『幸せなひとりぼっち』



スウェーデンで五人に一人が観たというスウェーデンで大ヒットした映画。原作小説もベストセラーになっているらしい。

気難しいおじさんが主人公ということで、『クリスマス・キャロル』とかスクルージおじさんみたいな話かなと思ったけれど少し違った。

以下、ネタバレです。







それでも、気難しいおじさんが近所の人々に振り回されながら少しずつ心を開いていくという話という点では同じ。ありきたりと言えばありきたりなのだけれど、序盤から映画全体を通して、いろんな場面で泣いてしまった。

気難しいおじいさんオーヴェはタイトル通り、妻に先立たれひとりぼっちで暮らしている。近所の自警団のようなこともやっていて、周辺の住民からは煙たがられているようだった。
ただ、やはり妻の前で見せる顔というのが別にある。妻のお墓に、愚痴混じりでありながら優しげに話しかけるシーンが、タイトルが出る前にもう出てくるんですね。彼の本当の人格は最序盤でわかる。

なんとなく『クリード』でロッキーがエイドリアンの墓の横に椅子を置いて新聞を読むシーンを思い出した。亡くなった人に想いを馳せるシーンはいつだって泣ける。そこに故人がいるようにお墓に話かけるシーンがこの映画や『クリード』に限ったことではなく好きです。タイムスリップなどで二人の時の流れがずれてしまう描写と同じような切なさがある。

オーヴェは近所の人には煙たがれる、愛する妻もいない、仕事もクビになったということで、自殺をしようとする。そこで走馬灯なのか、オーヴェの子供時代からの回想が始まる。このような形で主人公の過去を描くのは結構おもしろいと思った。
ただ、この回想が結構長かったので、もしかしたらこの映画はこの先ずっと回想なのかなと思ったら違った。邪魔が入って自殺が阻止される。

何度かこのパターンで、嫌気がさして妻の元へ行こうと自殺を試みて阻止される。そのたびにオーヴェの過去が明らかになり、同時に彼の人柄が明らかになっていく。
気難しいし、付き合いにくそうだと思っていたけれど、結局は根が真面目で正義感が強い人物なのだということがわかる。
そして、この過去パートではのちに妻になるソーニャとの出会いも描かれる。恋愛に関してもオーヴェは不器用。だけど、真面目ゆえに愛らしい。そして、オーヴェの回想だから余計そうなのかもしれないけれど、ソーニャがとても魅力的。この二人の恋に落ちる様子もロマンティックにしっかり描かれていて良かった。ソーニャを演じた女優さん自身もとても綺麗でした。

オーヴェの自殺が阻止される描写はコミカルですが、監督さんはもともと、コメディが得意な方らしくなるほどと思った。現代パートでは、ご近所さんで移民のパルヴァネ、彼女の子供たち、ソーニャの生徒、野良猫…とオーヴェの周りに大切なものがどんどん増えて行く。
パルヴァネとは特に親しくなって、走馬灯ではなくオーヴェの口から彼女に向かって過去のことが語られるシーンも出てきた。一番大切だと思われる、ソーニャが大怪我を負い、子供を亡くすシーンだ。
ただ、ソーニャは最近亡くなったようだったし、この事故をきっかけとして亡くなったわけじゃないんだろうなと思いながら観ていたら、亡くなったことについては回想映像もなく、「ガンで死んだ」と一言だけだった。
オーヴェの子供時代から、ソーニャと出会って結婚して…というところはとても丁寧に描かれていたので、亡くなるシーンも当然映像で見せてくるのだろうと思っていたけれど、敢えてぽつりと言葉だけで済ませたのは、オーヴェにとってショックな出来事すぎてまだ受け止めきれていないとか、辛くて詳細には話せないとか、あまり覚えていないとか、彼の心のうちが関係しているのだろうか。

心の奥にしまっていた大切なことを打ち明けることで人との絆が強まる。パルヴァネとの関係だけでなく、以前は一人だった近所の見回りも若者と猫が同行することになったり、仲が悪くなってしまったかつての友人が施設に入れられるのをご近所総出で阻止する中心にオーヴェが立ったりと、周囲に人が集まってきていた。
もうひとりぼっちではない。もう自殺を試みることもない。
しかし、少し前に胸を押さえて倒れるシーンがあったので嫌な予感がしていたが、このすべてが丸くおさまって幸せな気持ちになっていたところでもオーヴェは倒れてしまう。

結局、心臓が大きいということで命に別状はなかった。パルヴァネも「オーヴェったら本当に死ぬのがヘタね!」と冗談めかして言っていたし、ひやっとはしたものの、ほっとして、これでハッピーエンドだと思ったのだ。

そうしたら、ラストでオーヴェはこの心臓の病気で亡くなってしまう。病院へ行ったのに、命の危険があるならば手術をするとか薬を出すとかしなかったのだろうか? 取ってつけたようなという言い方はおかしいかもしれないけれど、不自然な亡くなり方に思えた。
映画の記事を読んでいたら、原作とはラストが違うらしいので、原作では亡くなることはないのかもしれない。監督の言葉として、「どうしてもソーニャに会わせてあげたかった」とあって、その気持ちはわからないことはないけれど、でもやはり、オーヴェには生きていて欲しかった。
自殺ではないにしても、死んでしまっては結局同じだと思う。

ソーニャが亡くなってしまった傷は癒えることはないかもしれない。だけど、周囲の人とも打ち解けて始め、ひとりぼっちではなくなったところだったではないか。孤独感だって、薄れていくだろう。オーヴェの人生はこれからも続いたはずなのだ。二人の時がズレても愛する気持ちは変わらない、そんな描写が好きだから、わざわざ死んで時の流れを揃えなくてもいいのにと思ってしまう。

オーヴェが出会いと同じ電車の中で老いたソーニャと再会し、手を取るラストの映像も美しかった。けれど、本当だったら、生きているオーヴェの日常という現実パートで終わらせてほしかった。ラストだけが残念です。原作も読んでみたい。



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