『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』


前作、破が2011年8月にテレビ放映された際に、Qは2012年秋公開の告知がされて、まだまだだと思っていたのにあっという間でした。
ちょっと小難しくて、はっきりいって理解しきれてませんが、映像や音的にはすさまじかったし、こうゆうのって他にはないと思うから、映画館で観たほうがいいとおもいます。

以下、ネタバレです。






破とは印象がまったく違った。破はとてもわかりやすかったし、明るかった。みんなで海洋生物研究所に行くシーンは遠足みたいだったし、レイが食事をセッティングしたり、アスカがレイの代わりにエヴァに乗ろうとしたりと他人に気を配るのも良かった。ラストのほかのものを省みずにレイを救いたいという一心で行動を起こすシンジも、強くなったと思いました。全員、ちゃんと成長しているのが見られて嬉しかった。

でも、そのラストのシンジの行動の結果が今回のQなのだとしたら、あまりにも哀しすぎる。いろいろとはっきりしたことが語られないのでわかりにくいのですが、シンジのせいで世界が終わってしまったように見える。
ディザスターもののようだけれども、普通のパニック映画が逃げる人視点なのに対して、これは破壊する側視点。また、逃げまどう人々はほとんど出てこないので不気味。そもそも人自体がもう存在していないのではないかと思われる。けれど、その辺の詳細も詳しいことはあまりわからない。ただ、どうやらトウジはシンジが起こした事故が原因で亡くなったようです。加持さんは出てこなかったけれどどうなってるのかわからなかった。名前すら出てこない。

とにかく全体的に暗く荒んだ空気が流れていた。その中で、カヲルくんがシンジを連弾に誘う一連のシーンだけは唯一ホッとする。最初にピアノの予告が公開されたときにはぽかーんとしましたが、映画が終わったあとで観ると、なるほどと思える。重要なシーンだったんですね。
心を通わせる方法として連弾をもってきたのもスマート。あからさまなことをやらなくても、充分に伝わってくるし、終わったような殺伐とした世界にピアノの晴れやかな音が響くのは救われたような気持ちになった。

でもこのカヲルくんも、アニメのときよりも、よりショッキングな死に方をしていた。しかも、良かれと思っての行動の末のことだからいたたまれない。こんなはずじゃなかったって言いながら、結果的に破壊されたらたまったもんじゃないけれど、善悪がぼんやりしてるのもいろいろと考えさせられる面ではありました。

今回、シンジが駄々をこねているのが本当に子供に見えて、アスカがよっぽど大人に見える、と思ったら、14年経ってるという衝撃の事実が。目覚めていないシンジはそのままでも、アスカは外見は変わって無くても14年の時は経ていて大人になっている。しっかり、14年分年をとっている。口は悪くても、言っていることは正しいし、仕事はしっかりこなしていた。

あと、マリは破のときには新キャラなんて必要ないんじゃないかとも思ったけど、今回はたよりになるし、可愛いし、空白の14年間でアスカとも随分濃密な間柄になったようだし、必要なキャラクターになっていた。ピンクと赤のエヴァが一緒に作戦をこなしているのも画的に可愛い。

“序破急”は、もともとは雅楽で用いられていた言葉で、今は文章の構成の種類として使われているらしい。“起承転結”が四段であるのに対しての三段ということなので、三であることに意味がある。そうすると、次回作のシンって一体なんなのかわからなくなってくる。四作目になっちゃいますが…。単純に今回の三作の続編というわけではないのかもしれない。

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