『心と体と』



アップリンク吉祥寺の『見逃した映画特集』にて。
スクリーン5は29席と一番席数は少ないが、席数に対してスクリーンが小さくなるわけではない(元々そんなに大きいわけではないですが)ので見やすかった。段差もしっかりあってどの席からでも良さそう。
スクリーンの隣りが出入り口だったので、これは途中入退場があった場合、すごく迷惑がかかるな…と思っていたのですが、その場合は後方の非常口が開くらしい。退場もそこからでした。
スピーカーも左右と真ん中にあり、音がいい。三列しかないのが落ち着くし、壁紙もかわいい。
何より、映画をちゃんと観ようという気持ちを持った方が集まっているせいか、喋り声やスマホ関連の音、光以外にもビニールがガサガサいう音もなく、最高の環境で観ることができた。

『心と体と』は去年のアカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされたハンガリーの映画。ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得している。
ハンガリーでの公開は2017年3月、日本では2018年4月に公開されたのですが、文字どおり見逃していたために今回観ました。
同じ夢を見る男女の話というあらすじを聞いて、ほんわかしたラブストーリーかなと思ったら全く違った。

以下、ネタバレです。








雪の中で佇む雄鹿と雌鹿の映像から始まる。寒々しく、周囲に何の動物もいないまま、二頭は寄り添っている。きっとこの二頭がその夢なのかなと思うが、序盤にはそれは明かされない。

主人公は片腕が麻痺している中年の男性エンドレ。食肉解体場で財務の仕事をしている。そこに肉の品質を見定める職員の代理としてマーリアという若い女性がやってくる。
マーリアは透明感があって美人でもあるのだが、人事担当に言わせれば“堅物”とのことだったが、堅物や人付き合いが苦手という域をこえている。外見にもあまり気を配っていないようだった。アスペルガーや発達障害なのかもしれないけれど、正式な病名は出てこないためわからない。でも、カウンセリングも受けているようだったし、自覚はありそうだった。

一人で食事をとっているマーリアに気を使ってエンドレは話しかけるが、失礼な言葉で返されてしまう。その時には、観ている私も失礼なやつだなと思ったけれど、マーリアは帰宅後に塩と胡椒の瓶を使って二人のやりとりを再現していて、本当はうまく話したかったけれどそれができなかったのだなというのがわかった。不器用なのである。

食肉加工場では交尾薬が盗まれるという事件が発生する。牛を発情させるためのもののようだけれど、それが人間にも効果があるのかどうかはわからなかったし明かされなかった。その捜査方法というのが、心理学者のような女性が来て、一人一人に話を聞くというものだった。捜査ともいえないかもしれない。その時の質問が、「精通はいつだったか」「生理が来たのはいつか」「見た夢は?」という抽象的というか、交尾薬だから性的なことを聞いているのかもしれないが、あまり重要とは思えないものばかりだった。
しかし、ここで、エンドレとマーリアが同じ夢を見ていたことがわかる。そもそも、これをわからせるために映画内で事件を起こしたのかもしれない。
また、面接時に「屠殺の際に何も思わない」と言っていた粗野な若者をエンドレは疑っていたけれど、結局彼でないことがわかって謝罪し、仲直りするシーンはちょっとした場面だったがぐっときた。

この面接時の質問で、エンドレは動物にもちゃんと敬意を払えということを言う。屠殺シーンがかなり細かく映されていて、刺激的ではあるけれど、こうやって牛が牛肉になるのだから、決して残酷な映像というわけではないのだ。首を落として吊り下げられた牛からは血が止めどなく落ちていて、今まで生きていたことが否応無くわかる。
またこの牛と、夢の中の鹿と、獣たちに何らかのつながりがあるようなないようなという感じだった。この辺はもう少し考えてみないとわからない。

二人は同じ夢を見ていることがわかって、関係が進むのかなと思ったけれど、「それでは今夜、夢で会いましょう」などと言うだけで、一向に進展はない。むしろ、夢の中でのほうが自由に動き回れているかのようだった。
結局、互いに惹かれてはいても、二人ともどう動いていいかわからない。エンドレはもう中年で恋などしなくても一人で生きていくつもりになっていた。年齢差もあるし、この歳になってまたつらい思いをすることに怯えて踏み出せない。
マーリアも人と付き合えないからどうしたらいいかわからない。彼女の方が厄介である。プレイモービル2体を使って対話の練習をしていた。CD屋に行って、山盛りのCDを視聴させてもらっていた。音楽を聴けば情緒が安定すると思ったからだ。一枚目がデスメタルみたいなのだったのは笑った。必死なのはわかっても、その様子が可笑しみを生む。結局、店員さんに「恋をしている時に聴く曲は?」と聞いておすすめを買っていた。

エンドレは意を決してランチに誘うが、昔(おそらくエンドレがまだ若く、女性と交際をしていた頃)は繁盛していた店がガラガラ、店員も暇そうにスマホをいじっている。いやですよね、こういう失敗…。
エンドレが「横に並んで寝て夢を見ませんか」と誘ったのも、かなり意を決してだと思うし、下心もあったと思う。マーリアがエンドレのベッドで寝て、エンドレはその隣りの床で寝ていたが、二人とも寝付けない。寝付けない様子を上から撮るのが最高だった。二人とも違うタイミングで落ち着かなさそうに目を開くのだ。そこで二人とも寝付けないからといってセックスをするわけではなく、トランプをし始める。やがてそのまま夜が明ける。
もう、不器用すぎて最高です。

それでもエンドレは少し急いでしまって、マーリアの手をとろうとして拒まれる。マーリアは人に触れられること自体に慣れていない。それがエンドレにはわからない。
しかし、マーリアは裏で必死に克服しようとする。ポルノを見る、マッシュポテトを握る、牛を触る、ぬいぐるみを買う、公園で寝ているカップルを見る…といずれも的外れである。でも、一生懸命な様子が可愛い。エンドレに見せてあげたいが、見ていないから拒まれたのは嫌われているからだと思って落ち込んでいる。

だから、マーリアがセルフセラピーを終えて、「今夜は家に行けます。パジャマも持って来ました」と言ったのは、苦労の末のことだったのだ。それなのに、エンドレはそれを拒んだ。
この人たちは不器用なのですれ違う。

マーリアとしては彼のために克服したのに、拒まれてしまってはもうすべてのことに意味がなくなってしまう。そこで、キッチンの引き出しを開く。ナイフが入っていて、嫌な予感がしたらミートハンマーを手に取る。一体何をするんだ…と思っていたら、風呂場のガラスを割る。恋愛の曲を流し、湯をためた風呂の中、ガラス片で手首のちょっと上あたりを切る。
綺麗で悲しい曲と、湯船に広がる血。ああ、こんな美しいラストがあるのだろうか…と勝手に思っていたら、CDラジカセの調子が悪くなる。コントのようだなと思っていたら、携帯が鳴って、マーリアは急いで風呂から上がる。
たぶんエンドレにしか番号を教えていない。もちろんエンドレからで、話しながらも手からは血がぴゅーぴゅー出ている。「私も愛してます」と言いながらも、足元に血だまりができている。電話の向こうのエンドレはまさかマーリアがそんなことになってるのは知らないから、「今から会えませんか?」と言う。もうマーリアは嬉しいから、「少し準備してから行きます」と言って、止血のための紙か何かを丸めたものを紐でぐるぐると腕に巻きつけ、その上からビニールをかぶせる。雑すぎる。
ここも必死さが可笑しさを生んでるんですけど、それ以上に、さっきまで消えようとしていた命が再び輝き出すさまが見事に描かれていて、泣き笑いになってしまった。
屠殺のシーンでもそうでしたが、このシーンもかなり景気良く血は出ますが、グロい、痛い、怖いなどではなく、どちらも生命力を感じるシーンだった。生きている(いた)から、血が溢れる。
あなたに必要とされなかったら死ぬしかないけれど、あなたに必要とされたら手首から血を流してでも会いに行く。マーリアのこの極端さが不器用だけれど、可愛らしくて力強い。

ここからのテンポがちょっと変わっていて、ぱっと画面が変わって病院に移る。おそらくエンドレが強制的に連れて行ったんでしょう。しっかり包帯を巻いてもらっていた。
そして、画面が変わると、二人がエンドレの部屋でセックスをしているシーンになる。キスをして服を脱がせて…みたいな無駄シーンはすべて省かれている。でも、腰を動かしているシーンは長い。そして、マーリアは目も閉じず、声も上げず、エンドレの顔をじっと見ていた。
エンドレの麻痺している片手はベッドからだらりと落ちてしまっていたのですが、終わった後、マーリアがその手を優しくとってベッドに戻してあげていた。マーリアが人に気を使っている姿が最後に見られるとは。

そして翌朝、にこにこと笑いながら朝食を食べながら、「夢を見た?」という話をしていた。二人とも見なかったとのことだった。映像でも、鹿のいない森が映っていた。きっともう、鹿は役目を終えたのだ。この二人を結びつけるために存在したのだろう。
最後まで観てみて、エンドレも最初からマーリアを気にしていたし、マーリアもエンドレと上手く話せなかったことを悔やんでいたし、結局お互いに一目惚れじゃないか…と思ってしまった。だから、恋に落ちる瞬間はわかりやすくは描かれていない。しいていえば、「今夜、夢で会いましょう」と言うあたりか。
それでも、最初が運命の出会いだったのだろうし、二人とも不器用なりに一生懸命になって、それが空回りもするけれど、うまく噛み合って本当に良かったと思った。

ハンガリー映画のせいもあるのか、ちょっと変わっていて、単なるラブストーリーとも違うけれど、愛と命の輝きについての話だと思う。それでも、暑苦しさはなく、ふわっとしたタッチなのがおもしろい。力強いのに、描き方は軽い。どんな映画かというのが一言では説明しづらい。でも、去年観ていたら年間ベスト10に入れていたかもしれない。
一生懸命が空回りするあたりは『勝手にふるえてろ』にも少し似ていると思った。
また、観終わると、マーリアとエンドレはもちろん、太った人事の同僚とその妻、いけ好かない若い新入社員、セラピストの先生、刑事さん、レコード屋の店員など、登場人物が全員愛しくなってしまう。
ちなみに、公式サイトによると、エンドレ役の方は役者ではなく編集者らしいことに驚いた。





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