『怪物はささやく』



原作はイギリスのベストセラー小説『A Monster Calls』。一応ジュブナイルもののようです。
原案シヴォーン・ダウド、原作パトリック・ネスとなっているのは、シヴォーン・ダウドが乳がんで執筆途中に亡くなっており、パトリック・ネスがそれを引き継いだとのこと。
監督は『永遠のこどもたち』『インポッシブル』のJ・A・バヨナ。

以下、ネタバレです。








最初にフェリシティ・ジョーンズとシガニー・ウィーバーの名前が出て、フェリシティが姉かな?と思ったら、母親役だった。でも。若い母親という役どころだったのでいいらしい。

家にいる母親は病気で、学校ではいじめられて…ということで、主人公コナーには心を落ち着ける場所がない。彼は空想するのが好きなようだった。だから、怪物が出てくるということを聞いても、彼の空想上のものなのだろうと思っていた。白昼夢か実際の夢なのかはわからないけれど、実在しない、彼の心の中だけにいるその怪物の力を借りて、いじめっこに復讐をしたり、つらい現実を乗り切るのだろうと思っていた。

怪物というと悪い奴のイメージだけれど、映画に出てくる怪物は直接被害は加えない。姿形は恐ろしいし、威圧的ではあるけれど。大きな木が動き出したものである。
彼は三つの話をするから、最後にお前が物語を話せという。この望みもなかなか特殊だと思う。

怪物の話す物語は、アニメというかCGというか、実写ではなくなっておもしろい。もしかしたら、本作はほぼ怪物の話すストーリーでできていて、半分はアニメだったりするのかなとも思ったけれど、そうではなかった。

怪物のボイスのキャストがリーアム・ニーソンなんですが、彼の声がとてもいい。物語を話す口調が落ち着いていて、包み込むようで。コナーも怪物の話に「なぜ?」などと相槌を打っていて、夢中で聞いているようだった。もしかしたら、唯一落ち着ける場所を見つけたのかもしれない。
母親も病気だったし、誰かから読み聞かせてもらうことも初めてだったのかもしれない。

怪物の話す物語は、そのアニメイラストも相まって幻想的だったが、内容は考えさせられるものだった。誰が悪いかは一概に言えないもの、矛盾しているようでも世界はそうゆうものだと思わされるもの。
一般的なジュブナイル文学がそうであるように、少年は物語を聞いて、その上体感して、ひとまわり成長したようだった。

そして四つ目のコナーが話す物語である。心の奥底は悪夢となって現れていたようだ。コナーは悪夢の内容を話す。自分と向き合って、本当に思っていたことを認める。
本当は母親が長くは生きられないことがわかっていて、その日を待つのがつらいから、夢の中では母の手を離してしまった。殺したのは自分だと。
実際に殺したわけではもちろんないけれど、夢の中での行為が現実に影響を与えると思っていたようだし、手を離したいと一瞬でも考えてしまったことをずっと後悔しているようだった。

だから、父親にも祖母にも友達にも先生にも罰せられるのが当然だと思っていたし、罰してほしかったのだろう。罰せられることで、何か赦されると思っていたのかもしれない。

けれど、ずっとそんなことを考えてしまったことで悩んで、心の奥底にしまっておくよりも、逃げずにいっそ吐き出して、認めてしまった方が楽にはなるし、死を受け止める覚悟もできる。

結局、怪物ってなんだったの?というのは明らかにはされない。少年を成長させるために、少年が作り出した空想の産物? つらい現実を乗り切るためのシェルター? もちろんその一面もあるのだとは思うが、エピローグを見ていると、もっと不思議な事実がありそうだった。

はっきりとは示されないし、ここからは私の想像でしかない。ちょっと気になったのは、コナーの祖父は写真でしか出てこないけれど、これがリーアム・ニーソンなんですよね。写真はちらっとしか出ないし、ただ単に、怪物の声がリーアム・ニーソンだから姿もちょっとだけ見せちゃうよ、というファン向けサービス精神なのかもしれない。けれど、考えすぎなのかもしれないけれど、祖父がリーアム・ニーソンというのがヒントであるとしたら。

祖父…、病気のコナーの母親の父ですが、彼もはやくに亡くなっているようだった。コナーが幼い頃のビデオには、祖母向けのメッセージしかなかったので、もしかしたらコナーが生まれる前に亡くなっているのかもしれない。

コナーの母親は美大に行くのを諦めてコナーを産んだらしいので、その前に亡くなっているとなると、もしかしたら十代で父親を亡くしたのかも。
コナーが母親を亡くすのが13歳。母親も同じ年齢のあたりで父親を亡くしていて、コナーとまったく同じ気持ちになったことが考えられる。

コナーの母親は美大には行けなかったけれど、水彩画が好きで、コナーにも教えていた。ラスト付近では、彼女の昔のスケッチブックが出てくるが、そこには怪物が話してくれた物語に出てきた王妃や、調合師が描かれている。
ここで、コナーが最初に怪物に目を覆われた時に、水彩画が見えると言ったことや、怪物の話す物語が実写ではなくアニメ調だった理由もわかった。

ということは、怪物はコナーの空想の産物ではなく、もっと不思議な力が働いていたのだろう。それか、小さい頃に母親から読み聞かせてもらった物語をコナーがすっかり忘れてしまっていたのかもしれない。

コナーの母親は父(コナーの祖父)と仲が良さそうだった。写真でも、まだ小さい母親が父親に抱きついていたし、父から譲り受けた『キングコング』をコナーと一緒に観ていた。『キングコング』はイラストもスケッチブックに描いてあった。

そして、スケッチブックには、小さい女の子とあの怪物が一緒に描かれている。女の子は怪物の肩に座っていて、仲が良さそうだった。女の子はコナーの母親だろう。祖父役がリーアム・ニーソン、怪物の声がリーアム・ニーソンということは、怪物は祖父なのではないだろうか。

だから、もしかしたら、コナーが忘れてしまった、かつて母親に聞いた物語は、母親が父親(コナーの祖父)から聞いた物語だったのかもしれない。それを聞いて、スケッチブックにイラストを描いたのかもしれない。
祖父役なのは本当にカメオで、リーアム・ニーソンが一致しているのは関係なく、イラストもストーリーも母親作の可能性もある。
原案のシヴォーン・ダウドが作家であることを考えると、彼女の自伝的な意味合いもこめられた作品でもあるなら母親作だろうか。

母親は亡くなる前にコナーに「100年一緒にいられたらいいのに」と言っていた。病気でなくてもそれは無理な話だ。でも、物語を受け継いでいくことで、もしかしたらそれは可能になるのかもしれない。



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