『ダンケルク』(四回目IMAX)



せっかくなので評判のT・ジョイPRINCE品川のIMAXへ行ってきた。2007年までフィルムIMAXの劇場だったらしいが行ったことはありませんでした。今でも残っていたら…と悔やまれる。
2016年7月に同じ場所に再オープンしたが今までも行ったことがなかった。

品川という場所柄なのか、新宿の映画館とは比べものにならないくらい空いている。ただ、いつもの癖で上映ぎりぎりの時間に行ったら、IMAXシアターだけ別の場所なので焦ってしまった。普通のシネコンの隣のビルの6階なのでかなり離れている。

離れているからそのスクリーンだけがIMAX専用に作られていて、スクリーンがかなり大きい。そのスクリーンにほとんど平行するような感じで座席にも急な段差がついていた。どれだけ背の高い人が来てもスクリーンにかぶらなさそう。
ユナイテッド・シネマとしまえんでは通路のすぐ後ろの席(M列)だと前のバーがスクリーンにかぶってしまう(私が背が低いせいかも)が、品川はバー自体が低く、その心配もない。

また、スクリーンが迫ってきているというか、かなり近く感じたが、それはスクリーンが大きいせいだったのかもしれない。

音はとしまえんのほうがばりばりと言っていた感じがするが、それがいいのかどうなのかわからない。

段差がついているので自分とスクリーンが一対一のようになれるのと、IMAXスクリーンだけ別の場所なので特別感があるのと、やはりプリンスホテルだからか、トイレなども綺麗で格調高かった。
ただちょっと品川は遠いかな…とは思う。
それでも、IMAXシアターもありふれてきて、普通の鑑賞料金より高いのに、シネコンの中にまぎれているとなんだか普通のスクリーンと大差無いように感じてしまいがちなので、わざわざ観ている感覚は味わえた。特別な作品を観るにはいいかもしれない。

以下、『ダンケルク』四回目で気づいたことや思ったこと。









最初はただただ目の前で繰り広げられる出来事を追いかけて没頭して圧倒されるばかりだったけれど、もう大体登場人物目当てです。見れば見るほど細かい部分に気づいて、登場人物の性格などがわかってきて一人一人に愛着がわいてくる。

まず、先を知っているせいで、ジョージがドーソンの船に乗り込むシーンでもう泣いてしまった。
ひょいっと、本当に軽い感じで乗ってしまう。もしかしたら戦争がどんなものなのか、軽くとらえていたのかもしれない。“学校では落ちこぼれ”と言っていたから深くは考えていなかったのかもしれない。でも兵士を救うと聞いて、正義感が芽生えたのだとも思う。何ができるかはわからないけれど、役に立ちたかったのだ。勇気がある。

ジョージは重傷を負って息もたえだえの中でも、ピーターに「君とドーソンさんの役に立てた?」と聞いていた。
ジョージが飛び込んでいかなければ英国兵士(キリアン・マーフィー)が大暴れは止まらず、ドーソンから操縦する権利を奪ったかもしれない。その時、ドーソンがどうなったかわからないし(老ぼれだなんだと言っていたので年寄りとバカにしていたのだと思う)、船はイギリスに帰っていただろう。そうなれば、もちろんコリンズやトミーやアレックスも救われない。
そう考えると、ジョージは本当にたくさんの人の役に立ったことになる。

アレックスについてですが、序盤の掃海艇(ギブソンが甲板に出たままの掃海艇)の船室でジャムパンと紅茶を振舞われた時、もうハムスターみたいに口いっぱいにほおばっていて、ほっぺたがぷっくりしてる。トミーは表情こそ緩めているものの、おとなしい食べ方である。こんな小さな仕草にも彼らの性格が出ているのがおもしろい。やはり細かく考えられている。

また、この掃海艇が魚雷に攻撃されたあと、陸へ帰る小舟に乗ろうとしているところをトミーとアレックスは英国兵士(キリアン・マーフィー。この人に本当に名前がないのか…)に断られるが、甲板にいたギブソンは避難が早かったのか、小舟にすでに乗っている。これに四回目の観賞でやっと気づいた。
それでギブソンは戦場からこっそりと二人にロープを投げてあげるんですね。二人はそのロープにつかまって陸まで戻る。

私は、商船の中でアレックスがギブソンにつめよるシーンで、ギブソンに助けられたのはトミーだけで、だからトミーはギブソンをかばっていたのかなと思っていたんですが、アレックスも救われている。陸でも一週間たぶん一緒に過ごした。それでもアレックスはずっとギブソンのことを疑っていたのかと思うと悲しい。でも、最後の電車のシーンの、実は歓迎されているとわかるやいなや態度をころっと変える姿を見ると単純なのだろうし、ずっと疑っていたわけではなく普通に接していて、あの急を要する場面で誰か生贄にするとしたら…と考えたのかも。どちらにしても、トミーだってアレックスがギブソンと会う少し前に会っただけだけど友情のような気持ちを芽生えさせていたのに、アレックスは薄情である。

でもアレックスが所属していたハイランダーズ(高地連隊)とは、スコットランド北部の住民たちで組織された精鋭部隊らしい。場所柄、昔からローマやイングランド、ノルウェーのバイキングなどからの侵略にさらされ、戦いに明け暮れていたそうだ。
おそらく、ハイランダーズ同士の結束力がとても強く、トミーとギブソンと友達だからどうとかそうゆう次元の話ではなさそう。
もしかしたら、様々な事象もアレックスの性格ではなく、ハイランダーズゆえのものだったのかもしれない。
それを考えてみると、最後にアレックスがギブソンに逃げろと声をかけていたのは、あれでも彼なりに心を許していたのかもしれない。

コリンズがピーターに棒でガラスを割って助けてもらった時、「Afternoon.」ときっちりめの挨拶をするのも性格だと思う。普通は言葉が出なかったり、出ても「死ぬかと思った!」とか必死な言葉だと思う。けれどこの余裕。お馴染みアンゼたかしさんの翻訳が「やあ、どうも」になっているのもうまいと思う。死にかけていた人間とは思えない余裕。

飛行服というかジャケットの下にしっかりと軍服を着ていたのも性格だろうか。ファリアなんかは下に白いタートルネックのセーターを着ていたからわりと適当っぽい。

コリンズが水面に不時着するとき、近くにドーソンの船が来ているのをカメラが映す。あれがファリアの目線なのだとすると、ファリアはあの船がコリンズを救ってくれるというのはなんとなくわかっていたと思う。けれど、逆にコリンズはドーソンの船から高度を上げていくファリアを見て、燃料の残量も大体分かっていただろうし、ファリアが戻らないのを決めたこともわかったのだと思うと切ない。

きっとこの先も見るたびに細かい発見があると思う。登場人物の多い映画なので、それが散りばめられていて発見は宝探しのようだ。やっぱりまさしくノーラン監督の映画という感じがする。もう何回か観たいです。


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