『クリード 炎の宿敵』



2015年公開、『クリード チャンプを継ぐ男』の続編。
監督はライアン・クーグラーからスティーヴン・ケープル・Jr.に変わった。長編映画監督は本作が初。
本作の主人公アドニス・クリードの父、アポロの命を奪ったイワン・ドラゴとその息子と戦うことになる。
その話が1985年『ロッキー4/炎の友情』なので、本作のサブタイトルから考えても観ておいた方が良かったのかもしれない。未見でした。

以下、ネタバレです。








父の命を奪った相手との対戦ということで、普通ならば復讐が主題になりそうなものであるが、本作で描かれているのはまったく別のものだった。
アドニス・クリードとロッキーとドラゴ親子の四人の成長である。

アドニス・クリードは最初は復讐にかられていたと思う。ロッキーが止めるのも聞かずに、違うトレーナーをつけてドラゴとの試合に臨む。しかし、そんな状態で勝てるはずもなく、まったく歯が立たずに敗北。
負けたことで、自分の人生自体も見直す。
試合の少し前にはビアンカとも結婚していて、娘も生まれようとしている。負けるのは怖い。絶対に負けられない。プレッシャーの中でロッキーとトレーニングをし、ドラゴとの再戦で勝利し、チャンピオンの防衛に成功する。

満を持してのテーマ曲
たぶんこれ、ロッキー4を観ていたら余計に

ちなみに、ロシアでのドラゴとの対戦、何度倒れても立ち上がるというところも『ロッキー4』を踏襲してるようです。
アドニス・クリードの話は、最初は意気がって突進して行ったものの、すごすごと帰ってきて大事なものを見つけてそれに向かって頑張り、何度倒されても立ち上がって勝利する、というもので、ありがちではあるけれど、これはこれで正統派だし、これが物語の芯としてあるのはいい。一人で赤ちゃんの世話をするのに奮闘しているシーンなどは『インクレディブル・ファミリー2』を思い出した。
もしかしたら、時代にも寄り添っているのかなとも思ったけれど、ビアンカ側のことがあまり描かれなかったのは少し残念。不自由な耳は悪化しているようで、補聴器を付けないと聞き取れないようだった。そのせいでプロポーズも聞けていない。また、そこまでしっかりとは描かれていないけれど、もしかしたら娘も耳が聞こえないかもしれない=遺伝かもしれないという話も出てきていた。その辺りのことがぼんやりとしたままだったけれど、そこまで描いたらばらばらになっちゃうかも。
再戦時にビアンカが歌う曲で“ファイトマネーはいらない”というようなことが歌われていたのも、『ロッキー4』だったのかもしれない。

ロッキー側の話も本当にいい。シルベスター・スタローンがあんなに深みのある演技のできる俳優だとは思わなかった。息子と連絡がとれない状態(行方不明とかではなく、勇気がない)の中、序盤でアドニスとも意思の疎通がうまくいかなくなる。けれど、無理には反対はしない。あくまでもアドニスのやりたいことを尊重して、静かに身を引く。
ロッキーが最初に試合を止めたのは、もちろんアポロのことを思い出してだと思う。嫌な予感がしたのだろう。俳優が一緒だから当たり前といえば当たり前だけれど、ロッキーのこれまでの人生がしっかり沁み込んでいる演技だった。
トレーナーを離れても、ひねくれたりせずに、影で試合をしっかり見ているのも良かった。遠く離れた場所でアドバイスもしていた。まさに見守るという感じだった。
そんななので、アドニスもいつまでも反発せずにすぐに折れ、仲直りをする。
アドニスは生まれてくる子供についてロッキーに話すが、名前についてのやりとりが良かった。「もっとわかりやすい、ケイトとかベッキーがいいんじゃないか?」「黒人だぞ?」「忘れてた」ロッキーの出して来る名前が古そうなのもわかるし、差別意識の無さもよくわかる。
子供が生まれた際に、ロッキーがそれに勇気をもらって息子に電話をかけようとするシーンがあったが、かけられない。じゃあ俺も!と勢いづかせることはできないようだった。勢いだけで行動できるような年齢ではないのだ。
けれど、最後には、電話をかけずに直接息子の家を訪れていた。そのような思い切りのある行動もとれる。
ちなみに、ロッキーの家の前の街灯の明かりがつかず、「電気のつかない街灯はただの棒だ」というセリフがあって、何かの暗喩なのかと思った。ラストには明かりがつくのかと思ったが途中で街灯についての描写はなくなっていた。意味はなかったらしい。

アドニスの正統派の話と、それを見守りながら息子との絆を修復するロッキーの話と、もう一つはライバルのドラゴ親子の話である。
ドラゴは『ロッキー4』でアポロの命を奪ってしまった後、ロシアでの試合でロッキーに負ける。それ以降、ロシアでの立場もなかったろうし、奥さんにも出て行かれたらしい。
彼らには彼らなりのロッキー陣営と戦わなければいけない理由がある。どんな気持ちでロッキーの銅像を見ていたのか、ロッキーの真似をする子供を見ていたのかと考えると心が痛い。
だから、最後のロシアでのアドニスとの再戦の時に、リングに登場した時に、ロシアの観客たちに大歓声を浴びて信じられなさそうな顔をしているドラゴ(子)を見て、涙が出そうになってしまった。やっと許されたと思っただろう。だからこそ、試合中、負けそうになった時に、観客席の母が会場を出て行くのが辛かった。ここで一番泣きました。
勝負事の話だから勝敗はつくし、『クリード』というタイトルだし、主人公なのだし、このラストでドラゴが勝つのはおかしいと思う。でも、ドラゴ側も応援してしまった。
ラストでは父子二人でトレーニングを続けていた。これでボクシングをやめてしまったわけではなかったのが救い。

ドラゴ側のスピンオフを観たいくらいだった。映画中には彼らのエピソードがそれほど描かれていないけれど、これ以上描かれてしまったら、彼らに感情移入しすぎてしまい、どちらが主人公かわからなくなる。

アドニスにとって、最初はドラゴ父子は敵だったし、弔い合戦のような意味合いの試合だったのだと思う。要は復讐である。でも、再戦時は決して復讐ではなかった。

『ロッキー4』でも最初は冷戦真っ只中という時代的にもロシア対アメリカのような構図だったらしいが、そのうち、国ではなく個々の戦いになるあたりに政治的なメッセージが含まれていたらしい。本作はそこまで国を背負ってという意味合いは強くないかもしれないが、父のことは置いておいての個々の戦いであるという点については同じだと思う、

それぞれが違った方向へ成長していく。ロッキーシリーズ全般に言えることかもしれないけれど、スポーツものというよりは人間ドラマだった。

0 comments:

Post a Comment