『ハクソー・リッジ』



アカデミー賞で編集賞と録音賞を受賞。作品賞、監督賞、主演男優賞などノミネート。
監督はメル・ギブソン。主演はアンドリュー・ガーフィールド。

公開前には戦争描写がだいぶゴア要素が強いらしいという話しか入ってこなかったけれど、沖縄戦が舞台だった。浦添市が公開一週間くらい前に情報を出していて初めて知りました。
あくまでも主人公の生き様を描く映画であり、舞台になったのがたまたま沖縄だっただけとか、日本兵が殺されるシーンがあるからなど、沖縄戦ということが伏せられた理由は考えられるけれど、沖縄が舞台ということで逆に興味を持つ人もいただろうし、宣伝の前面に押し出しても良かったのではないかとすら思う。
アメリカ軍側から描いているから日本は敵ではあるけれど、『アンブロークン』のような感じには悪者ではない。けれど、『アンブロークン』など公開までだいぶ遅かったし小さいスクリーンでほんの短い期間しかやらなかったことを考えると、伏せないと大きなスクリーンで流せなかったのかもしれない。

軍隊入りを志願したが、キリスト教徒のため人が殺せないから武器を持たずに戦争へ行った男の実話。

以下、ネタバレです。









戦争シーンの話ばかりが入ってきたのでほぼ全部のシーンが戦っているシーンなのかと思っていたけれど、前半は主人公デズモンドが入隊を志願するまでと入隊し訓練を受けるシーン、後半はハクソー・リッジでの戦争シーンをがっつりという感じだった。

アンドリュー・ガーフィールドについて、そこまで演技の上手い俳優という印象はなかったけれど、前半と後半で全く表情が変わり、まるで別人のようになっていて驚いた。
前半はややぽやぽやしたおぼっちゃんのようで、にこにこしていて人柄の良さがよく出ていた。一目惚れから急速に恋に落ちて結婚するまでの思い込んだら一直線の様子は、後半で出てくる彼の信念の強さを示唆していたのかもしれない。映画では病院で会うけれど、実際は教会だったらしい。

後半というか入隊してからは表情がきりっと引き締まっていた。実際に痩せたのかもしれない。
信念を曲げないというと厳しい人かとも思われるけれど、前半で見せた優しさはちゃんと残っていて、アンドリュー・ガーフィールドの甘めのルックスとよく合った役だと思った。

デズモンドはキリスト教の『汝、殺す勿れ』という教えに基づき、訓練でも銃を持つのを拒否する。
アメリカでは宗教上の信念を理由に戦争に参加しない者を良心的兵役拒否者と呼び、認められていたらしい。
けれど、デズモンドは殺したくはないが、戦場へは行きたかった。衛生兵として、戦場で仲間を助けたかった。だから、銃は持ちたくないけれど、除隊はしたくない。もちろん、刑務所にも入りたくない。

この映画のポスターには、『世界一の臆病者が、英雄になった理由とは』と書いてある。
しかし、映画内で、デズモンドは仲間や上官などから散々臆病者と言われていたが否定していた。それを、観ている側(宣伝もこちら側だと思っている)くらいは信用してあげようよと思った。味方になってあげようよ。宣伝までもが彼のことを臆病とか言っちゃったらだめでしょ。
それに、本作は臆病者が勇気を出すとかなんとかして英雄になるなんて話ではない。そもそも臆病者ではなく、もともと彼は強い。それは、後半の戦場シーンを観ればわかることだ。観ていたら絶対に彼のことを臆病者なんて書けないはずだ。

日常、軍隊での訓練と一応順を追うが、急に戦争シーンが始まる。
入隊してから、デズモンドは銃を持つことを拒否し、観ている私も認めてやってくれと思っていて、無事に認めてもらえた時は良かったね…と穏やかな気持ちになっていた。
けれど、戦争の中にいざ放り込まれると、本当に武器なしで大丈夫なの?と焦ってしまった。

どんなものを想像していたのかと言われそうだけれど、思っていたよりも戦場は厳しい場所だった。
耳をつんざくような銃声は止まない。足元には遺体がごろごろ転がっている。その遺体は内臓が内臓が飛び出しているものもあれば、人体の一部が欠損しているものもある。ハエがたかっているものやねずみが食っているものもある。
ハクソー・リッジを登る前に、地図と実際の地形の違いを説明する先行部隊が嘔吐していたけれど、あの様子を思い出してのことだったのだろうし、観る私たちへの覚悟しろという警告とか予告のようなものだったのだろう。

ライフルだけでは間に合わず、重火器で焼き払っても、日本兵はわらわらと飛び込んでくる。あまりの厳しさに夜間に一度撤退することになるが、デズモンドは助けてくれという声を聞いて、一人残って救助をする。あと一人あと一人と言っていたがキリがない。
もやい結びで一人一人、崖の下に下ろしていったのも実話らしい。手は当然ロープで擦り切れている。

撮り方もあるのかもしれないけれど、戦地の只中に置かれたようで怖い。主人公というか、共感する相手が、武器を持っていないほうが、まるでそこに自分もいるようなリアリティがある。

夜だから、どこから敵が攻めてくるかわかりにくい。ジャン!という大きな音とにゅっと人が出てくるようなびっくり演出が二回ほどあって、びくっとしてしまった。やめてほしい…。

周囲が明るくなって、彼自身も撤退した時には心底ほっとした。自分も戦場から逃れられたようだった。

けれど、すぐにまたあの地獄のような場所に戻ることになって愕然とする。当たり前だけど、陥落してないから、生きている者はまた戻っていくのだ。厳しすぎてげんなりする。

それでもそんな中で、デズモンドが夜間にせっせと運んで救われた人が多数いる。もちろん放って置かれたら死んでいたことが濃厚な兵士たちだ。だから、最初は銃を持たないなんて臆病だと罵っていた兵士たちも、銃を持たずに人を助けたいとかバカ言うな戦場だぞと信じていなかった上官たちもデズモンドのことを認める。
実際に救われた人々を見れば認めざるを得ない。
だから、他の兵士たちが信心深くなくても、戦場に行く前のデズモンドの祈りが終わるのを待っている。あの極限状態で人をあれだけ救ったのだから、天使か神様のように思えただろうし、再び戦場に行く際には守護神のような存在として連れて行きたかっただろう。

キリスト教的な話だし、立派な人の半生を描いているということから、なんとなくクリント・イーストウッド風味を感じた。
しかし、過酷な戦場をぎりぎりまで過酷に描くのはメル・ギブソンだなという感じもする。
前半のデズモンドのかたくなさと優しさを描くことも必要だし、そんな彼があんな状況の中で武器を持たず人を救ったという説得力を持たせるために後半を厳しく描かれなければならなかったのだろう。ゴア描写が過剰なのは仕方ないと思う。

デズモンドのような少し変わっているが立派な人の話が今まで映画化されなかったのは、デズモンド自身が映画化を拒んでいたかららしい。1945年、終戦の年に名誉勲章を大統領から授かったらしいが、その後何年も静かに暮らしたというのはなんとなく穏やかな彼の人柄が見えるようだ。承認を与えたのは2006年に亡くなる数年前だったらしい。

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