2016年公開『デッドプール』の続編。
監督は『ジョン・ウィック』、『アトミック・ブロンド』のデヴィッド・リーチ。
以下、ネタバレです。
R指定では『ローガン』の興行収入を抜いたというニュースが出てきていましたが、映画の最初から『ローガン』をライバル視していて笑ってしまった。これは、映画を先に観てから本当に抜いちゃったんだ!と思いたかった(日本では10日くらい公開が遅い)。
また、序盤からデッドプールの体がバラバラになって、「こういう映画ですよー、気をつけてねー」という注意喚起がなされていたように思う。
その他、Fワードなど下品な言葉も満載だし、ヘリコプターの羽根で体がバラバラになったりなどやりたい放題で、これはR指定じゃないと無理。
序盤から恋人のヴァネッサが殺されてしまう。悲しみに暮れたところでオープニングに入るけれど、それが明らかに007のパロディ。特に『スカイフォール』か『スペクター』あたりの悲哀に満ちた感じです。でも中に『フラッシュダンス』のパロディも入っていたりともう滅茶苦茶。でも、ウェイド(デッドプール)本人は本当に悲しんでいる。
自暴自棄になっているところを、前作にも出てきたコロッサスに助けられて“恵まれし子らの学園”へ。ここが出てくるということで、本作は思った以上にX-MEN要素が強かった。
前作では予算がなくて(と劇中で言われている)、コロッサスとネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドしかミュータントは出てこなかったんですが、今回は前作のヒットを受けて、デッドプールが「もっとちゃんとしたX-MENを出せよー」と言っている後ろにおなじみの面々が一瞬映る!
私はビーストしかわからなかったけれど、クイックシルバーやチャールズ、サイクロプスやストームなどもいたらしい。一時停止したいです。このために集まったというわけではなく、合成とのことだけれど、本作では予算があるのが暗に示される。
別の学園でミュータントの子供ラッセルが暴れているのを止めに行くんですが、そこで実は虐待されていたとわかって、デッドプールが汚れ役を買って出て学園の職員を殺し、ラッセルとともに収容所に連れて行かれる。
もうこのあたりで普通のいい奴というか、X-MENですよね。口は悪いけど。
ラッセルは収容所の中でもウェイドを慕うけれど、ウェイドは面倒がって遠ざけようとする。そんな中でケーブルという体が半分機械の強面の男がやってきて、ラッセルを狙う。今回のヴィランはケーブルなのかと思ったけれど、彼も彼なりに考えるところのありそうな根っからの悪人とはいえなさそうな人物だった。それはまるでサノスのような。
ちなみにサノスもケーブルも演じているのはジョシュ・ブローリン。タイムリーだしサノスネタはあるだろうとは思っていたけれど、「黙れ、サノス!」というセリフが出てきたときには笑ってしまった。
デッドプールは、ヴァネッサが遺した「子供があなたを成長させる」という言葉を信じ、ラッセルを救うためにメンバー集めをする。
ビル・スカルスガルド演じる強酸性のゲロを吐くツァイトガイストは制御するためなのか口に奇妙なマスクを付けていて外見がとても恰好良かったけれど大した活躍もなくて残念。
体が透明なバニッシャーは死ぬ直前に一瞬だけ姿が映って、あれ?ブラット・ピット?と思ったら、エンドロールに名前が出ていた。ご本人でした。
また、カメオ関連だとケーブルが最初に攻めてきたときに、収容所の監視係の二人が「ウェットティッシュでケツを拭いてから乾いたティッシュで拭くときれいになる」とかどうでもいいことを話しているんですが、これがマット・デイモンとアラン・テュディックだとか。気づかないって。マット・デイモンは『マイティ・ソー バトルロイヤル』に続き、クソカメオといった感じ。
バニッシャーもツァイトガイストも他のメンバーも全く役に立っていなかったけれど、強運というスキルを持つドミノは最高でした。御都合主義もパワーだからってことで納得できるし、ストーリーが止まることなく進む。ここがクライマックスというわけではないから、そこまで時間を割くことなく、テンポも良くなる。
そして、何よりドミノが恰好いい。
ラッセル奪還作戦は失敗するけれど、ケーブルはなぜラッセルを狙うかの事情を話しにやってくる。
未来のラッセルに家族を殺されたために、ラッセルが学園長を殺す前にラッセル自身を殺してしまおうとタイムスリップしてきたケーブルと、子供なんだから学園長を殺さないよう説得すれば大丈夫だ殺すのはやめろというデッドプールと、意見は異なっても学園長殺害阻止という目的は同じなので組むことになる。
ここでもデッドプールが意外にまともでいい奴だった。本当にX-MENである。亡くなったヴァネッサのおかげかもしれない。
ここからのジョシュ・ブローリンがとても恰好良かったです。
これでケーブルはヴィランではなくなった。ラッセルが解放したミュータント、ジャガーノート(『X-MEN:ファイナルディシジョン』に登場したキャラ。やっぱりX-MEN要素が強い)ももしかしたらラッセルを食うかなと思ったら、あくまでも子分に徹していた。学園長も人間のままで、この人が何かに変身でもしたらヴィランになるかなとも思うけれど弱い。ちなみに学園長を演じたのがエディ・マーサン。今までどちらかというと良い人や気弱な人の役が多かったと思うので意外だった。でもちゃんと憎たらしいし、やはりうまいのだと思う。
大人のラッセルがヴィランなのかもしれないけれど、別に未来から攻めてくるわけでもない。現代の子供ラッセルも凶悪というにはまだほど遠い。
一概にヴィランを倒すというわけではないのにちゃんとヒーローものになっているのは、ケーブルがラッセルを狙って放った銃弾を、デッドプールが身を挺して受け止めて代わりに撃たれるというシーンがあるからです。
ちゃんと子供を守った。しかもそのシーンがスローモーションで、しかも流れる曲が、ミュージカル『アニー』の『Tomorrow』。この場面でこの曲という組み合わせは意外すぎたし、本当にずるい。卑怯とも言える。しかも歌っているのがミュージカルでアニーを演じたアリシア・モートンというのもずるい(予算…)。
アニーもラッセルと同じ、孤児である。“明日になれば太陽は昇る”と明るい未来を信じるような歌詞で、それは現在の状況に絶望しているラッセルに、デッドプールというかウェイドが伝えたいことなのだろう。
こんなの泣いてしまうしかない。
本編中でもデッドプールがカメラに向かって「ミュージックスタート」と言えば曲が流れ出すし、「歌い出しが似てる。♪雪だるま作ろうはパクリだ」と話すシーンもある。前作もだが、音楽の力が最大限に発揮されている。
ウェイドはラッセルの代わりに撃たれて死んでしまう(なかなか死なないお約束ギャグもあり)。ケーブルはタイムリープを一度だけできるとのことだったので、きっと、未来に帰るのをあきらめてここで使うのだろうなとは思った。
しかし、奪ったコイン、ヴァネッサとの思い出の品をここで使うとは思わず、伏線がちゃんと回収された気持ちよさがあった。
また、映画の最初から仲間になりたいなりたいと言っていたインド人のタクシー運転手のドーピンダーが、逃げた学園長をはねる。これも、しっかりとした伏線回収だと思う。ラッセルに殺させるわけにはいかないし、デッドプールももう殺さないとヴァネッサに誓った。でも学園長は逃げ出そうとしている。
学園長は普通の人間だから、普通の人間であるドーピンダーでも対抗できるのである。ちゃんと活躍の場が与えられた。
最後、みんなが横並びで歩いていたけれど、人種も性別の様々、服装だって統一されていない。それでも仲間であり、ファミリーなのだ。
序盤で、デッドプールが本作はファミリームービーだと言っていてまたまたあと信じられなかったけれど、本当にそうだった。R指定ですが。
デッドプールなのに気持ち悪いくらいよくできている。誰にでもおすすめできるし、みんなで観よう!というキャッチコピーも納得した。R指定だけれど。
かといって、R指定をとってしまったら、デッドプールの良さがなくなってしまう。
良い話であることは間違いないけれど、良い話という大枠の中でR指定をやるわけではなく、R指定は全力でR指定、なのに見終わると良い話だった…となってしまうのがどういった作りなのかちょっとよくわからない。よくできているとしか言いようがない。
エンドロール後では、ネガソニックがケーブルのタイムリープに使う機器を直していた。なので、ケーブルも未来に帰ったのかな。その映像はなかったけれど、ヴァネッサは救っていた。次作(あるかはわからないけどヒットしたみたいだしありそう)で登場できるがどうなるか。
また、ライアン・レイノルズギャグの過去作へ出張していろいろ改変するという自虐ギャグも。
なんかもう、デッドプールだけでなく、ライアン・レイノルズ自体も好きになってしまった。キャラクターや演じている俳優を好きになる映画は良い映画。
アカデミー賞作品賞、シアーシャ・ローナンが主演女優賞、ローリー・メトカーフが助演女優賞、グレタ・ガーウィグが監督賞、脚本賞にノミネートされた。
ゴールデン・グローブ賞では作品賞と主演女優賞を受賞しました。他、様々な賞にノミネートされた。
グレタ・ガーウィグの自伝的な話とのこと。『フランシス・ハ』のスマッシュヒット後に出演依頼などが多数来るかと思ったら案外暇でその間に書いた脚本らしい。
以下、ネタバレです。
この映画の舞台が何年なのかはクレジットなど出ないんですが、彼氏の祖母の家にレーガンのポスターが貼ってあって、この映画も『エンジェルス・イン・アメリカ』や『アイ,トーニャ』のように80年代の話なのかと思った。しかし、ハッピーニューイヤーの場面で2003年のメガネをかけていたので違いました。
けれど、2003年なのに、いまだにレーガンのポスターを貼っているということでヤバさは際立った。レーガンを何年も引きずっているということで、超保守の祖母です。
レディ・バードというのは本名でもあだ名でもなく、自らこう呼んでと決めた名前である。それだけでもだいぶ痛々しい。
サクラメントという町がどの程度の田舎なのかはわからないけれど、その場所が嫌で、東海岸に逃げ出したくてじたばたしている女子高生の話。
グレタ・ガーウィグ脚本・主演の『フランシス・ハ』のフランシスも痛々しかったけど、本作も似ていたと思う。見栄を張るための嘘と、結局それに追い詰められる自分と。
あと、やはり男よりも女同士の友情のほうが信じられるあたりとか。ただ、『フランシス・ハ』ほど、友情面に重きは置かれていなかった。変な姿勢で二人でおかし食べながらオナニー談義するところとか、二人とも失恋して車の中で一緒に泣くところとか、結局男から離れてプロムでお友達と踊るところとか好きだったけど。このプロムの時の絶妙にセンスが悪いドレス、最高でした。自然体のほうがおしゃれで、気合を入れようとすると空回りする。
ちなみにこの友達役のビーニー・フェルドスタインはジョナ・ヒルの妹さんらしい。似てる!
友情面や恋愛面より、親子というか、母娘面に重きが置かれていた。脚本も最初は『Mothers and Daughters』というタイトルだったらしい。
この映画を観る前は、なんとなく自分にも思い当たる節のある映画になるのかなと思っていた。自分の青春時代を思い出してしまうかと思っていた。
18歳になったからと言いながら煙草とプレイボーイを買いに行くあたりでは、20歳になった3日目から煙草を吸い始めたことを思い出したりはしたけれど、母とあそこまで険悪になったことがないというか、家族とあそこまで密な関係になったことがないので、そのあたりでは自分の映画ではなかったかなと思ってしまった。
レディ・バードがサクラメントを恨みながらも小論文に事細かく書いてシスターに褒められるシーンで、「“注意を払う”と“愛情”は同じじゃないかしら」と言われていた。それはそのまま、レディ・バードと母の関係にも当てはまると思う。激しく衝突をするシーンがいくつも出てきて、最後のほうでは何日間も口を利かないというシーンもあった。
私自身は母と喧嘩をしたことがないわけではないけれど、そこまで衝突をしたことがなかった。家を出て随分経ってるから忘れてしまったわけではない。
母や家族との関係性がこの映画と私とで明らかにかけ離れているため、私の映画とは思えなかった。
もう少し、友情面や彼氏たちとの関係や恋愛面の痛々しさがフォーカスされていたら違ったかもしれない。
『勝手にふるえてろ』のヨシカの痛々しさは本当に私に似ていて、個人的すぎて感想が書けないくらいだった。『レディ・バード』についても同じような感じになるのではないかと思ったけれど、そこまでは抉られるような映画ではなかった。もっと抉ってきてほしかった。他人事になってしまった。
別に映画なんだし他人事でいいんだけど、キャッチコピーで“これは、あなたの映画”というのもあったし、そのつもりで臨んでしまったのだ。自分と似ている部分がないわけではなくても、家族や母娘関係が主題のようになっていたので、その面では入り込めなかった。映画が悪いわけではなく、私の映画に対する姿勢が悪かった。
それならそうと最初から言ってほしかった。別に親子ものが苦手というわけではない。どうせなら、グザヴィエ・ドラン作品っぽい気持ちで観たかった。
主演はシアーシャ・ローナン。髪が赤だかピンクだかに染めていて、でも根本に地の色が出てきてしまっていて、綺麗とは言えない感じになっていたのが逆におしゃれ。紫のネイルも時々剥げていてリアルだった。服装もどれもこれも可愛かった。
一人目の彼氏がルーカス・ヘッジズ。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされていた。『スリー・ビルボード』にも出ていたし、作品のチョイスが素晴らしい。
彼が演じるダニーの祖母がレーガンのポスターを貼っている超保守です。しかも家の感じから、金持ちだし、おそらく一族を牛耳っていそうだし、逆らえないのだろう。家族も敬虔なクリスチャンなのだと思う。しかし、ダニーはゲイだった。こんな超保守がいる中でゲイなのは辛かろうと思う。
たぶんそれがわかっているレディ・バードも、彼を責めてはいなかった。
ダニーは、本当はレディ・バードのことを好きになれたらいいのにと思っていただろう。気持ちには答えようとしてくれていたのだと思う。それでも、恋愛対象が同性であることは変えられなかった。仕方ないのだ。彼の将来に幸あれ。
どちらかというと、この彼との関係に焦点を当ててほしかった気もする。でもそうしたら『わたしはロランス』みたいになるだけかも。
二人目の彼氏役カイル役にティモシー・シャラメ。
ベースを弾いている姿からすでにかっこいいけれど、常に気怠げ、笑わない。クール。しかし話す内容は、携帯電話のGPSで政府に管理されてるとか、煙草は自分で巻くとかわりといけすかないことばかり。色気のあるイケメンだけど、高校生なのにすでに6人かそれ以上(カウントしてないと言っていた)と経験を持っているという…。レディ・バードはそれを知らずにその人と初体験をしてしまう。
彼氏役の二人は旬の俳優を揃えたなという感じ。ミーハー目線で見るとどちらも出てきているのは嬉しい。できれば対立するシーンなどもあるとよかったけど別々です。旬ゆえか。
ルーカス・ヘッジズは誠実さも見えるいい役だったけど、ティモシー・シャラメは本作ではほとんどギャグ要員ですね。
『ファントム・スレッド』
Posted by asuka at 10:10 AM
アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、作曲賞にノミネート。衣装デザイン賞は受賞。その他、様々な賞にノミネートされました。
監督はポール・トーマス・アンダーソン、主演はダニエル・デイ=ルイス。このコンビでよく映画が撮られているのかと思っていたけれど、2007年の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来ということで結構間が空いていた。ちなみに本作も『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と同様、音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。アカデミー賞にもノミネートされたということで、映画音楽面も評価されてきている。
以下、ネタバレです。
舞台は1950年代…ですが、そこまで年代は関係ないように思った。
女性がインタビューを受けているシーンから始まり(実際にはインタビューではなかったが)、やはりインタビューで過去を振り返る形式は最近の流行りなのかなと思ってしまった。
一人なのと、それでも満足げに話しているのが気になった。
どのようなストーリーなのか、服飾業界の話という以外は情報を入れずに観たんですが、ダニエル・デイ=ルイスがデザイナー役で、ポスターに載っている女性のことを執拗に愛して、束縛するように自らのデザインした服を着せているのだと思っていた。
しかし、観始めてみれば、ダニエル・デイ=ルイス演じるレイノルズには妻のような女性がいて、しかも姉が一緒に住んでいて、家での実権は姉が握っている。ここまで見て、レイノルズはやり手だけれど、人間らしい心は失っているのだな…と思った。
しかし、レイノルズの朝の身支度シーンだけでも本当に美しかった。全く隙がなく華麗だった。その様子からも人間味は感じられなかった。完璧すぎる。
彼は姉にすすめられてリフレッシュのために田舎に出かけ、そこでウェイトレスをしているアルマに出会う。これがポスターの女性だった。ヒロイン登場。
ちょっとドジをしちゃっているところを微笑ましそうに見ているレイノルズと、注文を取りに来るアルマ。二人のやりとりから、これが恋に落ちる瞬間なのだなと思った。
アルマはレイノルズの家にいた女性とも違い、素朴な印象だったので、きっとレイノルズが彼女を蝶にするような展開があるのだろうし、レイノルズは彼女との出会いをきっかけにして、人間らしさを取り戻していくのだろうと予想した。しかし、そんな単純なラブストーリーではなかったのだ。
その日のディナーの席で、レイノルズが濡らしたナプキンでアルマの口唇を拭って、「本当の君を見せて欲しい」と言うシーンもぐっときた。
しかし、その後に家に行っても、キスもセックスも無し(描かれていないだけではないと思う)。レイノルズはアルマを採寸し始める。しかし、デザイナーの彼からしたら、もしかしたら最大限の愛情表現なのかもしれないとも思った。指などがセクシーで、採寸シーンが性的に撮られていたからかもしれない。もしかしたらこれは、普通のラブストーリーでいうセックスシーンの暗喩なのではないか。
そう思いながら観ていたが、そこに姉が来て、採寸した数字をノートに書き始めていて、これは本当に採寸でしかないのだと思った。
この後、レイノルズはアルマのサイズで次々にドレスを作り始める。レイノルズはアルマの体…というより体型に夢中なようだったし、アルマも今まで好きではなかった体型を認めてもらえて嬉しそうだった。しかも、オートクチュールのデザイナーの特別な存在になれたのだ。やはりこれはこれで、二人は恋愛関係なのかもしれない。
アルマを演じるヴィッキー・クリープスは顔は地味目なんですが、そのせいか、ドレスを着るとすごく映える。マーク・ブリッジスによるアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しているドレスだからかもしれない。ウェイトレス姿からは見違えてしまう。ドレスはどれも美麗だし、着ている人物に合っていた。
ドレスを丁寧に扱わなかった女性に対してアルマは行動に出るのですが、レイノルズはそれが嬉しかったらしく、彼女にキスをする。彼と彼女の間にはドレスを一枚挟んでいるのだと思うけれど、それでも関係は深まっている。しかし、そう思っていたのはアルマと、映画を観ていた私だけだった。
アルマはレイノルズの姉に、夕飯を作って待っていて、二人で食べるというサプライズをしたいから夜出かけてきてくれないかと提案をする。姉はサプライズなんてやめておけと警告をするが、アルマは押し切る。
アルマの気持ちは本当によくわかる。姉がいつも家にいて三人で一緒にご飯を食べるなんておかしいと思う。いつもとは言わなくても、たまには二人きりで、しかも腕をふるってちょっと特別なディナーにしてもいいじゃないか。きっと彼も喜んでくれる。だって、彼も私を愛しているから。
きっとサプライズで彼の氷の心も瓦解するのだろうと思っていた。しかし、結局は姉の言った通りになってしまう。姉はいつ帰ってくるのかとしきりに聞くし、料理にも文句をつける。内面は全く見てもらえてなかった。結局、ただのマネキンでしかなかった。
姉と、亡くなった母の亡霊を近くに置いて、周囲の女性はついて来られなくなったら入れ替えるということを続けていたのだろう。独身主義と言っていたけれど、ただのマザコン、シスコンである。
この人を愛しても幸せになれないと思った。私ならもう出て行くね…と思っていたらアルマは驚くべき行動に出る。なんと、毒キノコをすりつぶしてレイノルズのお茶の中に混ぜるという…。
映画を観ていて、この時点まではアルマに共感していたのに一気にできなくなったし、映画自体もこの辺りからカラーが変わっていく。
本当ならば、田舎のウェイトレスがカリスマデザイナーに見初められて…などというのは正統派ラブストーリーである。もちろん、観客が感情移入するのもウェイトレスです。人間味のないデザイナーはサプライズのあたりで元ウェイトレスを愛し始める。普通の流れならこうだ。
しかし、元ウェイトレスの行動のせいで、観客は置き去りにされて、誰にも感情移入できなくなってしまう。
しかし、ここからがこの映画の真骨頂とも言える。
前半でファッションショーの後で気を張りすぎたレイノルズが倒れて数日間使い物にならないというシーン、「そんな彼は赤ちゃんみたいで可愛いんですよ」なんてアルマがインタビュー(ではないんですが)で話している描写があった。普段とはまったく違う姿で、しかもその姿は自分だけが知っているというのは嬉しいものである。それに、自分を頼りきっている。
毒キノコでも同じような状況が作られた。しかも、寝込んでいるのとは違って、生死の境をさまよっている(とレイノルズは思っている)。仕込んだアルマは死なないことはわかっている。
それで、あっさりレイノルズは籠絡されちゃう。年のせいもあって死のことも考えたのだろうか。心が弱った時にそばにいてくれた人を大切に思う気持ちもわかるし、それはPTA監督の実体験でもあるという。結局、献身的に看病してくれたアルマと結婚することになる。看病する原因を作ったのもアルマ自身なので、作戦成功大勝利ですよ。
ここから、レイノルズはアルマのことをどんどん愛していく。骨抜きにされてしまう。
年齢差があるから、彼女に若い恋人ができるのではないかと気にもしているようだった。前半の彼からは考えられない。
また、アルマのことを見る回数が明らかに増えている。大晦日にアルマがダンスをしに行きたいと言って、レイノルズが断り、アルマが一人で出て行ってしまったときは、信じられなさそうに何度も出て行ったドアを見ていた。え? 俺を置いて? 一人で?といった感じに何度もだ。
そんな仕草も前半にはなかったけれど、なんと、嫌だと言っていたのに会場まで迎えに行く。ダンスこそ踊らないが、楽しそうに踊るアルマを見て、涙を流す。アルマの手を引いて帰る。そんな行動もすべて、前半からは想像できない。
アルマはアルマで、このあたりだともうレイノルズの心を手に入れたことがわかっていたのだろう。だから、出て行ったのだと思う。迎えに来ることもわかっていたに違いない。
レイノルズはそんな調子なので、仕事も手につかなくなってくる。スタッフが辞めていくし、姉も心配する。前半を観ていた限りだと、姉が怪物に見えた。恋人と二人の場面にも同席しているし、いちいち口出ししてくる。
でも、本当の怪物はアルマだったのだ。
好きな人になってしまいたいタイプの恋愛が描かれた作品はいくつかあるが、本作はそれから派生した感じで、好きな人を頭から呑み込んで体を肥大させた蛇のようになってしまう恋愛だと思った。好きな人になってしまいたいわけではなく、自分は自分のままで、でも好きな人はまるごと自分の中に取り込んでしまいたい。逃げられないように動きを止めることも忘れずに。
この映画には裸などは出てこないし、直接的なエロのシーンもない。それでも、とても官能的に撮られている。
綺麗なドレス、食器や階段の柵、食事、音楽、そのすべてが上質なのに、そこに描かれている恋愛だけ歪というアンバランスさにぞくぞくするのかもしれない。
一番性的だと思ったのは、最後のオムレツを作るシーンである。例のキノコ入りのオムレツを作る様子が上から撮影されている。このキノコをまた食べさせるというだけでも不気味だけれど、更に、レイノルズが嫌いだと言っていたバターをふんだんに使う。フライパンの上で溶けるバターがあんなにいやらしく見えたのは、ただオムレツを作るシーンを映していても、そこからレイノルズとアルマの気持ちが見えるからだ。
最後のあたりだと、もう完全にアルマがレイノルズを支配していた。嫌いな材料+毒でも私が作ったんだから食べるわよね?といった具合だ。もちろんそんなセリフはなく、おいしそうなオムレツを渡すだけ。
レイノルズもなんとも言わないし聞かないけれど、毒キノコなのもわかっていたと思うし、前に具合が悪くなったときもこのキノコを食べさせられたのだろうなと察したと思う。それでも拒まないのは、彼女のことを愛しているから。レイノルズ自身が倒れることを望んでいたかはわからないけれど、アルマがそれを望むなら従おうという気持ちはあったと思う。
オムレツを口に含んで、食べている音とごくんと飲み込む音までちゃんとさせていて、もう普通のラブシーンの数倍性的に見えた。
インタビューかと思っていたけれど違うのはラスト付近でわかる。倒れたレイノルズのために医者が来たのだ。アルマが序盤に一人で話していたのは、レイノルズのことを殺したか、死んでしまったかかなと思っていたけれど違った。
また、この医者とアルマの関係は結婚後に疑われていたし、私も、レイノルズを籠絡するだけしたら、もう放っておいてアルマは新しい別の男のもとへ行ってしまうのかと思った。
しかし、彼女はレイノルズのことを愛しているし、これからも愛し続ける。愛しているから死なない程度の毒を盛ったのだ。それに、映画の最初の方で話す彼女の顔はとても満足気だった。恍惚とした顔にも見えた。現在の状況(レイノルズが倒れている)が満ち足りているのだ。だから、他の人など愛さない。
エンドロール前、アルマの前にレイノルズがきりっと立膝をついて、採寸してあげているシーンがあった。おそらく、ありえたかもしれない未来だろう。よほど健全に見えた。ベビーカーを押すアルマがそのベビーカーを姉に預けて、レイノルズと二人で出かけるというのもありえたかもしれない未来だった。
しかし、健全なのが良いのかというと決してそうとも言い切れない。少なくともアルマは満足そうだし、レイノルズだって、母の亡霊から解き放たれて、アルマに依存して生きるのは幸せなのかもしれない。
でも、亡霊に突き動かされながら、美麗なドレスを作って称賛されて、力尽きて数日間使い物にならなくなって…ということを繰り返し、魂を削りながら創作し続けるのも幸せは幸せではないかなとも思う。
もう外部からは理解できない関係になっているのだろう。嵌めたほうも嵌められたほうも狂っていて、最後にはお互いが相手無しでは生きられないような関係になっていた。後戻りもできないし、代わりもきかないのだ。
だから、上質な映像と歪な恋愛はアンバランスだと思ったけれど、むせかえるような濃厚な二人の関係と、押し寄せる美麗な映像という面では合っている。
アルマの話を聞いていた医者は若干引き気味の顔をしていた。最後まで観てわかるのは、観客が映画の中で自己投影する存在はアルマではなく彼だった。もう、見ている観客すら入り込めない関係になってしまっていた。
ダニエル・デイ=ルイスは本作で引退とのことで非常に残念。これまでも演技のうまい俳優だとは思っていたけれど、今回は特に素敵だった。前半の身なりをびしっとさせた姿も素敵でしたが、後半の御髪が乱れっぱなしの弱々しい姿もそれはそれで素敵だった。
元々靴職人でもあるらしいけれど、今作のために洋服作りを一年間学んで実際に作れるようになったらしい。それで、引退後はファッションデザイナーを目指すという記事も出ていて驚いてしまった。採寸してもらいたい。
ジョニー・グリーンウッド、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の時にはもっと不気味な音楽だったと思うけれど、今回は流麗で美しかった。両方とも映画に合っているということなのだろう。
しかし、中盤のキノコをすりつぶしているシーンと、大晦日にダンスに行きたいとアルマが切り出すシーンは、ちょっと怪しげというか、妙な音楽で、これこれ!と思ってしまった。今回はアカデミー賞を逃してしまったけれど、いつか受賞するかもしれない。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』
Posted by asuka at 1:56 PM
2017年公開(フランスでは2016年公開)。ケン・ローチ監督。
『フロリダ・プロジェクト』を観たときに、『アイ,トーニャ』『ボストン・ストロング』と続けてホワイト・トラッシュが扱われた映画を観ていると思ったけれど、本作もまた、イングランド北部の貧困地域の問題が取り扱われている。
本作は第69回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したが、先頃発表された第71回のパルム・ドールは是枝裕和監督の『万引き家族』で、まだ公開されていないので観ていませんが、おそらく日本の貧困家庭について描かれていそう。
これだけ立て続けに公開されていると、もう無視できないテーマなのではないかと思う。
舞台はイングランド北部のニューカッスル・アポン・タイン。
ここに住む初老の男性ダニエル・ブレイクは、心臓発作で仕事を辞めざるをえなくなる。しかし、役所の融通がきかずに支援が受けられない。
医者に働くなと言われているのに、働けるから求職活動をしろと言われたのはなぜなのだろう。見た目で元気そうだと思われたのだろうか。オンラインで申請しろと言われても、全員がパソコンを使えるわけではない。ダニエルは大工だったようだし、パソコンなど使ったこともない。かといって、役所の女性が教えてあげるのも注意されていた。前例を作るなということだろうか。
役所には役人たちの融通の利かなさに苦しめられる市民がたくさんいて、シングルマザーのケイティもその一人だった。
ダニエルとケイティは交流を持ち、互いに助け合う。ダニエルは妻を亡くしていて孤独だったので、ケイティのみならずケイティの子供達との絆が持てたのも良かったと思う。ケイティも、子供の面倒を見てもらって助かっているようだった。
ダニエルが住んでいる場所は隣の黒人の若者が偽物(おそらく)のスニーカーの売っているなど、あまりいい場所ではない。
ニューカッスル自体も、造船業が廃れ、炭鉱が閉山した余波がまだ残っているようで、失業率も高いらしい。
フードバンクに長蛇の列ができている描写も出てきた。
ここでケイティがもらった缶詰を思わず開けてその場で食べてしまい、「ごめんなさい、空腹で…」と泣くシーンがつらかった。その前に、子供達に食事を与えて、「私はさっき食べたから」と言っていて、多分食べていないんだろうとは思っていたけれど、こんな形で伏線が回収されるとは思わなかった。
また、フードバンクに生理用品がないというのも盲点であり、厳しいところだ。生活必需品である。
結局ケイティは、スーパーで生理用品を万引きしてしまうが、それがバレてしまう。そして、セキュリティの男性に紹介された仕事が売春だったというのは悪い方向へ悪い方向へどんどん転がっていってしまうのが見て取れた。
女性の貧困家庭の場合、最終手段として体を売るしかないのだろうか。『フロリダ・プロジェクト』でも出てきただけにきっと、よくある話なのだろう。『そこのみにて光輝く』も思い出した。
そもそも、ケイティが支援を受けられなかった原因が、バスを間違えて役所に着く時間が遅れたからだった。越してきたばかりで右も左もわからない。ましてや小さい子供が二人もいる。少しは考えてほしい。
きっと役所の人たちは生活に困窮している人々をどこかで馬鹿にしているのだろう。一人一人に向き合うということは一切していない。決められた規則通りにやるだけなら機械にでもやらせたらいい。人間がやっているのだから、しっかり話を聞いて、対応することができるだろう。
映画で描かれているのはわかりやすい問題提起である。どうにかしてくれ、どうにかしろよという怒り。『フロリダ・プロジェクト』もそうだったけれど、知らなかった実態を公にすること。これは映画の役割でもあると思う。
『ボブという名の猫』も貧困について描かれているけれど、あの映画は猫が現れて救われるという実話とはいえおとぎ話に近いものだった。大抵の人には救世主の猫は現れないのだ。奇跡が起きないと貧困から抜け出せないなんてことはないはずだ。
ダニエルは怒りのあまり、役所の壁にスプレーでメッセージを書いてその前に座る。けれど、市民はそれを奇行とは思わない。むしろ、歓声が上がってもっとやれ!といった具合で盛り上がる。酷い目に遭わされているのは、ダニエルやケイティだけではない。みんななのだ。
ケイティがダニエルに紹介した仲介の男性もまた車椅子だった。障害者も苦労していると思う。おそらく彼はその経験を元に仕事をしているのだと思う。
結局、うまくいきそうなところで、ダニエルは心臓発作で亡くなってしまう。最初から心臓発作だったのだから、危ういとは思っていたけれど…。
けれど、彼は壁のペイントにも、手紙にも“私はダニエル・ブレイクだ。”と書いていた。役所の人間にとっては処理するべき面倒臭い案件の一つなのだとしても、一人の人間なのである。
貧困の中でも、尊厳は守られていた。
だから、映画を見終わった後で、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(原題も『I,Daniel Blake』)というタイトルを観るとその力強さに泣きそうになる。
『アイ,トーニャ』もそうでしたが(奇しくもタイトルも!)、そこには怒りとプライドがある。
“4Kデジタル修復で美しく蘇る”とのことですが、そこまで綺麗!という印象も受けなかったけど、元のものと見比べてみないとなんとも言えない。また、年齢制限があったのかどうかはわかりませんが、無修正版でした。股間にぼかしが入っていなかった。
もともとの『モーリス』は1987年公開。ジェームズ・アイヴォリー監督・脚本ということで、彼が先日のアカデミー賞で脚色賞を受賞した『君の名前で僕を呼んで』も公開したばかりなのであわせて観たい案件。
公開時には観ていないのですが、おそらく今観たほうが、同性愛関連の文脈のようなものがわかっているので理解が深まった。
イングランドでは同性間のシビルパートナーシップが認められたのが2004年、同性婚法は2013年に制定、2014年施行。
同性愛の非犯罪化は1967年とのこと。
映画の舞台は1910年代なので、まだまだ犯罪とされていた時代だし(映画のセリフで出てきますが、この時代、フランスやイタリアでは違法ではなかったらしい)、路地裏でキスしようとした子爵が捕まって、鞭打ちの刑に処されていた。そんな姿を見せられたり、新聞の一面に犯罪者として載ってしまったら、同性愛者本人たちも、自分たちが異常なのではないかと考えてしまう。
現在のように権利を求めて声を上げるということができない時代なのだ。犯罪と言われてしまったら、声をひそめているしかない。
モーリスはケンブリッジ大学でクライヴに出会って、互いに惹かれ合う。片方が同性愛者で、片方が異性愛者だとそこでも問題が起きそうだけれど、二人はちゃんと惹かれあっていたし、幸せそうにも見えた。
しかし、知人の子爵が同性愛で捕まってしまう。それを見て、怯えたクライヴはモーリスから離れていく。惹かれあっていても、時代に引き裂かれてしまう。
クライヴはその後、何もなかったように女性と結婚していたけれど、本当に異性愛者になったのだろうか。モーリスとの関係はただの若気の至りとして片付けられるものだったのだろうか。モーリスに対して、女性と結婚するんだろ?みたいに聞いていたのも本心で、それを祝福する気持ちも本心だったのだろうか。
クライヴは妻にキスするシーンはあるけれど、セックスシーンはなかった。ちゃんと妻と関係を持てていたのか気になる。子供ができる描写もなかった。
クライヴがそんな風になってしまったから、モーリスは混乱するわ辛いわで、同性愛を治すための治療を受けることにする。やはり彼も、世間の流れと、クライヴがそうなったことで、間違っているのは自分だと思ってしまうのが悲しい。今ではあり得ないことである…とは言いきれないことなのかもしれないけど、今はその時代よりは生きやすくなっているのではないかと思う。思いたい。
治療というのが催眠療法なのがまたすごい。けれど、アラン・チューリングが性欲を減退させるホルモン治療をやらされていたのが1953年なので、1910年からまったく進歩していない。現在から考えると、信じられない。けれど、これも国によってはまだ違法のところもあるみたいだし、なんとも言えない。
また、モーリスはクライヴの家の使用人のアレックと関係を持つが、それでもアレックのことが信じられない。恐喝されるのではないかと怯える。時代がそうだと、自分のことはもちろん、他人の愛情すらわからなくなってしまうというのも悲しかった。
ボートハウスで待っていますという手紙を貰っても、罠ではないかと疑って出向かない。
そこでアレックも時代に流されるようにして、モーリスを想う気持ちを捨ててしまったらもう誰一人幸せになれなかったと思う。アレックは身分が低いせいもあるのか、世間体をまったく気にしない猪突猛進型で、これくらいの人物がいないと時代だけが勝ってしまう。
アレックはモーリスの仕事場にも押しかける。でも、これくらい強引にしないと、時代や周囲の言葉を信じて自分が間違ってると思い込んでいるモーリスには伝わらない。それに、やはり最愛のクライヴがああなってしまったことが一番ダメージが大きかったと思う。クライヴが好きだったのだし、彼の生き方が正しいと信じるしかない。だから治療も受けて、同性愛を治そうとした。治るものだとも思っていたのだろうし、治らないから、自分はひっそり暮らしていきたいみたいな気持ちもあっただろう。
だから、観ている側としては、アレックを応援してしまっていた。
仕事をすっぽかしてアレックと一夜を共にしたモーリスが、地位も名誉も捨てると言ったときには、やっと時代に愛が勝ったのを感じたし、ブエノスアイレスに移民としてわたる船にアレックが乗っていなかったのでハッピーエンドを信じた。
モーリスがアレックと一緒になるとクライヴに告白しに行ったときに、クライヴはどう思ったのだろう。さみしそうではあった。でも、未練というよりは、過ぎた日を懐かしむような顔をしていたので、彼の中での決着はおそらくついているのだろうと思った。彼は議員になるようだったし、地位も名誉も世間体も捨てられなかったのだ。その生き方を選んだことも、後悔はしていないのだと思う。
アレックは猪突猛進型だけど、何をしでかすかわからない危うさもあったので、中盤で銃を持ってうろうろしているときにもモーリスを殺すんじゃないかと思ったし、最後のボートハウスでも、もしかしたらモーリスが辿り着いたら時すでに遅しみたいに自殺してたらどうしようと思ってしまった。
でも、寝ていただけだったし、ちゃんとモーリスもボートハウスへ行って二人が会えたので良かった。
映画は二人がボートハウスで抱き合うシーンで終わるので、この先どうなってしまうのかはわからない。
良かったとは思うけれど、アレックはモーリスの家に電報を送ったみたいだし、それが家族に見られていたら、どうなってしまうのだろう。家族も理解があるのだろうか。
アレックの家族も探すだろうし、地位も名誉も捨てたモーリスはどうやって生きていくのかと考えると、やはり中々明るい未来とも言えないのかなとも思ってしまう。
一概に良かった良かったと思えるラストではないけれど、時代に阻まれても、それに抵抗しつつ、好きな相手と結ばれるというのはハッピーエンドはハッピーエンドだと思う。
クライヴを演じたヒュー・グラントが美しかった。特に、大学時代のクライヴは飄々としながらも、色気があった。
アレックはなんだかハリー・スタイルズを野暮ったくした感じというか、昔風ハリー・スタイルズにも見える可愛い系の顔で、演じている俳優さんの名前を見たことがある…と思っていたら、『SHERLOCK』のレストレードでおなじみ、ルパート・グレイヴスでした。それをふまえた上でもう一回観たい…。
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
Posted by asuka at 7:54 PM
ウィレム・デフォーがゴールデングローブ賞、アカデミー賞にて、助演男優賞にノミネートされました。
監督はショーン・ベイカー。以前、全編iPhoneで撮影した作品もあったらしいですが、本作は35ミリフィルムらしい。一辺倒ではない撮影方法にこだわりが感じられる。
『アイ,トーニャ』『ボストン・ストロング』(は違うかも?)と、ホワイト・トラッシュものの映画を続けて観てしまった。
モーテル暮らしの貧困層の親子を中心にして、そのモーテルの住民たちと管理人の生活が子供の目線で描かれている。
以下、ネタバレです。
撮影方法にもこだわりが感じられたけれど、色彩の鮮やかさにもこだわりがありそうだった。舞台となるモーテル自体も薄い紫色でかなり目立つ。もともとこの色の建物というのもすごい。
子供目線だからなのか、貧困でもさほどつらいとか苦しい面が全面に出てこない。色彩の鮮やかさも、もしかしたら子供たちにはこう見えるという表現なのかもしれない。
建物も可愛い形のものが多かった。動かないカメラが可愛い形の店を映し、その前を子供たちが悠々歩くのは、貧困であえいでいるとは思えない。楽しく暮らしているように見えたし、実際、楽しかったと思う。
子供たちは、彼らの世界の中で毎日冒険をしている。車に唾を飛ばすとか、レストランの余り食材を貰うとか、アイス屋さんの前で家族に小銭を恵んでもらってただで食べるとか、やっていることはロクでもないけれど。中盤では空き家の暖炉にクッションをつめて火をつけ、結果的に家を焼いてしまった。それを含めて、毎日が楽しくて仕方ないという様子だった。
それでも、大人たちはそうはいかない。
モーテルは月1000ドル、一日38ドルだったようだが、これも払えない。主人公ムーニーの母のヘイリーは失職してしまい、金がないのだ。おそらく職がないから賃貸住宅も借りられない。
偽物の香水を売りつけたりと、タフでもあると思ったが、結局どうしようもなくなって、部屋で客を取り体を売り始める。
ムーニーが一人で風呂に入るシーンが何度も出てきた。不自然なくらい何度も出てくるので、何か意味はあるんだろうと思いながら観ていた。そういえば、ヘイリーは何してるの? 子供と一緒に入らないの?と思ったら、その時間に部屋で客を取っていたという…。
それも、管理人のボビーが部屋に入っていくのをちょこっと目撃したりと、少しずつ事実が明らかになっていくのが作りとしてうまい。
また、それが完全にわかるシーンも、男の人が風呂というか、ユニットバスなのでトイレに入ってきたときに、「げ、子供がいる」という声がするだけで、そこでもちろんムーニーはぎょっとした顔をしてたけど、直接行為を目撃するわけでもないし、男性を直接映さないのもうまいと思った。
貧困ものだと事件に巻き込まれたり、誰かが亡くなったりするかと思ったけれど、そのようなショッキングシーンはない。
カメラも必要以上に動かないし、音楽もほとんどない(登場人物はギャングスタ・ラップのようなものを聴いてるけれど)。
過剰な説明もない中で、カメラはつぶさにムーニーの日常を描写する。子供が主人公ということもあり、ドキュメンタリーにも見えてしまった。天真爛漫に暮らしているようで、ほのぼのしたり、汚い言葉に笑ったり(わざと嫌味っぽく丁寧語になったりする日本語訳がうまいと思った。字幕は石田泰子氏)していた。しかし、観ていると少しずつ状況がわかってくる。
最初から破綻しそうなぎりぎりのところにあった生活が、結局、最後には破綻してしまう。
ヘイリーは逮捕され、ムーニーは児童家庭局の役人に連れていかれる。
もう完全なバッドエンドでまあそうなるよな…とも思う、予想できたラストなんですが、映画ではここで驚くべきことが起こる。
友達のジェンシーの家の前でムーニーは泣きじゃくる。ここまで一回も泣かないのに、ここですべてを把握して大号泣する。
ムーニーはジェンシーに別れを告げに来たのだが、ここでジェンシーがムーニーの手を取って走り出すんですね。で、初めて音楽が流れ出す。なるほど!このためにここまで音楽を使わなかったのか!と思った。ドラマティックでめちゃくちゃ効果的だった。それに、カメラも二人が走っていく後ろを追いかけていく。ここまで静かに動かず、ほとんど傍観するように映していたカメラが、だ。
二人が辿り着いたのはディズニーランドというのもまたいい。チケットなど持っていないだろうし、入場で止められることもなかったので、これはファンタジー描写である。おそらく、音楽が流れ始めたあたりから、すべてファンタジーなのだと思う。
それでも、最後に魔法を観せてくれるのはとても映画的だと思うし、現実逃避だとしても、ラストで急に大人視点になって暗く終わらなくてよかったと思う。
決して明るい話ではない。でも、もう問題自体はわかったのだし、最後に急に現実に戻されてもがっかりしてしまう。映画の素晴らしさがわかる、最高のラストだと思う。邦題のサブタイトルも納得である。
ちなみに、モーテルにディズニーランドのホテルだと思ったらハネムーンの観光客が紛れ込んでしまう描写はあるけれど、このモーテル、マジック・キャッスルが実際にディズニーランドの近くにあるというのは映画後に知った。
また、ディズニーランドが近いから、周辺に可愛らしい形のお店も多いのだという。
そういえば、近くのホテルのオーナーが変わって値上がりしたというエピソードがあったが、インド人女性がオーナーで流れている音楽もインド音楽だったことから、本当に内部が入れ替わってるのがわかった。彼女が牛耳っているのが、説明は無くとも伝わってくる。(が、モーテルがディズニーランドの近くというのはわかりませんでした…)
ウィレム・デフォーは助演男優賞にノミネートされていたけれど、納得の演技だった。今まで怖かったり、駄目男だったりが多かったイメージだけれど。
貧困層の親子が中心なら親子だけでも良さそうだけれど、このモーテルの管理人ボビー役として出演。ダメ住民やその子供たちに迷惑をかけられ、悪態をつきながらも、結局いつも慈愛に満ちた行動をとっていた。管理人は地味ではあるけれど、映画内に絶対にいなくてはならない役だった。
「敷地内で人を轢くのは禁止にしないか?」って言葉で笑ってしまった。禁止に決まってる…。
子供たちに不審者が近寄って行ったときに、そちらに気をとられるあまり、ペンキを落としてしまうのも好きだった。厳しいこと言ってるけど、別にあの子供たちが憎いわけではない。ちゃんと守ってあげている。
住民たちもそうだ。仕方ないで許せることは最大限許していたと思う。住民たちがダメすぎて、許容範囲をこえていたので追い出したりするが、憎いわけではない。
それがわかる演技でした。私の中でウィレム・デフォーの印象が変わったし、付かず離れず、でもちゃんと見守っているこのキャラがとても好きになった。
多分あの住民たちを束ねるのはものすごく大変な仕事だと思うけれど。
また、ウィレム・デフォーは、煽るように撮られていることが多かったのも気になった。
これも説明はないが、離婚していて、元妻とも疎遠のようだった。息子が手伝いに来ていたので息子とは疎遠ではないようだったが、結局喧嘩をしてしまっていた。
でも多分、あの息子が管理人を引き継ぐんじゃないかな…。
ちなみに息子を演じているのがケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。いつも少し癖のある役が多い俳優さんですが、今回はそこまでアクが強くない。でも、おそらく、この先、父親に影響されて癖のある人物になるのだろうというのが、彼が演じることで想像できて面白かった。ひ弱で根性のなさそうなところも彼に合っていました。
『ボストン ストロング~ダメな僕だから英雄になれた〜』
Posted by asuka at 7:01 PM
ボストンマラソン爆弾テロ事件で両足を失った被害者、ジェフ・ボウマンの実話。
『パトリオット・デイ』は同事件を捜査する側の話でしたが、そこにも彼はちらっと出てきました(と思ったけれど、もしかしたら勘違いだったのかも)。
以下、ネタバレです。
『パトリオット・デイ』のラストで、足を失った男性が数年後にボストンマラソンを完走したというシーンがあったので、私はこの人がジェフなのかと思っていて、この映画は、彼が足を失ってから、リハビリをしてマラソンに再び挑戦するまでのスポーツ映画の色が強いものなのかと思っていた。だから、『アイ,トーニャ』と同じく、毒親とスポーツの話なのかと思っていたのだ。
しかし、自分の感想を読み返してみたところ、『パトリオット・デイ』でボストンマラソンを完走するのは片足を失った男性だったため、どうやらジェフではないようである。でも映画内ではこの男性の彼女(妻?)も看護師だったようだけれど…。でも二人は同棲していたし、やはり別人なのかもしれない。それか、『パトリオット・デイ』は実話とはいえ、数人を一人にしたキャラクターもいたようなので、この男性についても創作なのかも。
本作の最後では、数年後にボストンマラソンに出たのは彼女のエリンでした。ジェフは応援に行っただけのようだけれど、テロの現場であるゴール付近に行くだけでも、相当勇気がいったと思う。
『パトリオット・デイ』は群像劇っぽくはありながらも、テロ捜査が中心で犯人が捕まるまでの話なので、被害者の人となりについてはさほど触れられない。だから、このジェフという人物(『パトリオット・デイ』はジェフじゃなかったのかも…)は、被害に遭ったにも関わらず、勇気があるし、立派で真っ当な人物かと思っていた。
それは、本作内で、外側の人たちがジェフに抱くイメージそのままである。
本作はジェフが主人公で、彼の側から描いている。サブタイトルにもある通り、ダメな僕の面を出している。
でも、ダメな僕などという一言で済ますのは酷な話である。
両足を失っているのに、生き残ったために、“ボストンストロング(ボストンよ、強くあれ)”(がんばろう、○○(地名)みたいなもの)という標語のアイコンのようにしてまつりあげられる。それは、ジェフにとってはまるで呪いの言葉のようにのしかかってくる。
母親やおばさんなども同じようにジェフをまつりあげる。息子や親戚が彼を誇らしく思うのはわかるけれど、当事者の気持ちを全く考えていない。取材もどんどん受けてしまう。
本人はまだ事件のことがフラッシュバックしているし、なにしろ、両足を失った姿で人前に出るのが嫌だろう。
人前に立ったり、有名人の取材を受けたり、アイコンとして振る舞えないからといって、ダメな僕とは一概には言えないと思うのだ。仕方ないと思う。
その上、ダメな僕“だから”英雄になれたわけでもないと思うから、ダサいだけではなく、おかしなサブタイトルだと思う。
また、『ボストン ストロング』というのも、ジェフにかかる重圧としてあまり良い意味ではなく映画内で出てきた言葉だし、後半以降には多分意図的に出てこなかったので、タイトルには適さないと思う。最後のレッドソックス戦でこの言葉が出てきて、それごと克服したという描写があったのならまだわかるけど。
だからわざわざ原題は『Stronger』だったのだろう。かといって、邦題が『ストロンガー』ではわかりにくいし難しいところだとは思うけれど。
母親や親戚がジェフの気持ちを無視して、もう半分浮かれたみたいにして好き勝手に振る舞う中、ジェフに寄り添っていたのが彼女のエリンだった。
そもそもジェフは、エリンの応援をしに行って事件に巻き込まれたのだから、彼女はいたたまれない気持ちだったと思う。それでも、看護師だったせいもあるのか、献身的にジェフの世話を焼いていた。
中盤に結構直接的に描かれるセックスシーンがあるけれど、いやらしくはなくて、足のあるなしは関係なく寄り添うという、愛の力強さみたいなものが見えた。セックスシーンが始まったときには必要なのか?とも思ったけれど、必要なシーンでした。
ただ、私はジェフがここでトラウマを克服するのかと思ったけれど、違った。
被害者なのはわかるし、エリンに甘えるのもわかるけれど、ジェフはエリンにつらくあたりすぎだし、「足を失ったのは君のせいだ!」と言ってしまうシーンもあった。そんなのは仕方ないとわかってるのかと思ったけれど、結局、それ、言っちゃうんだ…とがっかりした気持ちになった。
それで、ジェフが克服するのか、事故の時に助けてくれたカルロスの言葉を聞いてというのが…。実話なのだろうからジェフがそういう人物なのだろうけれど、今までエレンがあれだけ献身的につくしてくれたのに、それは無視無視無視の上、酷い仕打ちまでしたのに、あっさりと改心してしまったのが驚いたし、エレンがかわいそうだった。カルロスも命の恩人なのだからわからなくもないけれど。
ラストでは子供の親になる決心をしていたし、エレンに「愛してる」とも言っていた。エレンもジェフのことをわかっているから、酷い仕打ちを受けたのも仕方ないと許したのかもしれないけど善人すぎると思ってしまった。
ジェフはもっと前に、その態度は取れなかったのだろうか。
カルロスと話した後のレッドソックス戦では、他の人が話しかけてきて、ジェフに好意的な言葉を投げかけてくるのも素直に受け止めていた。以前までなら重圧になっていたような言葉を、だ。それだけ、カルロスがジェフにとって重要な人物だったのはわかる。でも、エレンのことももっと考えてあげてほしかった。
リハビリのシーンはほとんどなく、心のリハビリという感じの映画でした。でも、それにしては徐々に回復していくわけではなく、急に克服したように見えてしまった。もっとも、印象的な言葉を聞いて一気に改心するということもあるのかもしれないし、ジェフの回顧録を元にしているようだから、実話なのかもしれないけれど。
悪い映画ではないけれど、ちょっともやもやしたところが残った。
主演のジェイク・ギレンホールとエレン役のタチアナ・マスラニーの演技も良かったです。というか、私がエレンのことを好きすぎただけかもしれない。
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