『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』



監督は『プリデスティネーション』『デイブレイカー』のスピエリッグ兄弟。脚本もティム・マクガハンとスピエリッグ兄弟、音楽もピーター・スピエリッグ。
ウィンチェスター銃で莫大な財を成したウィンチェスター一族の実在する屋敷。サラ・ウィンチェスターは何かに囚われたように増築し続け…という実話ベース。
現在も実在していて、観光もできるらしい。
住所もウィンチェスター通りです。

以下、ネタバレです。










事実に基づくとは最初に書かれているけれど、観ていると、どこまで?と思ってしまうくらい物語要素が強かった。
インタビューでは「歴史ドキュメンタリーではなく、ホラーなのだから」と言われていて、なるほどそのスタンスかと思った。
しかし、サラが黒衣で過ごしたとか、天井に続く階段や折り返す階段など、実際の建物にもあるらしい。おかしな建物ではある。
悪魔の数字である13にまつわるものも多いらしく(浴室の数、排水溝の数など)その辺の描写は映画ないではなかったけれど、部屋を閉じている釘の数が13個だった。
また、サラが幽霊に悩まされていたのも本当らしい。
やはり、ウィンチェスター銃が戦争や人殺しの道具として使われていたことによるものだろうか。
実際に今でも、幽霊も出る?らしく、観光スポットとして人気らしい。

映画は精神科医(ジェイソン・クラーク)が、サラ(ヘレン・ミレン)の精神鑑定をするためにウィンチェスターハウスを訪れるところから始まる。
おそらく、この精神科医は実在しなさそう。
ただ、最初はこの奇怪な建物に潜入する観客の代わりとなる一般人という役割なのかと思っていたがそうではなく、妻に撃たれ一旦死んで蘇生したり、アヘンチンキを常用していたりと、彼の目線もいまいち信用ならない。

序盤はやたらとびっくり表現(大きな音と同時に怖い映像が出る)が多かった。ただ、屋敷内を探索している精神科医が信用ならないから、彼の妄想なのか本当なのかわからない。

電話がわりの連絡用に部屋と部屋がパイプで繋がっているんですが、そこに精神科医が耳を寄せたり覗き込んだりしていて、絶対にこの穴から何か出てくる…と思うと、薄目で観てしまった。来るぞ来るぞという場面では目を閉じてしまった。

サラの姪とその息子も屋敷にいたけれど、この二人も実際にいたのかどうかはわからない。ただ、衣装がゴシック調で凝っていて見応えがあった。鳥の形のピアスも可愛かった。
サラの黒衣も素晴らしい。ヴェールを被っているあたりもいい。
屋敷家具など、美術は良かったです。

映画ではウィンチェスター銃で殺された人たちが住んでいた部屋を再現し、そこに霊を閉じ込めるために増築するという理由づけがされていたけれど、これも実話なのかどうかはわからない。ただ、サラは霊と交信はしていたらしい。霊の指示で作ったのかまでは不明。

後半の地震のシーンは、霊の力で揺れているのかと思ったら、1906年のサンフランシスコの地震だった。ただ、地震描写がちょっと安っぽいというか、カメラ揺らしてるだけなのがわかってしまうというか、もう少しなんとかならなかったのかとは思ってしまった。

屋敷に顔の良い不気味な召使いがいて、主張が強いと思ってたけど、最初からいなかったという点はおもしろかった。
兄弟をウィンチェスター銃で奪われて、ウィンチェスターの会社に乱入、15人を殺した…というエピソードがあったけれど、これも本当にあった話なのかどうか不明。
彼の霊を退治するのがクライマックスになるので、なかった話だと思う。それで、精神科医には精神を病んで自殺してしまった妻に撃たれ、一旦死んだという過去があって、そのせいで死人が見えるという設定が出てきて…。このあたりで、それはどうなのだろう?と話の雲行きがあやしくなってきたのを感じた。
また、妻に撃たれたときの銃弾をお守りのように持っていたけれど、その銃弾で霊が倒せるという…。
そこまで丁寧な理由づけが果たして必要なのだろうか。
ウィンチェスターハウスを救い、また思い出の品である銃弾を霊が見える精神科医が使うことで、ドラッグにおぼれていた医師も、妻との出来事を吹っ切って立ち直れる…というところも狙ったのだろうけれど、そんなストーリーはいらなかったと思うのだ。

結局、サラは、生きている限り、ウィンチェスターハウスを増築し続ける(これは実話)から、解決したわけでもない。この辺は、不気味な召使いを倒したところで霊がおさまりませんよという知らせとして、ラストで釘が抜けるシーンを入れてある。

「歴史ドキュメンタリーではなく、ホラー」という言葉が一番よく示していると思うけれど、ウィンチェスターハウスからインスパイアされた二次創作といった感じだった。
ただ、飛躍しすぎな上に、事実のほうが怖いかもしれない。

怪奇現象なんてわけがわからないから怪奇なんであって、そこに理由はいらないと思うけど、映画という形にする以上オチというか、まとまりをもたらすためには仕方がないのだろうか。
真実の話を元にしている以上、普通に霊が見えてしまってはいけない。霊が見えることにも理由づけが必要だったのだろうとは思う。ただ、そこまで丁寧にやらなくても良かったと思う。

ゴシックっぽい屋敷の中で、異形のものとすったもんだするというのは『ジュラシック・ワールド』と同じ枠だなとは思いました。

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