『ザ・ファイター』のデヴィッド・O・ラッセル監督作品。原題は『Silver Linings Playbook』。Playbookとは日本では馴染みがないですが、アメフトの作戦帳のことらしい。Silver Liningsは、(逆境にあっての)希望の光ということで、原題のほうがタイトルが直接的な感じがする。
ラブコメみたいな予告ですが、どちらかというと家族ものだと思う。“二人の愛の道しるべ”というCMの文句も少し違う。
以下、ネタバレです。









なんとなく『リトル・ミス・サンシャイン』を思い出した。ストーリーじゃなくて、大まかなイメージとか映画の全体的なテーマなどが似ていた。以下で、『リトル・ミス・サンシャイン』についてもネタバレします。

主人公があちらは小さい女の子で、こっちは中年男性という違いはあるけれど、“パーフェクトからはほど遠いし、うまくいかないことばかりだけど、家族(とこの映画の場合は仲間)はあなたを愛してるよ”という部分が同じだと思った。
あと、細かいところだと最後にダンスシーンが出て来るところ。
その結果も、10店満点中5点で大盛り上がりで、他の出場者からしたらそれは理解できない。高得点じゃないのに?と首を傾げる。本人たちの幸せの基準が、優秀な成績をおさめることではないのだ。
『リトル・ミス・サンシャイン』でも、オリーヴがミスコンのステージ上で怖じけづいちゃったときに、お兄ちゃんと叔父さんがステージに上がってめちゃくちゃに踊って大盛り上がり。でも、そのあと主催者からは怒られる。当然、ミスコンで優勝はできない。それでも幸せ。

この周囲には理解されない感、それでも幸せなんだ、ほっといてくれ感が似通っていると思った。

ただ、『リトル・ミス・サンシャイン』がロードムービーだったのに対して、『世界でひとつのプレイブック』はほとんど景色が変わらない。
精神病院から始まり、最後にダンス大会があるのと、アメフトの試合を観にスタジアムに行くけど、大半は自分の家と自分が住んでいた前の家、ティファニーの家だけで、すべてジョギングで行けるあたり近所っぽい。狭い世界の話です。
アメフトの話がちょくちょく出てくるけれど、試合の映像は無かった気がする。テレビでは流れていたかな。どちらにしても少しです。

そのような動きのある映像よりも、登場人物同士の会話と表情などの演技で見せる映画だった。セリフも多かったし、ちょっと舞台のような感じだった。

当然、俳優さんたちの演技力が試されますが、ブラッドリー・クーパー、ただのイケメンではなかった。今回、感情の起伏が激しい役でしたが、うまかったし、最初の躁鬱気味の時の目と最後のほうの目がまったく違う。アカデミー賞主演男優賞ノミネートも納得。
ジェニファー・ローレンスは、美人というタイプではないけど、とてもチャーミングだった。予告を観たときにはセクシーという形容に違和感をおぼえたけれど、本当にセクシーだったし、ダンスシーンも良かった。
ダンスシーンは、ブラッドリー・クーパーの本来のイケメン度もぐっと上がって、見応えがあった。手足が長くて背が高い、スタイルの良さ全開でした。

舞台っぽさであったり、巧妙なやりとりが多い箇所なども含め、『ザ・ファイター』よりもだいぶ軽い印象ですが、描き方が軽いだけで話は重い。
もはや自分の力だけでは制御できなくなっている気持ちの暴走を見ていて、途中、何度も泣いた。終盤にダンス大会とアメフト決勝戦はあっても、それに向かって盛り上がっていってラストで一気に泣くというよりは、いろんな細かいセリフがとても良かった。
家族や仲間に支えられて、一つのつらい出来事があっても、なんだ、ちゃんと愛されてるじゃんというのをあたたかな絆みたいなものを実感する時に、涙が出てきた。そんなシーンがちりばめられている。

この映画で、ティファニー役のジェニファー・ローレンスはアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされてましたが、実際は、ほぼ、パット(ブラットリー・クーパー)の話。ティファニーはあくまでも主人公の相手役として出てくる。もう少し、ティファニー側の話も観たかった。
助演男優賞、女優賞にノミネートされているパットの父母役の二人の演技も本当に優しくていい。
ロバート・デ・ニーロは先日観た『レッド・ライト』の100倍いいです。

ちなみに、ヴェロニカ役の子、あのへの字口はなんかどこかで見たことあると思ったら、ボーンシリーズのニッキー役の子か。『(ヒース・レジャーの)恋のから騒ぎ』もあの子だったか。

そして、「課題で精神病の人にインタビューしたい」などと言って、パットの家のドアを叩く空気の読めない子どもは、監督の息子さんだったようです。なんでも、監督の息子さんはパットと同じ病のおかされていて、それもあって、今回、この脚本の監督をつとめることを決めたのだとか。

音楽は、ベタともいえるくらいにわかりやすい良い感じでしたが、ダニー・エルフマンでした。なんとなく納得。

目が覚めたら土の中、さあどうする?の『リミット』のロドリゴ・コルテス監督作品。アメリカでは去年の夏に公開されたようです。
以下、ネタバレです。






『リミット』、観てはいないのですが、ワンシチュエーションで話が進んで行って、最後にあっと驚かせるしかけがある作品っぽい。最後にどんでん返しがあるあたりは今作と似ているのかもしれない。

不気味な雰囲気は好きでした。超能力が本当にあるのかどうかを暴こうとする博士役にキリアン・マーフィーとシガニー・ウィーバー、伝説の超能力者役にロバート・デ・ニーロ。ここまで豪華何だから、この三人メインでシンプルにやってくれて良かった。キリアンたちが二人で力を合わせて嘘を暴けば良かったじゃない。
ところが、シガニー・ウィバーが中盤くらいで死んでしまうんですね。あれは残念だった。序盤の二人の掛け合いも良かったし、期待してたのに。

それで、わりと序盤にそのいいコンビ二人の間に割り込んでくる女学生がいるんですが、あのキャラはいらないような気がしました。ちょっと、伝説の超能力者の子どもで、スパイをやるために二人の間に入ってきたのかと思ったけど、そんな展開もなく。

最大のオチは、キリアン・マーフィーこそが本当の超能力者だったっていうことだったんですが。
中盤で、キリアンがシガニー・ウィーバー演じる博士の言うことを当てて「僕は超能力者だ」って言うんですけど、ここ、キリアンももっと冗談っぽく言ってくれれば良かったと思う。親しい間柄だとこれから言うことなんか予測できちゃうよねって意味にはとれないほど、含みを持たせた言い方で、このシーンで観客は気づいちゃう。もういっそ、このセリフ、省いちゃってもいいのに。
あと、キリアンが出突っ張りで、常に彼の周りでだけ怪奇現象が起こってたってことは、まあそうゆうことだってわかっちゃう。

それはそれでいいので置いておくとして、この話の目的ってなんだったんだっけ?と思った。もともと、伝説の超能力者のショー中に客が変死を遂げて、それが不自然だったから超能力者が疑われているけども、確固たる証拠がでない→超能力者のいんちきを見破って逮捕、ってことではなかったんだったっけ? そんな俗っぽい話ではなかったのか。もっと単純明快な話が観たかった。


観る前はすごく面白いか、大ズッコケかどちらかだろうと思っていたけど、なんとも中途半端な印象だった。


それでも、キリアン・マーフィーはずっと出ているので嬉しい。あと、ボコボコにされたり血を流すシーンが多いので、そうゆうキリアンが観たい方にもおすすめしたい。
あと、バーン・ゴーマンが一つのシーンだけでちょっと出て来たのがびっくりした。あと、トビー・ジョーンズがわりと重要な役で出てました。『裏切りのサーカス』のティンカー役の人。
あと、キャストを眺めていて知ったんですが、先程私がいらないキャラだと書いた女学生は『フルハウス』でミシェルを演じた双子の二人の妹さんらしいです。

『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー監督作品。ビンラディン殺害作戦の中心人物であるCIAの女性を主人公にしている。実話を元に作られた映画。実話を元にといっても、脚本にジャーナリストの方も関わっているため、ほとんど正確なのかもしれない。ちなみにこのマーク・ボールという方は『ハート・ロッカー』でも脚本を担当しています。
以下、ネタバレです。







『レッド・ライト』も観たかったので、本当は一日二本観ようとしてたんですが、疲れるらしいとの話を聞いていたので、別々の日に観ることにしました。

序盤に拷問のシーンが多く、そのどれもがリアルに描かれていたため、これを158分だとさすがに疲れると思ったけれど、そうゆうことではなかった。拷問は、非難の意見が世界から集まっているのに考慮して、途中で行われなくなったらしい。

主人公マヤを演じる、ジェシカ・ジャステインがうまかった。最初は拷問にも目を背け、頼りない感じだったけれど、次第に口調がはっきりしてくるし、早口になってくる。終盤は昔の同僚に電話で当たり散らかしたあとに無理なお願いをする、上司につっかかるなど、ワンマンのような、でも強い信念が感じられる行動をとるようになっていた。マヤ視点で話が進んでいくので、ものわかりの悪い上司には苛々したし、話が進むに連れて、マヤのことを全面的に信頼するようになっていった。

同僚の女性と食事に行って、「友だちいないの?」って聞かれて黙ってしまってましたが、その同僚と友だちっぽくなっていたのも良かった。チャットだかメッセのやりとりでcool!などくだけた文章を送っているのも可愛かった。でもこのシーン、嫌な予感しかしない。もう友だちになったのも伏線だったかのような気さえする。
向こうの金持ちを向かい入れる時に「怖がるから警備員は立たせないで」と言っていたけれど、確かにそうかもしれないけど、それは怖い。脇が甘い。心配しながら観ていたら、やっぱり自爆テロで死んでしまった。

潜伏場所を見つけるまでの緊迫感と、見つかってからも諸事情で突入できないイライラも良かったんですが、後半の突入シーンも圧巻。
もちろん実際に突入するのは特殊部隊の方々で、マヤではない。それまでマヤ視点だったので、突入シーンは省かれそうなものだけれど、異様に丁寧にしっかりと描かれている。この辺はとても盛り上がるし、このシーンが終盤にあるとないとでは映画の印象が全然違う。
急にミリタリーものになったようでした。ステルスヘリも恰好良かったし、ごてごてした装備を付けた特殊部隊の方々も良かった。あの暗視スコープがレンズ四つ付いてたのはなんなんだろう? 普通二つなのかなと思うけれど。いろんな方向が見えやすいようにかな。
突入される建物もまったく同じ大きさにセットを作ったらしい。かなりリアリティが追及された凝った映像。

暗視スコープの目線のカメラなので、最後には観客である私までも謎のやり遂げた感を味わえた。疲れるのは主にこのシーンのせいなのではないかと思う。


実話を元にしているから結果がわかっている。なのに、ハラハラドキドキしてしまうこの感じは『アルゴ』で味わったのと同じもの。ただ、『アルゴ』が三地点のカメラの切り替えなど演出面で盛り上げたのに対して、『ゼロ・ダーク・サーティ』はリアリティをとことん追求した迫力ある映像で盛り上げる。実際にあった事件を元にしているのは一緒でもそのとらえ方が違う。どちらも好きです。
この二作がいまのところのショーレースを席巻しているのも面白い。アカデミー賞はどうなるんでしょうか。

この映画、男社会で働く女性が主人公だし、監督も女性なので、ややもするとフェミニスト映画にとらえられがちだと思うけれど、そういった印象がほとんど残らなかった。セクハラらしいセクハラを受けないせいかもしれない。女性の同僚に「彼と寝た?」って聞かれるくらい。あと、「私がクソッタレです」のあたりだけ。

初対面で「冷血そうだ」と言われるように、何回か気持ちを爆発させるシーンはあっても、大抵のシーンではキビキビしていて、しっかりしているように見えた。

だからこそ、そんな彼女が最後に一人になったときに涙をぼろっとこぼすシーンは、多少あざといけど、気持ちがよく伝わってきた。


『ハート・ロッカー』を観たあとも、なかなか現実に戻ってこられなくて、帰りに地下鉄に乗っている自分がなんか不思議な感じがしたのですが、今回も観たあとに、同じように変にふわふわした気持ちになっていた。二作続けて、ここまで入り込める映像を作ってきたのがすごい。キャスリン・ビグロー監督の過去作も観てみたい。


マーク・ストロングが上司役で出てきて、とても恰好良かったのですが、なぜかカツラをかぶらされていた。なぜいつものハゲでは駄目だったのか。
マーク・ストロング演じるジョージは、最初は威勢良く机をドンとか叩いて説教していたのに、最後のほうでは突入する建物の中にビンラディンがいる可能性を聞かれ、他のひとが60パーセントと答える中、一人80パーセントと答えていた。この時、マヤはもちろん100パーセントと答えているのですが、完全に彼女に感化されている。
そうゆう影響されやすさや若さみたいなものを表現するために、毛のあるマーク・ストロングだったのかな。


あと、本編の前の予告の最初にミリタリーショップのCMが入ったんですよ。そのときは何で映画館でミリタリーショップのCMが?と思って少し気にはなったものの、内容はそんなにしっかり観ていなかったんですが、これって、本編の終盤のキモのシーンへの布石ですよね、きっと。
有楽座で観たんですが、前の上映作のときには流れていなかったらしいので、今回のみ特別に流してるのかもしれない。他の映画館でも流れるのか気になる。

2011年公開。三谷幸喜監督作品。
初期のものと比べるともう舞台っぽさはなく、普通のドラマのようになってしまっている。

それより何より、三谷幸喜といえば、脚本がしっかりしているのを期待していたんですが、まったく駄目でした。ただの寄せ集めコントのよう。
登場人物が多いのはいままでもそうだったけれど、それでもキャラクター個々に愛が感じられた。今作ではないがしろにされている。出なくてもいいキャラが多い。有名な役者さんを出したかっただけじゃないのかと思ってしまう。

序盤の、主人公が他の人には見えない落武者と話すシーンだって、タクシー運転手相手にやるだけでいいのに、ファミレスでも同じことをやっている。タクシー運転手役は生瀬勝久でファミレス店員は深田恭子。きっと両方出したかったんでしょうがくどい。佐藤浩市が登場するシーンだって、ストーリーに関係ない。そんなシーンがたくさんあって、トータルタイム142分。長過ぎる。

また、主人公の上司役の阿部寛だって、都合合わせのためだけに死なせた感が否めない。唐突すぎるし、主人公も少しも悲しまない。むしろ、霊界への連絡係ができて良かった待ってましたとばかりの態度だった。コメディだから何をしてもいいというわけではないと思う。


意識したわけではないんでしょうが、霊と裁判の組み合わせって、すでにゲームの逆転裁判でやっちゃってるんですよね。なので、どうしても思い起こさせるシーンが多かった。
それに、霊を出しちゃったらなんでもありで、推理として感心するところは何一つなかった。しかも、一番のオチが殺された人を幽霊で呼び出して、「お前に殺された」ってちょっとお粗末すぎる。

昨日今日と連続で三谷幸喜脚本ものを見てきて、明らかに今作は適当な作りだった。なにより、くすりとも、一回も笑えなかった。『ラヂオの時間』『笑の大学』は何回も声に出して笑ったのに。

『笑の大学』


2004年公開。脚本三谷幸喜、監督星護。もともとは1994年のラジオドラマ、その後、1996年に西村雅彦と近藤芳正で二人芝居が上演されている。ラジオドラマは知らなかった。二人芝居の印象でした。

映画版は少し外のシーンが出て来るものの、ほぼ取調室が舞台となっていて、ほぼ二人芝居。二人芝居で役所広司はともかく稲垣吾郎は厳しいのではないかと思ったけれど、少しボンボンっぽい演技がよく合っていた。うまいわけではないけど合っていたのでいいと思う。

検閲が添削に変わっていって、結果的に台本が良くなってしまうというおかしさ。役所広司演じる検閲係の態度の変わり方が自然なのがうまい。
また、警官役をやってみてくれと言われて取調室内を走るシーンは、次第に軟化していった気持ちがついに「楽しい!」に変わる瞬間で、追いかけるようにまわるカメラと音楽でいきいきと描かれている。この表現の仕方は映画ならではだと思う。

とはいえ、最初の他の劇作家たちの台本に不許可の印を押していくシーン等はいらなかった気もする。もっと二人芝居にしてくれても良かった。

もともとの時代背景が反映される最後のシリアス展開も良かった。台本が出来上がって、公演されて、その公演を検閲係が観にきて終わり、ではないのだ。
いろんな場所で台本を読んで笑う役所広司の演技は泣けた。
最後の最後に敬礼ではなく、お辞儀をさせるのも良かった。面白かったです。舞台版も観てみたい。

調べていたら、イギリス版では作家役をマーティン・フリーマンがやっていたらしい。2007年。観たかったなー。タイトルは『The Last Laugh』だったそうです。


2009年公開。トム・フォード監督作品。さすがトム・フォードともいうべきファッションセンスの良さと色づかいに気を配られているのがわかる。
最初に観た時には気づかなかったけれど、主人公の気持ちの変化で灰色がかったり色鮮やかな暖色系に変わったりするのが面白い。

その他にも、主人公の目線でとらえられたカメラも多く、主人公に感情移入しやすい作りになっていると思う。

だからこそ、あのラストだけが納得いかない。恋人を交通事故で亡くしてつらいのはわかる。それでも、チャーリーは想ってくれているし、大学の生徒だって慕ってくれている。あれはきっと、覚悟してますよ? それを感じ取ったのか、主人公は自殺するのをやめる決意をするのに。
なのに結局、死んでしまうという。この無常観がいいのかもしれないけれども、どうせだったらハッピーエンドを望みたかった。主人公の未来を見たかったです。

主人公を演じるコリン・ファースが素敵です。スーツに大きめのメガネでビシッときめている様も、裸もいい。
あと、トム・フォード好み…かどうかはわからないですが、美男子も多数出演。特に、大学の生徒を演じるニコラス・ホルトは今後出演作品目白押しみたいで嬉しい。『ジャックと天空の巨人』では主役を演じるようです。ブライアン・シンガーにも目をつけられたかな?

『ラヂオの時間』


1997年公開。三谷幸喜の初監督作品。原作は三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ名義。もともと、1993年に東京サンシャインボーイズで舞台でやっていたものの映画化。

話自体は嘘に嘘を重ねた上塗りで、進む方向がまったくわからなくなって、収拾つかなくなりそうなところを強引にオチつけて、最後はベタともいえるいい話に仕上げるという、いつもの三谷幸喜パターン。だけど、とても面白かった。

ラジオドラマが舞台ということで、広くてもラジオ局内、ほぼ収録のブースで展開されるワンシチュエーションコメディ。このシンプルさでも、話が面白いのは、しっかりと脚本が練られているからだ。
リアルタイムで進行していくけれど、しっかりとオチに向かって突っ走る。そんなバカなと思っても、いつしか話に夢中になってしまい、「メアリー・ジェーン!」で感動して泣く始末。
シンプルであってもこれだけのものができるんだから、『ザ・マジックアワー』のような、本物のような豪華セットなんていらないんじゃないかと思う。

キャラクターが多いけれど、全員味があっていなくてもいいキャラはいない。要所要所で出てくるトラックの運転手を演じる渡辺謙さんも良かった。聴取者代表ですね。

エンディングテーマは布施明のいやらしいほどの良い声の曲だったんですが、よく聴いていたら、「千本のっこが笑っていれば、それだけで僕は満足だ」と歌われていて、まさかのキャラソンだった。いまいち気持ちのわかりにくい堀ノ内の気持ちの補足にもなっているし、完璧だと思う。


1999年公開。今度ロンドンへ行くので観てみました。

ヒュー・グラント演じるウィリアムが働く書店に、ハリウッド女優アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)がお忍びで来たことで始まるラブストーリー。
ですが、そんなにうまくいくのか?というのと、なんでウィリアムはアナのことを好きになったのかわからなかった。綺麗だったとか、芸能人だったとか、そんなところでしょうか? アナの性格が見栄っ張りすぎて好きになれませんでした。
最後はしおらしい様子と服装をしていたけれど、途中でもしおらしくしてたのに実は彼氏がいたとか、役者仲間との会話でひどいことを言ったりと、それでも好きでいられる気持ちがよくわからなかった。

ラスト付近のホテルのフロントさんが気をきかせるシーンは好きでした。あそこで終わりでも良かったのに。

それとは別に、ロンドンの景色は楽しめました。ノッティングヒルの舞台となった書店やウィリアムの青いドアの家はもうないそうですが、オレンジジュースを買ったスタンドはあるらしい。市も開かれているみたいなので行ってみたい。
あと、アナの泊まっていたホテルがリッツで、リッツは豪華そうだけれどいまいちランクがわからなかったけどよくわかった。

それから、この映画は労働者階級の人たちの描き方がリアルらしい。ウィリアムの近辺の人々ですね。読む新聞とかもこだわってあるとか。見事にゴシップ紙でした。