『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』



アカデミー賞主演女優賞(マーゴット・ロビー)、編集賞ノミネート、助演女優賞をアリソン・ジャネイが受賞。他にもいろいろな賞にノミネートされています。
監督は『ラースと、その彼女』のクレイグ・ガレスピー。

トーニャ・ハーディングの半生が、ナンシー・ケリガン襲撃事件を中心に描かれている。

以下、ネタバレです。











映画は当事者たちへのインタビューという形式がとられている。また、元夫のDVの話も出てきて、『ビッグ・リトル・ライズ』を思い出した。最近、観る映画観る映画で『ビッグ・リトル・ライズ』を思い出していて、おそらく、最近の映画に使われている要素がふんだんに取り込まれているのだと思う。
インタビューも別々に受けているのでそれぞれが言っていることが食い違っていて、それも映像化されているのがおもしろい。

幼少期から氷上でもタバコを吸っているような母親に殴られて育てられ、夫にも殴られるけれど謝られたら許してしまい…という典型的なDVにはまり、挙げ句の果てには唯一の生きる糧であるスケートまで奪われるという、人生なんてもう何の救いもないというストーリーである。
特に、ラスト付近に母親が家に訪ねてきて、「頑張ったね」とか「誇りに思うよ」とか言い出して、今までとんでもない扱いをしてきたのに、そんな姿見せられたら泣いてしまう、やっぱり母親は母親なんだな…とほろりと来ていたら、「それで、襲撃のことは知っていたのかい?」って急に聞き出して、テレコ持っていたっていうシーンがあってびっくりした。
最後まで母親との和解はないです。インタビューでもトーニャとは会ってないと言っていた。
普通なら、離婚をして、スケートも奪われたけれど、いままで酷い扱いを受けてきた母親と最後には和解して、すべて失ったけど2人で生きていく…となりそうなものだ。けれど、実話だからそうはならない。救われない。

元夫役にセバスチャン・スタン。
彼が暴力夫役なんて意外だったけれど、こんな役もできるとは演技が上手いのかもしれない。ただこれも証言が食い違っていて、殴ってないとは言っていた。映画内ではトーニャの証言を優先して殴られているけれど、彼が演じることで、いかにも暴力夫という雰囲気でなくなっているのがキャスティングがうまいと思った。

襲撃事件の元凶はこの元夫の友人なんですけど、家にレーガン大統領のポスターが貼ってあることからも、保守的な思想を持っていることがわかって、こいつはただの陽気なおデブキャラではないんだなということがわかった。『エンジェルス・イン・アメリカ』にも、共和党支持者の話が出てきたけれど、あの時代の保守派はロクでもないと思ってしまった。
誇大妄想症と言われていたから精神疾患なのかもしれないけれど、脅迫の手紙を出すだけのつもりが勝手に襲撃を命じていたこともムカムカしたけれど、トーニャに脅迫の手紙を彼の仕業だとわかったときには、劇場のみんながため息をつくのがわかった。一体感がありました。

そのせいで、結局、トーニャはスケート協会からも追放されてしまう。
法廷で、「これでは終身刑と同じ。服役させて」と涙ながらに訴えていたシーンが印象的だった。
母親からも暴力を振るわれ、貧困からも抜け出せず、学校も母によって退学させられたから学もなく、夫ともうまくいかない。でも、スケートはできる。
トリプルアクセルが跳べたということが彼女のプライドであり、それすらも奪われてしまったら本当に何も残らない。

スケートをやっていたときも、彼女の点が伸び悩むという描写があった(この辺は、実際には不当に低いということはなかったのでは…とのこと)。
オリンピックなどを見ていても、スケートを始めとして、採点競技はよくわからないと思っていた。芸術点なんて、審査員の好みじゃないの?と。映画内では、品とか人物の背景とかも見ていると言われていた。いくら頑張っても、技術だけでは駄目なのだ。
贔屓というか、逆贔屓みたいなものはあるのではないかと思う。
でも、そうしたら右にならえというか、同じような選手ばかりになってしまいそう。それでいいのかもしれないけど。
スケートができても、それだけではだめ。個性は認められない。これは、スケートだけの話でもないように思えた。出る杭は打たれる。

母親と夫からのDVや、スケートをする権利も剥奪されるなど、普通に考えたら映画自体が暗くなってしまいそうである。
けれど、登場人物が過去について話しているからなのか、語り口が軽妙で、ウェットすぎないのがいい。
また、使われている70年代80年代の音楽もいい。『レディ・プレイヤー1』のようにポップなものだけではなく、暗めのものやロックも使われている。でも、キャッチーです。

また、カメラワークも凝っていた。
スケートシーンはもちろん迫力があって見惚れてしまう。マーゴット・ロビーもスケートの練習をしたらしいけれど、演技のシーンは顔を3Dで貼り付けているらしい。

それ以外にも、元夫の家から出ていくシーンでは、入り口にべったり座り込む夫を映して、カメラがそのまま玄関から出て車を運転する目線になっていた。インタビューの証言が一致してる部分は縦に二分割されて同じことを言うのもおもしろかった。最後の演技に臨む前、楽屋の鏡の前でメイクをして、必死に笑顔を作るシーンは、ずっと真正面からトーニャをとらえていた。

また、インタビューに答えた内容を映像化しているという形式だから、時々登場人物がこちらを向いて話しかけてくるのもおもしろかった。
それと別に、トーニャがインタビューを受けている映像で、「あんたたちがめちゃくちゃにしたのよ」と言ってこちらをじっと見てくるシーンはどきっとした。これは映画内でのマスコミに対してのトーニャの言葉だけれど、それを通して観ている私たちに向けての言葉でもある。真実が知りたくてあんたたちは映画を観に来たんでしょ?とでも言われているようだった。

カメラワークで一番痺れたのはラストシーンです。スケートをできなくなったトーニャはボクシングを始める。アメリカはヒールを求めているから、自分にはこの役が似合っていると言っていた(その少し前のシーンで、元夫の家の前からマスコミがいなくなったと思ったら、テレビでO・J・シンプソン事件が流れているというシーンがあった。ターゲットが新たに見つかったという説明がうまい)。
彼女は殴られてリングに倒れこむ。カメラはリング上に置いてあって、殴られて片目も腫れてしまって血だらけの彼女の顔をアップで映す。しかし、彼女はそこから立ち上がって、試合を続けるのだ。カメラはリング上に固定されたままだから、闘う足しか見えない。それでも彼女の強さが見えた。

人生なんてクソで、何の救いもない。誰も助けてくれないんだから甘えるなとでも言われたようだった。
この映画が暗くならないのは、トーニャ自体がめげずにごりごり進んでいく様子に勇気をもらえるからなのだ。

衣装に問題があると思えば、ピンクのふりふりのものを手縫いで作る。はっきり言ってセンスは無いし、既製品にも到底及ばないし、点数も伸びない。それでも、振り返ってなんていられないという、崖っぷちのなりふり構わなさが痛快で、彼女を愛さずにはいられなかった。
マスコミに嫌われたって、私は好きです。


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