1997年公開。ウォン・カーウァイ監督。

ろくでなしのパートナーに振り回されるということで、まるで少女漫画のようだった。
「やり直そう」という言葉で結局もう一度付き合って別れて…を繰り返す恋人たちの話。

どうしようもなくなったときに頼られるというのが、一体どんなポジションなのか、たぶん、ファイ自身もよくわかってなかったのではないかと思う。ウィンからしたら、いつでもファイの元に帰ることができるという安心感の中で好き勝手やっていたのだろう。
たぶん、ウィンにとってもファイが一番大切だった。ファイの気持ちは映画の中で独白があるので大体わかるけれど、もういい加減にしたいと思いながらも、やはりウィンのことが好きなので、「やり直そう」と言われたらやり直してしまっていたのだろう。

両手を怪我したウィンはわがまま放題で、でも、食事を作ってあげたり、寒い中一緒に散歩に出かけたりと、振り回されて文句を言いながらもファイは幸せだったのだろう。だから、両手が治っても繋ぎ止めておくために、パスポートを隠した。
そうやって束縛するしか、一緒にいることができないのだ。

ウィンもファイのことが好きでも、やはり外で遊んだりする性癖は直らないと思う。きっとそれはファイもわかっていた。それを含めてのウィンなのもわかっていたのだと思う。

それで、どうするかと言ったら、束縛するか別れるかしかないんですよね。でも、パスポートを隠しても虚しくなって、結局、別れを決めたのだろう。

もともとは、二人でアルゼンチンに旅行に来て、滝を見に行く途中で道に迷って喧嘩別れしたところから映画は始まる。
映画の中盤でも、いつか一緒に行こうと思ってるんだとファイが他の人に話すシーンがあった。

映画の終盤で、結局その滝を、ファイは一人で見に行く。
できることなら、最後に二人で滝を見に行って、ハッピーエンドにして欲しかった。そうすれば、完全に関係が修復されるのではないかと思った。
でも、これは私が思うハッピーエンドで、たぶん、ファイにとってはハッピーエンドではないのだ。
どうせこの状態でも「やり直そう」と言われたらやり直すことになるのだろうし、そしてまた嫌な思いをして別れることになるのはわかっている。もう、ウィンに振り回されたくなかったのだろう。
ずるずる続く腐れ縁のような縁を断ち切るには、とっておきの場所に一人で行くのが一番いい。
これは、私が思っていたハッピーエンドよりも、ずっと健全だし、正しい。正しいとは思う。

けれど、その時に、ウィンは引き払ったファイの部屋で、滝のライトを見て、布団を抱きしめて泣いてるんですよ。ウィンはウィンであんな感じでも、ファイのことが好きだったのに。

好きあっていても、お互いがお互いのことを想っていても、想いの度合いのバランスや気持ちの種類が合わなかったのだ。片方が大好き大好きってなっているときに、相手は拒絶したり、片方がそばにいてほしいと思っているときに、相手は外へ出て行ってしまったり。
映画内で、二人の気持ちのバランスがとれているのが、アルゼンチンタンゴを踊るシーンだと思う。あの時だけは、二人ともがちょうど同じ気持ちだったのだった感じがする。ただ、映画内で唯一あのシーンだけだったかもしれない。だからあんなにも美しく、切ない。

最初モノクロなのですが、途中でカラーになると、ウォン・カーウァイ色調というか、黄色っぽく、赤が強烈な真っ赤だった。ファイの部屋は質素ではあったが、生地の柄や小物などがレトロでおしゃれ。

舞台が異国というのも良かった。たぶん、香港にいてもはぐれ者だっただろう二人が、異国にいる様子は更に他者と断絶されていながらも、他の人からの関心が無い分、紛れられている気もした。
香港はちょうど地球の裏側、というセリフのあとで、逆さまになった香港を映すのも粋な演出。

『青い春』でも出てきましたが、お互いのくわえ煙草の先端をくっつけて火を渡す描写が好きなんですが、この映画ではファイが拒絶しているシーンだったので、口からはずして煙草だけ渡していた。ウィンはファイの手をとって自分のくわえ煙草の先端につける。これだけで、ファイはつれない態度をとってもウィンはめげないという性格がわかるし、良いシーンだった。
煙草に関しては一本の煙草を二人で吸うというシチュエーションも好きなんですが、ウィンが両手を怪我していたときに、煙草を吸っているファイを物欲しげに見つめて一口二口吸わせてもらっていた。これも、性格がわかるし、良かった。

こう映画内のシーンを思い出すと、やはりこの二人が付き合うのが一番いいんじゃないかと思ってしまう。ファイはウィンをアルゼンチンに迎えに行って、もう浮気はしないと約束させてパスポートを返せば、いつまでも幸せに暮らしていける…はずはない気もしてきた。ウィンは直らないとは思う。ファイはそんなウィンについて、仕方ない、いつかは戻ってくると考えていればいいんだろうけれど、映画に出てこないだけでいままでそれを繰り返して来たんだろうし、それで何度もつらい想いをしたのだろうから、もう縁を切るしかないのだろう。




2013年公開。フランスでは2010年に公開され、アカデミー賞長編アニメ映画賞にもノミネートされた。
もともと、『パリ猫の生き方』というタイトルで、2011年のフランス映画祭で公開されたらしい。原題“Une vie de chat”は猫の生き方みたいな意味なので、そのままの翻訳のようですが、『パリ猫ディノの夜』という邦題は素敵なのでこちらのほうが好きです。

絵柄は外国の絵本のような独特なもの。色鉛筆で塗ったような色彩も独特。人間の体の動きもぐにゃんとなったりなめらかです。

ノートルダム大聖堂、エッフェル塔などの建物のデフォルメの仕方もいい。屋根の上から見たパリの街並も美しく、少し『レミーのおいしいレストラン』を思い出した。
ジャズ風の音楽もおしゃれで、大人が観ても充分に楽しめる。

絵柄や雰囲気だけではなく、70分と短い時間ながら、ストーリーも濃い。
タイトルから猫が主役ではないかと思っていたが、人間の描き方がうまい。また、登場人物がわりと多めで、しかもちゃんと絡まり合ってる。
夜の動物園に逃げ込むのもファンタジックでドキドキするし、酷い香水の伏線が回収されるのもよくできている。
アニメでの暗闇描写の仕方も、黒い画面に白い線で描かれた人物が動くという独特のもので面白かった。
最後に、夜の冒険について、失語症の治ったゾエが矢継ぎ早に母親に話すシーンは泣けた。

ディノの猫動きも可愛らしいし、ライバルというか相手に勝手にライバル視されている隣りの犬のオチも笑った。

日本のアニメ絵とはまったく違う。でも、ただのおフランスおしゃれアニメでもない。絵にもストーリーにも独特のこだわりが感じられた。




2013年シッチェス映画祭ファンタスティック・セレクションにて公開。イギリスでは2012年公開。
シッチェス映画祭はホラー映画よりのものを多く扱っているので、最初にこの情報を知っていたらなんとなく作品の進む方向もわかったと思うんですが、トビー・ジョーンズ主演ということしか知らなかったため、ジャンルすらわからないまま観ました。
特にトビー・ジョーンズということで、もしかしたらコメディーなのではないかと思ってしまった。

タイトルからもわかる通り、音効さんの話。トビー・ジョーンズはやり手の音効さんで、イタリアのスタジオに助っ人として呼ばれる。映画はこのスタジオ内のみで展開するので、舞台っぽくもある。
髪の毛を抜くシーンはエシャロットのような野菜の茎を抜き、スイカを床に叩き付け、キャベツにナイフを突き立て…。そのスイカをスタッフさんたちが食べていたりして、作っている映画の内容と裏腹に、妙なおかしさがあった。

やはりコメディーなのかなとも思っていたんですが、途中で何度も挿入される腐った野菜、蜘蛛、録音中なのでお静かにという看板の点滅が不気味。
その内、映画の展開も少しずつおかしくなっていく。

ナイフを突き立てているのがキャベツだとは言え、その後に女性の悲鳴が聞こえたらなんとなく嫌なものだし、繰り返していたら気分も悪くなってくる。
そのくせ、やめさせてくれ帰らせてくれと言っても、仕事をまっとうしろと言われる。
スタジオ内の出来事なので、余計に閉じ込められている感じがした。

そのうち、現実なのか、悪夢なのか、わからない展開が続いて来て、終わりのほうは映画内で作っている映画と現実が混ざってくる。

結局、実際にどうなったというのははっきりはされない。映像もアートっぽくもあるし、もしかしたら推測するのは野暮なのかもしれないけれど、主人公の精神が病んでしまったのか、部屋に来た女優に殺されたのかもしれない。

映画の説明みたいなものを見ると、“主人公が自らの残虐性に気づいていく”と書いてあるけれど、そうとはとらえられなかった。
作っている映画や、監督やスタッフ、女優など、周りの人物が最初は奇妙なだけだったけれど、少しずつ不気味に変容していくのがおもしろかったです。

トビー・ジョーンズの何を考えているかわからない部分や、悪人にも善人にも見える風貌がうまく生きていたと思う。



原題『PREY』。イギリスのITVで今年4月末より放送されたドラマ。全三話。ジョン・シム主演なので英語では観たんですが、半分くらいしか理解できなかったので、今回WOWOWにて放送があるということで観ました。吹替えのみだったのは残念。好きな俳優なので声も聞きたかった。

全三話なので、展開はかなり早い。ジョン・シムは妻と子殺しの罪を着せられて、逃げながら捜査をする刑事の役なんですが、一話の最後でもう身近な人物が裏切っていたことがわかってしまう。
二話の最後では更にあやしい人も出てくる。更にあやしい人もマーカスの身近な人物で、周辺の人二人に裏切られていたのは驚きというより哀しさが際立って、ここで流れ出すレディオヘッドの『カーマ・ポリス』がとてもよく合う。

英語版で観た時は重要機密と思われたフロッピーディスクの一枚はあやしい人一人に割られ、もう一枚はもう一人に油で揚げられて、結局なんだったのか、闇に葬られて終わりだったのかと思ったけれど違った。
最初に殺され埋められていた人物の犯罪歴で、フロッピーそのものは存在しなくなってしまったけれど、内容については登場人物が話していたので判明していた。

三話の中にぎゅうぎゅうつめこまれて展開は早いものの、重要人物と思われる人がまったく出てこなかったり、主人公が最終話の半分を過ぎても「あんたは何もわかってないな」と言われるのは不安になる。主人公の気持ちで観ているし、ドラマの残り時間を考えるとこの時点で何もわかっていないとなると、最後まで何もわからないのではないかと思ってしまう。
結局判明するのが、残り15分のあたりで、ここでそれを明かすのかとびっくりする。

マーカスを追いかける女刑事スーザンが完璧じゃないのがいい。ずんぐりむっくりで粗暴。別れた夫にはストーカー気味につきまとう。
クロワッサンを差し入れようとして、元夫に断られ、そのクロワッサンを職場に持ち込んでむしゃむしゃ食べて同僚に「こぼすなよー」と文句を言われていた。
しかも、食べながら元夫のFBを見ていた。見ているのを同僚に見つかって、そうゆうのはやめたほうがいいと注意されていた。
吹替えの人も乱暴で良かったです。合ってた。
一話目の序盤で自販機に対して喧嘩を売っていてマーカスが1ポンド貸すんですが、最後のほうに「1ポンド返せ」という粋なセリフがキーワードというか合い言葉というか暗号っぽくなっているのも良かった。
孤独感を抱えていて、だからこそ、チーフに抜擢されたこの事件にはムキになっていた。担当が変えられそうになっている場面はつらかった。

不法移民がオマール・ハッサンの身分と名前を買って…というあたりは、英語ではまったくわからなかった。

序盤のマーカスが子供に絵本を読んであげるシーンの「Kissy Kissy Kissy」の裏声ジョン・シムがすごく可愛かったんですが、ここは吹替では「チューして、チューして、チューして」になってた。裏声。
「サプラーイズ、サプラーイズ」は吹替では「どうだ、驚いたか」であの少しふざけたニュアンスがなくなってしまったのは残念。

このドラマのジョン・シムは出だしから体にペンが刺さってるし、車にはねられるし、歩道橋や電車から飛び降りるし、逃げているから仕方ないけれど、満身創痍で痛々しい。
これも逃げているからそりゃそうなんですが、人との触れ合いもあまりない。
そんな中で、序盤の鎮痛剤を貰った家の人と、不法移民のオマール・ハッサンは、名前をちゃんと呼んで、感謝の気持ちを表していた。

また親友のショーンとの仲の良いシーンがそれほどなかったのも残念。これも、早々に裏切られていたことがわかるので仕方がない。
この、友達との友情シーンの少なさは『ステート・オブ・プレイ』を思い出した。

前回英語で見た時には大きい謎は解けていないのではないかと思ったけれど、日本語で見てみると、おそらくすべて解決したのではないかと思われた。
二期があるような話を見たけれど、どうするんだろう。
オマール・ハッサンは相当な悪党だったようなので、そのあたりで新たな敵が出てくるのだろうか。
二期ではたぶん逃げない、という印象は変わらなかったし、原題のPREYは別に逃げるという意味ではないから、邦題の『逃亡者』というのをどうするんだろう。
まだ撮影にも入ってないだろうし、本当に二期があるかどうかわからないし、あったとしても日本でやるとは限らないけれど。

IMAX上映をユナイテッド・シネマとしまえんで、通常上映を新宿ミラノ座で観てきました。
あと、気づいたことと、前回書いたことで間違っていたこと。
以下、ネタバレです。






だいぶIMAXに慣れて来ているせいか、それとも劇場のせいなのかわからないですが、それほどIMAX最高!といった風でもなかった。それでも、IMAXカメラで撮影したシーンは多かったし、大波のシーンは迫力があった。ミラノ座もかなりスクリーンが大きいですが、映画館で、しかも大きいスクリーンで観た方が楽しいとは思う。
あと、新宿ミラノ座と比べると、IMAXはやはり圧倒的に明るくクリアで、マン博士の宇宙服の肩の部分にLAZARUSと書いてあるのはミラノ座では確認出来なかった。ラザロ計画の宇宙服なのがわかる。クーパーとか今回の人たちは肩にエンデュランス号のシルエットが付いている。

あと、これは両方ともなのですが、当たり前のことですが、試写会に比べると圧倒的に映画の世界に没頭できる。音の良さも際立ち、ハンス・ジマーの曲にもいちいち感動してしまった。
特に、最初のインドの太陽電池で動く無人機を追いかけるシーンの曲と、後半の回転しながら落ちて行くエンデュランスにドッキングするシーンの曲がいい。ドッキングシーンは何度観ても興奮しますが、映画館で観て、更に手に汗握った。曲もうまく作用していると思う。

新宿ミラノ座は今年末でなくなりますが、来月は特別上映などもあるし、今作がおそらく最後になるらしく、表紙に映画館名の入った特別パンフレットを売っていた。内容は同じです。最後のページにはミラノ座で上映された全作品のリストも付いている。通常のパンフレットも買ったけれど、この特別パンフレットも買ってしまった。

パンフレットに宇宙船について少し書いてあった。前回書いたことで間違っていたんですが、エンデュランスにランダーとレインジャーがそれぞれ二機ずつ付いていた。「ランダー、ワン」「レインジャー、ツー」と言ってるのはわかっていたんですが、ランダーを1号、レインジャーを2号とするだけかと思っていたのが違った。なので、後半の切り離しのシーンではランダー1号にTARS、2号にアメリア、レインジャー1号はマン博士と一緒に爆破、2号にクーパーが乗ってるんですね。最後のエドモンズの星のシーンで、アメリアの後ろにランダーが映っていた。

TARSは形もロボットとして新しいんですが、動きがややぎこちないのも気になっていた。どうやらあれは、装置を使って本当に動かしているらしい。クリストファー・ノーランといえば、極力CGを使わない監督として有名ですが、今回もそうだったらしい。SFなのに。しかも、装置を使って動かしていたのは、声を担当した俳優さんだったというからまたすごい。

水の惑星のシーンもカメラや機材を抱えて浅瀬に立って撮影したらしい。

どうでもいいけど気づいたこと。
序盤でワームホールの説明を図解で説明するシーンがあるんですが(これも『インセプション』にも似たシーンがあった)、そのメモ帳がNASAのメモ帳なのがちょっとおもしろかった。上部にNASAと書いてあった。通常の会社や団体だとよくメモ帳を作ったりするけれど、NASAがメモ帳なんて作るんだろうか。でも、宇宙船内に置いてあるメモ帳にNASAの名前を入れちゃうセンスが愛おしい。

あと、食べ物をおいしそうに撮らないノーラン監督ですが、今回、食糧難なので仕方が無いのかもしれないけれど、サラダと思われる大皿に乱暴にぶった切ったトウモロコシがごろっと入っていた。「スフレのおかわりは?」のシーンです。スフレは…トウモロコシ粉で作ったのかな…。

序盤の太陽電池で飛び続けるインドの無人機とかアポロ計画の捏造とかの話は、現在の地球の状況説明だけなのだろうか。空軍が無くなって10年とか、あの頃は物が溢れて争っていたとか、成層圏からの攻撃を断ったという話が出てきたけれど、もしかしたら、かなり大きい戦争があったのかもしれない。アポロ計画関連の話からすると、対ロシア? その結果として、地球が荒廃したのだろうか。

後半、地球パートと宇宙パートが交互に出てくるんですが、地球のマーフ側はほぼ部屋で悩んでいるだけで、時間は全然進んでいない。ご飯を食べて、兄の態度が許せなくて家を出て、やっぱり戻って畑に火を放って、自分の部屋で手がかりを探す。これだけです。
その間、クーパー側はマン博士を起こすあたりからかなり動きがある。なんとなく、地球と宇宙での時間の差が出ているようでおもしろい。





試写会にて。わかったことと、わからないこと。
以下、ネタバレです。





クーパーがどうやって助けられたのかがよくわからなかったんですが、あの時のアメリアの顔は幻じゃなかった。映画の序盤でワームホールを通る時に、アメリアが“彼ら”の姿を見てハンドシェイクをする。結局“彼ら”はクーパーだったというのが五次元空間でわかるので、アメリアが見たのは、クーパー。クーパーは五次元空間からワームホールを通って排出された。別の銀河へ行くアメリアと出るクーパーがハンドシェイクしたのだ。映画の序盤と輪になるようにして繋がっている。
ワームホールは土星の軌道上にあるということだったので、クーパーが太陽系に戻って来た時に遠くに見える明かりはおそらくクーパーステーションなのでしょう。時間のずれによって、方程式が解かれ、すでにステーションの打ち上げも済んだあとだったのだと思う。クーパーステーションの近くに排出されたから、たぶん発見も早かったのではないかなと思う。

宇宙船ですが、エンデュランスがなんで回っているのかわからなかったんですが、あれは遠心力によって重力を発生させているらしい。確かに序盤でゆっくり回転をかけながら「今、1Gになった」と話すシーンがあった。ドーナツ型の宇宙船は珍しいのかと思っていたけれど、ワープを実現できる形でもあるらしい。
それで、地球から打ち上げたレインジャーはドーナツ型の母船エンデュランスにドッキング出来るんですが、もう一つの四角を組み合わせたようなランダーは最初からドッキングされていたのだろうか。それとも、マン博士が乗ってきたのがランダーなのだろうか。「浄水設備を持ってくる」と言ってたので、持ってくるのは母船エンデュランスからだろうし、もともと母船についてたのかもしれない。

最後の方でガルガンチュアに行くときの分割の仕方も最初はいまいちわからなかったのですが、ランダーとレインジャーとエンデュランス、三機にそれぞれTARS、クーパー、アメリアとCASEが乗っている。それで、たぶんランダーかレインジャー…アメリアとCASEが乗った機体だけが重力ターンでエドモンズの星へと向かった。

序盤の、インドの無人機を追いかけるシーンがとてもいいんですが、これがのちの内容にまったく関わって来ないのが残念。荒涼とした大地に突如低空飛行の物体が現れて、父と子供二人で車で必死で追いかける。ハンス・ジマーのノスタルジックな曲もいいし、コーン畑の中を突っ切って行く映像が美しい。

TARS、CASE関連のシーンは全部好きなんですけれど、四角いだけなのに愛嬌があるように撮られているのがおもしろい。
ミラーの水の星で、大波から逃げるときに、CASEがアメリアをお姫様抱っこしているのが可愛らしい。

不本意ながらマン博士の星に行くことになって、生きているマン博士を見たアン・ハサウェイの表情が少しの時間しか映らないんですが、セリフが無くてもすべてを語っていて素晴らしい。
本当は恋人の星に行きたかったけれど、ほとんど生きている保証はなくて、だから行くの反対されたのは腹が立ったけれど、実際に生きているマン博士の姿を見たら、やっぱりこっちに来て良かったと思うと同時に、恋人に会うことは完全に諦めた顔。正解の選択をしたにも関わらず、やはり寂しい。それが全部表情に出ている。

大人になったマーフの泣きかたがいい。演じているのはジェシカ・チャステイン。ビデオレターで話しながら途中で泣いてしまうんですが、両手で顔を覆って豪快に拭う様子が子供がそのまま大人になったようで、彼女の性格がよくわかる。
マーフィーの法則=“起こるべきことが起こるべくして起こる”というセリフも二回出てきたし、もっと重要っぽいのだけど、よくわからない。

マン博士のシーンについては考えれば考えるほどわからなくなってしまうんですが、助けにきてもらうために嘘をついたのなら、助けに来た時点で「あれは嘘だった。実はこの星には何も無い」と告白してしまえば良かったのではないか。
わざわざクーパーを呼び出して嘘なのを告白した上で、クーパーを殺そうとしたのはどうしてなのだろう。
一人でレインジャーに乗って母船を乗っ取ろうとしていたけれど、最初に嘘だとみんなに知らせて、全員でエンデュランスへ戻るわけにはいかなかったのか。

マン博士は「人類を救うため役目をまっとうする」と言っていた。プランAが実現不可能なことを知っていたようだったし、プランBの実行とすると、母船でエドモンズの星へ向かうつもりだったのだろうか。ただ、行ったところで、受精卵から人類を生み出すには代理出産が必要だし、マン博士一人ではどうにもならないのではないだろうか。そもそも、プランBの場合、アメリアが代理出産をするつもりだったのだろうか。

マン博士も、教授が出発の時に読んだ詩を読んでいた。イギリスのディラン・トマスという方の詩らしい。“絶望をせずに怒りを原動力にして行動しろ”といった意味だと思うのですが、マン博士をあの行動へ走らせたのは正義感なのだろうか。手柄を横取りするつもりだった?

それぞれの星が階層のようだし、五次元というかガルガンチュアはLIMBOのようだし、やはり『インセプション』に似ていると思う。地球と宇宙との二元中継のようになるのも似ているし、互いに作用し合う点も似ている。
ただ、『インセプション』よりはわかりにくいと思うし、力技で乗り切るシーンも多いと思う。
それでも、事象事象の繋ぎ方や話の運び方の突拍子も無さはクリストファー・ノーランにしかできないと思うし、それを思いついたとしても、映像にするのはやはりすごいことだと思う。とんでもない頭の中を見せてくれてありがとうございます。





1993年にアメリカで実際に起きた殺人事件の映画化。
以下、ネタバレです。





実話となるともしかして…と思ったけれど、やはり、犯人は捕まっていないようです。そのため、映画で勝手にでっちあげるわけにもいかず、もやもやした感じが残る。

映画の進み方は淡々としていた。裁判シーンと警察の取り調べが大半である。
主役の調査員(探偵?)を演じているのがコリン・ファースなのだが、なぜコリン・ファースがこの事件に肩入れするのかがよくわからなかった。
死刑に反対する気持ちはわかる。けれど、被害者の少年三人とも、容疑者の少年三人とも関わりはないようだった。
最初、離婚協議書を持っていたので、リース・ウィザースプーン演じる容疑者の母親が元妻なのかと思った。妻と別れてはいても、被害者の父親なのかと思ったのだ。それにしては冷静だと思ったら違った。

いまいち立ち位置がわからないし、わりと冷静な人物のようだったので、彼の怒りはあまり伝わって来なかった。
裁判でも警察とのやりとりでも、これはどうしたって違うだろうという少年たちが犯人に仕立てあげられていって、観ているこちらが憤ってしまうけれど、主人公はそこまで怒ってもいないようだったし、映画内でも指摘されているけれど、弁護士でもないから弁護もできないし、結局、杜撰な捜査に対してどうすることもできないし、真犯人らしき人が捕まることもない。
観ているこちらの怒りを昇華させてくれる人がいないので、もやもやだけが溜まる。

これは実話なのだし、もやもやする事件だったというのも、みんなあらかじめわかっていることなのだろう。
嫌な事件だったので適当な人物を犯人にでっちあげて、この事件については終わらせたい。そんな警察や住民たちの集団心理は理解出来た。それに対して、親だけがもやもやした気持ちを引きずっているのもわかった。
母親はまだ犯人をさがそうとしているとのこと。
どう考えても継父があやしそうだったけれど、逮捕はされていない。
犯人にでっちあげられた少年たちは、裁判を続けないことを条件に釈放されたが18年間は刑務所の中にいた。
実際の現在の様子がこうでは、映画自体もすっきり終わるはずもない。

この冤罪事件については、研究されたドキュメンタリービデオもあるそうなので、事件自体が気になったらそちらを観た方がいいのかもしれない。『パラダイス・ロスト』というタイトルで3まで出ている。

この『パラダイス・ロスト』にも出てこない人物として、嘘発見器でクロが出たアイスクリーム売りがいるらしいんですが、それを今回演じたのがデイン・デハーン。
最初、3人の少年が冤罪で、デイン・デハーンが出るならば、キャストの知名度的にも絶対に彼が犯人なのだろうと思っていたのですが、これも実話ということで特定はされずに謎だけが残った。

出番はそう多くはなかったけれど、映画の雰囲気をガラッと変えるほどの力はあった。暗いけれど挑戦的な目。アイスクリーム売りの時のタンクトップ姿。後ろ向きにかぶったキャップ。監視カメラへの視線の投げ方と、ティッシュでカメラを隠すしぐさ。すべてが、ただならぬ空気と色気を纏っていた。
ただ、デイン・デハーンの色気は今回に限ったことではないし、彼目当てなら別の作品でもいいのではないかと思う。

コリン・ファースもデイン・デハーンも好きなので、この映画は共演を楽しみにしていたんですが、二人一緒のシーンは無かったのではないか。コリン・ファースが監視カメラの映像を見ていたくらいだったのが残念。