『ファントム・スレッド』



アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、作曲賞にノミネート。衣装デザイン賞は受賞。その他、様々な賞にノミネートされました。
監督はポール・トーマス・アンダーソン、主演はダニエル・デイ=ルイス。このコンビでよく映画が撮られているのかと思っていたけれど、2007年の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来ということで結構間が空いていた。ちなみに本作も『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と同様、音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。アカデミー賞にもノミネートされたということで、映画音楽面も評価されてきている。

以下、ネタバレです。










舞台は1950年代…ですが、そこまで年代は関係ないように思った。
女性がインタビューを受けているシーンから始まり(実際にはインタビューではなかったが)、やはりインタビューで過去を振り返る形式は最近の流行りなのかなと思ってしまった。
一人なのと、それでも満足げに話しているのが気になった。

どのようなストーリーなのか、服飾業界の話という以外は情報を入れずに観たんですが、ダニエル・デイ=ルイスがデザイナー役で、ポスターに載っている女性のことを執拗に愛して、束縛するように自らのデザインした服を着せているのだと思っていた。

しかし、観始めてみれば、ダニエル・デイ=ルイス演じるレイノルズには妻のような女性がいて、しかも姉が一緒に住んでいて、家での実権は姉が握っている。ここまで見て、レイノルズはやり手だけれど、人間らしい心は失っているのだな…と思った。
しかし、レイノルズの朝の身支度シーンだけでも本当に美しかった。全く隙がなく華麗だった。その様子からも人間味は感じられなかった。完璧すぎる。

彼は姉にすすめられてリフレッシュのために田舎に出かけ、そこでウェイトレスをしているアルマに出会う。これがポスターの女性だった。ヒロイン登場。
ちょっとドジをしちゃっているところを微笑ましそうに見ているレイノルズと、注文を取りに来るアルマ。二人のやりとりから、これが恋に落ちる瞬間なのだなと思った。

アルマはレイノルズの家にいた女性とも違い、素朴な印象だったので、きっとレイノルズが彼女を蝶にするような展開があるのだろうし、レイノルズは彼女との出会いをきっかけにして、人間らしさを取り戻していくのだろうと予想した。しかし、そんな単純なラブストーリーではなかったのだ。

その日のディナーの席で、レイノルズが濡らしたナプキンでアルマの口唇を拭って、「本当の君を見せて欲しい」と言うシーンもぐっときた。
しかし、その後に家に行っても、キスもセックスも無し(描かれていないだけではないと思う)。レイノルズはアルマを採寸し始める。しかし、デザイナーの彼からしたら、もしかしたら最大限の愛情表現なのかもしれないとも思った。指などがセクシーで、採寸シーンが性的に撮られていたからかもしれない。もしかしたらこれは、普通のラブストーリーでいうセックスシーンの暗喩なのではないか。
そう思いながら観ていたが、そこに姉が来て、採寸した数字をノートに書き始めていて、これは本当に採寸でしかないのだと思った。

この後、レイノルズはアルマのサイズで次々にドレスを作り始める。レイノルズはアルマの体…というより体型に夢中なようだったし、アルマも今まで好きではなかった体型を認めてもらえて嬉しそうだった。しかも、オートクチュールのデザイナーの特別な存在になれたのだ。やはりこれはこれで、二人は恋愛関係なのかもしれない。
アルマを演じるヴィッキー・クリープスは顔は地味目なんですが、そのせいか、ドレスを着るとすごく映える。マーク・ブリッジスによるアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しているドレスだからかもしれない。ウェイトレス姿からは見違えてしまう。ドレスはどれも美麗だし、着ている人物に合っていた。

ドレスを丁寧に扱わなかった女性に対してアルマは行動に出るのですが、レイノルズはそれが嬉しかったらしく、彼女にキスをする。彼と彼女の間にはドレスを一枚挟んでいるのだと思うけれど、それでも関係は深まっている。しかし、そう思っていたのはアルマと、映画を観ていた私だけだった。

アルマはレイノルズの姉に、夕飯を作って待っていて、二人で食べるというサプライズをしたいから夜出かけてきてくれないかと提案をする。姉はサプライズなんてやめておけと警告をするが、アルマは押し切る。
アルマの気持ちは本当によくわかる。姉がいつも家にいて三人で一緒にご飯を食べるなんておかしいと思う。いつもとは言わなくても、たまには二人きりで、しかも腕をふるってちょっと特別なディナーにしてもいいじゃないか。きっと彼も喜んでくれる。だって、彼も私を愛しているから。

きっとサプライズで彼の氷の心も瓦解するのだろうと思っていた。しかし、結局は姉の言った通りになってしまう。姉はいつ帰ってくるのかとしきりに聞くし、料理にも文句をつける。内面は全く見てもらえてなかった。結局、ただのマネキンでしかなかった。
姉と、亡くなった母の亡霊を近くに置いて、周囲の女性はついて来られなくなったら入れ替えるということを続けていたのだろう。独身主義と言っていたけれど、ただのマザコン、シスコンである。

この人を愛しても幸せになれないと思った。私ならもう出て行くね…と思っていたらアルマは驚くべき行動に出る。なんと、毒キノコをすりつぶしてレイノルズのお茶の中に混ぜるという…。
映画を観ていて、この時点まではアルマに共感していたのに一気にできなくなったし、映画自体もこの辺りからカラーが変わっていく。

本当ならば、田舎のウェイトレスがカリスマデザイナーに見初められて…などというのは正統派ラブストーリーである。もちろん、観客が感情移入するのもウェイトレスです。人間味のないデザイナーはサプライズのあたりで元ウェイトレスを愛し始める。普通の流れならこうだ。
しかし、元ウェイトレスの行動のせいで、観客は置き去りにされて、誰にも感情移入できなくなってしまう。
しかし、ここからがこの映画の真骨頂とも言える。

前半でファッションショーの後で気を張りすぎたレイノルズが倒れて数日間使い物にならないというシーン、「そんな彼は赤ちゃんみたいで可愛いんですよ」なんてアルマがインタビュー(ではないんですが)で話している描写があった。普段とはまったく違う姿で、しかもその姿は自分だけが知っているというのは嬉しいものである。それに、自分を頼りきっている。
毒キノコでも同じような状況が作られた。しかも、寝込んでいるのとは違って、生死の境をさまよっている(とレイノルズは思っている)。仕込んだアルマは死なないことはわかっている。

それで、あっさりレイノルズは籠絡されちゃう。年のせいもあって死のことも考えたのだろうか。心が弱った時にそばにいてくれた人を大切に思う気持ちもわかるし、それはPTA監督の実体験でもあるという。結局、献身的に看病してくれたアルマと結婚することになる。看病する原因を作ったのもアルマ自身なので、作戦成功大勝利ですよ。

ここから、レイノルズはアルマのことをどんどん愛していく。骨抜きにされてしまう。
年齢差があるから、彼女に若い恋人ができるのではないかと気にもしているようだった。前半の彼からは考えられない。
また、アルマのことを見る回数が明らかに増えている。大晦日にアルマがダンスをしに行きたいと言って、レイノルズが断り、アルマが一人で出て行ってしまったときは、信じられなさそうに何度も出て行ったドアを見ていた。え? 俺を置いて? 一人で?といった感じに何度もだ。
そんな仕草も前半にはなかったけれど、なんと、嫌だと言っていたのに会場まで迎えに行く。ダンスこそ踊らないが、楽しそうに踊るアルマを見て、涙を流す。アルマの手を引いて帰る。そんな行動もすべて、前半からは想像できない。
アルマはアルマで、このあたりだともうレイノルズの心を手に入れたことがわかっていたのだろう。だから、出て行ったのだと思う。迎えに来ることもわかっていたに違いない。

レイノルズはそんな調子なので、仕事も手につかなくなってくる。スタッフが辞めていくし、姉も心配する。前半を観ていた限りだと、姉が怪物に見えた。恋人と二人の場面にも同席しているし、いちいち口出ししてくる。
でも、本当の怪物はアルマだったのだ。

好きな人になってしまいたいタイプの恋愛が描かれた作品はいくつかあるが、本作はそれから派生した感じで、好きな人を頭から呑み込んで体を肥大させた蛇のようになってしまう恋愛だと思った。好きな人になってしまいたいわけではなく、自分は自分のままで、でも好きな人はまるごと自分の中に取り込んでしまいたい。逃げられないように動きを止めることも忘れずに。

この映画には裸などは出てこないし、直接的なエロのシーンもない。それでも、とても官能的に撮られている。
綺麗なドレス、食器や階段の柵、食事、音楽、そのすべてが上質なのに、そこに描かれている恋愛だけ歪というアンバランスさにぞくぞくするのかもしれない。

一番性的だと思ったのは、最後のオムレツを作るシーンである。例のキノコ入りのオムレツを作る様子が上から撮影されている。このキノコをまた食べさせるというだけでも不気味だけれど、更に、レイノルズが嫌いだと言っていたバターをふんだんに使う。フライパンの上で溶けるバターがあんなにいやらしく見えたのは、ただオムレツを作るシーンを映していても、そこからレイノルズとアルマの気持ちが見えるからだ。
最後のあたりだと、もう完全にアルマがレイノルズを支配していた。嫌いな材料+毒でも私が作ったんだから食べるわよね?といった具合だ。もちろんそんなセリフはなく、おいしそうなオムレツを渡すだけ。
レイノルズもなんとも言わないし聞かないけれど、毒キノコなのもわかっていたと思うし、前に具合が悪くなったときもこのキノコを食べさせられたのだろうなと察したと思う。それでも拒まないのは、彼女のことを愛しているから。レイノルズ自身が倒れることを望んでいたかはわからないけれど、アルマがそれを望むなら従おうという気持ちはあったと思う。
オムレツを口に含んで、食べている音とごくんと飲み込む音までちゃんとさせていて、もう普通のラブシーンの数倍性的に見えた。

インタビューかと思っていたけれど違うのはラスト付近でわかる。倒れたレイノルズのために医者が来たのだ。アルマが序盤に一人で話していたのは、レイノルズのことを殺したか、死んでしまったかかなと思っていたけれど違った。
また、この医者とアルマの関係は結婚後に疑われていたし、私も、レイノルズを籠絡するだけしたら、もう放っておいてアルマは新しい別の男のもとへ行ってしまうのかと思った。
しかし、彼女はレイノルズのことを愛しているし、これからも愛し続ける。愛しているから死なない程度の毒を盛ったのだ。それに、映画の最初の方で話す彼女の顔はとても満足気だった。恍惚とした顔にも見えた。現在の状況(レイノルズが倒れている)が満ち足りているのだ。だから、他の人など愛さない。

エンドロール前、アルマの前にレイノルズがきりっと立膝をついて、採寸してあげているシーンがあった。おそらく、ありえたかもしれない未来だろう。よほど健全に見えた。ベビーカーを押すアルマがそのベビーカーを姉に預けて、レイノルズと二人で出かけるというのもありえたかもしれない未来だった。
しかし、健全なのが良いのかというと決してそうとも言い切れない。少なくともアルマは満足そうだし、レイノルズだって、母の亡霊から解き放たれて、アルマに依存して生きるのは幸せなのかもしれない。

でも、亡霊に突き動かされながら、美麗なドレスを作って称賛されて、力尽きて数日間使い物にならなくなって…ということを繰り返し、魂を削りながら創作し続けるのも幸せは幸せではないかなとも思う。

もう外部からは理解できない関係になっているのだろう。嵌めたほうも嵌められたほうも狂っていて、最後にはお互いが相手無しでは生きられないような関係になっていた。後戻りもできないし、代わりもきかないのだ。
だから、上質な映像と歪な恋愛はアンバランスだと思ったけれど、むせかえるような濃厚な二人の関係と、押し寄せる美麗な映像という面では合っている。

アルマの話を聞いていた医者は若干引き気味の顔をしていた。最後まで観てわかるのは、観客が映画の中で自己投影する存在はアルマではなく彼だった。もう、見ている観客すら入り込めない関係になってしまっていた。

ダニエル・デイ=ルイスは本作で引退とのことで非常に残念。これまでも演技のうまい俳優だとは思っていたけれど、今回は特に素敵だった。前半の身なりをびしっとさせた姿も素敵でしたが、後半の御髪が乱れっぱなしの弱々しい姿もそれはそれで素敵だった。
元々靴職人でもあるらしいけれど、今作のために洋服作りを一年間学んで実際に作れるようになったらしい。それで、引退後はファッションデザイナーを目指すという記事も出ていて驚いてしまった。採寸してもらいたい。

ジョニー・グリーンウッド、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の時にはもっと不気味な音楽だったと思うけれど、今回は流麗で美しかった。両方とも映画に合っているということなのだろう。
しかし、中盤のキノコをすりつぶしているシーンと、大晦日にダンスに行きたいとアルマが切り出すシーンは、ちょっと怪しげというか、妙な音楽で、これこれ!と思ってしまった。今回はアカデミー賞を逃してしまったけれど、いつか受賞するかもしれない。


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