ヨルゴス・ランティモス監督。
アカデミー賞は作品賞を含む10部門にノミネートされています。
アン王女とその侍女サラの元に没落貴族のアビゲイルが現れる。
アン王女にオリヴィア・コールマン、サラにレイチェル・ワイズ、アビゲイルにエマ・ストーン。三人とも素晴らしかったですが、やはり主演のオリヴィア・コールマンが素晴らしかった。アカデミー賞は主演と助演2人で3人ともノミネートされています。納得。

以下、ネタバレです。






アビゲイルが存在したのかどうかわかりませんが、アン王女は実在のあのアン王女で、17回妊娠したけれど子が育たなかったのも本当らしい。
サラはラストネームが出てこなかったと思いますが、サラ・チャーチル。チャーチルの先祖。
ニコラス・ホルトが演じたハーリーも実在の人物。ハーリーは小狡く立ち回る憎々しい役で、ニコラス・ホルトの白塗りも表情も本当に憎らしかったので、サラが途中で「あいつのホクロを引きちぎってやりたい」と言っていたのもそうだそうだと同意したし、実在の人物はアン王女に見限られて失脚するというのも溜飲が下がった。

サラはアン王女のわがままを聞きつつも、長年側近をやっているようだったし、病気がちのアン王女の座を乗っ取ろうとしているのかと思った。
対するアビゲイルは最初は女中だし、庶民的でなんとなく観ている私に近い存在に感じられ、彼女に感情移入しながら観ていた。

王女の痛風の足に牛肉を貼るという効くんだか効かないんだかわからない治療方法の代わりに薬草を摘んできて王女の足に塗る。しかも、私が取って来ましたよというアピールも欠かさない。
結構ずる賢いなと思っていたら、あれよあれよという間にのし上がっていく。
アビゲイルは優しい無邪気な子なのかと思ったら、裏表があった。エマ・ストーンの可愛さがあざとい。
すべて策略なのだ。今回、ハーリー含め、男はまったく役に立たないというか、話に絡んでこない。アビゲイルと結婚するメイシャムものし上がる道具で、結婚して以降は見向きもされない。初夜にベッドで股間を膨らませていても、アビゲイルは手でこするだけ。しかも、メイシャムのほうを見ることもなく、アビゲイルはサラのことを考えている。

一方、サラはキリッとしていて知的。ハンティングの時のパンツ姿の正装も美しい。ふわふわしている(ように見える)アビゲイルとは対照的。
でも、アン王女は、肉体的にも精神的にも簡単に快楽を与えてくれるアビゲイルを優遇するようになる。そのようなものに飢えていたのかもしれないし、サラとは長い付き合いで新しい刺激が欲しかったのかもしれない。

そうなると、アビゲイルは更に調子に乗って、サラに毒を盛って追い出す。落馬して顔に傷を負って戻ってきたサラは、本格的にアン王女に避けられる。
ここで、サラがアンに嫌われないように傷を隠すために顔半分を黒いリボンで覆うんですが、それがとても恰好良かった。アビゲイルに毒を盛られたこともわかっていて、表情も怖くなっているから、ゴスっぽくなっていた。今まで、私はエマ・ストーンのほうが好きでしたが、今回、レイチェル・ワイズが大好きになってしまった。

サラは本格的に追放されるんですが、その時に「鍵を返しなさい」と言われて出す鍵がすごく大きくぎらぎらしてて笑ってしまった。小道具も凝っていた。女王の部屋の壁紙もゴテゴテしていた。魚眼レンズみたいなので撮られているシーンが多くて、内装をたくさん映すためかなと思ったんですが、アビゲイルの詰所のような質素な部屋も魚眼レンズで撮られていたので違いそう。

サラは去り際に、私は正直な意見を言っていてそれが愛だとアンに言っていた。王女としてではなく、ちゃんとアンとして愛していた。アビゲイルとは違う。
追放してからアンはサラの存在の大きさに気づく。そばにいなくなって、失って初めて愛を知ったのだと思う。ここからのオリヴィア・コールマンが疲弊したように気力がないながらもすごく綺麗で、これはどんな演技なんだろうと舌を巻いた。素晴らしかった。
アビゲイルはサラを追放して目標を達成、放蕩三昧だったが、アン王女の寵愛を受けられていないことに気づく。結局、アビゲイルはサラになりたかったんですよね。サラのようには愛されないままだった。全てを手に入れたと思ったら、愛は手に入れられていなかった。サラからの手紙を燃やしてましたけど、そんな姑息な手段をとってももうなんの意味もない。
普通なら国外追放までしたら大勝利で高笑いしていてもいいはずなのに、完全敗北。女王を通して、アビゲイルもサラを失った大きさに気づく。

後悔するアンの表情と、虚しさを感じるアビゲイルの表情が重なって、暗転し、THE FAVOURITEというタイトルがバシッと出て終わる。すべてが台無しになってから、“お気に入り”と出されてもと失笑が漏れるとともに、なぜか清々しいラストだった。

『ROMA/ローマ』



Netflixオリジナル映画で、配信のみにもかかわらず(一部劇場公開もされたらしい)、様々な賞を受賞したりノミネートされたりしていて、アカデミー賞も作品賞など主要部門含め10部門ノミネート。
アルフォンソ・キュアロン監督。監督の半自伝的な物語とのこと。

以下、ネタバレです。





ネタバレとは言え、完全に理解できたわけではない。内容が難しいわけではなく、背景がわかりにくかった上に、説明はほぼない。
時代は1970年と1971年(これは1971年の年明けが描かれるのでわかる)。
解説には中流家庭と書かれているけれど、金持ちの家なのかと思いながら観ていた。そこで家政婦として働くクレオが主人公。同じメキシコではあるようだけれど、クレオの故郷は遠いようだった。もしかしたら人種も違うのかもしれない。
その辺の、家政婦を仕事とする人と雇う側の関係もよくわからなかった。
住んでいる家がメキシコシティ近郊のコロニア・ローマということで、タイトルの『ROMA』らしい。これも場所の説明などはないので、観る前や観ている間も、イタリアのローマのことかと思っていて、何が関係あるのかと思いながら観ていた。関係ありませんでした。

全編モノクロ。過剰に動かないカメラが長回しのように生活を映し出す。淡々としているけれど、非常に美しい。ただ、途中まではあまり物語の動きもないので、集中力を要する。これが映画館なら…と思ってしまった。
また、本当に画が綺麗なのと、モノクロなので、黒い色を真っ黒で観たいので、そのあたりも映画館向けだと思う。一応電気を消して観ましたが、物足りない。日本でも映画館で公開してほしい。

年明けのシーンで乾杯のカップが、乾杯できずに割れてしまうのが示唆的だった。
そのあとの夜の山火事も、大変なことが起こっているのに美しい。男が燃える炎をバックに歌っているシーンも宗教的で美しかった。背後ではバケツリレーで必死の消火活動が行われている。

雇い主の家の夫は不倫をしているのが確実になる。妊娠したクレオは父親である男性に会いに行くけれど、逆に脅される。
この辺りから、雇い主の家の妻はクレオへの親近感が強くなったように思えた。この家には子供が四人いるのですが、子供たちは元々クレオのことが大好きだったようだ。

家具屋にクレオの子供のベビーベッドを見に行った時に、学生のデモ行進と思われる集団に遭遇するが、デモ行進ほど穏やかなものではなく、銃も扱っていた。これはロス・アルコネスという政府軍の支援組織らしく、映画内に出てきたのも“血の木曜日事件”というものらしい。
ここで、父親である男性もこれに参加をしていることがわかり、クレオに銃を突きつけるのがつらい。クレオは破水し、死産してしまう。

雇い主の家の妻もつらくないわけはないのだろうが、家には大きすぎる夫の車を売っぱらったことで、何かが吹っ切れたようだった。すっかり表情が無くなってしまったクレオの気分転換のために、クレオと子供達と一緒に海へ旅行に出かける。モノクロの海の景色がまた素晴らしく綺麗。

子供たちが海で溺れそうになっているところを助けに行くクレオが印象的だった。泳げないクレオが波の中へ入って行く。押し寄せる波をかき分けて海へ入って行くクレオは、今まで困難を乗り越えてきた姿と重なるようで涙が出てきた。強くあらねばならないという今までの苦労が見えるようだった。
そのあと、キービジュアルにもなっている、家族と抱き合うシーンがあるんですが、クレオが家族に愛されているのもわかった。また、妻も夫と別れて傷ついているし、子供たちも父親と別れるのがつらい。全員それぞれが傷ついているけれど、身を寄せ合って、みんな一緒なら生きていけるという希望が見えた。

最後に映された空を飛行機がゆっくりと飛んでいるショットも本当に綺麗だった。もうどのシーンを切り取っても美しい。だからこそ、大きなスクリーンで観たかったとも思う。
Netflix配信も一長一短だと感じた。
映画館での上映だと今まだ観られなかったかもしれないと思うと、全世界同時配信はありがたい。特に、アカデミー賞受賞有力だと思うので、アカデミー賞前に観られるのは本当に嬉しい。契約していれば何度でも観られる。しかし、こんなちゃんとした作品が家のテレビでしか観られないのはもったいない気もした。




デイミアン・チャゼル監督、音楽ジャスティン・ハーウィッツ、ライアン・ゴズリング主演の『ラ・ラ・ランド』メンバーによる新作。
月面着陸50周年記念作で、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロングについて描かれている。

以下、ネタバレです。





ニール・アームストロングについて描かれているのは知っていても、月面着陸のプロジェクト全体についての映画かと思ったけれど、本当にニール・アームストロング個人について描かれていた。
月面着陸成功することはわかっているのだし、それに向けて、各所でベストを尽くすお仕事映画、言うなれば『オデッセイ』のような、力が集結してラストで成功!やったー!という華々しさがあるのかと思ったけれど、どちらかというと地味な映画。月面着陸についての暗部が描かれていたと思う。

これは今までも言われていたことだけれど、月面着陸初成功にはアメリカの国の威信がかかっていた。ソ連に先を越されるわけにはいかなかったのだ。それによる焦りのためなのか、パイロットが次々事故で死んでいってもプロジェクトは強引に進んで行く。ニール自体についても途中何度も生命の危機を感じた。月面着陸を成功させることはわかってるから、途中で死ぬことはないのもわかっているのに。
時代のせいもあり、最初の船内は狭く、それも恐怖感を煽る。カメラが宇宙飛行士目線にもなるのでかなり揺れるし酔うけれど、4DXで観たらアトラクション感覚になるかもしれない。
狭い船内はまるで潜水艦のようだし、仲間の宇宙飛行士たちが次々死んでいく様子はまるで戦地のようだった。前線に出る兵士が宇宙飛行士で、その気持ちなど鑑みずに政治家は勝利だけを目指すのも戦争に似ている。
直接のドンパチは無くても、冷戦下なのだし、宇宙開発も戦争だと思い知らされた。
仲間が事故に巻き込まれた後、葬儀などは映さず、2年後に飛ばして、ニールが訓練中の事故で危機一髪という目に遭っていたのはうまい演出だと思った。省略しつつ、常に危険と隣り合わせなのがわかる。
また、ニールがアポロ11号の乗組員に選ばれてるのも別に経緯などは詳しく描かない。だって、みんな知ってるから。

また、ニールの家族にもスポットが当てられている。妻であるジャネットはただ待つだけである。通信を聞いて見守っていても、息子たちは暴れ放題だし、重大な危機が近くなると通信が切られる。苛立ちを募らせていた。序盤には娘も亡くしていた(娘のアクセサリーを月のクレーターに投げ入れていたが、これも実話なのだろうか)。
宇宙飛行士を夫に持つ妻同士で仲良くなった女性もいたが、その夫は途中で死んでしまった。自分もいつ夫を亡くすかわからないと思い、ますますストレスがたまったはずだ。
ジャネットを演じたのがクレア・フォイ。そんな役どころではないから当たり前ですが、ほぼ笑顔がない。自分を強く持とうと、つぶされないようと考えているようだった。
特に、黙って出て行こうとするニールを叱責する姿が良かった。戻れないかもしれないと、ちゃんと息子たちに話していけと。また、息子のうちのお兄ちゃんのほうはある程度ここまで見てきて聞いてきたからなのか、事情を察して厳しい顔をしていた。こんな小さな子まで、無理を強いている。宇宙飛行士の華々しさしか今まで知らなかった。

いざ月面に着陸するという時にも、アラームがなって、NASAに連絡をとっても「そのエラーコードは平気だから続けて」などと言われていてひやひやした。自分が乗組員になら、大丈夫だとしても説明してほしい。そんな時間もなかったんでしょうが。
下が岩で着陸できないとか、燃料がどんどん減っていくとか、ここも、着陸できることはあらかじめわかってるのに緊張感があった。ここのジャスティン・ハーウィッツの音楽が素晴らしかった。音楽的には一番盛り上がるシーンだと思う。

緩急の付け方がうまいと思ったのは、いざ着陸してからニールたちが上陸しようとする時にはまったくの無音になるところである。これは映画館で観てよかった。もちろん、映画館で観ても他の観客に邪魔されることもあるのでなんとも言えないけれど、家で観ていたらまったくの無音ということはありえないだろうから。ここの無音シーンは耳に痛いくらいで、身じろぎできなくなってしまった。

なるべくCGを使わず、宇宙船の外の景色もブルーバッグではなくLEDで流してしたらしいが、このCG廃絶主義はちょっとクリストファー・ノーランを思い出した。舞台美術(プロダクション・デザイン)も『インターステラー』『ダンケルク』『ダークナイト』のネイサン・クロウリー。ちなみに、ノーランは本作を絶賛しているとのこと。話の流れというか、人間の描き方もちょっと似てると思いました。


Netflixオリジナルドラマ。
童貞の息子とセックス・セラピストの母親の話と聞いた時にはエロメインのキワモノ枠かなとも思ったんですが、母子の関係がメインではなく、そちらを描きつつも、学校生活がメインになっていた。

ドラマ開始から学生同士のセックスシーンだし、どうだろうとも思ったんですが、キャラクターの性格が一辺倒ではなく、みんながそれぞれ悩んでいる。学園青春群像劇だった。
一話見ただけで、キャラクター全員が好きになってしまい、あっという間に数話続けて見てしまったけれど、全8話だと途中で知って、終わってしまう=キャラクターたちと別れるのが寂しくなってしまい、後半はちびちび見た。けれど、シーズン2の制作が発表されたため、安心して最後まで見ました。

主人公オーティスを演じるのはエイサ・バターフィールド。童貞であり、勃起もできないためオナニーすらできない。
友人のエリックはゲイなんですが、別に二人がどうこうなるわけではないのもいい。あくまでも、友人。あやしくなる部分もない。
学園のはぐれものメイヴはヤリマンという噂を立てられていて、実際経験は豊富そうだけれど、頭がよく、ちゃんと彼氏としかセックスしない。
彼氏は水泳の選手で生徒会長候補。母親二人に育てられているが、厳しさに息苦しさも感じている。エリックはゲイですが、母親たちはレズビアン。他にも学園にゲイの子がいる(この子も別にエリックと付き合うことはない)(エリックは仲良くなりたそうだった)、レズビアンカップルもいる。カミングアウトの難しさなどは描かれず、隠すこともせず、別に、普通にそこにいる。やはり最近のドラマという感じ。特にNetflixは多様性の要素を積極的に取り入れていると思う。

ストーリーはオーティスとメイヴが学園の子たちの性の悩みを聞いて解決するというもの。大きな流れはあるけれど、基本的に一話完結。

一話で乱暴者に見えて巨根を気にしていたアダムは、父親が校長先生であり、自分は落ちこぼれなので関係がうまくいっていない。その影の姿というのは、視聴者しか見ていない。学園では乱暴者のお山の大将だし、ゲイであるエリックには特にいじめを働く。これが寂しさゆえだというのは、テレビを見ている人はわかるんですけどね…。だから、アダムのことも嫌いになれない。

エリックの誕生日にオーティスは一緒に映画を観に行こうとしていて、それが、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』なのも良かった。しかも、二人ともヘドウィグのコスプレをしていて可愛い。
きっと今までなら二人でコスプレで映画を観て、キャーキャー楽しく過ごして帰ってきたのだろう。でも、オーティスはメイヴとの予定を優先してしまう。
二人なら楽しいコスプレも一人だとバカみたいに見える。しかも、カバンを盗まれるなど踏んだり蹴ったり。そこでオーティスと喧嘩をするんですが、学校主催のダンスパーティーで仲直りをする。その曲が、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』内の屈指の名曲であり代表曲の、『The Origin Of Love』なのも泣いた。大人になった時にこの時を振り返った二人の中で占める『ヘドウィグ』の役割はきっと大きいものなのだろう。

エリックも別にオーティスのことは男性として好きというわけではないけれど、メイヴと仲良くなってしまったし、友達が離れて行ってしまったように感じていた。
もう、これは序盤からなんですが、アダムとエリックが付き合えばいいのではないかと思っていた。孤独な魂同士が惹かれ合い寄り添うのが好きなのもあるからだ。アダムはホモフォビアっぽかったけれど、ホモフォビアとホモセクシャルって表裏一体だというし…。妙に意識してるし…。
と思っていたら、最終話でやっと、待ってました。居残り二人組で結ばれた。関係を持ってしまった後で、アダムは「誰にも言うな」と言っていたので衝動的なものだったのかなと思ったけど、その後、授業で隣りの席に座った時に、膝と膝、指と指をかすかに触れ合わせていて、ぼろぼろに泣きました。やっと孤独な魂たちが救われた!
それなのに、アダムは軍隊に入れられてしまい、学校は辞めさせられてしまう。父(校長)が業を煮やしたのだ。そりゃないよ…と思ったが、二人がハッピーになるなら、わざわざ最終話までじらさないもんな…とも思った。「遠くに行きたくない」とアダムは学校への未練を示していたが、それはエリックのことも考えていたと思う。それに、連れて行かれるアダムをエリックは目撃してしまうし、目撃されたのをアダムも認識していた。辛すぎる。お願いだからシーズン2でもう一度出会わせてほしい。でもシーズン1で少しの間だけでも心を通わせるシーンがあって良かった。

オーティスはオーティスで複雑なんですが、メイヴのことを好きになるけれど、メイヴ側は心許せる友達だと思っている。でも一話の最初では勃起ができなかったのが、メイヴを好きになって夢精する。
処女だけどセックスに興味津々の女の子がオーティスに言い寄って、いざセックスという時に、オーティスはパニック症状に陥る。これは後半なんですが、勃起できないのはどうやら、幼少期に父親が母ではない女性とセックスするのを見てしまったせいもありそうだった。
そんな中で母がちょっかいをかけている男性の娘からアプローチを受ける。オーティスがやっとその子の想いに答えようとしたところで、メイヴがオーティスへの想いへ気づく。メイヴはオーティスがキスしているのを見てしまい、何も言わずに去るところでS1が終わる。
もしかしたら、オーティスがメイヴとセックスをして終わるのかと思ったが、そうではなかった。そこまでは進まない。でも、オーティスはキスを思い出して、勃起することができた。一話のオープニングが勃起できずに悩んでいるところだった。つまり、オーティスが勃起できるようになるまでの話だったのだ。
これは下ネタではなくて、問題があって勃起できなかったのだから、8話を通して問題が解決したりオーティスが成長した結果、勃起できるようになったのである。問題解決や成長というのは普通のドラマでよく描かれることで、本作はたまたまそれが勃起になぞらえられていただけだ。よくできている。
ただ、射精するところまでいったかどうかは描かれないんですよね。射精できて初めて問題が完全に解決するのだ。だから、まだ中途半端である。あくまでもS2へ続く、なのだ。楽しみ。




のむコレから二ヶ月、配給会社がついて、晴れて正式公開となりました。ご祝儀としてクリアファイル付きパンフレットも購入。クリアファイルは抱き合うジョニーとゲオルゲが表と裏になっていて、とても良いデザイン。
二回目の感想を簡単に。(一回目の感想はこちら

以下、ネタバレです。





少し前までの同性愛を取り扱った作品では、愛し合う二人は結ばれないものだった。死んでしまったり、酷い迫害を受けたり、それ故に片方が相手のことを思って身を引いたり、世間体を気にして別れたり。とにかくアンハッピーエンドになるパターンが多かった。

実は、何の情報も入れずに観た一回目は、序盤の荒涼とした風景とジョニーの堕落っぷりと逃げ場の無さっぷりからハッピーエンドになるのかはわからなかったし、またいつものパターンに当てはまるのではないか…と思いながらひやひやして観ていた。

二回目はある程度流れがわかっているので安心しながら観ました。誰も死なないというのがわかっているのもいい。
ジョニーの表情が何も望みがなくやる気も感じられないところから、ゲオルゲに会って警戒感丸出しになり、それからでれでれの締まりがないものになり、ゲオルゲに出て行かれてからは家族を守る強さが見える表情になり、最後はとても優しい表情になる。
その移り変わりは彼の成長そのままである。

人が一生懸命何かをする姿というのは見ていて応援したくなるし、成就した時には良かった!と思うし、何をかはわからないけど、私も頑張ろうという気持ちになる。見終わった後に自分の中に前向きだったり優しい気持ちが広がる。

こういう映画を自分の中に作っておくと、気持ちが落ち込んだ時などにこれを観れば、観終わった後には自分が優しい気持ちになることができる。映画によって自分の機嫌をとることができるのはすごいことだと思う。だから是非、ソフト化されてほしい。

同性愛者であることでの問題はそれほどないと思ったけれど、牧場の後継ぎができないというのは問題といえば問題なのかもしれないし、ゲオルゲも結局それを一番気にしていたようだった。けれど、女性をパートナーにしたところで、跡継ぎができるとも限らない。

それよりも、具体的にどうするのかはわからないけれど、ジョニーは建設的な意見を持ち、それを自分の父親に提案することができるようになったのが素晴らしい。序盤だとジョニーは父に畏れと苛立ちしか感じていなかったと思う。発作の影響もあると思うけれど、父を気遣う心を持つことができたのも、ゲオルゲのことを好きになったからだろう。ジョニーが父を気遣えば、父もジョニーに感謝をし、今まで叱責しかしていなかったのに礼を言うようになる。恐らく初めてなのではないかと思う。

すべてが良い方向へと進んで行く稀な映画だと思う。扉が閉まるエンディングなので、この先のことはわからない。神のみぞ知る。大変なことも多いと思うけれど、きっと良い方向へ進んで行く。扉の向こうは新たな始まりなのだ。だから、観終わった後に、ああ、観て良かった…と心から思う。

『Pro9-治験』



2012年公開。日本で劇場公開されたのかは不明ですが、DVDは2014年にリリースされたようです。DVDには特典として予告編が入っているようなので、公開されたのかも。
アナイリン・バーナードが出ていたので観ました。

原題はシンプルに『The Facility』。タイトル通り、プロナインという薬の治験のために7人の男女が施設に集められる。
アナイリン・バーナードは一応主役かと思う。その七人の男女は、男性が50歳間近の治験のプロ、筋肉、インド系の学生、アナイリン・バーナード(アダム・大学院生)、女性が記者、普通の派遣社員、ブロンドの学生と個性豊かだったので、何かしら彼らの間にドラマが生まれるのかと思った。
投薬は時間差で、一人一人の自己紹介をかねているのかと思った。しかし、彼らの様々な属性は生かされることはない。筋肉も、看護師の女性を落とすみたいなことを言っていたが、そんな恋愛的なものや人間ドラマもなかった。もちろんアダムの大学院生らしい部分というのも特に出てこない。施設に向かう途中で同じ目的の女性を乗せてあげていたので何かしらあるのかと思ったけれどなかった。

治験は14日間という期間が定められていた。その14日間をフルに使えばもしかしたら人間関係が描かれたのかもしれない。けれど、最初の晩に、最初に投薬された男性が異常行動を起こす。薬の副作用で暴力的になり、顔の皮膚がただれる。
皮膚がただれた人が襲ってくるのでホラー的ではあるのだけれど、投薬をされただけだし、怖いというよりは可哀想だった。そして、時間差で次々と発症していく。

けれど、記者の女性は偽薬で、なぜかアダムもプラシーボとのことだった。記者は理由はわかるけれど、アダムが偽薬だった理由があまりよくわからなかった。薬を投与した場合、しなかった場合の違いを見ていたのだろうか。

殺しあったり殺したりしながら、結果的には6人が死亡。終わり方が淡々としていて、もしかして実話だったのかな、だからわざわざ記者の女性を出して写真を撮らせていたのかな、その写真により明るみに出た事件についての映画だったのかな…と思い、プロシントレックス製薬という会社名で検索してみましたが、この映画についての感想しか出てこないので実話ではなさそう。

ただ、監督のイアン・クラークはこの映画の後、何本かテレビ向けのドキュメンタリーを撮っているようなので、実話的な撮り方がうまいのかもしれない。
ただ、登場人物(治験のプロ)に「人類のために治験をしているつもりだったけど、会社のためだったんだよ!」という怒りのセリフがあったので、治験自体に対しての問題提起だったのかもしれない。または、何か別の治験についての告発だったのかもしれないとも思ったけれど、不明。

アナイリン・バーナードは『シタデル』でもそうでしたが、目が大きいので、恐怖に慄く表情が似合うと思った。ただ、投薬前、注意を聞いている時のへらへらした様子や他の治験者と話す様子が良かったので、もう少し、治験者たちとの人間ドラマ的な繋がりなども観たかった。ホラーパートに入るのが早すぎた。





DCヒーロー物というと、少しほの暗い部分を求めてしまうんですが、本作は細けえことはいいんだよ!系だった。でも、監督が『ワイルド・スピード SKY MISSION』のジェームズ・ワンだと聞いて納得した。
思っていたのと違ったのと、要素を詰め込みすぎだとは思ったけれど、その荒唐無稽さがコミックっぽくはある。衣装がぱっと変わったりもしてたけど、着替えたのいつ?などとは考えなくていいんだなと思う。

以下、ネタバレです。








オープニングの、海に流れ着いた見知らぬ女性を助けるシーンで、もう細かいことはいいのだなと思った。水槽の金魚を手づかみで食べたり、ウロコ柄のウェットスーツのような服装で只事ではないのに、名前を聞いたら言葉は通じるらしく、英語で答えていた。コミュニケーションはとれるのだ。そこまでカルチャーギャップもなさそうだった。

大人になったアーサーが潜水艦で海賊を倒して大暴れするシーンは、狭い船内なのにキメのポーズ満載で、ジェイソン・モモアが恰好良かった。海賊が未来っぽい機械のようなスーツを着ていたのも気になったけれど、彼が恰好いい限り、この映画は成功だろうと思った。
そこで、海賊親子の父親が死んで、恨みを募らせた息子が残されるので、今回のヴィランはこいつなのだろうと思った。

けれど、この映画はヴィランがいてそれを倒すという映画でもなかった。続編があるのかはわかりませんが、一作目なのでメタルかハードロックなんかをバックに(ジェイソン・モモアの見た目から)、単純に悪者をバッタバッタと倒すストーリーで良かった気もする。

しかし、序盤で海底に連れていかれて、異父兄弟と王座をかけて戦うことになる。この映画は海底パートと陸パートが半分ずつくらいなんですが、海底の色の鮮やかさが綺麗だし、武装したサメやタツノオトシゴなどに乗っていたりして映像が楽しい。海洋SFです。メラ王女のクラゲのドレスも美しかった。これはIMAX向けだと思う。細かいところまで観たいし、鮮やかさをもっと堪能したかった。しかし、IMAXでの上映がほとんど無いという…。
アーサーもなんですが、髪が長く、水の中なのでふわっと広がるのが独特。メラの赤い髪も綺麗だった。

この後の陸パートが、CGバリバリの海底パートとはまったく違っていて、個人的にはこちらがとても好きでした。メラとアーサーは、伝説の武器、トライデントを探しに行く。最初が砂漠なせいもあるけれど、まるで『インディ・ジョーンズ』のようだった。
砂漠で手がかりを得て、二人はイタリアに行く。陸を嫌っていたメラだが、アーサーの案内の元、陸の素晴らしさにも気づいていく…。もうこうして、宝探しをしながらメラが陸の良さに気づいて行く話でもいいのではないかと思ってしまった。そのつもりで観ていたら、また未来の機械のスーツのような人物が出てきてぎょっとする。普通のイタリアの風景に溶け込まないSF…。
しかし、この追手たちとアーサー、メラのバトルシーンがとても見応えがあった。カメラだけが動く長回し風のショットで、違う場所にいる二人の戦いを立体的にとらえるのがおもしろかった。
また、このシーンはアーサーよりもメラの活躍が目立ったんですが、ワインを使っての攻撃がそのアイデアも含めて新鮮だった。赤い髪の女性が赤ワインをナイフのように尖らせて放つことで攻撃をする。
この陸の中でもイタリアパートが本当におもしろかったので、ずっとこの調子ならいいのにと思ったけれど、こればっかりやってるとまったく海要素がなくなってしまい、『アクアマン』じゃなくてもいいのでは…いうことになってしまうのが悩ましい。

海溝で生贄となったはずの母と再会をするのも、2作目か3作目くらいでやってほしいエピソードだと思った。まさか、そのスーツの中身が母だとは!というのももっとためてほしかったし、トライデントの守護者とも、戦いではなく結局対話によりあっさりと問題を解決していた。アーサーだから、ということかもしれないけれど、トライデントもあっさり抜ける。このあたりからメラの活躍があまりなくなってしまい悲しい。

ここで、メラもアーサーも最終形態の服装にぱっと変わっていた。
最終決戦の場は多数対多数が戦っていて、最近のものだと『レディ・プレイヤー1』を思い出した。人間たち(正確には人間ではなく海底人とかそうものなのだろうけど)がわちゃわちゃしている後ろに、でかい蟹(のロボットに見える。SF風なので)がいる画が否応にも盛り上がる。
そこに、すべてを蹴散らすような、もっと巨大な何かが現れる。見た目の邪悪さから、大ボスが現れた!と思ったら、これを操っているのがアーサーだったので驚いた。この巨大さも、きっとIMAXのほうが楽しかったろうなと思う。残念。
『インディ・ジョーンズ』と『レディ・プレイヤー1』は普通なら一本の映画には同居しない。しかも二作を足して2では割らない。足しっぱなしなので、散らかっている。でも、もうそれでいいのだと思う。

最後のキメキメの構図とポーズとキンキラの色合いも、本当にコミックとしか思えなかった。だいたい、ジェイソン・モモアが漫画っぽいもの。きっとこれはこれで正解なのだ。
教訓とか説教臭さがなく、ただただ、恰好良く、楽しい作品だった。要素の多さやとっ散らかり具合も、この映画だからもう細かいことはいいのだと思う。お祭り映画。