『光をくれた人』



監督は『ブルーバレンタイン』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』のデレク・シアンフランス。
主演のマイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルはこの映画をきっかけにお付き合いをスタートさせたらしい。

以下、ネタバレです。







子供のできない夫婦のもとに赤ん坊が流れ着き、夫婦が育てるが実の母が現れて…というストーリーなのは予告編を観て知っていた。
だから当然もう夫婦なのだろうと思っていたら、二人が出会うところから映画がスタートしたので驚いた。
また、マイケル・ファスベンダー演じるトムは退役軍人で、人との付き合いを避けるために孤島の灯台守を志願し…という少し複雑な背景があった。

前半はまさにこれはお付き合いを開始する…という雰囲気だった。孤島は文字どおり二人きりの世界だし、風景も美しい。風も強そうだったが、それもまた良かった。デスプラの叙情的な音楽ともよく合っていた。

ただ、島に流れ着いた赤ん坊をイザベル(アリシア・ヴィキャンデル)が育てたいと言い始め、イザベルにまったく共感できなかったのでイライラしてしまった。
二度流産をして、この先子供ができるかどうかもわからない。赤ちゃんが流れ着いたことを報告すれば、孤島では養子として育てることはできず養護施設に送られてしまう。そんな言い分がわからないこともない。
養護施設というと、4月に公開された『LION』でも、子供達が酷い目に遭っていた。あれは極端なのだとしても、良い暮らしはできない。確かに可哀想ではあるけれど、報告すれば親が見つかるかもしれない。イザベル以外にも親が見つかるかも。養子としてひきとり、イザベルだけ町に帰るなどの選択肢はなかったのだろうか。

でも、トムは夢も希望も失っていた中でイザベルに愛されたから、彼も彼女をとても大切にしているんですね。それで、彼女の希望を叶えてしまい、報告しない。
ここでトムを必死に説得するイザベルは、グザヴィエ・ドランがよくやるようなぐるぐる目になっていた。何か(ここで言うと赤ちゃんを育てること)を盲信して、聞く耳を持たない。少し狂ったようにも見える。アリシア・ヴィキャンデルの演技がうまいだけに余計にイライラする。
トムも今の彼女には何を言っても説得できないだろうと悟ったのだと思う。

けれど、わりとすぐに本当の母親が現れる。トムの匿名の手紙がきっかけで娘が生きていることを知ることになるが、そのトムをイザベルが責めるのもすごく自分勝手だと思ってしまった。
赤ん坊と一緒に流れ着いた父親と思われる男性の遺体を埋めたのもトム一人だし、二人の本当の赤ちゃんが埋められた上の十字架を引っこ抜いたのもトム一人である。イザベルはただ赤ちゃんを抱っこしてあやしていただけだ。
それなのに、裏切っただの許せないなどと騒ぎ立てて、もともと自分の子供じゃないくせに…と思いながら観ていた。

合間に本当の母親ハナのエピソードもはさまれる。夫はドイツ人で、戦争後のオーストラリアでは肩身の狭い思いをしていたようだった。
ハナの実家はお金持ちのようだったし、ドイツ人と結婚することを許されていなかったけれど、二人で駆け落ちをする。そんな中でできた子供である。
トムとイザベルのエピソードの中ではすでに遺体の状態だった男性がしっかりと動いていた。片方からの視点では遺体というか脇役以下のような存在でも、もう片方では重要な役割を担っている。誰かにとっては取るに足らない人物でも、誰かにとっては大切な人だというのがわかる。

私はもうこの辺りではイザベルのことが見ていたくないくらいになっていたので、ハナのエピソード中心にしてくれていいのに…とも思った。

結局娘はハナの元へ帰るが、赤ちゃんの時の記憶はなく、ハナのことを本当の母だとは思っていない。娘はイザベルの元に帰りたがっているし、イザベルも娘と離れて悲しい。ハナは本当は自分が産んだのに母親と認識してもらえなくて悲しい。トムは一人罪をかぶって投獄されている。
もしかしてこれは、誰も幸せにならないパターンなのではないかと思ってしまった。

また、ハナ側ではなく、イザベル側を中心に描いているということは、結局、イザベルの元に娘が帰っていって、この先も二人で幸せに暮らしていきましたとさというめでたしめでたしになってしまったら嫌だなと思っていた。

ハナを演じたのがレイチェル・ワイズなんですが、彼女が髪が真っ黒なせいもあるのか、夫と子供を亡くしたから暗い顔をしているという演技のせいか、結構魔女っぽいというか、悪役っぽく見えるんですね。対するアリシア・ヴィキャンデルは天真爛漫でたぬき顔。イザベルの主張が通ってしまうのかな…と思わざるをえなかった。

しかし結局、イザベルはトムにどれだけ愛されていたかを知り、罪を告白する。ハナは夫が言っていたことを思い出し、ハナを赦す。
なんとなく、ハナのドイツ人の夫が主人公のような感じがしたし、そのような作りで観たかった。そして、キリスト教の話なのかなとも思った。

おそらく20年後くらいだったと思うが、トムとイザベルは人里離れた場所で暮らしていて、そこに大きくなった娘が孫を見せに来る。

きっと、小さい頃はイザベルと引き離されることの意味がわかっていなかったとしても、大きくなるにつれて、自分がさらわれたことを認識し、イザベルのことを恨んだこともあったと思う。しかし、会いに来たというのは、これはこれでハナと同じように二人に対する赦しなのだと思う。

中盤から最後の方までイザベルの行動に共感できなくて、少し怒りながら観てしまったが、最後は嘘のように優しく穏やかな気持ちになれる不思議な映画だった。


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