1984年公開の『ゴーストバスターズ』の続編ではなく、リブート作品となる。なので、過去作を観ていなくても大丈夫。でも、観ていると、小ネタに気づいて楽しいかもしれない。
私は大昔に観たきりですが、あの有名な主題歌さえ知っていれば、それだけで楽しい気分になれるシーンもあった。

ただ、登場人物を女性に変更して…という話が出たときに、少しどうなんだろうと思ってしまった。でも、予告編を見たら、なんとなく想像していたものとは違っていて、とてもおもしろそうだった。

あと、なぜかイギリス映画だと思っていた。ポール・フェイグ監督の風貌からイギリス人だと思っていたのと、日本ではビデオスルーになってしまった『SPY』がジェイソン・ステイサムとジュード・ロウが主演だからだ。
だから、一緒に出ているメリッサ・マッカーシー(この映画ではアビー役)もイギリス人かと思っていたし、なぜか、クリステン・ウィグもイギリス人のつもりだった。
アメリカ映画でした。

以下、ネタバレです。








IMAX 3Dで観賞。普通の3Dでも同じかもしれないけれど、画面上下の黒い部分にゴーストや、攻撃するレーザーがはみ出るという仕掛けがあり、より効果的に3Dを感じることができた。
上のあたりを自在に飛び回っていて、まるでお化け屋敷のような楽しさがあった。

ゴーストバスターズなので、ゴーストを退治するのだが、ちょっと怖くありながらも、基本的に愛嬌がある。たぶん、怖いものが苦手な人でも楽しめると思う。

大学で働きながらも、過去の幽霊研究の著書が発見されてしまい、解雇される物理学者。
高校の教室を勝手に使ってゴーストを見つける道具を作ったり研究している教師二人。やはり学校を追い出される。
地下鉄の改札係だったが、ゴーストに遭遇し、メンバーとなった女性。改札係時代はお客さんに話しかけても無視され続けていた。
四人とも変わり者ではみ出し者である。野暮ったい。けれど、四人でわちゃわちゃやっている姿はとても楽しそうだったし、観ている側も楽しかった。
ちなみに、四人ともサタデー・ナイト・ライブに出ていたこともあるコメディエンヌである。

旧作は子供の頃に観たきりだったけれど、旧作へのリスペクトはいろいろな場面で感じられた。

まず、あの有名な主題歌がところどころで印象的な使われ方をしていた。あのあの音楽がなければゴーストバスターズじゃない。

後半にタクシー運転手が、あの曲の歌詞の「I ain't 'fraid of no ghost.(幽霊なんて怖くない)」というセリフを言った後、メロディがほんのちょっとだけ流れて粋だなと思った。
そのタクシー運転手は、旧作の主要メンバーであるダン・エイクロイドだったというから、更に粋である。

旧作に出ていたビル・マーレイも出てきます。幽霊を捕まえたなんて信じない研究家の偏屈じいさん役。本人は嫌な役なら出ると言っていたらしい。

また、エンドロール後にシガニー・ウィーバーも登場。ホルツマンの師匠役。その後に、「ズール」という名前が出て来ていたけれど、これが旧作でシガニー・ウィーバーが演じたディナが取り憑かれた幽霊の名前。

他、あの有名なロゴというかマークも出てくる。地下鉄のスプレーの落書き、そして、アニメでも動く。
動き方はとてもキュートだったけれど、一転してでっかくなっていき、その様子はマシュマロマンを彷彿とさせる。あのロゴのゴーストが大きくなるのはなるほどと思う。

また、アグリー・リトル・スパット(醜く小さいじゃがいも)通称スライマーと呼ばれるゴーストも出てくる。むしゃむしゃとゴミを食べ、車に乗って暴走していた。

リスペクトというより、ポールフェイグ監督自身がゴーストバスターズをすごく好きなのではないかと思う。そうでなければ、こんなに愛情を感じる作品にはならないだろう。
ゴーストバスターズを作れて嬉しい!という気持ちが伝わってくる。ファンムービーである。

『ゴーストバスターズ』というのは誰でも知っている作品なので大作だと思うけれど、中に出てくるギャグはこぢんまりしていた。私は好きですが、わりと不評らしいという話も聞く。
たぶん、ギャグパートだけだったら日本では公開されないで、ビデオスルーになるか、バルト9の単館でしか公開されないと思う。

変な赤毛になってしまったエリンが「髪染めの箱にガーフィールドって書いてあった。猫じゃなくて、大統領よ」と言っていた。ゴーストの飛ばされる先は「わからないけどミシガン州あたりじゃない?」というのはデトロイトあたりのゴーストタウンを指しているのだろうか。

また、「マイ・キャットを連れて来ていい?」「猫?」「いや、犬。マイク・ハット」という発音で笑わせるのもアメリカンジョークなんでしょうか。その後、「正式名はマイケル・ハットなんだ」って言ってたのも含めて好きでした。

どれも、爆笑!といった感じではなく、くすっとくる。それがいいんだけれど。

ゴーストバスターズの事務所の受付役というか、事務員さん役にクリス・ヘムズワーズ。おバカなキャラだという話は聞いていたけれど、おバカを通り越して、何もわかっていないキャラだった。イラッともする。
最初に、「ロゴを考えてきたんだ!」と嬉々として出してきたやつがどれもこれも差別的で絵が下手めで、微妙な空気になる感じもおもしろかった。

でも、ケヴィンのような男性がいたら、事務所が華やかになるのもわかる。

後半では体をゴーストに乗っ取られてしまい、本当になんのために出てきたキャラなの?とかわいそうにもなった。
けれど、乗っ取られシーンのクリス・ヘムズワーズは、ああやはりアクションのできる俳優さんだなと再確認した。
アクションといえば、ホルツマンの2丁拳銃に舌を這わせてのLet's go.は予告でもやたらと恰好良かったけれど、それに続くアクションシーンもとても良かった。

エンドロールでにこにこしながら踊っているのも可愛い。文字自体も踊っていて観ている側も嬉しくなる。
やっぱり憎めない。これで好きになる人もいるのではないかと思うくらい愛らしい。

でも、これは男女逆転版なのだ。なんのために出てきたの?とか、イラッとするとか、おバカを通り越して何もわかってないは、普段ならばこのポジションにいる女性キャラに向けての印象なのだ。
そう考えるとちょっと複雑である。

体を乗っ取られたケヴィンが「女は準備が遅い、つなぎを選んでるのか?」と言ったり、序盤でゴーストバスターズあてに、「女にゴースト退治ができるのか?」という苦情メールが届いていた。これは、この映画に対する意見とも思える。
実際に私も最初は思ったし、アメリカでも差別的な発言もあったようだ。

男女を逆転させることで、ちゃんと問題提起もしているけれど、かといって、女が男を倒す話ではない。倒すのはあくまでもゴーストで、男は悪役ではない。
でもそれは、ケヴィンというキャラクターがいなかったら、怪しげな機械でゴーストを召還したホテルの従業員の男が悪役になってしまい、最終的に女が男を倒すみたいなことになってしまっていたかもしれない。話の分からない市長も男だし。
そう思うと、大して役には立っていなくても、ケヴィンがいかに必要なキャラだったかというのがわかる。

クリス・ヘムズワーズ、キャラはともかくとして、背中が大きくて体型も恰好よかった。beefcakeと呼ばれていて、マッチョという字幕になっていたけれど、もっと性的な意味合いがあるかなと思った。
コメディーとの相性が良いなあと思いながら観ていたけれど、考えてみたら『お!バカんす家族』もとても楽しそうだった。好きなんだろうな。

続編はどうなるのだろうか。あったらいいなと思う。2と言わず、3でも4でも出してほしい。
彼女らと彼にまた会いたい。それくらいいいキャラクターたちだった。

四人の女性がいて、お色気で解決♡みたいなキャラが一人もいないのは清々しいやら意外やら…と思っていたけれど、理由がわかった。
そんなキャラはケヴィン一人で充分だ…。


女性限定鑑賞会というタイトルだと思っていたけれど、会議だった。
女性限定なのはもちろん、コスプレOK、光り物OK、歓声OKという自由なものだった(最初はただの女性限定上映会だったようだけれど、庵野監督が話と違うと言ってOKになった)。

以下、ネタバレを含んだレポです。








コスプレは見た感じ、片桐はいり演じるベテラン官邸職員の小母さんが多かった。頭巾が特徴的だから目立っていたのかもしれないけれど。
あと、カヨコの方と財前統合幕僚長の方はお面+コスプレだった。
アイドルのコンサートのような自作のうちわの方々もいて、“総理、ご決断して♡”と書いてあったりも。

発声可能の応援上映は『劇場版 戦国BASARA-The Last Party-』の絶叫ナイト以来なので、五年ぶりくらいである。
その時はホールだったので予告編などはなかったのだが、今回、映画館で観てみて、予告編やCMの段階から歓声がとぶのがわかった。
セブンイレブンのCMで『デイ・ドリーム・ビリーバー』からもう大合唱である。
そして、東宝系列の映画の東宝のロゴで「東宝!」の声が上がる。

映画の最初の東宝ロゴでも庵野監督の名前でも読み上げと同時に「ありがとう!」という声も上がっていた。こんな楽しい映画を作ってくれたことに対する感謝の気持ちを伝える観客の姿を見ていると、みんなこの映画が好きでたまらないのだろうなと思う。

矢口や赤坂、尾頭ヒロミや防衛大臣など、登場人物が出るたびに歓声が上がっていたし、総理に対しても声が飛んでいた。
カヨコが苦手だったけれど、英語の部分を一緒に言ったりちゃかしながら観ていると、結構好きになってしまった。

ゴジラが血液凝固剤を口に流し込まれるシーンではイッキコールも起こる。エヴァでも使われたあの音楽では手拍子も。

キンブレなのか、わからないけれど、色のチェンジできるペンライトは、ゴジラは赤、自衛隊のシーンでは緑、ゴジラがレーザーを発するシーンでは紫になっていた。

映画のパンフレットに、「結婚指輪をするかしないか(結婚しているかしてないかではなく)も考えて一人一人のキャラを作った」と書いてあったので気にして観てみた。
防衛大臣、赤坂は指輪をしていた。森も途中で家族にメールを送っていたことからもわかる通り、指輪をしていた。
指ばかりをずっと観ていたわけではないし、右手は電話をとったり書き物をしたりと、顔の位置まで上がってくることはあっても、左手は下にあってスクリーンに入っていないことも多かった。

上映後には出演者がゲストで登場。
尾頭ヒロミ役の市川実日子、間准教授役の塚本晋也、泉役の松尾諭に加えて、シークレットで小母さん役の片桐はいりの四人。
四人とも、劇中の衣装で来てくれて大興奮。観客に向かって、泉の名セリフ「まずは君たちが落ち着け」が発せられると、更に歓声が大きくなった。

衣装だったので、役のまま出たほうがいいのか考えて、市川実日子は最初無表情を作ったような難しい顔をしていたけれど、すぐに笑っちゃって可愛かった。
長セリフも披露してくれたけれど、そのあとで、言えたぞ!というように両手を高く上げてガッツポーズをしていたのも可愛かった。

もう一つ可愛いエピソードとしては、尾頭さんをいろんな漫画家が描いたっぽいイラストが流行っている話が出たときに、松尾さんが「壁紙にしたい」と言ったら、市川さんは「家のですか?」って聞き返していて、全員きょとんとしちゃって、その後、気づいたのか気づいていないのか真っ赤になっていたのも可愛かった。

塚本さんは劇中の准教授の癖である、何か発見したときに両手をパチッと合わせるシーンが観客で合うのが嬉しいやら怖いやらといった感じだった。「打ち合わせしてるの?」とか「これは、悪夢? いい夢?」などと言っていた。映画業界に長く関わっている塚本さん(監督)をもってしても、異常な空間なんだな…。

塚本さんは、ぼそっとしたセリフ(「食べてないんだ」のあたり)を「小さい声で」と言われたので、マイクが拾えないくらい小さい声で発したら、アフレコになったらしい。
また、准教授の興奮したセリフ(「飛翔する可能性すら〜」のあたり)はおかしなテンションでやっていて、それもオッケーが出たので大丈夫なんだと思ったら、その後で、庵野監督に「普通にやってください」と言われたと。なので、あの絶妙な感じになっていて、演出がうまいという話だった。

松尾さんは、矢口(長谷川博己)と二人のシーンで歓声が上がっていて、「ムラムラした」と言っていた。
泉が矢口に水を渡す、「まずは君が落ち着け」のシーンは当日加えられたらしい。怒っている人に水を渡すにはどうするか考えて、背後の水をとって投げたら、長谷川さんは取ってくれなくて余計に怒らせたとのこと。
また、一時期で回っていた、“早口で喋らないと出てるシーンをカットする”という噂の出所は長谷川博己らしい。

シークレットゲストの片桐はいりさんは役名も無いらしい。セリフも最初は無かったけれど、あとから加えられた。台本には“絶妙なタイミングで水を渡す”と書いてあって、こんな役はあまりやったことがなかったので余計に緊張したらしい。
撮影は半日くらいだったけれど、今、大森と蒲田の映画館でもぎりをやっているので、撮影よりも長い時間『シン・ゴジラ』に関わっているとのこと。

片桐さんは大田区の出身なのだけれど、『シン・ゴジラ』のロケハンで大田区を訪れた監督だかスタッフが、入る店入る店に片桐はいりのサインが飾ってあって、役をもらったらしい。

片桐さんは「大田区は昔ながらのものも残っているいい場所なのでゴジラに壊されたのではないか」と言っていた。どうしても、オリンピックとゴジラを重ねてしまい、町を壊さないでほしいと思っている、と地元愛も窺うことができた。



奇妙な高層マンションが舞台になっている。ほぼ、マンション内の出来事のみです。
原作はジェームズ・グレアム・バラードによる1975年の小説。
監督はベン・ウィートリー。『ドクター・フー』シーズン8で監督を務めているらしい。シーズン8だとピーター・カパルディがドクター役になった最初のほうかな。まだ見ていません。
ちなみに衣装のオディール・ディックス=ミローも『ドクター・フー』シリーズで80年代から衣装を担当しているとのこと。その他、『ブルックリン』の衣装担当も彼女。もともとは79年にBBCに入社、96年にフリーランスになったらしい。

キャストはトム・ヒドルストン、ジェレミー・アイアンズ、ルーク・エヴァンス、シエナ・ミラーと豪華。

私は出演者と高層マンションが舞台ということ以外にまったく情報をいれずに観たらわからない部分も多かったので、もしかしたら、ある程度ストーリーを把握しておいたり、原作を先に読んだりしたほうがいいかもしれない。
本当は、誰が何階に住んでいるか、知っておいたほうがいいと思うけれど、その情報は公式サイトにも載っていないし、公式側が明かしていないということは知らずに観ろということなのかもしれない。

以下、ネタバレです。









マンションの形は歪である。日照の問題なのか、途中から斜めになっている。設計者のロイヤルは、「五棟作って丸く並べ、指のようにしたい」と言っていた。そのくせ、外観は建物だから当たり前ですが、無機質である。
それはCGのせいかもしれない。実際にある建物での撮影ではなく、外観はすべてCGなのだが、ひんやりしていてなんとなく不気味さが漂っていた。

その得体の知れなさから、100階建てとか通常では考えられない高さを想像していたのだが、40階建てと現実味のあるものだった。
その中で、低層階、中層階、高層階と住んでいる場所ごとに格差が生まれていた。マンションが社会の縮図である。ただ、この映画ほどめちゃくちゃなことにならないにしても、日本でも同じようなことは起こっているらしい。ためしに“高層マンション,格差”で検索してみたら、お悩み相談がぼろぼろ出てきた。

この映画のストーリーとしては、高層階の金持ちの住民がパーティー三昧な毎日を送っているが、低層階の住民は上の階の人間たちの好き勝手に巻き込まれ、電気を止められ不便な生活を強いられている。あることをきっかけに我慢の限界に達し、暴動が起きてマンション内はめちゃくちゃになる…といったところ。

観客はマンションに越して来た医者(トム・ヒドルストン)の目線で観たらいいのかなとも思うけれど、彼にしても考えていることがよくわからない部分もたくさんあった。途中まではまともに見えたが、ペンキで部屋の壁を塗り始める部分もよくわからなかったし、結局、壁に貼っていた写真の女性が姉なのかどうかも不明。あの写真がキーになるのかと思ったけれど、途中からなんの言及もされていなかった。
引っ越しと一緒に持ってきたっぽい段ボールも開封していなかったし、その中身はなんなの?と聞かれたときには、独り言のように「セックスとパラノイア」とぼそりと言っていたけれど、箱の中身がキーになることはなく、明らかにもされなかった。

もしかしたら、ルーク・エヴァンス演じるドキュメンタリー作家が観客が心を寄せるべき相手だったのかもしれない。けれど、それも、見終わって少し情報を見たから言えることだ。
まず、医者の一つ上の階(26階)に住んでいるのかと思っていた。最初、上の階のベランダから声をかけてきたからだ。でもそれは、不倫相手の部屋だったのだ。実際は妻と子と一緒に3階に住んでいた。
この映画では、何階に住んでいるかがかなり重要な位置を占めている。それは、登場人物それぞれの根幹をなすものと言ってもいいと思う。
だから、3階のところを26階と思っていたというのは、キャラクターのことを何も理解できていなかったのだ。

だから、最後に最上階で女性たちに次々に刺された原因もよくわからなかった。レイプ魔と言われていたけれど、26階の女性以外にも手を出していたのだろうか。
ただ、最上階にいた女性たちは男たちから下に見られている様子で、それに怒りをおぼえていそうな描写もあった。だから、ワイルダー(ルーク・エヴァンス)がロイヤルを殺しに来たのを助けるようなことをするのもよく理解できなかった。

また、この映画は原作と同じく70年代が舞台だったらしい。確かに、ルーク・エヴァンスはもみあげが長く、裾の広がったズボンを履いていた。けれどそれは、今の時代のおしゃれで個性的な恰好をしている人なのかと思っていた。このあたりもキャラクターを見誤っている。

時代がよくわからなかったのは、トム・ヒドルストンがスーツだったせいか、いつものトムヒにしか見えなかったせいである。髪型も現在のトムヒだった。時代がよくわからなかったのとは別に、とても恰好よかったです。相変わらずスタイル抜群。

70年代が舞台と聞くと、高層マンションが40階建てなのも納得がいく。現在ではそれほど高くなくても、70年代にはとんでもない高さだろう。

登場人物では他に、医学生(?)の自殺の理由もわからなかった。医師(ラング=トム・ヒドルストン)が「脳に云々」と余命宣告のようなことをしたからだろうか。そもそも、それすらも本当かわからない。それくらい主人公のことが最後まで信用しきれてない。
ラストのモノローグで、「診察が必要な人が多そうなので、マンション内で開業しようと思う」と言っていたけれど、お前が仕組んだんじゃないよね?とも思ってしまった。
また、散乱していた黒いゴミ袋の中身は、やっぱりマンション住民の死体だったのだろうか。

ストーリーは暴動を境に前半と後半に分かれると思う。前半はどこかぴりぴりしていて、取り繕われている印象もうけたが、それでもおすまししているというか、新しい生活の始まりという雰囲気だった。戸惑うことは多くても、そのうち馴染むだろうという希望があった。
ただ、主人公の部屋の生活感のなさが気持ち悪くもあった。

最上階の金持ちはベランダというか屋上庭園のようなところで馬を飼っていて、それも妙な感じだった。その部屋に行くプライベートエレベーターが総鏡張りなのも怖い。合わせ鏡で自分の姿が何人も映っている。

度重なる停電や、おむつをつまらせるな!とダストボックス係に起こられるなど、少しずつ綻びが出てきて、亀裂が広がっていくのが見えるようだった。

そして暴動が起きてからは、マンション内は荒れに荒れる。殺しはもちろん起こる。マンション内のスーパーマーケットでは食料が不足し、自分の妻と食料を交換する者も出てくる。一気に文明のない頃に戻ったみたいになっていて、最上階の金持ちたちはみんな裸でパーティーである。犬も殺して食べる。

前半との対比は面白かったものの、おそらく低層階と高層階との争いだったのだとは思うけれど、誰が誰と戦っているのかがいまいちわからなかった。
女性たちが集まって子供と身を寄せていたのは低層階の人々だったと思う。ただ、ワイルダーの妻は3階なので低層階の人間だが、最上階で産気づいて、高層階の人間に出産を手伝ってもらっていた。ただただ暴力的だったので、低層階は赤子もろとも全員死ねくらいの感じかと思っていたのに。

前半はひんやりした感じ、後半は血なまぐさい暴力。登場人物の行動の理由がよくわからない部分も多く、話もわかりづらかったけれど、映像から受ける印象としては全体的にとても邪悪なものだった。悪夢的というか。
原作も読んで、ちゃんと理解してみたい。




一応『ターザン』の続編にあたるのだと思う。
いつ以来の続編なのだろうと思ったら、2013年にアニメで作られていたようです。一番最初の映画が1918年でその後、映画やテレビシリーズなど含め、50作品くらい作られているのに驚いた。有名なキャラクターではあるけれど、そんなことになっているとは。

ターザン役にアレクサンダー・スカルスガルド。ジェーン役にマーゴット・ロビー。
サミュエル・L・ジャクソン、クリストフ・ヴァルツも出ています。
監督は私的にはジョン・シム出演のドラマ『ステート・オブ・プレイ』『セックス・トラフィック』のシリーズディレクターであり、世間的にはハリーポッターシリーズの監督で有名なデヴィッド・イェーツ。

以下、ネタバレです。





本作が原作や他の作品を基にしているのかどうかはわからないけれど、ターザンは本名のグレイストーク卿ジョン・クレイトンという名前で、英国貴族として、イギリスで政治にも関わっているようだった。そこは独自性があっておもしろかったんですが、ジャングルへ行ってからはなんとなくどこかで観たような、ありきたりなストーリーになっていたのが残念。

無理を言ってついてきたヒロインが、悪者にさらわれる。ターザンは助けるために奮闘し、悪者を倒し助け出してヒロインにキスをする。
ヒロインの美貌に悪者があわよくばと近づいていくのもよくある要素だ。
もう、最初にヒロインが無理を言ってターザンについてきた時点で、絶対に足をひっぱることになるんだろうなと思った。そして、やっぱりさらわれてイライラしてしまった。

最初、サミュエル・L・ジャクソンが悪者かと思ったけれど、すごくいい奴でした。ターザンと一緒にジャングルを駆け抜けて一緒に戦う。けれど、ターザンのような能力はないので、いちいち驚いたり苦労したりする、観客目線のキャラクター。
どちらかというと、こちらがヒロインっぽくもあった。
ターザンと言えば、植物の蔦を使って木から木へ飛び移るアクションが有名だ。その時に、背中に女性がしがみついている画像もよく見かけるが、あれをサミュエル・L・ジャクソンでやる。

そう考えると、ヒロインは二人もいらないのではないかと思えてくる。捕まった女性を助けるために奮闘するわけではなく、ただ単に悪者を倒すためで良かったのではないか。
でも、ヒロインはジェーンなんですよね。それは、ターザンをやる以上、出さないと仕方ないのだろう。

もういっそ、ターザンじゃなくて、動物を自由自在にあやつれるヒーロー物にすれば良かったのではないか。
その場その場に適した仲間(動物)を使って、危機を乗り越えるくらいの奇想天外なものが観たかった。

最後も船の爆発からどうやって逃げたのかわからない。いつの間にかヒロインの後ろに立っていて、それでめでたしめでたしと言われても雑すぎる。
ワニか水牛の助けで、どちらかの背中に乗って帰ってくるくらいのことはしてほしい。動物との絆が中途半端だった。意思疎通ができているのかいないのか。

ターザンであるがゆえに、過去のおさらいというか、回想シーンがちょこちょこ挿入される。それも、中途半端な場面で入るので、その都度、話の流れが止まってしまうように感じた。
もっと上手い方法はなかったのだろうか。

結局、事態が解決してもイギリスには帰らないようだった。
ジェーンがコンゴで子供を産んでいて、このラストにするならば、無理矢理でもついてこなきゃいけなかったのだろう。

そもそも、なんでイギリスに帰って貴族の生活をしていたのだろう。ターザンという名前で呼ばれるのも嫌がっているようだったし、最初はコンゴに行くことすらしぶっていた。行ってみたら、やはりここが俺の居場所と再確認したのだろうか。

ターザン役のアレクサンダー・スカルスガルドは途中で上半身の衣類を脱ぐのだが、その筋肉に驚いた。『メイジーの瞳』のときには優男風の印象だったし、ドラマ『トゥルー・ブラッド』での裸を見てもこんな筋肉ではなかった。この映画のために体を作ったのだろうと思う。
前半で、英国貴族のすました服装でお紅茶飲んでたけれど、そのブラウスのしたにあんな肉体が隠れていたのだと思うと興味深い。




邦画、しかもアクションは観るつもりがなかったんですが、あまりの高い評価につられて行ったらとてもおもしろかった。
私は怪獣映画や特撮にはあまり詳しくなく、ゴジラシリーズも特に観ていないです。根っからのゴジラファンが観たらどう思うかは不明。

以下、ネタバレです。









最初に出てくる東宝ロゴが昔風で、その時点でまずニヤニヤしてしまった。そういえば、『シン・ゴジラ』の昔風のタイトルロゴが一番最初に発表されたときにも同じような気持ちになった。
そして、最初に場所を示すテロップがエヴァンゲリオンを彷彿とさせる明朝体だったときになるほど、と思って、最初に出てきた未確認生物が真っ赤な体液だか血液をぶっしゃー!とぶちまけたときに、ああ、これエヴァンゲリオンでいいんだと確信した。
この最初の生物が這って出てきて、ガメラ風だったので、ゴジラが出てきてこの生物と戦うのかなと思っていた。完全にギャレス・エドワーズ版の影響です。
ところが、この生物がやおら立ち上がって、形を変える。どんどんゴジラっぽくなってくる。形態を変える様子もエヴァンゲリオンに出てくる使徒のようだったし、これを見てる官僚たちが信じられないように「進化だ…」と話している様子も、NERVのようだった。

そして、なんとエヴァンゲリオンと同じ音楽が使われていた。別にレアBGMというわけではなく、テレビシリーズを見たことがある人なら誰でも知っているBGMである。これで、今まで観てきた既視感は意識されたものだったのだと確信した。

ヤシオリ作戦という名前のヤシマ作戦に似た名前のものも出てくるし、よく考えてみたら、『シン・ゴジラ』と言うタイトルからして『シン・エヴァンゲリオン』じゃないか。

もちろんゴジラが出てくるシーンは大きいスクリーンのほうが迫力があっていい。けれど、そこまでゴジラがたくさん出てくるわけではないので、IMAXや4DXじゃなくてもいいかもしれない。
けれど、これでいいと思うのだ。どうせ邦画だとそれほどお金もかけてもらえないし(15億とのこと。これは海外だと低予算の部類)、そのせいでどうせゴジラシーンはしょぼくなってしまうのだ。
邦画のアクション映画の何がいやかって、見ごたえも何もなく、安っぽくなってしまうところだ。予算のせいではなく、単純に下手なのかもしれない。

そうなるならば、ゴジラのシーン(アクションシーン)を一気に削ってしまえばいい。
それで、この『シン・ゴジラ』は何のシーンに割いているかというと、ほぼ会議である。官僚たちがあーだこーだと話し合っている。作戦を立てている。
そんなのがおもしろいのかと思うかもしれないし、書いていておもしろいとも思えないけれど、これがおもしろいのだ。これが一番テクニックがいるところなのかもしれないと思った。

ほとんどの人物は早口で、その喋っている人を正面からとらえるカメラが次々と切り替わる。めまぐるしいし、ちゃんと聞いちゃうから集中して観る。
ゴジラはほとんど最初から出てくるから、日常シーンはなく、ずっと緊迫した状況が続いている。だから、余計なシーンが無くて映画全体が引き締まっている。

どれだけエヴァンゲリオンっぽくてもエヴァンゲリオンではないのだから、当たり前だがエヴァンゲリオンは出てこない。本来ならば、未知の生物に対してエヴァンゲリオンをぶつけるところだが、この世界には存在しない。

ではどうするか。単純な話だが、知恵を出し合うのだ。官僚も自衛隊も学者も、みんなで力を合わせて、巨大な脅威に立ち向かっていく。
「あなた…生きて帰ってきて!」みたいな直接的な表現じゃなくても、とても感動的である。こんな描き方があるのだ。
ちなみに、今まで無表情で捲し立てていた市川実日子が、事態が解決したあとにふっと笑うのがとても可愛かったです。

みんなが自分の出来ることを精一杯やる。登場人物が多く、その一人一人についての描写もちょっとだけしかないけれど、キャラクターが濃くておもしろかった。
スピンオフでもやらないだろうか。
第二、第三の使徒という感じに、第二のゴジラが攻めてきてもいい。日本壊滅しちゃうのでそれはないと思いますが。

ゴジラは東京と神奈川に上陸する。
最初の上陸は東京湾から入り、蒲田、品川と進んでいき…。進んでいくルートは映画を観ながらもリアルに思い浮かべることができる。位置関係がわかる。
二度目も鎌倉に上陸して、多摩川を越えて東京に入ってくる。わかる。
一回目の上陸のあとは、直接被害がなかったところは電車を運行させていた。「横浜まで折り返し運転をしております」というアナウンスが遠くで流れたときに、まあそうするだろうなというのがリアルに想像できた。

そして、緊急事態があったときのテレビのL字型画面。一つのチャンネルだけ変わらず、みなしごハッチを放送する様子。すべて知っている風景だ。

この有事が起こった時の既視感は、3.11の大災害を経験してるから感じるものなのだろう。あの時のことを思い出して、漠然とした不安感に包まれる。

ゴジラと言えば放射能熱線を発射したり、なにかと放射能と関わりがある。洋画だと、核兵器とか放射能の扱いはだいぶ雑なんですが、邦画ではデリケートな問題だし、扱い方によっては、不謹慎と言われるのではないかと思った。
けれど、私たちが放射能の怖さを知っていることを、うまく利点に変えて、怖さだけが助長される作りになっていたと思う。

この映画では、ゴジラの上陸が他人事とは思えない
例えば、アメリカの知らない風景やCNNのニュース速報画面を見ても、このような気持ちにはならない。日本人だからこそ味わえる感覚だ。邦画ならではなのだろう。

リアリティを追求していても、安易に流行りのPOVに逃げていないのもいい。ゴジラを下からみるショットや、最初の船の中を録画している様子など、少しは使われていたけれど、そこまで多用していないのも好感が持てた。

特撮やCGに関しては、詳しい人からはもう少しがんばってくれという声もあるようだけれど、そこまで気にはならなかった。熱戦を背中から出しているシーンは確かに安っぽくは見えた。
在来線爆弾についても、あんな動きしないと言われているのを見たが、あの、電車が蛇のように絡み付くショットは強く印象に残っているので、もうかっこよければそれでいいのではないかと思う。