『インターステラー』(二回目、三回目)


試写会にて。わかったことと、わからないこと。
以下、ネタバレです。





クーパーがどうやって助けられたのかがよくわからなかったんですが、あの時のアメリアの顔は幻じゃなかった。映画の序盤でワームホールを通る時に、アメリアが“彼ら”の姿を見てハンドシェイクをする。結局“彼ら”はクーパーだったというのが五次元空間でわかるので、アメリアが見たのは、クーパー。クーパーは五次元空間からワームホールを通って排出された。別の銀河へ行くアメリアと出るクーパーがハンドシェイクしたのだ。映画の序盤と輪になるようにして繋がっている。
ワームホールは土星の軌道上にあるということだったので、クーパーが太陽系に戻って来た時に遠くに見える明かりはおそらくクーパーステーションなのでしょう。時間のずれによって、方程式が解かれ、すでにステーションの打ち上げも済んだあとだったのだと思う。クーパーステーションの近くに排出されたから、たぶん発見も早かったのではないかなと思う。

宇宙船ですが、エンデュランスがなんで回っているのかわからなかったんですが、あれは遠心力によって重力を発生させているらしい。確かに序盤でゆっくり回転をかけながら「今、1Gになった」と話すシーンがあった。ドーナツ型の宇宙船は珍しいのかと思っていたけれど、ワープを実現できる形でもあるらしい。
それで、地球から打ち上げたレインジャーはドーナツ型の母船エンデュランスにドッキング出来るんですが、もう一つの四角を組み合わせたようなランダーは最初からドッキングされていたのだろうか。それとも、マン博士が乗ってきたのがランダーなのだろうか。「浄水設備を持ってくる」と言ってたので、持ってくるのは母船エンデュランスからだろうし、もともと母船についてたのかもしれない。

最後の方でガルガンチュアに行くときの分割の仕方も最初はいまいちわからなかったのですが、ランダーとレインジャーとエンデュランス、三機にそれぞれTARS、クーパー、アメリアとCASEが乗っている。それで、たぶんランダーかレインジャー…アメリアとCASEが乗った機体だけが重力ターンでエドモンズの星へと向かった。

序盤の、インドの無人機を追いかけるシーンがとてもいいんですが、これがのちの内容にまったく関わって来ないのが残念。荒涼とした大地に突如低空飛行の物体が現れて、父と子供二人で車で必死で追いかける。ハンス・ジマーのノスタルジックな曲もいいし、コーン畑の中を突っ切って行く映像が美しい。

TARS、CASE関連のシーンは全部好きなんですけれど、四角いだけなのに愛嬌があるように撮られているのがおもしろい。
ミラーの水の星で、大波から逃げるときに、CASEがアメリアをお姫様抱っこしているのが可愛らしい。

不本意ながらマン博士の星に行くことになって、生きているマン博士を見たアン・ハサウェイの表情が少しの時間しか映らないんですが、セリフが無くてもすべてを語っていて素晴らしい。
本当は恋人の星に行きたかったけれど、ほとんど生きている保証はなくて、だから行くの反対されたのは腹が立ったけれど、実際に生きているマン博士の姿を見たら、やっぱりこっちに来て良かったと思うと同時に、恋人に会うことは完全に諦めた顔。正解の選択をしたにも関わらず、やはり寂しい。それが全部表情に出ている。

大人になったマーフの泣きかたがいい。演じているのはジェシカ・チャステイン。ビデオレターで話しながら途中で泣いてしまうんですが、両手で顔を覆って豪快に拭う様子が子供がそのまま大人になったようで、彼女の性格がよくわかる。
マーフィーの法則=“起こるべきことが起こるべくして起こる”というセリフも二回出てきたし、もっと重要っぽいのだけど、よくわからない。

マン博士のシーンについては考えれば考えるほどわからなくなってしまうんですが、助けにきてもらうために嘘をついたのなら、助けに来た時点で「あれは嘘だった。実はこの星には何も無い」と告白してしまえば良かったのではないか。
わざわざクーパーを呼び出して嘘なのを告白した上で、クーパーを殺そうとしたのはどうしてなのだろう。
一人でレインジャーに乗って母船を乗っ取ろうとしていたけれど、最初に嘘だとみんなに知らせて、全員でエンデュランスへ戻るわけにはいかなかったのか。

マン博士は「人類を救うため役目をまっとうする」と言っていた。プランAが実現不可能なことを知っていたようだったし、プランBの実行とすると、母船でエドモンズの星へ向かうつもりだったのだろうか。ただ、行ったところで、受精卵から人類を生み出すには代理出産が必要だし、マン博士一人ではどうにもならないのではないだろうか。そもそも、プランBの場合、アメリアが代理出産をするつもりだったのだろうか。

マン博士も、教授が出発の時に読んだ詩を読んでいた。イギリスのディラン・トマスという方の詩らしい。“絶望をせずに怒りを原動力にして行動しろ”といった意味だと思うのですが、マン博士をあの行動へ走らせたのは正義感なのだろうか。手柄を横取りするつもりだった?

それぞれの星が階層のようだし、五次元というかガルガンチュアはLIMBOのようだし、やはり『インセプション』に似ていると思う。地球と宇宙との二元中継のようになるのも似ているし、互いに作用し合う点も似ている。
ただ、『インセプション』よりはわかりにくいと思うし、力技で乗り切るシーンも多いと思う。
それでも、事象事象の繋ぎ方や話の運び方の突拍子も無さはクリストファー・ノーランにしかできないと思うし、それを思いついたとしても、映像にするのはやはりすごいことだと思う。とんでもない頭の中を見せてくれてありがとうございます。




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