『セールスマン』



アカデミー賞外国語映画賞受賞。他にもカンヌ国際映画祭脚本賞、男優賞など多数受賞。
アカデミー賞ではイランのアスガー・ファルハディ監督と主演のタラネ・アリドゥスティがトランプ大統領の入国制限政策へ抗議するため、授賞式をボイコットしたことでも話題になった。

以下、ネタバレです。







欧米以外の映画は、年に一度のショートショートフィルムフェスティバルで短編映画を観るくらいであまり触れる機会がない。
それぞれのお国柄や文化などがわかっておもしろいけれど、作風が独特な場合が多く、観づらいこともあった。終わり方などがふんわりしていてわかりにくいことも。

本作もイランの映画ということで少しかまえていたのだけれど、普通の欧米サスペンスのように観ることができた。もともとフランスの配給会社も絡んでいるようだったし、海外展開が考えられていたものなのだと思うから、他のイラン映画とは違うのかもしれない。

ある夫婦を不幸な事件が襲う。妻が謎の侵入者によって襲われてしまう。
夫は許せないので犯人探しをしたいが、妻は警察には届け出ずに引っ越してもう忘れてしまいたいと言うことで、気持ちがすれ違う。
最初、夫婦の住むアパートの隣りで解体工事が行われ、住むアパートから避難することになるが、近所の体が不自由な男性が避難するのも夫は手伝っていていた。教師をしているが、学校でも生徒に対して穏やかだった。
けれど、夫婦の気持ちがすれ違った後は、夫自身もギスギスして、生徒にも厳しく当たっていた。

結局、夫は独自で犯人を見つけ、執念で追いつめるが、被害者である妻は、家族には言わないであげてほしいと言っていた。
イスラム教の教えについてはよくわからないし、イスラム教を扱った映画もあまり観ないけれど、キリスト教のメタファーなどが出てくる映画ではよく赦しについて描かれる。
妻のこの行為もキリスト教的な赦しを彷彿とさせた。けれどおそらくイスラム教徒だと思う。宗教の種類は関係なく、人柄なのかもしれない。
また、被害に遭った直後だったらどうだろうとか、犯人が高齢の病人でなかったらどうだろうとも考えてしまう。

妻は、もしも犯人を家族に突き出したら夫婦関係が終わると脅すようなことを言っていた。しかし、怒りの収まらなかった夫は突き出さないまでも、犯人を殴ってしまう。結局、心臓が悪かった犯人の男性は、それが原因でおそらく亡くなってしまう。

誰が悪いのかなんていうのは、人違いだとわかって襲った犯人の男性に決まっている。けれど、前の住民(娼婦)がいい加減な退居をした、前の住民について仲介した男性が教えなかった、前のアパート(の隣り?)が急に取り壊されそうになった、夫と確かめず扉を開けてしまったなど、不運が重なった面もある。
また、自分が登場人物の誰それの立場ならどうするだろうと、全員について考えさせられる。

他のレビューなどを読むと、イランらしさについても描かれていると書いてあったりもするが、いまいちどの辺なのかわからなかった。
イランの子供もスポンジボブが好きだったのは意外だった。
また、料理を作るときにパスタを作っていたのも意外。黄色かったが、サフランだろうか。いわゆるイタリアっぽいものとは違うのだろうか。味付けはどうなのだろう。パスタと日本語に訳されていても、実は似たようで別のペルシャ料理なのだろうか。けれど、その後にピザは好きかと聞いていた。これは普通のピザなのだろうか。
また、女性が疲弊した状態で倒れこむように寝るときに、スカーフをとりなさいと言われていた。なるほど、外出時に付けていても、家では外すのだ。寝るときに付けているのは行儀が悪いというかマナー違反なのだ。

劇中劇の中の娼婦役の女性が裸じゃないのもお国柄と書かれていたけれど、あれはリハだからかと思っていた。本番も着たままなのか。
また、主人公夫婦は中流階級と書いてあって、それも少し意外な感じがした。

アート系の作品だとちょっと理解をするのに頭を使わなければならないというか、細かいところにヒントを求めて深読みする必要がある。本作は、その必要がなく、純粋にストーリーに没頭できる。それだけで登場人物の心の動きもわかるし、それぞれが悩んでいる様子を見て悶えることができる。
だから細かい部分に目がいかず、お国柄のようなものを見逃したのかもしれない。

映画内で夫婦が所属する劇団が演じるのは、アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの死』。アメリカのものである。
主人公は年老いたセールスマンですべてがうまくいかなくなり、自ら死を選ぶ。その保険金で家のローンが支払われたことを知り、妻は夫がいないことを悲しむ。
双方が相手を思いやるけれど結局噛み合わないということで、なんとなく『賢者の送り物』を思い出した。妻が夫に送る懐中時計の鎖を買うために髪を切って売り、夫は妻に髪飾りを贈るために懐中時計を売る。こちらは両方が生きているから、思いやる気持ちが大事ということで終わるからハッピーエンドではあるけれど、噛み合わなさは似ていると思った。ちなみに、『賢者の贈り物』もキリスト教の話である。

そして、演じている現実の二人も同じで、互いを思い合っていても噛み合わない。
夫が、結局犯人を殺したような形になってしまった後、二人とも無表情で演じる芝居用の老いたメイクをしてもらっている。
現実の二人は老いた姿になるまで一緒にいるのだろうか。一度、信頼関係は崩れてしまったからいないのではないだろうか。
『セールスマンの死』は劇中劇として映画内に少しずつ出てきて、それがまたいろいろと考えさせられる。この多重構造は少し『バードマン』を思い出した。『バードマン』はもっと演じられる舞台に重きが置かれているけれど。

あともう一つ、昔のイラン映画の『牛』というのが出てくる。おそらく、これにも意味がありそうなのだけれど、いまいちわからなかった。
人間からゆっくり牛になるという内容らしいが、夫婦の関係がゆっくりと変わっていくといったことだろうか。あと、映画全体が欧米っぽい雰囲気だし『セールスマンの死』はアメリカのものだけれど、これはイランの古い映画というのも気になるところだ。

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