『ハングオーバー!』シリーズのスチュ役でお馴染みエド・ヘルムズ主演。原題は『Vacation』。この邦題は『なんちゃって家族』あたりからの繋がりではないかと思う。『なんちゃって家族』にもエド・ヘルムズは出演。
監督はジョナサン・ゴールドスタイン&ジョン・フランシス・デイリー。『モンスター上司』の脚本コンビ。監督としてはデビュー作となる。
海外のコメディがなかなか映画館でかからなくなり、DVDスルーが大半、上映されるにしても数年後ということが多い中、全国2館とはいえ、無事に上映してくれて良かった。本国での上映も今年7月とそれほど間もあいていない。

以下、ネタバレです。







エド・ヘルムズ演じるラスティが家族の絆を取り戻すべく、妻と子供二人を誘って車でアメリカ横断をする。その途中でいろいろあるロードムービー。
来るぞ来るぞというところで必ずお約束のようなギャグが入る。意外性こそないけれど、それが逆に心地よい。

例えば、「Four Cornersでセックスしたら4州で愛をかわしたことになる!」と名案めいたことを言って夫婦でホテルを夜に抜け出せば、Four Cornersはたくさんのカップルで順番待ちが起こっている。ここも、たぶん誰かと鉢合わせするんだろうなあと思いながら見ていたので意外性はなかった。
加えて、警察が取り締まりに来るんですが、4州それぞれの警察が来て内輪もめをする。ここも1つの州が来たときにこうなることはなんとなくわかった。けれど、ニューメキシコ州の警官がマイケル・ペーニャだったことで爆笑してしまった。『ペントハウス』『アントマン』と、最近個人的によく見ているマイケル・ペーニャがここにも。多分、他の3州も私が知らないだけで有名な人なのだろうなと調べたら、コロラド州警官役のケイトリン・オルソンは長寿ドラマ『It's Always Sunny in Philadelphia』の女性だった。

チャーリー・デイも出てきます。観ていたときには『モンスター上司』の脚本コンビが監督だと知らなかったので驚いた。リバーラフティングのガイド役なんですが、ガイドする前に冗談とも本気ともつかないことを言って家族をこおりつかせる。声が高いのがまたおもしろい。いざラフティングの直前に、ガイドの元へ婚約者からの別れの電話が入る。
不安になりながらもラフティングが始まる。『Without you』が流れ出し、スローでラフティングをしている様子が映される。合っているといえば合っているけれど、サビの♪I can't live〜の部分で、曲の盛り上がりとともに、やけになったガイドが川の流れの厳しい濁流の方向へ舵を取るのが笑った。家族はパニックになっているけれど、悲鳴などはなく、曲が流れ続けている。しかもピンチの曲ではなくて、『Without you』というのが最後には完全に合っていなくておもしろかった。

クリス・ヘムズワーズは唯一日本の公式サイトに名前が出ていたカメオなんですが、カメオというよりは結構しっかり出演していた。ラスティの妹の夫役で、テキサスのカウボーイ。特別にクリス・ヘムズワーズのファンというわけではないけれど、急に出てくると、一気に画面が華やかになるし、スターのオーラのようなものを感じた。他の人の中には紛れず、彼だけ違って見えた。
妹の夫という、親戚というか、実際に近い存在としてかっこいい人がいたら?というような妄想もしてしまった。私も口の端についた汚れを取ってほしい。
また、マイティ・ソーを演じている彼に「君はヒーローだよ」と言わせるのも贅沢だと思った。
ただ、やはり普通の役ではなく、ラスティ夫婦の寝室に上半身裸のボクサーパンツ一枚で入ってくる。リモコンの使い方など、部屋の説明をしながらポージングをしていく。ラスティの妻は「腹筋を見せにきたのね」と言っていたけれど、どうしてもパンツの中にあるとても長いモノに目がいってしまった。考え過ぎかとも思ったけれど、エンドロールでもはみ出している写真(モザイクあり)が出ていて、注目どころが間違えてなくてほっとした。

こんな役で良かったのだろうか?とも思うけれど、そんな役を、普段の役柄とは全く違う俳優さんが嬉々として演じているのを見るのが大好きです。某映画のチャニング・テイタムとか…。

トラックで追いかけてくる恐ろしげな男は最後のほうまで出てこないが、もったいぶった演出で姿を見せたときに、それがノーマン・リーダスだったのにも笑った。確かに悪人顔だけれども! 更に、妻の無くした指輪を届けてくれるという優しい面も…。ただ、姿は怖いけれど優しいというギャップキャラ、というだけではなく、「なんでトラックに熊のぬいぐるみを付けているの?」「子供が寄ってくるからさ」というようなセリフもあった。
これも、ノーマン、こんな役でいいの?とも思った。

ギャグがそれほど新しいものでなくても、所々で出てくるカメオが良いスパイスになっていた。
何かこの感じを知っている…と考えていたけれど、ダウンタウンの年末恒例番組“笑ってはいけない○○”に近い気がする。

ギャグだけでなく、話の流れも予想通りである。家族の絆を取り戻すために出かけ、旅を通じてちゃんと絆は取り戻される。でも、それでいいのではないだろうか。これで、父親が虐げられたままでは可哀想だし、ここまでやって何も変わらないのもがっかりする。
SEALの『Kiss From A Rose』が車から流れ出し、ラスティは「みんなで歌おう!」と呼びかけるが誰ものってこない。しかし、最後、目的地のローラーコースターに乗りながら、コーラスも含めてみんなで一緒に歌う。わかっていても、涙が出た。曲が良いせいもある。旅の終わりの切なさを感じていた。いつの間にか、一緒に旅をしてきた気分になっていた。

後半に出てきたラスティの親役のチェビー・チェイスという俳優さんは、私は知らなかったけれどきっと有名な方なのだろうと調べてみたら、1983年に『National Lampoon's Vacation』という映画に出ていた。タイトルが似ていると思ったら、この作品では本作に出てきた親たちがラスティと妹を連れて旅に出ていた。本作は続編だったのだ。

序盤で、「前回旅に出たのは兄と妹だったけれど、今回は男兄弟だ」と言っていて、何のことを言っているかわからなかった。その前に弟が兄のギターに“ワレメちゃん”と落書きをして、「僕にワレメなんてついてないよ〜」と嘆くシーンがあったけれど、そこのラスティの対応が曖昧すぎてギャグなのかデリケートな話なのかわからず、兄が本当に男の子なのかどうか、温泉のシーンまでわからなかった。だから、“兄と妹”の部分が本当は“姉と弟”の字幕の間違いなのではないかと途中まで思っていた。
それが、83年の映画の話だったのだ。

ちなみに、ナショナル・ランプーンというのは元々はハーバード大学の卒業生が発行していた雑誌で、それがラジオや映画にも派生していったらしい。その一つが、『National Lampoon's Vacation』だったようだ。これはEuropean VacationだのChristmas Vacationだの6作も映画が作られシリーズ化されていて、今作は一応この系譜に入り7作目にあたるらしい。日本だと『お!バカんす家族』単体のようですがそうではない模様。

こんなにシリーズ化されているわりに日本での知名度はどうなのだろうと思ったけれど、一作目は『ホリデーロード2000キロ』というタイトルで、その後はそのまま『ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション』などのタイトルで一応ソフト化はされているようだ。ただ、大きなレンタルショップにしかなさそう。

後半で実家の車庫にある車は83年の映画で出てきたものらしく、知っていたらここでも感動しただろう。

ラスティが妹と会うシーンで、「あの時はお父さんがローラーコースターで吐いて」みたいな思い出話をしていた。
この映画のオープニングでは様々な家族写真が出ていたけれど、その中の一枚にローラーコースターで盛大にやらかしているものもあった。一般の家族の写真かと思っていたけれど、もしかしたら過去の映画からのカットだったのかもしれない。

エンドロールの写真は、最初トリミングされていて元のサイズに戻すとオチがあるというものだった。エド・ヘルムズだし、写真で笑わせるのは『ハングオーバー!』を意識しているのかなとも思った。




『アントマン』



マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)12作目の作品であり、一作目の『アベンジャーズ』の次から始まったフェーズ2の締めくくりとなる作品。時系列的にも『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のすぐあとの話とのこと。
CMや予告などでもMCUについてはあまり触れられておらず、単なるヒーローものととらえられているかもしれないけれど、思ったよりも本筋と関わってきていた。当然、今までの作品を把握しておいたほうがニヤリとさせられる場面も多く、話の流れにもついていきやすい。

ただ、すでに11作もあるので観るのが大変だし、大ヒット(と言ってもいいと思う)していて好評なことから、単体で観てもおもしろいのだと思う。むしろ、これから観て、過去に遡ってもいいのかもしれない。

最初はエドガー・ライトが監督をするはずだったが降板。それは残念だったけれど、どの辺で関わっているかわからないけれどテイストは感じられるものになった。
代わりの監督はペイトン・リード。『イエスマン“YES”は人生のパスワード』など、コメディ映画を中心に撮っている方。
エドガー・ライトにしてもそうだけれど、どちらかというとスモールバジェットコメディ映画を撮っていた監督が、マーベルヒーロー映画を撮るのは意外な気がしたけれど、これがとてもよく合っている。しかも、今までのMCUものとはまったくテイストが違う。でも、しっかりと組み込まれているあたりが唸らさせる。

以下、ネタバレです。









まず、主人公スコットが刑務所にいる場面からスタート。何かしら理由があったみたいですが(前日譚コミックに描いてあるらしい…)、冤罪ではないです。しかも、出所してももう一度、盗みを働いてしまう。
ここからして、とてもヒーローものとは思えない。しかも、指紋認証を通り抜けるための採取法、金庫を開くための技術など、手口が鮮やか。撮り方もテンポがよく、まるでクライムムービーのよう。
家宅侵入したのはスコットだけだけれど、その刑務所友達である3人が車から指示を送っていた。スコット一人ではなく、仲間もいるのがよりクライムムービーっぽさをかきたてる。

そして、厳重な金庫をあけても盗むべき金目のものはなく、あったのは古いライダースーツ(実はアントマンスーツ)だった…というところから、いつの間にかちゃんとヒーローものになっていく。ここも盗みのシーンと同様、手口が鮮やか。

ヒーローになると言っても、世界を救うんだ!とか目に見えないものへの責任感が急に芽生えたわけではない。なんせ、スコットは普通の男(前科持ち、離婚歴あり)なのだ。大金持ちでも根っからのヒーローでもスパイでも王子(というか神様)でも科学者でもない。
スコットは、離れて暮らす娘に尊敬されたい、という想いだけでアントマンになることを決意する。

普通の男なのでヒーローになるための特訓もするけれど、特訓シーンもテンポが軽快だった。
鍵穴をすり抜けようとするけれど小さくなるタイミングがはかれずにドアに激突する、蟻と仲良くなろうと蟻の巣へ入るが失敗して通常の人間サイズに戻り蟻の巣を破壊する…。何をやってもうまくいかないのは、彼の人生のようである。けれど、失敗をコラージュのように組み合わせることにより、失望ではなく、やれやれというようなおかしみが生まれ、笑いが漏れる。
これは、スコットを演じるポール・ラッドの力でもあると思う。

特訓の成果を見るために、アベンジャーズの建物へ忍び込むテストをさせられるのだけれど、そこでファルコンと鉢合わせをしてしまう。こんなにはっきりとアベンジャーズメンバーが出て来るのにもびっくりした。途中で「彼らは空の都市の戦いで忙しい」みたいなセリフが出てきて、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の話をしてるなとは思ったけれど、その程度なのかと思っていた。ファルコンとのちゃんとした対戦が見られるとは思っていなかった。完全に話が繋がっていた。
ファルコンとの戦いはアントマンの生みの親であるハンク・ピム博士には止められるけれど、スコットはなかば強行するような形で戦う。当然、帰ってきて博士に怒られるけれど、実はミッションは見事成功していて、目当てのものは手にできていた。
ここのポール・ラッドの、“ちゃんと取ってきたよ? 何か問題でも?”というような表情が良かった。口をへの字にしてちょっとおどけたような、余裕の表情。少なくとも、雇い主というか上司というか、上の人へ向けての表情ではないんだけど、それが許されるスコット・ラングというキャラクターとそれを演じるポール・ラッドがいい。

なんとなく、飄々としているけれどやるときゃやるみたいなスタイルが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のスター・ロード、ピーター・クィルのようであり、演じていたクリス・プラットと似ているように感じた。彼の前科は一応消されたものの、二人とも収監されているあたりも同じ。この先、MCU内で二人が会うこともあるのだろうか。

このように、この先のワクワクまで植え付けられる。
今回、エンドロールのあとのオマケ映像ではキャプテン・アメリカとファルコン、そして、バッキー(ウィンターソルジャーというよりバッキーでいいのだと思うけどどうだろう)が出てくる。MCUの次作は『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』である。おそらく、ファルコンが橋渡し役となり、次作にもアントマンが登場するのではないだろうか。
二人は戦っていたし、少なくとも今現在は友好的な感じでは無さそうだ。どのような経緯で協力することになるのかも楽しみ。

もちろんこの先だけでなく、今作を単体で観ても充分にワクワクする。この映画の基本構造の部分ですが、主人公は小さくなって戦うヒーローなのだ。だから、『ニルスの不思議な旅』のような、新しい世界観が広がっている。映像的にも楽しい。
また、本人らが真剣に戦っていても、普通サイズの人間から見たら本当に小さな、些細な戦いになっていて、それがよく表れているのが予告編の機関車トーマスのシーンである。
アントマンたちからしたら、本物の汽車サイズだから轢かれそうになるのはまさに死闘だけれど、普通サイズから見たら、おもちゃがぺこっと脱線しただけである。この、死闘と力の抜ける“ぺこっ”が交互に出てくるのがおもしろい。ちなみにこの最終決戦も行われるのが子供部屋なのも新しい。

このトーマスの脱線シーンは予告編にも出てきて、他の映画を観に行ったときでも必ず笑いが起こっていたけれど、本編はこれで終わりではなく、巨大化するディスクが誤って当たってしまう。機関車トーマスのおもちゃが、逆に大きくなってしまうのだ。大きくなっても、目玉がぎょろぎょろと動き続けているのがシュールだし、予告ですべてを見せているわけではないのもおもしろい。

緊迫しているようで通常サイズの人間から見るとなんてことない戦いは、カバンの中でも繰り広げられていた。誤ってiPhoneに当たってしまい、お気に入りの曲が再生されてしまう。端から見たら、ただの音の出るカバンである。

アントマンの小ささを示すためなのか、スクリーンに対してとても小さく映されるシーンがいくつかある。できることならIMAXで観たかった。小さいスクリーンの2Dでは見つけ難いかもしれない。私は3Dで観たが、しっかりと小さいアントマンが浮き上がっていたのでわかりやすかった。
また、羽アリに乗って飛ぶスリリングなシーンもあるので、3D向けだと思う。あと、ラスト付近の次元世界の幾何学模様も一応3D向けかもしれない。次元世界に迷い込んで、娘の声により呼び戻され…というのは某映画を思い出したけれど、その映画のネタバレになるので書きません。

ヒーローものでありながら、父と娘の話でもある。ファミリーものの要素もあるのだ。スコットと娘キャッシー、ピム博士と娘ホープの話が平行して進行する。
ピム博士役はマイケル・ダグラスなのだけれど、安定感があるというか、さすがの貫禄があった。マイケル・ダグラスがマーベルヒーロー映画に出演するのは意外な気がするけれど、合っているし、作品自体にも深みが出ている。
ホープ役のエファンジェリン・リリーも良かった。二人が母親関連で話をするシーンは泣きそうになった。
それにしても、スコットが次元世界から戻って来れたことで、母親も帰ってくる可能性も出てきた。続編があるのかどうかはわからないけれど気になるところだ。
また、エンドロール後のオマケ映像の一回目のもので、ホープにワスプのスーツがたくされるのもぐっとくる。これも、アントマン自体の続編になるのか、MCUの続編になるのかはわかりません。

また、MCUには出られなくても、アントマンの続編があるならば、3バカは続投させてほしい。あの友達あってのスコットだと思うし、今作でも思った以上に活躍していた。
三人のうちの一人、パソコンが得意な人物役にデヴィッド・ダストマルチャン。『ダークナイト』のシフ役の方。『プリズナーズ』でも同じような役をやっていてずるかった。今回は少しイメージは違います。髪型もリーゼント風。でも、どこか怪しさは残ってるし、何を考えているかわからない感やまともじゃない感もひしひしと伝わってきた。

マイケル・ペーニャも良かった。特に序盤と最後に二回出てくる早口で脱線しながら話すシーンが最高。『アントマン』はファミリーものでありヒーローものでありクライムムービーでありコメディであり…と様々なジャンルが混じっているから、なんとなくとっ散らかったちゃかちゃかした印象を受けるのかなと思っていたけれど、もしかしたら、マイケル・ペーニャのせいかもしれない。
ちなみに、この場合のとっ散らかったというのはいい意味です。いろいろな要素が入っているけれど、それがばらばらになってしまうわけではなく、うまく作用している。賑やかで本当に楽しく、夢中になってしまう。まるでカラフルなおもちゃの入ったおもちゃ箱のようだ。


何の情報も入れないまま観たほうがおもしろい系統のドイツ映画。
宣伝が多くうたれていたのはソニー・ピクチャーズだからかもしれませんが、なんとトム・シリングが主演でびっくり。全国公開もされているし、満席続きらしい。トム・シリング主演の映画が、日本でこんなに注目されるのは初めてだと思う。
また、かなりヒットしているらしく、ハリウッドリメイクも決まっているそうです。

以下、ネタバレです。








なんとなくピエロというと殺人鬼のような印象があって、そのマスクをかぶった人物が使われているポスターとそれが“お前を嘲笑う”というのだから、きっとホラーなのだろうと思っていた。
けれど、ハッカーということで、ピエロのマスクはアノニマスのガイ・フォークスのようなものだった。ホラー的な怖さはないです。
たぶん、ジャンルとしてはクライムムービーになるのではないかと思うけれど、私は犯罪よりも青春の成分が多く感じた。

主人公のベンヤミンは孤独で友達も彼女もいない。強いて言えば、コンピューターだけが友人。顔つきも暗い。
最初、トム・シリングはこんな役かと思ってしまった。素材はいいのに恰好良くはない。でもこんな役もできるんだと驚きもした。
そんな彼がマックスという人物と出会い、影響されて変わっていく。

マックスはエキセントリックだが、求心力のある人物で、ベンヤミンにとって憧れの人物となる。ベンヤミンは自分の得意分野であるハッキングを通して、マックスと、ステファン、ポールと仲間になる。
このグループの名前がClowns Laughing At You、この頭文字をとってCLAY。“ピエロがお前を嘲笑う”という邦題はここからつけられている。
原題は『WHO AM I-Kein System ist sicher』。WHOAMIがベンヤミンのハンドルネーム、そのあとのKein System ist sicherはドイツ語で“完璧なシステムは無い”という劇中でも何度か出てきたセリフ。
邦題も原題もどちらもいいと思う。Clowns Laughing At Youというのは何か決まり文句なのかもしれないけれど、これでGoogleで画像検索をするととても怖い。

いままで一人で行動してきたベンヤミンにとって、仲間と行動するのは犯罪行為であれ楽しそう。些細ないたずらは通り越しているけれど、『クロニクル』を思い出した。
マックスと自分の違いを思い知らされ、ブチ切れ、逆恨みし、爆発する様子も『クロニクル』のようだった。
ベンヤミンの淡すぎる恋心や、ポルシェを盗んで四人で大はしゃぎで夜の街を走る様子など、甘酸っぱくてこれは青春映画以外の何ものでもないと思う。

そんなヒューマンドラマのような描写もありつつ、アングラサイトのチャットのイメージ映像みたいなものは非常にスタイリッシュだった。
地下鉄の電車内に例えられていて、アイコンや匿名性を表すかのように、全員マスクをつけている。
CLAY前のベンヤミンはウサギのマスクをつけていて、いかにもという感じ。CLAY後はピエロです。
その中でカリスマ的な存在のMRXという人物がいて、彼は顔に×かXと書いてあって、特に正体が明かされていない。
MRXからデータが送られてきて、それがCLAYの面々をバカにする内容だった、というなんてことないエピソードも、地下鉄描写だと、MRXからピエロのマスクをかぶった四人がプレゼント箱を受け取り、ワクワクしながら開いたら中にマラカスが入っているというようになっていた。おしゃれ。

音楽に関しても、全体的にインダストリアルテクノが多く使われていて恰好良かった。映像とも合っていました。

結局、MRXの正体に焦点が当たってくるのかなとも思っていて、あの人では…というようなことをいちいち考えつつ観ていたのですが、それは別に関係なかった。今まで出てきてない、話の筋には関係のない人物だった。
少しポール・ダノに似ているこのLeonard Carowという俳優さん、映画版の『戦火の馬』にも出ていたらしい。

映画を観ているうちに忘れてしまうんですが、ベンヤミンのモノローグなんですよね。モノローグというか、自白というか。彼一人がそう話しているだけで、それが本当か嘘かなんてわからない。
そこを逆手にとってのどんでん返しがある。

ベンヤミンの部屋に貼ってある『ファイト・クラブ』のポスターがわざとらしい。これは、観客に対する暗示でもある。
そういえば、マックスが「そうだ!マスクを被ろう」と言った時、マスクは一個しか無かったとか、おチビ、人気者、入れ墨、ふくよかと四人が四人とも特色がありすぎる。特に、マックスはなりたい自分の投影だったのではないか。
そうなると、『クロニクル』よりつらい。『クロニクル』は短い時間ではあったが、友達と仲良く楽しく過ごす時間があった。それすらもない。ずっと一人だった。友達すら、自分で作り出していたのだ。友達にキスされまくっていたのもすべて妄想と考えるとさみしすぎる。これでは青春映画にすらならないではないか。かなしい。
胸が締め付けられて泣きそうになった。

ところが、ここで、もう一ひねりあった。
ベンヤミンのキャラクターとして、『ファイト・クラブ』が好きだったからこそ、こうするアイディアを思いついたのかもしれない。

ベンヤミンは真っ黒な髪を金色に染めて、キメキメになっている。表情は自信に満ちあふれ、姿勢もしゃんとしているのも勘違いではないはずだ。
友達も彼女も自分に対する自信も、すべて入手していた。『クロニクル』ではなかった。こちらは大勝利である。
でも別に、それらを急に入手したわけではない。ベンヤミンは、偶然に会った好きな女の子に勇気を持って話しかける、ピンチに陥った友人のために自分を犠牲にしながら動くなど、今までの彼からは想像できない行動に出た。出会った友人たちによって自分が変わったのだ。主人公成長ものと言ってもいい。
『クロニクル』のアンドリューが童貞をバカにされてうじうじしてマイナス方向にエネルギーを溜めていったのに対し、ベンヤミンは自らを向上させ、しっかり前に進んで行ったのだ。

それにしても、この最後のシーンのために、トム・シリングは今までわざとどんくさい演技をしていたと考えると素晴らしい。
演技内の演技ですが、ユーロポールに忍び込む時、「財布忘れてパパに怒られちゃう。うっうっ」みたいな学生さんになりすますこともしていた。目をうるうるさせていて、いかにも情けない様子で、ユーロポールの警備員も「仕方ないな、2分だけだぞ」と中に入れてしまう。トム・シリング、33歳。

ラストでは、金髪のトム・シリングがカメラ(というかスクリーン越しの私たち)を真っ直ぐに見て、楽しんでもらえたかな?とでもいうようにちょっとウインクをする。
ふいに殴られて頭がクラクラするような感覚をおぼえた。こんなカットを入れてくるとはずるい。
これは、トム・シリングファンが増えるのではないかと思う。ファンにならないまでも注目俳優にはなるのではないか。
結局、犯罪映画でも青春映画でもなく、トム・シリングアイドル映画の面が強い。大歓迎です。

以下、当ブログのトム・シリング出演過去作感想まとめ。
こう並べてみると、どれもいい映画ばかりなのがわかる(カッコ内はいずれもドイツ公開年)。

コーヒーをめぐる冒険』(2012年)
ルートヴィヒ』(2012年)
素粒子』(2006年)
エリート養成機関 ナポラ』(2004年)
アグネスと彼の兄弟』(2004年)


『ピクセル』



『グーニーズ』『グレムリン』などの脚本、『ホーム・アローン』『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』の監督をてがけたクリス・コロンバス監督。
パックマンやドンキーコングなどが宇宙から襲ってくる。対抗するのはかつての天才ゲーマーたちだったという内容。

以下、ネタバレです。







上記の内容は予告編で知らされているもの。パックマンなどが襲いかかると、建物であれ人間であれ車であれ、その場所が四角くぼろぼろと崩れて行くのが視覚的に新鮮だった。人間が襲われても、血は出ないので、刺激的にならないための配慮なのかもしれない。

予告編で、“地球の危機に立ち上がったのはオタクだった!”というような宣伝文句が流れる。それで、いかにも冴えない、決してハンサムとは言えない男たちが主人公というのはおもしろいと思った。今は冴えない、でも、子供の頃はゲームが得意だったという彼らが選ばれたということは、かつての栄光や人生を取り戻すストーリーなのだろうと思った。

ただ、襲ってきた敵に対し、“体を撃つと分裂するから頭を狙え”という法則を教えるのはいいにしても、その後、主人公のサム(アダム・サンドラー)が実際に敵を撃ち始めるのはどうなのだろう。法則はNavy SEALsの面々も知らないかもしれない。でも、実際の銃の扱い自体は、海軍特殊部隊より配線業者のほうが優れているということはありえないだろう。

その次のパックマンにしても、カラフルな色の車をゴーストに、そして町をステージに見立て、パックマンを追いかけるというアイディアは楽しい。けれど、実際に車に乗り込んでしまっては、ゲームが得意なのは関係なくなる。カーテクニック勝負になってしまう。ゲームが得意ならば、車を運転するのではなく、上空から見ないとだめだろう。その上で、自分が車に乗りこむのではなく、何か遠隔操作でもいいから、別の方法があったはずだ。

ゲームオタクと、自分が実際にゲームの中に入って戦うのとは要求されるものがまったく違う。銃が扱える、超絶カーテクニックを持っているでは、ゲームオタク以外のものになってしまう。

最後のドンキーコングだって、地上組はゲームの法則など一切関係なく、迫り来る敵を撃ちまくっていただけだ。ゲームオタク二人で撃っていたけれど、むしろSEALsに任せたほうが良かったのではないかと思う。

サムは宇宙船に吸い込まれてドンキーコングステージへ行っていたけれど、ヴァイオレットと大統領は一緒に行く必要あったのだろうか。ヴァイオレットに関しては息子が攫われたし心配ということもあるかもしれない。けれど、大統領は? 幼い頃にクレーンゲームが得意だったことを思い出したのは伏線なのかと思っていたけれど、別に活躍もしていなかった。
そもそも、サムの幼馴染みのウィルがなんで大統領になれたのだろう。何の説明もなく、いきなり大統領になっていたのは唐突だった。幼馴染みが大統領になっていなかったら、サムの元に地球を救ってくれという話もいっていなかっただろう。

すべてがサムに都合が良く進み、そのために唐突な展開になっている部分が多かった。ゲームしかできないと思ったら大間違いだ、銃や車も完璧に扱えるぜ!という願望で、全部サムの夢なのかと思った。けれど、そんな種明かしは無かったです。
これでは、オタクでも軍隊に負けずに戦えるぞ!というのを表したことにはならない。ゲームテクニックではなく、普通の軍隊並かそれ以上の働きをしているし、幼馴染みが大統領になっているというのもずるい。なにかと世話を焼いてくれる。

予告編を見たときに感じた負け犬讃歌のようなストーリーではなかったのだ。子供の頃は輝いていて大人になったらいいことがなくても、その子供の頃に手に入れたゲームテクニックで人生の大逆転をする。そんな、勇気のわいてくるような話なのかと思っていたら違ったようだ。これではむしろ逆、ゲームテクニックだけでは何もできないぞ自分が体を動かせと言われているようである。

大人だから軍顔負けの運動能力を発揮してしまうわけで、もう80年代の子供らを主人公にしたら良かったのではないだろうか。本当にゲームの腕で倒すなら、そのほうがわかりやすい。チャンピオンになっても大人になったら腕も鈍っているだろうし、子供たちのほうが有能ではないだろうか。

劇中では80年代の音楽がよく使われていて、実はこの点からも、サムが一番輝いていた時代の音楽を流すということは、彼の夢なのではないかと疑っていた。
インドの若者がプロポーズをするときに、演出として、自分でiPhoneで曲を流す。Spandau Balletの『True』のイントロが流れ出し、なるほどと思っていたら歌い出しがヒンズー語でインドバージョンのカヴァーだったのが笑った。この映画のために作られたのか、もともとあるものなのかはわかりません。
ラドローがステージ上で気持ち良さそうにTears For Fearsの『Everybody Wants To Rule The World』を歌っていたのも印象的。ホール&オーツやマドンナの80年代の映像も出てきます。

ピーター・ディンクレイジがとにかくいい。顔の表情一つとっても、彼が出てきたシーンはすべて目を奪われた。すかしていて、刑務所に入れられても偉そう。『X-MEN:フューチャー&パスト』では怖かったけれど、今回はかなりおちゃらけ役。どんな役でもできるのが素晴らしい。

ピーター・ディンクレイジ演じるエディがパックマンなどを倒す引き換え条件に、「セリーナ・ウィリアムズとマーサ・スチュワートとデートさせろ」と言うシーンがあって、即座に二人ともが思い浮かばなかった。女優さんかと思ったけれど、テニス選手とカリスマ主婦である。誰のアイディアだかはわからないけど、この二人をチョイスするセンスがおもしろい。
どちらか片方と言われ、結局、セリーナを選び、ご本人が登場。嫌々デートするという役を演じていた。
でも、最後に地球を救った後ではエディのもとに「部屋で待ってるわ」とのメールが届く。エディが部屋を見上げると、部屋の窓からセリーナが手を振っていて、隣りにマーサ・スチュワートも立っていた。まさかのご本人登場で笑ってしまった。手にはパニーニ。

エンドロールがとても良かった。ドット絵で映画の最初から最後までを数分ですべて振り返る。マーサはちゃんとパニーニを持っていて、ここでも笑った。こだわりが感じられた。

そこでこのドットが流れているのを見て、実際にこのようなゲームがあったと考えてみると、展開上の唐突さや、なんでドンキーコングステージに関係ない人がついてくるんだというのも妙に納得した。チープさや昔のクソゲー感を出したのではないだろうか。
また、彼らが戦っている姿をドットで表すために、彼ら自身が戦うことになったのかなと考えると、このエンドロールを作りたいがための映画だったのではないかとも思える。
それくらい、エンドロールは良かったです。

ゲーマーたちが途中からユニフォームを着だすんですが、それも何の説明もなくいつ何のために、作る時間や必要があったのかもわからないまま着ている。最後にはヴァイオレットと大統領も着ていたけれど、本来、ゲーマーたちではないから、ユニフォームを着る想定もされていない人らであり、しかも女性と太った男性だからサイズも誰のでもいいというわけでもないだろうけれど…と首をかしげていたが、これも、エンドロールのドットでお揃いのユニフォーム姿だと見栄えがいいという、ただそれだけのことなのだろうと思った。

あと、後頭部で機械がむき出しになっていて、どう見てもロボットで、ロボットだとも紹介されているマイケルというヴァイオレットの秘書のようなキャラクターがいるんですが、あまり掘り下げがない。
見た目も強烈だし、いくらでも活躍できそうなキャラクターなのにほぼ触れられない。大したセリフもない。あの技術があれば、侵略阻止に貢献できそうだけれども。
キャラクターとしての唐突さ、いてもいなくても良さから、これもやっぱり夢なのではと思わせる一因だった。
あまりにも強烈だったので調べてみたところ、演じたのがトム・マッカーシー。2014年公開のアダム・サンドラー主演『靴職人と魔法のミシン』の監督さんだったので、そのつながりでの隠しキャラっぽい存在だったのかもしれない。


『キングスマン』



マシュー・ヴォーン監督のスパイ映画。原作はマーク・ミラーによるグラフィックノベル。『キック・アス』コンビです。
コリン・ファース、マーク・ストロング、マイケル・ケインと個人的に好きなイギリス俳優が三人揃ったシーンではにやにやしてしまいました。
主演は新人のタロン・エガートン(イギリス人)。

以下、ネタバレです。








テーラーの裏にスパイの基地があって…という設定からまずわくわくする。テーラーなので、スパイもスーツ。このスーツ姿のコリン・ファースがものすごくかっこいい。背筋はきりっと伸びていて、細身のスーツでスタスタと歩く。かけると様々な表示が出る黒ブチ眼鏡もよく似合っていた。
スパイものなのでスパイ道具もたくさん出てくるけれど、それも、指輪、オイルライターや万年筆、フォーマルな靴から飛び出す毒の塗ってあるナイフと、スーツに合わせて不自然の無いものになっているのが粋。ちなみにスーツも防弾らしい。
特に銃の仕込んである傘は大活躍していた。開くと、防弾の役割も果たす。

普通、アクションは動きやすい服で行うものだと思うけれど、スーツ、しかもきっちりしたもので、隙の無いアクションをこなすのがかっこいい。倒した後にはすました感じになるのもいい。

逆に、敵がこれでもかというくらいラフな格好をしているのが対照的でおもしろかった。漫画だからなのか、どちらが悪いとも言えないといった曖昧なものではなく、明確な敵です。しかも最初から出てくる。
敵を演じたのがサミュエル・L・ジャクソン。彼がキャップを被り、ラッパーのような格好をしているのが意外。でも、ただ者ではなさとか底知れなさが出て怖い。
ポスターなどにもこの格好で載っているけれど、服装が敵っぽくないので仲間かと思っていました。

最初のランスロット(ジャック・ダヴェンポート)が教授(マーク・ハミル!)を助けにきたシーンからして、とても恰好良かった。流れるような動きでばったばったと敵を薙ぎ倒し、高いウイスキーは無事にこぼさずに手にとって香りを嗅ぐ。イカす。
この人かっこいいなと思っていたら、その直後にあっという間に殺されてしまうのも漫画っぽかった。しかも殺され方が縦半分にまっ二つに切られるという。これがなぜかグロテスクではない。流れるように敵を倒した続きのようにまっ二つにされるからだろうか。原作が漫画というのを意識しての、マシュー・ヴォーンの演出なのかもしれない。血が吹き出ないせいかもしれない。ともかく、この映画のスタンスがここでわかった気がした。

ここでまっ二つにするのが敵の秘書的な役割の女性。マシュー・ヴォーン監督は「パラリンピックの選手の義足をヒントにしたんだよ」と言っていて、それは観ればわかるんですが、「義足が武器だったらかっこいいなって」ってそれも気持ちはわかるし考えたこともあるけど、実現させてしまうとは。
この映画はマシュー・ヴォーンの“ぼくのかんがえたかっこいいスパイえいが”イズムでもって作られているのだ。

映画内では大量に人が殺されますが、どれもこれもが漫画っぽい。チップが埋め込まれた人たちの頭が順番に爆発するシーンがあるが、普通なら、血みどろでかなりグロテスクになるだろうし、それが大人数だからほぼホラーのようになってしまうのではないかと思う。
この映画では頭が爆発するのと同時に花火が上がる。おまけに音楽は威風堂々である。会議テーブルに円になって座っている人たちの頭が爆発し、花火が上がるのを上からとらえているシーンでは、ロンドン五輪のセレモニーを思い出した。こんなことを書くと不謹慎な!と思われるかもしれないけれど、たぶんこれだけイギリスに傾倒している作品だと意識もしているのではないかなと思うけどどうだろう。

そう言われればそうかとも思うけれど、コリン・ファースにとって、初のアクションシーンらしい。そうとは思えないのが、教会でそこにいる大人数を一人で一網打尽にするシーンである。敵の武器を奪いながらの流れるようなアクションは、序盤のランスロットのシーンの拡大版といった感じ。やっつける側だけでなく、倒される側にも連携した動きが要求される。混乱しているようでいて、すべて計算ずくなのだ。これをワンテイクで撮ったというからすごい。
ここのシーンは『キック・アス』を思い出した。音楽もノリノリである。ただ、ヒットガールが嬉々として殺しまくるのに対し、この映画のハリー(コリン・ファース)は制御が利かなくなっているだけなのだ。
優しい男なので、操られるようにしてそんなことをした自分の行為が許せない。しかも、その後悔の中で、彼自身も撃たれて殺されてしまう。
原作があるものなのでその通りなのかもしれないけれど、本当ならば死なないでほしかった。

これも原作の通りなのだろうしどうしようもないけれど、アーサー(マイケル・ケイン)の展開も残念だった。
コリン・ファースとマイケル・ケインとマーク・ストロングが一つの画面に並んだときに、このメンバーで続編も作ってくれないかなと思ってしまった。けれど、途中でメンバーも減ってしまい、この三人に関してだとマーク・ストロングしか残っていない。
できることならば、このチームのままで進んでいって欲しかった。

マーク・ストロングもとても素敵でした。『裏切りのサーカス』であんなことになってしまったビル(コリン・ファース)とジム(マーク・ストロング)が、この映画では信頼関係を築いているのが感慨深い。
最後の潜入シーンで、マーリン(マーク・ストロング)が飛行機の中から後方支援をするんですが、ロキシーとエグジー二人同時なのであわあわしてしまい、少しコミカルな演技になっていた。コミカルなマーク・ストロングはあまり見られないので良かった。相変わらず渋くていい声。

ちなみに、後方支援をする一人のロキシーは宇宙へ行っているあたりも漫画っぽい。このシーンのマシンも『キック・アス』を思い出しました。

コリン・ファースが英国紳士そのものであるのに対し、彼が連れてくるエグジーは典型的な労働者階級の青年である。彼を一人前のスパイに仕立て上げる、もしくは彼が一人前のスパイへと成長するのが本作のテーマというか中心となる部分である。
エグジーは、常にポケットに手を入れているし、部屋に入るときにノックもしない。裏ピースで挑発する。素行が悪い。住んでいるのも集合住宅だ。

どこにでもいる普通の青年で、彼は映画を観ている側の代理のような役割でもある。観客の視点でテーラーの仕掛けや、おしゃれなスパイ道具の数々を見ている。だから、彼がスパイの世界へ身を投じて行く様はドキドキするし、彼を応援したくなる。

何より、犬や仲間を大事にしたり、うまくいったときのウインクなどがキュートで、生意気なところはあるけれど可愛いのだ。

エグジーはまるで仇をとるように、最後にはハリーと同じ格好、スーツと黒ブチ眼鏡で大暴れをする。本当ならば、この立派に成長した姿をハリーにも見届けて欲しかった。そして、最後の悪戯?ご褒美?悪巧み?を止める役割でも担っていたら良かったのに。

でも、まさに仇討ちなんですが、エグジーが最終決戦の武器として傘を持って行く描写にはぐっときたことも事実で、これはハリーが殺されないと成り立たない。
それでもやはり、あるのかどうかわからないけれど、続編があるならば、コリン・ファースにも出て欲しかったから、殺さないで欲しかったのだ。
スパイというのは厳しい世界なのもわかる。前半でもランスロットがあっさりと半分にされていた。だから、誰だってあっさり殺されてもおかしくないのだ。でも、本当だったらランスロットだって生きていてほしかったくらいなのだ。そうしたら、話がまったく進まないけれど。
主役級、しかもチームを組むようにして戦っている場合は、なるべくならば、チームでわいわいやりながら、全員生還して欲しい。そして、次回作も同じ仲間で観たいのだ。だから駄目だと言っているわけではなく、あくまでも個人的なストーリーの好みの話です。

エグジーを演じたのはタロン・エガートン。2014年公開(日本未公開)の『Testament of Youth』に続く、映画出演二作目らしい。
次作はイギリスで9/9に公開されたばかりの犯罪スリラー映画『Legend』。原作はジョン・ピアーソンの『The Profession of Violence』(1972年)(『ザ・クレイズ』のタイトルで1990年に映画化もされているけれど、日本ではVHSしか出ていないようです)。監督は『ロック・ユー!』のブライアン・ヘルゲランド。トム・ハーディが主演、双子を一人二役で演じる。クリストファー・エクルストン、ポール・ベタニー、コリン・モーガンと魅力的なキャストが揃っている中、名前が上のほうに載っているので、準主役だろうか。大出世である。



『テッド2』



2013年に公開されて(アメリカでは2012年)思わぬ大ヒットをした『テッド』の続編。前作のときに、テディベアが動いて喋るというのは可愛いけれど、かなりブラックだし、マニアックな小ネタが満載で、なぜこれが大ヒットしたのだろうと思った。
前作は昔のアメリカのテレビ番組のネタが多く、よくわからない部分もあったけれど、今作は拾いきれはしないものの、前作より理解できて、個人的な笑いどころも多かった。

以下、ネタバレです。








前作が後半にわりと派手な展開が待っていたのに対し、今作は全体的に小粒な印象。ストーリー自体もとてもシンプルなものだった。
難しいところなどなく、誰にでも理解できるものなので、小ネタや枝になっているようなくだらないエピソードを抜いたら、80分くらいでおさまりそうだし、R15という年齢制限もなくなるだろう。
けれど、『テッド』は敢えてくだらないエピソードを入れてくるし、小ネタ下ネタを混ぜてくる。なぜかというとおもしろいから。

二人がダイバースーツを着てる写真はいろいろなところで使われているし、予告編にも出てきたと思う。これも実は本筋とは関係のない、あってもなくてもいいシーンである。
テッドがジョンのパソコンを勝手に使おうとして、エロ画像をたくさん見つける。こんなことではだめだと、屋外でパソコンを粉々にし、それでも業者には復旧できてしまうと、パソコンを海に沈めに行く。そのシーンであの恰好である。海に沈め、海の中でハイタッチだかサムズアップだかして終了。3分も無かったと思う。沈められたパソコンが誰かに見つかって咎められるわけでもなければ、パソコンが無くて困って海の底に取りに行ったりすることもない。このシーンについて触れられることは、今後一切無い。

このような、投げっぱなしにして終わるギャグがたくさんあった。嬉しいことがあったときに家の屋上から夜にランニングしているランナーに向かってリンゴを投げる遊びをするシーンもそうだし、新人お笑い芸人いじめもそうだ。ちなみに、このお笑いライブのシーン、新人芸人さんがお題を客席から募集するんですが、そこで出てきたある大事件とある人物の間には陰謀説があるんですね。これはやりづらい、笑えない(という部分が笑える)。確かに悪魔である。

あとで伏線として生きてくるわけではない。大きな幹から生えている枝のようなもので、折ってしまっても、木自体が倒れるわけではない。
これ必要か?と思うくだらなさ。そんなシーンばかりなのだ。でも、そのくだらなさが仕様もなくて笑ってしまう。苦笑にも近い。

ラスト付近の病院のギャグだってそうだ。実は生きてましたー!医者も協力してましたー!「愉快な病院だろ?」ってそんなのアリですか? 普通のコメディではどうかと思う。死ぬわけはないとは思っていても、何かもっとまともなやり方があるだろうと、少し腹を立てるかもしれない。でも、この映画の場合、ここまでもくだらないことを散々やってきているから、これくらいでは別になんとも思わないのだ。くだらなさに慣れてしまっていて、この雑さ、ベタさに思わず笑ってしまう。

何を調べてもGoogleのサジェスト(もしかして:)にBlackc○cksが出てくるというギャグは三回出てきてかなりしつこいんですが、三回目はパソコンの画面のみで上に“Blackc○cks?”と出てくるだけなのがおもしろかった。もうGoogleで調べると言い出した時点で、観ている側としてはまたか!と思うんですが、画面を見せられると、出ているのを自分で発見してしまい笑った。

字幕を変えたR12版を公開するそうなんですが、この辺はどうするんだろう。大麻を吸うパイプが男根の形というシーンもあったけれど。そもそも、大麻を吸うシーンがかなり出てくるけど、そのままなのだろうか。

今回、ヒロインがアマンダ・セイフライドなんですが、彼女もばんばん吸う。男根型のパイプも吸ってたので、モザイクをかけたら余計にあやしい感じになってしまう。

可愛いのですが、目が大きくおでこが広いということで、悪口としてゴラム女と呼ばれてしまう。映画を観ないという役なので、それに気づかないが、コミコンでゴラムのコスプレと鉢合わせしてしまい…というシーンもおもしろかった。アマンダ・セイフライドはこんな扱いを許したということで、いい人だということがわかりました。

コミコンのシーンはコスプレでいろいろな人が来ていてそれこそ拾いきれなかったので、一時停止しながら観てみたい。
ダーレクがいたのにはびっくりしたと同時に嬉しかった。NYのコミコンということだったけれど、アメリカでもドクター・フーは人気なんですね。

あと、コミコンのステージで、新スーパーマンを演じる役者を発表する場に出くわしたジョンが、「ジョナ・ヒルです!」と聞いて「FUCK!」と吐き捨てるように言うシーンは笑った。「新スーパーマンは…」と間を持たせる間に、私も一緒に誰なの?とワクワクしたような気持ちで待ってしまった。ジョンの反応がとてもよくわかった。

ジョナ・ヒルは名前だけでご本人登場はないですが、カメオもたくさん出てきた。
アメフト選手のトム・ブレイディの精子泥棒をしにいくシーンも、結局、最初からジョンので良かったみたいなことになるし、全体的にいるのかどうかわからない。この辺もR12版でどうするつもりなのか気になる。

リーアム・ニーソンはご本人役というか彼の演じている役っぽい役なのかもしれない。
エンドロール後のオマケシーンにも出てきたけれど、もう出てきただけで笑ってしまった。どこかしらから、命からがら逃げてきたようで、傷だらけ。でも胸元には子供用のシリアルが大事に入れてあり、ああ、守りきったんだね…という何があったのかは知らないけど謎の感動が。

モーガン・フリーマンが出てきたときも、一瞬カメオかと思ってしまった。テッドとジョンが「すげえ、モーガン・フリーマンだ!」みたいなことを言い出すんじゃないかと思ったけれど、やり手弁護士役でした。
アマンダ・セイフライドも弁護士役なんですが、今回は結局、裁判が大きな木の幹になる部分なのだ。裁判に重きが置かれていて法廷が舞台だから、前作のスタジアムのような派手さはない。けれど、考えさせられる内容だった。

喋るテディベアであるテッドはつまり何なのかという裁判だ。テッドは人間のつもりだから、恋人タラとの間に婚姻届を出す。しかし、彼はぬいぐるみ、つまり、タラの所有物なのではないかということになり受理されない。職場からも解雇されてしまう。

ここで、映画の基本的なところ、ルールみたいなものがわからなくなってしまった。テッドが普通の熊のぬいぐるみではないというのは、みんなが知ってることなんだっけ? それを、世間の人はどうとらえてるんだっけ? 普通だったら喋って動くぬいぐるみがいたら、オカルト的に怖がる人もいるだろうし、町を歩いていたらみんな見るだろうけれど、別に取り囲まれている様子もなかった。立ち位置がよくわからなくなってしまったが、あまり深く考える事柄ではないようだった。

ジョンがテッドとの出会いを聞かれ、「おもちゃ屋さんで買ってもらった」と言わされるシーンは勝ち目がないように思われた。だって、ぬいぐるみであることには変わりない。普通に考えたら所有物になってしまう。
テッドが自分で自分の胸を押さなくてはならなくなるシーンもつらかった。「I Love You.」というキュートな愛らしい声がしんとした法廷に響き渡る。まさしく、ぬいぐるみであることの証明である。

けれど、ジョンがある事故からテッドを救って身代わりになり、テッドが涙を流しているのを見て、敏腕弁護士が立ち上がる。
敏腕弁護士に任せればもう解決である。まるくおさまって、おしまい。

と、まあ、ベタな展開ではあるんですが、それよりは、ここまでの二人のドタバタや、いらないと思われる枝のシーンの悪ふざけで見せたいいコンビっぷりを見ていたら、人間同士以上に遠慮のない仲なのはよくわかった。
映画を観ている私たちの目にはぬいぐるみには見えなかった。
何より、最後の二回目のプロポーズのシーンで、ちょっとかっこいいと思ってしまったのだ。外見はぬいぐるみのテッドを。これが、ただの所有物なんかではない証である。

法廷ものということで、もしかしたら、途中でテレビを見ながら替え歌を歌っていたLaw & Orderもどこかでネタが組み込まれていたのかもしれない。けれど、ドラマを見ていないのでわかりませんでした。残念。
だから、何にしても、無駄知識をたくさん入れておいたほうが楽しめる映画だとは思う。

『アーネスト式プロポーズ』はさらっと駄作と言われていたけれど、歌うコリン・ファースが観られるというだけでも価値のある映画です。






ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの半生を描いた実話。60年代のブライアンを演じるのがポール・ダノで80年代がジョン・キューザック。
監督はビル・ポーラッド。『ブロークバック・マウンテン』や『ツリー・オブ・ライフ』など、様々な映画の製作には関わっていたものの監督作は久々。
音楽はアッティカス・ロス。本作は音響面でもある工夫があるので、家のスピーカーなどが整っていない場合はDVDよりも映画館で観たほうがいいと思った。家のテレビではキモになる部分がまったく変わってしまう。

ザ・ビーチ・ボーイズは有名曲くらいしか知らないし、特にファンというわけではない。また、ポール・ダノが年をとってジョン・キューザックになるというのも、外見や雰囲気など似ても似つかない二人だし違和感があった。
そのため、観るのを見送ろうかとも思っていたけれど、映画館で観て本当に良かった。ビーチ・ボーイズのファンでなくても楽しめます。

以下、ネタバレです。






ポール・ダノとアッティカス・ロスのために映画館で観ました。
伝記映画ということで、若者パートが少なくてすぐにジョン・キューザックになってしまったらどうしようかと思ったけれど、60年代と80年代が交互に出てくるので、全体的には半分ずつくらいでした。決して、ジョン・キューザックが嫌いというわけではないです。

意外にも、二人の俳優の親和性がものすごく高かった。どこからどう見ても別人なのに、同じ人物を演じているという説得力があった。そういえば、この二人、演技がうまかった。
天才故なのか、少しタガがはずれ、次第に道をそれて行く。60年代パートがどんどん道を外れて行くのに対し、80年代は外れた状態からスタートし、そこからの回復が描かれている。
ポール・ダノとジョン・キューザックは精神的な不安定さを演じさせたら右に出るものはいない二大巨頭と言ってもいいだろう。普段からそのような役がまわってくることも多い。

最初、ポール・ダノは太り過ぎではないかと思っていたけれど、ブライアン自体が後に酒とドラッグに溺れ、136キロ(と映画では言っていたけれど、本当だろうか)まで太り、ほとんど寝て過ごすことになるらしいので、役の上で太っていたのだろう。
60年代パートはあとになればなるほどポール・ダノが太っていく。

最初はビーチ・ボーイズがテレビ出演をしている映像で、がざがざした古い効果が加えられている。ご本人ではなくこの映画の役者さんが演じていて、ミュージックビデオのようにもなっていた。バンドとしてもっとも華々しい時代である。

逆に華々しさは最初にしか描かれていない。バンドについてというより、ブライアン個人についての映画なのだ。
メンバー抜きで、スタジオミュージシャンを招いてのレコーディングは、当然メンバーがおもしろいはずはない。次第にブライアンのスタンドプレーになっていく。

頭の中で鳴っている音楽を再現するために何度も何度もやり直す様子は『セッション』を思い出した。こだわりが病的になり、気分が乗らないことを理由に予約したスタジオをキャンセルし、スタジオ代を無駄にしたり、消防士の恰好をしてバカ騒ぎしながらレコーディングしたり。

メンバーや父親との確執も深まって、彼自身はアルコールとドラッグへ逃げて、表舞台からは遠ざかる。

ここまで一気にやって80年代へ移るわけではなく、80年代パートも随所に入ってくるのがおもしろい。具体的には昔のテレビ出演時の映像のあとで、すぐに80年代へと移る。
ブライアンは車を買いにきて、その販売員のメリンダを好きになる。ブライアンは少し挙動がおかしくはあるけれど、純粋で優しかったし、メリンダも最初から興味を持っていたようだった。

ブライアンは常に精神科医と一緒に居て、監視されていた。これも、映画だからどこまでが真実なのかわからないけれど、薬の過剰投与で余計に具合が悪くなっていたようだ。
精神科医ユージン役はポール・ジアマッティ。80年代ということで少し昔風の髪型のかつらをかぶっていて、ジュリーのようにも見えた。
最初は本当にブライアンのことを思っているようだったし、136キロの肥満で寝たきりの状態から戻したと言っていて、いい医者なのだと思っていた。
けれど、無理矢理曲を作らせている様子や薬漬けにしている様子、ブライアンを軟禁して監視している様子はまるで悪役だった。メリンダの職場に乗り込んで行って罵声を飛ばす様子も怖かった。

そこから救い出したのがメリンダである。献身的で、誰よりもブライアンのことを考え、理解しようとする。ブライアンからも、ブライアンの周囲からも決して逃げずに立ち向かう、強い女性だった。彼女が手を伸ばして、ブライアンを底から引っ張り上げたのだ。その勝ち気な彼女は現在のブライアンの妻である。

メリンダに最初に会ったときにブライアンは、“Lonely,scared,frightened(孤独、怖い、怯えている)”と書かれた紙を渡す。メリンダはそれを見て、彼のことを気にした面もあるだろう。
本作についてのインタビューで「現在の精神状態を3つの言葉で表すとしたら?」という質問には、“Thank you,God,for another day(ありがとう、神様、新たな一日を)”と答えていた。平穏そのものである。本当にメリンダに会えて良かったと思う。

最後に“精神科医の薬を絶つことで劇的に回復した”と書いてあったので、ユージンのような存在は実際にはいたのだと思うけれど、実際にその医者がブライアンを肥満状態から回復させるなど彼のためになるようなことを何かしたのかとか、途中で悪い考えが芽生えたのかとか、彼の本当の狙いはわからない。

ブライアンは1960年代からずっと、声や音楽が頭の中で鳴り響いていたとのことだけれど、どんなものなのか、もちろん、彼の頭の中のそれを聞くことはできない。
けれど、映画では、左右や後方から音が少しずつ重なって、頭の中でいっぱいいっぱいになって破裂しそうになってしまう様子が体感できる。映画館ならではだと思う。音に包まれ、覆われる感覚が味わえる。

本作の音楽は、ナイン・インチ・ネイルズにも参加し、トレント・レズナーと組んでの映画音楽活動も活発なアッティカス・ロス。『ソーシャル・ネットワーク』ではアカデミー賞作曲賞を受賞。『ドラゴン・タトゥーの女』『ゴーン・ガール』でも様々な賞にノミネートされた。
どことなく不安にさせる音楽やキーンと澄み切ったきれいな音楽が得意だと思う。

本作のブライアンの頭の中の音のリミックスも彼が作ったのではないかと思われる。無音のヘッドフォンをつけると音が鳴り出すシーンがあったんですが、エンドロールに“Headphone”というタイトルでBy.Atticus Rossと書いてあったと思う。見間違えかもしれませんが。

最後のほうで、60年代のブライアンが80年代のブライアンを見ているシーンがある。何か言いたそうな、さみしそうな顔が印象的で泣きそうになった。おそらく、過去の彼もちゃんと救われた。
ちなみに、ここのポール・ダノは痩せていました。

ポール・ダノ関連だと、途中でピアノを弾きながら歌うシーンがありますが、実際に彼が歌っているとのこと。さすが、バンド活動もしているだけに、いい声でした。