『君の名前で僕を呼んで』



アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、歌曲賞ノミネート、脚色賞受賞。その他の様々な賞にノミネートされていました。

以下、ネタバレです。










北イタリアの別荘に夏の間訪れている家族の元に、一人の青年が訪れる。家族の父親が教授で、その青年は教え子である。
まず舞台の北イタリアの夏の風景が素晴らしい。強い日差し、果樹園、暑そうなので家の窓も開け放たれているし、家族での食事も外でとることが多そうだった。エリオは、序盤から上半身裸で開放的に過ごしている。それでも、父親は教授だし、母親もドイツ語を即時に翻訳して本を読んでいるし、第一、別荘があったり、お手伝いさんがいるということで、かなり裕福そうで、生活が荒れているわけではない。
エリオはピアノもギターも弾けるし、楽譜も書ける。英語、イタリア語、フランス語を巧みにあやつる。

実はいち早く本作を観たくて、イギリス盤のDVDを英語字幕で観ていたのですが、その時には、エリオが一方的にオリヴァーに憧れて、オリヴァーは付き合ってあげているだけの大人なのかと思っていた。17歳の若者の成長物語だと思っていたのだ。
もちろんその面もあるのだが、前述の通り、エリオは、奔放でとても魅力的である。人を惹きつけてやまない。その中にオリヴァーも入っていた。英語字幕で観たときよりもずっと、オリヴァーはエリオに魅了されていた。それこそ、オリヴァーもエリオに憧れていたのだと思う。

また、17歳という年齢がいい。演じたティモシー・シャラメは公開時には22歳と17歳よりは上だけれど、そこまで大人ではない。かといって少年でもない。
フランス人の彼女とのセックスも好きだし、ダンスシーンは子供のような無邪気さだ。本を読むときには大人の顔をしていても、両親の前では素直になる。また、オリヴァーに対しても、好きなんだか嫌いなんだかわからないけど嫌われたくないみたいな複雑な感情を抱いていて、その様子もまさに少年と大人の中間といった感じだった。

また、暑いせいで、上半身裸だったり短パンに裸足だったり、わりと体が見えやすいんですが、その体つきも中間なのだ。まだ大人の男にはなりきっていない。

その点、オリヴァーの体は大人の男そのもので、エリオの体と一緒に映しているシーンも多いことから、対比がわかりやすかったし、意図的に対比させていたのだと思う。
オリヴァーはしっかりと筋肉が付いていて、胸毛もすね毛もびっしりだが、エリオは色白で腕も足も細い。胸筋もない。手や足も、オリヴァーはごつごつと骨ばっていたが、エリオは滑らかで、まるで少女のそれのようだった。

フィジカル面での対比はオリヴァーはアーミー・ハマーでなくてはいけなかったと思うし、何より、エリオはティモシー・シャラメでなくてはいけなかったと思う。特にティモシー・シャラメである。ここまでブレイクしてしまうと、この先、ヒーロー映画などに呼ばれて、筋肉が付いてしまうかもしれない。今、この瞬間をしっかりとフィルムに焼き付けてくれて良かった。今後、顔つきも変わってしまうのだろうか。本作は巻き毛でまつ毛ばさばさで眠そうな目元が本当に少女漫画の登場人物のようである。
ちなみに、『インターステラー』当時のティモシー・シャラメは、本当にただの少年といった感じでした。本作のような色気はなかった。

エリオがベッドに寝っ転がって脇毛を吹いているシーンがあったが、何かしらコンプレックスを抱いていそうに見えた。
そして、そのコンプレックスはオリヴァーみたいになりたいという憧れに変わったのではないかと思う。六芒星のネックレスを真似してつけ始めたのも、少しでも近づきたかったのだろう。

オリヴァーが夜中に帰ってくるのを見越したように扉を開けておいて寝たふりをし、その扉がオリヴァーによって閉められてしまうと、「Traitor.(裏切り者)」(卑怯な奴、とかの意味なので、英語字幕のときは、いくじなしと意訳してました)と呟くシーンも良かったんですが、他にも勇気を出して手紙を書くシーン、自分からキスするシーンなど、エリオが積極的にのめり込んで、どんどん好きになっていく様子は観ているこちらがドキドキしてしまう。きらきらしていて瑞々しい。

演じているティモシー・シャラメも素晴らしいけれど、エリオのことを好きにならずにいられない。その恋を応援したくなる。

英語字幕で観ていた時には、エリオがんばれ!とか、悩んでる姿を観て、そっかー、相談に乗るよーみたいな気持ちで観てたんですが、日本語字幕で観てみると、これが、エリオのみのストーリーではなかった。
むしろ、「バレーボールで体に触った時にサインを出した」ってことは、もう家に来た時から、オリヴァーはエリオに恋していたのではないか。

エリオがオリヴァーに憧れたように、オリヴァーもエリオに憧れたのだと思う。オリヴァーの日常生活については詳しく描かれることはないが、エリオとの関係を両親が知ったら矯正施設に入れられるだろうと言っていた。エリオの両親は容認派である。
また、エリオがなんでも知っていることに感心していた。その知性にも憧れていたのだろう。

お互いがお互いになってしまいたいような恋愛だったのだと思う。
タイトルは『君の名前で僕を呼んで』だけれど、劇中のセリフは「君の名前で僕を呼んで。僕は君のことを僕の名前で呼ぶから」と続く(“Call me by your name and I'll call you by mine.”)。
相手になってしまいたい類いの好きという気持ちは、他の作品でもたびたび描かれている。『太陽がいっぱい』や『桃尻娘』シリーズなどもそうだし、好きな相手が異性の場合だと、『フィルス』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のように、女装という形で表れたりする。
それでも、いくら願っても相手になることはできない。別の人間なのだ。だから、切ない。作品として好きなパターンです。

17歳と24歳だと、私の年齢からしたら同じ若者の括りですが、24歳から見たら、17歳はもう過ぎた時間だし、怖いもの知らずのようなエリオが眩しかったろうと思う。オリヴァーはオリヴァーで、エリオにコンプレックスを抱いたのだろう。
だから、エリオにまっすぐな想いをぶつけられても、オリヴァーは自分の両親や年齢、世間体などのしがらみを捨てることはできずに、想いに答えられなかったと思うのだ。

期間限定と思えば、関係に没頭できる。それでも、夏が終わり、故郷に帰れば、お付き合いしている女性もいるし、その女性とはおそらく年齢的にも両親公認だったのだろう。婚約をするのも自然な流れだ。

電話でその報告を聞いたエリオが暖炉の前で座り込んで、堪え切れない涙を流しながらじっと火を見ている。映画のラストは、動かないカメラがそのエリオの表情をじっととらえていて、それは慰めるというよりも、悲しみを受け止めて大人になる様子を見守っているようだった。

このラストが完璧なので、この映画の続編構想があると聞いた時には、ここで終わりでいいのに!と思ってしまった。
原作小説を読んでいないんですが、原作はまだ続くのだろうか。続くとしたら、オリヴァーが戻ってくるのだろうか。結婚を決めたなら、もうそれはそれで、17歳の初恋は終わりというほうが美しいのではないか。

ただ、英語字幕で観た時よりも日本語字幕のほうが、結婚する話が少しふんわりした表現に感じられた。これは、きっとオリヴァーが戻ってくるのだろう。二人の恋の続きを観たくないわけではないけれど、必要かどうか考えると蛇足になりかねないかなとも思う。
何より、ティモシー・シャラメの体つきはどうなってしまうんだろう。24歳役という案もあるようだけれど、24歳だと、もう少しちゃんとした体だと思うんですよね…。

また、最初に映画を観た時には、『エンジェルス・イン・アメリカ』や『BPM』を観たあたりだったし、『パレードへようこそ』などのことも考えると、80年代が舞台の同性愛ものなのに、HIVの話がまったく出てこないってどうなのかとも思ってしまった。けれど、これは続編で触れられるらしいです。それを思うと、続編はなくてはならないのかとも思うけれど…。


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