アカデミー賞、ゴールデングローブ賞はもちろん、他の様々な映画賞の長編アニメーション部門を総ナメした本作だが、観て納得した。
『ヴェノム』のおまけ映像として流れた時にはこんな作品だとは思わなかった。
ただのCGアニメではなく、かといってぬるぬる動く作画アニメとも違う。まったく新しい表現で、アニメ映画で今になってこんなに新しいものが出てくるのかと驚いた。
脚本にフィル・ロードの名前があり、製作総指揮にもフィル&ミラーの名前があるからか、ストーリーも安心安定の仕上がり。

以下、ネタバレです。









アニメなんですが、元がアメコミである。そのために、オノマトペが文字で記されていて、コミックが動いているようになっているシーンが多くあった。
スパイダーセンスは、トム・ホランドのピーター・パーカーは腕の毛がヒュンと立ち上がっていましたが、本作では顔の周りにひょろひょろした線で示される。彼らが何かを感じていると、一目で直感的にわかる。
また、キャラが登場時に静止画になって集中線がババンと付いていたこともあった。それは静止画になったので余計に漫画の一コマのようになっていたが、他にも一時停止をしたら漫画のコマのように見えるであろうシーンが多数あった。

また本作は異次元のスパイダーマンが集まってくるので、その次元の違いによって作画が違う。その違いによって動かし方も違うと聞いていたけれど、観るまではぴんと来なかった。しかし、スパイダーハムとピーター・パーカーの並びを見てなるほどと思った。まるで、アニメの世界に迷い込んだ実写の人間のように見えた。スパイダーハムはカートゥーン調なのでよりアニメっぽい動きに、ピーター・パーカーはより実写っぽい動きになった結果だと思う。

異次元のスパイダーマンが多数出てくるということで、『アルティメット・スパイダーマン ウェブ・ウォーリアーズ』の61話から64話(62話から65話)の“異次元のスパイダーマン”のようになるのかなと思っていた。しかし、『アルティメット・スパイダーマン』ではスパイダーマンが異次元を移動して、スパイダーマン自身がCGやら白黒やらカートゥーンに変わる。本作は向こうから来るから逆に来た側が世界に馴染まず動きが一人一人で変わる。

ラストバトルのカラフルさはアニメでしか表せない世界だった。列車が縦横無尽に飛び回り、黄色ピンクの色彩に目を奪われる。
最近、人間ドラマ的な映画を観ることが多かったので、久々にIMAXで観るべき、3Dで観るべき映画だったと思う。
映画館でしか体験できない。まさに体験だったのだ。

ストーリーとして、フィル・ロードっぽいなと思ったのは、自分を信じられずビルの屋上から跳べなくて、おとなしく階段を降りて行って低いビルに移動という単なるコメディリリーフかと思ったものがあとで効いてくるあたりだ。
また、おじさんの女の子口説き落としテクの肩ポンの伏線回収もフィル・ロードっぽかった。おじさんの声がいやにセクシーだなと思ったらマハーシャラ・アリだった…。

「自分を信じて跳べ」というのは『インセプション』でも出てきたんですが、これはLeap of Faith.というもので繋がりがありそう。
マイルスがスパイダーマンに蜘蛛の糸で縛り付けられますが、それを破った瞬間がこの映画の主人公が殻を破る瞬間だと思う。脚本のお手本のようでわかりやすいのも特徴だろう。
また、行きたくない進学校で一人ぼっちだったマイルスに友達ができて、親とも和解する。ストーリー開始時より、ちゃんと一歩前進する。
マイルスだけではなく、スパイダーマン・ノワール(ニコラス・ケイジだったとは)が白黒の世界にルービックキューブを持ち帰るというエピソードだけでも一歩踏み出したのがわかる。自堕落な生活をしていたピーター・パーカーがMJの元へ行くのも良かった。みんな身近な人を亡くしているという点で共通していた。けれど、悲しみを乗り越えて一歩踏み出すのだ。

やはりロード&ミラーの関わっているストーリーは安心して見られるほど完璧なものだなと思っていたら、最後に、『困ってる人がいたら助けるのがヒーローだ』というスタン・リーの言葉が出て、その次に、『一人じゃないと教えてくれてありがとう』というスタン・リーとスティーヴ・ディッコ宛の言葉が出るという…。
最後にこんなメッセージを出すのはずるい。不意打ちで泣かされた。

ただ、ちょっとしんみりしかけたところでエンドロール最後におまけ映像。
スパイダーマン2099という未来のスパイダーマンがアース67へ送られる。アース67というのは1967年のスパイダーマンらしく、昔風のアニメで、2099もカクカクした動きのアニメーションになってしまう。
エンドロールでオスカー・アイザックの名前を見て驚いたけれど、2099役でした。


セザール賞5部門受賞。『BPM ビート・パー・ミニッツ』のナウエル・ペレーズ・ベスカヤートが出演してますが助演。主演はアルベール・デュポンデル。彼が監督、脚本をつとめている。

公式サイトの雰囲気や、『パルナサスの鏡』が引き合いに出されているあたりで勘違いをしていたのですが、そんな楽しげで華やかな話ではないです。
『その女、アレックス』のピエール・ルメートル著の小説を原作にしている(という情報を知ってから観たらまた違ったかも)。

以下、ネタバレです。












主人公の男アルベールが警察に話を聞かれているシーンから映画は始まる。彼の過去回想で進んでいく。

塹壕で時間稼ぎをして休戦を待っているフランス軍が映し出される。ドイツ側も攻撃を仕掛けてこない。なんとなく意外な気がしてしまったけれど、前線の兵士たちは誰も戦いたくないのだ。当たり前だ、死にたくないもの。
ところが中尉のプラデルは、戦争したがりで、二人の兵士に様子を見て来いと命令する。こういう男がいるから無駄な死が増えるし、戦争は終わらないのだな…と思った。全員泥だらけなのにこの中尉だけはきれいなのも嫌な感じだった。
様子を見に行った兵士たちは案の定撃たれ、それを合図にしたように交戦が始まる。しかし、撃たれたのも後ろから=ドイツ軍ではなくフランス軍から撃たれているとアルベールは発見する。プラデルの仕業だろうとすぐわかるが、気づかれたのを知ったプラデルにアルベールは生き埋めにされそうになる。それを助けたのがエドゥアールで、彼はそれが原因で顔に消えない傷を負ってしまう。

この、プラデルとアルベール、エドゥアールの関係が戦後も因縁のように続いていく。

この先、アルベールによるプラデルへの復讐と、エドゥアールと父との関係が描かれていくが、人間関係が複雑に絡み合っていて、まったく別々の話のようで同時に進行していくのがおもしろかった。

エドゥアールは父との間に遺恨が残っているので、いっそ死んだことにしてほしいと言う。アルベールはそのアリバイづくりに奔走するが、墓の業者がプラデルで、しかも彼はエドゥアールの姉の夫になっていて、エドゥアールの家に住んでいた。プラデルは運転も乱暴だし、汚職を繰り返していて、戦時中に嫌な奴だった人間は戦争が終わっても嫌な奴のままだった。戦争は一人の人間に起こった一つの出来事に過ぎない。思えば、戦場で無理な指示をしてくる上官の戦後の生活の様子などは、映画ではほとんど描かれない。
アルベールにしても、戦争から戻っても働き口がなく、復職もできず、妻にも逃げられて孤独になっていた。

エドゥアールは絵が上手く、芸術的な才能があるようで、自分の怪我をした顔を隠すための仮面を作っていた。この仮面の数々がどれも個性的で、セザール賞衣装デザイン賞受賞も納得。ただの仮面ではなく、ちゃんと感情が示されているのがおもしろかった。口がへの字の仮面の口の部分を逆にしてにっこりさせるのもいいアイディアだと思った。特に詐欺のカタログが出来上がったときの悪い顔の仮面は笑ってしまった。
ナウエルはほとんど顔が出ない。上部だけ出ている時もある。しかし、パントマイム的な手の動きと仮面の表情だけで感情が伝わってくるのだから、演技力があるし、難しかったと思う。また、『BPM』の次が本作なのだから振り幅がすごい。

アルベールは死んだことになっているエドゥアールの墓の案内などをして、エドゥアールの家族とも会い、仕事まで紹介してもらう。そこで父親はエドゥアールのことを決して嫌っていないことも知るが、エドゥアールは聞く耳を持たなかった。
エドゥアールは自分の絵の才能と戦没者慰霊碑が求められていることを知り、慰霊碑のデザイン詐欺で儲けようとする。金だけせしめて慰霊碑は作らないという詐欺です。
しかし、回り回って、地元の有力者である父の元へデザイン画がたどり着き、息子が生きているのではないかと気づく。
父と息子は対面するが、この時のエドゥアールの仮面も良かった。かなり派手でリアルな孔雀の頭。しかし、目の部分はエドゥアールの目なので、父を見つめる目は見えるし、父もきっと本人だと確信したと思う。そこで仲直りをしたようにも見えたが、エドゥアールはそのまま屋上から飛び降りてしまう。普通の鳥ではなく、孔雀なのも意味があった。綺麗だが飛べないのだ。

プラデルは自分の悪行で自爆した面も強いんですが、部下の妻と知らずに不倫して部下に逃げられる、汚職がエドゥアールの父にバレる、エドゥアールの姉にも愛想をつかされる。そして、アルベールの前で半ば事故のような形で生き埋めになって死ぬ。因果応報です。

さらに、ずっとアルベールを尋問していた警察(国境警備隊みたいな人かも)は、休戦間近の時にプラデルが様子見をさせに行った兵士の親だった。彼の復讐も一緒に遂げていたのだ。そのため、無事に国境を越えさせてもらう。

情報は入れないようにしていた面もあるんですが、雰囲気的にミステリアスな仮面の男(エドゥアール)とそれに巻き込まれる普通の男(アルベール)が、フランス各地で興行を繰り広げる友情珍道中ものかと思ったら違った。
興行的なシーンは、エドゥアールが催すパーティ一回だけです。

このパーティでも、各国の指導者たちを模した仮面を被った人物たちをシャンパンで撃っていくというシーンがあったが、本作は思っていた以上に戦争映画だった。戦時中の話が序盤に少し、あとは戦後ではあるんですが、戦争自体が終わっても人々の心の中に残った傷は癒えない、人との関係も終わらない。簡単には戦争は終わらないというのがよくわかった。
普通は、終戦を迎えた時点で映画も終わってそこでめでたしめでたしとなる作品が多いと思うが、本作はその先と過去も少し描かれていて、戦争は人生の中での出来事の一つに過ぎないのだと気づいた。そんなことすらわかっていなかったのだ。





本年度アカデミー賞作品賞受賞。でありながら、異論が噴出している作品。
できることならこんな先入観は無しに観たかった。
監督は『メリーに首ったけ』のピーター・ファレリー。
主演はヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリ。マハーシャラ・アリは各映画賞の助演男優賞を受賞しています。ただ、映画を観ると、助演というよりは主演級に思えた。

以下、ネタバレです。










ヴィゴ・モーテンセン演じるトニーはクラブで用心棒として働いていた。チップを騙し取ったりなどしていて、あまり品はない。家に来ていた業者が黒人だったときに、彼らが使ったコップを捨てるなどする人種差別主義者。
そんな彼が、上品で金持ち、カーネギーホールの上に住むピアニストのドクター・ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。

衣装などからはそれほどよくわからなかったけれど、舞台は1962年。特にアメリカ南部では人種差別が行われているが、ドクは自ら進んでツアーに出かけて行く。

グリーンブックというのは、黒人が泊まることのできる宿を記載した本。南部の奥に行けば行くほど、汚いモーテルになっていっていた。
年代がわからず観ていた序盤、トニーが、泊まる場所は同じ場合もあるし違うこともあると言われていた時に、運転手だからトニーの泊まる場所のランクが下がるのかなと思っていたが違った。

また、演奏をする場所でもトイレは別だし、バーに行けば黒人というだけでいちゃもんをつけられる。レストランにも入れない。それは南部に行けば行くほど酷くなっていく。

序盤、面接の時のドクは本当に王族のような服装だったし、後部座席に座っている時も姿勢良くきりりとしていた。言葉遣いや身のこなしが上品。
対するトニーはあらゆる面で粗野。やめろと言っても車内でタバコを吸うし、吸い殻やゴミも外へ捨てる。文字もうまくかけない。
フライドチキンも車内でぼろぼろこぼしながら手づかみで食べていた。ドクはそれを見て顔をしかめていたが、怖々食べてみて、トニーに心を開き始める。
(しかしその後、セレブの食事会でフライドチキンが出されるのは強烈な皮肉。良かれと思ってやったことが差別になる)

ツアーをしながら正反対の二人が仲良くなるロードムービーなのだが、やはりどちらかというと、トニーの心は変化するが、ドクの心はそこまで変化しない。というのも、ドクは最初から、なんか粗野で嫌だなとは思っていたと思うが、その程度である。黒人が使ったコップを捨てていたところからスタートするトニーとはわけが違う。

ただ、トニーも要は単純なんですよね。保守的な家庭で育って周りがそうだったからというだけで差別していたけれど、ちゃんと付き合ってみれば、別にすぐに考えは変わる。

それよりはドクの心中が気になった。序盤は人種差別主義者なのがわかっていながらトニーを雇った。おそらく、腕っぷしを買ったのだろう。それは、南部へ行って、自分が暴力にさらされるのがわかっていたからだ。
兄とは疎遠だと言っていた。一体何があったのかは明らかにされないし、トニーは単純だから、こっちから手紙書けよなどと言っていたが、おそらく修復不可能なのだと思う。それは、同性愛者であることも関係しているのかもしれない。
白人の前で演奏することの葛藤をしめすシーンにも泣いた。感情を吐露する演技が本当にうまく、マハーシャラ・アリ、さすがの助演男優賞だなと思った。この先もたくさん賞をとりそう。演奏後ににこっと笑うのも、上品な振る舞いも、知性も、感じを良くして馬鹿にされないように、もっと言うと、暴力を振るわれないように必死に身につけたものなのだろう。
6年前に黒人のミュージシャンが袋叩きにあった場所にツアーに出る。彼の勇気だと言われていたけれど、たった6年である。いつ暴力を振るわれてもおかしくない。実際、ステージ以外の場所では殴られることもあった。それでも、事態を変えていくためには、出かけて行かなくてはならない。そのために身につけたピアノの技術であり、身のこなしなのだ。

後半、黒人ばかりのバーでくだけた感じで演奏をした時にも、演奏後に営業スマイルを見せていて、あ、癖になっちゃってるんだな?と思った。また、そのバーで現金を出していたのは、気が緩んだのだろう。白人ばかりの場所では決して見せないだろうし、気を張っていると思う。ほぼずっと、気を張って生活しているのだと思う。

それに比べると、イタリア人とはいえ、白人のトニーはあらゆる面で気楽に見えたし、自分は気楽だったなと気づいたと思う。
でも、アカデミー賞関連で反感をおぼえられたシーンは、銃で脅してドクを救うシーンなのかなとも思った。

あと、実話だから本当のことなのかもしれないけれど、最後もトニーがドクの“お城”に向かってほしかった。クリスマスに大家族がわいわい集まっているトニーの家。逆にお手伝いさんも帰してしまい、一人きりのドクの家。トニーは家で難しい顔をしていたのだから、彼が動くべきだった。シャンパンを持ってトニーの家を訪れるドクも、それも勇気なのかもしれないが…。でも、最後まで彼に勇気を振り絞らせてどうする。あのあと、保守的なトニーの家族はちゃんとドクを受け入れたのだろうか。トニーが受け入れたように、しっかり話せばわかるのだろうか。ドクが嫌な思いをしていないといいなと思う。

終わり方はふんわりとしていて、何も解決していないといえばしていないが、人種問題が解決してない時代の話なので仕方ないのかなとも思う。
でも、レストランに入れてもらえなかったり、黒人というだけで夜間外出して収監されたりと、劇中で感じた怒りがふわっとしたもので誤魔化されて、なんとなくいい話としてまとめられていることも事実。
この二人だけの話として考えれば、とも思うけど、それも視野が狭すぎる。

マハーシャラ・アリは多くの白人に観てほしくて、敢えて白人監督の映画に出たそうだ。確かに観やすさはある。鑑賞後に爽やかな気持ちになるのも悪くない。でも、だからこそ一方で反感を持たれるのはわかる。

正反対な二人のコミカルなやりとりはおもしろかった。でも、アカデミー賞というには…?という疑問が呈されるのもよくわかる。でも、『ブラック・クランズマン』については依然公開されていないのでどちらがどうとは言えないのも…。

内容は関係ないですが、おいしそうな食べ物が次々に出てくる映画でもあった。フライドチキン、食べたくなりました。




前作『ムーンライト』がアカデミー賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督。
1974年の『ビール・ストリートに口あらば』が原作。
レジーナ・キングがほとんどの映画賞の助演女優賞を受賞していて、アカデミー賞の助演女優賞も確実では?と言われていたけれど、その通り受賞した。

以下、ネタバレです。







ティシュは幼馴染のファニーと恋人同士になり、幸せな日々を過ごしていたが、突如、無実の罪でファニーが刑務所に収監されてしまう。その状態で妊娠していることが発覚する。
ストーリーは刑務所へ面会をしに行くティシュと、彼女が思い出す過去が中心になって描かれていく。

過去のシーンは黄色のあたたかなライティングが印象的。『ムーンライト』は青で、冴え渡るような美しさでしたが、今回の美しさはふんわりと優しい。音楽も同じ印象だった。
それは、ティシュがファニーと一緒にいた過去の柔らかくてあたたかくて優しい思い出のカラーなのだと思う。
過去の思い出が優しいほど、その日常が突如奪われたという事実が重くのしかかってくる。

最近刑務所から出てきたファニーの友達が、いかに刑務所が酷いところだったかというのを話すシーンでは、なんとも言えず、音楽が歪む。とても不気味で怖かった。映画は全体的にあたたかな印象なのに、そこだけがひんやりしている。
このシーンに限らず、映画全体がティシュの心中を表しているのだそうだ。そう考えると、あのシーンも不安感が表れているのだろう。

ファニーは白人警官によって誤認逮捕され、収監される。レイプされた側も証言をしている。
『デトロイト』もそうでしたが、『フルートベール駅で』にしても、誤認逮捕というよりははめられたのだろう。
この映画は70年代が舞台であり、悪徳白人警官なんていうものはさすがに現代には…と思っていたが、『デトロイト』にしても『フルートベール駅で』にしても、わりと最近の話だし、黒人に対する白人警官の暴力はニュースでもちょくちょく取り上げられる。現在でもまったくなくなっていない。珍しい事件ではないのだ。

ただ、特に『デトロイト』が怒りをおぼえ、憤る作品だったのに対し、本作はもちろん許せないのは許せないが、アプローチの仕方がまったく違うせいか、そこまで怒りの感情は湧き上がってこない。
悲惨である。許せない事件である。けれど、映画のタッチはひたすら優しい。
これは、怒りをぶつけるのではなく、僕らは僕らで正しいことをしようよというメッセージに思えた。まさにDo the right thingなのだ。アカデミー賞でのスパイク・リー監督もスピーチの最後にこの言葉を残していた(『Do the right thing』自体も未見なので近いうちに観たい)。
そう考えると、白人警官に啖呵を切った売店のおばちゃんは正しいことをしたと思う。
また、ティシュの視線で描かれるので、刑務所の中で実際に何が起こっているのか、そんなえぐい描写もない。だから、強烈に憤るということもなかった。ただ、明らかに殴られた痕がある顔で登場するシーンはあった。

母役がレジーナ・キングで彼女はレイプ被害者に会いにプエルトリコへ出かけて行く。レジーナ・キングが助演女優賞に選ばれたのは、このプエルトリコ・パートだと思う。そこまで長くはない。
そこで被害者の夫(ギャングのボス?)と会食をするが、その前に鏡に向かって精一杯のおしゃれをする姿は相手になめられないようにと外見をしっかり作ったのだろう。鏡に向かっている姿が不安そうではあっても勇ましくも見えた。
ここまでも薄氷の上を歩くように大変だったのだろう。夫も情に流されたのか、会わせる手はずを整える。
しかし、ここで母は言ってはいけないことを言ってしまい、本当はファニーにレイプされたわけではないという証言を引き出すことはできなかった。
「しくじった…!」と言って、頭を抱え込む。決定的に間違った選択をすることでもう元には戻れないことがわかる。場所をつきとめ、プエルトリコまで来て、会う算段を立ててもらったのに台無しにしてしまった。偽証でしたと証言してもらわなければ、ファニーは釈放されない。自分のせいだ。
ここまで、ティシュの前では優しく頼れるお母さん然としていたのに、一気に崩れてしまう。
失敗を悔やむこの演技が助演女優賞だったのだと明確にわかった。

邦題は原作『If Beale Street Could Talk』の直訳の邦題『ビール・ストリートに口あらば』のほうがよかったと思うけれど、映画向けに少しキャッチーに変えたのだろう。でも、観終わってから、口あらば…と思う。口あらば、偽証と認めてもらわなくても釈放されるのに。ビール・ストリートは見ていたはずだ。

レジーナ・キングの演技はずば抜けていましたが、主役の二人も良かったです。ティシュの純粋さとファニーの優しさがよくわかった。
また、脇役が、え?この人も?と思うような豪華さだった。それぞれ、そんなに出番はありません。
ディエゴ・ルナは二人がよく行くレストランの店員さん。ファニーによくしてくれていて、いつもニコニコしていて感じがいい。とてもかわいい。
悪徳警官役にエド・スクレイン。70年代なので厚手のヒゲ。帽子のひさしの奥から、少しでも綻びを見つけて逮捕してやるぞとじっと見てくる爬虫類のような瞳が怖い。
バリー・ジェンキンス作品の特徴として、登場人物が映画の中の人物ではなく、スクリーンのこちら側、私たちを見てくるというカメラワークが使われるのだけれど、主人公の二人の他にもこの悪徳警官が執拗にこちらへ目線を向けてくるショットがあり、こんな目で見られたらびくついてしまい、挙動がおかしくなりそうだし、やっていないこともやったと証言してしまいそうだと思った。これについて、監督は、「登場人物が登場人物を見ているシーンは彼らの中での気持ちの受け渡しだけれど、カメラに向かっているということは映画を観ている人との気持ちの受け渡し」だと言っていた。撮影は『アメリカン・スリープ・オーバー』のジェームズ・ラクストン。
プエルトリコのボス役にペドロ・パスカル。ガラが悪そうながらも、情に厚く、ちゃんとした人のようだった。
デイヴ・フランコ演じる不動産屋は、何の説明もないが、キッパーをかぶっていたので、おそらくユダヤ人なのだと思う。白人だけれど、ティシュとファニーに優しく、なんで優しくしてくれるんですか?と聞いたら、幸せな人を見るのが好きだからと答えていた。白人が黒人に優しいのが不思議なことであるという状況がまずおかしいが、周囲には優しい人たちもちゃんといた。
若手弁護士役にフィン・ウィットロック。実は彼目当てでこの映画を観た部分もあります。心からファニーを救ってやりたいとは思っていたようだが、コネも何もなく、情熱だけでは力不足という役だった。やり手一歩手前という感じです。あと眼鏡をかけていた。久しぶりにフィン・ウィットロックを見たなあと思ったが、製作会社がプランBでなるほどと思った。彼はまだブラッド・ピットに気に入られているようだ。

衣装がまさに70年代で、シャツの柄などが可愛かったのですが、『ペーパーボーイ真夏の引力』、『アンダー・ザ・シルバーレイク』のキャロライン・エスリン=シェイファーが担当というのがすごく腑に落ちた。どちらも可愛かった。





デンマークの国立映画学校の卒業生たちが20日足らずで作り上げたとのこと。ノミネートまではいかなかったが、アカデミー賞外国語映画賞のデンマーク代表になった。
緊急通報ダイヤルで働く男が、かかってきた電話を頼りに誘拐事件を解決しようとする。
出演者はほぼ一人。他は電話の音声のみなのに景色が見えてくる。

以下、ネタバレです。









ワンシチュエーションでリアルタイムに進んでいき、主人公以外が電話での出演ということで、『オン・ザ・ハイウェイ その夜86分』に似ていた。あれは主人公は車を運転しながら動くことはなく、いろんな箇所に電話をかけまくって周囲を動かすという映画だった。それでも、やはり本作と同じく電話口の向こうの景色も生き生きとしていた。向こうも別撮りではなく、出演者が控えていて一斉に演技していたという手法も面白かった。本作の撮影方法も気になる。トム・ホランドやオリヴィア・コールマンが出てました。感想はこちら

本作の主人公アスガーは、自分から積極的に動いていた。場所は部屋移動くらいですが、もっと自分の意志が感じられた。なんとしても、自分で事件を解決したい。
しかも、アスガー自身、何か失態をやらかして電話番にまわされているだけで、本当は現場で働く刑事のようだった。刑事としてのプライドと、おそらく本件が最後の緊急通報ダイヤルを受けての事件なのもあっただろうが、もっと何か問題を抱えているようだった。
話が進むうちに少しずつ明らかになるが、その失態の裁判が明日で、多少ナーバスにもなっている。

誘拐事件側も刻々と事態が変わっていくけれど、それにつれて、アスガーの自分自身の出来事に対しての心も変化していくのが面白かった。

緊急通報ダイヤルの奥で男の声が聞こえていて、女性ははっきりとは喋れない。
この先もアスガーと共に、いろんな電話の向こう側に想いを馳せることになる。
情報が追加されるにつれ、自分の想像の中も変わっていくという経験が面白かった。車種が明らかにされるまでは、想像していた誘拐されてる様子は車内の中だけだった。白いワゴンと言われると、高速道路を走る白いワゴンも見えてくる。

自宅には子供が二人残されている。6歳のマチルダは頭が良く、しっかり者のようだった。これも伏線でもあったかもしれない。
でもこの娘によると、離婚した父が母を誘拐したらしい。そこで、アスガーも私たちもDVの可能性を疑う。アスガーは母を無事に返すと約束して使命に燃える。

一方、明日行われるアスガーの何らかの裁判の証言を友人なのか同僚なのか、頼んでいたラシッドは、最初はごまかすが周囲が騒がしいことが電話でわかり、酒を飲んでいると白状する。そんなことで証言は大丈夫なのか?供述書通りにやってくれとアスガーは怒っていた。この時点でははっきりとはわからないが、何かしらの失態に対して、真実ではないことを証言させようとしているようだった。そのプレッシャーで酒を飲んでいたのではないか。また、その失態が原因なのかは不明だが、妻は家を出たらしい。

アスガー側と誘拐事件とが少しずつ明らかになっていく。アスガーは、おそらく願掛けのような気持ちで誘拐事件解決に臨んでいたのではないだろうか。この事件が解決したら、自分の裁判もうまくいくし、妻も帰ってくる。単なる正義感とも思えなかった。

残された子供達のいる家へ向かった警察からの電話では、マチルダが血だらけであることがわかる。情報が追加され、想像の中の子供が血だらけになる。そして、赤ちゃんは死んでいる。その報告を受けて、アスガーが「息があるか確認しろ!」と言っていたが、私もそう思った。その時点では眠るように横たわる赤子を想像していたから。しかし、腹をズタズタに切り裂かれているという情報が追加されて、確かにそれは確かめるまでもない…と思った。

一気に猟奇殺人事件になってくる。アスガーもそんな男といる女性が危険だと思う。だから、ワゴン車の後ろに閉じこめられている女性は危険だと思ったし、レンガで男を攻撃しろと命令するのもわかる。わかったのだが、この時の会話で、怯えている時は怯えている声なんですが、楽しい会話をしている時にも落ち着いた声色には聞こえなかった。何か変だ…と声だけでなんとなく嫌な予感がしていたら、「赤ちゃんの腹からヘビを出してあげたら泣き止んだ」と…。
そうすると、最初から全てが逆転してしまう。アスガーも同じ気持ちで頭を抱えていて、しかもレンガで殴れなどと言ってしまった。女性は言われた通りにレンガで殴って逃げ出す。

誘拐事件ではなく、夫は妻を精神病院に連れて行こうとしてたんですね。北部はどうやら雨が降っているらしく、電話越しにずっとしとしとと雨音が聞こえていて、寒々しさと物悲しさが伝わってきた。電話のかかってきた場所が、ピンポイントでないまでも広範囲で示されるので地図で大体の場所がわかるのも想像の手助けになった。

逃げ出した女性はアスガーに電話をかけてくる。どうやら陸橋の上らしい。自殺をする気なのだ。
女性も自分が赤ちゃんを殺したことに気づく。今見たら手が血まみれだったと言っていた。情報追加。
ここで誘拐事件とアスガー自身の話が絡み合うのがおもしろい。
アスガーは自分の事件について告白する。若者を撃ち殺したと。確かに悪党だったが殺さなくてもいいのに殺した。明日はその裁判で、同僚にはその偽証を頼もうとしていたんですね。でも、もう緊急通報ダイヤルのほかの電話番の人たちがいる前で堂々と真実を告げていた。そうしないと伝わらないからだ。
自分は故意で殺したけど、あなたは故意じゃなかったのだ。仕方ないではないか。

電話の向こうでは、女性を保護するパトカーのサイレンの音が近づいてきている。女性は「あなた、いい人ね」と言い残して、飛び降りてしまった。
と思ったら、無事に保護されていました。陸橋から飛び降りるだの自殺だのはアスガーが言ってただけで、完全に騙されてしまった。飛び降りたにしては電話が留守電に繋がるんだなとは少し思っていたのに。

ミスリードを誘う作りになっているとはいえ、耳から伝わる情報で想像をすることのいい加減さがよくわかった。でも、想像するのが楽しかったし、映像が頭の中で書き換わっていく感覚が新鮮だった。

アスガーは最後、部屋を出て、誰かに電話をしていた。それは誰かは明らかにされないし、音声もつかない。その状態で私は妻にかけているのかなと想像したが、偽証を頼んだ同僚にかけていると読む人もいるらしい。誰とでもとれるように、わざと音声をつけなかったのだと思う。ラストまでにくい演出。観終わってズシンとくるタイトル含め、おもしろかったです。


渡辺謙とケリー・オハラ主演の『The King and I 王様と私』の映画館上映。
2015年4月にブロードウェイにて19年ぶりにリバイバル上演され、第69回トニー賞では4部門に輝いた(ミュージカル部門リバイバル作品賞、主演女優賞ケリー・オハラ、助演女優賞ルーシー・アン・マイルズ、衣装デザイン賞)。渡辺謙も主演男優賞にノミネートされた。
今年夏には来日公演も控えている。
映画館上映は2018年8月のロンドン公演版。

以下、ネタバレです。






『王様と私』自体は原作が1944年、海外でのミュージカルの初演が1951年、日本でも1965年に日本人キャストにより初演、その後何度も上演されており、映画版もある。
しかし、今までまったく触れてきておらず、『Shall we dance?』くらいしかわからないため、ストーリーも何も把握しないまま観ました。他のバージョンを観ていないため、違いなどもわかりません。今回も渡辺謙目当てです。

舞台は1860年代。タイの王様にイギリス人の女性アンナが子供達の教育係として雇われる。王様に見初められる一般女性の話なのかと思っていたらとんでもない。二人の間にロマンスらしいロマンスはなく、どちらかというと戦友のようだった。

ロマンス成分はタプティムとルン・タという二人が担っているのですが、タプティムが王に気に入られたために、もともと恋人なのに許されぬ二人になってしまう。
タプティム役のナヨン・チョンが歌がとてもうまかった。個人的にはケリー・オハラよりナヨン・チョンが好きでした。夏の公演にも彼女がくるのだろうか。

1860年代のタイは専制君主制がとられていて、誰も王には逆らえない。特に女性の身分は低い。王には多数の妻がいて、子供も70何人と言っていた。
そんな中でもアンナは別の国から来ていることもあり、不平不満をどんどん王へぶつけていく。
傲慢でプライドが高いし、嫌な王だな…と思っていたけれど、観ているうちに彼のことがどんどん好きになってしまう。

70何人かの子供のうちの数人の紹介をするんですが、子供が一人一人わーっと出て来て、最後にアンナに向かって手のひらを上に向けるのですが、アンナが王を見ると、「あなたの両手をその上に乗せて挨拶してあげなさい」とジェスチャーで教えてあげる。あれ?もしや優しい?と思っていたら、子供のうち数人が王に絡んでいき、それへの王の対応がいちいち素敵だった。足にしがみついた子ははがしてあげてたし、反対向きにおじぎをした子は両手で持って向きを変えてあげていた。仁王立ちをする王の足の間を通る子もいた。
子供に好かれているし、王も子供たちのことが好きなのだ。もしかして、いい王様なのでは…。

また、国を一人で治める上での孤独感や苦労、恐怖心などを苦悩しながら歌うシーンもあった。渡辺謙は歌が上手いというわけではないんですが、半分くらい語りのような歌だったし、それより何より、表情が豊かだった。舞台だと大袈裟なくらいに表情を作った方が映えるのだなと思った。また、渡辺謙は日本人の中でも目鼻立ちがくっきりしているのがあらためてわかった。
比べてしまうと、大沢たかおは元の顔のせいもあるが、表情に乏しかったし、演技も大仰なものではなかった。もちろん、そういう役だったからかもしれない。でもでっぷりとした重量感のある体つきは見事でした。

王はプライドの高さゆえなんですが、アンナに聞きたいことがあっても「教えてください」とは死んでも言えないんですね。でも、異文化に興味があって、本当は取り入れたい。勉強熱心で先生(アンナ)がそこにいるのに、プライドの高さが邪魔をする。それで、遠回しになんとかアンナ自身が、聞きたいことを喋るように仕向ける。けれど、その仕向け方が下手すぎて、アンナもこの人、プライド高いから聞きたいのに聞けないんだな…というのがわかる。わかった上で意地悪をせずに教えてあげる。畏れてはいないけれど、王として敬意は払っているから意地悪はしない。王はめちゃくちゃ言っているようで、アンナに甘えてしまっている。なんていい関係なんだろう。

自分よりも頭を高くするなと言っていて、アンナも仕方なく従っていたけれど、そこは意地悪をするように、変に頭を低い位置にしたり、面白いポーズをとったりしていた。アンナはいちいちポーズまで同じようにする。本当に微笑ましい二人だった。
夏の日本公演用のポスターが寝転んでニコニコしている二人なんですが、これも、王様が不意に寝転んだことで、同じポーズをとって図を低くするアンナなんですね。ここで一幕が終わりです。好きにならずにいられない二人だった。

特にやはり、私が渡辺謙目当てで行っていたせいもあるかもしれないけど、彼が出てくると完全に舞台を支配してしまい、観客の心を掴んで離さない。困った王様なんですけど、チャーミングで人間くさい。

二幕はイギリスからの客人を迎え入れるために芝居をするんですが、これがタイの古典舞踊風でメイクや衣装、動き、声の出し方など、かなり見ごたえがあった。要は劇中劇なんですが、違う芝居を二つ観たような気持ちになった。内容自体はとても悲しいものだった。

この後にお待ちかねの『Shall we dance?』があるんですが、これもロマンティックに優雅に踊るのかと思っていたけれど、結構ドタドタしていた。ポルカなので、ステップが弾んでいてダイナミック。でも、ここまで観て来た二人、アンナと王に合っている。
王は異文化だけでなく愛も知るんですが、アンナを愛するというよりは、愛そのものを知った感じだった。もちろん、アンナのことも好きにはなっているけれど、それは妻にしたいという気持ちではない。最初は異国の、しかも女性という訳のわからない存在だった彼女を受け入れたのだ。
この辺りから、多様性や女性の地位向上など、今風のテーマだと思うけれど、これはさすがに原作の通りなのだろうし、そうなると、1944年にこの原作が誕生していたことに驚く。
文化の違いについて、恐れずに受け入れてみると世界を見つめる視野が広くなる。いろんな見方ができると、楽しいことがもっと増える。

また、二幕最初のタイ古典舞踊はさすがに今回特別に加えられたのだろうなと思ったけれど、作品そのものの解説にも、“シャム・バレエ風のダンスによる上演”と書いてあるので、もしかしたら他の上演でもやっていたのかもしれない。でも、さすがに日本人版ではやっていないと思うのだけれど…。
これだけたくさんのバージョンがあるので、何か他にも見て比べてみたい。




『ダンケルク』でピーターを演じたトム・グリン=カーニーのブロードウェイ公演の出演が17日終わった(キャストが変わるが上演は続く)。トミーを演じたフィン・ホワイトヘッドのドラマ出演の情報も出たことで、整理できなくなってきたので、このタイミングで出演者、トム・グリン=カーニー、ジャック・ロウデン、アナイリン・バーナード、フィン・ホワイトヘッド、バリー・コーガンの五人の今後の予定をまとめておく(自分用)。



【トム・グリン=カーニー】

『Tolkien』
『指輪物語』の原作者J・R・R・トールキンの伝記映画。のちに妻となるエディスとの出会いと学生時代、陸軍時代のことが中心に描かれていそう。トム・グリン=カーニーはオックスフォード大学のご学友のクリストファー・ワイズマン役。
イギリスで5/3、アメリカ5/10、ポルトガル6/20、リトアニア6/21で公開が決まっている。
日本のFOXサーチライトのTwitterアカウントもこの映画の宣伝をしていたが、現在公開は決まっていない。(追記:2019年夏公開とのこと)
しかし、有名な人物の映画だし、『指輪物語』を意識したポスターだし、主演がニコラス・ホルトなので公開されるのではないかと思う。


『The King』
Netflix映画。『奪還者』『アニマル・キングダム』のデヴィッド・ミショッド監督。撮影は去年八月にすでに終了してます。
ティモシー・シャラメがヘンリー五世、ベン・メンデルスゾーンがヘンリー四世。シェイクスピアの戯曲を元にしているとのこと。他にも、ジョエル・エガートン、ロバート・パティンソン、ショーン・ハリスなどが出ている。トムはヘンリー“ホットスパー”パーシー役。
秋配信との噂があるけれど不明。年内には配信される予定。Netflixなので、日本も同時に配信されるのではないかと思われます。

『Rialto』
あらすじを見る限りだといざこざが描かれる家族ものっぽい。これも年内には公開される模様。去年の夏くらいに撮影していたようなのでおそらく終わっている。
主人公コルム役にトム・ヴォーン=ローラー。10代の息子を持つ父親で、自分の父の死をきっかけに人生を見つめ直す。トムはジェイという役名がついていて、息子役かと思ったらそうではなく、コルムと関係を持つ男娼役とのこと。


【ジャック・ロウデン】

『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(原題『Mary Queen of Scots』)
去年の11月のいくつかの映画祭で公開され、アメリカでは去年12/21、イギリス1/18、日本でも3/15に公開されます。
スコットランド女王メアリーとエリザベス一世の書簡を通じた争いが描かれている。ジャックはメアリーの夫、ダーンリー卿役。

『Fighting with My Family』
スティーヴン・マーチャント監督。2012年のドキュメンタリーを基にしたコメディ。WWEに入りたい兄妹が元プロレスラーの父と母と一緒に興行をしながら夢を叶えるべく頑張る…という話だと思われます。
ジャックは兄のザック(Zak)役。
アメリカ2/14、イギリス2/27公開。ドウェイン・ジョンソンがご本人役で出ているし、なかなか好評のようなので、日本でも公開されるといいなと思います。


『Fonzo』
ジョシュ・トランク監督。懲役10年の刑期を終えた47歳のアル・カポネは、痴呆を患って過去の暴力的な日々に取り憑かれている…というあらすじ。ヘヴィーそう。
アル・カポネ役にトム・ハーディ。再び共演。他に、マット・ディロンやカイル・マクラクランも出ます。ジャックはFBIのクロフォード捜査官役。
まだ公開日は決まってませんが、撮影は終わっている。ビッグバジェットっぽいし、キャストからも日本公開もあると思う。

『Corvidae』
4月からスコットランドで撮影されるサイコスリラー。ジャックは制作も兼ねるらしい。スコットランドに拠点を置く新しいプロダクションを作ったとのこと。
詳しいことはわからないけれど、トーマス役。ポスターに名前が出ている三人のうちの一人なので、主要人物だと思われる。タイトルはカラス科の意味。

他、エロティックスリラーみたいな作品が控えていると思ったけれど、タイトルが消えているのでなくなってしまったかもしれない。


【アナイリン・バーナード】

『Dead in a Week:Or Your Money Back』
自殺したいけどなかなか死ねない男が自分の殺害を殺し屋に依頼する。多分コメディ。
殺し屋役にトム・ウィルキンソン。どんな役か不明ですが、ハーヴィーという役でクリストファー・エクルストン。アナイリンは死ねない男、ウィリアム役です。
去年11/16にイギリスで公開、アメリカは11/30。日本でも今年夏の公開が決まっている。ヒューマントラストシネマ有楽町他とのこと(配給ショウゲート)。


 『SHERWOOD』
YouTube制作のアニメーション。ロビンフッドからのインスパイアとのことで、ハッカー女の子、ロビンが主人公。見た目は忍者っぽい。
その悪役と思われる人物のCVがアナイリン。少し見た目も似ています。
3/6にYouTubeプレミアムで公開とのこと。月額1180円(無料トライアル三ヶ月)とのことですが、日本でも観られるのかは不明。
(追記:日本語字幕付きで観られるようです。3/16現在、1話のみ無料公開中)


『Bigger』
ボディビルの創始者、ジョー・ウイダーの伝記映画。サプリメントやトレーニング器具の販売でも有名…とのことだけど聞いたことがないと思ったけれど、あのウイダーinゼリーのウイダー氏だった。
アナイリンはその弟のベン・ウイダー役。
去年の秋にアメリカで公開されているようですが、今年の1月にiTunesやAmazonプライムでネット配信が始まっている。日本での配信があるかは不明。

『The Goldfinch』
『ブルックリン』のジョン・クローリー監督。ワーナーとAmazonスタジオ製作。
主人公テオにアンセル・エルゴート、友人ボリス役にアナイリン・バーナード(子供時代のボリス役がフィン・ヴォルフハルト)。
オランダ、ポルトガル、ロシアで10/10、アメリカ、イギリスで10/11、イタリアで10/17の公開が決まっている。
二コール・キッドマン、サラ・ポールソンなど有名どころが出るし、原作も有名なので、日本でも公開されるのではないかと思うが、製作費を出す代わりにAmazonプライムでのストリーミングの放送権を得るらしいので配信スルーの可能性もある。(追記:2020年公開予定とのこと)

『Radioactive』
『チキンとプラム』のマルジャン・サトラピ監督。
キュリー夫人と夫のピエールの話。マリ・キュリー役にロザムンド・パイク、ピエール役にサム・ライリー。娘イレーヌ役にアニャ・テイラー=ジョイ。
アナイリンが演じるはポール・ランジュバンは、ピエールの教え子であり、ピエールの死後、マリと恋人同士になるが、ポールにも妻がいて…という人物。その他にも秘書との間に子をもうけたりと女癖は悪そうですが、研究者としては優秀で、ソナーを開発したのもこの方。フランス人(!)。
こちらはキノフィルムズがすでに購入済みということで、劇場公開があるかどうかは不明だし、本国公開の日付もまだ決まっていないようですが、いつか日本語字幕付きで観られる。

『The Personal History of David Copperfield』
『スターリンの葬送狂騒曲』のアーマンド・イアヌッチ監督。監督というよりは、元々はオックスフォードで放送メディアの教授をやっていて、スタンダップコメディや風刺作家でもあるらしい。
チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(カッパーフィールド表記のところも)の映画化。
デヴィッド・コパフィールド役にデヴ・パテル、大叔母役にティルダ・スィントン、貧乏でひょうきんなミコーバー役にピーター・カパルディ、大悪人ユライア・ヒープ役にベン・ウィショー。
アナイリンはデイヴィッドの旧友であり理想像、ジェームズ・スティアフォース役。しかし、傲慢で誇り高い性格、上層思考が強い、下層の人々を蔑視、純朴な人々の生活を破壊など、散々な言われよう。撮影の写真を見ると、特殊メイクなのか本物なのかわからないが、だいぶふくよか。まん丸です。
こちらもギャガが購入済み。本国では年内公開予定。ポルトガルは12/5とのこと。来年のアカデミー賞レース狙い?(追記:2020年早春公開予定)


【フィン・ホワイトヘッド】

『The Children Act』
原作はイアン・マキューアン『未成年』。
信仰により輸血を拒む少年アダムと裁判官フィオナの交流。フィオナ役にエマ・トンプソン。アダム役にフィン。輸入DVDで視聴済み。感想はこちら。原作を読んだ感じだとアダムはもっと幼い感じがしたけれど、何も疑わない純粋さがよく合っていた。人生を変えてくれそうなフィオナに執着する様子は、雛が生まれて初めて見たものを親と思ってついて行くのに似ている。
フランスやイギリスで2018/8月、アメリカで9月に公開された。
キノフィルムズが購入済みなので、日本の情報ももうそろそろ出るのではないかと思う。公開されるのか、DVDスルーになるのか。


『Roads』
監督は140分ワンカットという変わった映画『ヴィクトリア』のセバスチャン・シッパー。
『ルートヴィヒ』や『ラン・ローラ・ラン』に俳優として出演。
フィンは、兄弟を探すコンゴからの青年ウィリアムと出会うギレン役。ギレンは継父に嫌気がさして、モロッコでの休暇中にキャンピングカーを盗んで逃げ出すということで、普通の若者っぽい。二人はヨーロッパ国境付近で会って一緒に旅をする。予告を観ると楽しくもほろ苦い青春ロードムービーかなとも思うけれど、想像よりも辛い目に遭いそう。
ドイツ・フランス共同製作とのことで、ドイツで2/21公開(追記:5/30に延期になったようです。4月のトライベッカ映画祭にも出される予定)。
予告もドイツ語吹き替え。

『Don't Tell A Soul』
ジャンルとしては、ドラマティックスリラーとのこと。ガンを患った母と泥棒によって生計をたてる兄弟の話らしい。兄弟の弟ジョーイ役にジャック・ディラン・グレイザー(『IT』のエディ、『シャザム!』の主人公の友人)、兄マット役がフィン。兄弟が貯水池から出られない警備員と知恵比べ(たぶんもっと悪いこと)をする。
年内アメリカ公開予定。
他にもそこそこ有名なキャストが出ているので公開してほしいけれどどうなるか。

『Port Authority』
20歳のポールは路上でダンスをしていたワイを好きになって恋に落ちるが、ワイがトランスジェンダーだということがわかり戸惑うというラブストーリー。ポール役にフィン。
kiki Ballroomというダンスシーンを題材にした話。

kiki Ballroomはヴォーギング(マドンナの『Vogue』のPVで踊られているあれ)と呼ばれるダンスで対決するイベント。セクシャルマイノリティのコミュニティ形成の場でもあるらしい。1920年代のドラァグカルチャーに端を発するとのこと。ニューヨークの文化でもあるが、日本でも行われたことがあるようだ。
2017年のレインボー・リール東京にて、kikiを扱ったドキュメンタリー『キキ -夜明けはまだ遠く-』(2016年)が上映された。
ワイを演じるレイナ・ブルームはトランスジェンダーのモデルでkikiにも参加していたということで自伝的な作品なのかなとも思うけれど、主人公はあくまでもポールらしい。ポールの目から見たムーブメントということだろうか。

まったくのインディーズ作品で、日本公開は望めないと思っていたけれど、エグゼクティブ・プロデューサーにマーティン・スコセッシの名前もあるらしいのでちょっと期待。
ロドリゴ・テイクセラ(『ウィッチ』の製作)のRT Featuresと、マーティン・スコセッシのSikelia Prods.が新しい才能を発掘するべく2014年に合併したらしい。
ただ、本国でも公開の予定が出ていない。撮影は終了している。

『Inside No.9』Series5
ドラマシリーズのシーズン5にゲスト出演とのこと。他にもジェナ・コールマン、マキシン・ピーク、ジル・ハーフペニー、デヴィッド・モリッシーもゲスト出演するらしいので、一話完結ドラマで一話だけに出ると思われます。
BBC Twoにて放送。海外のNetflixでは配信があるようですが日本ではありません。
コメディとのことだけれど、コメディするのはレギュラー組だけでゲストはシリアスをやらされるのではないかとも思う。でも本当にコメディだったらとても観たい。
S1から全て6エピソードずつ。S1が2014年2月、S2が2015年3月、S3が2016年12月、S4が2018年1月と放映時期が一定ではないのでいつなのか不明。


【バリー・コーガン】

『アメリカン・アニマルズ』
大学生たちが図書館からヴィンテージの画集を盗んだ実話。バリーは犯人グループの一人スペンサーを演じる。他、メンバー役としてエヴァン・ピーターズ。実際の犯人たちも出ているらしい。
日本でも5/17に公開が決まっている。
去年の6月7月くらいからシンガポール、タイなどで上映が始まり、アメリカは8月、イギリスは9月に上映された。

『Black'47』
1945年〜1849年にアイルランドで起こったジャガイモ飢饉の話。タイトルから1847年の話だと思われる。イングランドの政策が要因だったらしい。
バリーは理想主義の若い英国兵のホブソン役。
去年9月にアイルランド、イギリス、アメリカで公開。
日本では公開されなさそう…と思っていたけれど、ジム・ブロードベントやフレディ・フォックスが出ている。

『Chernobyl』
タイトル通り、1986年のチェルノブイリ原発の事故の話。テレビドラマで全5回。バリーはそのうち一話に出演。
アメリカで今年5月に放送されるとのこと。

『Calm with Horses』
こちらもアイルランドが舞台。製作国はイギリス。
元ボクサーが麻薬ディーラーのディバーズ家の用心棒になるが…という話らしい。バリーはボクシングをやっているのでボクサー役なのかと思ったけれど、それは違う方。写真を見る限り、髪を金色に染めてガラが悪そうなので、ディバーズ家の一員ではないかと思われます。

『Y』
2020年アメリカで放送予定の全8話のドラマ。バリーはそのうちのどれか1話に出るようですが、名前など不明。パイロット役とのこと。
ブライアン・K・ヴォーンの『Y:The Last Man』というアメコミが原作。ヨリックという主人公とアンパサンドという猿以外、世界中からオス(y染色体。それがタイトルらしい)がいなくなってしまう…という話。
けれど、出演者を見ると男性が何人かいる。消える事件が起きる前のことだろうか。だとすると、出るのは最初の1話もしくは最後の1話だろうか。