『LOGAN/ローガン』



『X-MEN』のキャラクター、ウルヴァリンのスピンオフ作品。また、ヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリンの最後の作品となる。最初の『X-MEN』が2000年なので実に17年である。

監督は『ウルヴァリン:SAMURAI』のジェームズ・マンゴールド。『ウルヴァリン:SAMURAI』はあまり好きではなかったけれど、本作は素晴らしかったです。
以下、ネタバレです。



原作は『Old Man Logan』。映画を観る前に売店でこのコミックスが売っていて、表紙のローガンがタイトル通り老いて見えたが、実際の映画でも初老だった。

2029年が舞台だが、ローガンはリムジンの運転手をしているが、どうやら寝泊りもその車の中で家もないようだった。瓶から直接酒を飲み、そのまま運転をするなどかなり荒れている。
また、刺青の入った医者から薬を受け取っていた。体調も悪そうだし、荒廃しきっている。

その薬もドラッグなのではないか、ローガンはアルコール中毒でドラッグ中毒なのか?と思いながら観ていたら、それはチャールズあての薬だった。
けれど、ホッともしてられないのは、チャールズのほうこそ年老いていて、痴呆気味で力を操れない。危険だから光の射さない巨大なタンクの中に閉じ込められている。

予習のつもりで前日に『X-MEN:フューチャー&パスト』を観ていたのだが、だいぶ雰囲気が違う。二人から精気が感じられない。衰退が感じられる。それに、『フューチャー&パスト』ではほかのミュータントも多数出てきてワイワイしていた。危機を迎えていても死ぬときは一緒だというか、戦うのにも協力していた。
『X-MEN』といえば、シリーズ通してそのイメージだ。互いの得意な能力で補いながら敵をやっつける。
しかし、『ローガン』の世界ではミュータントは絶滅寸前。しかも二人とも衰退している。お手伝いとしてキャリバンもいるが、彼も早々に離脱してしまう。

キャリバンを演じたのがスティーブン・マーチャントで驚いた。ローガンは金を貯めて船を買い、海上でチャールズと暮らそうとしていたようだ。おそらく、それで静かに死んでいこうとしたのだろう。キャリバンは太陽の光に弱いため、そこにもついていけない。
また序盤で敵側に捕まってしまう。自爆でローガンたちの危機を救うけれど、ローガンたちはそれを知らない。
死んだ後も遺伝子を採取されていたようだった。もしかしたら最後にヴィランとして出てくるのかと思ったけれどそれはなかった。
スティーブン・マーチャントだし、出番としてもう一声欲しかったけれど、もう一声あったところで結局かわいそうな役どころだったと思う。

それに、かつての仲間がヴィランとして大復活というような派手なシーンは本作にはない。もちろん、キャリバンがひっそり自爆しても、仰々しくローガンを助けに来る展開もない(途中で離脱した仲間は後半で助けにくる法則)。チャールズの危機にエリックが助けに来ることもない。エリックなんて話にも出てこない。
もっと、渋くて重くて、じっくりと腰を据えて観る作品なのだ。

だから、『X-MEN』シリーズ恒例だけれど、最初のロゴマークでFOXのXだけが印象的に残る効果も今回はなかった。そうゆう映画ではないのだ。

一番派手だったのは、チャールズの能力が暴走したシーンかもしれない。画面の揺れのせいか、音のせいか、4DXでは観ていないのに、鑑賞しているだけでもダメージが与えられて、静まると心底ホッとした。

ヒュー・ジャックマンとパトリック・スチュワートがうまいのはもちろんだけれど、少女、ローラ役のダフネ・キーンの演技も素晴らしかった。
研究所でウルヴァリンの遺伝子から作られた少女で、同じように爪を出せる。喋らないが、凶暴で、瞳はつねに周囲を威嚇しているようだった。

ストーリーはほとんどロードムービーである。コミックスに描いてある、本当に存在するのかわからないEDENというローラが研究所で一緒だった子供たちがいる場所を目指す。
目的地は存在するのかわからないし、研究所の人間は追いかけてくるし、幸せなロードムービーではない。

中盤、逃亡ロードムービーでは定番の一般家庭を巻き込んでしまうシーンがある。荒んだ心の三人が困っている農家の三人を助け、家に招待してもらう。けれど、そこに追っ手が来てしまう。

チャールズはこんな楽しい夜は久しぶりだと言っていた。そりゃそうだ。外も見えない、陽も射さないタンクの中に一人きりで、一体どれくらい長い間か閉じ込められていたのだろう。
けれどその直後、チャールズはウルヴァリンのクローンに殺されてしまう。

ローガンも束の間だけれど普通の家庭を味わえたのだろうか。娘(ローラ)と父親(チャールズ)と一緒にいる気持ちになって、少しでも安らぎを得ただろうか。
しかし、最後には農家の父親に銃を向けられる。彼らのせいで息子と妻が殺されたのだ。また一つ恨みを向けられる。

チャールズが死に、見ず知らずの優しい家族が殺され、恨まれる。
ローガンが、これもローラのせいだと思っても仕方がないだろう。ローラもローラで子供らしい面もないから、二人はベタベタした関係にはならない。笑顔もない。
そもそもローガンは、一人で(それかチャールズを看取ってから?)静かに死んでいこうと思っていたはずだ。それなのに巻き込まれたような形である。

でも、ローラが悪くないこともわかっているし、自分の遺伝子が使われているから娘のようなものである。それに、自分と似たところがあることもよくわかっていたはずだ。だから、ベタベタしていなくても、確実に絆は生まれていた。

終盤でローガンが「愛した人は全員傷つく」と言うと、それにローラは「じゃあ、私は安心ね!」と怒ったように返していた。
間接的に私のことは愛してくれないんでしょ?と伝えたような形で、ここでこの子がさみしかったのだと気づいた。

EDENとして示されていた場所に、子供たちは集団で暮らしていた。ローガンの髭をハサミで切ってくすくす笑うなど、子供らしい面もあった。それがウルヴァリンカットなのが泣ける。ローラだけではない。子供たちにとって憧れのヒーローだ。

ミュータントとしての特殊能力も望んではいないものだと思う。けれど、子供たちはそれを使って追っ手を殺していた。劇中に『シェーン』の一部が出てきて、「いいことであっても、人を殺せば一生つきまとう」というようなセリフが印象的に使われている。
ローガンはそれでずっと苦しんだのだろうし、子供たちもこの先それで傷付くのだろう。

ローガンとローラの悪夢についてのやりとりもあった。ローラは傷つけられる夢を見ると言い、ローガンは傷つける夢を見ると言う。どちらも同じく胸が痛むのだろうし、ローラや他の子供達が見る悪夢も、次第に傷つける側に変わるのかもしれない。

この映画の予告編でナイン・インチ・ネイルズの『Hurt』のカヴァー版が使われていた。予告編を見たときにはなぜカヴァーのほうなのだろうと思ったけれど、映画を観ると、なるほど、ジョニー・キャッシュが70歳で歌ったカヴァー版のほうが合っている。

ナイン・インチ・ネイルズが1994年にリリースしたアルバム『The Downward Spiral』に収録されている曲である。この時、歌ったトレント・レズナーは29歳。ドラッグやアルコールに溺れていて、自傷行為などについて歌われた曲とも言われていた。

それはそれで恰好いいけれど、70歳のジョニー・キャッシュが歌うと、人生を振り返るような内容とも聞こえてくる。痛みは鋭利なものではなく、体に染みていく。
ジョニー・キャッシュは『Hurt』を歌った翌年に亡くなったらしい。
痛みを抱えて死ぬというのは映画の内容やイメージと合っている。
ジョニー・キャッシュはエンディングにも『The Man Comes Around』が使われている。

ラストで、ローラが墓標の十字架を斜めに傾ける。エックスだ!
ここで初めてエックスの文字が出てくる。最初のロゴが光らないのは、ここで初めて出すという意味もあったと思う。

ローラは墓を離れがたそうに見ながらも、他の子供たちについていく。
ここでずっと泣いているわけにもいかない。親を弔うことも許されない過酷な状況。未来は明るいとは思えない。でも、完全に希望がなくなってしまったわけではない。

映画が終わった後、椅子から立つのも一苦労だった。ずしんと重い。それを感じていたのは私だけではないようで、明かりがついて映画館を出る時の雰囲気がいつも映画を見終わった後のものとは違っていた。
一人で観に来ている人が多かったせいもあるかもしれないが、ほとんど喋り声は聞こえてこない。それぞれがそれぞれの想いを胸にしっかりと焼き付けているかのようだった。
これを感じるために映画館へ観に行ってるのだと思えるような雰囲気だった。

観終わったあと、本作のポスターを観ても、キャッチコピーを観ても思い出し泣きしそうになった。観ている間は号泣はしなかったが、少し時間が経つとじわじわと押し寄せてくる感情がある。しばらくローガンのことを考えてしまう。



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