『ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]』



2005年公開。旧作ですが、以下には2015年版のネタバレも含みますのでご注意ください。











まず、リードがマイルズ・テラーと違ってだいぶ年を取っていたので驚いた。けれど、これは単純に見た目の問題でした。二人とも30歳前後だった。主演のヨアン・グリフィズは『アメイジング・グレイス』の主演の方。その時にも思ったけれど、V6の岡田君に似ている。科学オタクっぽくはない。スーザンとも元々付き合っていたらしい。

それで、リードの隣りにいてベンと呼ばれている人も、ジェイミー・ベルと似つかない。印象がまるで違って、体格ががっちりしていてスキンヘッド、変化する前から少し岩っぽい印象。「俺は力仕事専門だ」とも言っていて、役割もそれほど変わらない。こうなると、ますます、なんであの役をジェイミー・ベルにしたんだろうという疑問がわいてくる。

ヴィクターも元々、金持ちで女好きな嫌味な奴。いかにも悪役になりそうだなという印象で、トビー・ケベルが演じたようなかわいそうな感じとか、なんで彼があんな悪い奴に…という意外性もない。だからこそ、すんなり受け入れられる。

スーザンの弟ジョニーも、血が繋がっているようだった。2015年版ではおそらくマイケル・B・ジョーダンを使いたかったのではないかと思うけれど、スーザンが養女と言う設定だった。あの設定は今後に生かされてくるのだろうか。本作ではジョニーを演じているのがクリス・エヴァンス。キャプテン・アメリカとは違う、おちゃらけた役だった。
でも、彼のおちゃらけ無邪気なキャラがこの作品を軽く観られる愉快なものにしていて良かったと思う。

序盤に宇宙に出るんですが、急に出たので施設のシミュレーション機械のようなもので訓練をしているのかと思ったら、本当に宇宙に出ていた。そして、宇宙嵐を浴びて体に変化をきたす。

ただ、これも、2015年版がひたすら悩んでいたのに対し、こちらは呑気なものである。
スーザンとリードが見つめ合うシーンでは「私を見て」「見えないよ(透明だから)」というロマンティックが台無しになっていた。スーザンの着替えにリードが遭遇してしまったが、スーザンは悲鳴を上げながら姿を消した。ラッキースケベになりそこねている。
リードはトイレに入っているときに紙がなくなってしまったが、伸びる手を使ってトイレットペーパーを取ることができた。顎の皮膚を伸ばしてひげ剃りをしていた。
ベンは岩のために指が太くなってしまい、プッシュホンで電話がかけられない。フォークが持てない。でも、力持ちになったので、生絞りオレンジジュースを簡単に作っていた。
ジョニーにいたっては力を手に入れたことが嬉しそうである。その体を生かして、モトクロス大会に出て目立ち、モテる。

この明るさがいい。2015年版ももっとコミカルにすれば良かったのに。ジョニーが岩の姿になったベンに「耳はどこ?」なんて聞いていたが、2015年版はそんな雰囲気ではななかった。

ベンも岩の姿になって落ち込んではいたけれど、人の自殺を止めたり、玉突き事故のきっかけは起こしても、橋の上から人を救ったりと活躍していた。2015年のベンは軍に利用されただけだったが、こちらは自発的に動き、結果、四人ともが民衆を救った。拍手と大歓声が起きる。これがヒーローである。
マスコミだって飛びつく。ファンタスティック・フォーというネーミングもマスコミがつけた。

こちらのヴィクターは、宇宙に出ての実験が失敗し自社の株が下がった、スーザンもとられたということで、完全に逆恨みしてリードを攻撃する。でも、元々嫌な奴だったし、その行動の意味もわかる。顔の傷を隠すために鉄仮面を被るというのも恰好良い。

バトルシーンでは、リードの体が思ったよりも伸びていてびっくりした。タイヤとかマントとか、思ったよりも自在に変化していた。でも体が伸びるだけなので、直接攻撃というよりは補助的な役割です。でも、四人の特性の生かし方も本作のほうが派手だった。「正義の鉄拳タイムだ!」というキメ台詞も漫画っぽくて良かった。
戦う前に、一人一人が別々に現れて、四人ざっと並ぶのも漫画っぽい絵面でした。

またこれは、町中で行われていて、ギャラリーがたくさんいます。逃げなくていいの?とも思うけれど、誰もいない次元で戦うよりはよっぽどいい。エキストラも呼べなかったのだろうかと思ってしまう。

結局、科学知識によりドゥームを熱して冷やしてかためる。オープニングが、ヴィクターの会社のロビーに彼の銅像を建てていて、リードたちが悪趣味だなどと笑っているシーンだったので、そことかけてあるのも粋。

本作が更に良かったのは打ち上げがあったことです。2015年版は彼らの戦いを誰も知らないし、四人で新しい研究所に並んで話すというひっそりとしたものだった。でも、戦いのあとにはやっぱり大人数の打ち上げがあってほしい。しかも今回は船上パーティである。

最後の戦い前に、ベンは人間の姿に戻るんですが、そのあとで、自分も戦えたらいいのにという意識が芽生える。生身の姿では友が救えないと考え、再び岩の姿へ戻る。すっかりヒーローになっていたのだ。
打ち上げでは横に女性を抱き寄せ、別に元の姿に戻らなくてもいいとも言っていた。そもそも婚約者だか妻だかに嫌われたから戻りたかったのだろうか? 新しい彼女ができればそれでオッケーだったのか。
2015年版のジェイミー・ベルは元に戻りたいと思っていると思うし、私も戻って欲しいです。女のために、みたいな豪快さはあのキャラクターからは感じられなかった。

最後には、ヒューマン・トーチが船からびゅーんと飛んで行って、夜空にファンタスティック・フォーのマークを描く。自由の女神がどーんと映る。
なんか画のつくり方からしてバカっぽいが、派手でいい。パーティーの参加者も喜んでいた。粗は多い作品だと思うけど、軽さとコミカルさと漫画っぽさで深く言及するのが馬鹿馬鹿しくなる感じ。細かいギャグを笑って楽しむものなのだろう。

2015年版もこっちのノリのほうが良かったです。

0 comments:

Post a Comment