2014年公開。日本では2015年公開。フランソワ・オゾン監督。
タイトルからもわかるが、“彼”なのに“女ともだち”である。予告編を見たところ、平凡な女性が女装をした男性と出会い、意識を変えていく話なのかと思っていた。けれど、それよりずっと複雑だった。
いきなり棺桶の中の女性が映り、お葬式のシーンから始まって驚く。若い綺麗な女性で、ウェディングドレスを着ている。
亡くなったローラの幼馴染であり親友のクレールのスピーチ内容なのか回想なのか、二人がどれだけ仲が良かったかというのが、子供の頃から遡って映像で流れる。セリフはほとんどないけれど、唯一無二の親友といった感じだった。それぞれに恋人ができた様子を見ていると、少し、もしかしたら親友以上だったのかもしれないとも思った。
そこまで仲の良かった親友を失ったのだから、クレールは傷ついている。しかし、傷ついているのは彼女だけではなかった。
ローラの家に行ったところ、ローラの夫のダヴィッドがローラの服を着て、ウィッグをかぶり、赤ちゃんをあやしていた。
予告やタイトルに出てくる“女ともだち”が親友の夫だとは思わなかった。
しかし、同時に納得してしまったのは、彼が「彼女の服を着ると落ち着く」と言っていたからだ。
相手を失った悲しみからとか、相手を恋い焦がれるあまりとか理由はいろいろあるが、相手を愛するあまり、自分がその対象になってしまいたくなる。この現象は他の映画や小説やアニメでもよく出てくるのでポヒュラーなのかもしれない。
ただ、ダヴィッドの場合は、ローラが亡くなってから女装をしたくなったわけではなくて、その前かららしい。ローラもそれは知っていたし、恋愛の対象は女性だという。このあたりがこの作品を複雑にさせる部分である。
ダヴィッドがローラの服だけではないにせよ、女性の格好がしたくて、さらに男性が好きというならシンプルだったと思うのだ。
クレールと女性の格好をしたダヴィッド(ヴィルジニアという名前)は、一緒に出かける。服を選んだり、クラブで一緒に踊ったり。
クレールとしても、最愛の親友を失ったさみしさを、ヴィルジニアと一緒に遊びに出かけることで癒しているように思えた。
話が進んでいくうちに、ダヴィッドは女装をしたいだけではなく、自分を女性であると思っているらしいというのがわかる。けれども、恋愛の対象は女性。
ダヴィッドはダヴィッドとしてなのか、ヴィルジニアとしてなのか、クレールにひかれていく。クレールもダヴィッドとしてなのか、ヴィルジニアとしてなのか、好きになっていってしまう。
ホテルで二人で会った時に、二人の思惑がわからなくなってしまった。
ダヴィッドは女性の格好をしていたので、おそらくヴィルジニアとしてクレールを誘う。クレールもその誘いにのっていく。ということは、クレールもレズビアンなのだろうか。でも、夫とも普通にセックスをしているようだった。それとも、ヴィルジニアの中のダヴィッドを見ていたのだろうか。
けれど、体は男だから、当然勃起してしまう。そこに触れたクレールは夢がさめたように、行為を中断してホテルの部屋を出る。一気に親友の夫と不倫という感じになってしまう。それは自分としても許せなかったのだろう。
セクシャリティは個人的なものだし、全員違う。だから、体が男性で、自分を女性であると認識して、女性を好きになっているダヴィッド/ヴィルジニアは結局何をしたかったのかがわからなくなってしまった。
そのまま男性の機能を使ってセックスができるのだろうか。ローラとの間に子供もいたからできるのか。
でも、クレールとしては、ヴィルジニアとは関係を持ってもいいけれど、ダヴィッドととなると話は別のようだった。けれど、もしかしたら、親友に悪いと思いつつもダヴィッドにもひかれていたのかもしれない。
この後、ダヴィッド/ヴィルジニアが交通事故に遭ってしまう。そこで、クレールは本当の気持ちに気づいたのだと思う。けれど、それは明かされない。
話は7年後に飛ぶ。ローラとダヴィッドとの子供も大きくなり、ダヴィッドはヴィルジニアの姿で迎えに行っている。その隣にはお腹の大きいクレールがいる。クレールにも子供ができて、ヴィルジニアとも仲良くやっているみたいで良かったと思ったけれど、よく考えてみたら、夫が出てきていない。
クレールのお腹にいるのは当然夫との間の子供だと思っていたけれど、もしかしたらヴィルジニアとの子供なのかもしれない。意図的に明かさない、遊びを残した形で終わっている。
でもこれ、もしも夫との子供ではないとしたら、クレールの夫の立場がなくないか…とも思った。ストーリー上、ラストシーンのどっちの子なの?と考えさせるためだけに出てきたとしか思えない。
この可哀想な夫を演じているのがラファエル・ペルソナ。アラン・ドロンの再来と言われている美形の彼です。
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