『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』



実在したフローレンス・フォスター・ジェンキンスについて描かれた実話。

この映画の予告編を見た時に、本当は歌が下手だけれど周囲がそれに気付かせないようにするという点が『偉大なるマルグリット』(未見)と同じだったのでこの映画のリメイクなのかと思っていた。しかし、『偉大なるマルグリット』はこのフローレンス・フォスター・ジェンキンスの話をフランスに置き換えての映画らしい。どちらも同じ人物で作られた映画なので内容が似ているというわけだった。

公開から少し経っていますが、この時期の映画賞の主に俳優部門でのノミネートが多いので観ました。

以下、ネタバレです。







主人公のフローレンスは歌が下手でなくてはいけないけれど、演じるメリル・ストリープは歌がうまい。音源をそのまま使っているのかなとも思っていたけれど、音痴を練習したというからすごい。
ただ、音痴ではあっても聴くに堪えないとか耳を塞ぎたくなるという類のものではない。実在した人物はどうだかわからないし、実際にコンサートに行っていたらどうかなとは思うけれど、映画の中では嫌な気分にはならない。
これはメリル・ストリープの演技力なのかもしれないけれど、フローレンスは楽しくてたまらないといった感じで歌うのだ。あんな幸せそうな顔を見たら、夫のシンクレアでなくとも、フローレンスの願いを叶えてあげたくなる。
衣装も、ゴージャスではあるけれど、星が付いていたり、スパンコールがたくさん付いていたりと、少しファンシーなものが多い。可愛らしいし、見ていて楽しい。
だから、後半のカーネギーホールでのコンサートで、軍人たちに笑われて戸惑った表情を見せていたのは辛かった。多分、シンクレアも彼女のこんな表情が見たくなかったから、天真爛漫にやりたいことをやらせてあげたかったから、影で記者を買収したり、騒ぐ客を追い出したりと動いていたのだろう。

シンクレアがフローレンスの影で献身的につくす様子は序盤から描かれていたし、そうゆう映画なんだとも思っていた。フローレンスの幸せのために、彼は徹しているのだと思っていた。もちろんその部分もある。
序盤で描かれる、歌ではないけれどフローレンスのパフォーマンスとその司会をするシンクレア、その後家に帰って、ベッドにフローレンスを寝かせ、眠ったところでメイドさんと一緒につけまつ毛とウィッグを取ってあげるという一連の動作はいつものルーチンのように見えた。そしてその後、家を出て、タクシーに乗り、フローレンスのホテルとは比べものにならないもう一つの家につく。そこには若い女性がいて、シンクレアのことを「ダーリン」なんて呼んでいる。おそらく、ここまでがルーチンなのだ。え? そうゆう二重生活の話なの?と混乱してしまった。

途中で、もう一人の主要キャラであるピアニストのコズメが、若い女性キャサリンとシンクレアが親しそうにしているのを見て、二人の仲を察して、「フローレンスと結婚しているのかと思っていた」と言うシーンがある。私もそう思っていたので、映画を観ている人の気持ちを代弁してくれた形になる。そこでシンクレアは「もちろんフローレンスと結婚している。この関係は彼女も承知してくれている」と言う。けれど、中盤で、もう一つの家にフローレンスが訪ねてきたときにキャサリンを隠れさせたということは、別々に住むことは了承していても、他の女性と関係を持っていることは隠していたのだろうか。

その辺がよくわからないし、実は、シンクレアの気持ちもよくわからなかった。メリル・ストリープとヒュー・グラントだとフローレンスとシンクレアはだいぶ年の差があったのかなと思うけれど、実際にはフローレンスが7つ上だったようである。
フローレンスは病気だったために、シンクレアがセックスのために若い女性を囲っていたのかというとそんな感じではなく、キャサリンとの間にもちゃんとした愛情があったようだった。

シンクレアはタクシーでもう一つの家へ向かう時に、一仕事終えたというように目を細めてタバコを吸っていた。そのヒュー・グラントが本当にセクシーだった。シンクレアはフローレンスの前ではいつでも笑顔で、彼女の機嫌を損ねるようなことはしていない様子だった。彼女の元を離れ、彼女が嫌いだというタバコを吸い、素の顔を見せたようだった。

素の顔というと、フローレンスの前では繕った顔だったのかとも思ってしまう。一体、彼はフローレンスのことは本心ではどう思っていたのだろう。
フローレンスはお金を持っている。もう一つの家だって彼女が家賃を払っていたそうだ。フローレンスのご機嫌取りは仕事で、日常はキャサリンとの生活だったのだろうか。

ある夜に、いつもの通り、フローレンスが寝たところで、シンクレアはホテルを出ようとする。すると、フローレンスが彼を引き止める。シンクレアはフローレンスのベッドで寝るけれど、この少し前に、シンクレアとキャサリンは喧嘩をしてるんですよね。もし、喧嘩をしていなかったら、シンクレアはどうしていたのだろう。
結局のところ、シンクレアはどちらのことを大切に思っていたのか、よくわからなかった。実際のシンクレアは、フローレンスが亡くなった翌年にキャサリンと結婚をしており、ますますわからない。

実話だから仕方ないのかもしれないけれど、映画ではもうキャサリンの存在は消してしまっても良かったのではないかと思う。
シンクレアのもう一つの表情を演じるヒュー・グラント自体はとても良かったんですが、映画だとキャラがブレてしまっていた。邦題ではあるが、“夢見るふたり”ともかけ離れている。

もうフローレンスにひたすらつくす役で良かったと思うのだ。もう一つの素の表情、裏の悪い顔もセクシーだったけれど、フローレンスの前でにっこり笑った顔がくしゃくしゃになるのも良かった。ヒュー・グラントは年をとって、ますますいい表情になったと思う。

もう一つ、“夢見るふたり”が違うなと思ったのは、実際には二人に雇われピアニストを加えた“夢見るさんにん”だと思うからだ。ピアニストのコズメもフローレンスとシンクレアに負けないくらい活躍していた。日本版のポスターでは消されてしまっているが、海外版のポスターには三人写っている(原題は『Florence Foster Jenkins』)。

コズメを演じたサイモン・ヘルバーグも表情の作り方がとてもうまかった。最初は他の人と同じようにフローレンスの音痴を笑っていた。けれど、フローレンスに付き合ううちに、彼女の人柄に魅了されていく。やっぱり、映画を観ている私たちと同じ目線である。そしてそれは、かつてシンクレアが辿った道でもある。
あとで知ったんですが、サイモン・ヘルバーグはピアノも実際に弾いているそうだ。素晴らしい。ヒュー・グラントも良かったけれど、彼もゴールデングローブ賞にノミネートされておかしくないのに。と思ってもう一度見直したら、ばっちりされていた。ヒュー・グラントは助演ではなく主演男優賞、サイモン・ヘルバーグが助演男優賞でした。

フローレンスがコズメの部屋に来るシーン、手が痛くて片手でしかピアノを弾けないフローレンスのサポートをするように、コズメが連弾をする。そっと優しく差し伸べられた手から、もうコズメはフローレンスを馬鹿にしてなどいないのがよくわかる。二人の距離が縮まるのも感じられるとても良いシーン。

ここで、フローレンスがシンクレアとの過去の話もして、「彼の演技が酷評された新聞記事を隠したりね」という言葉が出てくる。
後半で、フローレンスの歌を酷評した記事の載る新聞をシンクレアが隠す。結局、フローレンスはそれを発見してしまうのですが、さっきのセリフ(「彼の演技が酷評された新聞記事〜」)はこの辺の伏線なのかなと思っていたら、触れられないまま終わってしまったので驚いた。何かしら絡めてほしかった。これも、実話だから仕方ないのかもしれませんが。

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