『アベンジャーズ』としては意外と少ない3作目。MCUとしては19作目。本家の名前を冠しているだけあって、登場人物勢ぞろいでキャストがめちゃくちゃ豪華です。
それに、MCU1作目の『アイアンマン』が公開されたのが2008年ということで、10周年記念の作品でもある。

しかし、監督も「『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』以上に傷つくかも」と言っていたように、大変つらい作品だった。
お祭り騒ぎとは程遠い。

以下、ネタバレです。










豪華だけど、登場人物がとにかく多いので、三幕構成なんてことはやってられる余裕はなく、ずっとバトルです。
MCUとしての前作は『ブラックパンサー』ですが、ストーリーは『マイティ・ソー バトルロイヤル』の直後から始まる。
『バトルロイヤル』はタイカ・ワイティティ監督の色が濃く出た、とにかく楽しい作品だった。
ラストはアスガルド市民たちが宇宙船で滅んだ星を離れていく。そこでレッド・ツェッペリンの『移民の歌』が流れるのがすごく盛り上がるし、これからの希望のようなものが見えた。
しかし、エンドロール後の映像でその宇宙船を狙う巨大な宇宙船が現れる。

なんとなく不穏な感じではあったが、本作はその続きからである。
その続きというか、すでに襲撃されていて、すでに市民は殺され、虫の息のソーとロキがサノスの一団と対峙している。『バトルロイヤル』にあった楽しかったり呑気な雰囲気が断ち切られる。

監督の言葉もあったし、日本のキャッチコピーが『アベンジャーズ、全滅』だったので、誰かは死ぬのだろうなとは思っていた。しかし、まずこの場面でブルース博士を地球に飛ばしたヘイムダルが刺されて殺される。こんな冒頭で…。
そして、ロキは「兄の命かストーンか、どちらを取る?」とサノスに問われ、ソーを救って石を差し出す。やっぱり『バトルロイヤル』で完全に和解したんだ…と感慨深い気持ちになった。
しかし、圧倒的な力を見せつけられたせいか、ロキは笑みを浮かべてサノス側につこうとする。あー、いつもの裏切りで、また後半で戻ってきてピンチを救うのかな…と思っていたら、サノス側につこうとしたのが騙しで、ナイフで刺そうとしていた。やはり、完全に和解はしたらしい。
でも、これがきっかけで、ロキも殺されてしまう。まだ、タイトルすら出ていない…。

ちょっとこの先、メンバーの入れ替わりと動きが激しいので、自分メモとしてまとめ。

地球に飛ばされたブルース博士はドクター・ストレンジとウォンの元に駆け込む。トニーと合流、そこにピーターも合流。
ストーンを持っているストレンジが宇宙船にさらわれ、そこにストレンジ、トニー、ピーターも乗り込む。ブルース博士はスティーヴに連絡をとる。ウォンはサンクタムへ(離脱)。
ここで初対面のストレンジとピーターのやりとり、ここが偽予告(予告編のシーンで本編にはないものがあるとのこと)だったのかな。予告の方がもっと和やかな印象だったけど…。

ガーディアンズ御一行はアスガルドの宇宙船からの救難信号を受けて駆けつける。が時すでに遅し。ソーだけ救出。ここから、武器を入手するためにドワーフの星へ行くソー+ロケット+グルートと、石を持つコレクターの元へ行くクイル+ガモーラ+ドラックス+マンティスの二手に分かれる。
ちなみにドワーフの星の生き残りドワーフがピーター・ディンクレイジで驚いたし嬉しかった。出てるの知らなかった。しかも、巨大なドワーフという…。小さくて大きいピーター・ディンクレイジ、最高です。

ワンダと石を持つヴィジョンの危機に、スティーヴ、ナターシャ、ファルコン、ブルースが現れる。彼らはウォーマシンと合流。ヴィジョンから石を外して破壊したらどうかということになり、どこならそれができる?と考えて、スティーヴがひらめいた時に、『ブラックパンサー』の音楽が流れたのが盛り上がった。音楽だけで、あ、ワカンダに行くんだ!というのがわかった。
これで、ワカンダにブラックパンサー+ウィンター・ソルジャー+キャプテン・アメリカ+ブラック・ウィドウ+ファルコン+ヴィジョン+スカーレット・ウィッチ+ハルクになれないブルースが集結。さらにドワーフの星からソー+ロケット+グルートも駆けつける。

コレクターの星ではサノスにガモーラがさらわれる。タイタン?でクイル+ガモーラ+ドラックス+マンティスとストレンジ+アイアンマン+スパイダーマンが合流。

最終的にこの二隊になるので結局、『シビル・ウォー』で仲違いしたスティーヴとトニーは会っていない(ブルースは両方に会っている)。
また、今回、最初はニューヨークが出てくるけれど、ほとんどが別の惑星で、地球であっても架空の国ワカンダだった。

今回初対面組がいくつかいたり、久々の再会も何組かいるんですが、そのシーンはあまり細かく描かれない。各々について描いていたら、時間も取れないし、流れがいちいち止まってしまう。今作はほとんどずっとバトルです。

でも短い時間でもトニーとブルースのハグや、ブルースとナターシャの気まずさ、スティーヴとバッキーの「元気そうだな」「世界の終わりにしては悪くない」って台詞にはグッときました。
また、バッキーがロケットを片手で持ってロケットが銃をぶっ放すのはかわいい×かわいいという感じでかわいさが何倍にもなっていた。武器の情報を交換し合うのも良かった。似た者同士なのかな。
グルートの何かを訴えているらしい「アイ・アム・グルート!」に対して、「僕はスティーブ・ロジャースだ!」って自己紹介するのはすごくキャップらしい真面目さで笑った。
スティーヴはソーに「髪を切ったね」と言い、ソーはスティーヴに「ヒゲ、真似したな?」と言っていて微笑ましかった。
ソーがガーディアンズの船に乗り込んだ時に、クイルがソーにライバル心メラメラだったのも面白かった。太ってると言われてたけど、実際に太ってた感じがした。声を低くして話すのもおもしろかった。

初対面関連で一番笑ったのは、今回終始ハルクになれなかったブルースが、ハルクバスターに乗って、「ハルクにならなくても戦える!」って大喜びではしゃいでガシガシ走ってたら転んじゃって、オコエにめちゃくちゃ冷たい視線を向けられるところです。思い出すだけでも笑っちゃう。彼女もハルクになったところを見たらびっくりするだろうな…。

ただ、このような同窓会的なわちゃわちゃしたものはMCUをずっと追っていないとおもしろくないし、本作は途中から始まって途中で終わるという感じなので、単体では何もおもしろくないと思う。登場人物の紹介もないし(これもいちいちやってられない)。
しかも、前作の『ブラックパンサー』などは今年公開されたばかりでDVDにもなっていないことを思うと、リアルタイムで映画館で観ていないと追えない。その前の『バトルロイヤル』が2017年11月だったことを思うと、作品が公開される間隔も狭まっているように思う。ただ、次は『アントマン&ワスプ』で早いところで2018年6月とのこと(日本は8月)。
でも、ずっと追ってきている身としては、ここまでのクロスオーバーというのは今までないので、全員集合(アントマンとホークアイはいませんが)している様子はしみじみと見入ってしまう。

また、それぞれの登場シーンが絶妙で、今回の監督はルッソ兄弟で単体映画はそれぞれ監督が違っていても、テイストを受け継いでいる。
特に、宇宙船で歌いながら登場するGotG御一行様は選曲についても、ジェームズ・ガン監督に相談があったらしい。そして、監督がZune(前作でヨンドゥが遺したプレーヤー)に入っている曲だと明言していました。
ピーターが学校の課外授業へ行くバスの中で宇宙船を見て、スパイダーマンになって行かなきゃと考えた時にネッドに「大きな声で騒いで!」とだけお願いするシーンも、それだけで何も聞かずにネッドは察していた。信頼関係ができている。
『スパイダーマン:ホームカミング』のラストで婚約会見を開いた(開かされた?)トニーとポッツも結婚式についての口喧嘩をしていて相変わらず。
『ブラックパンサー』の面々は、映画の最後で国を開く決断をしましたが、キャップたちを受け入れる時に、「こんなことのために国を開く決断をしたわけじゃないのに。もっと、スタバとかできるのかと思った」と文句を言っていておもしろかった。

登場シーンについても長くダラダラとやるわけではなくてさっと済まされるけれど、ちゃんとテイストがわかるようになっているのが素晴らしい。だけど、その辺もやはり、過去作を全部追ってきていないと駆け足すぎてわからないかもしれない。

インフィニティ・ストーンをすべて手にしたサノスは、指を鳴らして宇宙の人類を半分にしてしまう。ガモーラが序盤に「指を鳴らしただけで」と言っていたのは比喩かと思ったけれど、本当にそれで人口が半分になってしまう。
それはヒーローたちも例外ではなく、ワカンダ組ではヴィジョンは石のために殺され、ブラックパンサー+ウィンター・ソルジャー+ファルコン++スカーレット・ウィッチ+グルートが塵になるように消えてしまう。
キャプテン・アメリカ+ブラック・ウィドウ+ソー+ブルース+ロケットが残る。オコエも残っていた。
タイタン組ではアイアンマン以外のクイル+ドラックス+マンティス+ストレンジ+スパイダーマンが全員塵になってしまう。

バッキーも「スティーヴ!」と叫んでいたし、ピーターもトニーに抱きつきながら「トニーさん、死にたくない!」言っていた。消えるときに消えるのがわかるのはつらい。
また、地球ではニック・フューリーとマリア・ヒルも塵になってしまった。

はっきり言って映画次回作がすでに発表されている面々もいるし、ヘイムダルやロキのように刺されたり首を絞め殺されたりしたわけではないので、どうにかして大復活はできるんだろうなとは思うけれど、今まで単体映画などでも活躍して、強いヒーローとして応援してきた面々が簡単に塵になってしまうという映像自体がかなりショッキングである。

さすがに全滅ではなかったけれど、ほとんどが消えてしまい、これが映画のラストだから本当に次作に続くという感じである。
エンドロールも悲しい音楽で、黒地に白い文字でタイトルが出て、まるで葬式だ…と思っていたら、その文字も塵のように消えてしまってつらかった。
こんな状態で次作まで待つのか。

エンドロールによく出てくる『○○は帰ってくる(○○ will Return.)』の文字、単体の映画なら、○○にアイアンマンとかスパイダーマンとか入って、続編!って盛り上がるところですが、今回は『サノスは帰ってくる』となっていて、驚いてしまった。今回の主役ってもしかしてサノスだったのでは(と思っていたら、パンフレットにも書いてあった)。

サノスは全宇宙の人口を半分にするという野望のために、インフィニティ・ストーンを集める。今回のストーリーの主な部分は石集めである。また、野望についても凶悪なようでいて、その理由は枯渇する食料や資源のために半分にする、しかも貧富の差はなくランダムでという一見ちゃんとした理由があった。
しかし、皆殺しではなく半分は生き残るというのは合理的なようでいて、当たり前だけれど、半分は死ぬのだ。誰かの愛する誰かも無作為に選ばれてしまう。それは、映画のラスト付近の「スティーヴ!」という悲痛な叫びにも代表されている。別れが描かれている。

実は序盤のロキが兄を救うためにサノスに石を渡すという部分からそうなのですが、映画内では二者択一で片方が愛する人というシーンが繰り返し出てくる。
ネビュラを救うためにガモーラはサノスについていった。
ストレンジも序盤では「石を守る場面では君たちを見捨てる」と言っていたけれど、結局トニーたちを守るために石を渡した。

クイルはガモーラに「捕まったら私を殺して」と言われてガモーラを撃とうとした(直前にサノスによって弾がシャボン玉にかえられた)。
サノスは石を手に入れるために愛する人(ガモーラ)を崖から突き落とした。
ヴィジョンはどうしようもなくなったら額の石を破壊することをワンダに頼んだ。

最初は何回も同じような展開が出てくるのは人数が多いし仕方ないのかなと思ったけれど、たぶん、これが主題で狙い通りなのだと思う。

本作は、アクションとかバトルものの皮をかぶった紛れもない愛の話なのだ。愛の話というのは、ラブストーリーというわけではないです。
『エイジ・オブ・ウルトロン』のキャッチコピーが“愛を知る——全人類に捧ぐ。”でダサいと炎上していたけれど、これ、そのまま本作のキャッチコピーになりそう。

だから、サノスを拘束してガントレットを外そうとしている時に、ガモーラのことを知ってクイルが逆上したシーンはちょっとどうかと思ったけれど、彼の性格や映画のテーマを考えたら納得もする。

サノスが主人公なのだとすると、最後にとても野望を達成できたとは思えないほど虚しそうな表情で一人ぽつんと座る様子が気になる。あれは娘のことを思っているのではないか。愛するものを殺すことで手に入る石が手に入ったということは、サノスはガモーラを愛していたのだ。突き落とす前に涙を流していたのも気になる。マンティスもサノスの頭に手を当てた時につらそうだと言っていた。
この星で、サノスに説明をしていたのがレッドスカルだったのも気になった。

次作はどうしたらみんなを救えるのかと考えてみると、サノスがアベンジャーズ側に来ることはないとは思うけれど、愛する心みたいなものがキーになるのではないだろうか。改心してタイムストーンでどうにかするのかな。サノスを倒してそれで終了という話にはならないはず。または、ラスボスがレッドスカルになるのか…。

また、ガモーラが言っていた「私には体の秘密がある」というのも気になる。

あとは、本作では「NO!」と言い続けたハルク。なんで隠れたままだったのだろう。

ラストのラストで、ニック・フューリーが連絡を取ろうとしていたのが、キャプテン・マーベルなんですよね。一応希望を繋げるところで終わっている。
『キャプテン・マーベル』の単体映画が2019年3月、『アベンジャーズ4』が2019年5月なので、もしかしたら、『キャプテン・マーベル』が4の前に本作の直接の続きになったりするのかな。今夏の『アントマン&ワスプ』は本作にアントマンが出てきていないのでどうなるんだろう(追記:『アントマン&ワスプ』は時系列では本作より前になるらしい)。

『キャプテン・マーベル』を演じるのはブリー・ラーソン。ちなみにあの人(演じる俳優御本人がばらしていたのでネタバレでもないけれど一応伏せます)も出るらしくて、楽しみにしています。フューリーがあんな風になってしまったから出てくるのかなとも思うので、やはり本作の続きも少し描かれるのかも。



最初に予告を観た印象だと全編CGでゲーム内の話だけなのかと思っていたし、それをスピルバーグが撮ることに意外性を感じた。
しかし、観てみると、本当に面白かった。これがスピルバーグの力か!恐れ入りました!

ゲームの舞台は2045年。荒廃した未来で、VRの“オアシス”というゲームが流行っていて、人々は食事や寝る時以外、ゲームの世界で生活している。
そのゲームを作ったハリデーは、ゲーム内にイースターエッグを隠した、見つけた人にはオアシスの所有権を譲ると遺言を残して亡くなる。

予告を観ただけだと、オアシスの世界での所有権をめぐる大企業や若者たちの戦いを中心に描かれるのかと思っていた。ただの宝探しアドベンチャーではない。
最近公開された『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』みたいにアバターたちの活躍を見る映画なのかと思ったけれど、それあけではないのだ。

まず、イースターエッグを探す映画にイースターエッグがたくさん隠されているという仕組みがおもしろい。
イースターエッグといえば、ディズニー映画に隠れミッキーがいたり、ピクサーには“A 133”が隠されているのが有名ですが、この映画はそこかしこに70年代80年代のアニメ、映画、ドラマ、音楽などの要素が散りばめられている。

この映画のパンフレットがそれをつぶさに解説していて、ほとんどポップカルチャー辞典のようになっているが、それを見ても、また解説のブログを見てもまったく拾えていないことがよくわかった。それだけ細かい。

以下、ネタバレです。









オープニングは現実世界のウェイドの様子から始まるが、未来の集合住宅は本当に住宅が簡易的に集合してるだけだった。棒を使ってするする下に降りてくるのをカメラが追う。映画のオープニングで朝といったら、普通はワクワクしそうなものだけれど、これほど落ちこむのも珍しい。いかに世界、というか、彼の毎日が退廃しているかがよくわかる。

しかし、それの対比のように、彼がゴーグルをつけてオアシスの世界に入った瞬間、ばっと視界が広がる。閉じていた世界が広がる。オアシスの世界がいかに魅力的かというのがよくわかって、ワクワクしてしまった。
ウェイド目線なので観客もオアシスへつれていかれるのだ。3Dメガネをかけてるから、余計に自分がプレイしていると錯覚してしまう。
だから全方向見られるような錯覚に陥って、つい顔を横に向けてしまいそうになった。カメラの動きよりも先に観たい感じ。

また、ゲーム内の友達、エイチと一緒にイースターエッグである最初の鍵を手にいれようとするレースシーンは、ウェイドが「レースが始まるぞ」と声をかけた瞬間から既にワクワクしてしまった。
車やバイクのレースなんですが、これもレースを実際にやっている感覚が味わえる。IMAX3Dで観ましたが、椅子が動いてほしかった。でも4D系の小さい画面よりは大きいスクリーンのほうが楽しいと思う。
難しくてクリアできないと言っていたけれど、コースの形状の難易度かと思ったら途中で恐竜が襲ってきたり、キングコングが出てくる。なぜ巨大ゴリラではなくキングコングだってわかるかというと、最初はエンパイア・ステート・ビルに登っているから。それがレーシングコースに飛び移ってくるのだ。本当に怖い。それが車を手で引っつかんでガブガブと食いちぎる。怖い。でも私はゲームが下手なので、終盤のここまでもたどり着けないと思う。映画で体験できるのが楽しい。

二番目の鍵を得るために、ウェイドたちは『シャイニング』の世界へ入っていく。ここも、『シャイニング』と言えばシンメトリーですが、世界に入っていくときの映画館のドアを開けた時からもうシンメトリーで興奮しました。例の双子や237号室が出てくる。3Dで『シャイニング』の世界へも連れて行かれた。

三番目の鍵を手に入れる最終決戦前にはもうオアシスだけではなく、現実世界が随分関わってきていた。そこも面白かった。ゲーム内だけでは解決せずに、ちゃんと現実世界での問題とも対峙している。だから、『アバター』や『魔法にかけられて』のような向こうの世界に行きっぱなしのものでもないし、行きて帰りしともちょっと違う。劇中では頻繁に現実世界のことも描かれている。
最終決戦時にはゲーム内での友達とも現実世界で顔を合わせる。パーシヴァル、アルテミス、エイチは主要キャラだからアバターの段階でも注目していたけれど、ダイトウとショウについては日本なのかわからないけれどアジアっぽい脇役だなとしか思っていなかった。けれど、現実世界の彼らが片方が日本人の男性、片方が11歳の中国人男児とわかったときに、一気に彼らに対する関心度が高まった。現実世界を見せることで逆にアバターのキャラも気になるようなうまい作りになっている(スピルバーグ監督だから当たり前ですが)。それかキャラ選びが素晴らしい。次回見たときには、ダイトウとショウも最初から気になると思う。
また、映画情報サイトでガンダムが出ることは知っていたんですが、知りたくなかった。ダイトウが瞑想みたいなのをしていて一切戦闘に関わってこない時も、ああ、たぶんガンダム関連だな…と思ってしまった。それでも、「俺はガンダムで行く」という日本語セリフは本当に熱くなった。決めポーズもバッチリしてた。

また、流行りなのかもしれないけれど、この映画も搾取され続けた民衆による蜂起が起こる。わかっていたけれど遠くから多数のアバターたちが駆け寄ってきたり、現実世界ではゴーグルをつけた市民たちが戦っていたりという姿は勇気が湧いてくる。

細かいイースターエッグについては本当にまったく拾えていない。最初のレースにも様々な車が登場していたようだし、エイチの格納庫にもいろんな機体があったらしい。クラブや最終決戦など、人数が多い場面にはもちろん多々紛れていたようだけれど、ほとんど見つけられなかった。
時間を戻すゼメキスのルービックキューブやメカゴジラなど、登場シーンにそれぞれのテーマ音楽が使われていたのはにやりとさせられた。

音楽についても70年代80年代の曲が多く使われていた。個人的にはクラブのシーンでNew Orderの『Blue Monday』が使われていたのが嬉しかったんですが、これもパンフレットによると、クラブのシーンでDJをしてたのがR2-D2で、曲自体もドロイドの音声サンプルが使われた88年のリミックスバージョンだったとか。そんなの知らないよ…。
このあたり、映画を作る側も相当好きなんだろうなと思うけれど、映画内のこのクラブはハリデーが作ったものということで、ハリデーがその辺のことが好きなのがよくわかった。

すごく未来の話のような気持ちで観ていて、それでもハリデーは70年代80年代のポップカルチャー好きということは、架空の70年代80年代が未来にもあるのかな、流行は周回するとか?と思ったのですが、ハリデーが1972年生まれということで、そこまで未来の話でもないし、80年代なんかはリアルタイムでハリデーの青春だったのだと思う。

オアシス内での鍵を探す冒険は、もちろん一攫千金宝探しの面もあるけれど、ハリデー自身の人生を辿っていったり、彼のことをよく知る行為でもあった。
ゲーム内でのCG満載、イースターエッグ満載の映像にワクワクしながらも、並行してハリデーの物語が描かれている。ハリデーももう一人の主人公だと思う。構造としてもうまい(スピルバーグ監督です)。

だから、ハリデーのことを心から尊敬して憧れていたウェイドが勝ち上がるのは当然のことなのだ。
また、最後にハリデーが自身の子供部屋にウェイド(パーシヴァル)を招待して、「生きてるの? アバターなの?」という質問を投げかけられていたけれど、アバターだとしたらガンダルフみたいなやつだし、もちろん肉体は死んでいる。けれど、ゲームの中では生き続ける。これは本でも音楽でもアニメでも映画でもなんでもそうだ。作者は死んでしまっても作品は残って、その中で作者は生き続ける。この映画に散りばめられている様々なポップカルチャーの数々だって、もう作者は死んでしまっているものも含まれているだろう。それでもこんな風に残るのだ。

また、ハリデーによる「ゲームを遊んでくれてありがとう」というセリフがまた泣ける。ゲーム=ハリデーの人生だとすると、激ムズのゲームに最後までたどり着いたウェイド(パーシヴァル)に対して、「私を理解してくれてありがとう」と言っているかのようなのだ。作者との心のふれあいが見られる。

ハリデーは人付き合いが苦手で、好きな女性にもキスできないし、共同経営者であり友人だったモローも失う。終盤でモローを失ったことを後悔していたことがわかるが、もしかしたらモローだったら探せるのでは?と思って、人生を辿るような形で鍵を隠したのかもしれない。もしかしたら、死後はモローに譲ろうとしていたのかもしれない。

モローも株を放棄させられたということで、本当だったらハリデーの死後にしゃしゃり出てきて、大企業ではなくて彼がラスボス化してもおかしくなかったと思う。でもそうならなかったし、それどころか、案内人として、パーシヴァルたちを近くで見守っていた。
案内人、顔や声の感じからマイケル・ケインだと思っていました。サイモン・ペグの声真似だった(マイケル・ケインの声真似をしていたかどうかは不明)のがわかったとき本当にびっくりした。
そうすると、ハリデーがアーカイブから女性の話を削除したことは知っていたのかどうかが気になる。そんなはずはないと言って検索してたけれど、知っててわざと賭けに応じてコインを授けたのかもしれない。彼は優しいから。

ウェイドの部屋には『END OF A JOURNEY』という見出しとモローの顔写真ついた新聞記事が飾ってあった。これはおそらく二人が仲違いした時のものだろう。映画を最後まで観た後だと、この記事を見上げるウェイドの写真(パンフレットに載っている)だけでも泣きそうになってしまった。




2013年公開、『パシフィック・リム』の続編。
監督はスティーブン・S・デナイト。
前作から10年後の話。戦死したペントコストの息子、ジェイクが主人公。
ジェイクを演じるのがジョン・ボイエガ、他スコット・イーストウッド、前作から菊地凛子など。

以下、ネタバレです。







父の後は継がないと荒れた生活を送っているジェイクと、廃品の部品でイェーガーを自作する少女アマーラが出会う場面から始まり、雰囲気が良さにわくわくした。
アマーラが自作したスクラッパーというイェーガーは、小型だから1人でも操縦できると言っていたけれど、イェーガーって小型とか大型とかでドリフトする人数が変わるんだっけ?とルールがよくわからなくなってしまった。
スクラッパーに2人で乗って、でも未登録イェーガーなので逮捕される(そういう法のある世界になってるのがわかるのはおもしろかった)んですが、ここで、2人でドリフトさせてみたらよかったのに…と思ってしまった。

というのも、本作を観ていて一番不満だったのが、ドリフトという絆の強さを示す便利な機能があるのに、それが一切有効的に使われてなかったことです。
前作ではベケット兄弟、中国の三兄弟、ロシアの夫婦は家族だし、いきなりドリフトできていても納得がいった。マコとローリーも苦労をして絆を深めてからドリフトした。

本作ではジェイクは追放されて戻ってきたようで、過去にネイトといざこざがあったみたいだけれど、ちょっと話出てきたくらいでちゃんとは描かれない。だから、本当はもっといざこざしていて欲しかったし、あっさりドリフトできてしまってカタルシスも何もない。いざこざからの仲直りでやっとドリフトできた!というような展開がよかった。

予告を観たところ、若い搭乗員たちが活躍するようで、もしかしたら『パワーレンジャー』っぽいのかなとも思ったけれど、訓練生たちの描写はほとんどなかった。
アマーラは訓練生として迎え入れられるが、簡単に入ってきたことでヴィクに恨まれる。2人は喧嘩をするけれど、仲直りしたんだかどうだかわからないうちに同じイェーガーに乗っていた。どうせならここも、喧嘩から仲直りして絆を深めてから乗せてほしかった。それも、3人乗りの機体だったのも不満です。2人で乗って欲しかった。ちなみに、小説で明らかにされている設定として、ヴィクは前作でチェルノ・アルファに乗っていたロシア夫婦の娘らしい。けど、なら映画内で触れて欲しかった…。

他の訓練生たちも急に実戦配備されてたけど、適当にそれぞれのイェーガーに割り振られたわけじゃないんですよね? ちゃんと、友達とか相性の良い2人なんですよね? でないとドリフトできないはずでしょう?
ただ、10年間で技術が進歩して絆が深まっていなくても、誰とでもドリフトできるようになったという説もあるらしい…。でも、それは理屈としてはいいけれど、パシフィック・リムの良さが消えてませんか。
ドリフト機能を使えば人間関係を簡単に描けるのにもったいないと思ってしまった。
訓練生たちについてちゃんとした描写がないので、最終決戦(しかも初実戦配備…)で駆り出されても、キャラに愛着がわかないので応援をする気にもならない。

また、途中でネイトが怪我をしてジェイクとアマーラがドリフトするけれどこれも、一回失敗してるところしか見せていないし、ネイトが都合良く怪我しちゃったな…としか思えなかった。
ジェイクとアマーラについては絆が深まってほしいとは思っていたけれど、そんな描写もないのにいきなりドリフトできていても首をかしげる。

アマーラはヴィクと2人でのドリフトでもないし、ジェイクとのドリフトも効果的に使われないなら、スクラッパーに乗ってほしかった。
最後、スクラッパーに乗っているのが違う人物でそこもどうしてそうしたのかよくわからなかった。アマーラの愛機ですよね? 最後にアマーラが自作の愛機に搭乗して戦ったら良かったのに。

バーン・ゴーマンのゴッドリーブ博士は活躍するんですが、チャーリー・デイのニュートの扱いも不満だった。
「アリスにも会って」と言っていたから、あれ?結婚してたんだ?って思ったけど、アリスは一作目で出てきたものと同じかどうかはわからないけれど、KAIJUの脳だった。
脳を繋げてこっそりドリフトしたくなる気持ちはわかる。一作目でしてたし、ニュートは病的にKAIJUが好きだったし。アリスという女性的な名前から、本当に妻のような気持ちで接していたのだろうし、ドリフトもセックスみたいな感じだったんだろうなとは思う。キャラのぶれはないと思う。
でも、その結果、脳を乗っ取られるというのはどうなのだろう。別にみんなドリフトしていても、人格が入れ替わってりはしていないと思うけれど。百歩譲って乗っ取られることがあったとしても、普通に英語を喋っているのがなんとも。
そんなことなら、いっそ、KAIJUに肩入れして悪い奴になってしまったほうが良かった。二重人格みたいにして、いい奴部分は残ってるのにそれが閉じこめられていて…みたいなのは違う。KAIJUにそんな知性みたいなものはないと思う。もっと野生なのではないか。
それか、ゴッドリーブがニュートの家に行って、アリスを見て、君の気持ちはわかるけどと理解を示しながら正気に戻してあげるような展開にしてほしかった。ただ、ゴッドリーブも人格者ってわけではないから難しいか…。

人間キャラ以外だと、いろんなイェーガーが見られるし、イェーガー対イェーガーという対戦が見られるのは良かったと思う。けれど、観たかった続編とは違った。
最初はこれは続編というよりスピンオフではと思っていたけれど、まったくの別物です。情緒がない。建物もバンバン壊されるし、景気はいいと思うけど、パニック映画色が強い。

『パワーレンジャー』は少年少女たちが絆を深めたり心を通わせたり成長するのに時間がかかって、変身するのが後半になってしまい、特撮ファンやロボ好きから文句をつけられていたらしい。私は日常パートが好きだったので満足でした。
それを思うと、本作もドリフトまでの過程をいちいち描いていたら文句が出ていたかもしれないので、もう私の観たいものが違ったというだけの話だと思う。

ジェイク役のジョン・ボイエガは良かった。序盤の不良黒人っぽさも、最近素朴ないい人役が多かったから新鮮だったし、後半のかつての父のような演説も良かった。ただ、生かしきれてはいなかったのが残念。ジェイクは演説よりも前のシーンで訓練生たちをまとめる役割を担って欲しかった。そのようなシーンがあったら、演説もより感動しただろうなと思う。演技としては良かったけれど、シーンとシーンのブツ切れ感が否めない。







普通の高校生4人がゲームの世界に入り込んでしまい…?というストーリー。

出演はドウェイン・ジョンソン、カレン・ギラン、ジャック・ブラックなど。いずれもゲーム世界のほうです。

以下、ネタバレです。







ジョックとナード(アメリカのスクールカーストで一番上と下の方)という今では宿題をやらせるくらいの接点しかなくなってしまった幼なじみのフリッジとスペンサー、自撮り好きのギャルのベサニーとガリ勉女子マーサという、普通ならバラバラの4人が居残りで集められるあたり、『ブレックファスト・クラブ』や『パワーレンジャー』を思い出した。

現実世界の4人はベサニーは可愛くはあるけれど、高校の中ではモテるだろうなというくらいの控えめな可愛さ。ジョックのフリッジだって体は大きいけれど、高校生の範囲は出ていない。いずれも普通の子たちである。

この4人がゲーム世界に入るとドウェイン・ジョンソン、カレン・ギラン、ジャック・ブラック、ケヴィン・ハートという、キャラクターっぽい見た目に変わるのがいかにもゲームの中っぽくて、おもしろい。筋肉、スタイル抜群美女、ころころとしたふくよかな中年男性、背の低い黒人の4人である。年齢の面だけでなく、普通の高校にいたら目立って仕方がない。

また、ナードのスペンサーが筋肉になり、ガリ勉マーサがスタイル抜群美女になり、自撮りのベサニーがころころした中年男性になり、ジョックのフリッジは背が低くなってしまうからそれぞれギャップがあって、このギャップを使ったギャグはゲーム世界でずっと貫かれている。

それを思うと、ゲーム世界を演じた4人の俳優はいつもとは違う役柄だったのだと思うし、見た目と中身のギャップを演じねばならずに大変だったのではないかと思うがいずれもうまい。元の姿にしか見えなくなってくる。

宝石を決まった場所にはめ込んだらゴールで元の世界に戻れます、3回まで死ねますというシンプルなルール。途中、敵やジャングルの動物が襲ってくる。

予想外のことは特に何も起こらない。3回まで死ねるというルールも余裕で、最初のほうなんて戯れに崖から突き落としたりするし、わざと死ぬことで危機を乗り切るシーンもある。命は軽視されているけど、ゲームの裏ワザと考えるとわざと死ぬというのもありっちゃありかなとは思う。

敵も、見た目が凶悪なわりにそこまで強くない。どちらかというと、4人がきゃあきゃあ言いながら試行錯誤する様子を見てるのが楽しい。

ジャック・ブラック(中身は自撮りのベサニー)が男になった自分の下半身に興味津々なシーンとか、ドウェイン・ジョンソンの特技のキメ顔とか、何度も出てきてくだらないと思っていても笑ってしまう(ベサニーは元の世界に戻るときにも下半身を見て「Later,dick.」と言っていて笑った)。
カレン・ギラン(中身はガリ勉マーサ)の誘惑シーンもスタイル抜群なのに、ぎこちなくて可愛かった。

カレン・ギランに関しては、ドクター・フーのコンパニオンだったこともあり、特別な思いで見てたんですが、ドウェイン・ジョンソンといい雰囲気になって、もしかしたら2人のキスシーンがあったりするんですか?とドキドキしながら見ていたら、中身がナードとガリ勉だからお互いファーストキスで知識もないからうまくできないという。そうくるとは思わなかった。可愛かったです。

ストーリーが予想の範囲を出ない緩いものでも、観ていてその単純さにとても好感が持てたし、おもしろかった。ちょっとトイレに行ったところで複雑なことやどんでん返しは起こらないので話にもついていけると思う。

ただ、1996年にゲームに吸い込まれたアレックス関連だけは切なかった。5人目の仲間ですが、現実世界では20年経っているが本人は気づいていない。私が大好物の、一人だけ時がズレてしまうパターンです。現実世界のほうでは20年行方不明だから、父親も疲弊してしまって、家も荒れ放題になっている。

ゲームの中では同年齢くらいだし、ジャック・ブラック(中身はベサニー)も淡い恋心を抱いていたけれど、現実世界に戻ると彼だけ20年、時がズレていた。ゲームに吸い込まれた時点に戻るというルールだったらしい。だから、4人は元に戻っても高校生で一緒だけれど、アレックスに会いに行くと、アレックスは20年前にもう帰ってきていて、子供も生まれている。
ベサニーとアレックスの恋は成就はしなかったけれど(そこまで想い合っていたわけでもなかったっぽい…)、アレックスが子供に命の恩人であるベサニーという名前をつけたというエピソードには泣いてしまった。アレックスは現実世界に帰ってきて一人だったけれど、ベサニーのことはちゃんとおぼえていたのだ。やはりこの、時がズレてしまうタイプの話に弱いし、グッときました。

妙に良いことを言いつつジュマンジの置いてある部屋を4人に片付けさせた校長がラスボスかな?とかアレックスが裏切るのかな?などと考えながら観たけれど、そんなどんでん返しは一切なし。残酷描写もないし、追い詰められる場面もそれほどない。本当にゆるいし単純。でも楽しく観られます。不快な気持ちにならない。

高校生4人がゲーム世界に行き、成長して、現実世界に帰ってきて仲良くなるという、所謂、行きて帰りし物語の形式をとっているのもわかりやすい。爽やかな青春もの。誰にでもおすすめできる。けれど、単純なのにおもしろいとか、話が予想できても楽しいとか、誰にでもおすすめできるというのはある意味すごいことでもあると思う。




原題『The Post』。おぼえにくいタイトルだと思っていたけれど、ワシントンポスト誌の話なので、内容を知ればなるほどと思うタイトル。
アカデミー賞、作品賞、メリル・ストリープが主演女優賞ノミネート。
監督はスティーブン・スピルバーグ。スピルバーグ監督といえば、『レディ・プレイヤー1』も公開間近(アメリカでは3月末に公開された)で、どうスケジュールを調整してるのかと思ったら、本作は脚本が映画化の権利を得たのが2016年10月、トム・ハンクスとメリル・ストリープにオファーがいったのが2017年3月、そのあと監督をすることに決めて5月末から撮影をして、アメリカでは12月には公開をされているので異例のはやさである。
そのため、1970年代の話ではあっても、政府対報道機関、女性の地位向上など、テーマは今の時代に合ったものとなっている。

以下、ネタバレです。












ベトナム戦争について分析した、アメリカが不利であることが書かれた文書。政府はそれを隠し、若者たちを戦争へ送り続けた。その内部告発とそれを報道する新聞社の戦いが描かれている。

政治もので実話だし、新聞社の戦いなんて真面目そうだし退屈そうと思うかもしれない。導入部分は字幕を読むことに必死になってしまい、なかなか入りこむことができなかったが、途中からの盛り上がりで一気にのめりこんだ。

映画は主に二人の人物を中心に描かれる。
ワシントン・ポスト紙の経営主だった夫が自殺してしまい、急遽、会社を引き継ぐことになったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)。45歳まで普通の主婦で、働くのもこれが初めてなのに加え、この時代の女性経営主である。周囲も彼女を信用しておらず、外部から口を出して丸め込もうとする。
実際、序盤は頑張っている感じはしても、ほわほわしていていまいち任せられない雰囲気もあった。メリル・ストリープの演技力です。

もう一人はワシントン・ポスト紙の編集、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)。こちらはやり手なんでしょうが、スクープをライバルのNYタイムズにすっぱ抜かれて、焦っているのか、猪突猛進型で何か失敗しそうに見えた。周囲の意見も聞かなそうだった。こちらもトム・ハンクスが素晴らしい。個人的には『キャプテン・フィリップス』のあたりから、トム・ハンクスが好きになってしまった。その前までは、トム・ハンクスはトム・ハンクスにしか見えなかったけど、最近のなりきり演技が好きです。『ウォルト・ディズニーの約束』もウォルト・ディズニーにしか見えなかった。今回もベン・ブラッドリーご本人の奥様があまりにも似てて泣いてしまったらしい。

キャサリンとブラッドリーはペンタゴン・ペーパーズの一件の付近では仕事を一緒にし始めて5年だったらしいが、お互いにお互いのことをよくわかってなさそうだったし、信用もしていなさそうだった。ブラッドリーも重要なことをキャサリンに隠していたりする。
しかし、ペンタゴン・ペーパーズについての記事を載せていいとキャサリンが決断したことで、見る目が変わる。

ここの決断シーンはキャサリンの気持ちになると、ほぼ捨て身だったのだろうと思う。
しかも、役員の引退パーティー中である。会社の資金提供者たちが集まっている。
彼女が記事を載せる決断をすることで、ここに来てる人全員が被害を被るかもしれない。しかも、ここにいる全員には何も言わずに決断をした。もちろん自分も投獄されるかもしれない。
キャサリンを中心にしてカメラがぐるりと周囲をまわる。周囲が全員敵に見えて、威圧感を受けた。
彼らを敵に回すことで資金を提供してもらえなくなるかもしれないし、そうなれば当然倒産する。愛する夫から引き継いだ会社をつぶしてしまうかもしれない決断なのだ。
でも、ことなかれ主義に別れを告げて、政府というとてつもなく大きいものに戦いを挑んだ。それだけ戦争を止めたかったのだと思う(だからやはり、先日観た『ウィンストン・チャーチル』よりはこちら派)。

ここで彼女はここにいる役員たちとは別になって、孤立した。けれど、ブラッドリーとの絆は深まった。

二人が恋愛関係じゃないのがいい。恋愛でなくても信頼し合っていて、そのタッグがアツい。この二人のキャラクターが映画を面白くしているという面もあった。
二人は正反対だけど認め合っている。互いが互いを補っていて、それが巨大な悪を倒す力になる。なんとなくヒーローものっぽい。

戦うのはこの二人だけではなく、少ないけれど周囲の人物も助けている。人々がいるべき場所でやるべきことをする、これも一種のお仕事映画であった。

取材をして記事を書く人、校正する人、写植の人、印刷機の前で待機してゴーサインで動かす人、刷り上がった新聞を配達する人、販売所の人…。その後、やっと読者の元にわたる。


昔の印刷機のつぶさな描写も良かった。よく新聞が刷られるシーンは出てくるが、ここまでちゃんとした印刷シーンは初めて観た。出来上がった新聞が昇り竜みたいにくねくねと上がっていくのがおもしろかった。
また、ワシントン・ポストの会社の一階に印刷所があるらしく、上の階で記事を書いている社員が印刷機が動き出したのかわかるという描写も良かった。

新聞配達の人は、販売所の前に捨てるように放り投げていて、販売所の人はそれを拾いに行って店頭に並べていた。その辺も知らなかったので面白かった。

それ以外にも、弁護士や、ライバルのNYタイムズ、また小さな新聞社も恐れずに報道し始め、続々と仲間が集まっていく。一つ一つは小さな力でも、合わせれば大きな悪に立ち向かえるというのがわかり、勇気がわいた。

最後、もうワシントン・ポストはホワイトハウスには入れるなとの電話音声が流れる。
しかし、謎の進入者が!…というところで映画が終わる。
やっぱりヒーローものじゃないか。
彼らの戦いはここで終わらず次なる悪と戦うことがわかる。今後の活躍を示唆されるのだ。彼らの戦いは続いていく。
まるで、アベンジャーズ方式である。

ちなみに、ウォーターゲート事件を暴くワシントン・ポスト紙の姿は『大統領の陰謀』(1976年)にて描かれている。ベン・ブラッドリーも出てくるとのこと。

現代にも通じる話である。つい先日、アメリカの地方テレビ局数局のキャスターが一言一句変わらぬ言葉を読み上げるという不気味なことがあった。フェイクニュース批判だったらしいが、保守系のメディア、シンクレアが指示したものだったらしい。
もう、誰とは書かないけれど、はやくやっつけてほしい。まだ悪は蔓延っている。