『きっと ここが帰る場所』


早稲田松竹にて、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』との二本立て。今年の映画なので、ネタバレ表記をしておきます。





説明らしい説明がないまま話が進んでいくので、かなりアクの強い登場人物やその人同士の関係がなかなか見えづらい。The Cureのロバート・スミスのようなゴスメイクをしているショーン・ペンはあまりにも異様。少しずつ明らかにはなっていくんですが、それでも説明しすぎない作りなので、ぼんやりしたところが残る。
そして、途中から何故か、自分探しのロードムービーになって驚いた。この映画を一言で説明するなら、“ショーン・ペンがロバスミ風のメイクでナチの残党狩りをしながら成長するロードムービー”という風になるのかもしれない。なんだかいろんな要素がギチギチに詰め込んであるんですが、映像が綺麗なせいか、旅の途中で出会う人々がそれぞれ魅力的なせいか、観ていて不思議と心地の良い作品。

デヴィッド・バーンが本人役で出てくるんですが、そこで披露されるライブがかなり実験的でおもしろい。本当にあんなライブをやっているなら観てみたい。けど、ちゃんとステージの見える場所でないとつまらなそう。

旅を終えたシャイアン(ショーン・ペン)が苦手だった飛行機に乗るために空港にいるラストはそれだけで、ひとまわり成長したのがわかる。加えて、もらい煙草をするんですが、これは、序盤で煙草をすすめられた際の「僕は煙草はやらないんだ」「子供だから吸わないのよ」というのを受けて、大人になったことを示しているのだと思われますが、伏線回収としてはちょっとくどいかなと思ってしまった。

ラストがよくわからなかったので調べていたんですが、よくわからないということでいいみたい。
“探されているトニーというのがシャイアンなのではないか”という考察もありましたが、それにしては母親が若すぎる。シャイアンの母ならもっとおばあちゃんだろう。

私は、シャイアンはメイクをして過去のロックスターを気取っているが、それはすべて彼の妄想なのかと思った。小さな村っぽかったし、周囲の人も全部知った上で、話を合わせて優しく見守っているのかと。『ラースと、その彼女』みたいな感じですね。そして、シャイアンはその妄想から解き放たれて、普通の男性の姿に戻って、本当の妻の元に帰ってきたのかと思った。あの豪邸もそこにいた妻も全部ニセモノ。
でも、彼の楽曲が原因でファンを死なせてしまっているみたいだし、そのことで両親に本当に怒られていたし、村を出てもみんな彼のことをロックスターだって知っているみたいだったので、どうやら妄想ではなく、本当に過去のロックスターだったらしい。

あの母親はトニーの帰宅を待って、ずっと悲痛な表情をしていた。その失踪にはシャイアンが関わっているようだった。でもラスト、メイクを落とし髪も切ったシャイアンと母親は幸せそうに笑いあっている。しかもシャイアンは自分の家じゃなくて、そっちに帰ってしまうのか。『きっと ここが帰る場所』というタイトルだけに、帰る場所は重要なはずなのに。少なくとも、豪邸にいる妻よりはトニーの母親のほうが重要だということなのか。でも、本物の妻は、電話でシャイアンがいつ帰ってくるのか心配していたし、それはひどすぎる。

トニーの部屋にバウハウスのポスターが貼られていたので、ゴシックロックが好きなことは確実。あのメイクとファンが自殺していることから考えて、シャイアンがやっていたバンドはゴシックロックだったはず。そこから考えられるのは、トニーはシャイアンのファンだった、もしくはトニーとシャイアンが同一人物、どちらかだと思う。けど、ここまでしかわかりません。

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