『ダンケルク』(三回目 35mmフィルム上映)



丸の内ピカデリーにて期間限定で行われている35mmフィルム上映で鑑賞。
昔の映像のようなタイトルの揺れと汚れ。舞台が第二次世界大戦中だし、ドキュメンタリーのように見えないことはない。ただ曇り空が多く出演者も軍服のため、元々の色のトーンが全体的に低いせいもあって、さらに暗く見えた。また、前回観たのがIMAXだったので余計にそう思ったのかもしれないけれど、線がぼんやりふんわりしてしまってそれも見にくく感じてしまった。味と言えば味なのかもしれない。ただ、これは、技師の方がピントを合わせられていなかったせいではないかという話もある。
クリストファー・ノーラン監督の前作、『インターステラー』も同じく丸の内ピカデリーでフィルム上映があったらしいが、その時にも同じような意見が出ていたらしい。

通常、IMAX、フィルムと見比べてみたが、一回しか観ないならIMAXがいいと思います。音も重要な役割を担っている映画だと思うが、それもやはりIMAXが一番いい。

以下、ネタバレです。











まず時間軸についてですが、陸組(桟橋組も含む)、海組、空組が交互に出てくるが、時間が前後しているのが『インセプション』っぽいと思ったが、『インセプション』が階層が下に行くほど時間が長くなるピラミッド型の三角形であるのに対して、『ダンケルク』は着地点が同じため、直角三角形になっている。空が一番短く、海が中間、陸が一番長い。

そのことを踏まえてキリアン・マーフィー演じる謎の英国兵(名前は付いていないみたい)の動きを考えた。
トミーやアレックスが船室でジャムパンと紅茶を振舞われ、ギブソンは甲板にいた船は魚雷に襲われる。三人は船から逃げ出し、近くの小舟に捕まって陸に戻る。

この小舟に乗っていたのがキリアン兵士(謎の英国兵)だ。大人数が乗っていて、何度か転覆したから陸に戻る、これだけ乗っていては海峡は渡れないと言っていた。まともなことを言っているし、ダンケルクに戻ると言っているので、まだ錯乱する前である。
たまたま近くにいた小舟なのか、トミーたちが魚雷に襲われた船に一緒に乗っていて小舟で避難したのかはわからない。

トミーたち三人はその小舟に捕まって陸に戻る。おそらくキリアン兵士は小舟に乗ったまま陸に戻ってきている。
そのあと、トミーたちは商船を見つけ、その中に入り6時間潮が満ちるのを待つ。潮が満ち、商船も浮いたが水が入り込んできて、船から脱出し、重油に塗れる。そのあと、ドーソンの船に救われるが、そこにはすでにキリアン兵士がいる。
となると、キリアン兵士はトミーたちが商船を見つけるのよりも先、潮が満ちる前に出ている。
小舟で波に押し返されている兵士がいたけどそのあたりだろうか。

そう思っていたけれど、よく考えたら陸の兵士たちは陸で一週間過ごしているのである。だから、描かれていない部分があるのだ。
トミーとギブソンとアレックスは陸へ戻ってきたあと、絶望の中、砂浜で寝っ転がっていたけれど、きっとあの時間が相当長かったのだ。
あの三人がなすすべもなく寝っ転がってたあたりで、キリアン兵士は出て行ったのかもしれない。

このキリアン兵士についてもそうですが、何度か観るうちに流れそのものではなく登場人物に重きをおいてしまう。

ドーソンは基本的に穏やかだけれど、一箇所だけ取り乱し、声を荒げる場面がある。それが水面に不時着したコリンズを救いに行くシーンである。
「落下傘も出なかったから死んでいるんじゃ…」と言うピーターに「死んでいない!」と大きな声で返す。船の運転も荒くなっている。
あとで明らかになるが、息子(ピーターの兄)は空軍パイロットとして亡くなっている。

息子が戦場で亡くなったときにも近くにいなかったことを後悔したに違いない。おそらく、この名も知らない兵士に息子を重ねたのだろう。
今回、民間船で救うために出かけたのだって、息子を救えなかった分、他の兵士はできるだけ救いたいと思ったのだと思う。救うことで、自分のような思いをする人間が少なくなる。

それで結局、ピンチに陥っていたコリンズが救われたので、ドーソンの判断は正しかったということになる。

もしかしたらその様子を見てということなのかもしれない。ピーターはキリアン兵士を船室に閉じ込めたり、ジョージの様子を聞かれて「大丈夫じゃない」と答えていたが、最後には「大丈夫だ」と答えていた。これを答える少し前にジョージが亡くなったことを聞かされたのだ。少し前までのピーターだったら、キリアン兵士に殴りかかっていたかもしれない。キリアン兵士を糾弾しても何もかわらないし、彼もつらい思いをしたことを悟ったのか、自分の気持ちはぐっと抑える。
「それでいいんだ」と静かに頷くドーソンの表情も良い。マーク・ライランスの演技がどれも良かったです。

ベテラン勢だと、ケネス・ブラナー演じる海軍中佐が序盤、故郷が遠いという場面での「Home.」と、後半に民間船が来てくれたのを発見したときの「Home.」のニュアンスがまったく違うのも良かった。序盤は悲痛に満ちていて、後半は希望や敬意や謝意などに満ちていた。近くて遠い故郷が向こうから来てくれた。
同じセリフが序盤と後半に二回、違う意味合いで出てくるのも粋だと思った。
海軍中佐とジェームズ・ダーシー演じる陸軍大佐の桟橋組にもじわじわと人気が集まってきているのも嬉しい。ダーシーさん、とても背が高く見えるので調べてみたら191センチらしい。

ラスト付近、海に流れ出した重油に火が付き、ドーソンが最後の一人の兵士を救って船を遠ざける。
途中まで重油にまみれた海水に隠れて顔はわからないが、最後でトミーだとわかる。
ドーソンの船に空のコリンズと陸のアレックスとトミーが揃うという群像劇らしい演出にもぐっとくるが、トミーは助かるの?助からないの?というハラハラも最後まで残しているのがうまい(アレックスは少し前に助け出され、ドーソンの船の中にいた)。
実話ではなるが、偉人ものではないから、登場人物にモデルはいない(と思う)。だから、最終的に撤退作戦は成功するということはわかっていても、個人個人がどうなるか、誰がどこで死んでしまうかはわからないままだから、ドキドキしながら観ることができる。

セリフがほんの少しでも、例えばアレックスは生意気で意地悪な部分もあるけど根っからの悪人というわけではなくて、単純で子供っぽいだけという性格がわかる。トミーだって、真面目で平凡で地味目だけど優しい子というのがわかる。
海のピーターとジョージも身の上は最小限しか語られないのにわかる。空のコリンズとファリアに関しては身の上は全く語られないのにわかってしまう(そういえば、姿が全く出てこない隊長ですが、マイケル・ケインが声でカメオ出演ということで。そう言われて観てみるとそうとしか聞こえない。なんで最初から気づかなかったんだと思うくらい)。
最初は映像や音の凄さに圧倒されて、没頭し、引っ張られてしまったけれど、余裕が出てくると登場人物たちの性格がくっきりとわかってきて、キャラクターがそれぞれ似通っていないのがわかるあたりがすごくクリストファー・ノーランっぽいなと思ってしまった。

ラスト、燃えるスピットファイアが映し出され音楽が盛り上がって、ぱっと音楽が消えて終わりかと思いきや、ダンケルク作戦について書かれた新聞を読んでいたトミーが、顔を上げて新聞を閉じる音で映画が終わる。
その表情から気持ちを読み取るのは難しい。正面に座るアレックスは、電車の外の市民から目をそらし、歓迎されているのがわかると一気に窓から体を乗り出すなどもう単純極まりないからすぐわかる。しかし、はたしてトミーは。
“ダンケルク作戦に振り回された方々にささぐ”という文言が最後に出るので、勝手なこと書きやがってという怒りなのかもしれない。また、命からがら故郷に帰ることができても、撤退できただけで戦争そのものは終わっていないというのをあらためて思い出したからかもしれない。
撤退作戦を描いていても、撤退できた兵士が最後に浮かべる表情が喜びではないのだ。

複雑でわかりにくく、議論を呼びそうなラストは少し『インセプション』のラストにも似ているかなと思った。








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