もともとティム・バートン+ジョニー・デップのコンビが大好きだったんですが、前回の『アリス・イン・ワンダーランド』は贔屓目で観てもあまり面白くなかった。アリスを原作にしておいて、なんでつまらなくなってしまうのかわからない。3Dにする必要性も感じられなかった。

今回はポスターなどのヴィジュアルを見る限り、ゴシック調で好みだったし、ジョニー・デップが吸血鬼役というのも魅力的だった。しかし、事前評価がいまいち芳しくなかったように思われたので、あまり期待をせずに臨みました。
以下、ネタバレありです。






序盤はホラー色が強かった。血もかなり飛び散っていて、ポスターに書いてあった『200年ぶりに蘇ってしまいました』という少しおちゃらけたキャッチコピー(?)からは想像がつかない世界観だった。しかし、その200年後、ジョニー・デップが蘇ってからは昔と現代のギャップで笑わせる『クロコダイル・ダンディー』系の古典的なギャグが続く。その辺は可もなく不可もなく。すごく面白いということはないけど、つまらないということもなかった。

しかし、ラスト付近、一気に畳み掛けるようにいろいろなことが起こる。ついていけなくなって、ぽかんとしてしまった。それぞれを言葉で説明しすぎなのも疑問。
オリジナルがある話だし、オリジナル版を知らないんだけど、クロエを狼人間にする必要はあったのだろうか。しかもかなり終盤で。それなら、もっと前からその能力を発揮してれば、話としても面白かった気がする。あの発症の仕方はお粗末。なんの意味があったのかわからない。

ヴィクトリアは哀しい過去が少しだけ明らかになるけれど、はっきりしたことはよくわからないし、それが生かされるわけでもない。
しかも、最後は“死んでしまう”。あれがハッピーエンドだとは思えない。もともと愛した女の生まれ変わりだったのかもしれないけど、結局、ヴィクトリアが消えてしまっては、映画の中で一体なんの役割だったのかわからない。ヒロインではなかったの? それにしては、途中でもあんまり出てもきませんでしたけど。バーナバスを好きになるのもかなり唐突でしたが、それは前世で愛し合ってたからなのかな。でも、結局、器だけの存在だったのかと思うと可哀想でした。

オリジナルを知らないので本当に勝手なことを言いますけど、もともと呪われたのはバーナバスの手癖の悪さが原因なんだし、いっそのこと、あの魔女とのハッピーエンドを目指すべきだったのではないか。バーナバスが魔女を愛せば、二人とも魔物だし、呪いも消えるし、両家で漁村を盛り立てていけばいいし、いいこと尽くめです。

今回、音楽の使い方がダニー・エルフマンっぽくなかったのも残念。もっと、ゴテゴテにゴシックにしてくれたらよかったのに、カーペンターズやらT・レックスやら、既存のポップスとロックを使いすぎ。70年代っぽさを出すためのあの楽曲の選び方かもしれないけど、不要です。大丈夫、衣装で時代は表現されているから。
衣装のコリーン・アトウッドは相変わらず好きです。衣装だけでなく、屋敷の調度品や内装も美しかった。
音楽面と関わってきますが、アリス・クーパー御本人登場シーンも疑問。クロエがロック好きだから、バーナバスが呼んであげたということでしたが、クロエの喜ぶシーンは出てこない。しかも、オープニングで名前を出しちゃだめでしょう。そこは内緒にしておいてほしかった。

あともう一つ、ティム・バートンっぽくなかったのは性描写が多かったこと。もちろんあからさまなものではないけど、子供に見せるのは憚られるくらいのものではあった。それがいいとか悪いとかではなく、らしくないなと思っただけですけど、個人的には嫌でした。あれらを削って、もう少しストーリーに深みを持たせてほしかった。


おもしろかった! 役者さんの演技も、脚本も、ハワイという舞台のいかし方も、すべてが完璧で隙がなかった。今回のアカデミー賞関連の作品だと、観た中では『ヘルプ』かこれが好きです。

ジョージ・クルーニー出演作を積極的に観てきたわけではないですが、いままではプレイボーイ的というか、かっこつけな役が多い印象があった。今回はちょっと違うタイプです。一言で言えば、駄目父親、駄目夫。頭を抱えてるシーンが多く、思い悩んでいる。外面を気にする余裕がなさそうなほどの、一生懸命さが良かった。いままで観た中では一番好きなジョージ・クルーニーでした。こんな演技ができるとは思わなかった。

一つ大きな事故が起きて、そこからの関係修復、問題解決が主題となっている。真ん中にある文字通り動かぬ事実が軸となってストーリーが進んでいくので、エピソードがばらばらにならず、話がまとまっているし、わかりやすい。凝っているというわけではない。派手さはなくて地味めでもある。でも、シンプルゆえの力強さのある脚本が好きです。

ハワイを舞台にしていますが、景色だけではなく、しっかりとハワイという土壌も生かしていていた。代々ここに住んでいたとか、不動産の売買のこととか、ハワイなりの問題を抱えている。ファッションではなく、意味づけも硬派なものだった。もちろん、綺麗な海などもしっかり映されています。ハワイ行きたい。

『ファミリー・ツリー』というタイトルは原題通りなのかと思ったら、違っていた。『The Descendants』は、子孫とか末裔とかの意味らしいですが、あまり馴染みのない単語だし、家系図でも別にしっくりくる。それに、“ファミリー”という単語が入ってた方が、家族ものだというのがわかりやすくて良い。

アレクサンダー・ペイン監督作品を観たことがないんですが、作品ごとに“らしさ”が漂う監督らしいので他の作品も気になる。少しジェイソン・ライトマン監督作品に似てると思ったんですが、同じくジョージ・クルーニー主演の『マイレージ、マイライフ』を思い出しただけかもしれない。

『ザ・マペッツ』


マペット関連のものはテレビシリーズをいくつか観たくらいで、キャラクターで知っているのもカーミットとミス・ピギーくらい。ほぼ予備知識なしの状態でしたが、存分に楽しめました。

ひょこひょこっとした歩き方、口をぎゅむっとやる悔しそうな表情、口をかぱっと開ける驚いた顔など、マペットの動きの愛らしさはセサミストリートなどを見ていてもよくわかる。両方ともジム・ヘンソンによるもの。フラグルロックもこの方によるもので、もうマペット界の文字通り神様みたいな存在の方です。

歯磨きをしながら歌う一曲めから、少し泣きそうになった。曲もキャラクターの動きもよく出来ていて、これぞエンターテイメントというのを見せつけられた。そして、その高いクオリティーが最後まで持続するのはさすが。積み重ねてきたものが違うのだろうと思った。老舗の職人芸ですね。

ただ、内容は楽しいだけではない。マペットたちは私たちと一緒にしっかり時を経ていて、全盛期を過ぎ、忘れられたものの悲哀が描かれていた。その状態から、メンバーを再度集めていく。かつての仲間との再会。しかし、昔のようにはうまくいかないことでの焦れ。そこからの再興とエンディングへ向けての盛り上がりは、ベタではあるけどよくできていた。
それに交えて、ウォルターとゲーリーといういつも一緒にいた兄弟(のような存在)との離別は『トイストーリー3』を思い出した。本当にわかりやすく単純明快なものだけど、世代を問わず響くストーリーだと思う。合間合間の細かいギャグにも笑った。

『魔法にかけられて』での世間知らずのすっとぼけたプリンセス役もとても良かったけど、今回のエイミー・アダムスもとても良かった。綺麗なんだけど、ドンくさくて、少し昔風の容姿がいいんでしょう。あと、二の腕のむちむち加減もいい。ダンスも歌も大袈裟な演技も良かった。

ミス・ピギーは、ハンカチ噛み締めながらキィィッ!みたいになるヒステリックなキャラクターかと思ってたけど、案外大人だった。今回はLady Gagaモチーフだったのかな。カーミットが好きで、一方的に追いかけてるだけなのかと思ったら、二人はいい雰囲気になっていた。

カメオが豪華で、出てくるたびに劇場内に笑いが起こっていた。みんな大好き『ハングオーバー』から、ケン・チョンとザック・ガリフィアナキスが登場した際には特に盛り上がっていた。ジャック・ブラックはジャック・ブラック役で出演。彼はカメオというよりは、結構重要な役でした。


しかし、全国33館、東京2館って、もう少しなんとかならなかったのか…。『ザ・マペッツ』は、アメリカで公開したときには興収一位にもなっていたし、日本公開を結構楽しみに待っていた。なのに、映画館で予告も流れない、映画情報サイトでもなんのアナウンスも無い、もちろんテレビCMもなしで、いつ公開されるのかわからなかった。あとから聞いたところ、ディズニーチャンネルではCMが流れていたらしい。
私は六本木のTOHOシネマズで観たんですが、水曜日なのにかなり小さい劇場がガラガラだった。明らかに宣伝不足もあると思う。しかも、その後すぐに一日二回(昼12時くらいと21時過ぎ)と縮小上映。更に、来週からは朝9時くらいからの一回のみ。こうやってひっそり上映が終了していくのか。日本はマペットへのなじみが薄いとはいえ、もっと多くの人の目に触れていい作品だと思う。

そんな状況だったせいもあるのかもしれないけど、鑑賞後、売店でサントラがあるか聞いて、出されたCDがトリビュート盤だった。その時は洋盤が欲しかったので買うのをやめて、家で調べてみて初めて知りました。欲しかったのは純粋なサントラだったので、買わなくて良かったけど、店員さんは知らなかったのではないかと思う。ウィーザーが何をカヴァーしてたのかも気になったけども。

『レンタネコ』


観る前に一番心配だったのは、雰囲気だけで中身のないおしゃれ映画だったら嫌だなということでした。でも、序盤に主人公のレンタネコ屋の女性が、奇怪なもののように見られていてほっとした。リアカーに猫を乗せて河川敷を歩きながら、「レンタ~ネコ、寂しい人に猫貸します」なんて拡声器で呼びかけてる女の人がほのぼのと迎えられる世界観だったら、それはもうファンタジーであり、話に説得力がなくなる。そこは、「ママー」「しーっ! 見ちゃだめ!」や男子中学生の「ネコババア!」というように正しい反応がとられていて良かった。

ただ、このようなゆったりした雰囲気の映画で、1時間50分は少し長く感じた。
以下、ネタバレです。







基本的に4つのエピソードからなるんですが、“呼び込み→猫を貸してください→自宅へお邪魔して審査→猫を貸す→数日後呼び出し→問題解決→仕事にまつわる自宅でのミニコント”という流れが1つ目と2つ目でまったく同じだった。このまま4つやるとしたら、観ていて飽きてしまうと思っていたら、3と4は違っていた。でも、“猫を貸す前に、貸すに値する人物/環境かを調査するために、自宅を訪問して審査する”というルールが途中でどっか行っちゃってたのはいいんだろうか。

それで、4つ目になって、明らかにカラーが変わる。私はここ中心で観たかったです。ただ、尺の関係もあるのか、いろいろと説明不足で疑問が残った。
ジャミコが保健室の常連だったのは、本当に勉強についていけなかっただけなの? ベッドを囲むカーテンに張ってあった“ジャミコ専用”っていう紙は誰が書いたの? いじめのようなことがあったわけではないの? 大体、ジャミラに似てるからジャミコっていうあだ名のつけ方は、それだけで軽いいじめじゃないの? そんな時におばあちゃんに助けてもらったんなら、主人公の独白じゃなくて、そのシーンをドラマで見せてくれてもいいんじゃないの? 出てきた男の子のこと、その頃も今も好きだったんじゃないの? 結婚したい結婚したいって言うなら、少しくらいは恋愛シーンを入れてあげても良かったんじゃないの? 初恋の人(私の想像)と再会したら、そこから何か始まるんじゃないの?

「猫カワイイ」「癒される」「私も猫借りたい」だけだったら、いまのままでもいいかもしれないけど、もう少し描きこみを細かくして欲しかった。スカスカです。ちゃんと描いたら、たぶん4つ目のエピソードは相当ヘヴィーなものになると思う。
もっとも、そんなものは観客のニーズには沿わないのかもしれない。荻上監督が撮る以上、カラーが違ってしまうから、このまま、多少におわせる程度で止めておくのが一番しっくりくるのかもしれない。重くて生々しい人間ドラマを荻上監督に求めるのが筋違いなんでしょう。だったら、違う監督作品を観ろということですよね。それもわかるんですが。

最初の3つのエピソードはプロローグ的な役割として、もっとさらっと描くだけでよかった。それで、4つ目に時間を割いてほしかった。でもそうすると、猫があんまり関係なくなりますけど。

今回、もたいまさこが出ていないんですが、同じような役割として小林克也がキャスティングされている。もたいまさこにしなかった理由はよくわからないけど、もたいまさこよりも憎たらしいし、口が悪くて辛辣です。市川実日子が「ババア」と言うシーンがあるけど、もたいまさこに向かって「ババア」とは言えないと思う。

あと、これも諸事情あるんでしょうが、内容が夏向けなので、公開時期がもう少し遅かったら良かったと思う。せめて、6月下旬くらいにしてほしかった。

上映館がいつのまにかシャンテ2に落とされていた。シャンテは段差の関係上、1と2、3の鑑賞環境がまったく違う。以前、2か3で観たときに、人の頭が画面に大幅にかぶって、内容がわからないくらい字幕がまったく見えなかった。そのため、2か3で観るくらいならソフト化を待つようにしていた。
今回観たのは平日、しかも月曜日の17時40分開映という時間も中途半端な回だったので空いているだろうと思ったら、14日はTOHOシネマズデー誰でも1000円でした…。とりあえず、端の席を確保。中は案外画面の位置が高く、これなら人の頭がかぶることはなさそうだった。前に観たのは3だったのかもしれない。調べたところ、2はE列かF列からかろうじて段差がついているらしい。次回からのために頭に入れておく。


映画→原作→映画→映画で、やっとほぼ理解できたと思う。最初に観たときは過去と現在と、いくつかの時間軸の組み合わせかたがよくわからなくて混乱したけど、何度か観たり原作読めばこれほどうまい編集の仕方はないと思う。
他にも、画づくりが凝りに凝っていると思ったのは、窓の中にいる人物を外からとらえてるシーンがとても多い。四角い額に囲まれた絵画のよう。また、内部ではなく外部から人物の様子を眺めているような微妙な距離感は、思惑が読みにくくなって気になる。
あと、ピントの合わせ方も特徴的ですね。わざとぼかしたり、遅れて合わせたり。

観るたびに気づくことがあり、一つ一つのシーンを見逃したくなかったので、真剣に、またたぶん歯をくいしばってました。二時間ちょっとの上映時間、ずっと夢中になっていたのであっという間だった。

気になったシーンをいくつか。ネタバレです。







リッキー・ターが、ほれみたことか!と悪い予想が当たって大はしゃぎするところがチャーミング。トム・ハーディっぽくて好きなシーン。
ビル・ローチ少年が「これ作ったんですけど…」と言いながら何かをジム・プリドーに渡すシーンは、やっぱり何を渡しているのかわからなかった。気になっていたのでよく見てたつもりだけど。木で作った板状の何か。船かなあ。
車の中に蜂が入っちゃって、鬱陶しそうに手で払うピーター・ギラムが可愛い。払っているのにそっちに蜂が飛んでいってしまうとほほ具合が可愛い。
トビー・エスタヘイスが「俺は忠実だっただけだ!」と言って許しを請うシーンがありますが、全編通して一番忠実なのはピーター、どう考えてもピーター。観るたびに、ベネディクト・カンバーバッチさんの好感度が上がってしまいます。


『孤島の王』


なんだかタイトルが全然おぼえられなくて、『孤高の王』だとか『孤島の鬼』だとか言ってたんですが、予告から気になっていた作品。ノルウェーのバストイ島に本当にあった少年矯正施設が舞台になっている。現在は、自然の中で暮らすことで人間性を高めて更正させるという手法をとった刑務所になっているらしい。自然の厳しさや雄大さを前にして、自分のちっぽけさを思い知れば犯罪など起こす気がなくなる…ということですかね?
しかし、映画の舞台になっている時代はそんなにのんびりしたものではなかったようです。厳しい規則、逆らったものには教官からの暴力、決して逃げることのできない閉ざされた孤島。映画では1915年に実際に少年たちによっておこされた暴動が描かれている。

教官や少年同士が殴ったり殴られたりする暴力シーンが多い。グロかったりこわかったりはしないけれど、心理的な衝撃が強くて、つらい気持ちになりながら、終始眉間に皺を寄せて観てました。エピソードの繋がり方がうまく、流れるように進んでいくけど、さらっと軽いわけではなく、高密度でまったく目が離せなかった。

島に雪が降り積もっている様子などの寒々しい景色から、キンと張り詰めた空気が伝わってくるような画づくりがされていた。ノルウェーっ子たちの色白な頬も真っ赤になっていた。閉鎖された空間の絶望感がうまく出てました。最近で言うと、北欧系では『ぼくのエリ』や『ドラゴンタトゥーの女』など、孤島系では『ゴーストライター』、寒々しさでは『フローズンリバー』あたりに共通する、閉塞的な雰囲気が今作にもあった。

そんな中での代表的な役割の少年の演技が素晴らしかった。目つきなどの表情が最初とはどんどん変わっていく。王につきしたがっていた“優等生”は最初は、一見穏やかそうだったが、空虚な目をしていた。それが、あとから入ってきた少年に感化されて、野生を取り戻すかのように、攻撃的な表情になる。目にも灯がともる。
ちなみに、エキストラの少年たちは役者さんではなく、実際に矯正施設で声をかけた子ららしい。この子たちもいい表情を十分見せている。

少しステラン・スカルスガルドの話。
この映画を用いたマナー予告がテアトル系列の映画館で流されてたんですが、その最後に、「覚えてね。北欧の名優ステラン・スカルスガルドです」という字幕が出ていた。それから繋がる<北欧の名優ステラン・スカルスガルド割引>というのも実施されていました。1:男女年齢問わず3名そろった状態で受付に行き、2:一人づつ「ステラン・スカルスガルド」とかまずに言う。3:制限時間は5秒!1回限り!4:成功したらなんとおひとり1000円で鑑賞できるという、3あたりが案外厳しめじゃないかと思われるもの。
加えて、HTC有楽町ではスカルピスなる飲料も売り出す始末(混ぜ物カルピスでした)。謎のステラン・スカルスガルド推しで名前、顔ともに覚えました。声も容姿も渋く恰好良かった。


一応、ストーリーは“アメリカの連続爆弾魔、ユナ・ボマーからインスパイアされて”とのことですが、その予備知識は特に必要なかったと思う。
前作『蘇りの血』と似ていて、死者との関わり、生と死の境界のあやうさみたいなものが描かれていたように思いますが、理解しきれていないです。死んだ人間に呪われるというよりは、呪われるために自分から死者にコミュニケーションをとりにいく。豊田監督の前作、今作はアート色が強く、静かで詩的でした。でも本当は、もっとエンターテイメントに特化した作品が観たい。

サマーキャンプのシーンは夢なのか過去の話なのか曖昧だけど、あのあたりをもっと長くしてほしかった。他の部分はほぼ瑛太の独白だったり、対話があっても死者との二人きりのものだった。それより、サマーキャンプでの生きている人間との会話が見たかった。家族のキャストも魅力的でしたし。

窪塚洋介は良いですね。特に演技がうまいとは思わないけど、あぶなかったりあやうかったり、独特の雰囲気を持っているから重宝されそう。園子温監督作品にも出てきますが、この先もいろいろ出演するのではないかと思う。

KenKenはあれは演技なのか素なのかわからなかったけど、結構うまかったし、見た目のインパクトが強い。RIZEのベースの人らしい。それで、金子マリの息子さんだった。
少しhydeに顔が似てると思って調べてたら、hydeやSUGIZOのアルバムに参加してた。DIEちゃんやスティーヴ・エトウなんかと一緒にバンドやってたり、森岡賢のソロを絶賛していたり、ああ、その界隈か! 豊田監督がその界隈に強いんですね。

今回の音楽を担当していたのも元ブランキージェットシティの照井利幸。前作、『蘇りの血』の主演は中村達也だった。でも、ベンジーとはカラーが違いそう。
ちなみに次作『I’M FLASH!』で主題歌を担当するスペシャルバンドのメンバーというのが、チバユウスケ、ヤマジカズヒデ、中村達也、KenKenだというから、まさにスペシャル。過去の作品の出演者や主題歌を担当したバンドからメンバーを集めただけでこの豪華さ。楽しみです。