『デトロイト』



1967年に起こったデトロイト暴動を描いた実話。この時代の黒人が受けていた差別的な抑圧などは映画の冒頭でざっと説明される。
監督はキャスリン・ビグロー。彼女の過去作『ハート・ロッカー』、『ゼロ・ダーク・サーティ』と同じくドキュメンタリー調というか、騒動の渦中に連れて行かれたような作りになっていた。

出演は、ジョン・ボイエガ、アンソニー・マッキー、ウィル・ポールター、ジャック・レイナーなど。

以下、ネタバレです。









暴動三日目にモーテルで起きた騒動を中心に描かれる。
モーテルからおもちゃの銃で外に向かって発砲したところ、本当の狙撃だと思ったデトロイト市警の白人警官が押し入ってくる。

白人警官の一人が『シング・ストリート』のお兄さん役だったジャック・レイナーだったんですが、本編中は気づかなかった。『フリー・ファイアー』でもまったく違う役を演じていて気づかなかった。カメレオン俳優なのかもしれない。

白人警官のリーダー格というか一番暴力的な警官にウィル・ポールター。暴力警官役だとは聞いていたので人を殴りまくるのかと思っていたがもっと姑息な奴だった。ただ、序盤から逃げる黒人を後ろから撃って上司に怒られ、まったく気にせず他の黒人も撃って側にナイフを置いて正当防衛を装うなど卑劣。

モーテルのまったく関係のない客たちに対しても銃を突きつけて脅したり、殴ったりと人を人とも思わない行動をとっていた。

ほぼリアルタイムで進んでいくので、最近増えてきた形式の三幕構成ではない作りなのかと思っていた。『MAD MAX 怒りのデス・ロード』『ダンケルク』『新感染』のような、全編ずっと緊張感が続くタイプです。

ただ、緊張感は続いても、本作では他の映画のように極限状態から逃げ出すことはできない。壁に向かって手を上にあげているだけだ。逃げるどころか、抵抗すらできない。そんな無抵抗な黒人たちを脅しながら尋問する。

脅すつもりだったところを本当に撃って殺してしまい、白人警官たちは焦って黒人たちを解放する。
地獄の終わり。ここで映画も終わるのかと思っていた。

この後、ジョン・ボイエガ演じる警備員に罪が着せられて逮捕されてしまう。警備員はモーテルの客ではなかったから現場で脅されてはいなかったけれど、銃は持っていたのだ。何を言っても黒人であるがゆえに聞いてもらえない。

こんな後日談はひどすぎると思っていたら、リーダー格以外の白人警官が上司に自供する。良かった、とほっとしたのもつかの間、裁判では三人は無罪になる。これも、裁判官などが白人だったせいもあるのではないかと勘ぐってしまう。

解放されてほっとしたものの、地獄は終わっていない。日常的に続いている。
緊迫したモーテルのシーンの後に裁判を入れるのは、最近の流行りの構成を考えるとわざわざという感じがしてしまった。でも、普通なら、わざわざ入れるならば、暴力白人警官たちが有罪になるとか、観客にカタルシスを与える要素がありそうなものである。
しかし、これは実話なのだ。後味は悪くとも、キャスリン・ビグローは怒りを持って描いている。

また、デビュー前のドラマティックスのボーカル、ラリーはモーテルでの一件で白人に怒りを覚え、しかもトラウマまで植えつけられていたようだった。白人のための音楽を作るのは嫌だ、店で歌うのは嫌だと言って、グループには戻らず、教会の聖歌隊に入っていた。序盤で、一番デビューを熱望していたのは彼だったことを考えると悲しい。解放されてめでたしめでたしではない。一人の人物を変えてしまった。

映画を観ていて白人警官に怒りしか感じないのだが、中でもウィル・ポールター演じるリーダー格の警官は本当にひどかった。自分のことを常に正当化し、悪気すら感じていない。
ただ、ウィル・ポールター自体が好きな俳優なので、憎たらしいとは思いつつも、演技うまさに惚れ惚れしてしまった。彼は『IT』のペニーワイズ役の候補でもあったらしいけれど、笑うときに両方の口角がきゅっと上がっていて、まさにあの微笑みになっていた。
最近だと『メイズ・ランナー』で悪役というか悪い役、ひどい役を演じていたけれど、久しぶりに『なんちゃって家族』みたいなコメディにも出て欲しい。
また、身長が高い印象のあるキャスリン・ビグローと並んでいても更に高くて、調べてみたところ188センチもあるらしい。あの童顔でむちっとした体型なのに188センチというのは意外だった。この先も注目していきたい。



2017年公開。韓国では2016年公開。
走る電車の中にゾンビが紛れ込んでいて…というストーリーなので、タイトルは新幹線とかけたダジャレかと思いますが、不評だったのか場所によっては『新 感染』とスペースの空いた書かれ方をしている。原題は“釜山行き”、英語のタイトルも“Train to Busan”。

タイトルがダジャレだとただのB級パニックムービーなのかと思われそうですが、それだけではなく人間ドラマもしっかりと描かれていて面白かった。アメリカでのリメイクも決まっているらしい。

仕事優先の父とそんな父に不満を持つ娘が、おそらく夫に愛想をつかして出て行った妻に会いに行こうと釜山行きの電車に乗り込む。
一応この父親のソグが主人公だけれど、乗り合わせた高齢の姉妹や野球部の子たちなども描かれ、群像劇になっている。

また、ソグの娘スアンがトイレに入ろうとすると、ガラの悪そうな体格のいい男が「お嬢ちゃん、ここは二人入ってるから時間がかかる。別のトイレに行ってくれ」と言っていて、電車の中で売春でもやっているのかと思ったら、トイレから出てきたのは妊婦の妻だった。なるほど、二人…。見た目で判断してしまった。けれど、この男、サンファがとても真っ当でいい男だった。

電車の発車直前に明らかに状態のおかしい女性がふらふらになりながら乗り込んでくる。こいつがゾンビ化するのだろうなと思う。
ちなみに作品中でゾンビとは言われていなくて、謎の何かに感染しているという状態である。ただ、一度死んだあとで凶暴化し、生きている人間に噛み付いて、その人間がまた感染し……というルールなので、ゾンビととらえていいと思う。また、ゾンビルールとして、この作品のヤツらは走ります。

かなり序盤でその状態のおかしい女性は発症する。電車の中なので逃げ場もなく、人もたくさんいるので、最序盤で電車内にゾンビ大量発生が起こる。
こんなのどうしようもないけどどうするのだろうと思っていたら、車両をつなぐ扉を閉めると開け方がわからないというルールと、見えないと襲ってこないというルールが加えられる。

ゾンビとの戦いという極限状態の中で、人間性が見えてくる。サンファが妊婦の妻のことをとにかく第一に考えつつ、他の人間にも気を配っているのに対して、ソグは娘のスアンのことを考えつつもあくまでも自分と娘優先である。高齢者に席をゆずった娘に対して、「まずは自分の体力を温存しなきゃだめ」と諭したりする。スアンはこんな父親の元でもすごくまっすぐないい子に育っていた。父親の元というか、父親に育てられていないからかもしれない。

また、もしかしたらサンファだって、妻が妊娠する前はこんなに人に気を配れる人間ではなかったかもしれないとも考えた。この辺の説明はないのでわかりませんが、妊娠を機に変わったのではないかと思う。
サグについても出て行った妻のことは詳細には描かれないし、妻は出てくることもないけれど、人物像は想像できて、人物描写がうまいと思った。

走り続ける電車内にゾンビがいるというのはスリリングではあるけれど、ちゃんと場面の転換もある。途中駅で下車をして待っている軍隊に助けてもらおうとする。結局電車に逆戻りをすることになってしまう。しかも、戻った時には生存者が違う車両に分断されている。

別の生存者のところへどう向かうかというところで、トンネル内で暗くなるとゾンビの目が利かなくなるというルールが付加される。
ソグ、サンファ、野球部の男子、危ない目に遭いながらも逃げてきた男(『ダンケルク』の謎の英国兵的なポジション)が別の生存者の元へ向かっていくんですが、途中、ゾンビになってしまった野球部員たちに出くわす。
かつての仲間たちがゾンビになってしまった時に殺すことができるか?というのはゾンビ物に必ず入れて欲しい哀愁のあるエピソードである。本作でもやはり殺せずに躊躇しているんですが、途中でトンネルに入ったことで殺さずに逃げることで回避することができてよかった。

向かっていく時に、サンファは体格がいいと思っていたけれど、腕っ節も強くて本当に頼りになる男だった。自分のことしか考えないソグに厳しい言葉を浴びせかけて、二人は険悪になったりもするけれど、お互いに嫌なやつではないのはわかっていて、良いライバルのようになっていた。

しかし、生存者の中でも、彼ら四人と妊婦の妻や娘など仲間以外の人間は、ゾンビの中を越えてきた彼らが感染しているのではないかと疑い、隔離を促す。結局、ゾンビだけでなく、生存者も敵になってしまった。その中でサンファはみんなを逃がすために自分が犠牲になるという本当に恰好いい死に方をする。

このあたりから主要メンバーもばたばたと倒れ始め、一体誰が生き残るんだろうと考えながら観始めた。
映画だと悪い奴は残酷な死に方をする法則というのがあると思う。
生存者の中に自分だけが生き残れば他の人間はどうなってもいいと考えるような本当にどうしようもない人間がいた。ソグたちを隔離しようと言い出したのもこいつだし、自分を助けるために奮闘した乗務員や、電車を降りてきてまで救おうとした運転士を犠牲にして自分は生き残るなど、本当にとんでもなかった。しかもわりと終盤まで生き残る。さぞ残酷な死に方をするのだろうと思っていた。けれど、正気を失いながら、ほぼ感染しているのに「家に連れて行ってほしい。お母さんに会いたい」とか「怖かったんだ」とか弱音を吐き始める。ヘイトをためるだけためてから、こいつも根っからの悪人ではないんですよ、許してあげてねというのを見せるのはなかなかずるい。でもこの描き方は嫌いではないです。

一方ソグですが、彼も最初は娘以外のことは考えていなかったし、電車に乗る前は娘のことすら考えていなかったと思う。けれども、この騒動の中で考えを改めているようだったし、娘と共に命からがら釜山まで着いて、娘と妻と三人で仲良く暮らしていくのだろうと思っていた。
しかし、途中で彼が株を操作して救った会社がこのゾンビ騒動の原因だったということがわかる。直接ではないにしても、間接的に原因を作っていたのがソグだったのだ。しかも、家庭を顧みずにしていた仕事は真っ当とは言えないものだった。
この事実が判明して、それならソグもきっと死んでしまうのだろうと思った。実際に死んでしまいました。
物語の中で人が死ぬのって報いとか罰みたいなものだと思っていた。家族を大切にすることにしたのだからそれで罰は免れただろうと思ったけれど、それでは足りなかったらしい。
死ぬ直前でソグは、スアンが生まれてきた時のことを思い出す。赤ちゃんを抱っこしているソグは優しそうで幸せそうな顔をしていて泣けた。おそらく道を誤ったのはその後なのだろう。
それにしても、群像劇だから厳密には違うとは思うけれど、ソグが主人公的な立場だと思っていたので結構厳しいなと思ってしまった。

結局生き残ったのはサンファの妻とスアンである。ゾンビか生存者かわからなくて軍隊に撃たれそうになるが、生存者だと示される方法が、スアンが父のために練習したという歌を歌いながら歩いていたからというのも泣けた。

電車が舞台のゾンビ物というのも面白いし、ゾンビルールやゾンビ物特有の哀愁もしっかり取り入れてあってよかった。ゾンビ映画としても優秀だと思うけれど、その実、しっかり人間ドラマにもなっていた。

また、韓国映画をあまり観ないため、別の映画で人物の区別がつかなくて、死んだと思っていた人が別の人物で、話がまったく理解できないということがあった。吹替だったり知っている俳優が出ていればこのようなことはなかったと思う。
今回もそれが不安でしたが、主人公は細身のイケメンスーツ(大沢たかおに似ている)、ソンファは体格が良く服装も奇抜、野球部員は全員ユニフォーム、高齢姉妹も外見が特殊である。乗務員たちも制服を着ているし、軍隊も軍服を着ている。
登場人物が多い割に属性ごとに服装がちゃんと違っていたので混乱することなく観られた。

あと、やはり最近の流行りなのかもしれないけれど、これもいわゆる三幕構成とか起承転結ものではない。ひたすらサバイバル、一難去ってまた一難の連続である。
ちなみにリバイバルで観たんですが、同時上映が『ダンケルク』で、なるほど、構成は似ているし、やはり『ダンケルク』は戦争映画というよりもはらはらするスリラー映画だと思った。



タイトルからも分かる通り『パディントン』の続編ですが、直接的な続きではないから本作からでも観られます。
ちょっとこれだけよくできた話は観たことないです。思わず唸りました。完璧だった。
元々が絵本だから子供から大人まで楽しめるし、普遍的なメッセージも含まれているし、かといって難しかったり説教くさかったりはしない。
103分という上映時間もちょうどいい。
パディントン自体が可愛いというのは前提の前提、大前提です。

以下、ネタバレです。









今回のキーアイテムである、序盤に出てくる飛び出す絵本のシーンから泣いてしまった。
ロンドンの街並みを描いた飛び出す絵本を、ロンドンに来ることができないルーシーおばさんの誕生日にプレゼントしたいと思うパディントン。
開いた飛び出す絵本の世界をパディントンがルーシーおばさんを案内してあげるシーンがとても美しい。鮮やかに世界が展開するし、パディントンの優しさも伝わってくる。
この飛び出す絵本のシーンは前作でも入れようとしていたらしい。予算の都合で削られてしまったらしい。

今回は、人に親切にしようという、とても真っ当なメッセージが込められている。
パディントンは親切を惜しまない。そうすると、周りも親切に接してくれる。
朝にパディントンが家を出て、近所の人々と交流するシーンもいい。通勤をする女性の後ろに乗せてもらって朝食のパンを分けてあげたり、よく鍵を持ち忘れる男性に声をかけたり、ゴミ収集車の男性の勉強に付き合ってあげたりと、たぶん毎朝かわされているコミュニケーションが流れるように映し出される。
これだけで、パディントンが周囲に愛されているのがわかる。それだけでなく、パディントンも周囲の人々を愛している。

前作から、ペルーからやってきたパディントンは移民として描かれている。ペルーから来たというだけではなく、熊である。
今回も近所のカリーさん(12代目ドクターのピーター・カパルディ。意地悪顔なんだ…)は、熊というだけでパディントンを差別するが、ブラウンさんは「もっと本質を見ろ!」と叱責する。ブラウンさんは前作ではどちらかというと堅物でカリーさん側の部分もあったけれど、今作では最初からパディントンの味方です。まだ柔軟性は足りないですが。

パディントンと仲の良い近所の人たちも、いわゆるイギリスの白人ではなく、移民のような人々が多いのも印象的だった。
でも、移民云々のメッセージは前作のほうが強かったと思う。
今作は本当に、もっと単純に人に優しくしようということがテーマだ。

パディントンは飛び出す絵本を盗んだ容疑で刑務所に入れられてしまう。
そこでも、パディントンは囚人に親切にして、刑務所を優しい世界に変えてしまう。その一方で、パディントンがいなくなってしまった近所の人たちはギスギスしてしまっていたけれど。
また、洗濯係になったパディントンは、赤い靴下と囚人服を一緒に洗ってしまい、囚人服をうっすらピンクに染めてしまう。このようなパディントンのドジっ子要素も映画の中でくすっとくる楽しいシーンなのですが、このピンクの囚人服は、刑務所の殺伐とした雰囲気を和らげている。もちろんパディントンがそれを狙ったわけではないけれど。
強面の囚人たちがピンクの服を着ているのも可愛いのですが、みんなで料理を作ろうということになって、作れる料理がお菓子ばっかりで、テーブルクロスもチェックでほんわかしたところにこの囚人服が似合う。まるでカフェのようです。

赤い靴下を混ぜて洗っちゃうというシーンはただのコメディーリリーフなのかと思っていたら、その先に刑務所内の雰囲気がパディントンのおかげで変わった時にピンクの囚人服のほうがちゃんと合うのである。もしかして伏線だったのかなと思ってしまった。

この先、パディントンが刑務所を脱獄して、最序盤に出てきた耳に隠していたコインを出して電話をする。あのコインをここで使うのか!とびっくりしたんですが、この先に怒涛の伏線回収がある。

トレイン・チェイスのシーンはアクションも素晴らしかったんですが、ピンチに陥るたびに伏線が鮮やかに回収されていく。ブラウンさんのココナッツ投げとか、一緒に脱獄したあいつらが助けに来るとかは想像の範囲内だったのですが、それ伏線だったの?というところまで回収していくから驚く。

弟のSLオタク、ブラウンさんのヨガの心を開けば足も開く、トランクの中に入っている窓拭きのはしご、メアリーがフランスに泳いで渡るためにスイミングをしていること、りんご飴…。
ここまで映画を見てきて、なんてことないエピソードだと思っていたやつが全部伏線だった。物語が無駄にされていない。すべて丁寧に描かれていたのだ。

パディントンもブラウン一家もいいんですが、今作は何よりヒュー・グラントがとてもいい。
落ち目の俳優役である。その名もフェニックス(不死鳥)・ブキャナン。ヒュー・グラント自体が過去に活躍したイメージのある俳優だから合っている。それでも、『マダム・フローレンス!夢見るふたり』でゴールデングローブ賞や英国アカデミー賞などにノミネートされたのが挟まれているのが絶妙なタイミングだと思う。本当の落ち目ではない。
部屋に若い頃のヒュー・グラントの写真や、ヒュー・グラントの自画像がたくさん飾ってあるのもおもしろい。実際に絵は若い頃にファンから贈られもしたらしい。
劇中では、今は落ち目でドッグフードのCMにしか出ていないと言われていて、そのCM見たいな…と思っていたら、ちゃんと見せてくれるサービス精神も。

彼は本作の悪役ですが、それは序盤からわかる。誰かを探すドキドキではない。でも悪役といっても愛嬌がある男で、そこまで凶悪だったり残酷だったりはしない。
結局逮捕されても、捕まった新聞記事で終わったり、罰を受けてしょんぼりするのかと思いきや、刑務所内でミュージカルが上演されていた。
ブキャナンというキャラの懲りなさもあるけれど、キャラへの愛情が感じられる。悪役の扱いとして最高です。ハッピーな気持ちで終われるのがいい。そして、ここでもやはり囚人服がピンクなのが効果的なのだ。

エンドロールでは家族や囚人のその後の様子もちゃんとわかって、最後まで楽しませてくれる。いい映画を観たという満足感に浸れる。

カリプソで演奏している人たちも出てきたので、たぶん前作同様、ブラーのデーモン・アルバーン関連だと思う。以下、前作のときに調べたこと。
『元々はポール・キング監督の妻が『London Is The Place For Me』というカリプソのコンピレーション盤を気に入っていて、この音源を出しているレーベルHonest Jon'sの共同出資者であるブラーのフロントマン、デーモン・アルバーンに連絡をとったという。
そして、デーモンがミュージシャンを集め、D Lime feat. Tabago Crusoeというバンドを作ったらしい(デーモン自身は演奏には参加していません)』
今作でもTabago Crusoeという名前はエンドロールで確認したけれど、フューチャリングの方は違うかもしれない。

あと、パディントンを見ていると、声をあてているベン・ウィショーをところどころで思い出してしまい、余計に愛しくなってしまう。表情もだいぶベン・ウィショーから取られているらしい。
いわゆるアニメ向きの声とは違うんですが、丁寧で誠実な様子がとても合っている。人にいい印象を与える声です。(余談ですが、前作を吹替で観ましたが、松坂桃李さんの声も合っていました。同じタイプの声だと思う)



インド映画は少し苦手だったので躊躇していたのですが、あまりの口コミの勢いに押されて観に行った。ファンの声が大きい作品だと期待しすぎて白けてしまうこともあるのですが、期待以上だった。
2/21ともうすぐソフト化もされるようですが、アクション要素はもちろんなんですが、音楽がどれもこれも恰好いいので家のテレビで観るより映画館のほうがいいと思う。最初の曲から、鳴らされるドラムの音の響きで正解だったと思った。

前作は観ていないですが、5分でわかる前作『バーフバリ 伝説誕生』もYouTubeなどでも観られるし、劇場によっては本編前に上映される。
でも、時系列の関係から私は前作の映像は見ないほうが良かったと思う。本作は時系列では前作の過去であるということを知らなかったので、余計に混乱してしまった。

以下、ネタバレです。








最初の曲も良かったのですが、映像もめちゃくちゃ恰好いい。頭に火鉢を乗せたシヴァガミが儀式をしていて、足を止めてはいけないが象が暴れているというピンチ。そこに息子であるバーフバリが登場。
まず登場しただけで安心感がある。象相手でも建物を倒すなどしてやっつけてしまう。倒れた建物はシヴァガミの通る道だけを残す。
そして違う象は手なづけて、儀式も成功し、バーフバリは象の上に乗って象共々お祝い。
全体的に大げさであり、そんな馬鹿なという要素の連続なんですが、撮り方と画面の構図がいちいち恰好いいし、なんせ主人公のバーフバリの無敵加減が本当に恰好いい。最初の10分くらいだと思いますが、このシーンを観た時点ですでにバーフバリ!バーフバリ!と映画の中の民衆と一緒に称えたくなった。

バーフバリは王になる前に外の世界を見てきなさいとシヴァガミに言われ、従者のカッタッパと一緒に旅に出る。そこで出会ったクンタラの姫、デーヴァセーナに恋をするんですが、この出会いのシーンも素晴らしい。なかなかデーヴァセーナの顔が見えない中、舞う布がスーッと切られ、目の部分だけが見える。美しいし、これが運命の出会いなのがわかる。
この後、浮かれたバーフバリが浮かれたまま敵と戦うのも良かった。片手間でも大人数を相手に勝利する。
しかし、クンタラの中ではバーフバリとカッタッパは身分を隠さなくてはならない。何もできませんという風を装っている様子はコメディタッチで面白かったしキュートだった。
デーヴァセーナの従兄クマーラは教育係としてバーフバリたちに偉そうにしていたが、クマーラをこっそり手伝って武勲を上げるのを手伝っているのも良かった。クマーラはそうとは知らずに愚鈍な男などと呼んで蔑んでいたが、バーフバリはおとなしく従っていた。こう見ていると、私としてはバーフバリ、怒ってもいいのに……とも思ってしまったんですが、バーフバリは正体がばれたときにもクマーラに剣を授け、勇気を与えていた。結果、駄目な意気地なしだったクマーラも強くなった。バーフバリ、まさに、尊敬に値する王である。

クンタラが大軍に襲撃を受けた際、デーヴァセーナは弓の名手なので自ら敵を倒していたけれどとても追いつかない。そこで後ろから3本の矢が飛んできて、振り向くとバーフバリが三本一気に放っている。実は、このシーンは事前に映像を見ていて、これを見て映画を観ようと決心しました。
一気に3本矢を放って、しかもそれが全部命中するなんてこと、他の映画では観られないし、他の登場人物がやっても嘘くさくなるだけだけれど、もうこの時点でバーフバリならやるだろうという説得力があった。それを恋するデーヴァセーナに優しく教えてあげていた。指を4本、その間に矢を挟む。教わったところですぐにできないとも思うけれど、デーヴァセーナは弓の名手なのですぐ取得する。二人で6本の矢を放つんですが、そこの二人のポーズというかコンビネーションも美しかった。

大軍相手に牛飼いたちが僕らは農民だし何もできない…と言っていたが、ツノに火をつけた牛の大群を放っていた。それだけでも今まで見たことがない画面に笑ってしまうのですが、その走っている牛2頭の上にバーフバリが仁王立ちしていた。
そこで思い出したのが、『戦国BASARA』で走っている馬2頭に仁王立ちしている伊達政宗です。このシーンに限らず、大げさ具合と、そんな馬鹿なと思いつつも恰好良さが勝ってしまう感じはとても『戦国BASARA』っぽい。

大軍は水で一気に流していた。基本的にバーフバリが一人で活躍するので、大人数を倒すためにはそのような方法を使う。木を倒すとか、この先も火で焼くというのもあった。てんこ盛りである。

バーフバリはデーヴァセーナを妻として祖国マヒシュマティに帰るが、その時に乗っている白鳥の船も綺麗だった。インド映画らしく、恋のシーンは歌って踊る。白鳥の船も羽根の部分が帆になっていたけれど、その帆が下向きになって羽ばたき、空へと登る。イメージ映像です。
そりゃそうだとも思うんですが、インド映画の踊る歌うもイメージなんですね。ミュージカルと同じということか。ミュージカルも突然歌い出すのが苦手という人もいますが、私はミュージカルは別に平気なので、今後インド映画の見方も変わりそう。

この後、勘違いやデーヴァセーナの気の強さのせいで、バーフバリが追放されて兄が王になったりと少しだれるシーンが続く。だれるというかアクションが少なくなってしまうし、146分と長い映画なので仕方がない。

兄は最初はそんなことなさそうだと思っていたけれどどんどん悪いやつになっていった。
うまく策略を練られ、結局カッタッパがバーフバリを刺して殺してしまうんですが、これ、5分でわかるバーフバリ前作で観た…。その先のバーフバリの息子だけ逃すシーンも観た…。ちょっと混乱して、バーフバリが父と同じ運命を辿っているのかと思っていたんですが、そうではなくて、前作はその逃がされた息子が大人になって真実を知るまでの話なのだと思う。
本作は息子が逃がされた後、20年くらい時間が飛んで(多分これが前作)、大人になったバーフバリの子供が出てくる。

年をとったデーヴァセーナも出てくる。自分も酷い目に遭わされているし、最愛の夫を殺されたが怒りを通り越しているのか無表情である。

兄はマヒシュマティ王国で独裁国家を作っていた(これも前作でやったのかも)。自分の巨大な黄金の像も建てている。
兄が乗っている戦車が、回るカミソリが付いていて走ると周囲の人物を切り刻み、前面からは弓矢がヒュンヒュン出てくるという凶悪なものだった。これも『戦国BASARA』に出てきそう。また、雨のように降ってくる矢を盾を甲羅のようにして防ぐのは『300』を思い出した。あのやりすぎ感にも似ている。

城へ続く橋は上げられてしまった。さあ、どうしようというときに、しならせた椰子の木の枝に六人の兵士が乗り、びよんと飛ばし、それだけならまだしも空中で六人が盾を外に構えた爆弾のような形になって一気に乗り込んでいくのも面白かった。これも、他の映画で見たことない。

デーヴァセーナは無表情のまま、映画の最初でシヴァガミがしていた儀式を行う。無表情だが、強い意志が感じられる。
バーフバリの息子はバーフバリ兄との肉弾戦の一騎打ちを行う。建物のひびが入って、行くかなと思って見ていたら、趣味の悪い黄金の銅像が倒れた。デーヴァセーナの行く手を阻むべく橋が燃やされたけれど、銅像の頭がちょうどよくそこに収まって、彼女は顔を踏みつけて渡る。この一連の流れも美しい。戦っているのはバーフバリの息子だけれど、このシーンの主役はデーヴァセーナだ。
そして、薪の上に兄を乗せる。バーフバリの息子は動けないように足を剣で固定するまでのお膳立てを整える。とどめはデーヴァセーナが火鉢を放ち、復讐が遂げられた。

観終わった人が口々に「バーフバリ!バーフバリ!」と王を称えるのがよくわかった。必ず称えたくなる。王が立つとかすかに風が吹いて髪がなびいているのも恰好良かった。そして、誰にも負けない。強いだけではなく、優しくてお人柄も尊敬できる。

『キングスマン』の大人数を相手にしたアクションも格闘というより振り付けという話だけれど、バーフバリも動きが流れるようで、どちらかというとダンスに近い。武器の使い方もおもしろかった。

アクションシーンがどれも新しいもので、目の前で繰り広げられていることにそんな馬鹿なと笑ってしまう部分もあるけれど、結局恰好良すぎて涙を流していた。なんの涙だと思っていたけれど、たぶん感動していたのだと思う。恰好良すぎて感動することもあるのだ。



2015年公開『キングスマン』の続編。
実は前作が期待しすぎたせいもあったのかあまり好きではなかったけれど、本作は大好きになってしまった。観ている間ずっと笑っていて、頬骨のあたりが痛くなるくらいでした。
こんな年始に年間ベスト級の作品に出会ってしまった。
“秒でアガる。”というキャッチコピーが付いてますが、合ってる。その通りの内容です。

以下、ネタバレです。









最初のタクシーのシーンからおかしい。追われてはいるけれど、カーチェイスとは違う。タクシーに乗り込んで、狭い車内で格闘が始まる。狭いからうっかりボタンを押してしまって、音楽が鳴り始め、それがBGMになるあたりがマシュー・ヴォーンっぽい。
はずれた扉での水上スキーのように滑っているのもすごい。摩擦で火花が散っていた。
タクシーとは言っても、スパイの特殊な機能のついた車なので、それも見せつつ、車は走ったままなのでスピード感があった。止まらない。カメラワークもたまらない。しょっぱなから大興奮である。

結局、ハイドパークの池にそのまま沈んでいくのもびっくりした。車は水中用に変わって、そこから秘密の抜け道を使って逃げるという。

もう、このワンシークエンスだけでも度肝を抜かれた。『キングスマン』自体はコミック原作らしいけど、このエピソードもあるのだろうか? 実写だけれどほぼ漫画である。

キングスマン本部が攻撃されて、知人が多数死んでしまい、弔うためにウイスキーをあけたら酔っ払ってしまうマーリンとエグジーが可愛かった。
特に、今回、マーリンの魅力倍増でした。
アメリカのスパイ組織ステイツマンのメカニック、ジンジャー(ハル・ベリー)と並んで「現場に出たい」と話してるのも可愛かった。同じ職種の同じ部署の者だけがわかる悩みを共有していた。

最後のバトルの時には、現場に出るということでスーツ姿も見られる。スーツ姿のマーク・ストロングはすごくかっこよかった。細身のスーツでスタイルの良さが際立っていた。
途中、ハリーとの会話で「俺の好きな歌手は?」「知るわけない」「ジョン・デンバーだ」というくだりがあるんですが、今回はマーリンの歌も聴ける。もともといい声なので歌声も素敵。
歌うのはジョン・デンバーと言えば、の『Take Me Home,Country Roads』。『ローガン・ラッキー』を思い出した。

ただ、あっけなく死んでしまうのは残念だった。格闘シーンもあるのかと思った。地雷を踏んで、足を離して爆散という死に方だった。せめて、格闘で死ぬことにしてほしかった…。

前作で死んだと思われたハリーですが、ポスターなどにも出ていて、そっくりさんなのかなとも少し思ったけれど、ハリーだった。
後出しというか、便利なスパイグッズを使ったそんな馬鹿なという生存方法だったのですが、そこは、きっとつっこんじゃいけないところなのだろう。
ただ、こんな風にして死んだと思っていた人が生き返るのならば、次作でマーリンも…と考えないことはないが、爆散していたので無理かな。でもまたおかしなスパイグッズでどうにかなったりして。私はマーリンというキャラが好きなので、そんな馬鹿なという方法でも生き返らせて欲しい。

本作のハリーは記憶をなくしている。
蝶の研究をしていて、優しそうだけれど、不安そう。物腰も柔らかく、「母に会いたい、帰りたい」と言っていた。
閉じ込められていて、ガラス越しに観察できるというシチュエーションもいい。壁にはハリーのものと思われる蝶の絵が描かれている。眼帯姿も良かった。

蝶の研究をしたい記憶喪失ハリーに向かってエグジーが、「だったら、俺で標本を作りなよ! 青虫だった俺を蝶にしたのはあんただ!」と言っていて、ブロマンス度が高いと思った。

また、結局、ハリーの記憶の戻し方も、エグジーが彼女ふられ、彼女との思い出の写真を見ていて、ひらめいてペットショップでハリーの思い出の子犬を買うという流れだった。彼女との思い出がハリーの記憶を取り戻す手段に変わってしまった。その流れでいいのか?

エグジーの彼女であるスウェーデンの王女の役割がいまいちよくわからない。
今回にもありましたけど、エグジーの任務に支障が出てきそう。

エグジーってたぶんモテるんですよね。コミュニケーション能力が高いし、まだ青臭いところも残っている。
序盤はスーツ姿で、それも素敵だったけど、普段着がまだまだ労働者階級の服装でそれはそれで良かった。
日常に対して、任務中はユニフォーム的にスーツを着る。これも、スパイ物というよりヒーロー物のようだ。

あと、気づいたんですが、前作時より私はタロン・エガートンのことを好きになってる気がする。それで本作が前作よりも好きになっているのかもしれない。

グラストンベリーのシーンですが、『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』でも出てきましたが、中にベッドがあるテント、すごいですね。まさにランデブーのためのテントというか。トイレもついていることを初めて知った。何度か出てきたけど、“旅の恥はかき捨て”のグラストンベリー版の格言みたいなやつは本当に使われているのかな。映画向けに作ったものではないのかもしれない。

エグジーはそこでターゲットの粘膜に追跡装置を付ける。鼻の穴とか言っていたから鼻の穴にするのかと思ったら、普通に女性器の中に入れていた。
ここで新しいのは、指と一緒にカメラも中に入っていくんですよね。これで年齢のレーティングを回避しているのすごい工夫だと思う。馬鹿カメラワーク。見たことない。

今回、アメリカ版キングスマンのようなステイツマンという組織が出てくる。キングスマンが表向きテーラーなら、ステイツマンは表向きはウイスキー工場。
建物自体がウイスキーの瓶の形をしていたり、樽型のエレベーターなのもこだわりを感じる。ケンタッキー州なのでカウボーイの格好をしているけれど、リーダーがジェフ・ブリッジスなのもおもしろい。カントリー俳優のイメージがある。

ステイツマンのメンバーの一人、ウイスキー(名前)の武器がレーザー投げ縄なのもおもしろかった。レーザー投げ縄って。
『キングスマン』でハリーがパブで絡んできたチンピラ相手にスマートに戦うシーンがある。それと同じことを2でもやろうとするが、勘が戻らずにへろへろになってしまう。
そこで、ウイスキーが前作のハリーのように投げ縄でスマートに戦う。前作オマージュである。

今回の悪役であるポピーの基地もおもしろかった。ダイナーやボーリング場、ドーナツショップなど、50年代風のレトロな作り。建物だけでも観ていて楽しい。

ここに乗り込んでいっての戦闘も楽しかった。
ハリーとエグジーが協力して二人で戦うのもアツいんですが、ゴロンと落ちてきたドーナツショップの看板の巨大ドーナツが転がっていて、その穴を使っての銃撃戦もよくできていた。
ポピー自体も上品なようでいて実はかなりサイコで好きでした。
ジュリアン・ムーアがはまっていた。

途中、スキー場の雪山とその頂上の建物が出てくるのですが、そうかなと思ったけれどやはり、スパイ物ということで『女王陛下の007』のオマージュではないかとのこと。
ただ、頂上の建物で爆発が起こったら雪崩が欲しいところではあった。
ついでに現場に出たいメカニックのジンジャーは、マニーペニー的な役割なのかなとちょっと思った。

あと、エルトン・ジョンがカメオだと聞いていたんですが、カメオではなく準主役級の働きを見せるし、出番も多い。それに、出てくるシーンが全部おもしろかったのが本当にずるい。

その代わりといってはなんですが、チャニング・テイタムは予告やポスター詐欺ではないかと思うくらい出番が少なかった。
眠らせられていて、露骨に出演シーンが削られている。チャニング・テイタム自身が多忙というスケジュールの都合らしいけど、だったら全然出て来なくても…と思ってしまった。
でも、最後に、スーツ姿でテーラーの前を歩いているシーンがあった。このスーツ姿がとてもいい。マーク・ストロングのように細身の人のスーツもかっこいいけれど、体格のいい人のスーツ姿はこれはこれでまたいい。丸っぽい帽子もかぶっていた。
全然出てこなかったじゃないか!と怒っていたけれど、最後のそれですべて許してしまったし、次作への期待も膨らんだ。

脚本のアラやいろいろ言いたいことはあるはあるけれど、そんな感じでまあいいかと許せてしまう。
以下は、気になったところです。

麻薬が栄養剤くらいの扱いになっていたけれど、海外ではそれくらいの認識なのだろうか。一部肯定するようなセリフもあった。日本人だからわかりにくいのかもしれないけれど。

あと、エグジーの彼女であるスウェーデンの王女ですが、最後には彼女とエグジーは結婚してしまった。エグジー、スウェーデンの王子である。
原作にあるのかどうかわからないけど、エグジーの属性がどんどん増えていくととっちらかってしまいそうだけどどうなのだろう。そもそも、前作で王女と恋に落ちたほうがよかったのかもわからない。
でも、ここで王子の服装のエグジーが見られたのは良かった。
あと、結婚式でリングピローに乗っていたのが金の指輪で、そのまんま今回の敵のゴールデンサークルだったんですが、ゴールデンサークルは壊滅したんですよね? 別に関係なく、普通の金の指輪なんだろうな…。

あと、もう一つ、一番気になってしまったのは、敵を2段階にする必要あったのかということです。
ポピーが魅力的な悪役だったため、彼女を倒してももう一人敵が来るとなると、結局ラスボスはどっちなの?となってしまう。
ゴールデンサークルとは関係ないにしても、ポピーが弱い印象になってしまう。

それは多分、最後に派手なアクションシーンを入れたかったからだと思う。
ポピーは女性だし、頭脳タイプで格闘タイプじゃない。アクションをしないのだ。
長回し格闘シーンは『キングスマン』シリーズのお楽しみだし、後半に入れたかったのだろうと思う。
ただ、これもとっちらかってしまったかなとは思う。

あと、ウイスキーが実は悪者だったという展開自体も必要だったのかわからない。ステイツマン全部が悪かったわけじゃなかったし、金儲けと言ってたけど動機が弱い。
一緒に働いていたジンジャーなども仕事ができそうだったのに完璧に信じていて疑う様子は少しも見せていなかったのは不自然。

でも、ここでの戦い自体は最高で、だからこのシーンを削って欲しいとは言えなくなってしまう。
襲ってくるのがステイツマンのウイスキーなので、投げ縄と銃の異種格闘技が見られる。

ちなみに、ここで流れている曲が絶対知っている曲だけど、カントリーアレンジになっているせいで、この曲なんだっけ?と思っていて序盤のアクションを見逃した。『Ward Up!』でした。

そんな感じで、アラはあるけれど、それを帳消しにできるくらいの超展開で盛り上がれるし、見終わったあとには細けえことはいいんだよといった具合に大興奮してしまう。吹っ切れ具合がたまらない。

ただ、前作はその細けえことが気になってしまって好きになれなかったので、出来がどうこうというより、単純に私の好みの問題かもしれない。
でも、本作を観て、『キングスマン』シリーズのことが嫌いにならなくて良かったと思った。次作も楽しみに待てるのは本当に良かった。
今の気持ちで1を見直してみたら好きになれるかもしれないとも思うのでチャレンジしてみようと思う。