『ハウス・ジャック・ビルト』



ラース・フォン・トリアー監督作。
アメリカでは修正版での公開だったけれど、日本は無修正版での公開とのこと。どのあたりが修正されているのかは不明。
体が変な形に曲げられた人のポスターも話題になっていました。あのポスターは『サスペリア』を思い出した。
連続殺人犯の告白。主人公ジャック役はマット・ディロン。ところどころ、ジム・キャリーにも見えた。

以下、ネタバレです。











連続殺人犯で誰かと話しているモノローグがついて話が過去に遡っているようだったので、刑事と犯人が話している、取り調べの場面なのかと思った。犯人が罪を告白して、それが映像になって出てきて、ラストは二人が対峙するのかなと思っていた。
しかし話はそう単純ではなかった。相手の正体は一向にわからない。もう一人の自分なのかとも考えてしまったが違った。

私たちは、ジャックが殺人犯なのを知って観ている。
だから、最初、ジャックが車を運転していて、車が壊れた女性が絡んでくるシーンはひやひやした。でも、女性の言ってることが、ジャックを馬鹿にしたり、イライラさせられることばかりだったので、これは殺されても仕方がないのではないか?と思ってしまった。

ジャックは連続殺人犯なのでこの先もどんどん人を殺しますが、最初の殺人(映画の中での最初というだけで、ジャックにとっての最初かどうかかはわからない)が共感まではいかずとも仕方ないなと思わされるもので、殺人犯が主人公でも最初から拒絶感はわかなかった。

最初はシンプルに顔を殴打するものだったけれど、絞殺の上、胸を刺すとか、銃を使って倒れたところに二、三発撃ち込んだり、逃げる親子を子供たちだけ先にスナイパーよろしく狩りのように撃って子供(死体)と母親(生きてる)と疑似家族的にピクニックをしたりと殺し方が多彩。
殺した死体は持ち帰って冷凍保存するのでばらばらにはしない。怨恨などもない。むしろ、死体にポーズをとらせたりと遊び始めていて、愛すら感じた。

ジャックは強迫性障害で潔癖症のため、人の家で殺すと綺麗にしたつもりでも、あの場所に血が残っているのではないかと気になってしまって、何度も現場に戻っていた。鍵の締め忘れとか火の付けっ放しとかを心配して何度も家に戻っちゃうあれ。この場面、笑いが起こっていて笑っていいものか悩んだけれど、結局一緒になって笑ってしまった。滑稽さもある。

別に殺人を悪いことだと思っていないから堂々としているせいか、犯行が杜撰で大胆でもばれない。警察が馬鹿なだけかもしれない。運がいいのかもしれない。

殺した死体の使い方もおしゃれだったけれど、映画の作り自体もおしゃれだった。いくつかの繰り返されるパターンがジャックを知るヒントになるのだろうか。

グレン・グールドのピアノ演奏。彼も強迫性障害だったらしい。
デヴィッド・ボウイの『Fame』が繰り返し流れるのは何かしら評価されたかったのだろうか。家も建てていたし、死体の使い方もだけれど、芸術家気質でもある。建築も、実用的とは思えなかったのでアートである。
また、紙に書かれた単語を次々と投げ捨てるのは、ボブ・ディランのPVからなのだろうか。(映画だそうです)
マット・ディロンが恰好良く、どんなシーンもはまる。
街灯の下を歩く人のアニメ映像も何度も出てくる。歩いていて、街灯の真下に立った時が影が一番短く濃いのが殺人の衝動に似ているとのこと。

虎と羊の映像もよく出てきた。
虎と羊はわからないが、ところどころでポツポツ出てきたものが後半になると宗教色が一気に濃くなる。ジャックは本当に地獄へ行く。
地獄への使者が、最初から声が聞こえているジャックの対話の人物ヴァージだった。ヴァージというのはダンテの『神曲』の中でダンテを導く存在のウェルギリウスのことらしい。
終盤でジャックは友人(なのかも不明)のS.P.を殺して彼の着ていた赤いフード付きの上着を奪う。ここから後半はジャックはずっとその格好だけれど、まさにダンテのそれだった。
また、ドラクロワの『ダンテの小舟』を模したシーンもある(一発撮りとのこと)。別名、『地獄のダンテとウェルギリウス』ということで映画はそのまま。『神曲』の中の一場面らしい。

大鎌を振るって草を刈る男たちも出てくる。ジャックが幼い頃に見た風景であり、そこは地獄ではなく楽園と言われていたが、大鎌=死神のイメージがあるけれどどうなのだろう。
でも、ジャックはそこへ戻りたいと思っているのか、郷愁にかられているようだった。

ジャックがああなった原因については描かれない。よく両親が原因だったりというのも出てくるが、幼い頃からアヒルの足を切っていたし、感情は普通ではないようだった。
しかし、ヴァージに何度か問われている通り、愛を求めてはいたのかなとは思う。それで冷凍庫にあれだけ人間(死んでますが)を集めていたのではないか。コレクションに囲まれている時の安心感はよくわかる。その対象がジャックは自分が殺した死体だったというだけだ。

地獄で、上に行きたいと願うジャックは危険をおかすが、結局失敗をして戻れない部分へ落ちていってしまった。落ちた絵がポジからネガに変わるのもおそらく理由があるのだと思うけどわからなかった。
すぐにエンドロールへ入るのですが、流れるのが『Hit The Road Jack』。出て行ってジャック、二度と戻ってこないで、もう二度と、二度と、二度と という歌詞が軽快なリズムにのって歌われる。ギャグなのだろうと思う。

この曲も軽快だが、本作はトリアー監督にしては、軽快でそのせいで薄口に感じた。強烈なシーンが少ない。
死体で家を作るシーンもあったけれど、どうもドラマ版『ハンニバル』を思い出してしまった。あちらのほうが強烈さでいったら上。威張れることではないとは思うけれど。



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