せっかくなので来年無くなってしまう日劇で観てきました。
本作に関して、評価が賛否割れているらしいので、もしかしたら一回目は私が舞い上がっているだけなのかもしれないと思ったけれど、やっぱりちゃんとおもしろかったです。

以下、ネタバレです。












ただ、特に前半なのですが、セリフで説明するシーンが多いかなとは思った。内容がつめつめになっているので、言葉を聞いたり字幕を読むのが大変なのと、一度観ているとただ話を追っているだけになってしまうこともあった。

あと、これは一回目でも思ったのですが、ベニチオ・デル・トロ演じるDJに関してはやっぱり中途半端かなあと。ローズの姉の形見を奪ったと思いきや、ちょっと使えって返すというのはいいエピソードで実はいい人感満載だったのに、結局裏切って終わりとは…。次作での再登場を期待しています。

カジノの星の金持ちがファースト・オーダーとレジスタンスの両方に武器を売っていて、善悪簡単に二分できないとDJが話す件について。
善=光=レイ、悪=闇=カイロ・レンとしますが、フォースの血を引いている側が悪で、何者でもない側が善なのは少し珍しいと思った。
レイの出自について、カイロ・レンが教えていたと思ったけれど、レイが自分で知っていた。だから、たぶん真実なのだと思う。
お金のために親に売られたと知ったら、普通はそちらがダークサイドに堕ちてしまいそうなものだ。ベン・ソロ(カイロ・レン)は両親がハン・ソロとレイアである。ちゃんとしてる(追記:ちゃんとしてなくてこの両親が問題だったという話もある…)。スノークに目をつけられたというのが一番の理由かもしれないが、そもそもなぜ目をつけられてしまったのだろう。ふんわりした理由は語られていたけれど、あまり納得ができなかった。普通は、フォースを使えてしかも親に捨てられた子がスノークに目をつけられそう。逆なのはおもしろいと思う。

ベンはスノークを倒したあとで、二人で新しい世界を作ろうとレイを誘っていた。これはある意味正しいのではないかと思ってしまった。レイと一緒なら、ベンもカイロ・レンにならなくても済むのではないかと思ったからだ。それに、二人が組めば、善悪がなくなる。これも、善悪が簡単に二分できない話に繋がっていくのではないかと思った。

カジノのシーンですが、長い割に何も成し遂げられないということで不評らしいのですが、劇中でフィンも言っていた通り、あの気に食わない街をめちゃくちゃにできたのだからそれだけでも良かったと思う。また、確かに失敗はしてしまったけれど、その前のシーンでヨーダがルークに「失敗は最高の師」と言うので失敗をすることに意味があったとすら思える。

また、ローズがフィンにキスするのが唐突という話もありましたが、元々憧れていたみたいだし、一緒に行動というかあのスリリングな冒険を共にしたら好きになっちゃうよなあと思う。だから、唐突ではないです。

フィンについてですが、フィンとファズマが因縁ともいえる対決をしますが、その時、フィンが格好いい。フィンは戦いに慣れていないのかもしれないけれど、斬りつけるときに声が出てしまっていて、その必死さがとても良かった。これは好きになると思うから、ローズは唐突ではない。

突進していこうとしたフィンをローズが救って「敵を憎むより、愛する人を守るのが戦い」と言っていたが、これも本作のテーマだと思う。
ルークがカイロ・レンになる前のベンを殺そうとしたのは、ダークサイドに堕ちる気配を感じ、愛する人たちのいる世界を守るためだったと言っていた。

ルークとカイロ・レンの本作終盤の戦いも、ルークはカイロ・レンを倒したかったわけではなく、あくまでも気を引いてるうちにレジスタンスを逃がしたいということのようだった。これも、レジスタンスの立て直しを期待してのことでもあると思うが、やはり守ったのだと思う。

カイロ・レンに向かっていくルークの後ろ姿が恰好いいのですが、C-3POとの再会時にウインクするのも恰好いい。あのおしゃべりなC3-POをウインク一つで黙らせる。たまらない。
また、R2-D2との再会ではオビワンの映像を見せられて、「ずるいぞ」と言う様子はまさに旧友との再会でその当時に戻っている感じで良かった。レイに対する面倒な師匠っぽさは完璧に消えていた。

ルークが「私が最後のジェダイではない!」と言ったあとに、ぱっとレイが映っていたので、おそらく次作ではレイがジェダイになるのだと思う。
でも、やっぱり最後に映った少年はほうきを引き寄せる時にフォースを使っていた。見間違えじゃなかった。
レイアが準備は整っていると言っていたけれど、この子以外にも他の場所でもフォースを使える子供達が続々出現しているのではないか。そうすると、ジェダイはレイ一人ではなかったりして。

あと、ルークは3つのレッスンとわざわざ言っていたけれど、本作では2つしか出てこなかった。次作で霊体として何かをレイに教えるのだろうか。

でも、DJのこともそうですけど、いろいろと次作でどうにかなるのかなと思っていることが引き継がれるのかは怪しいとは思う。なんせ監督が変わるので…。
なんにしても、三部作の3作目なので、ちゃんと決着がつくかと思うので楽しみです。



去年公開された『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』はスピンオフで、本作は正式な続編の8作目。
いろんな事柄が思っていたのと違う方向へ進んで行くので、新鮮な気持ちで観ました。過去作に照らし合わせながら展開を予想していると、まったくそちらへは進まない。

以下、ネタバレです。『ブレードランナー2049』のネタバレも含みます。










本作は、大きく分けてレイとフィンとポー・ダメロン、それぞれを主人公とした三つの話が同時進行で別々に動いていく。

ポー・ダメロンが主人公の話は彼の成長物語だと思う。宇宙を舞台にしていて、優秀なパイロットなのは誰もが認めるところだけれど、スタンドプレーが多く、自分の力を過信している。
レイアのことを尊敬しているようだけれど、言うことを聞かないし、自分が一番正しいと思っているのは若さゆえかもしれない。

また、レイアが倒れている間の仮の指揮官ホルドの言うことはレイア以上に聞いていなかった。私もあの人は怪しいと疑ってかかっていた。けれど、途中でちゃんとした作戦があることがわかる。周りを信用することも大切だと気づかされる。大体、レイアが任せたんだからしっかりした人に決まっている。
突撃してくだけるではなく、守ることもおぼえたと思う。石の惑星では敵を前に撤退していた(フィンはつっこんでいってたけど)。たぶんひとまわり大きくなったのではないだろうか。

カジノの星に潜入していくフィンパートは、この映画がスター・ウォーズでなくても面白いと思った。これだけで一つの映画にできそう。
スター・ウォーズでよく出てくる、バーにいろんな惑星の住民がいるシーンはわくわくしますが、カジノも人が集まる場所だし、その雰囲気があった。今までカジノが出てきたことはなかった気がするので新しい。プリクエルのことはあまりよく覚えていないのでわかりません。

ここにはファースト・オーダーの部屋に侵入するためのコードを破れる人物を探しに行くんですが、その目印が胸元にプロムのバラ。その人物は見つかるけれど協力してもらえず、代わりにベニチオ・デル・トロ演じる謎の人物(DJという名前らしい。映画の中に名前は出てきたかな)が協力する。彼もコード破りに関してはかなりの腕の持ち主だったので、実は彼が最初から探していた人物だったというオチかと思った。胸元にバラの刺青を入れていて、あとでそれがわかるとかの展開を待っていたのに、あっさりと裏切ってしまう。そこでもまだ信じられずに、裏切った奴は終盤のピンチの場面で助けに来る法則が発動するかと思ったらそれもなかった。

カジノの星は、戦争で私腹を肥やした武器商人が集まっていて、DJが盗んだ船も武器商人のものだった。その船の持ち主はファースト・オーダー側だけではなく、レジスタンスにも武器を売っていて、善と悪で単純に二分できないというか、本当に悪い奴って誰なの?ということを考えさせられた。武器商人を出すというのは今時の映画っぽい。

また、金が貰える方へあっさりと鞍替えしたDJもいわゆる善悪とは別のところで動いていそうだったので、次作での出番があったりしてと思った。

レイの話にも善悪のことが繋がってきている。
普通なら、レイとルークは善でカイロ・レンが悪、善が悪を倒すという単純な話になりそうだがそうはならない。それぞれの人物が光と闇を抱えている。

レイに関して、彼女について私たちも前作1作品でしか知らないため、本当にいい子なのかはまだわかっていない。
カイロ・レンを作ってしまったルークも完全なる善ではないのかもしれない。光か、闇かという本作のポスターでも、闇側にもルークが写っている。

一番よくわからないのはカイロ・レンだ。スノークに関しては見た目からして完全に悪ですが、カイロ・レン演じるアダム・ドライバーは悪い奴に見えない。どちらかというと優しい顔である。だから余計に心が揺らぐ。

結局、私はダースベイダーの亡霊にとらわれてるのだ。けれど、カイロ・レンはダースベイダーとはだいぶ違うキャラなのが今回よくわかった。
本作でカイロ・レンは序盤でマスクを外す。それ以降まったく顔を隠さない。その様子からも、このキャラはダースベイダーとは違いますよというメッセージが感じられる。
ちなみに前作『フォースの覚醒』では、逆に終盤までマスクをつけたままだった。しかも、ダースベイダーの真似をするかのように声を少し歪ませている。

前作で父であるハン・ソロを殺した時に完全にダークサイドに堕ちたのかと思っていた。
けれど、レイとは精神的につながっていて心と心がふれあい、孤独な魂が惹かれ合い、互いを求めている。この描写はダークサイドではない。指先と指先も触れ合わないかと思ったが触れ合っていた。

二人の間にあるのは恋愛とは違う。やっぱり兄妹なのかな?とも思ってしまったけど、それはないのは前回でわかったことだ。それじゃあ、ルークの子なのかなとも思ったけどそれでもないようだった。
カイロ・レン(というか、あのシーンでは本名のベン・ソロ)がレイの出自を明らかにした。名もない普通の両親だと。お金のためにレイは売られたと。
この、特別だと思いたかったがそうではなかったというのは『ブレードランナー2049』のKを思い出してしまった。
ベンというか、本当だったら悪とされるカイロ・レンの言うことだからもしかしたら嘘かもしれないとも少し思ったけれど、その前のシーンでルークがフォースは特別な力じゃないと言っていたので、別に血ではないのかもしれない。
それにもしかしたら、選ばれた特別な人間ではないレイが主人公なことにこの三部作の意味があるのかもしれない。

『フォースの覚醒』を見返してみると、マズがレイの両親について「待っている人はもう帰ってこない」と言っているのでやはり名もなき人たちなのも本当かも。それに、フォースは誰にでも備わっているというようなことも言っていた。

ベン・ソロ(カイロ・レンではないと思いたい)がスノークを殺し、レイと二人でスノークの部下と戦っていたとき、この二人は旧作でいうルークとレイアなのか?とも思ったけれど、レイはお姫様というガラではない。
レイアも守られているわけではなかったけど、ライトセイバーをぶんぶん振り回すタイプではなかった。
それで、この映画は、別に本作は旧作でいう誰々と当てはめなくていいのだと気付いた。前作はどちらかというと旧作ファン向けだと思ったが、本作はまったく新しい映画なのだと思う。もちろんスター・ウォーズ続編ではあるけれど、それだけではない。

カイロ・レンはダースベイダーの役割ではないし、レイはルークの娘ではない。レイとカイロ・レンは両方ともフォースを使えても、家族ではない。ポー・ダメロンは腕の立つパイロットだが、ハン・ソロではない。前作はドロイド(BB-8)に地図のデータを託す様子が、旧作のドロイド(R2-D2)にデス・スターの設計図を託す様子と同じだと思ったが、本作に関しては何も旧作になぞらえなくていいのだ。

監督は『LOOPER/ルーパー』のライアン・ジョンソン。普通のSF映画として面白かった。なんと『ブレイキング・バッド』有名なハエ回(シーズン3第10話)の監督も彼でした。

ベンとレイが共闘したあと、この調子だともしかしたらカイロ・レンが最大の敵ではなく、二人で何かもっと巨大な敵を倒すのではないか?とワクワクしたけれど、結局二人は離れていく。一度触れ合った心が離れていくのは悲しい。でも、恋愛でも家族の情でもない、見たことのない不思議な関係の二人は離れていても繋がっている。
それは運命とかそういう風にしか呼べない関係で、次作でどうなっていくのか気になって仕方がない。

ルークですが、どんどんルークになっていくのが素晴らしかった。勿論最初からルークなんですけど、顔つきが変わってくるのはマーク・ハミルの演技力なのだろうか。
かつての相棒ドロイドたちにウインクするのも素敵でした。
特に最後、カイロ・レンに向かっていく後ろ姿は髪型も一緒でルークそのものだった。

ヨーダに話しかけるルークが2017年の今、観られると思わなかった。もうそれだけでお腹いっぱいです。優しい顔をしていた。
あと、レイアと二人のシーン。結局、ホログラム的なもので実態は来ていないけれど、額にキスをするのがぐっと来た。
本作は過去作関係なくおもしろかったけど、泣いてしまったのは過去と関係のあるこのようなシーンだった。

終盤で避難した石の惑星は、塩と言っていたと思うけれど、白いが、踏んだり上から圧力をかけて潰すと赤くなる。
よく雪のシーンで人が撃たれたり、白い服の人物が刺されたりと、赤と白の組み合わせは血でよく出てくるが、それとは違う形で見せていた。
特にモノスキーと言っていたと思うけれど、乗り物から一本だけ下に下ろして進むと、乗り物の軌道が赤い筋でわかる。上空からの映像が綺麗だった。IMAXで観た甲斐があった。

ポー・ダメロンとフィンは別々に動いていても何度か合流するが、レイが合流するのは映画の本当に終盤だった。そこでポー・ダメロンとレイが初めましてという感じの挨拶をしていて、初対面なのが意外だった。前作『フォースの覚醒』を観てみると、確かに会っていなくてびっくりした。
レイとBB-8も本作ではここで初めて対面する。前作ではレイが何度かアンテナを直してあげるシーンがあったけれど、ちゃんとそれに倣ってアンテナどう?と見せているのが可愛かった。
前作からの繋がりはレイアの「髪型を変えたのよ」にも表れていた。いきなり本作から観る人もいないかとは思うけれど、前作を観た人へのサービスである。

前作でハン・ソロが殺され、本作ではルークが犠牲になった。レイアは物語の中では生きていたが、レイアを演じたキャリー・フィッシャーが亡くなってしまったので次作には出てこないと思われる。次作はまったく新しい展開になりそう。
キャリー・フィッシャーの役名の上に、“愛する私たちのお姫様”と書かれていて、そこでも号泣してしまった。

今作は軽いギャグ要素も多かった。
ネタバレを入れないようにしていたけれどグッズからキャラを知ってしまったポーグですが、ただのほんわかギャグ要員だった。もっとストーリーに関わってきてしまったら嫌だなと思っていたけれど、それほど出てこなくて良かった。ジャージャー・ビンクスの悪夢が忘れられない。

目をつぶって手を差し出しているレイの手にルークが草をさわさわやって、「フォースを感じる!」と言わせるのもおもしろかった。
ルークとレイの気が合うんだか合わないんだかわからない関係も良かった。途中まで本当に親子なのだと思っていたけれど、故郷はどこだ?と聞いていたし、親子よりは遠い存在のように思えた。でも師弟ほども近くないかな。

『フォースの覚醒』の最後ではレイが無言でライトセイバーを受け取れとルークに差し出すが、本作ではルークはそれを受け取ってポイと捨てていて笑ってしまった。あんなに重要そうに渡そうとしてたのに。なんだったんだ、あのラストは。

今回のフィンの登場シーン、BB-8が「フィンが裸で漏らしてる」と言っていたけれど、確かに裸でチューブから水をびゅーびゅー漏らしててそこも笑った。

BB-8は本作でも愛すべきキャラクターだった。
コインを悪者に向かって連続で吐き出してから、銃口に息をふっと吹きかけるような動作をしていた。かわいい。
『フォースの覚醒』の前には、あの丸いのはなんなのか、ドロイドはR2-D2とC-3POだけでいいのでは?と思っていたけれど、動きがなんともかわいくて好きになってしまった。本作も良いです。

最後に出てきたレジスタンスの指輪をしていた少年が気になった。見間違えでなければ、ほうきをフォースの力で引き寄せていたようだけれどどうだろう。

本作は『最後のジェダイ』というサブタイトルですが、ルークの言葉には「ジェダイは滅びない。最後のジェダイではない!」という意味がこめられていた。
フォースの力は誰にでも備わっていて、その力を良い方へ使うか悪い方へ使うかはその人次第なのだ。良い方向へ使えばジェダイになる。フォースの力を使えるらしい少年は、レジスタンスの指輪をしていたくらいだからレジスタンス側へつくのだと思う。そうすればジェダイにもなれるかもしれない。

あと、ハックス将軍ですが、今回死ぬのではないかと思っていたけれど、しぶとく生き残っている。序盤からポー・ダメロンにからかわれてましたが、小者感が強調されていた。このタイプは最後まで生き残るのではないかという気もする。

どちらにしても、次が三部作の3作目である。はやく次作が観たい。再来年まで待てない。
でも来年の若いハン・ソロのスピンオフも楽しみ。ハン・ソロ役は『ヘイル、シーザー!』の「だがに」のカウボーイ役だったアルデン・エーレンライク。



言わずと知れたアガサ・クリスティの小説が原作。1974年にも映画化されていて、今回はケネス・ブラナーが監督をし、ポワロ役も彼がつとめる。

以下、ネタバレです。










1974年の映画を観たのか小説を読んだのかは忘れてしまったけれど、犯人と殺害方法は知っていた中での鑑賞。
本作ではいきなり列車に乗るわけではなく、オープニングで軽く一つの事件を解決する。
そのシーンだけでも、ポワロは飄々としていてとてもやり手には見えないけれどすごい速さで解決するし、その手腕の確かさがわかる。
また、探偵ものの常套句でもあるのかもしれないし、イギリスものだからかもしれないけど、持ち物や身なりを観察してその人の職業などを当てる様子は、シャーロック・ホームズを思い出してしまった。

オリエント急行に乗り込むシーンはとてもわくわくした。ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ウィレム・デフォー、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファーと、こうあげていくだけでもめちゃくちゃ豪華な出演者の軽い自己紹介めいたことをしながら列車に乗っていく。
あと、オリヴィア・コールマンが出ているのを知らなかったので嬉しかったです。伯爵役のセルゲイ・ポルーニンは知らなかったけれどかっこよくて、身体能力がものすごく高そうと思ったら俳優ではなくバレエダンサーらしい。軽い格闘シーンがキレキレでした。肩にヒース・レジャーのジョーカーの刺青を入れてるあたりもそそられる。

また、ポワロが乗り込んでからは、カメラが列車の外から彼を追いかけるのも凝っていると思った。
列車が発車する時に駅にいる子供などが手を振っているのも、これから始まる感が高まって良かった。

ラチェットが殺されたことがわかるシーンも上から撮られているのがおもしろい。ポワロが自室を出て、廊下からラチェットの部屋を覗いているのを真上から撮っている。しかし、ラチェットの部屋の中には入らない。ポワロの部屋は真上からのショットがある。メッタ刺しの遺体を映さないためかなと思ったけれど、あとで映っていたので違うようだ。

中盤の聞き込みは、少し退屈に思えてしまった。列車は雪崩で脱線してしまったため動かない。雪山の中なので動きがとれない。殺人事件が起こっているので全員容疑者ということで、列車の中からは出さず一人一人聞き込みをする。
ラチェットの過去と乗客の過去が次第に明らかになっていくが、仕方がないけど画面に動きがなく、しかもなんとなく知っている事柄だったので話を聞いているだけという風になってしまったのだ。

ただ、全員が刺したという結末は知っていても、犯行を告白するシーンと犯行時の回想は泣いてしまった。あんなに悲しい殺人シーンがあるのだろうか。音楽のせいかもしれない。告白シーンはさすがに豪華俳優が揃えられているだけある。特にウィレム・デフォーとミシェル・ファイファーがうまかった。あとペネロペ・クルスはここではそこまで演技をしないが、ここ以外のシーンでうまいなーと思って観ていた。魅力的でした。

カメラワークで凝っているところはあっても、演出はクラシックだったかなと思った。豪華列車などの美術のせいかもしれない。
また、最後に次作『ナイルに死す』への橋渡しとなるシーンがあるけれど、最近の演出だったら、“エジプト”とか“ナイル川”とかの単語が出てきた時点でジャジャン!と印象的なSEが使われて、ポワロの顔がアップになりエンドロールに入るみたいな終わり方になりそうだが、本作ではそこでは終わらず、走り去るオリエント急行と車窓から乗客たちがポワロを見下ろしている様子が映り、情緒が感じられた。
最近の演出にしちゃうと本当にシャーロック・ホームズになってしまいそうだし、こっちのしっとりとした終わり方で良かった。


『否定と肯定』



原題は“Denial”なので否定のみです。たしかに否定のみかなとは思うが、それがタイトルだとちょっと強すぎてしまうため、肯定を付けたのだと思う。『肯定と否定』にならなくてよかった。

ホロコーストについて研究しているアメリカ人の教授デボラ・リップシュタットがホロコースト否定論者のデイヴィッド・アーヴィングに訴えられ、裁判を起こされた実話。リップシュタット自身の著書を原作としている。

実は、ジャック・ロウデン目当てで観たのですが、それ以上に内容がおもしろかった(彼も素敵でした)。

以下、ネタバレです。









そもそもホロコースト否定論者というのがいるのを知らなかった。ユダヤ人の大量虐殺がなかった?そんな馬鹿なと思ってしまった。当たり前の事実として受け止めていたから、それが揺らぐようなことを言う人が出てきて驚く。
ただ、このような歴史の事実/事実ではないの争いは他の事柄についてもあるだろうとも考えたので、ホロコーストについてそう言う人がいても不思議ではない。

リップシュタットの著書内で、アーヴィングは自分のことが中傷されていたとして、名誉毀損で訴える。しかも、リップシュタットはアメリカ人なのに、アメリカではなくイギリスの裁判所に提起した。
それは、イギリスの場合は、訴えられた側が間違っていないと立証しなくてはいけないかららしい。そんなことがあることも知らなかった。
一方的に因縁をつけられた上に立証責任があるとは。そして、当たり前のことを証明するのがいかに大変なのかがよくわかった。

映画のほとんどのシーンはこの裁判の模様である。念入りな作戦と裏付けをとる作業は気が遠くなるようだった。イギリスの弁護士チームがやり手で恰好良い。

リップシュタットは一方的に因縁をつけられているから当然怒っている。だから、自分がアーヴィングを打ち負かしてやりたいと考えているけれど、弁護士団にはそれを禁止される。それは、アーヴィングも口が達者だから、揚げ足をとるようなことを言って、そこから形勢が不利になることを恐れたようだ。
黙って座っていられなくて、思わず一言発してしまったりしているリップシュタットの気持ちもわかるが、それだけ血気盛んなようだったから、おそらくボロも出る。
でも、リップシュタット自身が言葉を発しなくても、彼女の著書で彼女の冷静な発言は引用できるのだ。そう考えた弁護士団が素晴らしかった。

また、実際のホロコーストの生還者も証言台に立たせなかった。ホロコースト否定論者に実際に経験した人をぶつけてやれと私も考えたが、それもやっぱり怒りに任せた行動なんですよね。被害者もリップシュタットも、最初は弁護士団を責めたけれど、以前、アーヴィングがホロコースト経験者の腕に入れられた数字を「いくら貰ってその入れ墨を入れたんだ?」などと中傷していたのだ。そんな辱めを受けさせられることはわかっていたし、今回は証言台には立たせなかったらしい。

アーヴィングに餌を与えない作戦です。冷静すぎるくらい冷静。でも全部裁判に勝つためなのだ。

弁護士団のスマートな感じも恰好良かったが、その中でリップシュタットが感情的なのもとても良かった。イギリス人の中に一人だけいるアメリカ人ということで、その批判もところどころに出てきて面白かった。
リップシュタットを演じたのがレイチェル・ワイズ。レイチェル・ワイズは『光をくれた人』の演技もとても好きだったけれど、今回も好きでした。

実際にアウシュビッツへ行った時に、ガス室の跡の前で案内係の教授と二人でユダヤの歌を歌うシーンは辛くて涙が出た。
これもまた違う方向からのナチスやヒトラーを扱った映画なのだと思った。
教授も歌う前にユダヤ教の帽子をかぶっていた。有刺鉄線から雫が落ちてそれが涙に見えた。もしかしたら弔いの歌なのかもしれない。
教授を演じたのがマーク・ゲイティスです。

ちなみに、ホロコーストというと『サウルの息子』のことを思い出してしまう。あの映画で本当にアウシュビッツの中に入ったような気持ちになったので。

アウシュビッツに一緒に行った弁護士のランプトンは飄々としていたり、他の弁護士団と同じくクールなのかと思っていたけれど、実は内に秘めた熱さがあって、法廷でアーヴィングをバンバン言い負かすのがこれもまた恰好良かった。演じているのはトム・ウィルキンソン。

弁護士団のリーダーであるジュリウスを演じたのがアンドリュー・スコット。「ジュリウスにとりこまれないようにね」みたいなことを言われていたので、もしかしたら、リップシュタットと軽く恋愛関係っぽくなったりするのかとも思ったけれども実話だしそんなことはなかった。
それどころか、リップシュタットのアメリカでの彼氏とか、そんなものも出てこない。
女性が主人公の映画だと恋愛要素が無理やり割り込まされるものだと思っていたけれど、そう考える私のほうがもう古いのがよくわかった。
それに、この映画で恋愛要素など必要ないし、ノイズになってしまう。

新人弁護士の女性は、一緒に住んでいる彼氏か夫に、弁護士なんてやめろとかホロコーストなんて昔のことだろなどと文句を言われていたが、仕事を続け、裁判で勝ったあとには仕事にやりがいを感じていた。
男に何を言われても別に従わない。映画を通して、女性が強く描かれているのも気持ちが良かった。

このアーヴィングという人は、リップシュタットの他にも訴えていたようだが、それも女性だったらしい。
劇中では黒人差別や反ユダヤの面が見られたけれど、女性差別主義者でもあるようだ。やはり打ち負かさなくてはならない人物である。
アーヴィングを演じているのはティモシー・スポール。全編で憎たらしい演技がこれまた素晴らしい。

恋愛要素が無いのはいいんですが、ジュリウスは素敵だったのでどんな私生活を送っているのか少し気になった。本当にほとんどが裁判シーンなので。
裁判に負けたにも関わらず、アーヴィングが相変わらずの様子でテレビのトーク番組に出ていて、電話をかけてきて呆れたようなことを言うジュリウスが恰好良かった。ほんの少しのシーンですが、私服だし、冗談っぽいことを言うのがいい。あと、あらためてですが、アンドリュー・スコットの声が好きだと思った。

以下、本編と関係のないジャック・ロウデンの感想。
ジャック・ロウデンは弁護士団の一員で、思ったよりも出番が多く、セリフもまあまあありました。裁判中はリップシュタットの隣に座っているのでちょこちょこ映る。映るだけではなく、落ち着きなく座っているので動きを見てしまう。

髪を黒く染めているけれど、元が金だからなのか、陽が当たるとだいぶ茶色っぽく見える。アンドリュー・スコットの黒髪とはやはり違う。

ペンをくわえるシーンがあるとは聞いていたのですが、鉛筆のお尻を噛むみたいなくわえかたかと思ったら、忍者が巻き物をくわえて術を唱えるときみたいなくわえかただった。同じように小さな紙もくわえていた。
モリッシーの伝記映画『England is Mine』の予告編でも同じようにペンをくわえていたし、『The Tunnel』でもイヤホンのコードをくわえていた。
そのような演技指導をされているのか、自由に演技したらくわえちゃうのかわからないけれど、どちらにしても最高です。かわいい。

あと、常に落ち着きがない。メガネは頻繁に触っているし、きょろきょろとしている。目だけを動かすわけではなく、話している人の方向にじっと向きなおるのもいい。
喋ってなくてもいろいろな表情をしていて、字幕で重要なことを言われているのに画面に映っているとつい見てしまい支障が出るほど。

乾杯をするシーンで椅子がなくてテーブルの後ろに立っていて、グラスも誰とも合わせられずにでも乾杯の仕草だけするのも可愛かった。下っ端なのだろうか。

ジュリウスの部下なのだと思いますが、これももう少しアンドリュー・スコットとの触れ合いが欲しかった気もする。リブソン(ジャック・ロウデン)がわーっと話し始め、それにかぶせるようにジュリウスがわかりやすく説明するみたいなシーンはあったが、二人が話すシーンはなかったかもしれない。



モーツァルト生誕260年記念作品で、イギリスとチェコの合作(イギリスでは2016年公開)。
監督・脚本は特殊効果出身のジョン・スティーブンソン。全編プラハロケらしいし、特殊効果とは無縁の本作の監督なのが少し意外。でも、エンドロールにはVFXに関する記載もありました。どこに使われていたのかは不明。
主演はアナイリン・バーナード。

以下、ネタバレです。










他の作品などではモーツァルトは奔放だったり、下品だったり、変態的な描かれ方をしていることが多く思えるけれど、本作ではいたってまとも。
美形のアナイリン・バーナードがモーツァルト役なのと、“誘惑のマスカレード”というサブタイトルから、彼が色気でもって周囲を狂わせていく話なのかと勝手に思っていたが、そうではなかった。妻帯者ではあるものの、一人の女性に対する純愛がメイン。
ただ、モーツァルト側から手は出さないけど、周囲は勝手に彼のことをどんどん好きにはなります。

オペラ『フィガロの結婚』と『ドン・ジョヴァンニ』がメインになっている。
『フィガロの結婚』の上演のためにウィーンからプラハに呼ばれたモーツァルトが、プラハで『ドン・ジョヴァンニ』をつくり初上演したという実話から、その滞在時のストーリーが創作されたらしく、フィクションはフィクションのようです。ただ、はっきりしたことは多分わかっていないのかなとも思う。

この創作されたストーリーが『フィガロの結婚』と『ドン・ジョヴァンニ』になぞらえてあるのがおもしろい。それは観ているとわかることだけれど、元のオペラ自体を知っているとより楽しめそう。

『フィガロの結婚』でケルビーノ役の女性が恋について歌うのを、彼女と恋仲になりかけのモーツァルトが指揮をしながら聴くシーンはドキドキしました。

『ドン・ジョヴァンニ』に関してはもっと直接的で、猟色家の伯爵をドン・ジョヴァンニになぞらえていた。
墓場には石像があり、石像にドン・ジョヴァンニが穴に引きずり込まれるシーンと絞首刑になった伯爵の落下がオーバーラップしていた。

彼女は死ぬ必要があったのか?という意見もあるようですが、元々、伯爵をドン・ジョヴァンニになぞらえていたし、彼女が死んだことで埋葬の時にモーツァルトは墓場で騎士の石像を見て『ドン・ジョヴァンニ』のラストの着想を得た(という想像)のだし、伯爵が彼女を殺したことで絞首刑になり、その落ちるイメージが騎士が穴に引きずりこむイメージと重なったのだろうし、あくまでも本作の中ではだけど、彼女の死無くしては『ドン・ジョヴァンニ』という作品が生まれなかったということになっているから仕方ないと思う。

ストーリーも練られているし、プラハロケも衣装も豪華で見ごたえはあるのだけれど、一番の注目点はアナイリン・バーナードの美しさです。彼目当てで観たのですが、全編で美しい。オペラをほんの少し歌うシーンもあって、その歌唱力も堪能できる。

『シタデル』のキスシーンで高すぎる鼻がかなり潰れているのは確認したんですが、本作の仮面舞踏会のシーンでマスクの目の穴に大きすぎる目が入りきっていないのに驚いた。他の人はちゃんと人間がマスクをつけているように見えるが、アナイリンはマスクから目の周りの皮膚が見えないので、マスク込みのそうゆう生き物のように見える。

モーツァルトの時代、1787年が舞台なので衣装もゴテゴテしているが、顔が派手なので負けていない。また、その時代なので顔はうっすらおしろいが塗られ、唇も赤い。化粧が映える。顔にかかるウェーブがかった前髪もセクシーです。

『戦争と平和』で黒いコートがとても似合っていたけれど、本作では葬式のシーンで真っ黒い服を着ていて、ここでもやはり悪魔っぽかった。表情がやつれているのも良い。

吸血鬼役とか悪魔役が似合いそうな気がする。ファンタジーかホラーに出て人外役をやってほしい。それくらい人間離れした美しさだった。

アナイリンは『ダンケルク』でもずっと悩んでいるような顔をしていたけれど、本作も笑顔は見せるものの切なく悩むシーンは多いし、ぽろぽろと涙も流していた。
モーツァルトというには繊細すぎるとは思うが、アナイリンが演じるならこのモーツァルトでいいです。似合ってました。