『ニンフォマニアックVol.2』


ほぼ半月あけて後編が公開。(前編の感想はこちら

以下、ネタバレです。







流れ自体は前編と同じ。ジョーがこれまであったことを話し、それに対して、セリグマン(今回はちゃんと名前が出てきた。ステラン・スカルガルドが演じている男性)が素っ頓狂なあいづちをうつ、というのは一緒です。

序盤で、なんでセリグマンがジョーの話で欲情しないのかと問いつめられるシーンがあって、前編を観た時に疑問に思ったことは解決した。経験がないから、とのことだった。

できることなら、ジェロームと幸せに暮らしていって欲しかったけれど、そうはならなかった。ジョーの満たされない心をジェロームが埋めることができず、涙を流しながら、他の人とも関係を持ってこいというシーンは切なかった。虎にエサをあげるのを他の人にも手伝ってもらいたいという言い方もなかなかポエティックではあるけれど、どうしようもなさに苦しむジェロームを見て、この二人はうまくいかないのがわかった。

この二人に限った話ではない。ジョーは誰といても満たされないだろうし、相手も満たせないことで苦しむのだろう。ニンフォマニアが治らない限り、孤独感はどうしたって解消されない。

そういえば、ジェロームと子供と別れるシーンで、出かけている間に子供がベランダへ一人で出て、外は雪が降っていて…というのは、『アンチクライスト』の序盤に同じシーンが出てきた。あれは、出かけていたわけではなくセックス中だったけれど。子供は転落してしまうので、嫌な連想をしてしまった。この映画ではジェロームが帰ってきて、子供は救われたので、ラース・フォン・トリアーはこの作品はその方面へは持っていかないつもりなのだなと思った。

今回もやはり過激とかハードコアポルノというのとは少し違っている。映画の宣伝で使われているスチルでは、裸のジョーが裸の黒人男性二人に囲まれていたけれど、このシーンもほぼコントのようだった。言葉のわからない黒人男性が目の前で言い合いをしていてまったく行為が進まず、ジョーがそそくさと服を持ってホテルの部屋を出て行っちゃう。

SMの章は過激というか、尻を叩かれているので痛々しい。かなり執拗だし、他の技(?)も出てくる。セリグマン曰く、「多才で愉快な男」。
この尻を叩く男、Kを演じたのがジェイミー・ベル。体が小さく色白でどちらかというとひょろっとしているけれど、冷淡な表情で鞭をふるう姿がよく似合っていた。顔も整っているし、女性たちが彼に付き従うのもなんとなくわかってしまう。

ジェローム役のシャイア・ラブーフもそうなんですが、父親役のクリスチャン・スレーターや、聞き手のステラン・スカルスガルド、ミセスH役が最高におもしろかったユマ・サーマンと、豪華な俳優だからというのもあるかもしれないけれど、配役が完璧だと思う。全員よく似合っていた。もちろん、シャルロット・ゲンズブールと若いジョーを演じたステイシー・マーティンも良かった。
あと、最後に出てくるP役のミア・ゴスも、若さ故の生意気さと綺麗すぎない容姿が合っていたと思う。

前編の最後が一番盛り上がり、後編は盛り上がり最高潮から下がっていくので、出来れば続けてみた方がいいのかもしれない。おもしろくなくなっていくというわけではなくて、感情や性欲のピークが前編の最後で、そこからはどんどん静かになっていくような感じがした。

あと、前編のほうが何も考えずにセックス三昧だったけれど、後編はジェロームとのこともあるし、最後は体調面というか傷を負っていて、行為ができなくなっている。

なので、もしかしたら、後半はニンフォマニアではなくなっているのかもしれないとも思った。特に、一人で山に登って、山頂に立っている木を見るシーン。過酷な環境に負けそうになりながら、風で形は歪められているけれど、一本だけで立っている木を見て、自分のようだと思っただろうし、何かに開眼したのではないかとも思う。

セリグマンに話しているときに、セリグマンが襲って来なかったのもそうだけれど、話しているジョー自体も欲情はしていなかったと思う。静かな口調だった。話終えたあとも、一人で寝てしまう。
そして、最後でセリグマンが襲ってきたときにも、驚いたのもあるんでしょうが、受け入れなかった。

その少し前にセリグマンが、ジェロームを撃たなかったのは心のどこかで撃ってはいけないと思っていたからだと言っていたけれど、最後のシーンではジョーは心の底から撃ちたいと思ってるから撃ったんですね。
画面が暗転して、安全装置を解除するカチャッという音が聞こえるのも粋。

ただ、このオチは、ちょっと残念だなとも思った。
その前にしていた、壁に映る太陽光の話や、ジョーが初めての友人と呼んだことなど、すべてが消えてしまう。ジョーの孤独感は解消されないし、結局、誰にも理解してもらえないままだ。
前編後編とここまで一緒に話を聞いてきたのに。
脈絡無く車が燃えるシーンが急に出てきて、え?え?と思っていたら、セリグマンが「え? いまの車なに?」って聞いてくれるなど、観客の代弁者的なポジションでもあったと思う(「先を急ぎ過ぎて次の章の話が紛れた」とのこと。笑った)。
結局、セリグマンも他の男と同じだった。性欲が絡むと男女の友情は成り立たないというのを示したかったのかもしれないし、このオチがあるからこそ、ラース・フォン・トリアーなのかもしれない。

エンディング曲は、シャルロット・ゲンズブールとBECKのデュエット。そうだった。シャルロット・ゲンズブール、お父さんともよくデュエットしてましたよね。可愛らしい声でした。



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