『海よりもまだ深く』



是枝裕和監督作品といえば、自然な会話と演技から、観ながら、あーそういうことってあるよね…と自分に重ねてしまうこともしばしば。特に本作は、かつて団地に住んでいて、今でも母親が一人団地に住んでいるということで、私も境遇がまったく同じなので余計に共感する部分やわかる部分が多かった。

初日舞台挨拶付きで観ました。登壇ゲストは阿部寛さん、樹木希林さん、真木よう子さん。是枝監督はまだカンヌ国際映画祭出席中だったため欠席(パネルやメッセージはありました)。

以下、ネタバレです。









最初が小林聡美と樹木希林の会話のシーンだった。小林聡美といえば、『やっぱり猫が好き』でも自然な会話がお手の物だったので、是枝監督作品にしっくりきた。是枝監督作品は同じ俳優が繰り返し使われていることが多いが、小林聡美は初めてだったそう。そんな感じはまったくしなかった。

セリフに「アレだよ」とか「ほら、アレしないと」とか、アレが頻発するのも是枝監督らしい。
セリフでないセリフみたいなのも相変わらず多くて、思ったよりも暑い日だった場合の「半袖で正解だったな」なんていうのは、普通の会話ではよく交わされるものだけれど、映画のセリフとしてはまず出てこないだろう。

また、実家の母が携帯ラジオを買っていて、それが妙に角張った大きなもので、「ロボットみたいだな」と言うのも良かった。ちなみに私も実家に帰ったときに母が携帯ラジオを買っていて、「これ防水?」というまったく同じ会話を交わしました。団地の部屋で。
本当にちょっとしたことだし、そんな会話をしたことを別に誰に話したわけでもないんだけれど、そんなとりたててどうといったことのないエピソードを映画内に出してくるあたりもすごい。
おそらく、震災関連でもあると思う。実家に帰ったら母親が携帯ラジオを買っているという確率も高いのだろう。その辺まで調査してのことなのだろうか?
それとも、実際に是枝監督の経験談なのだろうか。

今回撮影が行われたのは清瀬の団地なのだが、この団地は昭和42年に完成したらしい。私の住んでいた団地は昭和39年とほぼ同じ頃のものだ。古びた様子、特に風呂の汚さが同じだった。また、孤独死が多いという話や高齢化が進んでいる話も同じだ。東京までの距離も同じくらいだろう。状況が似通っている。

ちなみにこの清瀬の団地は、実際に是枝監督が9歳〜28歳まで住んでいたらしい。あの適当な鍵の隠し方、襖に鍵を無理矢理つける…などは住んでいた人じゃないとなかなか描写できない細かいところだと思う。それが話にどう影響するでもない部分だけれど、住んでいた人ならわかるわかると大きく頷く部分である。

本作で良多(阿部寛)は過去に小説で賞をとっているが、それは姉(小林聡美)など自分の身の回りのことを赤裸々に書いていたものだった。姉には「生活を切り売りするのはやめて」と怒られていたが、是枝監督も自分が実際に住んでいた団地を描くというのは同じような感じなのかもしれない。また、舞台挨拶で、是枝監督の父はアウトローだったという話も聞けた。

本作は父親がすでに亡くなっていて、話の内容でしか出てこない。姉や近所の人に金を貸してくれと言ってまわっていた様子、良多からのあんな風にはなりたくないという恨みの感情、淑子(良多の母。樹木希林)からの気にしていないようでいて残っている愛情、でも良多の本を配り歩くような息子を自慢に思っていた部分もあること…。回想シーンはないが、たびたび会話に出てくる内容から、姿がありありと浮かんでくる。亡くなってそこにはいなくても、心には残っていて存在し続けるのだ。

良多の母は飄々としていてあまり気にしていないようでいて、実際は夫を亡くして寂しいはずだ。団地に独り住まい。日々の楽しみはおそらく団地内でのサークルのような、クラシック音楽を聴く会に参加すること。でも別にそこで友達を作るわけでもない。もう毎日が幸せで幸せで仕方ないというわけはもちろんないだろう。それでも生きていく。

台風の夜のラジオで流れてきたテレサ・テンの『別れの予感』。この歌詞、“海よりもまだ深く”がタイトルだったので、なるほどこれか、と思った。タイトルの由来がわかるまで、“海より深く”とか“海より蒼く”とかタイトルがまったくおぼえられなかったけど、もう忘れない。
ちなみにカンヌでも流れていたので海外でのタイトルはどうなっているのだろうと思った。“Deeper than the sea”などで、歌詞に英訳が流れたりするのかな、でも日本語で歌詞が直接聞こえてきたほうがダイレクトに伝わるよなとか思っていたが、『After the Storm』とあまり情緒のないものだった。

“海よりもまだ深く/空よりもまだ青く/あなたをこれ以上愛するなんて/私にはできない”という歌詞を聴いて、淑子は「私はここまで人を好きになったことがない」と言っていた。
この曲はとても美しい。でも、歌は歌。こんな感情は所詮フィクションである。過去にしがみつかず、未来を求めすぎず、日々を愛しなさい、と淑子は良多に話した(その後、「私、良いこと言ったんじゃない?」って言っちゃうところもまたいい)。
これは是枝監督が映画を作る姿勢にも似ているのではないかと思う。綺麗ごとではなく、日常に近い部分を切り取って細かく描く。だから、心に刺さるシーンや共感するシーンが多い。

良多は小説を書いて賞をとったが、それ以降は鳴かず飛ばず、ギャンブルもやめられず、妻は子供を連れて彼の元を去った。もちろん金はない。なりたくなかった自分の父親にも似てきている。
なりたい大人になれなかったことを後悔していたが、この映画に出てくる人物で順風満帆な人生を歩んでいる人などいなかった。まわりをよく見回してみてほしい。

別れた妻だって、子供と二人、住んでいるのは古いアパートだった。母子家庭の貧困が問題になっているがこの二人も例に漏れない。良多がちゃんと働けばこんなことにはならなかったはずだ。だから、新しい彼氏が年収1500万とのことだったが、好き嫌いは別として、好意を持たれたら頼らざるを得ないだろう。彼ともどこで出会ったのだろう。不動産屋で働いているようだったからそこかもしれないし、出てこなかったけれど、もしかしたら夜の仕事もかけもちしているかもしれない。年収1500万だし、出会うところが限られそう。

団地でクラシック音楽を聴かせて講釈をする会を開いていた先生(橋爪功)だって、妻を亡くし、娘は引きこもりである。女性もの服をクリーニングに出していたことから、洗濯すらしていないことがわかる。楽器もやめてしまったらしい。もちろんその娘さんだって、家でおばさん、おばあさん相手に偉そうにしている父親が嫌だから反抗しているのかもしれない。

良多の探偵業での部下(池松壮亮)は何か良多に恩があるらしかったけれど、良多はまったくおぼえていなかったし、映画内にも出てこない。わからないが、どんな場所にもついていくし、お金も貸してあげていたから、相当救われたのだと思う。相当救われたということは、相当何か悪いことや困ったことがあったのである。良いことばかりでは恩を感じることもない。また、これも詳しくは出てこないが両親が離婚しているようだった。

探偵の仕事で会った夫から不倫の調査をされた女性も、実際に不倫をしていたし、服装も派手で水商売なのかなと思う。セリフも名言というか自然な会話ではなく普通の映画っぽいセリフだったのも水商売っぽい。結局、夫も不倫していたようだった。
家庭教師とつきあっている高校生だって、親が警察ということでおそらく隠れてつきあっているのだろう。

良多の勤める興信所の所長(リリー・フランキー)も元警察らしかった。どうして辞めたのか、経緯や理由も気になるが、順調な人生を歩んでいたら警察を続けただろう。何かしら転機となる悪い出来事があったのだ。
良多の強請りまがいの行為を咎める場面、休日出勤してきた時点で、あ、バレたんだなと思ったけれど、あんなにまわりくどく、直前までニコニコしていて本心を出さないあたりが、ただ者とは思えない怖さ。リリー・フランキーらしくもありましたが。

一人一人について細かくは描かれていないが、少しずつ出てくるエピソードで察することができる。誰もがうまくいっているわけではない。良多は自分だけがなんでこんな目に遭わなくてはならないのだというように一人だけ不幸ぶっていたが、そうではないのだ。みんな何かしらの問題を抱えながら生きている。

細かくは描かれないけれどちょっとした映像でわかる部分として、息子と二人でいるときの良多の見栄っ張り具合がある。
スパイクを買ってあげるのに、息子が気を遣って特価品を選んだが、ミズノを買ってやる。ファーストフードを食べるがマクドナルドではなくモスバーガーに入る。自分は何も注文しない。少し後で、家で母親に作ったカレーうどんをたらふく食べていて、ああ、さっき何も食べていなかったからだ…と切ない気分になった。

是枝監督といえば毎回子役の使い方がとてもうまいんですが、今回は子役成分は少なめに感じた。うまいのはうまいですが、出番がそれほど多くなかったかもしれない。
舞台挨拶には息子役の子は来なかったのですが、樹木希林が「撮影したのが二年前で、もう今は成長して青年のようになっているからではないか」と言っていた。

それよりも良多(阿部寛)が目立つ内容だったと思う。
子供に対しても母親に対しても見栄っ張り、金がないくせに宝くじを含めた競輪、パチンコなどのギャンブルにはまるのも良くない。
個人的に一番うわっというかあちゃーというか、頭を抱えそうになったのは、台風のために帰れなくなった元妻と子供が実家に泊まることになった夜、迫ろうとしていたことである。自分がどうして元妻から距離をおかれたのかわかっていないのだろうか。

舞台挨拶によると、こだわって撮られたシーンらしく、テイク数を重ねたらしい。また、最初は足首を掴むことになっていたが、そうすると、足首を掴んで引きずりそうだったので、膝を触ることにしたとか。膝を触るというか、スカートの中に手を入れそうになっていた。これはこれで充分怖かったけれど、足首を掴んでいても何か必死さというか、しばらくご無沙汰の慣れてなさ感が出て怖かったかもしれない。

舞台挨拶は映画内容についてもそうですが、三人ともカンヌから帰ってきたばかりということで、映画祭の様子も聞くことができた。“ある視点”部門に選出され、上映後には7分間スタンディングオベーションがあったらしい。
阿部寛は初めてのカンヌでレッドカーペットを歩いたことは一生忘れられないだろうと言っていた。もし、作品がブーイングを受けても、それはそれで思い出になるからいいのではないかと言っていた。
また、選出はされなかったが、カンヌ常連の是枝監督作品の中では阿部寛と樹木希林が共演した『歩いても 歩いても』が人気らしい。

是枝監督作品は日常が描かれているだけに、過剰にドラマティックなことが起こらず起伏がないと言われてしまうことも多いが、今回は台風が中心になっていると思う。わかりやすい起承転結があったのではないかとも思う。
起が良多がどんな人物か、母親が団地に住んでいるということも含めた説明。承が良多の探偵業やギャンブルなどうだつの上がらない日々。転が台風の夜。そして、結が良多のけじめだと思う。

台風の夜に息子と二人で公園へ行き、遊具の中でお菓子を食べた。風に飛ばしてしまった宝くじ券を妻と息子と三人で探した。かつての家族の絆が少しは深まったかもしれない。でも、別にそれがきっかけでよりが戻るわけではない。
妻は「先に進ませてよ」と言っていた。彼女だって良多が嫌いなわけではない。でも、子供もいるし、愛情だけでは生活していけないのだ。
良多は夜に迫ったのもそうだし、まだやり直せると思っていたのだろう。また、今の元妻の彼氏の身辺調査をして、それでも自分のほうがいいと思っているようだった。未練である。それを、台風の夜に母と話した“過去にしがみつかず、日々を愛しなさい”という言葉を聞いて、ちゃんと断ち切れたのだと思う。
いや、まだ断ち切れてはいないかもしれない。でも、断ち切る決心はしたのだ。

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