた接待が本当に酷い。全員裸で、女の人が一人につき二人ずつくらいついていて、口で大きくしてもらった男性器で酒のグラスを倒してゴルフをするという…。ちょっと見たことがないほどおぞましかった。韓国の政治事情とかウラみたいなものもわからないけれど、本当にあったりするのだろうか。創作にしても、よく考えたなと思う。
イ・ビョンホン演じるサングは、ゴロツキだしちゃらちゃらしているようでいて、強い芯を感じた。髪が長くて派手な服を着ている姿も良かったけれど、髪を切り、スーツでびしっとキメるとえらく恰好良くなるあたりもたまらなかったです。
あと、おそらく韓国映画の中ではぬるいのだとは思うけれど、血が結構出ます。『マグニフィセント・セブン』が、西部劇だからそりゃそうだけど人が大勢死ぬわりにまったく血が出ないので、本作では返り血を浴びたイ・ビョンホンが見られる。
アカデミー賞作品賞受賞。その他、アカデミー賞では脚色賞、マハーシャラ・アリが助演男優賞を受賞しています。
戯曲が元になっているとのこと。その戯曲の作者タレル・アルバン・マクレイニーと本作の監督であるバリー・ジェンキンスが偶然同じ公営住宅出身で、似た環境で育ったとのこと。
そして、その環境が、この『ムーンライト』の主人公シャロンに似ているらしい。
以下、ネタバレです。
シャロンは母親が麻薬中毒者である。マクレイニーもジェンキンスも同じだったらしいのだ。また、映画の舞台になっているのもこの公営住宅らしい。
同じ公営住宅で同じように麻薬中毒者なんてことあるの?と思ったけれど、要するに治安の悪い場所なのだろう。だから、シャロンのような、マクレイニーのような、ジェンキンスのような子供は珍しくはないのだと思う。
映画は三章に分かれている。
シャロンという一人の人物に焦点を当てて、シャロンが子供の頃、シャロンが10代の頃、シャロンが大人になってからという分け方だ。あとから調べたところ、一章は10歳、二章は16歳、三章は三十代前半らしい。
一章はシャロンがマハーシャラ・アリ演じるフアンという男性に会う。ナオミ・ハリス演じる母親が麻薬中毒でシャロンのことをないがしろにする。学校ではいじめられる。そんな中、フアンと、フアンと一緒に住む女性テレサだけがシャロンとちゃんと向き合っていた。
学校と家、どちらにも居場所がなかったら、一体どこにいたらいいのだろう。おまけに自分のセクシャリティについても悩んでいる。
そんなシャロンの横で、非難するでも必要以上に鼓舞するでもなく、フアンは寄り添っていた。
ただ、この地域に住む大人ということで、フアンも売人である。しかも、フアンの売った麻薬をシャロンの母親が買っていたということもわかってしまう。もう地獄のような状況である。しかも、そこで一章は終わる。
二章になるとシャロンは少し成長している。具体的に何年後とは出ないけれど、6年後だったらしい。成長といっても、体は大きくなっていてもうつむき加減なのは変わらない。いじめられているのも変わらない。
あと、母親が全然変わっていない。シャロンに金をせびるなど、余計にひどくなっていってる。メイクのせいもあるけれど、年をとりつつ、中毒状況や生活の荒み方が演技からよくわかった。ナオミ・ハリスも助演女優賞にノミネートされていただけあってさすが。
また、フアンの家にはテレサしかいない。
最初には何の説明もされないが、観ていくうちにどうやら死んだことがわかる。死因や死んだシーンの回想などもないけれど、年齢的にも老衰ではないし、病気というよりはトラブルに巻き込まれたのだろうと思う。
一章の最後で、シャロンは自分の母親に麻薬を売っていたのがフアンだとわかってショックを受けているようにも見えたから、そこで関係を絶ってしまったのかなとも思ったけれど、まだ続いていたようでよかったとは思った。
ただ、おそらく、シャロンは居場所がないままなのだ。だから、フアンに、フアンがいなくなってもテレサに頼らざるをえない。厳しい状況が説明のないまま伝わってくる。伝わってくるというか感じられるというか。無駄な説明が省いてあってスマートな作りになっている。
セリフも、シャロンが寡黙で、シャロン中心の話だから極力少ない。シャロン中心ではあっても、シャロン目線というわけではないからモノローグもない。カメラや監督の視線は、ただ優しく、シャロンのそばに寄り添っている。まるでフアンとテレサのようだ。
一章でフアンが、“黒人の肌は月明かりに照らされるとブルーに光る”という話をする。それをふまえると、二章でのケヴィンとシャロンの海岸のシーンがさらに美しく幻想的に見える。
ここだけではなく、夜のシーンでの光の当て方が特殊なのだと思うけれど、夜に紛れがちな黒人の肌を艶やかに浮かび上がらせていた。ここまで美しい撮り方は初めて見ました。
砂浜でケヴィンもキスに答えるけれど、おそらく恋愛感情はない。けれど、他の人がいじめるなか、シャロンと仲良くしている。子供の中ではシャロンが唯一心を許す相手だったと思う。
10代も後半になると、いじめも更に暴力的になり、誰もが逆らえないいじめの中心人物も親すら口出しできない何かになる。
いじめの中心人物はケヴィンとシャロンが仲がいいことを知っていたのだろうか? 隠れて話をしていたようなので知らなかったのかもしれないが、ケヴィンは命令されてシャロンを殴る。
立ち上がってくるな!というケヴィンの声が悲痛だった。立ち上がらなければ殴られないで済むのに、シャロンは何度も立ち上がって、ケヴィンは何度も殴ることになる。見ていて本当につらかった。
二章は、シャロンがいじめの中心人物を椅子で殴り、逮捕されるところで終わる。シャロン自身の痛みなどによる怒りはあるだろうけれど、それよりもケヴィンにあんなことをやらせたのが許せなかったのだと思う。今まで我慢をしていたけれど、ついにブチ切れたという具合だろう。
三章ですが。ここで、シャロンはとてもシャロンとは思えない姿になっている。本当のところ、最初はこれがシャロン?じゃないよね?と思いながら観ていた。一章、二章では細かったシャロンが筋骨隆々になっている。しかも、どうやら、フアンと同じ、麻薬の売人になっている。フアンのようなバンダナをしていて光るピアスをつけていたのは、彼になろうとしていたのだろうか。
二章から三章も何年後という表示は特にないけれど、おそらく15年くらい経っている。椅子で殴ったいじめの中心人物のことをもしかしたら殺してしまったのだろうか。何年間かは刑務所に入ったようである。刑務所の仲間からこの仕事を斡旋されたと言っていた。
筋トレをしているシーンもあった。体を見ればわかるが、だいぶ鍛えたらしい。もう自衛するしかないと思ったのだろう。そして、この姿になってからは人から虐げられることもなくなったと思う。
けれど、だからつらいことがなくなったかというとそういうわけではない。シャロンがこんな姿にならなくてはいけなかったその過程を思うと本当につらい。もちろん一章、二章もつらい面があるけれど、二章と三章の間の描かれていない部分が一番つらかった。想像する余地がありすぎたからかもしれない。
母親はというと、麻薬中毒患者の厚生施設に入ったようだ。ここもナオミ・ハリスが演じているが、一章二章では険しい顔をしていたが、一気に憑き物が落ちたような顔になっていた。やっと母親の表情になっていた。
ただ、謝られても今更でしょう…という気持ちにしかならなかった。過ぎた時間は帰ってこない。
「子供の頃に愛を与えなかったから、私のことを愛してくれなくてもいい」と言うセリフもつらかった。
それより何より、小さくなってしまった母親と、筋骨隆々にならざるを得なかったシャロンが並んでいる様子がつらい。
ケヴィンからも久々に電話がかかってくる。このあと、シャロンはケヴィンに会いに行くが、元の戯曲だと、三章は電話だけらしいので、映画ならではの膨らませ方をしているらしい。それで脚色賞をとったのだろうと思う。
筋骨隆々のマッチョな人物は、自分に自身があるイメージがある。シャロンはブラックとして仕事をしているときには強そうだったけれど、母親やケヴィンの前だと顔がうつむき加減でまさにシャロンのままだった。似ている人物が演じているわけではないけれど、魂はシャロンなのがよくわかる。
特にラスト、ケヴィンにおそるおそる想いを告白するシーンがよかった。切なさを感じたということは、外見が変わってもシャロンであると感じることができたということだ。ずっと描いているわけではなくても30数年間の気持ちがちゃんと伝わってきた。
演じているのはトレヴァンテ・ローズ。もともと陸上の短距離の選手だったらしい。
ケヴィンが働いている食堂に白人のお客さんがいて、これがこの映画で初めて出てきた白人だと思った。
なんとなく白人が黒人につらくあたることで差別を描いたりすることが多いと思うが、この映画ではあえて白人を出さない。それでも、過酷な状況がよくわかる。
むしろ、黒人のみのコミュニティとその中のシャロン一人にスポットライトをあてることで、伝わってくることが多かった。すごく近くで、一人の人生を見てきたような気持ちになった。
『レゴバットマン ザ・ムービー』
Posted by asuka at 12:24 PM
クリス・マッケイ監督。『LEGO ムービー』では編集をしていたらしい。
『LEGO ムービー』で度肝を抜かれたため、フィル・ロード&クリストファー・ミラーが監督でないのは残念。
ストーリー自体もつながっているわけではない。だから、別に『LEGO ムービー』を観ていなくても、本作だけで楽しめる。
けれど、根底に流れるものが同じなので、もしも本作を面白いと思ったならば、『LEGO ムービー』を後からでも観てみるとなるほどと思う面があるはずだ。
イギリスの古典『高慢と偏見』にゾンビを加えたら?というとんでもパロディがベストセラーになった『高慢と偏見とゾンビ』の作者セス・グラハム=スミスの名前が脚本と原案にあるのも驚く。
以下、ネタバレです。
『LEGO ムービー』と『ダークナイト』と『ダークナイト ライジング』についてのネタバレも含みます。
吹き替えは小島よしおが中心人物を担当していて、しかも持ちネタを入れてくるというので(別に小島よしおのせいではないけれど)許せないと思って字幕で観ました。
キャストは、ロビン役にマイケル・セラ、ジョーカー役にザック・ガリフィアナキス、前作から続投でスーパーマン役にチャニング・テイタム、グリーンランタン役にジョナ・ヒルとなかなか豪華。バットマン役のウィル・アーネットも続投です。
ただ、小ネタが満載で、わりとちゃかちゃかと画面が展開する部分が多いため、字幕を読んでいると拾いきれない。
歴代のバットマンのポスターとかメインヴィジュアルをレゴで模した画像があって、すごくよくできていそうだったのに、ちゃんと観られなかった。ソフト化された際には一時停止しながら観たいです。
それに小島よしおがそれほど悪くないらしいという話も聞いたので、ならば字幕版ではなく吹き替えでもいいのかもしれない。
ちなみに、もう一つのお笑い芸人、おかずクラブのほうが気になってしまうらしいが、私はおかずクラブを知らないから声を聞いても顔が浮かばないし気にならなそう。それに、ロビンほどメインのキャラクターでは無い。
バットマンについてはクリストファー・ノーラン版しかほとんどわからない。
『ダークナイト』では、ブルースはアルフレッドに引退をしたらどうかと言われていた。彼自身も引退をして、あとは新市長であるハービー・デントにゴッサムを託し、レイチェルとの結婚を考える。
本当のバットマンとかブルース・ウェインというキャラがどうなのかはわからないけれど、自警団をしつつ、素の姿、ブルースに戻ると一人きりというのは共通しているのではないだろうか。両親を幼い頃に亡くしているのは変わらないだろうし。
本作のブルースは一人きりの部分が強められていて、極度のさみしがりやである。しかし一人でも大丈夫!と強がる面もあったりと、かなり面倒臭い性格になっている。
そんな彼に絡んでいくのが孤児院の子供ディック(ロビン)とジョーカーだ。
ジョーカーとバットマンの関係については『ダークナイト』でも思っていたけれど、愛憎が入り混じっている。バットマンにかまってもらいたいジョーカー。彼を殺すことのできないバットマン。
本作ではこの面もより強められている。
序盤で、ジョーカーからの「俺のことライバルだと思ってるでしょ?」との問いに「別に」と答えるバットマン。ジョーカーは悲しくって目がどんどん潤んでくる(レゴですが)。もうそれが可哀想やら可愛いやら。そこで、ジョーカーからしたらバットマン憎さ100倍になってしまう。
ちなみにジョーカーの吹き替えが子安武人さん、バットマンの吹き替えは『レゴムービー』から引き続き山寺宏一さんである。観たい。
強いテーマとしては二つ。バットマンとジョーカーの関係と、孤独なバットマンが仲間と戦ううちに彼らと絆が作れるのかというところ。
『ダークナイト ライジング』でもブルースは最後セリーナ(キャットウーマン)とどこか外国に一緒にいる。それを見たアルフレッドが一安心したような顔をする。
両親を失ったブルースに擬似であれ家族ができるというのは、バットマンとしての行き着く先の一つというか、ハッピーエンドの一つなのだと思う。
中盤、ジョーカーのアイディアで、バットマンシリーズのヴィランではなく様々な作品から悪役が連れてこられて大暴れする。アベンジャーズ感がある。
ジャンルの違う悪者が入り乱れて暴れるのは某映画を思い出したけれど、タイトルを書くとその映画のネタバレになってしまうので書きません。ジョス・ウィードンっぽさとでも言ったらいいか。
キングコング、サウロン、グレムリン…。そして、ヴォルデモートも出てくるけれど、レイフ・ファインズはアルフレッドの吹き替えです。中の人ネタは字幕ではなかったけれどあったのだろうか?
またブリティッシュロボットと言われていて、何かと思ったら『ドクター・フー』のダーレクが! 字幕だと“知ってたらマニアック”という説明、吹き替えだと“お友達に聞いてみよう!”という説明だったらしい。どちらも名前の紹介はないが、かなり活躍していた。
この辺りはダーレクだけではなく、悪役たちのそれぞれの動きも一時停止をしながら確認して観てみたい。
いろんな作品から悪いやつが連れてこられるのは単純に楽しいのですが、もしかしたらこれって、ぼくのかんがえた最恐軍団では…と思ってしまった。
『LEGO ムービー』が、実は子供が遊んでいたというのが最後で明らかになるが、こちらも種明かしこそないものの、多分同じなのだ。
ゴッサムの地盤が脆いのも、実写ではなくレゴだからだ。子供なのか大人なのかはわからないけれど、手作りなのだ。
コンピューターと呼ばれているのがSiriなのも、外部の音源を使うという手作り感が表れている(ちなみに本物のSiriに、“Hey,computer.”とか“Do you like LEGO Batman Movie?”などと聞くと小ネタ回答を見ることができるとのこと。日本語でもオッケーらしい)。
子供の頃、作品の括りを無視して適当にその辺にある悪そうなキャラを混ぜてラスボスにして遊んだ記憶があるだろう。それである。
一応、すべてレゴで出てる作品から持ってきたのかな。『ドクター・フー』は出てますが。
要するに究極のごっこ遊びなのだ。
しかし、悪役をたくさん連れてくるから、バランスをとるために、正義側もバットマン一人ではなく、他のキャラにも手伝わせることにする。そうすると、自然にバットマンが仲間を得るというストーリーが出来上がる。
ごっこ遊びの果てに、バットマン自体の核心部分にうっかり迫ってしまう。
オチを考えてからそこに向かってストーリーを組み立てて…という手順を踏まない、自然に、遊んでいるうちにストーリーができてしまったような楽しさがあるのだ。
種明かしとして父子が出てきたりはしないけれど(そうしたら前回と同じになってしまうし)、前作を観たら想像のつくことである。前作の話の続きというわけではないけれど、スピリットは同じだし、レゴである意味と、バットマンを題材にした意味を同時に叶えているのが素晴らしい。よくできている。
クライマックスで大きな地割れができたときの解決方法もレゴならではだった。
レゴの人形の頭の髪の毛とか帽子をとると突起がでてくる。それを足と繋げる。人形を繋げて橋を作ってしまう。うっとりするような発想の柔軟さ。どんな遊びをしようと自由なのだ。
ラストではジョーカーも、バットマンに“I hate you,forever.”とはっきり言ってもらえてにっこり。「興味ない」が一番つらいものだ。
完全ハッピーエンドです。楽しかった!
ヴィゴ・モーテンセンがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたほか、多数の賞へのノミネートや受賞をしている。
監督は俳優としても活躍するマット・ロス。
森の中で暮らす家族が街へ出てきて…?という話。
以下、ネタバレです。
家族がバスで旅するロードムービーというと、『リトル・ミス・サンシャイン』みたいな感じかと思っていた。ポール・ダノっぽいポジションとしてのジョージ・マッケイかとも思っていた。
けれど、あちらが、バラバラだった家族が旅をしていくうちに結束が強まるのに対し、本作は元々仲が良かったけれど、旅で考えが変わる人物が出てくるのが違う。旅の終わりはゴールではなく、まさに邦題通り、はじまりである。
父親ベンと子供6人の家族は、森の中でキャンプのような暮らしをしている。ナイフで狩りをしたり、岩をのぼったりと過酷な生活に見えた。
母親いないようで、逃げてしまったのかと思いながら観ていたが、バスにスティーブという名前を書いていたのは母親のようだった。
話が進んで行くうちに、三ヶ月前までは母親も一緒に暮らしていたらしいことがわかる。10年前長男のボウが8歳の時に森に越したと言っていたので、詳しくは語られないけれど、下の方の兄弟たちは森で産まれたのだろうか。
また、母親が亡くなった知らせを聞いてみんな泣いていて、本当に悲しんでいるようだった。
母親と子供たちの触れ合うシーンは一切無いので、どれだけ愛してたかはよくわからないが、もしかしたら、意図的に出していないのかもしれない。
その母親のお葬式に出るために、家族はバスで出かけていく。
森の中で暮らしていた大人一人、子供六人のご一行だし、ベンは子供たちを文明から遠ざけて暮らしていたから、カルチャーギャップ・コメディのような面もあった。ただ、単に文明に触れて驚くというよりは、毛嫌いしている部分が多く見られた。
銀行に太った人がたくさんいる様子などは、森で訓練をしないでぬくぬくと都会で暮らしているから太るのだとでも言いたいようだった。
でも、それは監督が森で暮らそう!という意見を持っているわけではなく、あくまでもベンの意見である。
途中までは、森とは言わないまでも田舎暮らし推奨映画なのかなとも思った。
ベンが妹の家に行くのだが、妹はいたって普通に暮らしている。しかし、ベンは子供にもワインを振る舞う。普通は子供にも聞かせられないような、母の自殺や病状についての話も事細かに話す。
妹は、子供にその話は…とか、ワインは…とか、学校に行かせたほうが…と意見を言う。一般的な意見だと思うし、私も同じ考えである。ここで、森での生活最高というようなファンタジー映画ではないのだと気づかされる。ファンタジーならば、家族だけで森で楽しく暮らして行ったらいい。けれど、ちゃんと現実も出てくる。
でも、ここの家の子供が絵に描いたようなクソガキなんですよね。勉強もできない。だから、ベン一家の小さい子が本で蓄えた知識に負けてしまう。
これでは学校に行くのが素晴らしいとは言い切れなくなってしまう。
ただ、ここで最初に外の世界に触れた時にはベン一家、森での暮らしが勝ったけれど、長男のボウが外の世界である女の子と接した時には、そうはいかなかった。
女の子とキスをして、舞い上がって、結婚を申し込んでしまう。
映画としては、ボウのあたふたする姿が可愛いし、ジョージ・マッケイ好きとしては微笑ましいシーンだったけれど、彼は本当に傷ついていた。
8歳から18歳という思春期を外界に触れずに過ごしたのだ。
本以外の世界を知らないという怒りを父親であるベンへぶつけていた。
序盤、スーパーマーケットで、家族総出で万引きまがいのことをするシーンは頑張れと思ってしまった。映像の撮り方が本当にミッションっぽかったからかもしれない。
けれど、それも、母親の実家では咎められる。やはりファンタジーではなく現実なのだ。
ベンやベンの考える森での暮らしが絶対的に正しいわけではなく、違う方向へも目を向けさせる。意識の誘導というか、考えさせるつくりがおもしろい。
母親の実家での、望まぬ弔い方は許せないが、言っていることには一理ある。年齢的な面もあるのかもしれないけれど、レリアンはベンに反抗していた。
だから、屋根をつたってレリアンを助け出す任務は失敗しろと思いながら観ていた。スーパーマーケットの任務を観ている時とは私の気持ちが変わっていた。
ボウやレリアンはベンの考えについていけない部分もあったようだけれど、女の子たちや小さい子たちは何があってもベンを信じきっているようだった。
屋根から落ちて怪我をしても瓦のせいだよ!と言っているときには、まるで信者のようでちょっと怖かった。
それこそ、思春期の女の子たちが外界に触れていないと、一番近い男性が父親である。考えすぎかもしれないけれど、そこに恋のような気持ちはなかったのだろうか。
でも、別にベンも悪いと思ってやっていることではないのだ。自分が正しいと思っているのだ。
子供たちが外界と触れ合っていないということは、ベン自身も10年間は内向きになっていた。そこで凝り固まった思考が、今回の旅で外界と接し、人の意見を聞くうちに、溶けていく。
もしかしたら、自分は正しくないかもしれないと気づく。おそらくショックだったと思う。
自分は子供たちの人生まで台無しにしてしまうのではないかと、母親の実家(金持ち)に子供たちを預け、一人で消えようとするが、結局全員ついてくる。
この辺はちょっとあっさりしすぎかなとも思ったけれど、10年間嫌ってきた資本主義の権化のような家には子供たち自身も馴染めなかったのかもしれないし、やはりいろいろ意見はあっても父親のほうが大切なのだろう。
そもそも、愛する母親が、彼女の意見にそぐわない形で弔われているのだ。そんなことをした人たちの元では暮らせない。
それに、彼らにはその母親を救うというミッションも残っている。
最初、家族で教会に現れた時は、まるで、『卒業』のようだった。結婚式ではなくて、葬式だけど、さらいににきたのは同じである。
その時点では失敗してしまったけれど、キリスト教式土葬によって埋葬されているところを掘り出す。
母親の遺体をバスに乗せて、亡くなってはいるけれど家族がやっと揃ったシーンが良かった。墓をあばくなど普通なら非常識だけれど、このシーンはやはり家族側を応援した。
火葬するシーンで、母親の望み通りに歌い踊って弔うのが美しかった。歌う曲がガンズ・アンド・ローゼズの『Sweet Child O Mine』なのもいい。少し、『海賊じいちゃんの贈りもの』を思い出した。
ボウについてですが、大学へ行かせてあげたかったとは思う。けれど、父が髭を剃った電動カミソリを使って自ら坊主にした時におそらく覚悟をしたのだろう。
もう大学はいいよ、あなたについていくよと。
バスのミラー越しに、言葉は交わさずに「おう、髪切ったな似合ってるぞ」「お父さんも髭剃って似合ってるよ」と目だけで会話しているようだった。
大学に行かせるには金が無いと行っていた。ベンはそれを義実家に子供たちを預けることで解決しようとしていた。
けれど、結局子供たちは父親についていくことにしたのだ。大学行きはそのための犠牲になったのだろう。ナミビアへ行くのもきっと片道切符なのだと思う。
本作はボウ役のジョージ・マッケイ目当てで観たところもあったんですが、とても良かったです。常に必死で、でも出しゃばらず、表情だけがくるくると変わる。だから、大学に受かったことを報告しに行った時の激昂が胸に刺さった。
子供たちは全員良かったんですが、レリアン役のニコラス・ハミルトンが気になった。小さい頃のリヴァー・フェニックスにも似ている。テオ・トレブス系の顔です。
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