『ザ・ビーチ』


2000年公開。曲や映像づくりなど、とてもダニー・ボイルらしい映画だった。
幻のビーチに辿り着くまでの話なのかと思っていたけれど、かなり序盤でビーチには辿り着いてしまう。そこから物語が展開していくということは、ビーチがただの天国ではなかったということ。

一人旅の若者が怪しい若者に地図を渡されて、興味を持ってそこへ向かうという話だけでも不穏な感じもしつつ、ワクワクする。ビーチへ向かう途中でも苦労はする。海を泳いでいる途中で仲間が沈んだときには、本当にサメに襲われたのかと騙された。
そんな風に島にわいわいと騒いだり、苦労しつつ、なんとか島に辿り着く。そして、島の中の崖から決死の思いで海に繋がっているであろう水の中へ飛び込む。この辺までは、普通の青春映画のようだった。

そこは自分探しの旅人の吹きだまりのような場所で、女長が取り締まっていた。このサルという女長役がティルダ・スウィントン。支配者役が合っていた。
最初に、この場所を誰かに教えたか、という質問に、レオナルド・ディカプリオ演じるリチャードは教えてないと嘘をつく。考えてみれば、これがすべての元凶だった。このせいで、サルと関係を持つことになってしまうし、それがバレてフランソワーズにはフラれるし、場所を教えた人たちが島に来ないように見張らなくてはならなくなってしまうし、いろいろ重なって、ついには狂うことになる。

ただ、内緒の場所を教えてもらったら、他の人に教えたい気持ちもわかる。噂の場所を知っているという優越感もあっただろうし、教わった男もクスリをやっていたから信憑性もあやしく軽い気持ちだったのだろう。
主人公のリチャードが、かなりふわふわしていて、簡単に嘘をつく。フランソワーズに、サルと寝たのかと詰め寄られても、首を振っていた。その場を切り抜けることしか考えていなそうだけれども、リチャードの行動や気持ちの変化には、なんとなく頷ける部分もあった。
ここだけではなく、映画の最初から最後まで、リチャードの翻弄のされ方というか、心の弄ばれ方がうまくて、たぶん、私もこうなるだろうな/こうするだろうなと思いながら観ていた。

フランソワーズにフラれたくらいから、リチャードは徐々に狂っていく。島に住んでいる人に親指を見られて、ゲーム好きの烙印を押されていたけれど、その伏線が後で回収される。実際にゲームボーイで遊んでいる様子も出てくるけれど、自分が地図を渡した人たちをとらえるのがゲーム感覚になってしまっていた。ゲーム画面のような作りは、ダニー・ボイルらしかった。森の中を意気揚々と歩くディカプリオ、ダメージを受けると死ぬけれど、もう一基残っていて、復活。ここで、Blurの『ON YOUR OWN』がゲームっぽくアレンジしたものが使われていた。一見楽しそうなシーンだけれど、完全に狂っている。
元々の住民である農民の銃を奪おうとしておどけてみたり、喜々として落とし穴を掘ってみたり。落とし穴の中に先を尖らせた竹を仕掛けているあたり、殺そうとしている。
また、島に来たときには、崖から飛び込むのに躊躇していたのに、迷いも無く飛び込むシーンも出てくる。最初の頃のフレッシュな気持ちはもう無いのかわかる。
幻の中で、地図をくれたダフィとリチャードのセリフが逆になるのもおもしろい。映画の序盤では、リチャードはまともで、ダフィはクスリをやっていた。リチャードが「言っちゃ悪いが、お前、イカれてるよ」と言うと、そんな話すら聞いていないように、ダフィは「会えて良かった」と言って握手を求めてくる。ここではダフィがリチャードに「お前、イカれてるよ」と言うし、実際にイカれていた。

ディカプリオのだんだん狂っていって、完全にまともじゃなくなる演技がうまかった。暗がりの中にいるときの影で顔が隠れてしまっている様子や、撃つときの顔なども鬼気迫っていて良かった。最初のほうの、ただの一人旅の若者とはまったく違う表情だった。
なんにしても、主人公がこうなってしまった以上、バッドエンドの予感しかしなかった。

島にいる人たちは、島には居るけれども、いざ都会に行く人がいると、それぞれが買い物をたくさん頼むあたり、都会を捨てきれてもいない。
また、長であるサルの気を損ねないようになのか、狭い人間関係で面倒を起こしたくないからか、右向け右で意見を持たないものの集まりのようだった。
黙って従っていれば、サルが良くしてくれるし、良いところしか見たくないからこの島にいる。だから、サメに足を喰われ、怪我をした人が呻き声をあげていたら落ち着かない。だから、怪我人を追放した。見えるところにいなければ、狭い世界の中なので存在しないも同然。

右向け右なのはわかっていたはずなのに、ラストのサルは考えが浅はかだった。結局玉は入っていなくても、殺すことはなくても、撃つところを見せてしまったら、住民は全員が一斉に逃げ出す。みんな、サルのような強い意思をもって、そこにいるわけではないのだから。
島から脱出するときに空が曇っているのも、楽園なんてないというのを表しているようだった。

ラスト、ネットカフェのような場所でリチャードがフランソワーズからのメールを受信する。それは島の住民が楽しそうにジャンプをしている写真が貼付されていて、“パラレルユニバース(別次元の世界)”というメッセージが添えられている。これも、序盤で出てきたセリフである。島に向かう途中で、夜、星の写真を撮ろうとしているフランソワーズにリチャードが「あの星には別の僕らがいるかもしれない」と言いながら。
このシーンもそうですが、崖から飛び込むところ、ゲーム好きの親指、ダフィとのやりとりと、前半に出てきたエピソードを繰り返すのが何度も出てきて、それを持ってくるか、やられた!と何度も思った。
特にこのラストシーンはメールを開いたリチャードもやられた!って顔でニヤリと笑うんですが、たぶん、私も同じ顔で笑っていた。

そして、ちょっとこれって、『トランス』のラストにも似てるんですよね。ネタバレしないために名前は出しませんが、あの人もやられた!って顔してた。あの人が持っていたのはおそらくiPadでしたが、この映画では2000年ということで昔のiMacです。

エンドロールで流れた曲を歌っている声にとても聞き覚えがあって、観ていたら、UNCLE Featuring Richard Ashcroftとなっていた。リチャード・アシュクロフト、ザ・ヴァーヴのボーカリストだった人ですね。
Mobyの『Porcelain』も使われてる!と思ったけど、この映画のサントラで売れたらしい。

あと、主演は本当はユアン・マクレガーにする予定だったらしいけれど、集客アップを狙ってディカプリオにしたという話は、いま読むとおもしろい。いまなら、ユアンのままで良さそう。

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