『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』



作家トマス・ウルフと編集者マックス・パーキンズをめぐる実話。

原作は『名編集者パーキンズ』という小説で、A・スコット・バーグというのちにピューリッツァー賞を受賞する方の処女作。1978年に出版された。
ここでは、マックス・パーキンズの生い立ちから描かれていて、映画にも出てくるフィッツジェラルドやヘミングウェイのことも多く書かれているようだが、本作はその中でトマス・ウルフにのみスポットが当てられている。

トマス・ウルフ役をジュード・ロウ、マックス・パーキンズ役をコリン・ファースと人気の俳優がそろっているわりに公開館数が少ないのは、トマス・ウルフ自体が日本であまり有名ではないからかもしれない。

脚本は『ランゴ』『007 スカイフォール』のジョン・ローガン。もともとは彼とA・スコット・バーグが17年前に会い、映画化を申し出たことがきっかけらしい。

監督はマイケル・グランデージ。聞いたことがないなと思ったら、舞台のプロデュースで有名な方で、映画監督は今回が初だそう。
イギリスを中心に1996年から多数の舞台を手がけている。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀監督賞やトニー賞も受賞しています。
ロンドンのノエル・カワード劇場でのジュード・ロウ主演の『Henry V』、ジュディ・デンチとベン・ウィショー主演の『Peter and Alice』(脚本はこちらもジョン・ローガン)、ダニエル・ラドクリフ主演の『The Cripple of Inishmaan』などのキャストも豪華な6公演のシリーズも大成功だったらしい。

観ていてなんとなく舞台っぽいなと思ったんですが、それはジュード・ロウがわりと大げさな演技をしているせいかと思ったけれど、監督が舞台の方なら納得。

以下、ネタバレです。







序盤、混んでいる電車の中で、トマスの原稿を読んでいるパーキンズに、スポットライトのように一人だけ柔らかな陽光が当たるシーンがある。それは、パーキンズを他の乗客に紛れさせないための演出でもあると思うけれど、原稿を読みながら心の中に光が広がっていくのを示しているようでもあった。一目で大事な出会いだったのだとわかる。
これも舞台っぽい演出だと思った。

作家というのはそうゆうものなのかもしれないけれど、トマス・ウルフはやや破天荒な人物として描かれていた。書いていないと死んでしまうような印象。または、作家でなければ本当にダメ人間のようだった。周囲の人間も振り回すだけ振り回す。だからこそ魅力的という面もあるのかもしれない。
しかし、書くことは生きることという感じなので、とにかく原稿が長い。パーキンズは編集者としてそれを削る仕事をしていた。かなり勢い良く削っていたが、結局、30万語から6万語削ったらしい。
削られてベストセラーになった『天使よ故郷を見よ』はネット書店でも高騰しているし、図書館にもないようなので、翻訳版は絶版になっているのだろうか。ちなみに、削る前、編集なし版の『失われしもの』も2000年に出版されたようだけれど、この分だと翻訳版は出ていないのだろうと思われる。『天使よ故郷を見よ』だけでも読めるようになるといいのだけれど。

ごりごり削るシーンで、「他のシーンでは形容的な描写が多いけれど、恋に落ちるシーンは短い、シンプルな言葉でいい。そのほうが際立つ。実際に恋に落ちる時にそんなにつらつら考えないだろう?」というようなアドバイスをするシーンがあり、勉強になった。

トマスとパーキンズはかたや奔放、かたや堅物といった感じで、性格が正反対のようだった。けれど、お互いに周りにはいないタイプの人間だったという事でうまくいっていたのではないだろうか。
トマスは「今まで友達がいなかった」と言っていたが、自分の書いた原稿を読み、親身になってアドバイスをくれたことで友情を感じていたと思う。
パーキンズにとってはそれが仕事でも、トマスにとっては書くことが生きることなのだろうから、そこに寄り添ってくれるというのは多分特別な意味を与えていたと思う。

ジャズクラブに連れて行かれ、最初は乗り気じゃなかったパーキンズも、トマスに曲をリクエストしてもらい、その曲のダンスアレンジをバンドが演奏すると足が自然とリズムを刻んでいた。

後半、かつてトマスが住んでいた家に不法侵入するシーンではパーキンズが窓を壊して鍵を開けていた。前半の彼の様子からは考えられなかった行動だ。
パーキンズもまた違う世界を見せてもらったのだ。

そんなだから、アリーン(奥さんか恋人だと思っていたけれど、既婚者だったので愛人?)も二人の仲に嫉妬する。
拳銃を持って編集部を訪れたときに、パーキンズが編集者っぽいある意味理屈っぽくもある冷静な説得の仕方をしていたのが印象的だった。
アリーンを演じたのがニコール・キッドマン。彼女もノエル・カワード劇場でのシリーズに出演していたようだ(『Photograph 51』)。
恐ろしく顔が整っているけれど、少し怖い感じだったり神経質そうだったり不安定だったりする演技がうまかった。涙を両指で拭う仕草も優雅だった。

また、フィッツジェラルド役でガイ・ピアースもうまかった。誠実そうでそれゆえスランプに陥った作家というのが伝わってきた。出番はそれほど多くないけれど残す印象は強い。

トマスは周囲を巻き込むだけ巻き込んで、アリーンの元も去ったけれど、パーキンズとも結局別れることになる。売れたのは編集者の力だったのではないかと言われたのが気に食わず、自分だけでもできると考えたらしい。
けれど、最期には病院のベッドでパーキンズあてに手紙を残していた。
意識が戻るかどうかと言われていたので、あんな長文の手紙は実話とはいえ映画の中だけの創作だろうと思っていたけれど、ここも実話だったらしい。

感情の起伏の激しさと、周囲を自分勝手に巻き込むエネルギッシュさは作家っぽいなと思いながら観ていたけれど、同じ作家でもフィッツジェラルドのようなタイプもいる。
実際の作家がどんな人物だかはわからないけれど、少し調べてみると映画の通りだったようだ。だから、ガイ・ピアースもジュード・ロウも演技が素晴らしかったのだと思う。
ジュード・ロウは今回、年齢不詳というか、子供のようにも見えるような、大げさで落ち着きのない演技だった。最近では珍しいと思う。

また、本作を観ながら『キル・ユア・ダーリン』のことも少し思い出していて、トマス・ウルフの所業がビートニクっぽいなと思っていたら、ジャッック・ケルアックに影響を与えているらしくて、それも映画だけでわかってしまうのもすごいことだと思った。
ちなみに、トマス・ウルフが『天使よ故郷を見よ』を出版したのが1929年、ジャック・ケルアックが『路上』を出版したのが1957年である。なんとなく時代背景が把握できた。

マックス・パーキンズを演じるコリン・ファースは本作も冷静沈着な役柄だからダーシーと似ている感じ。でもダーシーのほうが不機嫌っぽい。
1900年代アメリカで流行った中折れ帽をずっとかぶっていて、家の中でも取らない。これも頑なだったので実話なのだろうか。それとも、トマスの最期の手紙を読む時に初めて帽子を取っていたので、それを効果的に見せるための手段なのだろうか。

本作では編集者の役なので、原稿をチェックするシーンが多いんですね。そうすると、伏し目がちになって、それがとても良かった。また、片手に赤鉛筆、片手に煙草という組み合わせもたまらなかったです。

0 comments:

Post a Comment