最初、ホラーだと聞いていたけれど、いわゆるホラー映画とは違うかもしれない。監督のフェデ・アルバレス、脚本のロド・サヤゲス、プロデューサーのサム・ライミ、出演のジェーン・レヴィと、主要メンバーが2013年の『死霊のはらわた』と同じとなっている。

以下、ネタバレです。







最初のあらすじとして、若者たちが盲目の老人の家に強盗に入ったが、老人に襲われて家から出られなくなるというのを知っていた。だから、いきなり強盗に入る場面から始まって、舞台はずっと家の中なのかなと思っていたら、プロローグ的なものが少しあった。

本来だったら、強盗をする若者というのはホラー映画でいうイチャつくカップルと同じで襲われて当然の存在である。ホラー映画と同様、殺されて当然の若者たちが次々に殺されていくのを見る映画なのかと思っていた。

しかし、プロローグで示されるのは若者たちの境遇である。彼らが住むのは経済破綻したデトロイト。特に、ローリーという女性について詳しく描かれるのだが、典型的な貧困家庭であり、母は家に男を連れ込んでいる。彼女はお金をためて、妹と一緒にこの家を出たいと思っている。

もちろん、強盗は悪いことである。しかし、境遇が示されることで、仕方ないかな…という気持ちにもなるし、映画を観る側が彼女たちの味方になる。強盗が成功するように応援してしまうのだ。
つまり、強盗をする側が善、盲目の老人が悪である。

ただ、盲目の老人にも事情があって、盲目になった原因は戦争だし、家にある金は交通事故で亡くした娘の示談金である。
そうなると単純に強盗頑張れという気にもなれない。

映画の本題は、盲目の老人の家から金を盗み出し、無事に生きて帰ることができるかというものである。ゲームのミッションといってもいい。ただ、それは単純なものではなく、盗む側、盗まれる側にそれぞれ事情があり、最初に示されるのがおもしろい。

そして、盲目の老人なんて楽勝だろうとも思うけれど、退役軍人なので鍛えられた体を持っているし、銃器の扱いも慣れている。家にある示談金はそのまま大切な娘のような存在に置き換わっているから、二度も娘を失うわけにはいかないと躍起になっている。
更に、強盗の若者の一人が銃を持ち込んだために、正当防衛として殺されても仕方のない状況を作ってしまった。
しかも、老人は凶暴な犬を飼っていて、老人の目の代わりになるくらい懐いている。
単純に、無事に逃げ出せるかな?というところとは離れてきている。その複雑さがおもしろい。

ゲーム開始前、ルール説明の締めくくりとして、家の中をなめるように撮るのもおもしろかった。こんなところが舞台になりますよとちゃんと見せてくれた。

最初、決して広くない家の中での鬼ごっことなると、影からバンッ!という大きな音とともに鬼が出てくるびっくり演出が多いのではないかと思った。椅子に座りながらもビクッとしてしまうし、苦手だったのだけれど、意外にもその描写は少なかった。
なぜかというと、鬼は盲目だから、遭遇=死ではないのだ。遭遇をしても、気づかれなければ大丈夫。むしろ、見える場所やすぐ近くに鬼がいる、そこからバレるか逃げられるかのスリルが楽しかった。

強盗を善、盲目の老人を悪として描くのだろうと思っていたし、そのつもりで見ていたけれど、何度か選択をせまられる場面がある。まずい家に入り込んでしまったことがわかって、金は置いて逃げたほうがいいのではないかという序盤の場面、警察に電話したほうがいいのではないかという場面。両方とも、金をあきらめることをせまられるのだが、結局、どちらでも金をとってしまう。
これでは、若者側が悪になってしまうのではないか。

しかし中盤で、老人が娘の交通事故に関連した若い女性を地下で監禁していることが発覚し、終盤にはその目的が亡くした娘の代わりに新たな子供を授かることだったとわかる。こうなると、どちらが悪だかわからなくなる。

結局金を盗み出して家から脱出、女性は妹とデトロイトを出るという目的を果たし、ミッションコンプリートと思われたが、テレビのニュース番組では女性が悪者になっている。当たり前だ。盲目の老人の家に押し入って、交通事故で亡くした娘の示談金を奪ったのである。報道されれば悪いのは強盗のほうだ。

ただ、中盤から後半で老人側の罪が出てきてしまったので、これについてはどうなったのだろう。警察が来たのだから、地下室の存在がわかったと思うし、そこでしていたこともわかるのではないだろうか。しかし、報道をされている雰囲気はなかった。
娘を愛していたが故の行動ということなのかもしれないけれど、老人のほうも悪いやつだったという描写は無くても良かったような気もする。

しかも、盲目老人のほうは生きていたのが後味が悪い。大切な意味のこもったお金をとられたのだから、どこまでも追い詰めそうな気がする。けれど、盲目ゆえに、家の外には出るのは困難なのではないかとも思う。
まだ、アナウンスがあっただけのようだが、同じ監督で『ドント・ブリーズ2』の企画は立ち上がっているらしい。今回の話の続きなのか、それとも舞台を変えて同じような条件でやるのか気になる。



ヘレン・ミレン主演。軍服のヘレン・ミレンが珍しい。
他、アラン・リックマンやアーロン・ポール、『キャプテン・フィリップス』のソマリア海賊役でアカデミー助演男優賞にもノミネートされたバーカッド・アブディなど。

監督は『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』のギャヴィン・フッド。

無人ドローンによる攻撃全般について描かれているのかと思っていたが、一つの事象について濃く描かれている。

以下、ネタバレです。










無人ドローンによる“空からの目”によって、テロリストが発見される。彼らは自爆テロを計画していることもわかり、それを空中から爆撃することにより、仕留める…という計画の遂行について、ほぼリアルタイムで描かれる。

こう書くと簡単そうな計画と思われるかもしれないけれど、対象がイギリス人とアメリカ人のため、様々な場所から許可がおりないと攻撃に移せない。
現場があって、攻撃のボタンを押すドローンの操縦士がいて、計画を統括する大佐がいて、その周囲に何重にも人物が控えている。たらい回し具合はまさにお役所という感じだった。
また、そんなものかもしれないけれど、枠の外の外側にいる上層部は他人事とまでは思っていなくても呑気だなーと思わざるをえなかった。

また、関わる人が多くなればなるほど、いろんな意見が出てきて簡単には事は進まなくなってくる。
監視に気づかれていないからすぐに逃げ出す事はなくても、現場が待っていてくれるはずもなく、刻々と自爆テロに向かって準備が進んで行く。

現場を含めて、各基地や他国を訪問している外相の様子など、すべてを見られるのは観客だけで、把握できているだけに観ながらイライラが募ってしまった。それだけに、他人事ながらも、「テロ行為に手を染めたアメリカ国民に市民権などない(からやっちまえ)」と言い放ったアメリカの外相にはスカッとした。けれど、何事もなかったようにすぐに卓球に戻って行ったので、あまり深く考えてない感じもする。

ただ、ここまでが遅々として進まなかったせいで、テロ犯がいる建物の外、すぐ近くで少女がパンを売り始めて、事態は余計に複雑になってしまう。

今爆撃しなかった場合、自爆テロでの死者は80名と推定されると言っていた。1人の少女と80名の死者。数だけで言ったらそれは爆撃したほうがいいだろう。80名の中には子供も含まれるかもしれない。けれど、80名死ぬだろうというのは予測だ。なんらかの何かがあって、自爆テロは行われないかもしれない。また、爆撃した場合に少女が被害を受ける確率も出していた。高い確率だったが、死亡しない可能性もある。しかし、重症を負うだろう。

爆撃を行えば少女は確実に重症を負う、最悪死去する。しかし、この先起こるであろう自爆テロは防げるし、ずっと追ってきたテロ犯も殺害できる。

映画の中の人たちも必死に考えていたけれど、私も何が正解なのかわからなかった。“世界一安全な戦場”というサブタイトルがついているけれど、少なくとも操縦士と大佐は真剣に考えていた。別に遠く離れてるからって、モニターの中の戦場を他人事などと思っていないし、ゲーム感覚でもなかった。

特に、実際にボタンを押して手をくだす操縦士は、精神的な負担がかかっていそうだった。二人とも若かったし、経験もないと言っていた。その前に少女が遊んでいる姿を見ている。

映画の中の人々も、映画を観ている私たちも、パン売れろパンはやく売り切れろという気持ちで一致団結していた。
けれど、ようやく売り切れ、片付けている最中でミサイルが家を直撃し、少女が吹き飛ばされる。

これが最良の策だったとは思うのだ。少女がいるのに爆弾を落とすなんて許せない!とは一概に言えない。でも、これで良かったのかどうかはわからない。
もっと頭のいい人が考えたら、何かもっといい案が出てくるのだろうか。
プロパガンダの話も考えさせられた。実際に自爆テロが起こって、その後で攻撃をしたら賞賛される。けれど、少女が巻き込まれたことがどこかから漏れたら、攻撃をした側が非難の対象になる。映像は絶対に漏洩させてはならない。

普通、このように緊迫感が続く作品で、任務が無事に完了したら、イエーイ!とハイタッチでもするだろう。カタルシスがおとずれるものだ。
しかし、この作品にはそんな瞬間はない。これしかなかったとは言え、任務が完了しても重苦しいままだ。
後味が悪いというのはまた違うが、重さは残る。映画を観ていた人が全員下を向いて考えてしまう。

笑顔の一つもない。それどころか、操縦士の二人は涙を流していた。実際のドローン操縦士も、自分に直接被害がおよぶことはなくても、極度のストレスでやめていく人が多いらしい。
この映画でも、少女がいるから、と一度ストップをかけたのは彼らだ。しかし、結局上からの命令には逆らえないし、自分たちだって、このままテロリストを野放しにするのもどうかとも思っただろう。仕方ない。けれど、最初の実務がこれでは、この先どうなっていくのだろう。

結局、少女は病院で息をひきとる。映画を観ている私たちは知っても、ドローン操縦士たちにこれを知らせないのは良心だろう。もちろん、映画になってない部分で彼らは知るかもしれないけれど。
息をひきとるシーンと、少女がフラフープで遊んでいるシーンをエンドロールで流すということは、監督自身もこれで良かったとは思っていないのだろう。
けれど、どうしたら良かったのか。答えは出ない。よく考えろと言われているようだった。
パンが無事に売り切れて、少女が間一髪離れて、爆撃が起こって死ぬのはテロ犯だけでした、という映画であったら、よく考えるということもなかったかもしれない。

根本的なこと、無人ドローンで攻撃することの是非なども考えさせられた。技術力のない国からしたら卑怯だと思うかもしれない。けれど、テロ犯をそのままにしておいていいかというとそれも…。

現場で実際に動いている現地工作員役がバーカッド・アブディ。身体能力も高そうだった。本作ではなんとか被害を最小限に食い止めようといろいろ考える。彼の出る映画がもっと観てみたくなった。

ロンドンの国家緊急事態対策委員会の国防副参謀長役にアラン・リックマン、本作が実写では遺作になった。子供へのプレゼントの人形の買い方であわあわしてしまう様子が可愛かった。会議室ではキリッとしていたが、その様子を見ていただけになんとなく彼の味方になってしまう。

ロンドンの司令部の大佐役にヘレン・ミレン。脚本の段階では男性だったらしいが、監督が女性に変更したらしい。これは女性のほうが良かったと思う。なんとなく、少女のことも大切だけど、それでも!という感じが強く出ると思う。

ドローン操縦士役にアーロン・ポール。『ブレイキング・バッド』での実はいい奴な感じが今回も健在。まっすぐで青臭くて純粋。彼に合っている役。

彼らはすべて別々の場所にいるので、撮影も別々だったらしい。劇中では通信でのやりとりはあるけれど、それも相手がいない中での演技だったという。
また、アラン・リックマンやヘレン・ミレンは部屋をうろうろはするものの、基本的に現場以外の人たちは座っている。それでも、緊迫感が続くし、観ていてまったく飽きないのは彼らの演技力だろう。

また、キャスティングに関わっているのが本作のプロデューサーにも名前を連ねるコリン・ファースというのがまたすごい。
すべてがうまく噛み合っている。おもしろかった。


『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の始まる前、“遠い昔、はるか銀河の彼方で…”のあとの文章で、反乱軍のスパイがデス・スターの設計図を盗み出すことに成功したと書かれていますがその話。

このスピンオフも三部作なのかと思っていたけれど、一作で完結。

監督は『モンスターズ/地球外生命体』『GODZILLA ゴジラ』のギャレス・エドワーズ。

以下、ネタバレです。








ネタバレも何も、反乱軍のスパイが設計図を盗むのに成功することはわかっているし、反乱軍が甚大な被害を被ることもわかっていた。結末は明らかである。それでも十分に楽しめました。

中盤くらいまでは、おもしろくはあるけどスター・ウォーズっぽくないなと感じた。最初に“遠い昔、はるか銀河の彼方で…”の文章は出るが、あのテーマ曲は流れない。文字も流れてこない。この辺はスピンオフだから区別したのかもしれないが、なんとなく気持ちがスター・ウォーズに乗り切れない感じにはなる。

あと、なんというか、少し地味に感じた。惑星間移動はするけれど、空中戦がなかったからだろうか。なんとなく、連続ドラマでも良かったのではないかとも思ってしまった。
ただそんな中でも地上戦でのドニー・イェンは素晴らしかった。ドニーさんがこの作品に出演が決まって以来話題沸騰という感じだったが、アジア映画をあまり観ないので、ドニーさんの作品も観ていなかった。でも、こんなにバシッときまるアクションを見せてくれる人だとは。多人数に囲まれて同時にやっつけるシーンが本当にかっこよかった。
もっと長い時間アクションが観たいので、彼の主演映画も見てみたい。

個人的にはマッツ・ミケルセンが出てくることはなんとなくでしか知らなかったので、こんなにちゃんとした役で出てくるとは思っていなかったので嬉しかった。ちょっと悪役かとも思っていたけれど、主人公の父親役だった。
イードゥのシーンはいらなかったんじゃないかみたいなことも言われていたけれど、マッツの見せ場なのでいります。若い頃の、軍服で子供と戯れるマッツも恰好良かった。
『ファンタスティック・ビースト』のエディ・レッドメインはイケメン役ではなかったのでファンが激増はしないと思うけれど、これはマッツファンが増えてしまうと思った。
また、奥のリアクターに魚雷を打ち込むと連鎖反応的な爆発が起こって破壊されるというデス・スターの弱点はエピソード4(1977年)の時点で明らかになっていたことだけれど、これを仕込んだのもマッツだった。マッツというか、マッツが演じたゲイレン・アーソだった。ああ、あなたが…と思った。

思ったことがすぐに口に出てしまうドロイドのK-2SOも良かった。あまり愛嬌のある形ではないし、これもちょっと地味だと思った。顔が小さく、肩幅がある。ラピュタのロボット兵にも似ている。
しかし、思ったことが口に出てしまう=遠慮のなさがとても良く、緊迫した場面で少しの笑いをもたらしてくれる。“いいロボット(ドロイドだけど)が出てくる映画はいい映画”の法則がここでも発動。
また、形は帝国軍のドロイドだから、それが潜入作戦などに生かされるのもなるほどと思いながら観た。

反乱軍が設計図を盗み出すということだったけれど、主人公のジンは反乱軍という感じではなかった。反乱軍の人間とつながりのある外部の人間だった。まあ同盟軍なのでそれでもいいのかもしれないけれど、一員にはなっていなかったのが意外だった。ドニーさん演じるチアルートとも出会ったばかり。そのせいもあるのか、デス・スターの奥に弱点があって、そのために設計図を盗みに行きたいと評議会で発言をしても聞いてもらえない。いまいち信用してもらえていない。

けれど、少しの間行動をともにしたキャシアンはジンの話にのってくれて、キャシアンの仲間のならず者のような連中を連れて、承認を得ないまま、設計図のあるスカリフへと飛ぶ。
いままで一人だったジンが孤独じゃなくなるこのシーンが良かった。キャシアンもいままで暗殺なども手がけてきたし、明るいヒーローというわけではない。チアルートとベイズも故郷を帝国軍に破壊されている。帝国軍から脱走したパイロット、ボーディーももちろん見つかったら殺される。全員、もう前に進むしかない人たちなのだ。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のようなお気楽さはないけれど、同じようにはみ出し者である。反乱軍の制服も着ていない(でもあれはパイロット用のものなのかも…)。出会ったのは最近でも、帝国軍に対する怒りが彼らを結びつける。ジンも一人の力では怒りをためこむことしかできなかったけれど、行動に移すことができる。

このスカリフに乗り込んでいくあたりからのストーリーが加速度的に盛り上がる。盛り上がりはラストまでずっと続く。

ただ、キャシアンの連れてきた仲間などは上からの命令ではあるけれど汚いことに手を染めていて、後ろ暗いところのある輩どもだったから、この人たちはいつ死んでもおかしくないという気持ちで乗り込んでいくのだろうし、実際、反乱軍側に甚大な被害が出ることを私は知っている。ああ、きっと無事に戻っては来ないのだろうなと思う。

人数が少ない中、どうやって対抗するか。ジンとキャシアンとK-2SOが設計図が保管されているタワーへ、ボーディーは宇宙船に残り、チアルートたちは兵士を引き付けるための撹乱作戦を地上で行う。散り散りになっていく。

反乱軍の基地はジンたちが出て行ったことを知って援軍を送り出す。ここで交わされる会話がエピソード4を見ていることを前提としていて、しっかりと繋がっていくのを感じた。設計図を“彼女”に託し、クローン戦争にも参加した“彼”に渡してもらう。もちろん、彼女はレイア姫、彼はオビ=ワン・ケノービである。そして、姿こそ出てこないが「行くぞ、アンティリーズ」というセリフ。ウェッジ・アンティリーズはこの戦いにもちゃんと参加していたのだ!ファン向けではあるが嬉しい描写である。

タワーでの設計図奪還作戦と、地上での撹乱作戦と、空中戦が同時に繰り広げられる。特に空中戦だけとったらエピソード7よりも派手だったと思う。
盛り上がるが、仲間がどんどん死んでいく。主要キャラが容赦なく倒されていく。知ってはいたけれどつらい。

タワーではK-2SOをコントロールルームに残し、ジンとキャシアンが二手に分かれる。ここで、もしかしたらジンとキャシアンや他の仲間は全員死んでしまって、K-2SOだけが残ってデータを送ったりするのかな…と思った。けれど、倒れるのはK-2SOが先だった。ストームトルーパーから集中砲火をあびて、「さようなら…」なんて。でも、その前に設計図のありかはちゃんとジンたちに伝えた。

ボーディーも電源コードをつないでから、チアルートもマスタースイッチを入れてから倒れる(ちなみにこのマスタースイッチの形状があんまりにもチープなのではという意見もあるみたいだけれど、エピソード4に続く世界なのだからわざとなんじゃないかと思う。設計図もクレーンゲームを横にしたみたいな機械だったけれど、こうゆうのをあんまり最先端というかシュッとしたスマートなものにしてしまうと、世界観に違和感が出てしまう。良いほうに考えすぎかもしれない)。ジンも設計図のデータを無事に送信した。

結局はスカリフ自体がデス・スターによって破壊されてしまうのだ。それでも、全員がやるべきことをやって、希望をバトンのようにして次の人に繋いでから倒れる。

この先、受け取った兵士たちも同じです。データをディスクに保存し、レイア姫に届けなくてはいけないが、帝国軍とダースベイダーに追われ、次々に倒されていく。開かないドアの隙間からディスクだけ渡し、ドアの向こうの兵士は撃たれてしまう。けれど、受け取った兵士は無事にレイア姫に届けた。

このディスクはエピソード4でR2-D2に託され、オビ=ワンに届けられ、ルークが魚雷をぶちこみ見事にデス・スターは破壊される。
登場人物がこれほどまでに死んでしまう話は珍しいと思う。悲しいし、つらいし、ボロボロに泣いてしまう。けれど、私たちは未来(エピソード4以降)を知っている。設計図という名の希望はしっかり反乱軍に渡り、未来は続いていく。

エピソード4の前の話というのは聞いていたけれど、本当にエピソード4の直前である。おそらく5分も経っていない。『クライシス コア-ファイナルファンタジー7-』を思い出した。前日譚というにはあまりにも近すぎるので続けて観たくなる。

本作を観た後だと、何度も観たエピソード4の重みが変わってくる。今までだと、前文を読んで、それを情報として頭に入れた上で、ああいきなり佳境から始まるなと思っていた。でもこれからは、なんでこんなに佳境なのかもわかる。でも、もしかしたら、エピソード4の印象を変えてしまうことを良しとしない意見もあるかもしれない。
それでも、大きなお世話だとは思うけれど、エピソード4が好きな人には本作を観てもらって、この設計図を奪う過程でこんな犠牲が払われていたのだということを知ってほしい。

映画化されなかったら日陰者たちの活躍はずっと日の目を見ることはなかっただろう。こんなことがあったのを知ることができて良かった…という、実話感覚になってしまった。
後付けなのはわかってる。けれど、エピソード4(しつこいが1977年)の時点では、“彼ら”の活躍は文章だけで済まされ、脚本の陰に隠れていたのだ。
それにこのようにスポットライトが当たったのが嬉しい。エピソード7の時も思ったけれど、今回も作ってくれてありがとうございますという気持ちでいっぱいです。

もっといろんな、埋もれている話が観たい。ロード&ミラー監督のハン・ソロの若い頃の話も楽しみ。



イタリアのジャンバティスタ・バジーレが400年前に書いた『ペンタローネ』という民話集が元になっている。『白雪姫』や『シンデレラ』などの原型となる話が収められているらしい。
タイトルを見る限り、本作はこの民話集の中から三編を取り出したものだと思われる。

『本当は怖いグリム童話』のような感じで、民話/童話とはいえ子供向けというよりは、その裏にぞっとするような要素が見えたり、エロやグロも描かれている大人向けである。
『笑ゥせぇるすまん』的な感じで、無茶なものも含め、願いが叶えられるがその代償が支払われるといったストーリー。

監督は『ゴモラ』『リアリティー』でカンヌで賞を獲っているマッテオ・ガローネ。
初の英語作品とのこと。

以下、ネタバレです。







三編の話からなっているがその一編目。
王と王妃が並んで座っている前で道化が芸を披露している。王や周りの侍女らしき人たちは爆笑しているけれど、王妃は眉間に皺を寄せてニコリともしない。
演じているのがサルマ・ハエック。エキゾチックな美女だけれど、ちょっと怖くもある。また、赤いドレスを着ているせいか、威圧感がある。

原作が400年前のものとは知らなかったが、ドレスの型は『エリザベス:ゴールデン・エイジ』のようなエリマキトカゲのような襟なので、時代は昔なのだろうなというのが推測できた。

どうやら王妃は子供を求めているらしい。そこで黒いフードを被った、いかにも怪しい長身の男に助けを求める。
もう見た目からして悪魔っぽいし、言うことを聞いたら不幸になる感じがぷんぷんする。それと同時に、この世界観がたまらないとも思ってしまう。

そして、王(ジョン・C・ライリー)が昔っぽい潜水服で水の中へ入っていく。まるで宇宙服のようなとても水には浮かなそうなごつごつした形の服だった。
そして、私は字幕をあんまりよく読んでなかったのか、“鯨の心臓”と言ったと思ったのだが、実際にはバカでかく凶暴そうな山椒魚のような、なんだかわからない生き物が出てきてギョッとした。そこで初めて、ああこれ、現実の話じゃないのか…と思った。

王は結局この生き物のせいで亡くなるのだけれど、王妃は王には目もくれずに、謎生き物の心臓を一目散で持ち帰り、貪り食う。
口の周りを血で真っ赤に染めて、でもとにかく夢中で食べ続ける王妃に狂気を感じた。でも、グロテスクなのと同時に綺麗だとも思った。

無事に懐妊をしたけれど、1日で産まれたみたいだし、心臓を料理した召使いの生娘の腹もみるみる大きくなっていっていた。そこで、これはなんでもありの話なのだなというのがわかった。魔法の類が存在するファンタジーの世界だった。

ああ、これは生まれた子供が邪悪なパターンかな…と思ったけれど、とてもいい子だった。けれど、髪の毛も真っ白で肌も透き通るくらい白く、どっちの方面なのかはわからないけれど特別な存在であることだけはわかった。目立つ。そして、王妃と同時に妊娠をした召使いの子供もまったく同じ姿だった。
特別な存在がもう一人。うりふたつ。そのヴィジュアルだけでも最高である。
CGではなく、実際の双子が演じているというのも良い。

生まれた王子は自分と同じ姿の男の子を兄弟同然に思って、一緒に遊んでいるし、大事に思っている。
けれど、王妃はあんな目をして授かったのだから、独占したい。当然、召使いの子と遊んでいるのは気に食わない。

そこで、王妃はもう一度最初の悪魔を頼る。王妃は化け物に変身をして、その姿を母親と認識しない息子に殺される。でも、結局、王妃としてはこれが一番幸せなのかもしれない。
この化け物が絡新婦に似ていたのだが、外国にもこのような妖怪が存在するのだろうか。女性の嫉妬が募って化け物になったものが蜘蛛の姿というのは世界共通なのだろうか。

二編目は国が変わり、王がトビー・ジョーンズである。トビー・ジョーンズは特徴的な顔をしているけれど、その娘役のベベ・ケーブさんはほのかに似ている顔だった。娘と言われて納得の顔だった。

娘は素直にすくすく育っているが、王はちょっと変わり者のようだった。娘である姫がバイオリンでお父様あての曲を演奏しても、彼は手の上のノミに夢中。また、鳴き声なのか動くときの音なのか、キュルキュルキュルといった音が加えられていて、映画の中でも可愛いもののように描かれていた。
ペット同然に可愛がり始め、どんどん大きくなっていき、最後には豚くらいの大きさにまで育っていた。最初、なんだか全然わからなかったけれど、足が節足動物のそれだったので、さっき出てきたノミだとわかり驚いた。
ルイ16世が錠前づくりが趣味でマリー・アントワネットに呆れられるというのがよく描かれるが、それを思い出してしまった。よく言えば趣味人。
だけれども、娘よりもノミのほうを大切にするのはどうかと思う。

姫は夢見る少女というか、いつか出会える王子様に憧れている。けれど、王は真剣にはとりあわず、適当な約束をしたために、王子様とは程遠い、野生児のような、熊のような男性にもらわれていってしまう。

体つきもまったく違う。姫はまだまだ少女である。大柄で筋肉質の男性に背負われ、崖を登っていく様子はなんとも言えない、不思議な光景だった。姫が水色のドレスを着ているのも風景と合っていない。半ば誘拐のような形だし、崖の上に連れて行かれては、一人では逃げられない。

こんなナリでも実は優しいというオチかと思った。優しいことは優しいようだったけれど、彼女の望んでいた暮らしではないし、憧れの王子様でもない。

ある日、救助を求める機会が訪れる。旅芸人一座のような一家で、綱渡りによって姫が助け出された。助けてくれたのはお金などはなさそうだけれど、優しそうだし恰好もいい。
なるほど、ここで助けられるために一旦オニにさらわせたのか。運命の出会いのための伏線だったか。

と思っていたが、そんなに甘い話ではなかった。
ここからがまるで悪夢のようだった。オニは追いかけてきて、一家は無残にも惨殺されてしまう。ハッピーエンドなどない。

姫は悟ったような感じに表情を消す。もう戻るしかないと思ったのか、服従することに決めたのか、オニに後ろから抱きついた。と思ったら、首をナイフで切りつけた。

姫は自力で城へ戻る。ずっとドレスのままだったので、泥だらけの血だらけである。水色の可愛らしいドレスが台無しだ。でも、このいかにも少女らしい色合いが泥や血で汚されることで、少女からの卒業を意味しているのかもしれないと思った。
おまけに、手にはオニの首である。

姫も少女から大人になったが、王も反省(では済まされないけれど)をして成長したと思う。

三編目は老女の姉妹が主人公である。
この国は王が好色で、それを演じるヴァンサン・カッセルがとてもよく合っている。

王が綺麗な歌声を聴いて女性を好きになってしまうけれど、実は老女で家に姿を隠してしまう。そうとは知らぬ王は家のドアごしに口説きにくる。

この家には老女が二人住んでいるんですが、王に歌声を見初められたのが姉、そして、声の可愛らしい妹はシャーリー・ヘンダーソンでなるほどと思った。特殊メイクなので、顔ではわかりにくいけれど、声はそのままなのでよくわかる。

王に執拗に口説かれて、これをチャンスだと思った姉は、行為中は明かりを消してもらうことを条件に城へ出かけていく。嫌な予感はしたけれど、まあ、当然明かりをつけますよね。それで、実際は老女というのがバレてしまい、窓から放り出される。容赦ない。

裸のまま、王のベッドの赤い布に包まれて森の木々に引っかかっている様子はあからさまに無様に見えた。

しかし、そこを通りかかった女性が木から下ろしてあげて、泣きじゃくる老女を慰めて去っていくと、老女は見事に美女に若返った。
あの通りかかった女性は誰だったのか説明も何もなかったが、魔女か何かだったのかな。ここで、そういえばこの話はなんでもありだったのだと思い出した。

若返って美女になると、王のベッドの赤い布も高級感が増す。苔むした岩の緑色とのコントラストも素晴らしい。赤く長い髪も美しい。無様さのかけらもない。
そこへ王が通りかかって見初める。一気に王妃である。

わけがわからないまま、妹の元にドレスが届き、婚礼に出席することになる。ドレスは立派でも、髪型はそのままだし、着慣れていないのがよくわかる感じに襟も曲がっている。みすぼらしい。老女だからではなく、わきまえてなさがよくわかってしまう。

城に入るのももちろん初めて。美味しい料理も初めて。一度天国を見てしまったら、元の生活へは戻れないだろう。ましてや今まで一緒に暮らしていた姉が、なぜか若返って王妃になったのだ。なぜ自分だけがこんな姿なのかと嫉妬もするし納得がいかない気持ちはよくわかる。

この城に私も住みたい、どうしたら若返ることができるのかとしつこく聞く妹に、姉は面倒になったか、「皮を剥ぐのよ」と言って城から追い出す。
たぶん、妹としてはこの時点で、あの美しい姿になれるならなんでもするという気持ちになってしまっているので、皮を剥ぐという通常では考えられない選択肢が頭の中を占拠してしまったのだろう。

婚礼に出たドレスそのまま、つけていたアクセサリーなど金品類を与えて皮を剥いでもらう。もちろん若返るはずもない。この話でもドレスが血まみれになった。

一編目では王子が母を乗り越えることで成長し、二編目では姫と王が成長したと思う。けれど、この話だけは誰も成長しない。
姉も元の姿へ戻る。たぶん、王も好色のままだろう。

水に入って謎生物を仕留めた王の葬式シーンは序盤なのだが、その時にこの三国の王や姫が一同に会していた。
そしてラスト、二編目の姫の戴冠式の際も集まっていた。それぞれの話につながりはないが、世界は地続きだというのがわかる。

王の葬式の際にはまだ一編目の王子は赤ん坊だったし、二編目の姫も子供だった。しかし、戴冠式では姫は王女の威厳をたたえていた。ちゃんと強くなっている。素晴らしい演技だと思う。

綱渡りの芸人がお祝いに来ていて、おそらく姫はあの時助けてもらった彼や一連のことを思い出したのではないだろうか。でも泣いたりはしない。ちゃんと威厳を保っていた。

そして、王子と視線を交わしていたのもおもしろい。ああ、あなたもいろいろあったのねという顔にも見えた。

三編とも話自体も面白いが、衣装や色合いが素晴らしく贅沢で見ていてうっとりしてしまう。
監督は元画家らしく、納得のセンスである。監督の他の映画もこんなに美麗なのか気になるので見てみたい。

衣装はMassimo Cantini Parrini。ガブリエラ・ペスクッチとともに『チャーリーとチョコレート工場』や『ブラザーズ・グリム』、『ヴァン・ヘルシング』に参加していたようだ。

叙情的な音楽はおなじみ、アレクサンドル・デスプラだった。この音楽がまたよく合っていた。物悲しくも、美しい。
本作ではフルートも演奏していたようだ。

公式サイトにロケ地の紹介が載っていて驚いた。不思議生物が出てくるし、ファンタジーならばなんとなくCGだと思っていたが、あの森も、あの渓谷も、あの城も実在するとは。
まさにヨーロッパ!という風景はすべてイタリアらしい。
あの不思議生き物すら生息してそうな気がしてくる。