『アメリカン・アニマルズ』



図書館から稀少本を盗み出そうとする若者たちの話。実話。普通、実話を元に…というクレジットが出ますが、本作は元にではなく実話というクレジットになっている(This is Not Based On a True Story.のNot Based Onの部分の文字が消される)。

本を四人で盗み出すのかと思っていたし、実際そうではあるけれど、メインは二人である。ウォーレン役にエヴァン・ピーターズ、スペンサー役にバリー・コーガン。

監督のバート・レイトンは本作が初の長編ドラマ作品とのこと。

以下、ネタバレです。









実話で実際の犯人たちが出てくるという話は聞いていた。ただ、どんな出演の仕方なのかはわからなかったのだが、少し変わった作りになっていた。
役者さんが演じる普通のドラマのようにして始まるのだけれど、急に、その部分を回想するリアルなご本人と俳優が入れ替わる。いわば、当時の話の振り返りと、再現VTRの中では本物の役者さんが演じていて…という形式である。
バート・レイトン監督はドキュメンタリー作品を多く作っている方らしいので納得だ。
最初にご両親がこんなはずでは…という感じに泣いたり、絶望したりしていたから、計画は失敗するのだろうということはわかっていた。

きっかけはもちろん金というところもあるけれど、それよりは退屈な日常が変わるのではないかという期待をこめてのことだったようだ。全員犯罪初心者だし、計画を聞いていても首を傾げてしまう部分が多かった。
でも計画を立てている様子は楽しそうだった。ウォーレンが出してくる計画はほぼ夢物語で、でもウォーレンはそれが叶うと思っているようだった。まるで、将来の夢について熱く語る若者のようだった。
またスペンサーは芸術家だからイラスト(地図)を書いたり図書館の見取り図の模型を作っていた。ウォーレンが模型に触ると、「触らないで」と怒るなど、自分の作品だと思っている節もありそうだった。

『アイ,トーニャ』も、過去の出来事を現在から振り返る形式だった。もちろん、両方とも役者さんが演じているのだが、記憶が曖昧な部分で思い出す人によって回想の映像が変わるというシーンがあって、本作でもその手法が使われていて、楽しかった。記憶は曖昧になるものである。

計画を立てているときに、オーシャンズシリーズのように、スマートに華麗に本を盗み出す妄想が流れた。本の管理をしている司書の女性に「よろしくお願いします」と握手がてらスタンガンをびりびり。もう、本当に流れるようだった。女性はばったりと倒れ、そのうちに本を盗み出す。
私はオーシャンズシリーズは『オーシャンズ8』が初で、観たときに、こんなにうまくいくわけないのに!と腹を立てたんですが、うまくいく様子を観るシリーズだと言われてしまった。細かいことはいいんだよ方式である。しかし、あれは映画、本作は実話なのだ。当然、オーシャンズシリーズのようにはいかない。

お互いをMr,ピンクなどと呼ぼうという提案をウォーレンが出していたが、これは『レザボア・ドッグス』である。大真面目に映画のように、盗み出せると思っている。でも、映画ではなく実話なのだ。

決行日、四人がそれぞれ老人の変装をするシーンは、普通のケイパーもののようにも見えた。かなり本格的で、成功のヴィジョンが見えた。しかし、普段は一人だけという司書が4人いたということで、計画は延期になる。

実在の4人、特にリアルウォーレンは、最初はにやにやしたり、犯罪を犯したとは思えないほど軽い調子だった。しかし、次第にみんなの表情が曇って、言葉少なになっていく。
特にウォーレンとエリックが思い出していたのは司書の方の悲鳴だろう。スタンガンを当てても気絶をしないから、暴れるところを無理やり縛る。空想と現実との違いについていけなくて、おそらくこの時点で二人とも心が折れていたのではないかと思うが、もう後戻りもできない。地下まで降りても出られないから一階を駆け抜けるとか、階段で本を落とし滑らせるとか、ウォーレンを乗せずに車が出発するとか、場あたり的。当然うまくいくわけがなく、つかまる。

特にウォーレンとエリックは、計画が失敗したことよりも、人を傷つけてしまったことを悔やんでいるようだった。根は優しい子なのだ。犯罪をおかしても、別に悪人ではない。普通の大学生四人である。
映画序盤ではあんなに調子の良かったウォーレン(リアルな方)が自分の行動を振り返って涙を流している様子が印象的だった。
実在の人を交えていくという手法は後半になってより効果的に働いていたと思う。あの時に何を考えてた?を実在の人に聞けるのはなかなかないパターン。序盤は楽しいが、後半は刑務所に入っていることだし、思い出すのもつらいだろう。

この映画で描かれているのは青春の終わりだと思う。けれど、最後に7年の刑期を終えた彼ら(実在のほう)の今何してる?というのを流すことで、青春が終わっても人生は続いていくのだというのがわかりやすい。これも、実在の人を出した効果の一つだと思う。
『天国で、また会おう』では戦争が終わってもそれは人生の一部であり、戦争は通過点でしかないというのがわかった。それと同じように、本作では青春は人生の通過点でしかないのがよくわかった。戦争が終わったらめでたしめでたしと終わる映画とは違う。本作も俳優さんたちしか出てこなくて、捕まった時点で終わったら、ただのボンクラたちの青春映画になってしまう。しかし、彼らはまだ生きている。

そして、実在の司書の方も出てくる。当たり前だが、彼女はウォーレンとエリック以上に怖い思いをしたのだ。彼女の人生の一部分をずたずたにした。傷つけられた人が出てしまった以上、本を盗むという行為はしてはいけなかった。

彼らはそれがわかったようだった。だから、4人別々に、真っ当な人生を送れるように努力している。青春の終わりが人生の終わりではないのだ。
4人はそれがわかっている。4人の今後が明るいものだといいと思う。

リアルスペンサーがガレージのようなものから外に出ると、劇中の4人が乗った車が一瞬見える。それは劇中でも、スペンサーが車窓からリアルスペンサーを見ていて、その時はカメオ的なお遊びかと思っていたが、ラストにちゃんと繋がっていた。うまい。
そして、ガレージを開いたときに受けた光は、結構1日目の決行日に何も盗まずに外に出てきたときと同じだったのではないかと思う。悪いことは何もしなかったという清々しさと、何かを変えたいここから逃げたいと思っていたが、ここも別に悪い場所ではないのではないかと気づき始めた光と同じだと思うのだ。
現に、スペンサーはまだケンタッキー州にいて、そこで鳥の絵を描いているとのこと。彼は、逃げずに同じ場所で、自分の力で何かをつかみ取ろうとしていた。

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