『マダム・イン・ニューヨーク』



2014年公開。インドでは2012年公開。
邦題の雰囲気からインドのご婦人がニューヨークに行っててんやわんやするカルチャーギャップコメディなのかと思っていたら違った。
確かにニューヨークへ行っててんやわんやはするけれども、そこまで単純に笑い飛ばせる話ではない。

ニューヨークへ行くけれども、ニューヨークの人との関わりはほとんどない。人はたくさんいても、その中で一人ぽつんと孤独になってしまう感じ。それは、私自身も英語が出来ないまま単身ロンドンへ行ったことがあるのでそこでも感じたことだ。映画の序盤で出てくるカフェでの出来事ほど酷い目には遭わなかったけれど、気持ちはよくわかる。

人種のるつぼと言われるアメリカ、その中心であるニューヨーク。そこで、よそ者たちを集めたサークルとして、短期の英会話スクールが使われていたのがうまい作りだと思う。
ベビーシッター、美容師、タクシー運転手、料理人…みんな外国からアメリカに来た人たちで、英語ができないことで疎外感をおぼえながら暮らしている。英会話の先生自体はアメリカ人でも、ゲイなので、同じような疎外感はおぼえているのだろう。

主人公のシャシは、インドで“保守的”に暮らしていたから、最初、単身でニューヨークへ行かなければならなくなったときにも、息子を連れて行こうかしらなどと言って不安そうだった。
けれど、英会話スクールに申し込んで、仲間と出会って友情が芽生えて…。
インドでは女性差別が問題になっている。おそらく、日本以上に地位が低いのだろう。そこで専業主婦をしていたシャシが、外国で誰に言われたわけでもなく、新たな扉を自分の手で開いた。だからこそ得られたものも大きかったし、変われたのだろう。

結婚式でたどたどしいながらも英語でしっかりとスピーチをするシャシ。四週間で変わった妻を見て、弱気になった夫が「まだ俺を愛しているか?」と聞いたり、英語ができないことを馬鹿にしていた長女が泣きじゃくっていたり。その姿を見て、彼らはやっぱりシャシのことを馬鹿にしていたのだろうなと思った。ちゃんと謝りもしないのはどうかと思う。許すシャシは大人である。
自分を尊重してくれるフランス人シェフのローランのほうへ行っても良さそうなものだけれど、やはり家族は大事なのだろうなとも思った。
ローランに礼を言って別れ、インドのお菓子ラドゥを一個多く夫に渡したシャシの姿が神々しくも見えた。

シャシ役の女優さんがとても綺麗だったのだけれど、“70年代から90年代にインド映画に出演”とプロフィールに書いてあって、一体いくつなのかと思ったら、なんと50歳で驚いた。30代後半から40代前半にしか見えない。
彼女は結婚をして俳優業を休んでいて、今作が15年ぶりの復帰作らしく、何かこの映画自体のテーマと繋がる部分があると思った。
また、監督が女性なのもとても納得がいった。本作が長編デビューとは思えない。ウディ・アレンが好きらしい。

実は、インド映画特有の突然踊り出す感じが苦手だったんですが、この映画にはその要素はなかった。
結婚式で踊るシーンはあるけれど、あくまでも自然。
エンドロールでは踊っていたけれど、どちらかというとNG集のような感じで、わいわいと賑やか。愉快な気持ちなる。

登場人物が歌うこともない。けれど、挿入歌のようなものはよく流れ、しかも歌詞がシャシの内面を表したものになっていた。いままでのインド映画だと、シャシが歌いながら踊るところである。

テーマ曲ともいうべき、『English Vinglish』は、そのまま映画の原題と同じタイトルが付いている。
“Vinglish”は辞書にも載っていない造語らしいけれど、崩れた英語とかEnglishのなり損ないという風にとらえてました。VinglishでもこうしてEnglishと肩を並べられるよ、みたいな感じ。



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