『20センチュリー・ウーマン』



マイク・ミルズ監督。脚本もマイク・ミルズで、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
1979年のサンタバーバラが舞台。
実際に観ないとわからないような、不思議な雰囲気のある作品だった。

以下、ネタバレです。








ルームシェアと言ってしまえば簡単なんだけれど、もっと複雑で、でも実在しそうなキャラクターたちが描かれている。

夫と別れたドロシア。息子のジェイミーは15歳で反抗期気味。父親がいないせいもあるのか、おませさんだ。幼なじみのジュリーに思いを寄せている。
ジュリーはジェイミーより少し年上で、母親がセラピストでセラピーの会に強制参加することでおそらく逆に病んでしまい、いろいろな男性と関係を持っている。けれど、ジェイミーとは親友だから肉体関係は持たないようにしている。頻繁に遊びに来ては、夜添い寝して帰っているようだった。
ドロシーの家を修理しているウィリアムは修理に便利だからなのか、なぜか一緒に住んでいる。元ヒッピーで大地がどうの、瞑想がどうのと少し胡散臭い。女性にはもてるらしい。
もう一人の居候アビーは赤い髪の毛が特徴。パンクとアートが好きなカメラマン。ニューヨークへ行っていたけれど、子宮頸がんの疑いで地元サンタバーバラへ帰ってきた。

ドロシア、ジェイミー、ジュリー、ウィリアム、アビーの五人全員が主人公とも言える内容だった。

夫と別れたドロシアはパワフルで仕事もこなすし、ジェイミーが学校に行きたくなければ自由にさせていたし、理解のあるサバサバした母親なのかと思っていた。きっと、同居のウィリアムと結婚し、新しい家族になるのだろうと思っていたが、実際の人生がそうであるように、映画内でもそううまくはいかない。
ドロシアだってサバサバしているように見えて、息子が好むような最近の音楽がわからずに知ろうとして苦労するし、一緒に住んでいるからといって、それだけの理由でウィリアムと結婚することはない。ウィリアムと話が合わないからだ。ジェイミーも同じことを思っている。

1979年の夏の短い期間だけが描かれるが、それぞれの生い立ちが軽く説明されることで、どんな人間なのかわかってくる。
それぞれが悩んでいて、その悩みは唐突に現れたものではなく、すべての流れからそりゃそうなるよね…と納得させられるものばかりだった。
だから、登場人物が本当にいる人物のように見えた。

それもそのはず、ドロシアはマイク・ミルズの母を、アビーは姉をモデルにしているそうだ。また、マイク・ミルズがそだったのもサンタバーバラらしい。ドロシアを演じたアネット・ベニングは母親が好きだった映画を鑑賞したり、アビーを演じたグレタ・ガーウィグは姉の読みそうな本を読み、聴きそうなレコードをかけ、実際に話もしたらしい。

ドロシアは1999年に亡くなる。亡くなるシーンは流さずに、ドロシアのナレーションで、“私は1999年に死ぬ”とひとごとみたいに入るのがおもしろい。死は本作ではそれほど重要ではない。
20世紀が舞台だから、ドロシアは大恐慌時代を生きた女とか言われているし、カーター大統領の演説をみんなで見ているシーンも出てくる。
その当時に流行った音楽、クラッシュやトーキング・ヘッズ、バズコックスなどが豊富に使われいるだけではなく、パンク対ニューウェイブといったような文化的な背景も使われている。ジェイミーがトーキングヘッズのTシャツを着ていると、パンク少年にバカにされたりなど、性格だけではなくて好みからも人物が立体的に浮かび上がる。おそらく、マイク・ミルズ(51歳)の好みがパンクからニューウェイブに移り変わっていった時期を参考にしているのだろう。
アビーもルー・リードとかDEVOのTシャツを着ていたが、これもマイク・ミルズの姉の好みだろうか。

個々のキャラクターが悩みを抱えながら、ドロシアの家で奇妙な関係を築いている。すごく近い関係だけれど恋愛ではない。セックスもしない。いや、する人もいるし、淡い恋心を抱いている人もいる。けれど、誰と誰がくっついてめでたしめでたしという単純な話ではなく、歯車は微妙に噛み合わない。
でも、終盤のみんなでダンスをするシーンでは一瞬だけ噛み合ったのかもしれない。
ここだけではなく、悲しくても楽しくても、踊るシーンの多い映画だった。これもパンクのクラブなどのことを考えると、時代背景もあるのかもしれない。

ドロシアは息子について悩み、別れた夫以外に誰かを好きになることができるのかと悩む。ジェイミーのジュリーに対する恋は成就されない。ジュリーも親しすぎてセックスできないというのはどうなのかと思う。アビーもがんではなかったにしても子供に希望は持て無さそうだし、アーティストとしても成功できなさそう。ウィリアムは何を考えているかわかりにくかったけれど、人と濃い関係が築けないことに悩んでいるようだった。
全員、具体的には違うけれど、漠然とした将来への不安は抱えていたし、もう全員のことが愛しくなっていたから、幸せになってほしいと思っていた。

1979年の夏のことだけ描かれているが、彼らにはこれまでの人生やこれからの人生もある。これまでのことはざっと説明されたが、終盤でちゃんとこれからの人生についても教えてくれる。
全員があっけなくバラバラになっていた。映画内で描かれた濃密に思えた時間も、人生の中では一部だというのがわかっておもしろい。

ただ、全員が幸せになったみたいで観ている私も幸せな気持ちになった。映画を見終わった後だと、サンタバーバラの海をバックに五人が並んでいるポスターが一層素敵に見える。

キャラクターがいきいきしているのは描き方のせいもあるけれど、命を吹き込んだ役者さんたちの力もある。

ドロシアを演じたアニット・ベニングはタバコをふかしながら気丈に振舞っているパワするな女性だし、笑顔も素敵だけれど悩んでいるのもわかる演技が素晴らしかった。笑った時の顔のシワも美しい。ちょっとデヴィッド・ボウイにも見えた。
ジュリー役のエル・ファニングは透明感があって、いろんな男性と関係を持っているという役柄だったがいやらしく見えない。妖精のようだった。
アビー役のグレタ・ガーウィグは『フランシス・ハ』のフランシス役だの女性だと知って驚いた。と同時になるほどと思った。どこか、心に傷を抱えているような演技が良かった。
ウィリアム役のビリー・クラダップは、内面があまり見えなくて年齢も不詳で悟りをひらいたような役で、これはこれでうまい。
ジェイミー役のルーカス・ジェイド・ズマンは撮影期間2ヶ月とは思えない、どんどん大人になっていく演技が素晴らしかった。ドラマ出演が多いらしいけれど、映画でも観る機会が増えそう。


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