『ファンタクティック・ビーストと魔法使いの旅』



ハリー・ポッターシリーズを観たことがないので繋がりがよくわからなかったのだけれど、ハリー・ポッター内に出てくる『幻の動物とその生息地』という書物(教科書?)の作者が本作の主人公ニュート・スキャマンダーということらしい。全五部作予定。
なので、ハリー・ポッターよりは過去の話だった。

おそらく繋がりがあるのだろうなという人物についてはよくわからなかったし、きっと知っていたらもっと楽しいのだろうと思うけれど、知らなくても楽しめました。

以下、ネタバレです。








ニュート・スキャマンダーというイギリス人がトランクを持ってニューヨークに降り立つところからストーリーが始まる。
このトランクの秘密道具具合がすでにわくわくするんですが、この中には魔法動物がいて、逃げ出したそれらを捕まえるんですね。この動物たちがとても可愛い。ハリモグラの赤ちゃんに似てるニフラーはキンキラなものを集めるのが好き。宝石屋で動きを止めて、置物のフリをしていて、そうゆう知恵も働くのか!と思った。
緑の枝のようなボウトラックルは、風邪をひいていてニュートがポケットで温めてあげていた。懐いている様子だった。

他にも多数不思議な動物が出てきて楽しい。細かい設定の載っている図鑑が欲しいと思ったけれど、『幻の動物とその生息地』として発売もされていたらしい。現在は入手困難らしく残念。五部作の最後の方でニュートが完成させるのだろうか。そうしたらまた発売されるかな。
もしかしたら、リタと呼ばれていた女性が書くのかもしれないなとも思った。彼女はおそらくハリー・ポッターシリーズに出てくるのだろうと思った。写真を飾っていたようだけれど恋人だろうか? 訳ありのように見えた。過去作を見たら、関係がわかるのかもしれない。

人間と魔法使いが対立して、魔法動物も淘汰されてしまい、放っておくと絶滅してしまうところをニュートは研究をすると同時に保護をしているようだった。
おそらくレッドデータブック的なものとか、現実の世界でも問題になっているようなことに警鐘を鳴らしているのかとも思ったけど、そこまで深くは入り込んでなかった。説教臭さはないです。あくまでもエンターテイメント。

そして、逃げ出した動物たちが騒動を起こす。
銀行や宝石屋さんがめちゃくちゃになるのも、人は死んでいなくても騒動である。これは完全にニュートのせい。この責任がどうとかは描かれないのもエンターテイメント作品だなという感じ。
そうやって軽い感じだったので、中盤で騒動が原因で人が死んでしまったので、本当に死んだのかを疑ってしまった。
そして、それもニュートが逃した魔法動物のせいなのかと思ったので、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のような尻拭い映画なのかと思ってしまった。悪役はウルトロンではなく結局社長じゃないの?と同じく、魔法動物が悪いのではなく、逃したニュートのせいじゃない?というような。

しかし、それはまた別の問題だった。
エズラ・ミラーが出てるのを全く知らなかった。
彼は美青年ですが、影があるというか、何か闇を抱えている役が多い印象。本作でも、美青年っぷりは隠せなくても、髪型がちょっと変なのと、目つきなどもおどおどしていた。今回の悪役というか、悪役に操られてしまう役。

そして、本当の悪役はコリン・ファレルだった。最後に捕らえられるんですが、「元の姿を現せ!」みたいな魔法で変わった姿がジョニー・デップだった。
コリン・ファレルがジョニー・デップとは『Dr.パルナサスの鏡』!とも思った。あと、これほど重要なキャストが急に出てくるってことは、これも旧作関連なのかな?と思ったら、出てきていないようだった。
じゃあ、誰なのか調べてみたら、ヴォルデモート(ハリー・ポッターの悪役)の出てくる前の悪い魔法使いらしい。

本作では一般人というか魔法使いではない普通の人間が巻き込まれてしまう。
対比として、魔法使いの魔法使いっぽい映像が出てくる。杖をふりふりしながら、自分の手は使わずに家事をしたり、壊れた建物を魔法の力で修復したり。
単純に見ていて楽しい。
巻き込まれる男性コワルスキーも、それを見て、驚きながらも目を輝かせていた。

ニュートの不思議なトランクの中に連れて行ってもらったときも、「『昨日何してたの?』『トランクの中に入ってたんだ』なんてね」なんて独り言を言って、にこにこと嬉しそうにしていた。
その気持ちがとてもよくわかる。コワルスキーは観客と同じ目線に立っている。

毎日変わらぬさえない日常。けれど、特別な存在と出会って、世界は一変する。危険はあっても魅力的な冒険。

ちょっと『ドクター・フー』っぽいと思ってしまった。『ドクター・フー』も普通の暮らしをしていた一般人がドクターという未知の存在に出会って、最初は恐る恐る、けれど次第に引き込まれていき、わくわくするような冒険へ一緒に出かけていく話である。
でも、私は『トゥモローランド』ですら『ドクター・フー』だと思ってしまったので、何を見てもそう思ってしまうところがある。

でも、ラスト付近で、コワルスキーの記憶が消されるシーンを見ながら、ああやっぱりこれは『ドクター・フー』っぽいと思った。魔法使いとのことは、人間は覚えていてはいけないのだ。クイニーが魔法の杖を傘の柄の部分のように持って、雨の中で向き合うシーンが美しくも悲しかった。

そのあと、何もなかったかのように、妙にさっぱりした顔をして、雨の中を駆けていくコワルスキーの姿を見るのが切ない。

この後に、ティナとニュートの別れのシーンもあるけれど、別になんとも思えないというか、君たちはお互いがお互いのことを覚えているし、また会う約束をしているからまあいいじゃないかと思ってしまった。

別れのシーンの描きかたの濃さ薄さといい、なんとなく、ニュートよりもコワルスキーの方が主役に思えてしまった。キャラクターとしてもコワルスキーのほうが親しみやすい。

ラストで、コワルスキーが夢であるパン屋をオープンさせ、そこへクイニーが客として訪れると、コワルスキーはにっこり笑うんですよね。
もちろん、彼女のことはおぼえていないのだ。それでも、ああ、良かったと思った。
このパターンに弱いのだ。記憶が消されるとか、記憶喪失とか、なんでもいいんですが、知らないはずなのに、なんかこの人のこと知ってるなあと心の奥底で覚えているパターン。
『時をかける少女』あたりが好きなのもこれです。

『ドクター・フー』にしてはドクター役が三人でコンパニオン役が一人なんですが、これがもし、コンパニオン役が女性だった場合はニュート一人だったかもしれない。最後にパン屋に行くのも、雨の中で別れるのもニュートだったのではないだろうか。

綺麗な終わりかただったけれど、五部作で、次作はコワルスキー出ないのだろうというのが残念。記憶を消した意味がなくなってしまう。
次は違う人間が巻き込まれるのだろうか。
でも、そうしたら本当に『ドクター・フー』になってしまう。

考えすぎかと思ったけれど、2011年に本作の監督のデヴィッド・イエーツが、『ドクター・フー』の映画を計画していて脚本家を探していたらしい。でも、ドラマ版の制作者であり脚本家であるスティーブン・モファットが断って中止になったらしい。

また、主役のニュート・スキャマンダー役に、ニコラス・ホルトとマット・スミスが候補として上がっていたらしい。
本当に『ドクター・フー』になってしまうが、マット・スミスが合いそうな役だった。

ニュート・スキャマンダー役がエディ・レッドメインだと聞いた時、エディがハリー・ポッターシリーズに出たら人気が出てしまう…と思ったけれど、特にイケメン役じゃなかったのでそんな心配もなさそう。
ちょっと変わり者役というか、本作を見た限りだと謎が多く、あまりよくわからない役柄だった。世間一般的なイケメンのイメージとは違うマット・スミスのほうが合いそう。

でも、そうしたら本当に『ドクター・フー』になってしまうし、ドクターを演じた俳優がドクターっぽい役を演じることもないのだろう。

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