2011年公開。フランスでは2010年公開。
実は、2014年公開版の『イヴ・サンローラン』を観てるつもりだったので、ドラマ調のものを想像してたらドキュメンタリー調だったのに驚いた。
長年連れ添った恋人のピエール・ベルジェが語る形で進んでいく。
ドキュメンタリーだと思っていなかったので、出ているピエール・ベルジェも俳優さんなのかと思っていた。

また、若かりし日のイヴ・サンローランの映像が流れるけれど、これも、わざとドキュメンタリー調に作ったものなのかと思っていた。
しかし、どう考えても、ドキュメンタリー調というわけではない、本物っぽい映像もある。
2014年公開版の『イヴ・サンローラン』のイヴ役の俳優さんもご本人に似てるとのことだったので、どこまでが俳優さんでどこからがご本人なのかなと思っていた。すべてご本人でした。

動いているイヴ・サンローランを見たのは初めてだったんですが、内気っぽくはにかんでいて、物腰がやわらかくて、デザイナーというよりは文学青年のように見えた。

最初の葬儀の映像で発砲音が聞こえたので、若くして殺されたのかとも思ってしまった。
ドラマだと思っていたので、発砲音の演出かと思った。礼砲でした。

ずっと勘違いしたまま観ていて、あとでイヴ・サンローランのプロフィールを見たら、亡くなったのが2008年だった。映画が公開されたのが2010年ということは亡くなった直後である。

ずっと連れ添った恋人が亡くなった直後に話していたのだと知っていたら、また違った気持ちで観られたと思う。

集めた美術品をオークションにかけていたが、長年の思い出とともに処分していたのだろうと思うとそれもまた違った感慨を持って観られただろう。

ただ、私のように、イヴ・サンローランのことを何も知らない人よりは、ブランド自体が好きで、ファッションに興味のある人が観た方が楽しめると思う。


2010年イギリスで公開。日本では去年DVDが発売されて劇場未公開。マイケル・ウィンターボトム監督。
原題が『THE TRIP』なんですが、同名のテレビシリーズを再編集して劇場版にしたものとのこと。来月公開の『イタリアは呼んでいる』(原題『THE TRIP TO ITARY』)はそのイタリア版らしい。話が続いているのかどうかはわかりません。

スティーヴ・クーガンとロブ・ブライトンが実名で出演。それぞれ、出身地のマンチェスターやウェールズの話をしたり、実生活でも友達らしいけれど、ドキュメンタリーではない。
スティーヴが恋人と一緒に行くはずだったグルメ取材旅があったが、断られてしまったために親友のロブを連れて行く。

グルメ取材旅とはいっても、実は料理についてはほとんど語られない。二人はイングランド北部へ車で出かけるので、その地域のうまいもの紹介みたいなのをやると思ったら大間違い。
料理を作っている風景やテーブルに運ばれて来るところ、二人の食べる様子なども映ることは映るけれど、特に料理について話をするでもなく、ただガツガツ食べる。おいしい/まずいについても話していなかったかもしれない。

じゃあ何をしているのかと言ったら、気心の知れた者同士の雑談です。どこまでがアドリブでどこまでが台本通りなのかわからない。有名人の名前がどんどんでてきて、モノマネをしてどっちが似てるかをわーわー話している。内輪受けといってもいいかもしれない。
だから、料理映画と思って観ると拍子抜けをすると思う。普通だったら料理のうんちくが語られるところだろうが、語られるのは有名人のうんちくである。

けれど、私はスティーヴ・クーガンが好きなのと、中年男性たちがだらだらしているのが好きなため、楽しく観られました。ガツガツと食べるだけでも、その様子が妙に色っぽかったりもする。

モノマネも最初のマイケル・ケインからして両方とも似ていて笑ってしまった。このようなモノマネや、車の中で歌うシーンで「3オクターブ出るぞ!」とかどこまで声が出るか対決なども繰り広げられるため、吹替は入ってません。
途中、人の名前がどんどん出てきて、知らない人も多かったのでぼんやり観ていたら急に、アレックス・ジェームスという名前が出てきた。たぶん、ブラーのベースのアレックスのことだと思う。“20歳の誕生日を酒で祝い、30歳はドラッグ、40歳は食べ物で祝った”としか言われていなかったため、確認はできてません。

その他、「年を取ると歯と歯の間にモノがつまる」「歯茎が下がってくるからだ」みたいなおっさんならではの話も。
また、スティーヴは離婚歴ありで、彼女ともうまくいっておらず、他の女性とも遊びまくり、仕事もあまり来なくなっている…と、飄々としてるように見えながらも、年齢ならではとも言えるいろいろな悩みを抱えていた。
ロブは家族と幸せに暮らしていて、旅行中の悩みは奥さんと離れていることがつらいくらいなもののようだった。

最初は、スティーヴも仕方なくロブを誘ったようだった。最初のホテルがダブルのワンルームしかとれていなかったときにも(「あいにく満室で…」というお約束もあり)、ロブは別に同室でもいいとノリノリだったけれど、スティーヴはうんざりしていた。
けれど、悪夢を見た翌朝も二人でくだらないことを話していたり、モノマネをすればすぐに調子が元に戻る。悩みはあっても、笑顔になっていたし、一時ではあっても現実を忘れられたようだった。本来、旅とはそういうものである。

二人で、ABBAの“The Winner Takes It All”を歌うシーンも泣ける。“勝者はすべてを持っていってしまう”という、敗者の気持ちを歌った曲。
また、墓場に行って、「葬儀に来てくれる?」と話すシーンも、中年ならではで良かった。「葬儀のスピーチをやってみてくれ」というのは恥ずかしい。だって、葬儀のスピーチというのは、相手がすでにこの世に居ない状態で、相手に対するありったけの想いや普段はどう思っていたかを話すものだから。それを、本人を目の前にして話すのは酷である。けれど、お互いに葬儀スピーチをやることで絆は深まっていたようだった。

ただ、旅には終わりがある。
ロブは家に帰って家族と食事をして、妻に「何日間も離れてられないよ〜」みたいに甘え、幸せそうだった。
一方、スティーヴはというと、部屋に一人である。洗練された家だけれど、暗い。
旅行中にロブに「息子が虫垂炎になるのと、自分がアカデミー賞で主演男優賞とるの、どっちをとる?」と聞かれ、それでも息子をとると自分の気持ちを再確認したため、新ドラマのアメリカでの撮影を断る。これで、アメリカにいる彼女とも完全に切れた形になるのだろう。

旅行中は、はしゃぐロブを鬱陶しげに思い、そのうちロブのペースに引き込まれたスティーヴだけが旅のロスに陥っている。おそらくロブは家に帰れた嬉しさすら感じている。旅も楽しかったとは思っているだろうけれど、現実に戻されたとかさみしいと思っているのは、飄々としているように見えたスティーヴだけなのだ。しかも、映画は部屋で一人、所在無さげにしているスティーヴの姿を映して終わってしまう。

『イタリアは呼んでいる』を早く観たくなった。スティーヴのためにも、次の旅を早く見届けたい。

カメオでベン・スティラーが出てくる。スティーヴに仕事を斡旋するエージェント役。「リドリー・スコット/トニー・スコット兄弟、コーエン兄弟、ウォシャウスキー姉弟と、あらゆる兄弟が君と仕事をしたがっているぞ!」という夢。無くても良さそうなシーンだけど笑ってしまった。

あと、スティーヴがエージェントにまわされる仕事で、ドクター・フ−の悪役というのがあるんですが、なんとなく、この仕事がまわってくる俳優がどのようなポジションなのかわかった気がした。『エキストラ』でもリッキー・ジャーヴェイスがエイリアン役をやってましたが、ドクター・フー自体は国民的テレビ番組でも、悪役ということは結局、以前の有名人いまは二流という人の仕事なのかもしれない。

料理はそれほど出てきませんが、旅ならではの景色もそれほど出てこない。でもちらっと出てきた限り、イギリス北部の丘陵地帯は羊などの牧場も多そうで、携帯電話の電波が入らない描写も出てきていたのでかなり田舎のよう。
また、ダウンを着ていたり、車が凍っていたりと寒そうだった。

スティーヴがカメラマンに撮影されるシーンがあるが、『嵐が丘』のモデルとなった土地の近くだったらしく、「ヒースクリフみたいに撮ります」と言われていた。
車内でも二人でケイト・ブッシュの『嵐が丘』を歌うシーンも出てきます。





『Mommy/マミー』


グザヴィエ・ドラン監督作。去年のカンヌ国際映画祭にて審査員特別賞を受賞した作品。83歳のジャン=リュック・ゴダールと25歳のドランがW受賞したことでも話題になった。

以下、ネタバレです。





ADHDの息子と母の関係が描かれている。
グザヴィエ・ドランの作品は『わたしはロランス』と『トム・アット・ザ・ファーム』しか観ていないんですが、登場人物の気持ちをごく近くで描写するのが特徴的だと思う。
気持ちを近くで描写するというと、ジェイソン・ライトマン監督を思い出した(ちなみに二人ともカナダのモントリオール出身)。
ただ、ジェイソン・ライトマンの場合、優しくそばに寄り添うような描写をし、気持ちのゆっくりとした流れをとらえていくような手法だけれど、グザヴィエ・ドランの場合はやや暴力的なまでの近寄り方で、罵倒罵声など汚い部分もすべて描いている。時には目を背けたくなる部分も描くが、安心しろそれでも愛してるというような力強さを感じる。

今作は特に、変わったアスペクト比で撮られているせいもある。1:1という、まるでinstagramのように正方形だ。監督インタビューを見ていると、CDのジャケットを例に出していた。
『グランド・ブダペスト・ホテル』や『インヒアレント・ヴァイス』もスクリーンのアスペクト比が違ったが、昔のシーンを昔のアスペクト比で、といった使われ方だった。本作の舞台は現代である。しかも、昔のアスペクト比よりも更に狭い1:1だ。
通常の映画のスクリーンサイズよりだいぶ小さく感じた。人の顔をアップで映すにもせいぜい一人である。あまり遠くの景色も映せない。しかし、スティーヴはADHDのため、母ダイアンが常にすぐ近くで見守っている。そのため、それほど広い視野は必要ない。
気持ちだけでなく、身体的にも密着している二人を、更にカメラが密着して追いかける。
スティーヴが癇癪を起こして暴力を振るおうとするシーンは怖かったし、抑圧されたような窮屈さを感じもした。

途中、OASISの“Wonderwall”が流れるシーンがある。そのまんまといえばそのまんま、守ってくれるワンダーウォールは母親のことという使われ方をしていた。ただ、今回、映画で使われていた曲は、亡くなった父親のオールタイムベストという選曲だったらしいので、父親の母親に対する想いだったのかもしれない。
スティーヴが風をあびながら、ロングスケートボードで道路を気持ち良さそうに走っている。“Wonderwall”はフルコーラスで流れるのだが、その間奏部分でスティーヴが画面を広げるような動作をすると、なんと正方形だった画面が通常のスクリーンサイズまで広がるのだ。
このシーンの開放感が素晴らしい。正方形の画面は閉塞感のようなものも表現していたのがわかった。また、このような使い方をするのは、若い監督ならではのセンスだとも思った。ミュージックビデオのようでもあった。

後半もう一度だけ、スクリーンサイズが広がるシーンがある。ダイアンがスティーヴに「母親の愛はいつまでも変わらないけれど、息子の愛はいずれ他の人へ向けられるのよ」と言う。なんとなく、『6歳のボクが、大人になるまで。』を思い出した。どこの親子にも当てはまる、普遍的なものなのだろう。
画面は広がって、スティーヴが学校を卒業し、彼女を連れてきてダイアンも一緒に食事をし、結婚式ではダイアンがビデオをかまえ、子供が産まれ…。セリフもなく、一気に走馬灯のように浮かんでくる。カメラも先程までとは違い、いきいきとダイナミックに動き回る。でも、いやに駆け足だなと思ったら、画面が真四角に戻っていってしまう。ダイアンが思い描く、こうだったらいいのにという未来だった。
その後で、ピクニックへ行くと騙して病院へ入院させることになるのもつらい。

ダイアンは希望を選択したと言った。
『博士と彼女のセオリー』もそうだったけれど、ここでも愛し合っているというだけではどうしようもないパターンが出てきた。
相手のことを愛しているのはもう大前提であり、当然のことなのだ。離ればなれになりたいわけではない。けれど、やはり後半の、スーパーマーケット内での自殺未遂が一番の要因だったのだろう。死んでしまってはどうしようもないのだ。

父親が亡くなったことで、母子の関係はより濃密になったけれど、母にとっては負担も増えた。
そんな中で、隣りの家の女性、カイラの存在はかなり大きかった。
精神的なショックによる吃音で会話がまともにできないという彼女と、スティーヴを二人で留守番させるのは、最初どうなのかと思った。ダイアンは母親だからスティーヴの癇癪にも耐えられているのだろう。それを、ただの隣人で、しかも心に傷をかかえた女性に任せるなんて。
留守番といっても、ダイアンも遊びに行っているわけではなく仕事を探しに行っていたので、家を空けてしまうのも仕方が無い。はらはらしながら二人の留守番の様子を見ていたが、やはり一触即発のところまで行ってしまった。

けれど、スティーヴは結局ただの子供だということをカイラも理解して、二人は打ち解ける。
これ以降、カイラはダイアンとスティーヴと一緒に行動することが多くなる。
三人でいる姿は、まるで家族のようだった。ダイアンとカイラに恋愛感情は無いにしても、パートナーのように見えた。三人が三人とも、一緒に居るのが幸せそうだった。

けれど、スティーヴが自殺未遂をし、結局、無理矢理入院させることになったとき、おそらくカイラはまた不安定になってしまったのだと思う。夫の仕事の都合で、と言っていたけれど、夫がダイアンと離そうとしたのではないかと思うが、引っ越すことになってしまう。

カイラがどもりながらダイアンに別れを告げに来たときに、「家族を捨てられない」と言っていた。おそらく、彼女の人生の転機となる数ヶ月だったのだと思うし、家族と過ごすよりも幸せで刺激的な日々だったのだと思う。
ここでもやはり、愛しているだけではどうにもならない事態が起きている。

カイラを演じたのがスザンヌ・クレマン。映画を観ている間はまったく気づかなかったのですが、『わたしはロランス』のロランスのパートナー役の方だった。まったく違う役なのでびっくりした。タイプ的にはダイアンのほうがロランスのパートナーっぽかった。

カイラが引っ越すことを好意的に受け止めているように気丈に振る舞って、カイラが家を去ったあとで、号泣しそうになるがこらえるダイアンの演技が素晴らしかった。
カイラに向かって行かないでと引き留めることは簡単だ。気丈に振る舞ったとしても、帰ったあとで声をあげて泣くこともできたはずだ。けれど、必死に、体全体を使って泣くのをこらえていた。
たぶん、ダイアンは今までもこうしていろんなことを我慢して来たのだろう。そうでないと、世の中で戦っていけない。

癇癪を起こし首を絞めても、暴れ出しても、殺意や悪気があるわけではないのだ、というのがわかるスティーヴの演技も良かった。
濃く、密着して描かれる中、三人の演技に圧倒される。

スティーヴ目線というよりはどちらかというとダイアン目線の作品である。母親が子供を慈しむ気持ちをどうして25歳のグザヴィエ・ドランに描くことができるのだろうか。撮影したときにはもっと若かったかもしれない。
明るい色づかいや、ミュージックビデオ的にも見えるおしゃれな映像表現からは若手っぽさも垣間見えるけれど、人間の気持ちの描き方からは円熟味すら感じる。人一倍、気持ちの揺れ動きや、傷つけること/傷つけられることなどに敏感なのかもしれない。


『メイジーの瞳』


2014年公開。アメリカでは2012年公開。1897年の小説が原作になっているらしい。だいぶ前の小説ですが、映画は舞台も現代になっていて、それを感じさせない。むしろ、設定などは今風に感じた。

ポスターなどから、若い二人が両親なのかと思っていた。そのため、最初に役者名が表示されてジュリアン・ムーアが出ていることを知ったし、まさか、二作連続でスティーヴ・クーガンの出演作を観ることになるとは思わなかった。この二人が本当の両親役だった。

『スティーヴとロブのグルメトリップ』の独身貴族というか、遊び人っぽいスティーヴ・クーガンが良かったので、妻と喧嘩の末に離婚し、子守の若い女性と再婚というなかなか酷い役柄がまた良かった。

最初、演技というよりドキュメンタリーなのかと思った。両親役の二人を大喧嘩させて、その様子を子供役の子に見せ、不安げな表情を撮影しているのかと思った。でも、すべて演技でした。

原題は『What Maisie Knew』。“メイジーの知ったこと”ですが、『メイジーの瞳』もいいタイトルだと思う。そのタイトル通り、6歳のメイジー視点で話が進んでいく。だから、次第にメイジーに感情移入してしまう。

メイジーが母のバンド仲間か音楽仲間の中に連れて行かれるシーンがある。ちなみに母のバンドはホールのような感じで、ジュリアン・ムーアはコートニー・ラブ のように見えた。そんな音楽性なので、少し怖い目の人たちなんですが、そういえば子供の頃に、よくわからない大人の集まりに連れて行かれるのって怖かった なと思い出した。

また、母の新しい夫が働く店の前で一人置き去りにされて、店に入っても誰も知ってる人がいなくて…というシーンは本当に怖かった。幼い頃、迷子になったことを思い出した。
この場合は迷子とは違うけれど、結局バーテンダーも非番で、知らない大人の中にぽつんという状態は同じである。しかも、夜で不安は倍増する。

だから、前の子守のマーゴが来てくれたときには、やっと知ってる人が来た!というメイジーの気持ちがよくわかって泣きそうになってしまった。

小さい頃、とはいえ6歳も十分小さいけど、ここまでもずっと両親の喧嘩を見てきたせいなのか、メイジーは喧嘩を見ても、癇癪は起こさない。無表情になってしまっている。

でも、バーテンダーのリンカーンや子守のマーゴと遊んでるときは、笑顔だし、子供の表情だった。

母も父も、結局新しいパートナーともうまくやれなかったということで、きっと子供はかわいかったとしても、それとこれとは別な人間なのだろう。
両親の喧嘩と両親と新パートナーとの喧嘩をつぶさに見てきたメイジーが、バーテンダーと子守が仲良さそうにしているのを見て、一緒に幸せな気持ちになっているのが伝わってきた。
仲の良い男女を間近で見たのは、初めてだったのかもしれない。

そこでそんなにうまいこと若い二人が恋人同士になるのかなとも思うけれど、二人ともパートナーにひどい仕打ちを受けて別れ、二人ともメイジーのことをかわい がっていて、おそらく実の両親に対する思いも同じだったということで意気投合したのかもしれない。年齢も近そうだったし。

バーテンダーと子守とメイジーという疑似家族は幸せそうだった。でも、きっとあの母親は黙ってないだろうと思った。
後半でメイジーの元へ来て、自分のツアーに同行させようとしていて、この人は本当に何もわかってないんだなと思った。
でも、メイジーの怯えた態度ですぐに気づいたようだった。
別にメイジーが憎いわけじゃない。メイジーのことはかわいくて仕方ない。だから、娘強奪とかもっともめるのかとも思ったけれど、ここではちゃんと娘の幸せを一番に考えてあげることはできていて、ほっとした。

両親が離婚して、居所のなくなった子供が若い恋人の養女になるというと、かなり辛辣な感じだけれど、それが優しく自然なタッチで描かれていて、こんなことも現実にあるのかもしれないと思わされた。




2009年ドイツで公開。原題『Hexe Lilli:Der Drache and das magische Buch』。直訳すると、“魔法使いリリー:ドラゴンと魔術書”みたいな感じ。テオ・トレブスが出ていたので気になっていたけれど、まさか、日本版が出るとは思わなかった。

童話を原作とするキッズムービー。年を取った魔女が、自分の後継者候補の女の子に魔術書を託す。彼女が適しているのかをドラゴンがテストする中、その魔術書を狙う悪い魔法使いが襲ってくる。

話自体はまあまあ。すごくおもしろい!というわけでもなければ、つまらなくもない。CGなどの特殊はあまりお金がかかってなさそう。とはいえ、ドイツの子供向け映画を観たことがないため、その辺のクオリティもそんなものなのかもしれないし、よくわからない。

主人公リリーが可愛らしかった。好きな男の子(これがテオ・トレブス)の前でちょっと大人っぽく振る舞ってみたり、魔法を使えるようになったら調子に乗ってくだらないことに使ってしまったり。アニメ版の映画『時をかける少女』でも出てきたけれど、不思議なパワーを些細なことに使ってしまうのっていいですよね。
リリーはライバルの女の子たちに動物の尻尾を生やしたり、勉強せずにテストでいい点を取ろうとしたり、好きな男の子の気持ちを自分に向けさせたり。
テスト関連では“先生の言うことが実際に起こる”という呪文を唱えるんですが、「みなさんがいい点をとるよう信じています」までは良かったけれど、算数の授業で「教室に何リットルの水を…」みたいな話をして、教室がプールのようになってしまう。それでも、劇中で子供たちはパニックにならずに、楽しんでいた。順応性の高さに違和感があったけれど、これも細かいことを気にしてもどうしようもないことなのかもしれない。大体細かいことを気にしたら、教室の扉などから水が漏れて、プールのように溜まることはないだろうし。

後半、敵の施設に乗り込むときも、「好きな人、愚鈍な牛、インテリ、ドラゴン」とキーワードを元に仲間を見つけるが、ならば、それぞれが役割をもって行動して欲しかった。
ドラゴンとインテリは活躍するけれど、好きな人と愚鈍な牛はなんのために付いてきたのかもわからなかった。

悪い魔法使いがまったく魔法使いそうに見えないのは、狙ったのかどうかわからないけどおもしろかった。細身で無精髭、肩くらいまで髪が長く、顔は松本人志とジョニー・デップを足したような感じの小汚めのおじさんです。
最初、女性に変身していて、魔法が中途半端に解けてしまったので、女装姿になってしまっていた。
最後の方で、電波ジャックをして全世界の人々を操ろうとしたときのテレビに映っている姿は、バンドマンのようだった。

この全世界の中に日本も入ってるんですが、畳の上で正座をして着物姿でうどんを食べていて、障子のような外観ながら中程が折れて開閉しそうな扉で、テレビにはチャンバラの様子が映っているという、トンデモニッポンだった。

ともあれ、とにかく良かったのはテオ・トレブス。2009年だとたぶん15歳ですね。長編映画出演はこれが初めてだと思う。
学校のモテる男の子アンドレアス役。朝、リリーに声をかけるときに、「厩舎行く?」と言うんですが、何かと思ったらその後でポニーで乗馬をするシーンが出てくる。ドイツでは授業で乗馬をするのが一般的なんだろうか。
その声をかけられて去って行ったあとで、リリーがドラゴンに「アンドレアスよ!かわいいでしょ!」と紹介する。ドイツでは、男の子に向かっても、“かわいい”というのは褒め言葉になるのだろうか。それとも、最後の方で、アンドレアスがリリーのことを、「学校で一番かっこいいよ」と言うので、そのセリフと対比させるための“かわいい”だったのだろうか。
わからないけれど、間違いなくかわいかったです。
教室に水が溜まるシーンでは、後ろの方にちょこっとしか映らないけれど、水浸しになっていた。

おまじないのような感じで、魔法を使って、リリーがアンドレアスの気持ちを自分に向けるシーン。何事も起こらないかと思いきや、花がすっと差し出される。横にアンドレアスが膝をついて座っていて、手を前で組んで、もう目はハートになっている。好きというよりも、どちらかというと崇拝に近い気持ちを向けられる。わざとらしいくらいに恋しているテオくんが可愛かったし、魔法が解けたあとの自分は何をやってるんだというようなそっけない態度もかっこいい。

最終決戦に向かう前のメンバー集めで、アンドレアスは“好きな人”として招集される。その時に、前方の席に座っているアンドレアスが、ちらっとこちらを振り向いて肩をすくめるんですが、それがすごく良かった。学校で、好きな、かっこいい人が自分のほうを、わざわざ振り向いて見る。たまらないシチュエーション。

最終決戦はアンドレアスはついてきているだけで、特に何をするでもない。ただ、柵から下を見ているときに、リリーのすぐ後ろにいて、両者はまったく意識してないだろうけど、見ている私がその近さにドキドキしてしまった。

最後は「あとで二人で会える?」みたいなことを言われてめでたしめでたしなんですけども、この『リリーと空飛ぶドラゴン』、Episode 2もあるんですが、そこにはテオくんは出ていないようで。出番はここで終了なんですね、残念。

テオ・トレブスですが、2012年の『コーヒーをめぐる冒険』(原題『Oh Boy』)以降、久々の長編映画出演があるようです。
ドイツでは5/21公開の『Abschussfahrt』。日本語でたぶん、“ハジけた旅行”みたいな意味。予告編を見る限り、モテない童貞四人組のコメディっぽい。旅行だからおそらく、童貞喪失目的じゃないかと思われます。テオくんはその四人組には入っておらず、たぶん、彼らに意地悪をする厭味なイケメン役かな。
どちらにしても、ドイツ映画でコメディとなると、日本公開は難しいと思う。DVDスルーでもいいのでなんとか観られるといいなと思ってます。『俺たち〜』みたいな適当な邦題でも文句言わないので…。





ポール・トーマス・アンダーソン監督。トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』原作。
主演は『ザ・マスター』に続き、ホアキン・フェニックス。その他にも、ジョシュ・ブローリン、リース・ウィザースプーン、オーウェン・ウィルソンなどがちょこちょこ出てきます。

以下、ネタバレです。





舞台が1970年代ということで、スクリーンもスタンダードサイズ、画面もガサガサしている。電話も携帯電話などなく、ダイヤル式。ファッション、ヘアスタイル、メイクもレトロで可愛かった。
ただ、可愛いだけでなく、独特でもあり、出演キャラクターの多い本作、全員がアニメ化できそうだった。全員個性が強く、普通の人が出てこない。

主人公のドックですら、もみあげとひげが繋がったような一目見たら忘れられない強烈な風貌。しかもマリファナ漬けである。でも、これでも一応主人公だし、映画の中では一番まともかもしれない。それぐらい、他の人々が濃い。

元が小説のせいか、会話が多く感じた。特に前半は、人に会って話を聞き、しばらく会話をして物事が少し明らかになり、場所を移動して違う人に会ってまた会話をして…といった具合なので、話運びがはやい。
更に、会う人会う人がリアリティが無いほど濃いキャラクターなのである。話される内容を頭の中で整理しようとしていると、画面からの情報量も多く、すべてを処理しようとするとパンクしそうになってしまう。それで、観ているとだんだんぼんやりしてくる。
なんとなく夢の中のことのような気分になってしまう。それも悪夢。ドックがマリファナ中毒であることがそれに拍車をかける。

また、ドック目線というのとは少し違うけれど、常にドックを中心にして、ドックにカメラが付いていく形式なので、観ている側も一緒に物事に巻き込まれ、彼が混乱する様子を見て一緒に混乱する。

ドックが訪ね歩く場所や施設の世界観も、ウェス・アンダーソンのような独特の作り込まれ方をしていた。
受付嬢がエロい歯医者も面白かったけれど、特に精神病院の異様さが目をひいた。建物は真っ白で医者も白衣で白い。患者も白いフードを被っている。その中に、黒いスーツとサンダルで乗り込んでいくドックは一人だけ異質だった。けれど、病院が異常に見えたので、異質なドックだけがまともに見えた。

終始出ていたホアキン・フェニックスも良かったけれど、ビッグフットを演じたジョシュ・ブローリンも良かった。あれは怪演と言えるのではないかと思う。
チョコバナナをまさにあの感じで舐めるように食べる様子は長く撮られてたのが笑った。その後で、“彼なりの相棒を追悼する意味が含まれていたのだ”みたいなセリフが出てきたのにも笑ってしまった。
Sukiyakiが流れる店で、「モット!パンケイク!」と叫ぶ様子もおもしろかった。このセリフ自体は台本にあったらしいけれど、あんなに何度も叫ぶようには書いてなかったらしい。ずるい。
最後にドックの部屋に来て、大麻を葉っぱのままむっしゃむっしゃ食べる様子も迫力があった。劇中では衝突もするドックとビッグフットが同時に謝る様子からは、仲が悪そうだけれど相性は良さそうな、面白い関係が見て取れた。

この二人の関係は面白いし、インヒアレントヴァイスというのが結局なんだったのか、わかりづらくもあったので続編が観たいと思ってしまったけれど、原作があるものなのでありえないと思うし、わかりづらかっただけで多分解決したのだろうと思う。

俳優陣の演技はいいし、登場人物や世界観の濃さや小道具などの美術面での楽しさもある。ちょっとした笑いがふんだんに取り入れられているのもいい。ジョニー・グリーンウッドによる、なにか不安な気持ちをかきたてられる音楽も健在。
でも、謎解きものなのに終わり方があまりすっきりしなかった。原作を読んでみた方がいいのかもしれない。


ワイルド・スピードシリーズ7作目。
私は1作目と前作しか観ていませんが楽しめました。前作『EURO MISSION』の直接的な続きというか、前後編的な意味合いでもあるような気がするので、前作は観ておいた方が良さそう。もちろん、全部観ていたほうが登場キャラクターに愛着がわくし、より楽しめると思う。

4DXで観賞。4DXを観る前の宣伝映像が車に乗っているものだったため、車ものとの相性は悪いわけはないと思った。確かに車に乗っている感じというか、微妙なエンジンの揺れなども味わえた。しかし、本作は上映時間が138分と長丁場なため、少し疲れてしまった。

ユナイテッド・シネマ豊洲の4DXに初めて行った。中川コロナシネマワールドやシネマサンシャイン平和島にあった真ん中の通路がないため、かなりこじんまりした印象。隣りの人とも近い。
でも、席が密集しているせいもあるのか、スクリーンは4DXにしては大きく感じた。3列目で観ましたがちょうど目線の高さくらいだった。

以下、ネタバレです。






前作の悪玉、オーウェン・ショウ(ルーク・エヴァンス)の兄デッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)が今回の悪役。ルーク・エヴァンスとジェイソン・ステイサムは似ても似つかぬ俳優で兄弟ってどうなのとは思うけれど、両方とも好きな俳優なので別にいいです。
話はわかりやすく、デッカード・ショウが復讐のためにドミニクたちを襲い、対抗するというだけ。

まず、デッカードの場所を探るために、ゴッド・アイという公共のカメラなどに忍び込んで捜索するパーソン・オブ・インタレストあたりに出てきそうなシステムを開発したハッカーの奪還作戦を敢行する。
細い山道を移動していて、山なので気づかれずに乗り込むことは不可能、さあどうする?となったときに、空から参上していた。
飛行機から生身の人間が飛び出して、潜入が困難な場所に行く分にはわかる。よくあるシーンだと思う。
でもそこはワイルド・スピード。車でやっちゃうのがすごい。飛行機から車が数台ぽんぽん飛び出して、地上が近くなるとパラシュートが開く。
『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』で飛行機から戦車が落ちながら、大砲を撃って場所を定めるみたいなシーンがあった。あれも好きだったけれど、今作は複数台なのでよりパワーアップしている。
しかも、山道に入ってからも狭い道を走りながら、護衛の車やハッカーの乗ったバスとの攻防が面白かった。
常に動いているし、山岳なので道が狭く、ミスをすると落ちてしまうという緊張感。最後のバスのシーンなども含めて、計算され尽くされたアクションシーンが見ごたえありました。
ドミニクの乗った車の周りを複数台の敵の車で囲まれ、後ろが崖で…というのも、生身の人間ではよくあるけれど、車でやっているのは他では見られない。しかも、崖の方へ飛んじゃう。

今作は邦題からしてSKY MISSIONなんですが、SKYというか上から車ごと落ちるシーンというのが何度かある。特にドミニク(ヴィン・ディーゼル)とルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)については、めちゃくちゃになった車からなんとか外へ出てくるという、不死身かと思われる描写もあった。

ハッカーの奪還には成功したものの、ゴッド・アイを売ってしまったあとだったため、アブダビへ向かう。
王子のパーティーへ潜入するために、ドミニクたちが正装する。横一列になって歩くショットがスローになったりとたまらない。ドミニクがレティのドレス姿を見て、「見違えた…」とぽーっとしちゃうのもいいですね。
荒くれたちがめかしこんで金持ちの集まりに潜入するというのは他の映画でもよく出てきますが、どれも好きです。

山岳パートでも、仲間たちそれぞれがそれぞれの役割で動いていたけれど、アブダビパートも役割分担をしながら進んでいく。
レティに気づいた女用心棒が『エクスペンダブルズ3』の新メンバーでもあったロンダ・ラウジーだった。ミシェル・ロドリゲスとのドレスを着た女性同士の肉弾戦が恰好良かった。
ドミニクとブライアンが高級スポーツカーでビルとビルの間を飛ぶシーンは予告で見せないで欲しかった。美術観賞しているところに車で突っ込み、兵馬俑か何かがめちゃくちゃに壊れるシーンは爽快感すらあった。

一応ここでゴッド・アイを手に入れるんですが、山岳パートでもアブダビパートでも、デッカードは捜すまでもなく向こうから乗り込んでくるんですよね。別にゴッド・アイなど無くても待っていれば向こうから現れそう。不意打ち阻止のために、こちらから乗り込みたいということだったのだろうか。どちらにしても、たぶん深く考える部分ではないのだろう。
めちゃくちゃにした王子のパーティ−とビルから落とした高級車はどうなったとか、後始末も気になったけどきっと考える部分ではないのだと思う。

デッカードとの最終決戦はロサンゼルスでのストリートファイト。ドミニクとデッカードが武器はあれども生身で殴り合いを始めたので驚いた。車で決着をつけるわけではないんだ。
外野でハッカーの護衛のために車が使われていたり、最後の最後では車も出てくるけれど、基本的には殴り合いだった。
ジェイソン・ステイサムはヴィン・ディーゼルやドウェイン・ジョンソンに比べれば筋肉量は少ないけれど、すっかりアクション俳優になったのだなと思った。『エクスペンダブルズ』でも欠かせない存在である。

前作で記憶を失っていたレティが最後にすべてを思い出す。本当だったらここを一番の盛り上がりにしたかったのかなとも思うけれど、案外あっさりとしていた。

おそらくその理由は、不慮の事故でなくなったポール・ウォーカーの件があったのだと思う。
本作の撮影が終わる前だったようなので、映画内でどうなるのかとも思っていたけれど、最初から最後までちゃんと出ていた。途中は彼の弟が演じていたらしい。

最初に、「今回の任務が終わったら引退する」みたいなことを言っていたため、なんとなく退場するのかと思っていた。
けれど、ラストにしっかりと映像が加えられていた。
この直前まで、ド派手に盛り上がるだけ盛り上がって、ワイスピ最高!みたいにこぶしを振り上げんばかりの状態になっていたのに。

波打ち際で子供と遊ぶブライアンは、厳しい戦いの世界とは無縁の、穏やかで優しい雰囲気だった。
声をかけずにすっと立ち上がり、一人、車を走らせるドミニク。横に並ぶ車があり、ブライアンが声をかける。「さよならも言わずに、行っちまうのか?」
もうそこで、涙が止まらなくなってしまう。
二言三言、二人は言葉を交わし、道が二股に分かれたところで、それぞれが違う方向へ走っていく。二人の道は違ってしまう。でも、車はそれぞれ走り続けている。
しんみりさせるわけではない。これほど優しい映像があるだろうか。
ちゃんとこのような映像を残してくれたことに、ありがとうと言いたい。