“『ラ・ラ・ランド』の製作チームが”という宣伝文句だったので最近まで監督がデミアン・チャゼルなのかと思っていた。『ラ・ラ・ランド』の『Start a Fire』以外の作詞をしたベンジ・パセック&ジャスティン・ポールが本作で作詞をしているらしい。そんな感じなので、『ラ・ラ・ランド』っぽさは全く感じなかった。

以下、ネタバレです。









この映画に関しては予告が随分前から映画館で流れていてたのでストーリーを勝手に想像していた。
貧乏だけれど夢見がちな男(ヒュー・ジャックマン)がショービジネスの世界に憧れている。彼はちゃんとしたショーをやる宣伝をして客を集めたが、実際に出てきたのはフリークスたちで騙された客たちから反感を買う。劇場が燃やされるなど困難が続く。でも、フリークスたちは、男に感謝をする。ここで『THIS IS ME』が流れる。世間に疎まれてた私たちを光の当たる場所に連れて行ってくれて、家族を与えてくれたのはあなた。意気消沈していた男も元気を取り戻して劇場を再興する…というあらすじを考えていた。

ヒュー・ジャックマン演じる劇場主はヒュー・ジャックマンだし、ちゃんとした人間かと思っていたが、そこが一番違った。

夢見がちな男、バーナムがフリークスたちを集めてショーをやるのは同じだけれど、別にこれは騙さずに会場の外にもポスターが貼ってある。ショーは成功するけれど、いわゆるB級であり、上流階級や批評家からは無視される。
しかし、美人オペラ歌手リンドと出会い、彼女のショーを一晩プロデュースし、大成功。そこで上流の味を知ってしまったバーナムはフリークスたちを見捨て、リンドのツアーを計画する。

公式サイトにはリンドのツアーを成功させたら箔がつくからバーナムはそちらに帯同したというようなことが書いてあったが、完全に絆されたようにしか見えなかった。
でも、仕方ないよな…と思ってしまうのは、リンドを演じたのがレベッカ・ファーガソンで彼女が本当に美しいです。彼女のような人が目の前に現れたら、何もかも捨てて彼女と一緒にいたいと思ってしまうと思う。
『ミッション:インポッシブル』シリーズでも美しいですが、今回は白いドレスを着ていて化粧もキメキメで本当にうっとりしてしまう。
歌も歌えるんだ…と思ったが、エンドロールを見ていたら歌部分は違う人だったようです。ただ、うまいけれど、オペラ歌手という歌い方ではない。
絆されたのかと思っていたから、もっと不倫っぽいことになるのかとも思ったけれど、そこまではならなかった。

一方的にされたとはいえ、キス写真が新聞に載ってしまい、妻も実家に帰ってしまう。キスに驚いてリンドを捨てると、リンドのツアーも途中で中止になってしまい、一文無しに。おまけにバーナムがいない劇場で騒動が起こって火事で燃えてしまう。
散々だけれど、自業自得だと思ってしまった。

でも、戻ってきたバーナムをサーカスの仲間はあっさりと許すんですよね。もっと怒るのかと思った。しかも、一文無しの彼に、相棒のカーライルは金を貸してあげちゃう。
酷い扱いを受けたんだから、こんなに簡単に受け入れなくてもいいのにと思ってしまった。それくらい、バーナムのことがあまり好きになれなくて、主人公が好きになれないと、映画自体もそれほど盛り上がれない。善人のヒュー・ジャックマンが演じているからぎりぎり許されている役だと思う。

でも、ラストでバーナムがカーライルに劇場を譲っていて、話の着地点として、それなら納得した。バーナムがカーライルに自分のシルクハットをかぶせてあげるのも良かった。そういう継承の仕方が好きです。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を思い出した。

また、このシーンで歌がバーナムからカーライルに移るのも良かった。カーライルを演じているのがザック・エフロン。声質が似ているのか、ミュージカル歌唱だからか、歌の切り替えで違和感がないというか、ガラッと印象が変わるわけではないのがいい効果を上げていると思った。おそらく彼ならバーナムの意志を引き継げるだろうなと想像できた。

バーナムがカーライルをスカウトする時に、掛け合いの曲があるんですが、二人の声か歌の相性がいいせいか、とても恰好良かった。バーで歌うんですが、そこのマスターも歌いはしないものの、脇役としてショットのドリンクを次々提供していておもしろかった。

ゴールデングローブ賞を受賞したり、アカデミー賞にノミネートされているだけあって、『THIS IS ME』がやはり一番良かったですが、映画内では、バーナムに見捨てられたフリークスたちが怒り半分で自分たちを鼓舞するために歌っていた。力強さは怒りだった。当然、ヒュー・ジャックマンの歌唱は入っていません。『LET IT GO』以来のこんなシーンで出てくるとは思わなかった感。クライマックスかと思っていました。

フリークスを集めてショーをやることをサーカスと呼ぶようにするとか、劇場が燃えてしまったあとでテントでショーをやるとか、サーカスの成り立ちのようで、もしかして実話なのかなと思っていたら、最後にP・T・バーナムという名前付きで格言のようなものが出てきた。
史実通りではないようですが、実話でした。

『パリで一緒に』



1964年公開。昔の映画だから楽しめるか不安だったけど、とてもおもしろかった。

脚本を書かずに遊びほうけていた脚本家のもとにタイピストが来る。締め切りまで二日というところで、彼は即興で脚本を作り始める。
タイピストのギャビー役にオードリー・ヘプバーン、脚本家ベンソン役にウィリアム・ホールデン。

脚本家は口頭でストーリーを説明していくんですが、それと同時に劇中劇が始まる。タイプライターを叩く音が入っているのも楽しい。
話を途中まで進めて、うまく進まなくてやっぱりやめたりするのも全部映像になっているのも笑ってしまった。最初の黒衣の女がエッフェル塔に立っているのとか、誰が見てもダメ映画っぽかった。

ギャビーにはボーイフレンドがいて、彼と一緒にパリ祭に行くという話を聞いて、ベンソンはボーイフレンドもストーリーに出す。
ボーイフレンド役にトニー・カーティス。これも、ギャビーが「彼はトニー・カーティスに似てるわ」と言ったからこうなった。他にも、「ここで主題歌はフランク・シナトラにしよう」と思いつきで言うとフランク・シナトラの歌が流れたりと、豪華カメオが多数。
しかも、トニー・カーティスは名前も覚えてもらえないし、劇中でも散々「お前のような端役は…」と言われていたり、散々である。

劇中劇のヒロインはギャビーで、突然現れる謎の男役がベンソンである。ボーイフレンドをいきなり殴ったり、ギャビーのハートを射止めたりと、劇中劇でいい男っぷりを発揮しているあたりが都合が良くて、自分で書いた脚本という感じだった。

劇中劇ではギャビーの意見も取り入れられていて、ヴァンパイアが出てきてモンスター映画になったり、飛行機に乗って逃走したりととっちらかっていた。
けれど、本編部分では二人は部屋の中にいて、基本、ベンソンの話すストーリーをギャビーがタイプしているだけというのが面白い。でもその中でも二人の関係性は少しずつ変わっていく。キスは、一番最初に真っ白い原稿を見せていた時点でしてたけど。

劇中劇は基本的にサスペンスだそう(これはベンソンがそう言っているだけなので、観客自身もベンソンの語りがどこへ向かっているのかわからない)なので、銃も出てくる。実はヒロインがスパイだったりもする。
ラストにはベンソンが撃たれて死んでしまう。ここで撃つのがいままで散々な扱いだったトニー・カーティスなのも、最後くらいは花をもたせたのかなと考えてしまった。

ギャビーは、劇中劇をたどりながら自分もベンソンのことが好きになったので、「なんとか死なない方法はないのか」と打診する。
でもベンソンも劇中劇を通してか、ギャビーの気持ちに気付いたからか、ギャビーには自分は似合わないと言い、酔っ払って暴言を吐く。もともと、周囲から、女に弱くて酒が好きで仕事はしないとの悪評が高い人物だったみたいだし、自分でもそう思っていたのだと思う。

けれど、翌朝、冷静になってギャビーが出ていったのに気付いて慌てていた。実は、暴言を吐いて、ギャビーが失望して映画が終わるのではないかと思っていたので、続いてくれて良かった。

ギャビーは鳥かごを部屋に忘れていく。ベンソンも、「その手は幾度となくつかったし成功率は高い」と言っていたので、たぶんギャビーもわざと忘れたのだと思う。
そして、劇中劇のようにボーイフレンドを殴ってギャビーを連れ出す。しかしこの先は劇中劇とは違う。劇中劇の通りだったら最後に撃たれてしまう。
だから、サスペンスではなく、ラブストーリーを書くことにしたと言う。

劇中劇があれだけとっちらかっていたのに、本編がこんなに綺麗にまとまったのはうますぎて唸った。しかも、「ポップコーンの売り上げを上げるために、有名俳優の顔の大写しで映画が終わる」という劇中劇中に出てきた皮肉セリフを最後に言って、二人はその通りにアップでキスをして、THE ENDの文字がスクリーンにタイピングされるという…。ちょっとうますぎて驚く。
これが1964年の映画ですよ。昔の映画とは思えない。しかも、これは1952年の映画だというからもうどうしたらいいかわからなくなってしまった。文句のつけようがなくおもしろかったです。

あと、オードリー・ヘプバーンが上唇を上げたり、舌なめずりをしたりと、わりと変な顔をしておどけるのもキュート。こんなコミカルな演技もするんですね…。




イギリスでは2016年に公開されたようなので、少し前の作品。
主演はマイケル・ファスベンター、父親役にブレンダン・グリーソン。バリー・コーガンも出ていて、アイルランド俳優が揃えられている。
監督はケミカル・ブラザーズのヴィジュアルクリエイター、アダム・スミス。『ドクター・フー』もシーズン5の第一話(マット・スミスのドクターの初回)など、いくつか監督している。
音楽もケミカル・ブラザーズのトム・ローランズなので、ほぼケミカル・ブラザーズという感じ。ただ、音楽は確かにエレクトロニックっぽいものがありましたが、映像はスタイリッシュだったり、PVっぽかったりはしなかった。

決まった家を持たずにトレイラーハウスで暮らし、犯罪で生計を立てている家族の話。

以下、ネタバレです。








広場のような場所にトレイラーが停めてあって、マイケル・ファスベンダー演じるチャドたちはそこで暮らしているようだった。
最初からあまり説明はなかったので、全員家族なのかと思っていたけれど、エンドロールを見る限り、カトラーというラストネームが付いていたのが、チャドとその父親のコルビー、チャドの妻と二人の子供だけだったので、他の若者たちはどこかから連れてこられたのか、コルビーのやり方に共感した悪ガキたちなのかもしれない。
コルビーは家族や仲間の絆を一番大切にする人物のようだったので、おそらく仲間になったならちゃんと世話を見るのだと思う。

ただ、コルビーの言うことは絶対に守らなければならないし、息子のチャドならなおさらである。
チャドは自分が学校にも行かせてもらえなかったから、自分の息子には教育を受けさせたいと思っているし、犯罪に手を染めてもらいたくないと思っていたようだった。
でも、コルビーは自分の道を信じているし、息子や孫にも自分のあとを継いでもらいたいと思っている。だから、学校に行かなくてもいいと言っていた。親子で意見が食い違っている。

コルビーはキリスト教徒のようだったが、なんだかあやふやというか、独自に作ったキリスト教のようだった。警察に捕まった時にキリスト教について話していたけれど、いまいち何を言っているかわからないし、警察も少し馬鹿にしているようだった。でも、頑固は頑固だし、自分や自分のやっていることは正しいと強く信じている。
だから、チャドやその子供まで支配したいし、ファミリーから抜けることなど許さないといった感じだった。

チャドもコルビーには逆らえないから犯罪を繰り返していたけれど、なんとか反抗をしようとは試みていた。チャドの妻もファミリーから抜けたいと言っていた。
結局、コルビーからの命令で重大な犯罪に手を染めてしまうけれど、コルビーはチャドが抜けたがっているのがわかって、わざと申しつけたように思う。
ただ、チャドの弟も捕まったという話が出ていたから、それを考えると、単にコルビーが有能ではないだけかもしれない。しかも、トレイラーハウスの場所、彼らのアジトは警察に把握されているようだった。

すべて、コルビーが悪いのだと思う。でも、コルビーもその親からそう育てられて、なんの疑問も持たなかったのだから、この連鎖がいけないのだ。
チャドの場合は妻がいて、妻がまともなせいもあってファミリーを抜けたがったのだと思う。外からの意見は大切である。コルビーの妻(チャドの母)はどうなったのだろう。映画には一切出てこなかった。話にも出てこない。出て行ったか亡くなったのだろうか。

息子の誕生日に犬を譲り受けようとしたけれど、血統書付きだからという理由で、住所や名前などを書かなくてはいけないようで、チャドは戸惑っていた。
犯罪者だから身分を明かせないのかと思ったが、その前に、教育を受けていないから文字を書けないのだ。
それで、結局金を投げつけて犬を奪うという…。ままならなさはわかるが、八つ当たりめいている。

息子にこんな思いはさせたくないから学校に行かせたいと思っていても、結局、学校も退学させられてしまった。それも学力低下のせいと言われていたけれど、教師も犯罪者の家族ということであまり関わりたくないと思ってしまったのではないかと思う。
別の学校を紹介すると言われていたけれど、それもまともな学校なのかどうかあやしい。

代々続く犯罪一家、その連鎖を断ち切るのは簡単なことではないとわかってしまい、もどかしかった。チャドは逮捕されてしまったし、子供達はおじいちゃん(コルビー)に懐いているようだったし、中指を立てていたからどうなってしまうかわからない。チャドの妻がちゃんとしていそうだったから守れるだろうか。

犯罪だけではなく、貧困も連鎖がなかなか断ち切れないという話もよく見る。これは日本でもある話だと思ったが、この映画もイングランドのグロスタシャー州に実在したファミリーの実話に基づいているとのことだったので驚いた。そういえば、コッツウォルズも少し出てきた。
また、アメリカの片田舎を舞台にした映画はよく観るけれど、イギリスの片田舎映画は久しぶりに観た気がする。

また、カーアクションはほぼスタントなしでマイケル・ファスベンダーが行っていたらしい。プライベートでもレースに出場したことがあるとのこと。これは映画前に知りたい情報だった。

バリー・コーガン目当てでもあったんですが、出てはいるけれど後ろに映っているだけだったり、セリフも少ししかなくて残念。でも、いたずらっ子というか、小鬼みたいで可愛かったです。『ダンケルク』では天使でしたが。それで、来月公開の『聖なる鹿殺し』はたぶん悪魔なんですよね…。



イギリスのナショナル・シアターで上演された舞台を中心に、映画館で上映するプロジェクト、ナショナル・シアター・ライブ。2014年から日本でも上映が始まって、なかなかイギリスまで観に行けない中、こういった形で鑑賞できるのは非常にありがたいと思っています。

2018年第一弾は、『エンジェルス・イン・アメリカ』の第一部。初演は1989年、第一部、第二部が通しで上演されたのは1992年とのこと。今回は2017年に上演されたもの。
テレビシリーズにもなっていて、2003年にはアル・パチーノやメリル・ストリープ出演で製作された。

舞台は1985年、レーガン政権下のアメリカ。エイズ患者が爆発的に増加した時代(日本で初めてエイズ患者が確認されたのも1985年)。
アンドリュー・ガーフィールド演じるプライアーもエイズに罹ってしまう。恋人のルイスは、プライアーを愛する気持ちは残っていても病院に見舞いに行ったり看病することはせずに逃げてしまう。
ひどいと言われているようだけれど、その気持ちもよくわかる。好きな人が弱っていくのを見るのは耐えられない。ましてや、これ以上好きになって、死んでしまったら余計につらい。だから、早い段階で忘れてしまいたい。

けれど、それはルイス側の事情で、プライアーのことを考えたら確かにひどい。一番そばにいてほしい人がいない。
怒ってルイスのことを追い返していたけれど、夢(?)の中ではタキシードを着たルイスとムーンリバーを踊っていて泣いてしまった。一番大切な人は変わっていないのだ。

ルイスだって弱くて悩んで迷っているだけなのだ。政治的なことをぺらぺら話し続けるシーンは、そうしないと聞かれたくないことを聞かれそうでそれが嫌だったのだろうし、考えなくていいことを考えてしまいそうだと思ってるんだろうなと思いながら見ていた。本当は人種差別主義者ではないのだろうけれど、あることないこと、余計なことまで話して友人を呆れさせていた。

ルイスとプライヤーの話と、裁判所の首席書記官ジョセフの話が同時進行していく。ジョセフの妻ハーパーは精神安定剤を飲み、妄想の世界へ逃げ込んでいる。また、目をかけてもらっている弁護士のロイからパワハラまがいのことを受け、不正を働けと言われる。

ステージにセットが横に並んでいて、片方でジョセフの話を、片方でルイスとプライヤーの話が別々に展開することが多かった。一度、その二つが同時に行われるシーンがあって迫力があった。
ジョセフが家で妻に責められているシーンと、ルイスがプライヤーに病室で出て行けと言われるシーンだ。両方とも強い言葉で責め立てられていて、しかも相手の言い分がもっともであり、でもどうしようもないという事柄だったので、つらさや厳しさが一緒になって押し寄せてきた。

逃げたいルイスと逃げたいジョセフが出会う。二人とも自分は優しくないと言っていたけれど、相手のことは優しい人だと言っていた。二人とも根っからの悪人なわけではないのだ。それに、お互いがなんとなく似ているところもあると思う。だから親しくなるのもわかる。
ジョセフを演じているのがラッセル・トービー。『パレードへようこそ』や『ドクター・フー』などにも出ていて、他でも見かけるとちょっと気になる俳優さんです。ジョセフとルイスのこの邂逅シーンはこの舞台の中で一番優しかったと思う。特に、“Touch you.”と言って、ルイスの頬に触れるシーンがとても好きでした。

プライアーは病気の進行とともになのか、妄想を見始める。医者にはストレスと言われていたけれどどうなのだろう。
ただ、本人は怯えていたから可哀想ですが、その様子がおかしいやら可愛いやらで会場からは笑いが起こっていた。本の一節のようなものを口走ってしまい、両手で慌てて口を塞いだり。妄想の火柱が上がるシーンではその仕掛けに拍手も起こっていた。
先祖が訪ねてくるシーンでも、ニンニクと十字架と聖水で対抗して「招いてないぞ!」と言っていた。それは吸血鬼への対処法だ。

第一部の最後でプライアーの病室に禍々しい存在が出現するが、あとで調べたらあれが天使らしい。どちらかというと悪魔のようでしたが…。あの存在はプライヤーに何をもたらすのだろうか。

実は、アンドリュー・ガーフィールドは今までそれほど演技のうまい俳優とは思っていなかったんですが、今作はとても良かった。一気に好きになりました。そもそも、去年も『ハクソーリッジ』で主演男優賞にノミネートされていたしうまい人なんですね…。
序盤で女性っぽい話し方をするシーンや女装シーンがあって、2014年リリースのアーケイド・ファイアの『We Exist』のビデオクリップを思い出した。



ルイスを演じたのがジェームズ・マカードル(マッカードル)。2012年の舞台『炎のランナー(Chariots of Fire)』でジャック・ロウデンとダブル主演のようになっていた(未見なので詳細不明)。また、『ベルファスト71』や今年公開される『Mary Queen of Scots』でもジャック・ロウデンと共演。
あと、『スター・ウォーズ』にニヴ・レックというレジスタンスのパイロットとして出演しているらしい。

結局、第一部ではルイスはプライヤーから逃げたままだった。なんとか仲が修復されるといい。上映前に流れた脚本のトニー・クシュナーのインタビューでは突き落としてから上げるというようなことを言っていたので、幸せに終わると信じている。
カーテンコールで真ん中に立つアンドリュー・ガーフィールドとジェームズ・マカードルが離れづらそうに手を離して両側にはけるのが印象的だった。

また、当時のアメリカの描写を見ていて、保守的なレーガン政権は今のトランプ政権とも似ているように感じた。同じ共和党員だからかもしれない。
ただ、「アメリカはどんな人種がいても許されるけど、ヨーロッパでは許されない」というセリフがあって、当時よりひどい状況なのかなとも思った。


今年度のゴールデングローブ賞ドラマ部門で作品賞と脚本賞、フランシス・マクドーマンドが主演女優賞、サム・ロックウェルが助演男優賞と主要部門をほぼ受賞した。
アカデミー賞でも主要7部門にノミネートされている。
監督は『セブン・サイコパス』のマーティン・マクドナー。

ハーヴェイ・ワインスタインというハリウッドの重鎮のセクハラ疑惑以降、#me tooやゴールデングローブ賞のスピーチでも話題になったTime’s Upという抗議運動が盛り上がっている。
今まで泣き寝入りをしてきたけれど、お前らが好き放題搾取してきた時間は終わりだと俳優さんや被害者がこぞって声をあげはじめた。
今年、ほとんどの出席者が黒いドレスに身を包んだゴールデングローブ賞も、受賞一覧を見るとそのあたりがテーマになっていたのではないかと思う。
テレビ部門でも『ハンドメイズ・テール/侍女の物語』など女性を中心としたものが多かった。特に、『ビッグ・リトル・ライズ』はまさに女性が立ち上がる話だったので、テレビドラマ部門で多数受賞したのも納得した。

おそらく来月のアカデミー賞でも、このあたりがテーマになってくるだろうと思う。個人的には監督賞がグレタ・ガーウィグだといいなと思っている。『レディ・バード』はは6月公開とまだまだですが。

以下、ネタバレです。









そして、ゴールデングローブ賞の作品賞を受賞したということで、娘を殺された母親ミルドレッドが犯人を逮捕できない警察を批判する看板を立てて騒動を起こすということで、これもTime’s Upというか、泣き寝入りをやめて行動を起こす映画なのかと思っていた。
この看板をきっかけにして、警察は職務怠慢を直して犯人を捕まえるというストーリーなのかと思っていたが、そう単純ではない。

署長を批判する看板を立てていたが、その署長ウィロビー役がウディ・ハレルソン。しかし、彼は事件に真面目に取り組んでいた。なんとなく彼が警官役をやるとどうしても『True Detective』を思い出してしまって、あまりよくない警官の印象を抱いてしまっていたが違った。

おまけに末期がんであり、ミズーリ州の田舎町エビングの人たちはでほとんどその事実を知っており、彼の味方である。保守的な考え方の人が多そうで、教会の神父まで、騒動を起こしたミルドレッドを説得しにくる。
しかも中盤で、彼は病気で残された家族を思って自殺してしまう。そのせいでミルドレッドと看板に批判が集まるし、彼女自身も自分を責めそうになっていた。

Time’s Upなど、声をあげること自体もなかなか難しく勇気のいることだと思うが、それだけでなく、いざ声をあげてもその先にも困難が多数ある。

結局、自殺したウィロビーから手紙が届いて、彼女のせいではないと書かれていたし、看板の設置の代金も一ヶ月分払ってくれていたし、逮捕に尽力してたこともわかった。死んでしまってはどうしようもないけれど、ミルドレッドは署長に対して怒りしかおぼえていなかったと思うけれど、ここで許したのだと思う。

序盤からいけすかなかったサム・ロックウェル演じるウィロビーの部下のディクソン。助演男優賞にノミネートされていたけれど、このいけすかない演技か!と思った。署内では机に足を乗せているし、家では超保守の母親と二人だし、人種差別主義者である。体も腹が出てだらしない。
それでも彼はウィロビーを尊敬していて、自殺したことで心底悲しみ、怒り、批判の看板のせいだと思い込む。

そして、看板を立てた業者へ乗り込んで暴行を加える。
業者レッド役にケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。去年の『バリー・シール』もひどい役だったらしいが未見。『ゲット・アウト』はひどい役だった。この人も、他の出演者に負けず劣らず癖がある。今回は役自体は癖は少なめ。まつ毛がバサバサしていて、服装もおしゃれでキュートでした。でも、ことなかれ主義というか、ミルドレッドの味方になろうとはしなかった。
結局、乗り込んできたディクソンに窓から投げられて病院行きに。

ディクソンはそれを見られたのと、バカにした態度をとったことで、新しい署長にクビにされる。
しかし、死んだウィロビーからの手紙が届いて、心を改める。ウィロビーの懐の深さがわかる手紙だった。

しかし、タイミング悪く、ディクソンが心を入れ替えたその時に、ミルドレッドが警察に火をつける。まさかこれで死んでしまうの?と思っていたら、大やけどを負ったものの、命からがら逃げ出していた。この時に、ミルドレッドの娘が殺された事件のファイルは持ち出していて、彼が完全に心を入れ替えたことがわかる。

また、ディクソンが運ばれた病室は、彼が怪我を負わせたレッドと同室だった。
包帯ぐるぐる巻きだから気づかないで、「ジュースをあげるよ、ストローもあるし」などと話しかけていたけれど、ディクソンは知らないふりをせずにしっかり謝る。
まだ怯えや怒りは残っていたようだったが、レッドはコップにジュースをついでやる。この時点でもまだ中身をひっかけたりするのではないかと思ってしまった。しかし、ストローをさして、さらに飲み口をディクソンのほうへ向けてあげていた。ディクソンを許したのだ。

ウィロビーが自殺してからの一連のこの流れが完璧だった。それぞれの人物がこういう行動をとるだろうなというのに無理なくて、しかもそれが人物間できっちり噛み合って、ストーリーが前に進む。
ミルドレッドは怒りを持ち続ける。でも警察については許す。犯人に対する怒りだけが残る。
レッドが襲われたのはとばっちりみたいなものだけど、彼が変わったことがわかったのか、ディクソンを許した。
ディクソンはウィロビーの遺志をついで、事件の捜査を続けようとする。レッドにも謝った。

サム・ロックウェル特有のいけすかなさとかムカつく感じが消えて、弱い部分は残るけれど正義の人になっていた。これが助演男優賞の演技だった。素晴らしい。

ディクソンが飲んでいたバーで、後ろの席に座った男が過去のレイプのことを自慢げに話し出す。
ウィロビーがミルドレッドにあてた手紙で、“今の所、事件の証拠はないけど何年か後に犯人が店で自慢げに話しているときがある”と書かれていて、映画を観ている側はこのことかと思う。
ディクソンは車のナンバーをおぼえ、頰を引っ掻いてDNAを採取する。

しかもこの男は、ミルドレッドの店に来て不穏な態度をとっていた。絶対にこいつだろうと観た人は思う。
登場人物たちも和解しはじめたし、これで犯人が捕まって映画が終わるのだと思う。

でもDNAは一致しない。ミルドレッドはもちろんがっかりするし、観てる側もがっかりしてしまう。
それでも捜査は続くということで終わるのかと思ったら、ディクソンはミルドレッドにある提案をする。

「犯人ではなかったけどレイプ犯なことは変わらない。殺すか?」という乱暴とも思える提案だ。真犯人は見つからないが、それでも気持ちが少しは落ち着くだろうということなのかもしれない。ディクソンは警察をクビになっているし、ミルドレッドもだいぶ無理をしているから二人とも後がない。

映画は、二人でそいつの家に車を走らせているところで終わる。二人とも、殺すのは気がすすまないと言っていた。いろいろ考えさせる余韻もたまらない。
普通なら殺さないんだろうなと思う。けれど、そのレイプ犯は、わざわざミルドレッドが働く店に来て難癖をつけていたやつである。あいつがどうしてあんな態度をとったのかわからないけど、犯人でないことは確実なのだ。
どうするのだろう。脅して犯人について何か聞き出そうとするのかもしれないし、難癖をつけてきたやつだとわかったら、犯人でないにしてもミルドレッドは逆上して殺すのかもしれない。
ミルドレッドは普通の善人の主人公とも少し違う。常人離れしている。娘が殺されて悲しみにくれるよりも怒りで行動をする。虚無に飲み込まれない激しさを持っている。警官のことは許しても、犯人は決して許さないと思うのだ。
フランシス・マクドーマンドがとても合っていた。他の俳優さんが演じるのは想像できない。

ミルドレッドの息子役に『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のルーカス・ヘッジズ。強烈な母親のせいで学校でも嫌な目に遭ったみたいだし、やりすぎだとか嫌悪感もあったみたいだけど、看板を貼り直すのを手伝っていたし、心からの嫌いというわけではなさそうだった。彼も、結局許したのかもしれない。

ミルドレッドにほのかな想いを寄せているジェームズ役にピーター・ディンクレイジ。彼女を庇っていたりと唯一の味方のようだったけれど、ミルドレッドは対等に見てあげていなかったのがかわいそうだった。

こう並べてみるだけでも俳優陣のアクが強さがわかる。全員うまいし見応えがある。映画内のキャラが全員濃いので、これだけアクが強い面々を取り揃えないと飲み込まれてしまうだろう。

アカデミー賞前に日本で観ることのできる作品は限られているけれど、やはり観ると愛着がわく。単純なTime's Upものではなかったけど、何か賞をとってほしい。