Jan 27
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)14作目。14作目とはいっても、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のようないきなり観てわからないような続きものではないです。
私は、原作は他のアメコミ映画同様未読、キャラクター自体もやっぱり他の映画と同様、『ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ』で見たというくらいたったけれど楽しめました。
ヒゲ、ロマンスグレーという風貌から、ベネディクト・カンバーバッチが主演という話を聞いた時にイメージがわかなかったが、とてもよく合っていた。
監督は『地球が静止する日』のスコット・デリクソン。
ちなみに、本作のパンフレットはとても充実した内容だった。
原作の解説から、衣装や小物の説明、撮影秘話などのプロダクションノート的なもの、キャストやスタッフのインタビューと読み物が多く、本作の独特の映像手法っぽい文字組みが使われていたりと愛を感じる作りとなっていた。
以下、ネタバレです。
『ホビット』で竜のスマウグを演じたベネディクト・カンバーバッチを観た時に、竜の姿をしていても面影があるなとか似てるなと思っていたのですが、それに対しては、演じているのに失礼ではないかという意見もあった。
今回は人間役だけれど、スマウグよりもベネディクト・カンバーバッチっぽくはなさは少なく感じた。
前半、不慮の事故に遭う前の医者パートはいつものベネディクト・カンバーバッチだった。隠しきれない気品というか、上品さやエレガントさが医者っぽかったし、傲慢で高慢な態度は少しSHERLOCKを思わせた。
カマー・タージで修行がうまくいかず、他の修行している人たちの中、一人だけ曼荼羅みたいなマークが出せずに必死になっている様子は少し意外だったのだ。もう少しすましたキャラクターなのかと思っていたら、汗をかいて頑張って、焦っている。
こんな役もできるとは意外だった。
そもそも、天才外科医でありながら両手が使えなくなって焦っている点が人間臭い。そこから、才能を認められて、両手を治すか世界を救うかという選択から世界のほうを選ぶ。本作開始時の彼からは想像のつかない成長を遂げる。
普通、人物成長ものだと少年である場合が多いが、立派なおじさんでも成長するのだ。
ちょっと、ベネディクト・カンバーバッチが演じる中では珍しい役だったのではないかと思う。
まあ、単純に、外見のヒゲがカンバーバッチっぽさを隠していただけかもしれないけれど。
スティーヴン・ストレンジは軽口を叩く軽妙なキャラクターでもある。
パンフレットの表紙やポスターではキメキメだけれど、映画内ではまだそれほど魔術を使いこなせているわけではない。
本作はまだプロローグなのだと思う。スットコ魔術師奮闘記といった感じだ。
きっとこの先、自体はもっと深刻化していくだろうし、本作ではとんち合戦みたいにして危機を乗り越えたけれど、今後はストレンジが直接手をくだす場面も多くなるだろう。
それでも、本作のような軽妙さは残してほしいと思う。
赤いマントを付けた姿のドクター・ストレンジがせり上がってきた時に、やっと知っている姿になったと思って感動した。
序盤の医者姿から、修行をするために道着に着替え、両手がうまく使えないからヒゲを生やし、髪も伸びる。そして、仕上げにマントだ。少しずつ、現実の姿からファンタジーというか漫画の登場人物の姿に変わっていっていた。違和感なく魔術の世界と現実の世界が融合していた。
このマントが可愛い。マントが可愛いというと柄がとか形がかと思われると思うが、意志をもって動くのだ。ストレンジはまだまだ未熟である。その彼を時にサポートし、時に励ます。喋ることはないけれど愛嬌がある。
良いロボットが出る映画は良い映画という法則があるが、その亜種だと思う。
役者さん関連だと他には、ティルダ・スウィントンも良かった。
カーマ・タージの指導者、エンシェント・ワン役。原作ではおじいさんらしい。一体何歳なのかわからないというのは彼女のはまり役だろう。謎めいた雰囲気もいい。
エンシェント・ワンの弟子モルド役にキウェテル・イジョフォー。頭の固い善人役がうまい。真面目ゆえに、信じていたものから裏切られた時に受けたショックからの反動が大きい。本作ではいい人でしかなかったけれど、、おまけ映像の感じだと次作で悪役になりそう。
なんと原作では元々悪役らしい。
公式が“女性が好きな恋愛要素を売りにする”というようなことを言っていて少し荒れたりもしましたが、そこで初めてストレンジの相手役というのがいることを知ったくらい予告編には出てきていなかった。元恋人役にレイチェル・マクアダムス。序盤にやや湿っぽい別れのシーンがあったものの、それ以降はちょうどいいさじ加減だった。
ヒロインと言っていいのかわからないくらいの出番。でもいたほうが面白くなるくらいには出てくる。また、『ザ・コンサルタント』と同じく、主人公の足を引っ張らないので見ていてイライラしない。
悪役カエシリウス役にマッツ・ミケルセン。そのままでも恰好いいが、目の周りのメイクはより恰好よく見せるためのメイクに見える。
凶悪だけれど、直接対決ではないにせよ未熟者魔術師にやっつけられるというのは案外弱い? 単にストレンジが頭がいいということだろうか。
『ステート・オブ・プレイ』や『逃亡者 デッドエンド』でジョン・シムと共演していたベネディクト・ウォンが結構重要な役で出てきた。エンシェント・ワンとモルドが去った続編でも、是非、ドクター・ストレンジをサポートする役で出てきてほしい。
『ドクター・ストレンジ』はここから始まるし、最初はヒーロー物といった感じでもないし、ストーリーはとっつきやすいと思う。MCUの他の作品を観ていなくても大丈夫そうな敷居の低さがある。
それに、ストーリーだけでなく、本作は映像や視覚効果も見どころの一つだと思う。
覗いた先の景色が万華鏡のようになるスコープがグッズになっていたが、まさにそのような世界が目の前で展開される。
これは、元々の原作コミックスでの表現の映像化らしい。63年に初めて発表された作品のようなので、60年代といえばサイケデリックが流行ったし、同じようにトリップ感の味わえる映像なので納得した。
IMAXカメラで撮ったシーンではスクリーンが上下に広がるタイプなので、できればIMAX鑑賞がいいのだと思う。そして、3Dでないと、この映画の魅力が半減してしまうのではないかと思うくらい圧倒された。しかし、少し酔います。
病院でのバトルも面白かった。幽体離脱のように、肉体からアストラル体だけ離れて、壁をすり抜けながらバトルをする。
ファンタジーっぽくはあっても、病院は現実世界で地続きなのを感じる。
香港の住民たちの中でのバトルも、時を止めて、その中でストレンジやカエシリウスだけが動いているというのも面白かった。背景が日常生活で、その中で繰り広げられる非日常バトル。
時を止めるだけでなく、時を戻し、建物などを修復しながらのバトルも見ていて混乱するが面白かった。
是非二作目でもこの斬新な映像たちも見どころにしてほしい。
マーベル映画のお楽しみのおまけ映像にはソーが登場。次作は2017年11月3日に現地での公開が予定されている『ソー:ラグナロク(原題)』なのかなと思ったが、その前に5月5日(日本では5月12日。案外早い)『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の公開が控えていた。『スパイダーマン:ホームカミング』も7月7日(日本では8月11日。まあまあ早め)とソーより早い。
ソーは「地球にも魔術師がいるのか」と言いながらドクター・ストレンジと向かい合って座っていた。飲み干したビールをストレンジが時を戻すことで増やしてあげるサービスも。
戦いの時にはサポートするというようなことを言っていたので、もしかしたらドクター・ストレンジも出てくるのだろうか。それとも、2018年公開予定の『アベンジャーズ』続編での共演だろうか。
二人でロキの話をしていたが、ロキとドクター・ストレンジの共演となると、トム・ヒドルストンとベネディクト・カンバーバッチということで、『戦火の馬』のイギリス軍コンビである。
また、『アベンジャーズ』に出て、ロバート・ダウニー・Jrとベネディクト・カンバーバッチの共演ということになると、映画版とBBC版のシャーロック・ホームズが揃うことになり、これはこれで楽しみである。
『ドクター・ストレンジ』
Posted by asuka at 1:57 PM
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)14作目。14作目とはいっても、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のようないきなり観てわからないような続きものではないです。
私は、原作は他のアメコミ映画同様未読、キャラクター自体もやっぱり他の映画と同様、『ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ』で見たというくらいたったけれど楽しめました。
ヒゲ、ロマンスグレーという風貌から、ベネディクト・カンバーバッチが主演という話を聞いた時にイメージがわかなかったが、とてもよく合っていた。
監督は『地球が静止する日』のスコット・デリクソン。
ちなみに、本作のパンフレットはとても充実した内容だった。
原作の解説から、衣装や小物の説明、撮影秘話などのプロダクションノート的なもの、キャストやスタッフのインタビューと読み物が多く、本作の独特の映像手法っぽい文字組みが使われていたりと愛を感じる作りとなっていた。
以下、ネタバレです。
『ホビット』で竜のスマウグを演じたベネディクト・カンバーバッチを観た時に、竜の姿をしていても面影があるなとか似てるなと思っていたのですが、それに対しては、演じているのに失礼ではないかという意見もあった。
今回は人間役だけれど、スマウグよりもベネディクト・カンバーバッチっぽくはなさは少なく感じた。
前半、不慮の事故に遭う前の医者パートはいつものベネディクト・カンバーバッチだった。隠しきれない気品というか、上品さやエレガントさが医者っぽかったし、傲慢で高慢な態度は少しSHERLOCKを思わせた。
カマー・タージで修行がうまくいかず、他の修行している人たちの中、一人だけ曼荼羅みたいなマークが出せずに必死になっている様子は少し意外だったのだ。もう少しすましたキャラクターなのかと思っていたら、汗をかいて頑張って、焦っている。
こんな役もできるとは意外だった。
そもそも、天才外科医でありながら両手が使えなくなって焦っている点が人間臭い。そこから、才能を認められて、両手を治すか世界を救うかという選択から世界のほうを選ぶ。本作開始時の彼からは想像のつかない成長を遂げる。
普通、人物成長ものだと少年である場合が多いが、立派なおじさんでも成長するのだ。
ちょっと、ベネディクト・カンバーバッチが演じる中では珍しい役だったのではないかと思う。
まあ、単純に、外見のヒゲがカンバーバッチっぽさを隠していただけかもしれないけれど。
スティーヴン・ストレンジは軽口を叩く軽妙なキャラクターでもある。
パンフレットの表紙やポスターではキメキメだけれど、映画内ではまだそれほど魔術を使いこなせているわけではない。
本作はまだプロローグなのだと思う。スットコ魔術師奮闘記といった感じだ。
きっとこの先、自体はもっと深刻化していくだろうし、本作ではとんち合戦みたいにして危機を乗り越えたけれど、今後はストレンジが直接手をくだす場面も多くなるだろう。
それでも、本作のような軽妙さは残してほしいと思う。
赤いマントを付けた姿のドクター・ストレンジがせり上がってきた時に、やっと知っている姿になったと思って感動した。
序盤の医者姿から、修行をするために道着に着替え、両手がうまく使えないからヒゲを生やし、髪も伸びる。そして、仕上げにマントだ。少しずつ、現実の姿からファンタジーというか漫画の登場人物の姿に変わっていっていた。違和感なく魔術の世界と現実の世界が融合していた。
このマントが可愛い。マントが可愛いというと柄がとか形がかと思われると思うが、意志をもって動くのだ。ストレンジはまだまだ未熟である。その彼を時にサポートし、時に励ます。喋ることはないけれど愛嬌がある。
良いロボットが出る映画は良い映画という法則があるが、その亜種だと思う。
役者さん関連だと他には、ティルダ・スウィントンも良かった。
カーマ・タージの指導者、エンシェント・ワン役。原作ではおじいさんらしい。一体何歳なのかわからないというのは彼女のはまり役だろう。謎めいた雰囲気もいい。
エンシェント・ワンの弟子モルド役にキウェテル・イジョフォー。頭の固い善人役がうまい。真面目ゆえに、信じていたものから裏切られた時に受けたショックからの反動が大きい。本作ではいい人でしかなかったけれど、、おまけ映像の感じだと次作で悪役になりそう。
なんと原作では元々悪役らしい。
公式が“女性が好きな恋愛要素を売りにする”というようなことを言っていて少し荒れたりもしましたが、そこで初めてストレンジの相手役というのがいることを知ったくらい予告編には出てきていなかった。元恋人役にレイチェル・マクアダムス。序盤にやや湿っぽい別れのシーンがあったものの、それ以降はちょうどいいさじ加減だった。
ヒロインと言っていいのかわからないくらいの出番。でもいたほうが面白くなるくらいには出てくる。また、『ザ・コンサルタント』と同じく、主人公の足を引っ張らないので見ていてイライラしない。
悪役カエシリウス役にマッツ・ミケルセン。そのままでも恰好いいが、目の周りのメイクはより恰好よく見せるためのメイクに見える。
凶悪だけれど、直接対決ではないにせよ未熟者魔術師にやっつけられるというのは案外弱い? 単にストレンジが頭がいいということだろうか。
『ステート・オブ・プレイ』や『逃亡者 デッドエンド』でジョン・シムと共演していたベネディクト・ウォンが結構重要な役で出てきた。エンシェント・ワンとモルドが去った続編でも、是非、ドクター・ストレンジをサポートする役で出てきてほしい。
『ドクター・ストレンジ』はここから始まるし、最初はヒーロー物といった感じでもないし、ストーリーはとっつきやすいと思う。MCUの他の作品を観ていなくても大丈夫そうな敷居の低さがある。
それに、ストーリーだけでなく、本作は映像や視覚効果も見どころの一つだと思う。
覗いた先の景色が万華鏡のようになるスコープがグッズになっていたが、まさにそのような世界が目の前で展開される。
これは、元々の原作コミックスでの表現の映像化らしい。63年に初めて発表された作品のようなので、60年代といえばサイケデリックが流行ったし、同じようにトリップ感の味わえる映像なので納得した。
IMAXカメラで撮ったシーンではスクリーンが上下に広がるタイプなので、できればIMAX鑑賞がいいのだと思う。そして、3Dでないと、この映画の魅力が半減してしまうのではないかと思うくらい圧倒された。しかし、少し酔います。
病院でのバトルも面白かった。幽体離脱のように、肉体からアストラル体だけ離れて、壁をすり抜けながらバトルをする。
ファンタジーっぽくはあっても、病院は現実世界で地続きなのを感じる。
香港の住民たちの中でのバトルも、時を止めて、その中でストレンジやカエシリウスだけが動いているというのも面白かった。背景が日常生活で、その中で繰り広げられる非日常バトル。
時を止めるだけでなく、時を戻し、建物などを修復しながらのバトルも見ていて混乱するが面白かった。
是非二作目でもこの斬新な映像たちも見どころにしてほしい。
マーベル映画のお楽しみのおまけ映像にはソーが登場。次作は2017年11月3日に現地での公開が予定されている『ソー:ラグナロク(原題)』なのかなと思ったが、その前に5月5日(日本では5月12日。案外早い)『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の公開が控えていた。『スパイダーマン:ホームカミング』も7月7日(日本では8月11日。まあまあ早め)とソーより早い。
ソーは「地球にも魔術師がいるのか」と言いながらドクター・ストレンジと向かい合って座っていた。飲み干したビールをストレンジが時を戻すことで増やしてあげるサービスも。
戦いの時にはサポートするというようなことを言っていたので、もしかしたらドクター・ストレンジも出てくるのだろうか。それとも、2018年公開予定の『アベンジャーズ』続編での共演だろうか。
二人でロキの話をしていたが、ロキとドクター・ストレンジの共演となると、トム・ヒドルストンとベネディクト・カンバーバッチということで、『戦火の馬』のイギリス軍コンビである。
また、『アベンジャーズ』に出て、ロバート・ダウニー・Jrとベネディクト・カンバーバッチの共演ということになると、映画版とBBC版のシャーロック・ホームズが揃うことになり、これはこれで楽しみである。
Jan 25
ベン・アフレック主演。公式サイトや予告だと、会計士には裏の顔があって…?みたいな書き方だけれど、そんな単純なギャップ萌えの話ではなかった。でも、ネタバレっぽいものがある話だし、ちょっとこれくらいの書き方でいいのかもしれない。
監督は『ウォーリアー』のギャビン・オコナー。
以下、ネタバレです。
最初、昼は実直真面目な会計士、夜は殺し屋というような話なのかと思っていた。ネタバレをぼやかすためだと思うけれど、公式サイトのあらすじだと『しがない会計事務所へ舞い込んだ大企業の調査依頼』と書いてあるけれど、舞い込んだというか、自ら飛び込んでいった感じが強い。また、事件に巻き込まれるような書き方だけれど、それも、巻き込まれるっちゃ巻き込まれるけれど、自分で頭をつっこんだ感じである。あと、巻き込まれるというと一般人がひょんなことから裏世界に…といった印象になるが、この会計コンサルタント、クリスチャン・ウルフは最初から裏世界の住民っぽい部分が匂わされる。巻き込まれ上等といった雰囲気。
ウルフが持っている携帯には非通知で着信があり、そこで謎の女性から依頼を受けて動いているようだった。相手の顔、名前が出てこないところと、万能感から、少しノブレス携帯のジュイスを思い出してしまった。
ウルフは後ろ暗いところがあるようで、政府の一部からも目をつけられていたりする。映画を観ている側はこの主人公にどう向き合っていいのか迷うが、どうも携帯の向こうの万能な存在に従って、義賊的なことをしているのではないかと思われた。
思っていたのと一番違ったのは、最初に示される情報だが、主人公が高機能自閉症という点である。数字(というか数学?)に特別なこだわりがあるようだったので、会計士には向いている。
また、父親が軍人で、一人でも強く生きていけるようにという育て方をしたために、銃の扱いや格闘技などが身についていて、戦闘能力が突出している。最初はあの父親はどうなんだろうと思っていたけれど、結果的には正しい育て方だったということか。
仕事を完了させないと落ち着かないという面があるせいか、格闘シーンの確実な殺しっぷりが恰好良かった。殴って相手が倒れても上から銃で頭を一発、銃で仕留めても念のためもう一発。
ほぼ無表情で戦う様子も恰好良い。必死な顔にならないので何気ない動作に見える。
無表情なのは人と接するときも同じなのですが、好意を抱いたらしいデイナに対しては少し笑顔がこぼれていたり、不器用ながらも必死で伝えようとする様子が可愛くも見えた。
デイナを演じたのがアナ・ケンドリック。『バッドマン vs スーパーマン』の影響かもしれないけれど、やたらと筋肉質になったベン・アフレックに比べて小さくて可愛い。でもトイレのフタで悪漢を殴ったりと奮闘する。無駄に出しゃばって足を引っ張る場面がないのも良かった。
ベン・アフレック演じるウルフのキャラクターがとても魅力的だったので、本作は彼だけを中心にして欲しかった気がする。彼の過去と、一つの事件の解決で良かったのではないか。
なかなか最初から三部作構想もできないのだろうけれど、本作は要素がつみこみすぎではないかと思った。少しもったいない。
ウルフは影で一つの事件を解決しながらも、人も殺しているし、財務省犯罪捜査部に追われている。引退間近のレイモンドと犯罪歴のあるメリーベスというこの二人も濃い。二人ともの過去の話も出てくるが、ほぼ語りだけで済まされてしまう。この二人の側から見たスピンオフも作れそうである。それか、本作では政府も謎の男(ウルフ)を追っているという話を少し出して、二作目で本格的に追う様子を描くとか。
そして、三作目で満を持して弟の登場である。本作でもなかなか出てこなかったから満を持して感はあったけれど、ちょっと小物すぎてがっかりしてしまった。政府組二人やデイナの口からも過去の話が語られて、それを聞くとキャラクターに深みが出るが、弟はこれといったことを語らない。子供の頃はいつもウルフと一緒にいて、父親もウルフの友達は弟だけだと言っていたが、弟は子供の頃にも特に何も話しておらず、本当は何を考えていたのかわからなかった。
母の葬式にウルフと父親が二人で行ったことに怒ってはいたけれど、それよりも再会を喜んでいたし、きっと子供の頃から本当にウルフの友達だったのだろう。裏や確執などない。大体、本当に恨んでいたら、再会時に殺す手を止めることなんてしなかったはずだ。
でも、弟にも何かしら重要な役割を与えてあげてほしかったし、兄弟の確執が見たかった気もするのだ。最強のライバルであってほしい。それを三作目でじっくり描いてほしかった。ラスボスが弟でもいい。
ただ、確執があるとすると、本気で殺し合うことになるし、本気で殺しあったらきっと弟が死んでしまう。しかし、ウルフが弟を殺せるとも思えない。それに、殺させてはいけないとも思う。
そして、最後の最後に携帯の謎の声の主が、ウルフが子供の頃に行った施設の女性だったことがわかる。声もパソコンを使った音声だった。電話で「ため息だわ」と言っていた時に、なんでそんなこと言うんだろうと思ったけれど、絵文字みたいな感覚なんでしょう。
人物関連のことはおおよそ明らかになったし、丸くおさまったと言えなくもない。けれど、弟も生きているし、ウルフはまた次の事件へ向かっていくようだったし、続編がいくらでも作れると思う。是非、シリーズ化してほしい。
女性がパソコンでハッキングをして、携帯で連絡してウルフが動くという連携プレーはいつからとられたのか、そうなったいきさつや転機みたいなのもあったはずなのだ。二人が交わす秘密の契約。やはり、パズルの最後のピースを渡してもらったことがきっかけになっているのだろうか。彼女の部屋にあの時完成したパズルが飾られているのもぐっときた。
『ザ・コンサルタント』
Posted by asuka at 1:58 PM
ベン・アフレック主演。公式サイトや予告だと、会計士には裏の顔があって…?みたいな書き方だけれど、そんな単純なギャップ萌えの話ではなかった。でも、ネタバレっぽいものがある話だし、ちょっとこれくらいの書き方でいいのかもしれない。
監督は『ウォーリアー』のギャビン・オコナー。
以下、ネタバレです。
最初、昼は実直真面目な会計士、夜は殺し屋というような話なのかと思っていた。ネタバレをぼやかすためだと思うけれど、公式サイトのあらすじだと『しがない会計事務所へ舞い込んだ大企業の調査依頼』と書いてあるけれど、舞い込んだというか、自ら飛び込んでいった感じが強い。また、事件に巻き込まれるような書き方だけれど、それも、巻き込まれるっちゃ巻き込まれるけれど、自分で頭をつっこんだ感じである。あと、巻き込まれるというと一般人がひょんなことから裏世界に…といった印象になるが、この会計コンサルタント、クリスチャン・ウルフは最初から裏世界の住民っぽい部分が匂わされる。巻き込まれ上等といった雰囲気。
ウルフが持っている携帯には非通知で着信があり、そこで謎の女性から依頼を受けて動いているようだった。相手の顔、名前が出てこないところと、万能感から、少しノブレス携帯のジュイスを思い出してしまった。
ウルフは後ろ暗いところがあるようで、政府の一部からも目をつけられていたりする。映画を観ている側はこの主人公にどう向き合っていいのか迷うが、どうも携帯の向こうの万能な存在に従って、義賊的なことをしているのではないかと思われた。
思っていたのと一番違ったのは、最初に示される情報だが、主人公が高機能自閉症という点である。数字(というか数学?)に特別なこだわりがあるようだったので、会計士には向いている。
また、父親が軍人で、一人でも強く生きていけるようにという育て方をしたために、銃の扱いや格闘技などが身についていて、戦闘能力が突出している。最初はあの父親はどうなんだろうと思っていたけれど、結果的には正しい育て方だったということか。
仕事を完了させないと落ち着かないという面があるせいか、格闘シーンの確実な殺しっぷりが恰好良かった。殴って相手が倒れても上から銃で頭を一発、銃で仕留めても念のためもう一発。
ほぼ無表情で戦う様子も恰好良い。必死な顔にならないので何気ない動作に見える。
無表情なのは人と接するときも同じなのですが、好意を抱いたらしいデイナに対しては少し笑顔がこぼれていたり、不器用ながらも必死で伝えようとする様子が可愛くも見えた。
デイナを演じたのがアナ・ケンドリック。『バッドマン vs スーパーマン』の影響かもしれないけれど、やたらと筋肉質になったベン・アフレックに比べて小さくて可愛い。でもトイレのフタで悪漢を殴ったりと奮闘する。無駄に出しゃばって足を引っ張る場面がないのも良かった。
ベン・アフレック演じるウルフのキャラクターがとても魅力的だったので、本作は彼だけを中心にして欲しかった気がする。彼の過去と、一つの事件の解決で良かったのではないか。
なかなか最初から三部作構想もできないのだろうけれど、本作は要素がつみこみすぎではないかと思った。少しもったいない。
ウルフは影で一つの事件を解決しながらも、人も殺しているし、財務省犯罪捜査部に追われている。引退間近のレイモンドと犯罪歴のあるメリーベスというこの二人も濃い。二人ともの過去の話も出てくるが、ほぼ語りだけで済まされてしまう。この二人の側から見たスピンオフも作れそうである。それか、本作では政府も謎の男(ウルフ)を追っているという話を少し出して、二作目で本格的に追う様子を描くとか。
そして、三作目で満を持して弟の登場である。本作でもなかなか出てこなかったから満を持して感はあったけれど、ちょっと小物すぎてがっかりしてしまった。政府組二人やデイナの口からも過去の話が語られて、それを聞くとキャラクターに深みが出るが、弟はこれといったことを語らない。子供の頃はいつもウルフと一緒にいて、父親もウルフの友達は弟だけだと言っていたが、弟は子供の頃にも特に何も話しておらず、本当は何を考えていたのかわからなかった。
母の葬式にウルフと父親が二人で行ったことに怒ってはいたけれど、それよりも再会を喜んでいたし、きっと子供の頃から本当にウルフの友達だったのだろう。裏や確執などない。大体、本当に恨んでいたら、再会時に殺す手を止めることなんてしなかったはずだ。
でも、弟にも何かしら重要な役割を与えてあげてほしかったし、兄弟の確執が見たかった気もするのだ。最強のライバルであってほしい。それを三作目でじっくり描いてほしかった。ラスボスが弟でもいい。
ただ、確執があるとすると、本気で殺し合うことになるし、本気で殺しあったらきっと弟が死んでしまう。しかし、ウルフが弟を殺せるとも思えない。それに、殺させてはいけないとも思う。
そして、最後の最後に携帯の謎の声の主が、ウルフが子供の頃に行った施設の女性だったことがわかる。声もパソコンを使った音声だった。電話で「ため息だわ」と言っていた時に、なんでそんなこと言うんだろうと思ったけれど、絵文字みたいな感覚なんでしょう。
人物関連のことはおおよそ明らかになったし、丸くおさまったと言えなくもない。けれど、弟も生きているし、ウルフはまた次の事件へ向かっていくようだったし、続編がいくらでも作れると思う。是非、シリーズ化してほしい。
女性がパソコンでハッキングをして、携帯で連絡してウルフが動くという連携プレーはいつからとられたのか、そうなったいきさつや転機みたいなのもあったはずなのだ。二人が交わす秘密の契約。やはり、パズルの最後のピースを渡してもらったことがきっかけになっているのだろうか。彼女の部屋にあの時完成したパズルが飾られているのもぐっときた。
Jan 11
実在したフローレンス・フォスター・ジェンキンスについて描かれた実話。
この映画の予告編を見た時に、本当は歌が下手だけれど周囲がそれに気付かせないようにするという点が『偉大なるマルグリット』(未見)と同じだったのでこの映画のリメイクなのかと思っていた。しかし、『偉大なるマルグリット』はこのフローレンス・フォスター・ジェンキンスの話をフランスに置き換えての映画らしい。どちらも同じ人物で作られた映画なので内容が似ているというわけだった。
公開から少し経っていますが、この時期の映画賞の主に俳優部門でのノミネートが多いので観ました。
以下、ネタバレです。
主人公のフローレンスは歌が下手でなくてはいけないけれど、演じるメリル・ストリープは歌がうまい。音源をそのまま使っているのかなとも思っていたけれど、音痴を練習したというからすごい。
ただ、音痴ではあっても聴くに堪えないとか耳を塞ぎたくなるという類のものではない。実在した人物はどうだかわからないし、実際にコンサートに行っていたらどうかなとは思うけれど、映画の中では嫌な気分にはならない。
これはメリル・ストリープの演技力なのかもしれないけれど、フローレンスは楽しくてたまらないといった感じで歌うのだ。あんな幸せそうな顔を見たら、夫のシンクレアでなくとも、フローレンスの願いを叶えてあげたくなる。
衣装も、ゴージャスではあるけれど、星が付いていたり、スパンコールがたくさん付いていたりと、少しファンシーなものが多い。可愛らしいし、見ていて楽しい。
だから、後半のカーネギーホールでのコンサートで、軍人たちに笑われて戸惑った表情を見せていたのは辛かった。多分、シンクレアも彼女のこんな表情が見たくなかったから、天真爛漫にやりたいことをやらせてあげたかったから、影で記者を買収したり、騒ぐ客を追い出したりと動いていたのだろう。
シンクレアがフローレンスの影で献身的につくす様子は序盤から描かれていたし、そうゆう映画なんだとも思っていた。フローレンスの幸せのために、彼は徹しているのだと思っていた。もちろんその部分もある。
序盤で描かれる、歌ではないけれどフローレンスのパフォーマンスとその司会をするシンクレア、その後家に帰って、ベッドにフローレンスを寝かせ、眠ったところでメイドさんと一緒につけまつ毛とウィッグを取ってあげるという一連の動作はいつものルーチンのように見えた。そしてその後、家を出て、タクシーに乗り、フローレンスのホテルとは比べものにならないもう一つの家につく。そこには若い女性がいて、シンクレアのことを「ダーリン」なんて呼んでいる。おそらく、ここまでがルーチンなのだ。え? そうゆう二重生活の話なの?と混乱してしまった。
途中で、もう一人の主要キャラであるピアニストのコズメが、若い女性キャサリンとシンクレアが親しそうにしているのを見て、二人の仲を察して、「フローレンスと結婚しているのかと思っていた」と言うシーンがある。私もそう思っていたので、映画を観ている人の気持ちを代弁してくれた形になる。そこでシンクレアは「もちろんフローレンスと結婚している。この関係は彼女も承知してくれている」と言う。けれど、中盤で、もう一つの家にフローレンスが訪ねてきたときにキャサリンを隠れさせたということは、別々に住むことは了承していても、他の女性と関係を持っていることは隠していたのだろうか。
その辺がよくわからないし、実は、シンクレアの気持ちもよくわからなかった。メリル・ストリープとヒュー・グラントだとフローレンスとシンクレアはだいぶ年の差があったのかなと思うけれど、実際にはフローレンスが7つ上だったようである。
フローレンスは病気だったために、シンクレアがセックスのために若い女性を囲っていたのかというとそんな感じではなく、キャサリンとの間にもちゃんとした愛情があったようだった。
シンクレアはタクシーでもう一つの家へ向かう時に、一仕事終えたというように目を細めてタバコを吸っていた。そのヒュー・グラントが本当にセクシーだった。シンクレアはフローレンスの前ではいつでも笑顔で、彼女の機嫌を損ねるようなことはしていない様子だった。彼女の元を離れ、彼女が嫌いだというタバコを吸い、素の顔を見せたようだった。
素の顔というと、フローレンスの前では繕った顔だったのかとも思ってしまう。一体、彼はフローレンスのことは本心ではどう思っていたのだろう。
フローレンスはお金を持っている。もう一つの家だって彼女が家賃を払っていたそうだ。フローレンスのご機嫌取りは仕事で、日常はキャサリンとの生活だったのだろうか。
ある夜に、いつもの通り、フローレンスが寝たところで、シンクレアはホテルを出ようとする。すると、フローレンスが彼を引き止める。シンクレアはフローレンスのベッドで寝るけれど、この少し前に、シンクレアとキャサリンは喧嘩をしてるんですよね。もし、喧嘩をしていなかったら、シンクレアはどうしていたのだろう。
結局のところ、シンクレアはどちらのことを大切に思っていたのか、よくわからなかった。実際のシンクレアは、フローレンスが亡くなった翌年にキャサリンと結婚をしており、ますますわからない。
実話だから仕方ないのかもしれないけれど、映画ではもうキャサリンの存在は消してしまっても良かったのではないかと思う。
シンクレアのもう一つの表情を演じるヒュー・グラント自体はとても良かったんですが、映画だとキャラがブレてしまっていた。邦題ではあるが、“夢見るふたり”ともかけ離れている。
もうフローレンスにひたすらつくす役で良かったと思うのだ。もう一つの素の表情、裏の悪い顔もセクシーだったけれど、フローレンスの前でにっこり笑った顔がくしゃくしゃになるのも良かった。ヒュー・グラントは年をとって、ますますいい表情になったと思う。
もう一つ、“夢見るふたり”が違うなと思ったのは、実際には二人に雇われピアニストを加えた“夢見るさんにん”だと思うからだ。ピアニストのコズメもフローレンスとシンクレアに負けないくらい活躍していた。日本版のポスターでは消されてしまっているが、海外版のポスターには三人写っている(原題は『Florence Foster Jenkins』)。
コズメを演じたサイモン・ヘルバーグも表情の作り方がとてもうまかった。最初は他の人と同じようにフローレンスの音痴を笑っていた。けれど、フローレンスに付き合ううちに、彼女の人柄に魅了されていく。やっぱり、映画を観ている私たちと同じ目線である。そしてそれは、かつてシンクレアが辿った道でもある。
あとで知ったんですが、サイモン・ヘルバーグはピアノも実際に弾いているそうだ。素晴らしい。ヒュー・グラントも良かったけれど、彼もゴールデングローブ賞にノミネートされておかしくないのに。と思ってもう一度見直したら、ばっちりされていた。ヒュー・グラントは助演ではなく主演男優賞、サイモン・ヘルバーグが助演男優賞でした。
フローレンスがコズメの部屋に来るシーン、手が痛くて片手でしかピアノを弾けないフローレンスのサポートをするように、コズメが連弾をする。そっと優しく差し伸べられた手から、もうコズメはフローレンスを馬鹿にしてなどいないのがよくわかる。二人の距離が縮まるのも感じられるとても良いシーン。
ここで、フローレンスがシンクレアとの過去の話もして、「彼の演技が酷評された新聞記事を隠したりね」という言葉が出てくる。
後半で、フローレンスの歌を酷評した記事の載る新聞をシンクレアが隠す。結局、フローレンスはそれを発見してしまうのですが、さっきのセリフ(「彼の演技が酷評された新聞記事〜」)はこの辺の伏線なのかなと思っていたら、触れられないまま終わってしまったので驚いた。何かしら絡めてほしかった。これも、実話だから仕方ないのかもしれませんが。
『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』
Posted by asuka at 9:57 PM
実在したフローレンス・フォスター・ジェンキンスについて描かれた実話。
この映画の予告編を見た時に、本当は歌が下手だけれど周囲がそれに気付かせないようにするという点が『偉大なるマルグリット』(未見)と同じだったのでこの映画のリメイクなのかと思っていた。しかし、『偉大なるマルグリット』はこのフローレンス・フォスター・ジェンキンスの話をフランスに置き換えての映画らしい。どちらも同じ人物で作られた映画なので内容が似ているというわけだった。
公開から少し経っていますが、この時期の映画賞の主に俳優部門でのノミネートが多いので観ました。
以下、ネタバレです。
主人公のフローレンスは歌が下手でなくてはいけないけれど、演じるメリル・ストリープは歌がうまい。音源をそのまま使っているのかなとも思っていたけれど、音痴を練習したというからすごい。
ただ、音痴ではあっても聴くに堪えないとか耳を塞ぎたくなるという類のものではない。実在した人物はどうだかわからないし、実際にコンサートに行っていたらどうかなとは思うけれど、映画の中では嫌な気分にはならない。
これはメリル・ストリープの演技力なのかもしれないけれど、フローレンスは楽しくてたまらないといった感じで歌うのだ。あんな幸せそうな顔を見たら、夫のシンクレアでなくとも、フローレンスの願いを叶えてあげたくなる。
衣装も、ゴージャスではあるけれど、星が付いていたり、スパンコールがたくさん付いていたりと、少しファンシーなものが多い。可愛らしいし、見ていて楽しい。
だから、後半のカーネギーホールでのコンサートで、軍人たちに笑われて戸惑った表情を見せていたのは辛かった。多分、シンクレアも彼女のこんな表情が見たくなかったから、天真爛漫にやりたいことをやらせてあげたかったから、影で記者を買収したり、騒ぐ客を追い出したりと動いていたのだろう。
シンクレアがフローレンスの影で献身的につくす様子は序盤から描かれていたし、そうゆう映画なんだとも思っていた。フローレンスの幸せのために、彼は徹しているのだと思っていた。もちろんその部分もある。
序盤で描かれる、歌ではないけれどフローレンスのパフォーマンスとその司会をするシンクレア、その後家に帰って、ベッドにフローレンスを寝かせ、眠ったところでメイドさんと一緒につけまつ毛とウィッグを取ってあげるという一連の動作はいつものルーチンのように見えた。そしてその後、家を出て、タクシーに乗り、フローレンスのホテルとは比べものにならないもう一つの家につく。そこには若い女性がいて、シンクレアのことを「ダーリン」なんて呼んでいる。おそらく、ここまでがルーチンなのだ。え? そうゆう二重生活の話なの?と混乱してしまった。
途中で、もう一人の主要キャラであるピアニストのコズメが、若い女性キャサリンとシンクレアが親しそうにしているのを見て、二人の仲を察して、「フローレンスと結婚しているのかと思っていた」と言うシーンがある。私もそう思っていたので、映画を観ている人の気持ちを代弁してくれた形になる。そこでシンクレアは「もちろんフローレンスと結婚している。この関係は彼女も承知してくれている」と言う。けれど、中盤で、もう一つの家にフローレンスが訪ねてきたときにキャサリンを隠れさせたということは、別々に住むことは了承していても、他の女性と関係を持っていることは隠していたのだろうか。
その辺がよくわからないし、実は、シンクレアの気持ちもよくわからなかった。メリル・ストリープとヒュー・グラントだとフローレンスとシンクレアはだいぶ年の差があったのかなと思うけれど、実際にはフローレンスが7つ上だったようである。
フローレンスは病気だったために、シンクレアがセックスのために若い女性を囲っていたのかというとそんな感じではなく、キャサリンとの間にもちゃんとした愛情があったようだった。
シンクレアはタクシーでもう一つの家へ向かう時に、一仕事終えたというように目を細めてタバコを吸っていた。そのヒュー・グラントが本当にセクシーだった。シンクレアはフローレンスの前ではいつでも笑顔で、彼女の機嫌を損ねるようなことはしていない様子だった。彼女の元を離れ、彼女が嫌いだというタバコを吸い、素の顔を見せたようだった。
素の顔というと、フローレンスの前では繕った顔だったのかとも思ってしまう。一体、彼はフローレンスのことは本心ではどう思っていたのだろう。
フローレンスはお金を持っている。もう一つの家だって彼女が家賃を払っていたそうだ。フローレンスのご機嫌取りは仕事で、日常はキャサリンとの生活だったのだろうか。
ある夜に、いつもの通り、フローレンスが寝たところで、シンクレアはホテルを出ようとする。すると、フローレンスが彼を引き止める。シンクレアはフローレンスのベッドで寝るけれど、この少し前に、シンクレアとキャサリンは喧嘩をしてるんですよね。もし、喧嘩をしていなかったら、シンクレアはどうしていたのだろう。
結局のところ、シンクレアはどちらのことを大切に思っていたのか、よくわからなかった。実際のシンクレアは、フローレンスが亡くなった翌年にキャサリンと結婚をしており、ますますわからない。
実話だから仕方ないのかもしれないけれど、映画ではもうキャサリンの存在は消してしまっても良かったのではないかと思う。
シンクレアのもう一つの表情を演じるヒュー・グラント自体はとても良かったんですが、映画だとキャラがブレてしまっていた。邦題ではあるが、“夢見るふたり”ともかけ離れている。
もうフローレンスにひたすらつくす役で良かったと思うのだ。もう一つの素の表情、裏の悪い顔もセクシーだったけれど、フローレンスの前でにっこり笑った顔がくしゃくしゃになるのも良かった。ヒュー・グラントは年をとって、ますますいい表情になったと思う。
もう一つ、“夢見るふたり”が違うなと思ったのは、実際には二人に雇われピアニストを加えた“夢見るさんにん”だと思うからだ。ピアニストのコズメもフローレンスとシンクレアに負けないくらい活躍していた。日本版のポスターでは消されてしまっているが、海外版のポスターには三人写っている(原題は『Florence Foster Jenkins』)。
コズメを演じたサイモン・ヘルバーグも表情の作り方がとてもうまかった。最初は他の人と同じようにフローレンスの音痴を笑っていた。けれど、フローレンスに付き合ううちに、彼女の人柄に魅了されていく。やっぱり、映画を観ている私たちと同じ目線である。そしてそれは、かつてシンクレアが辿った道でもある。
あとで知ったんですが、サイモン・ヘルバーグはピアノも実際に弾いているそうだ。素晴らしい。ヒュー・グラントも良かったけれど、彼もゴールデングローブ賞にノミネートされておかしくないのに。と思ってもう一度見直したら、ばっちりされていた。ヒュー・グラントは助演ではなく主演男優賞、サイモン・ヘルバーグが助演男優賞でした。
フローレンスがコズメの部屋に来るシーン、手が痛くて片手でしかピアノを弾けないフローレンスのサポートをするように、コズメが連弾をする。そっと優しく差し伸べられた手から、もうコズメはフローレンスを馬鹿にしてなどいないのがよくわかる。二人の距離が縮まるのも感じられるとても良いシーン。
ここで、フローレンスがシンクレアとの過去の話もして、「彼の演技が酷評された新聞記事を隠したりね」という言葉が出てくる。
後半で、フローレンスの歌を酷評した記事の載る新聞をシンクレアが隠す。結局、フローレンスはそれを発見してしまうのですが、さっきのセリフ(「彼の演技が酷評された新聞記事〜」)はこの辺の伏線なのかなと思っていたら、触れられないまま終わってしまったので驚いた。何かしら絡めてほしかった。これも、実話だから仕方ないのかもしれませんが。
Jan 04
スウェーデンで五人に一人が観たというスウェーデンで大ヒットした映画。原作小説もベストセラーになっているらしい。
気難しいおじさんが主人公ということで、『クリスマス・キャロル』とかスクルージおじさんみたいな話かなと思ったけれど少し違った。
以下、ネタバレです。
それでも、気難しいおじさんが近所の人々に振り回されながら少しずつ心を開いていくという話という点では同じ。ありきたりと言えばありきたりなのだけれど、序盤から映画全体を通して、いろんな場面で泣いてしまった。
気難しいおじいさんオーヴェはタイトル通り、妻に先立たれひとりぼっちで暮らしている。近所の自警団のようなこともやっていて、周辺の住民からは煙たがられているようだった。
ただ、やはり妻の前で見せる顔というのが別にある。妻のお墓に、愚痴混じりでありながら優しげに話しかけるシーンが、タイトルが出る前にもう出てくるんですね。彼の本当の人格は最序盤でわかる。
なんとなく『クリード』でロッキーがエイドリアンの墓の横に椅子を置いて新聞を読むシーンを思い出した。亡くなった人に想いを馳せるシーンはいつだって泣ける。そこに故人がいるようにお墓に話かけるシーンがこの映画や『クリード』に限ったことではなく好きです。タイムスリップなどで二人の時の流れがずれてしまう描写と同じような切なさがある。
オーヴェは近所の人には煙たがれる、愛する妻もいない、仕事もクビになったということで、自殺をしようとする。そこで走馬灯なのか、オーヴェの子供時代からの回想が始まる。このような形で主人公の過去を描くのは結構おもしろいと思った。
ただ、この回想が結構長かったので、もしかしたらこの映画はこの先ずっと回想なのかなと思ったら違った。邪魔が入って自殺が阻止される。
何度かこのパターンで、嫌気がさして妻の元へ行こうと自殺を試みて阻止される。そのたびにオーヴェの過去が明らかになり、同時に彼の人柄が明らかになっていく。
気難しいし、付き合いにくそうだと思っていたけれど、結局は根が真面目で正義感が強い人物なのだということがわかる。
そして、この過去パートではのちに妻になるソーニャとの出会いも描かれる。恋愛に関してもオーヴェは不器用。だけど、真面目ゆえに愛らしい。そして、オーヴェの回想だから余計そうなのかもしれないけれど、ソーニャがとても魅力的。この二人の恋に落ちる様子もロマンティックにしっかり描かれていて良かった。ソーニャを演じた女優さん自身もとても綺麗でした。
オーヴェの自殺が阻止される描写はコミカルですが、監督さんはもともと、コメディが得意な方らしくなるほどと思った。現代パートでは、ご近所さんで移民のパルヴァネ、彼女の子供たち、ソーニャの生徒、野良猫…とオーヴェの周りに大切なものがどんどん増えて行く。
パルヴァネとは特に親しくなって、走馬灯ではなくオーヴェの口から彼女に向かって過去のことが語られるシーンも出てきた。一番大切だと思われる、ソーニャが大怪我を負い、子供を亡くすシーンだ。
ただ、ソーニャは最近亡くなったようだったし、この事故をきっかけとして亡くなったわけじゃないんだろうなと思いながら観ていたら、亡くなったことについては回想映像もなく、「ガンで死んだ」と一言だけだった。
オーヴェの子供時代から、ソーニャと出会って結婚して…というところはとても丁寧に描かれていたので、亡くなるシーンも当然映像で見せてくるのだろうと思っていたけれど、敢えてぽつりと言葉だけで済ませたのは、オーヴェにとってショックな出来事すぎてまだ受け止めきれていないとか、辛くて詳細には話せないとか、あまり覚えていないとか、彼の心のうちが関係しているのだろうか。
心の奥にしまっていた大切なことを打ち明けることで人との絆が強まる。パルヴァネとの関係だけでなく、以前は一人だった近所の見回りも若者と猫が同行することになったり、仲が悪くなってしまったかつての友人が施設に入れられるのをご近所総出で阻止する中心にオーヴェが立ったりと、周囲に人が集まってきていた。
もうひとりぼっちではない。もう自殺を試みることもない。
しかし、少し前に胸を押さえて倒れるシーンがあったので嫌な予感がしていたが、このすべてが丸くおさまって幸せな気持ちになっていたところでもオーヴェは倒れてしまう。
結局、心臓が大きいということで命に別状はなかった。パルヴァネも「オーヴェったら本当に死ぬのがヘタね!」と冗談めかして言っていたし、ひやっとはしたものの、ほっとして、これでハッピーエンドだと思ったのだ。
そうしたら、ラストでオーヴェはこの心臓の病気で亡くなってしまう。病院へ行ったのに、命の危険があるならば手術をするとか薬を出すとかしなかったのだろうか? 取ってつけたようなという言い方はおかしいかもしれないけれど、不自然な亡くなり方に思えた。
映画の記事を読んでいたら、原作とはラストが違うらしいので、原作では亡くなることはないのかもしれない。監督の言葉として、「どうしてもソーニャに会わせてあげたかった」とあって、その気持ちはわからないことはないけれど、でもやはり、オーヴェには生きていて欲しかった。
自殺ではないにしても、死んでしまっては結局同じだと思う。
ソーニャが亡くなってしまった傷は癒えることはないかもしれない。だけど、周囲の人とも打ち解けて始め、ひとりぼっちではなくなったところだったではないか。孤独感だって、薄れていくだろう。オーヴェの人生はこれからも続いたはずなのだ。二人の時がズレても愛する気持ちは変わらない、そんな描写が好きだから、わざわざ死んで時の流れを揃えなくてもいいのにと思ってしまう。
オーヴェが出会いと同じ電車の中で老いたソーニャと再会し、手を取るラストの映像も美しかった。けれど、本当だったら、生きているオーヴェの日常という現実パートで終わらせてほしかった。ラストだけが残念です。原作も読んでみたい。
『幸せなひとりぼっち』
Posted by asuka at 9:49 PM
スウェーデンで五人に一人が観たというスウェーデンで大ヒットした映画。原作小説もベストセラーになっているらしい。
気難しいおじさんが主人公ということで、『クリスマス・キャロル』とかスクルージおじさんみたいな話かなと思ったけれど少し違った。
以下、ネタバレです。
それでも、気難しいおじさんが近所の人々に振り回されながら少しずつ心を開いていくという話という点では同じ。ありきたりと言えばありきたりなのだけれど、序盤から映画全体を通して、いろんな場面で泣いてしまった。
気難しいおじいさんオーヴェはタイトル通り、妻に先立たれひとりぼっちで暮らしている。近所の自警団のようなこともやっていて、周辺の住民からは煙たがられているようだった。
ただ、やはり妻の前で見せる顔というのが別にある。妻のお墓に、愚痴混じりでありながら優しげに話しかけるシーンが、タイトルが出る前にもう出てくるんですね。彼の本当の人格は最序盤でわかる。
なんとなく『クリード』でロッキーがエイドリアンの墓の横に椅子を置いて新聞を読むシーンを思い出した。亡くなった人に想いを馳せるシーンはいつだって泣ける。そこに故人がいるようにお墓に話かけるシーンがこの映画や『クリード』に限ったことではなく好きです。タイムスリップなどで二人の時の流れがずれてしまう描写と同じような切なさがある。
オーヴェは近所の人には煙たがれる、愛する妻もいない、仕事もクビになったということで、自殺をしようとする。そこで走馬灯なのか、オーヴェの子供時代からの回想が始まる。このような形で主人公の過去を描くのは結構おもしろいと思った。
ただ、この回想が結構長かったので、もしかしたらこの映画はこの先ずっと回想なのかなと思ったら違った。邪魔が入って自殺が阻止される。
何度かこのパターンで、嫌気がさして妻の元へ行こうと自殺を試みて阻止される。そのたびにオーヴェの過去が明らかになり、同時に彼の人柄が明らかになっていく。
気難しいし、付き合いにくそうだと思っていたけれど、結局は根が真面目で正義感が強い人物なのだということがわかる。
そして、この過去パートではのちに妻になるソーニャとの出会いも描かれる。恋愛に関してもオーヴェは不器用。だけど、真面目ゆえに愛らしい。そして、オーヴェの回想だから余計そうなのかもしれないけれど、ソーニャがとても魅力的。この二人の恋に落ちる様子もロマンティックにしっかり描かれていて良かった。ソーニャを演じた女優さん自身もとても綺麗でした。
オーヴェの自殺が阻止される描写はコミカルですが、監督さんはもともと、コメディが得意な方らしくなるほどと思った。現代パートでは、ご近所さんで移民のパルヴァネ、彼女の子供たち、ソーニャの生徒、野良猫…とオーヴェの周りに大切なものがどんどん増えて行く。
パルヴァネとは特に親しくなって、走馬灯ではなくオーヴェの口から彼女に向かって過去のことが語られるシーンも出てきた。一番大切だと思われる、ソーニャが大怪我を負い、子供を亡くすシーンだ。
ただ、ソーニャは最近亡くなったようだったし、この事故をきっかけとして亡くなったわけじゃないんだろうなと思いながら観ていたら、亡くなったことについては回想映像もなく、「ガンで死んだ」と一言だけだった。
オーヴェの子供時代から、ソーニャと出会って結婚して…というところはとても丁寧に描かれていたので、亡くなるシーンも当然映像で見せてくるのだろうと思っていたけれど、敢えてぽつりと言葉だけで済ませたのは、オーヴェにとってショックな出来事すぎてまだ受け止めきれていないとか、辛くて詳細には話せないとか、あまり覚えていないとか、彼の心のうちが関係しているのだろうか。
心の奥にしまっていた大切なことを打ち明けることで人との絆が強まる。パルヴァネとの関係だけでなく、以前は一人だった近所の見回りも若者と猫が同行することになったり、仲が悪くなってしまったかつての友人が施設に入れられるのをご近所総出で阻止する中心にオーヴェが立ったりと、周囲に人が集まってきていた。
もうひとりぼっちではない。もう自殺を試みることもない。
しかし、少し前に胸を押さえて倒れるシーンがあったので嫌な予感がしていたが、このすべてが丸くおさまって幸せな気持ちになっていたところでもオーヴェは倒れてしまう。
結局、心臓が大きいということで命に別状はなかった。パルヴァネも「オーヴェったら本当に死ぬのがヘタね!」と冗談めかして言っていたし、ひやっとはしたものの、ほっとして、これでハッピーエンドだと思ったのだ。
そうしたら、ラストでオーヴェはこの心臓の病気で亡くなってしまう。病院へ行ったのに、命の危険があるならば手術をするとか薬を出すとかしなかったのだろうか? 取ってつけたようなという言い方はおかしいかもしれないけれど、不自然な亡くなり方に思えた。
映画の記事を読んでいたら、原作とはラストが違うらしいので、原作では亡くなることはないのかもしれない。監督の言葉として、「どうしてもソーニャに会わせてあげたかった」とあって、その気持ちはわからないことはないけれど、でもやはり、オーヴェには生きていて欲しかった。
自殺ではないにしても、死んでしまっては結局同じだと思う。
ソーニャが亡くなってしまった傷は癒えることはないかもしれない。だけど、周囲の人とも打ち解けて始め、ひとりぼっちではなくなったところだったではないか。孤独感だって、薄れていくだろう。オーヴェの人生はこれからも続いたはずなのだ。二人の時がズレても愛する気持ちは変わらない、そんな描写が好きだから、わざわざ死んで時の流れを揃えなくてもいいのにと思ってしまう。
オーヴェが出会いと同じ電車の中で老いたソーニャと再会し、手を取るラストの映像も美しかった。けれど、本当だったら、生きているオーヴェの日常という現実パートで終わらせてほしかった。ラストだけが残念です。原作も読んでみたい。
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ver0.2 by バッド
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