『テッド2』



2013年に公開されて(アメリカでは2012年)思わぬ大ヒットをした『テッド』の続編。前作のときに、テディベアが動いて喋るというのは可愛いけれど、かなりブラックだし、マニアックな小ネタが満載で、なぜこれが大ヒットしたのだろうと思った。
前作は昔のアメリカのテレビ番組のネタが多く、よくわからない部分もあったけれど、今作は拾いきれはしないものの、前作より理解できて、個人的な笑いどころも多かった。

以下、ネタバレです。








前作が後半にわりと派手な展開が待っていたのに対し、今作は全体的に小粒な印象。ストーリー自体もとてもシンプルなものだった。
難しいところなどなく、誰にでも理解できるものなので、小ネタや枝になっているようなくだらないエピソードを抜いたら、80分くらいでおさまりそうだし、R15という年齢制限もなくなるだろう。
けれど、『テッド』は敢えてくだらないエピソードを入れてくるし、小ネタ下ネタを混ぜてくる。なぜかというとおもしろいから。

二人がダイバースーツを着てる写真はいろいろなところで使われているし、予告編にも出てきたと思う。これも実は本筋とは関係のない、あってもなくてもいいシーンである。
テッドがジョンのパソコンを勝手に使おうとして、エロ画像をたくさん見つける。こんなことではだめだと、屋外でパソコンを粉々にし、それでも業者には復旧できてしまうと、パソコンを海に沈めに行く。そのシーンであの恰好である。海に沈め、海の中でハイタッチだかサムズアップだかして終了。3分も無かったと思う。沈められたパソコンが誰かに見つかって咎められるわけでもなければ、パソコンが無くて困って海の底に取りに行ったりすることもない。このシーンについて触れられることは、今後一切無い。

このような、投げっぱなしにして終わるギャグがたくさんあった。嬉しいことがあったときに家の屋上から夜にランニングしているランナーに向かってリンゴを投げる遊びをするシーンもそうだし、新人お笑い芸人いじめもそうだ。ちなみに、このお笑いライブのシーン、新人芸人さんがお題を客席から募集するんですが、そこで出てきたある大事件とある人物の間には陰謀説があるんですね。これはやりづらい、笑えない(という部分が笑える)。確かに悪魔である。

あとで伏線として生きてくるわけではない。大きな幹から生えている枝のようなもので、折ってしまっても、木自体が倒れるわけではない。
これ必要か?と思うくだらなさ。そんなシーンばかりなのだ。でも、そのくだらなさが仕様もなくて笑ってしまう。苦笑にも近い。

ラスト付近の病院のギャグだってそうだ。実は生きてましたー!医者も協力してましたー!「愉快な病院だろ?」ってそんなのアリですか? 普通のコメディではどうかと思う。死ぬわけはないとは思っていても、何かもっとまともなやり方があるだろうと、少し腹を立てるかもしれない。でも、この映画の場合、ここまでもくだらないことを散々やってきているから、これくらいでは別になんとも思わないのだ。くだらなさに慣れてしまっていて、この雑さ、ベタさに思わず笑ってしまう。

何を調べてもGoogleのサジェスト(もしかして:)にBlackc○cksが出てくるというギャグは三回出てきてかなりしつこいんですが、三回目はパソコンの画面のみで上に“Blackc○cks?”と出てくるだけなのがおもしろかった。もうGoogleで調べると言い出した時点で、観ている側としてはまたか!と思うんですが、画面を見せられると、出ているのを自分で発見してしまい笑った。

字幕を変えたR12版を公開するそうなんですが、この辺はどうするんだろう。大麻を吸うパイプが男根の形というシーンもあったけれど。そもそも、大麻を吸うシーンがかなり出てくるけど、そのままなのだろうか。

今回、ヒロインがアマンダ・セイフライドなんですが、彼女もばんばん吸う。男根型のパイプも吸ってたので、モザイクをかけたら余計にあやしい感じになってしまう。

可愛いのですが、目が大きくおでこが広いということで、悪口としてゴラム女と呼ばれてしまう。映画を観ないという役なので、それに気づかないが、コミコンでゴラムのコスプレと鉢合わせしてしまい…というシーンもおもしろかった。アマンダ・セイフライドはこんな扱いを許したということで、いい人だということがわかりました。

コミコンのシーンはコスプレでいろいろな人が来ていてそれこそ拾いきれなかったので、一時停止しながら観てみたい。
ダーレクがいたのにはびっくりしたと同時に嬉しかった。NYのコミコンということだったけれど、アメリカでもドクター・フーは人気なんですね。

あと、コミコンのステージで、新スーパーマンを演じる役者を発表する場に出くわしたジョンが、「ジョナ・ヒルです!」と聞いて「FUCK!」と吐き捨てるように言うシーンは笑った。「新スーパーマンは…」と間を持たせる間に、私も一緒に誰なの?とワクワクしたような気持ちで待ってしまった。ジョンの反応がとてもよくわかった。

ジョナ・ヒルは名前だけでご本人登場はないですが、カメオもたくさん出てきた。
アメフト選手のトム・ブレイディの精子泥棒をしにいくシーンも、結局、最初からジョンので良かったみたいなことになるし、全体的にいるのかどうかわからない。この辺もR12版でどうするつもりなのか気になる。

リーアム・ニーソンはご本人役というか彼の演じている役っぽい役なのかもしれない。
エンドロール後のオマケシーンにも出てきたけれど、もう出てきただけで笑ってしまった。どこかしらから、命からがら逃げてきたようで、傷だらけ。でも胸元には子供用のシリアルが大事に入れてあり、ああ、守りきったんだね…という何があったのかは知らないけど謎の感動が。

モーガン・フリーマンが出てきたときも、一瞬カメオかと思ってしまった。テッドとジョンが「すげえ、モーガン・フリーマンだ!」みたいなことを言い出すんじゃないかと思ったけれど、やり手弁護士役でした。
アマンダ・セイフライドも弁護士役なんですが、今回は結局、裁判が大きな木の幹になる部分なのだ。裁判に重きが置かれていて法廷が舞台だから、前作のスタジアムのような派手さはない。けれど、考えさせられる内容だった。

喋るテディベアであるテッドはつまり何なのかという裁判だ。テッドは人間のつもりだから、恋人タラとの間に婚姻届を出す。しかし、彼はぬいぐるみ、つまり、タラの所有物なのではないかということになり受理されない。職場からも解雇されてしまう。

ここで、映画の基本的なところ、ルールみたいなものがわからなくなってしまった。テッドが普通の熊のぬいぐるみではないというのは、みんなが知ってることなんだっけ? それを、世間の人はどうとらえてるんだっけ? 普通だったら喋って動くぬいぐるみがいたら、オカルト的に怖がる人もいるだろうし、町を歩いていたらみんな見るだろうけれど、別に取り囲まれている様子もなかった。立ち位置がよくわからなくなってしまったが、あまり深く考える事柄ではないようだった。

ジョンがテッドとの出会いを聞かれ、「おもちゃ屋さんで買ってもらった」と言わされるシーンは勝ち目がないように思われた。だって、ぬいぐるみであることには変わりない。普通に考えたら所有物になってしまう。
テッドが自分で自分の胸を押さなくてはならなくなるシーンもつらかった。「I Love You.」というキュートな愛らしい声がしんとした法廷に響き渡る。まさしく、ぬいぐるみであることの証明である。

けれど、ジョンがある事故からテッドを救って身代わりになり、テッドが涙を流しているのを見て、敏腕弁護士が立ち上がる。
敏腕弁護士に任せればもう解決である。まるくおさまって、おしまい。

と、まあ、ベタな展開ではあるんですが、それよりは、ここまでの二人のドタバタや、いらないと思われる枝のシーンの悪ふざけで見せたいいコンビっぷりを見ていたら、人間同士以上に遠慮のない仲なのはよくわかった。
映画を観ている私たちの目にはぬいぐるみには見えなかった。
何より、最後の二回目のプロポーズのシーンで、ちょっとかっこいいと思ってしまったのだ。外見はぬいぐるみのテッドを。これが、ただの所有物なんかではない証である。

法廷ものということで、もしかしたら、途中でテレビを見ながら替え歌を歌っていたLaw & Orderもどこかでネタが組み込まれていたのかもしれない。けれど、ドラマを見ていないのでわかりませんでした。残念。
だから、何にしても、無駄知識をたくさん入れておいたほうが楽しめる映画だとは思う。

『アーネスト式プロポーズ』はさらっと駄作と言われていたけれど、歌うコリン・ファースが観られるというだけでも価値のある映画です。




0 comments:

Post a Comment